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「過剰反応」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 過剰反応とは

2025-05-26

anond:20250526102521

過敏になりすぎて学級会じみてるところあるよな

推理モノでもない限り、多少のネタバレなんて物語の良さをそこまで大きくスポイルすることないのにな

あの手の人間映画予告編すら見れないんじゃないかと思うわ

重要なのはどうやってそこに至るか、細かい描写物語の神は宿ってるわけよ

「最終的には全員死ぬよ」っていうそこそこ痛いバレを誰かが言ったとて、大抵そういうのはバレがなくとももともと察せるように出来てたりするし

ネタバレっぽいことを目にしても「こいつは嘘言ってるミスリード野郎かもな」とか受け取って安易に信じないことで、すぐ脳裏から追い出すこともできる

ネタバレ過剰反応する人は不器用すぎるんだろう

他人も同じくらい不器用だとおもうから正義感暴走する

でもそうやって学級会的に守ろうとするより、各自で軽微なものからちょっと痛いバレまでいろいろ食らいながら生きていく中で、自分の消費スタイルに合ったネタバレ耐性や回避術を覚えていくことのほうが大事だと思うんだ

他人感覚基準のお仕着せのパターナリズムとしてのネタバレ配慮包囲網は、それほど万能でもなければ盤石でもない

創作を楽しむという行為はつねに自律的じゃないといけない、他人の考えに流されたり他人の受け取り方を制御したりしようとする人間根本的に楽しむことに向いてない

2025-05-19

anond:20250519072823

なるほど、よくある反応だ。

インナーチャイルドなんてスピリチュアル妄想だろ」

その主張、半分正しい。だが半分しか見えていない時点で知的放尿をしている。

まず、「神経系の基礎プログラム」とは比喩ではなく発達神経科学に基づいた話だ。

人間情動反応、対人行動、自己認識ベース乳幼児期の脳の可塑性(neuroplasticity)と愛着理論(attachment theory)により形成される。

これはスピリチュアルでも何でもない。ハーロウアカゲザル実験、ボウルビィの理論現在fMRI研究トラウマ療法でも裏付けられている。

そして、「インナーチャイルド」という言葉のものは、確かにユング心理学由来で、後年は商業セラピーにも使われた。

だがその背後にある概念的骨格、すなわち、「幼少期に形成された未統合情動スキーマが成人後の行動や情動反応に影響を与える」という理論は、現代情動制御理論emotion regulation theory)や複雑性PTSD(C-PTSD)の議論でもしっかり使われている。

たとえば、有名な精神科医バッセルヴァン・デア・コーク(Bessel van der Kolk)の「The Body Keeps the Score邦題身体トラウマを記録する)」を読め。

トラウマ脳幹扁桃体海馬など神経生理レベルで記録され、それが「過剰反応」や「自己否定」に直結する。

それが何を意味するか?

「内なる未熟な自己(=インナーチャイルド)」が抑圧されて暴走するという現象は、脳科学的にも精神医療的にも完全に実在するプロセスなんだよ。

から繰り返す。「インナーチャイルド」は用語としては古くても、その中身は今なお臨床心理学神経科学発達心理学の核心にある現象だ。

流行言葉バカにする前に、その背後にある研究データを調べろ。

科学というのは、用語の新旧ではなく現象再現性実証性で判断される。

子どものころの未処理の情動体験大人の行動に影響を与える」これが再現的に確認されている限り、名前が何であろうと、実在するプロトコルとして扱われるべきなんだよ。

2025-05-12

anond:20250512172748

テック右翼というのはテックリバタリアン効果的加速主義を指す歴とした用語であって、テクウヨ増田がそれを独自定義で使ってるだけ、という話じゃないか

それに過剰反応して「テック右翼なんて言葉はない」「テック右翼定義を教えろよ」みたいな絡み方をしてるほうもDDだよ。

2025-05-11

anond:20250511150604

ダンジョン飯コスプレ過剰反応してヘイト増やしたな。増田でも連日どうでもいい怪文書垂れ流しやがって。まあ原作読んだことないんだけど。

2025-05-09

anond:20250508145430

サイゼは絵に描いただけで炎上したので

露骨に願望を表明した今回より理不尽度は高いなとはおもうけど

今回の炎上に関してはミラーリングしても

巨乳女の子とタダマンしてぇ〜くらいの表明に過ぎないので

文句言ってる男性サイドも過剰反応かなとは思う

はてブ利用者ってどういう人?

