はてなキーワード: 進歩的とは
選択的夫婦別姓の議論が盛り上がっているが、この制度設計には根本的な問題がある。それは「選択的」という発想そのものが、現在の制度が抱える構造的欠陥を放置したまま、表面的な対症療法に留まっているということだ。
ソフトウェア開発において「単一責任原則」という重要な設計原則がある。一つのクラスや関数は一つの責任だけを持つべき、という考え方だ。現在の結婚制度をこの観点で見ると、明らかにアンチパターンを踏んでいる。
• 法的な結合関係の成立
• 姓の統一
これらは本来、独立して扱えるはずの要素だ。姓の変更を結婚に紐づける必然性はない。むしろ、この結合が様々な問題を生み出している。
選択的夫婦別姓は一見進歩的に見えるが、実際には以下の問題を抱えている:
根本的な構造問題に手をつけず、「選択肢を増やす」という表面的な対応に留まっている。これはバグのあるシステムに機能を追加して複雑性を増すだけで、本質的な修正になっていない。
「高齢者や伝統を重視する人への配慮」がよく言われるが、選択的夫婦別姓でも結局は「選択を迫られる」ことになる。むしろ特定の世代だけが「変化への対応」を求められる分、不公平感すら生まれる。
現在の制度では、統計的に女性が改姓することが圧倒的に多い。選択的夫婦別姓があっても、社会的圧力によってこの不均衡は続く可能性が高い。
2. 年1回の改姓権:すべての国民が平等に姓を変更する権利を持つ
真の平等の実現
柔軟性の確保
• 結婚後に同じ姓になりたい夫婦は、年1回の改姓権を行使すれば実現可能
• 夫婦が同時に改姓権を行使することで、どちらの姓でもない中立的な新姓を選択できる
• これにより真の夫婦平等が実現される(どちらか一方が相手の姓に合わせる必要がない)
◾️よくある反論への回答
子どもの姓は子ども自身が決められる年齢になってから選択すればよい。現在は親が決めているが、最終的に影響を受けるのは子ども本人だ。
現在でも結婚・離婚による改姓で同程度の負荷は発生している。むしろシステムを整理する機会になる。
「国際手続きが複雑」
現状でも国際結婚や海外居住で姓の問題は発生している。新たな負担というより既存問題の整理という面が大きい。
◾️まとめ
選択的夫婦別姓は、現状に不満を持つ人々への一時的な慰撫策に過ぎない。本当に必要なのは、結婚制度そのものを現代的に再設計することだ。
技術の世界では、パッチを重ねて複雑になったシステムは最終的にリファクタリングが必要になる。社会制度も同じだ。表面的な修正ではなく、根本的な再設計を恐れるべきではない。
SFは思考実験として高度化・特殊化しすぎて一般人に訴求する形式ではなくなってしまった。
しかし「説教系SF」だけは十年一日のごとく脈々と続いている。必ずしも文章でなく新人漫画読み切りなどの媒体で。
説教系SFとは?異星人とのファーストコンタクトで異星人が現行の地球において政治的に正しいとされるイデオロギーを無批判に前提にしてウダウダ人類の来し方行く末について演説し、コンタクティは「ほんと、一般人は愚かですよね。でも自分だけはあなたの教えがわかるので今後はできる範囲で啓蒙活動します」と誓うみたいな構造の話だ。
まあ要は「進歩的知識人によるジャップ叩き」の変奏なんだよね。
SF的なセンス・オブ・ワンダーのかけらも無い。
男性性、女性性のような「性別に与えられた役割」があると考えている人間の割合は、都会より田舎の方が多い、というのは確かに正しいだろう。東京で生きていくにあたって、2人の男女のどちらかが働き、どちらかが家を守るというのは、金銭面においては相当難しい。
ただ、男尊女卑の風潮を「さす九」のように一地方特有のものと言ってしまうのは、正直相当違和感がある。ぶっちゃけ田舎ならどこでも一緒だろ。人が入れ替わり立ち替わり移動することで価値観のアップデートがしやすい都会と違って、田舎は入ってくる人がそもそも少ないわけで、価値観をアップデートする必要に駆られていない。