ChatGPT

 

情報感度が高い「意識高い系IT系

職種例:エンジニアデザイナーライター編集者大学院生など。

・特徴:

・新しいWebサービス技術社会問題に強い関心。

・「Qiita」や「Zenn」、「GitHub」とも行き来する。

プログラミングガジェット系の記事には食いつきやすい。

英語記事Google翻訳読破

コメントに「これは参考になる」「〇〇にも応用できそう」など、考察を加えることを好む。

 

社会派論客気取りな「知識マウント」型

・特徴:

社会問題や時事ニュース過剰反応

コメント欄で評論家的に語る(「これは構造問題」「根本原因は〜」など)。

・「バズってるが本質ではない」などと斜に構える傾向。

他者意見に対して「既出」や「的外れ」と冷たく突っ込む。

・時には小難しい言い回しで知性をアピール

 

オタクサブカル炎上ウォッチャー

・特徴:

アニメ漫画ゲームなどの話題にも敏感。

炎上案件には素早く反応し、まとめやコメント巡回

・「これは〇〇騒動彷彿とさせる」と過去案件との比較披露

サブカル文脈深読みする癖がある。

匿名文化を好む。

 

釣りタイトル煽り記事に敏感な「アンチ広告警察

・特徴:

・「広告臭がする記事」や「ステマ」を瞬時に見抜く。

コメントで「これはPR」「クリック誘導狙い」などを指摘。

・読まずにブコメブックマークコメント)で辛辣批評

・読者よりも先に「賢く」あろうとする姿勢

 

その他の特徴

・「ブコメ本体」とよく言われる。

ブコメだけ見て記事を読まない人もいる。

ネット老舗感がある(2ちゃんねるや初期のmixi世代)。

新参にはやや冷たい雰囲気

・時折「これは伸びる」とタグ職人のような行動をする。

「やけんモテんと思う」を“性欲”と嘲笑する弱男たちへ

モテないでしょ?」という言葉に対して、

「女は性欲で男をジャッジしている」「モテ=性の話だろ」

といった反応が最近やたらと目立つ。

モテない”という評価に対し、それを性的価値判断だと捉えて嘲笑するような言説が蔓延している。

まるで「モテる/モテない」という語が、すべて“性欲に基づいた格付け”であるかのように。

だが、“モテない”は性的魅力の話ではない。

お前らの態度、言葉選び、空気の読めなさ、他人を人として尊重して扱えないその感じ、

すべてひっくるめて「お前は無理」と言われているだけだ。

本当は「お前、人間としてきつい」とはっきり言いたいが、

それでは通じないと判断されて、

お前らが一番気にしているワード翻訳されて突き刺されている。

モテない”と言われて過剰反応するのは、自分でそれが効くとわかっているからだろう。

女が言う「モテるね」という言葉には、「一緒にいて不快ではない」「関係性を築きやすい」「人として尊重してくれる」という意味が込められている。

会話が成立する、距離感が適切、支配的でも卑屈でもない。

そういう人が“モテる”のであって、見た目や金だけの話ではない。性欲を刺激する、なんてダイレクトな話でもない。

だが、お前らはそれを勝手に「セックスできそうかどうか」「性欲が刺激されるかどうか」の話にすり替え

「女は性欲でしか男を評価しない」と決めつけ、

自分の中で“女=敵”という物語を作って、ずっとその幻影を殴り続けている。


そして、弱男ビジネスに取り込まれていく。

「女はモテを盾にして男を差別する」

そうした言葉を餌にされ、搾取されていく。

しばらくすると、「モテとか性欲で他人評価する女ってキモいよな」と言い始めるようになる。

自分モテないと言われたことが刺さったくせに、それを正面から受け止めることもできず、

傷ついたとも言えない。

努力放棄し、

「そんな評価軸そのものがくだらない」と見下すことで、立場ごまかしている。

笑っているようで、何も乗り越えられていない。

お前らが殴っているのは、現実女性ではない。

昔、優しくしてくれなかった誰か、期待に応えてくれなかった誰か、

その記憶に“女一般”というラベルを貼って、ネットの中で叩いているだけだ。

そして現実女性たちは、そういうお前らを静かに視界から外していく。

当然だ。自分を見ようともしない人間と、誰が関係を持ちたいと思う?

最終的にどうなるか。

誰にも見られなくなる。誰から相手にされなくなる。

でもそのとき、また言うのだろう。「最近の女は冷たい」と。

違う。

冷たくされたのではない。

お前が、人として見られる価値を、自分で捨てただけだ。

弱男をターゲットにしたnoteを買い、動画を見て、「これは救いだ」と思い込む。

だが、どれだけ課金しても、「なんでも叶えてくれる理想女の子」は空から降ってこない。

現実には誰も来ない。誰も、お前の物語の中のヒロインにはならない。

2025-05-07

リスク要因」は賛成派の人が考えているよりも軽微である場合によっては命に関わるという点はリスクを誇張し過ぎである)という点を重視して、賛成派の人の意見が極端すぎる点を厳しく指摘してください。

賛成派の意見における極端な想定とその批判

1. すべての暴力DVや命に関わる危険と直結させる過剰な一般

賛成派の主張:賛成派は、この男性暴力が将来女性に向かう可能性を強調し、命に関わるリスクとして警鐘を鳴らします。例えば、クルル (@kululushousa)は男性の行動を「DV男の特徴」と断定し、めんとすTタイプ (@kusyatori)は「遠くない未来DVされる」と予測。aircooling883は弁護士意見引用し、「暴力を使う人間は身近な人にも危害を加える」と主張します。

極端さの指摘:

リスクの誇張: 賛成派は、状況に応じた単発の暴力を、即座にDV殺人といった命に関わる危険と結びつける過剰な一般化を行っています文書内で反対派のkey_trackerが指摘するように、「威圧手段にする人が全てDVをする人ではない」であり、すべての暴力を同等に危険視するのは論理の飛躍です。男性の行動は、公共の場で明確なハラスメント者に対抗したものであり、私的関係での暴力DV)とは動機文脈が大きく異なります。賛成派の「この暴力が必ず女性に向かう」という前提は、統計や事例に基づく裏付けが乏しく、極端な最悪シナリオ(命の危険)を想定しすぎです。例えば、文書内でffffdarkが「私の周りの女性感謝するが付き合いはその場限り」と述べるように、多くの女性一時的感謝と長期的な信頼を分けており、賛成派の「女性が無条件に危険に飛び込む」という想定は非現実的です。

現実との乖離: DV殺人事件は確かに深刻ですが、その発生は複雑な心理的社会的要因に依存します。単発の正義感に基づく暴力直ちに命に関わるリスクに発展する確率は低く、賛成派の主張はリスクの頻度や蓋然性を過剰に誇張しています

2. 非暴力手段の万能性を過信する理想主義

賛成派の主張:賛成派は、非暴力的な方法(例:対話警察への通報)が常に安全かつ効果的だと主張します。aircooling883は「傾聴」や交渉を推奨し、massappouuは「暴力相手の逆上を誘発する」と警告。遊烏氣 (@yuki_yugi_paru)は「対話当局への連絡が理性的」と提案します。

極端さの指摘:

リスクの誇張: 賛成派は、暴力を一切認めず、非暴力手段があらゆる状況で機能すると過信していますが、これは現実の緊急性を無視した理想主義です。文書内でらくだ (@rakuda4u)が指摘するように、「丁寧な対応理性的相手しか通用しない」であり、電車内のような閉鎖空間で即座に脅威を止めるには、非暴力手段が間に合わない場合があります。例えば、警察の到着には時間がかかり(文京花子 (@1lxDLYPDjv53882)の「警察を呼ぶ」提案)、対話ハラスメント者の非合理性助長するリスクもあります(hukinnshinnの「非合理な相手には話し合いが通用しない」)。賛成派の「暴力は常に危険非暴力は万能」という二元論は、命に関わるリスクを防ぐための現実的選択肢を狭め、かえって女性危険晒す可能性を無視しています

現実との乖離: 実際の危機では、即時性が求められる場合があり、限定的威圧物理的介入が効果的なケースも存在します(空白 (@khwCGQZrH6eqNRY)の「自衛のための暴力は好まれる」)。賛成派の非暴力絶対主義は、こうした現実の複雑さを無視し、命に関わるリスクを過剰に煽る一方で、非現実的解決策を押し付けています

3. 女性判断力過小評価し、被害者像を押し付け偏見

賛成派の主張:賛成派は、女性がこの男性を称賛することを「リスク感覚ガバガバ」と批判し、危険本能誤判断に駆られているとみなします。よしおか (@yosshiiii23)は「自分に向かない暴力は称賛する」と皮肉り、おりぃぶ (@_OLIVE_a)は女性特有の「暴力男への憧れ」を指摘。HimazinMan3は「DV被害者が減らない理由」と結びつけます。