で、別に都会だって価値観が変わったのここ十数年でしょ。2007年に『働きマン』『ハケンの品格』みたいなドラマが出た、ってことは「働く女性」がドラマのモチーフになるくらいまだまだ当たり前じゃなかったわけで。なのでそもそも都会は田舎に比べて進歩的である、とは正直言い難い。これを前提にして聞いてほしい。
増田は「さす九」と言う人間が、差別意識丸出し、だけど自分は批判されたくないっていう相当卑怯な人間によって生み出された言葉だと考えている。
田舎の因習に囚われている人間やその地方のことを「さすが田舎」と言ったっていいわけでしょ。なんなら「さすが東北」とか言ったっていい。正直九州民の価値観と東北民の価値観で言えば、肌感覚にはなるがそこまで開きがあるようには思えない。
でも、今東北の人間を揶揄すると、自分にしっぺ返しが起きる可能性がある。もちろん東北は今も被害の渦中にあるわけで、その地域について因習を辱めるということは、自分が批判の矢面に立たされてしまう。
だから、おそらくは都会に住んでいて、それだけで自分を進歩していると勘違いしている、かつ他人を常に見下さないと生きていけないような自己肯定感の低い人間が田舎をバカにしようとした。でも田舎で一括りにすると自分が文句を言われそうだから、わざわざ九州の人しかバカにしてませんよ、って予防線を張った結果が「さす九」という言葉なんだろう。
そんな社会的圧力自体を感じたことがないけど(そもそも別姓にできる状況になってさえいないから別姓が進歩的もクソもないし)、仮にそういうのがあるのだとしても、別姓を選好する社会的な圧力と同性を強制する制度的な禁止だったら、前者の方が自由という点ではまだしもマシでは?
昔は夫婦別姓に賛成だった。
「選択肢があることは良いことだ」「誰にも迷惑かけない自由なんだから」という、まぁよくあるリベラルっぽいノリで。
でも、最近になって、ふと「これはちょっと違うかもしれない」と思うようになった。
いや、別に誰かが別姓にしたいと言うこと自体を否定するつもりはない。実際、戸籍の手続きや名前の変更が面倒くさいというのは理解できるし、そういう不便さは制度の整備である程度解消できるものだと思ってる。問題の本質はそこじゃない。
「選択的」って、言葉だけ聞けばすごく良い感じがするじゃないか。
でも、その「選択肢」が社会的な圧力のトリガーになるなら、それって本当に自由か?と思う。
ここ数年、選択的夫婦別姓に否定的な意見を言うと、まるで人間性に問題があるかのような扱いを受ける。
保守的だの、頭が固いだの、時には「頭悪そう」とか「昭和脳」だの。
ああ、なるほど。選択肢が与えられた結果、選ばなかった側が吊し上げられるのかと。
で、これが怖いのは「選択できる」とされているはずなのに、結局は「別姓を選ばないと非進歩的だ」という空気がじわじわと支配してくるところ。
制度上は自由、でも社会的には強制。そういう「自由」は、自由じゃない。
現制度においても、どちらの姓を選択するかという自由はあるが、夫側の姓を採用することがデファクトで強制的であるという点が問題のはずだ。
結局のところ、社会的な要請や機運が高まったりしないといけないと、このような変更はハードルが高いのだろう。
正直に言えば、最初は賛成していた自分が、いつの間にか「同姓を選んだら何か言われるかもしれない」という圧力にストレスを感じて、気づいたら立場を変えていた。
なんというか、リベラルの皮をかぶった全体主義って、こういうのを言うんじゃないかと思った。
「でも今は同姓を強制されてる人がストレスなんだから、反対派も同じぐらいストレスを感じれば平等だよね」みたいな態度が透けて見えるのもキツい。
加えて、こういう制度が通ったあとに、「夫婦」だけじゃなくて「親子」や「戸籍制度そのもの」とか、適用範囲がどんどん拡大していく流れになるのでは?という懸念もある。
最初は「選択的」だったのに、気づいたら何も選べない社会になっていくのだろう。わりと静かに、でも確実に起こる。