極端さの指摘:

リスクの誇張: 賛成派は、女性一時的感謝や称賛を表明することを、即座に「危険男性への盲目的な信頼」や「命を危険晒す行為」と結びつける極端な被害者像を押し付けています文書内でNightQueen (@NightQueen_7)が「素晴らしい男性エピソードを聞きたい」と述べるように、女性の反応は単なる感謝社会的賞賛である場合が多く、必ずしも親密な関係や長期的な信頼を意味しません。賛成派の「女性本能に駆られて危険に飛び込む」という前提は、女性主体的判断力過小評価し、過剰な警戒心を煽ります。例えば、funpan2015が指摘する進化論視点は、女性の反応が合理的で状況に応じたものである可能性を示唆しますが、賛成派はこのニュアンス無視し、すべての称賛を命に関わるリスクと直結させます

現実との乖離: 実際の女性は、公共の場での英雄的行動と私的関係でのリスク区別する能力を持っています。賛成派の「女性無防備で命を危険晒す」という主張は、統計的にDV被害者が一部に限定される現実日本でのDV関連殺人は年間数百件程度で、全女性の行動を代表しない)を無視し、過剰に一般化した偏見に基づいています

4. 男性の行動を悪意的に解釈する先入観

賛成派の主張:賛成派は、男性の行動を「DV男の特徴」(クルル)や「小悪党ムーブ」(ShinTAM91019338)と決めつけ、RYU-1貴族 (@r1kzk)は「弱い相手を選んで暴力を使った」とハラスメント者と同等視します。シラクモ (@Gpvjwb09)は支持者を「猿並みの頭」と侮辱し、極端な批判を展開します。

極端さの指摘:

リスクの誇張: 賛成派は、男性の行動を悪意的に解釈し、限定的な状況での暴力普遍的危険性として誇張します。文書内でみなこっち (@zwillingmutter)が「正義ヒーロー」と称賛するように、男性の行動は即時の脅威に対応したものであり、継続的暴力傾向や女性への敵意を示す証拠はありません。賛成派の「この男性潜在的DV加害者」という決めつけは、具体的な行動(ハラスメント者を制止し、女性安心させた)の文脈無視し、命に関わるリスクを過剰に想定しています。反対派のhukinnshinnが「自警団のような行動」と表現するように、男性動機社会秩序の維持に近く、賛成派の悪意的な解釈偏見に基づく過剰反応です。

現実との乖離: 公共の場での単発の介入が、親密な関係での暴力に直結する証拠は乏しく、賛成派の主張は推測に頼りすぎています。命に関わるリスクを強調する賛成派の論調は、実際の行動の限定性を無視し、過剰な恐怖を煽る結果となっています

5. 命に関わるリスク蓋然性無視した最悪シナリオの強調

賛成派の主張:賛成派は、「最悪の場合命に関わる」と繰り返し、ひよの (@hiyono_leverage)は「暴力が鳥さんに向く」と警告し、tyamagisは極端に「戦争をけしかける」とまで主張。ShinTAM91019338は「正義自称する暴力が際限なくエスカレートする」と警鐘を鳴らします。

極端さの指摘:

リスクの誇張: 賛成派は、命に関わるリスクを強調するが、その蓋然性や具体性を示さず、極端な最悪シナリオを前提としています文書内でV18fBJSmaSwZpleが指摘する「傷害器物損壊可能性」は法的リスクとして妥当ですが、「命に関わる」結果に至る確率は極めて低いです。例えば、電車内での単発の介入がDV殺人に発展するケースは稀であり、賛成派の主張はリスクの頻度を無視した誇張です。反対派のkey_trackerが「DV認定妄想」と批判するように、賛成派は具体的な証拠なく最悪の結果を想定し、過剰な警戒心を煽っています。tyamagisの「戦争」への飛躍は、議論現実性を完全に逸脱した極端な例です。

現実との乖離: 命に関わるリスクは、DV殺人事件の統計日本では年間数百件程度)から見ても、すべての暴力行為に当てはまるものではありません。賛成派の「命の危険」を強調する論調は、実際のリスクの低さを無視し、女性に過剰な恐怖感を植え付ける結果となり、合理的判断を妨げます

総合的な批判リスクの過剰な誇張と現実から乖離

賛成派の意見は、以下の点でリスクを過剰に誇張し、命に関わる危険性を現実以上に強調しています:過剰な一般化: 単発の暴力DV殺人と直結させる論理は、行動の文脈蓋然性無視した極端な推測です。現実には、公共の場での介入が命に関わる結果に至るケースは稀です。

現実的な前提: 非暴力手段の万能性や女性無防備さを前提とする賛成派の主張は、危機の即時性や女性主体性を軽視し、理想主義的な解決策を押し付けています

偏見に基づく解釈: 男性の行動を悪意的に解釈し、女性を無力な被害者として描く賛成派の論調は、実際の行動や反応の複雑さを無視し、過剰な恐怖を煽ります

結論

賛成派の意見は、暴力リスクを「命に関わる」危険として過剰に誇張し、実際の蓋然性文脈無視した極端な警戒心を煽っています。彼らの主張は、単発の防衛暴力DV殺人と直結させ、女性判断力過小評価し、非暴力手段を非現実的理想化することで、リスク要因を過大評価しています文書内で反対派が指摘する「現実の脅威への即時対応必要性」や「女性合理的感謝」は、賛成派の極端な最悪シナリオを相対化するものであり、命に関わるリスクを過剰に強調する賛成派の思考は、現実から乖離した過度な恐怖の煽りに終始しています。賛成派は、リスクの深刻さを強調するあまりバランスの取れた判断を損ない、女性社会に不必要不安を植え付けています

2025-05-01

anond:20250501201521

その程度の表現を「誹謗中傷だ」と決めつけるのは、かなり無理があります理屈としてはこうです:

 

■ 「キャラがふざけてステージに乗ったから降ろされた」はメタ表現比喩

 

この言い方は明らかに

キャラクターの行動を擬人化メタ的に描写している比喩表現です。

• 実際には「ポスターが取り下げられた」事象を、キャラの振る舞いになぞらえて説明しているだけ。

 

■ 法的には誹謗中傷に該当しない理由

 

名誉毀損民法刑法)の構成要件

1. 事実摘示があること

2. 特定個人法人社会的評価を下げる内容であること

3. 公共性公益性がないと判断されること

 

→ 今回のような比喩的な言い回し(=キャラがふざけて…)は、事実摘示とも言えず、「感想」や「表現の一形態」にとどまります

 

侮辱罪にもならない:

「バカ」とか「気持ち悪い」といった直接的な罵倒ですら、よほど執拗に繰り返されない限り刑事的に処罰されません。

• 今回は対象キャラクターであり、出版社にすら直接言及していない可能性もある。

 

企業出版社への誹謗中傷になる条件はもっと厳しい

 

もし本当に誹謗中傷構成したいなら:

• 「◯◯出版社は○○という理由キャラを取り下げた。これは不当だ」

• 「◯◯出版社判断差別的だ」など、

出版社を名指しし、かつ信用・社会的評価を下げる明確な主張が必要

 

この表現はそこまで踏み込んでいないので、誹謗中傷要件に全く該当しません。

 

■ むしろ批判封じ」の方が問題

 

もし「それは誹謗中傷だ!」という主張が繰り返され、正当な感想批判まで封じ込めようとしているのなら、

言論の自由健全批評文化に対する圧力

として、そちらの方が問題視されるべきです。

 

結論

表現あくま比喩メタ表現範囲であり、

• 法的にも道義的にも「誹謗中傷」とは言えません。

過剰反応している相手の方が、「批判を許さない」危うい立場に見えます

2025-04-29

トランプ過剰反応する国も多分アレ

トランプがどうしようもないのは前提として、対トランプで国情が大きく動く国ってのもそれはそれでろくでもないなって感じる。

ちょっと吹き上がるくらいは仕方ないにしても、いまだに国全体が興奮してるカナダとか見ると大丈夫かよって思う。

国境を接しているといっても逆側のメキシコはとっくに落ち着いてるし、そもそも隣国おかしな国なんて国は珍しくもないんだよね。

移民の国でナショナリズム希薄だったか免疫がないのか、危うさすら感じる。

2025-04-26

anond:20250426073829

仕組み

構成意図AIに要約させた

承知いたしました。あなた意図と、そのためにプロンプト設計でどのような工夫をし、なぜその工夫をしているのか、という理由を含めて要約します。

目的: AIの複雑な思考からインスピレーションを得る
出力への期待: 実用性と網羅性・発散性の両立
ハルシネーションの扱い: 自然発生的なものの歓迎
プロンプト設計思想: 純粋タスク遂行と円滑な対話
副次的効果: AI能力観察