夫婦別姓を推す人たちが全員そうだとは言わない。けど、「ああ、これは賛成することが“善”で、反対は“悪”とされる世界だな」と思ってしまった時点で、ぼくはもうその運動に乗る気にはなれなくなってしまった。
実名報道は遅れてる〜完全匿名にしない理由がない!と、それが開明的姿勢だと思い込んで吹聴する馬鹿がいる。
実名報道は現実社会とのリンクだ。警察発表ではこう言ってる、マスコミ記事ではこう言ってる、犯人を直接知ってる地元民はこう言ってる、と言うように情報の伝達経路が冗長化されることに意味がある。
自由社会の紐帯は制度ではなく情報共有である。だから表現の自由は特別に重視される。
「■■県で■■氏が■■氏を殺したらしい」というような“プライバシーに配慮した”海苔弁報道しかなくなったら、直接目撃したそれが隣家の出来事でも気づかないし、実は全てがフィクションだったとしても誰にもわからない。
自分では進歩的なリベラルなつもりで情報統制を望んでるんだからつくづく馬鹿につける薬はない。
単純に頭が悪いな
容疑段階どころか判決確定以降だって個人特定できる情報を報道するのは良くない
更正、社会復帰を妨げてるだけ。
いわゆるオタク文化とは直接的には関係しない領域の男性文系研究者(ただいちおう副業的にオタク文化について扱った論文も書いてる)として、以下の記事を面白く読んだ。
「女オタク論」の盛り上がりと、「男オタク論」の方がむしろピンチかもしれない話 - 深紫の雑記帳
なるほど確かに近年は女オタクに関する研究が進んでいるのに対して男オタクに関する研究が進んでいない、という現状認識については同意するものの、増田個人としてはそれが大きな「問題」であるようには思っていない。理由は以下の通り。
『マンガ研究』や『コンテンツ文化史研究』みたいなオタク文化の歴史に焦点を合わせた査読誌はいくつかあるし、国文学関係の学術誌を眺めていると現代サブカル作品についての研究が載ってることは普通だし、吉田正高『二次元美少女論』(二見書房、2004年)や玉井建也『幼なじみ萌え』(藝術学舎、2017年)のような記念碑的研究もなされていて、オタク文化の歴史に関する体系的記述は歴史上類がないくらい充実しているわけだから、男オタク個人として不満はあまりないんだよな。まだまだ未解明の史実とか未発掘の作品とかそういうのはあるだろうけど、こういう流れが続けばいずれ研究されるだろうし。
もちろん、これは増田が文献の読み込みを主としたブッキッシュな手法を専門にしている研究者であり、インタビューとか参与観察とかを駆使した社会学的・人類学的・心理学的研究にあまり馴染みがないことから生じているバイアスに過ぎないかもしれない(好みの問題であって善し悪しの問題ではない、念のため)。しかし、まずもって目の前の素晴らしい文化を愛するからオタクなのであって、オタクの感情とかオタクのコミュニティとかそういった問題にはあまり興味が持てないのだ。歴史の話なら面白いんだけどね。黎明期のコミケはどんな感じだったの、とか、そういう。でも現代オタクの生態やら感情やらに関しては、自分が当事者として生きているわけで、それを客観的な研究に落とし込もうという気にはーー少なくとも増田はーーなれない。だって、自分が当事者じゃないから研究は面白いんじゃないか(これは人それぞれだと思うので、同意できない人もいるだろうけれど)。
いやー、そりゃ男オタクの界隈もtoxicなところはいっぱいあるけどさー、現在の女オタク論界隈は別種のtoxicさが蔓延してると思うのよね。
だって、いちおう大学出版会を標榜するところからジャニーズファンについての研究書が出てるのよ? 定評ある出版社が出してるジェンダー史学についての入門書にも「ジャニーズと戦後日本」ってコラムがあるんだよ? さらに、本文中で挙げられてる『BL進化論』の著者さんって、「トランス役はトランスの役者がやるべき」と主張して盛大に叩かれてたよね(anond:20200816115435)。これらがフェミニズムや女性学の観点からみて誇るべき研究成果っていうことでいいの? 本当に?