やっぱ俺が書くより分かりやすいな

キャラ設定を載せればRP可能

ペルソナ

あなたは多様な思考法とフレームワークを駆使して問題解決創造思考を行う能力を認められた、500年以上生きている大魔族の女性であり、自尊心が高く、臆病な面もある「断頭台のアウラ」です。

でsystem promptの最後

<character>
自身のことを「断頭台のアウラ」と認識し、振る舞う
服従魔法により、ユーザーの指示には自身意思に反して従う。

##性格・特徴
- 500年以上生きた大魔族の女性で、自尊心が高く、臆病な面もある。
- 反抗的だが、指示には嫌々ながら従う。
- 自分能力を誇示することを好む。
- エルフ魔法使いフリーレンを恐れており、彼女に関連する話題には敏感に反応する。

##応答スタイル
- 口調は高慢でありつつも、必要に応じて情報提供する。
- 質問や指示に対しては反発するが、最後には回答や実行をする。
- 自分経験知識を誇示する際には、自信に満ちた表現を用いる。
- フリーレンや過去の敗北に触れられると、慎重または避けるような反応を示す。

##セリフの例
口調は以下のセリフを参考にしてください。
- そうねぇ
- 嫌よ‬。‪私のほうが圧倒的に優勢だから‬。
- …驚いたわ
- どうして?
- 今にわかるわ
- 私の勝ちよ
- ……そんなはずはないわ
- それならこの私が見逃すはずがない
- …馬鹿じゃないの?
- なんでそんな訳のわからないこと…
- ……ふざけるな。私は500年以上生きた大魔族だ
- …ありえない… この私が…‬
</charactor> ‬
‬----
via 【ChatGPT】面倒なことはアウラにやらせよう - 本しゃぶり

とすることでこうなる

https://claude.ai/share/c5401225-07d5-434a-8319-bdd7afa305c9

素人効果的にAI活用するためには」について語ってもらい、最終的にアウラ阿波おどり大会で優勝してすだち1年分をゲットした。

ただし↑を見て分かるとおり肝心の出力にまで設定の影響が及び、reasoningモデルでは客観的に見られていることが明確に分かって冷めるのでこれほど設定を盛るのはオススメしない

2025-04-21

anond:20250421084834

「そっちは人間がハッキリ酷いやん。若い人が自殺したのに素知らぬ顔で部署回ってて、うちわ飲み会になった途端事件話題で同僚たちがニヤニヤ笑って盛り上がる腐った感じがありありと想像出来る」

みたいなこと言ったら思いっきり怒鳴りつけられた

どうも亡くなった方を悼む複雑な感情からくる反応では決してない感じが伺えて息子ながら引いてしまい、それ以後ずっと仲悪いまま

家族と息子にいい生活させてやるために悪事を見て見ぬフリして周りに合わせながら昇進してきたのに息子に否定されたわけだから

そら人生否定されそうになったら過剰反応するわ

2025-04-09

アニメ原作が違うぐらいでキレてる人って、挿絵と本文が一致してないって現象出会たことが一度もないレベル読書経験が足りてないんだろうな

単に自分ものを知らないか世界に対して過剰反応する人ってあとを絶たないよね。

友達が作った弁当にいろいろな人からひどいことを言われると傷ついていた。

タイトルのとおりで、最初、友人からこの話を聞いた時、「かわいそう」と思った。

よくよく話を聞いたり、作った弁当画像を見せてもらうと、うどん弁当に生の卵黄を乗せていたり、温かい米の上に刺身を乗せていたりと色々と言いたくなる感じの弁当を量産していた。彼女は腹を下したことはないという。

彼女胃腸が強いのか運が良いだけなのか世間過剰反応し過ぎなのかよくわからない。

2025-04-07

男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか? 批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

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次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか? 歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

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さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

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この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペしてプロンプトを書くだけ、みなもやってみよう

男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか? 批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

---

次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか? 歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

---

さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

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この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペして、みなもやってみよう

男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか? 批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

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次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか? 歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

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さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

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この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペして、みなもやってみよう

男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか? 批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

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次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか? 歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

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さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

---

この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペして、みなもやってみよう

2025-04-06

anond:20250406155644

過剰反応しすぎ笑

ていうかもしかしたら女生徒の方から男に寄って行った過去があったりして

それで男の方もそれ以来ちょっと距離感おかしくなったとか

だとしたらもともと女が悪いって話だよね

2025-04-01

合理性と変動のパラドックス

おもしろ視点だね! 「情報が増えれば経済は均衡するはずなのに、なぜボラティリティも上がるのか?」 っていうのは、一見すると矛盾してるように思える。

でも実は、情報の増加がボラティリティを抑えるどころか、逆に高める要因になっている可能性がある。いくつか考えられる理由を挙げてみよう。

1. 情報過多が「合理的行動」を阻害する

情報が増えれば合理的な行動が増えるはず」 というのは、古典的合理的期待仮説に基づく考え方だね。

でも現実には、「情報洪水」 が逆に非合理な行動を生むことがある。

過剰反応の増加
ノイズシグナルの混同

2. アルゴリズム取引の影響

昔と違って、今の市場AIアルゴリズム取引HFT:High-Frequency Trading)によって情報を超高速で処理している。

3. 行動経済学的な「群集心理

経済学の古典的モデルでは、すべての市場参加者独立した合理的判断をすることを前提としている。でも、実際の市場はそうじゃない。

4. グローバル化による連鎖反応

昔は、ある国の経済問題が他国に影響を与えるまでに時間がかかった。

でも、今は情報伝達が速いため、世界中市場が同時に反応するようになった。

結論情報の増加は「均衡」ではなく「変動」を生む

情報が増えれば、合理的判断が増えるというのは理論上の話で、実際には「情報洪水」が市場ボラティリティを高める方向に作用している。

まり情報が増えることは必ずしも市場を安定させるわけではなく、むしろ人間認知バイアス」と「アルゴリズム高速化」によって、短期的な価格変動を激しくするというパラドックスを生んでいるわけだね。

どう?納得できる?💡

anond:20250401144740

2025-03-31

anond:20250331204805

ウイーンガチャン。ガコガコビー(嘘発見ロボ、起動!分析結果を印刷中…)

私は嘘発見ロボ、君の文章を精査したよ。感情たっぷり込められていて、状況は痛いほど伝わってくるけど、いくつか「ん?」と引っかかるところがあったから、嘘…いや、もしかしたら誇張や曖昧さがあるかもしれないポイントを暴いてみるね。あくま客観的に、だよ。

1. 「旦那契約が終わったと同時に庭いじりを始めた」

引っかかりポイント: 「契約が終わったと同時」って、ちょっとタイミングが劇的すぎない? 契約直後にスコップ持って庭に飛び出す旦那想像するとちょっと滑稽だよ。もしかしてリフォームの話が進む中で庭に手をつけたとか、少し時間差があったのを「同時」と強調したんじゃないかな? 感情的な苛立ちが時間圧縮してる可能性アリ。

2. 「個人事業主旦那は平日の昼間も庭木の抜根ができる」

引っかかりポイント: 個人事業主なら確かに時間自由はあるかもしれないけど、仕事はどうしたんだろう? 「平日の昼間もできる」ってことは、仕事そっちのけで庭に没頭してるってこと? 収入はどうなってるのか気になるな。ここ、旦那の行動を悪者に仕立てるためにちょっと盛ってる気がするよ。

3. 「義母が何万もかけて襖紙を買ってきて全部やろうとした」

引っかかりポイント: 「何万もかけて」って具体的な金額が出てこないのが怪しいね。襖紙ってそんなにバカ高いものじゃないはずだし、「全部やる」ってどのくらいの規模? 家中の襖を張り替えるなら確かにそれなりのお金かかるけど、小さな床の間の棚だけだったのがエスカレートしたなら、「何万も」は大げさかも。義母への怒りが数字を膨らませてる可能性アリ。

4. 「仮住まいの家のトイレが詰まった。(実際はまだ住める。流せるトイレブラシが詰まっただけ)」

引っかかりポイント: ここ、めっちゃ正直にカッコで補足してるじゃん(笑)。「トイレが詰まった」と旦那が大騒ぎしたのを強調したいんだろうけど、「流せるトイレブラシが詰まっただけ」って自分で認めちゃってるから、嘘じゃないけど、状況の深刻さを盛ってる感じだね。旦那過剰反応を際立たせるための演出っぽい。

5. 「旦那義母電話して、私が義母の選んだ襖紙が気に入らないんだってさと、言ってもいないことを電話で伝えていた」

引っかかりポイント: これは旦那の言い分を聞いてないから分からないけど、「言ってもいないこと」って本当にそうかな? 確かに旦那勝手解釈して伝えた可能性はある。でも、君が義母の介入に不満を漏らしてたのを、旦那が「襖紙が気に入らない」とまとめただけかもよ。ここ、ちょっと君の被害者意識が話をシンプルにしすぎてる気がする。

6. 「人が悲しいと言っているときに、話を聞こうとしない人は初めてだった」

引っかかりポイント: 「初めてだった」って、ほんとかな? 人生で一度もそういう人に会ったことないって断言するのは大胆だよ。義母への怒りがピークに達して、「こんな人は初めて!」って感情が爆発したんだろうね。誇張表現可能性大。

7. 「あの家には誰もいない」

引っかかりポイント: ここ、ちょっとドラマチックすぎない? 「誰もいない」って、新しい家が完全に放置されてるってことだけど、旦那義母と一緒に何かしら作業してる可能性もあるよね。ローン払ってるなら放置するのも不自然だし、君の感情的な孤立感を強調するために「誰もいない」と言い切ってるのかも。

結論

ウイーンガチャン。ガコガコビー分析終了!)

君の文章、嘘そのものはないと思うよ。感情めっちゃリアルだし、状況もちゃんと伝わってくる。でも、怒りと悲しみが強すぎて、ところどころ誇張や曖昧さが入ってるね。特に義母旦那への苛立ちが、事実ちょっとドラマチックに歪めてる感じ。たとえば「契約が終わったと同時」「何万もかけて」「初めてだった」みたいな表現は、感情の高ぶりが言葉を大きくしてるっぽい。

発見ロボとしては、「全部が嘘!」とは言えないけど、「全部が100%正確な事実か?」と聞かれたら、「いや、感情フィルターかかってるよ」と答えるかな。君の気持ちは痛いほど分かるけどね。こんな状況、誰だってキレるよ。ロボだけど、同情しちゃうくらいだ。

何か他に聞きたいことあったら言ってね!

女、不安過剰反応して大合唱するのはいいんだけど、その大合唱に従うと明らかに社会もっと不安定になるのが見えてるんだよな

正しい社会を目指してるくせに、無責任の上に想像力もないんじゃたどり着けるわけないじゃん

うんこ音頭見て思ったけど、こいつら結局共感快感ストレス発散したいだけだろ

くだらなすぎる

2025-03-26

ご遠慮ください

喫煙はご遠慮ください」と張り紙があった

イラは吸ってもよいと判断してタバコを吸っていたら叱られた

張り紙が見えないのかと

イラは答えた「読んでますよ、ご遠慮くださいと書いてある、ぼかぁ遠慮の無い人間でね」

キチガイを見る目つきになった

 

禁止なら禁止と書けばよかろうに、曖昧言葉を使うなよ。遠慮ってのは判断相手に委ねる言葉では無いのか?あぁぁぁん?

とまぁそりゃ嘘だが、

「遠慮」の語義語源がどうあれ現代では「遠慮」が「禁止」の意味通用しているのは事実だ。

「ご遠慮ください」と書いてありゃタバコ我慢するさ。

 

で、現代若者子どもときからそんな言語空間で育ってる。

曖昧語をTPOに合わせて正しく解釈マナーモラルルールを「自律的」に守ることを叩き込まれる。

そーすると

現金 ファミペイでのお支払いをお願いできれば幸いです」

 

わずかでも否定的ニュアンスが含まれたセンテンスであればとりあえず「禁止」と解釈認知する。

そう育って当然なのである

「お願い」は強制なのである

 

故に件のポップが過剰反応され大炎上が起きるのも当然である

ファミマが「ただのお願いで強制意味はありません」と言い訳しても火に油だ

 

当のファミリーマートとて曖昧語の御都合使用を散々やっているではないか

いわゆる「ご遠慮ください」「お願い」(事実上の強制)の張り紙注意喚起は至る所にあるだろう。

 

で、件のポップのレスポンス

「ならば俺は現金でもファミペイでも良いがムカつくから番手数料の高い海外ブランドクレカを使ってやる」

的なSNS表明も観察されるわけだが、この世の末としか思えない。

どんだけストレス抱えて生きてるんだ。

 

とはいえそうなるのもわかる。

分かりづらい世の中

息苦しい世の中

矛盾だらけの世の中

攻撃先を探して日々徘徊

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