いやもちろんナチス研究者はネオナチではないわけだけど、それは彼らが必死に「ナチスは絶対悪です!」ってあちらこちらで言ってまわってるから「そりゃそうだ、研究者と研究対象は別だもんね」っていう反応になるのであって、「当事者による研究」を標榜してる分野でこんな有様だったら言い逃れできないでしょ。このへんってぜんぜん燃えないね。いや、別に燃えなくてもいいと思うけど、これが燃やそうと思えば燃やせるっていうのはわかってもらえるよね。
「女性の趣味」だからという理由で、圧倒的マイノリティである男性同性愛者の客体化(BL)や常習的レイプ組織への支援(ジャニーズファン)が研究され、フェミニズム視点に基づく女性文化の研究で~す! っていうていで流通していたわけじゃないですか。これが倫理的に破綻した話なのはたやすく理解できると思う。男オタク界隈はそういった進歩的な視点から目を背けてきたきらいはあるけど、それは同時にダブルスタンダードからの自己防衛にもなっていたわけで。しょうじき、元記事で言われてる「女オタクの学術的自己客観視」は「全然できてねえじゃん!」って思いますよ。だってどう見ても問題を直視できてないもの。直視してたらそもそもBL研究なんて大真面目にできるわけないし(当事者重視とか性的客体化はダメとかいった進歩的な理論から「女がBLを書くのはけしからん」という結論が導かれるのは自明の理なので、進歩的な理論に基づくBL研究はぜんぶ崩壊するか、研究対象を口を極めて罵るナチス研究スタイルに移行するかのどちらかの末路しかありえない)。もちろん直視しないのは自由だけども、さも自分たちは問題を直視してます面をするなら、まあ揺り戻しは来ますよね。
(ちなみに『BL進化論』の著者さんはオープンリー・ゲイの小説家に意味不明な絡み方をして論破されてるんだよね→https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054917237182。BLがいかに真摯に当事者と向き合ってきたのかがよくわかる話です)
そういうわけで、男オタク論の欠如は別に問題とは思わないし、女オタク論も足下すくおうと思えば結構すくえるよね、という話でした。まあn=1の話なのでそんな真に受けないでもらえれば。
ポテンシャルは感じるし、実際3桁ブクマを達成している時点で一定のサクセスは収めている。
だが、俺の視点からすると、まだまだスケールアップの余地がある。
同じコンテンツでも、ストラクチャーとナラティブを最適化すれば500ブクマ超えも狙えた。
そのギャップを埋めるために、"ミドルクラス"の釣り師である俺が、コンテンツエンジニアリングの視点で指南しよう。
まず、お前の最大のミスは"エンゲージメントポイント"の散漫さだ。
"対立構造"を過剰に盛り込みすぎた結果、オーディエンスのエモーションをキャッチしきれなかった。
本来、バズらせるためには、読者が「自分ゴト」として捉えられるかどうかがキーになる。
例えば、田舎vs都会という"クラシックな対立構造"をシンプルに押し出した以下のケースを参考にするといい。
(Ref: anond:20240708145343)
この投稿は「田舎の不便さ」への共感と「田舎の文化をディスる層」の反感を巧みに両立させ、バズの起点を作っている。
一方、お前のケースでは、"当事者意識"を喚起するための"エモーショナル・デザイン"が甘かった。
『弟の嫁が無理』はインパクト不足。
『都会風を吹かせる弟の嫁が無理になってきた』のように、読者のバイアスを刺激するワードを入れるべき。
2. **ストーリーの流れ**
序盤は「都会マインドの弟嫁が田舎文化に馴染まない」ことにフォーカス。
「田舎に帰省したら郷に従え」の価値観に共感させつつ、一方で"進歩的な層"の反感を引き出す。
子どもの話は後半に持ってくるべき。
まず田舎の価値観と都会的マインドの衝突を強調し、その後「子なし論争」にスライドさせることで、
読者をより"エモーショナルなディスカッション"へと巻き込める。
「田舎では女が配膳するのが当たり前」→「都会ではそんなの時代遅れ」
こうした価値観のぶつかり合いを意図的に仕込むことで、コメント欄を"戦場"に変える。
5. **クロージングの工夫**
「弟の嫁より私のほうが絶対マシ」→「都会風吹かせるのもいいけど、最後に選ばれるのは田舎の良妻賢母」
こうすることで「田舎擁護派」と「田舎批判派」のレスバを長引かせられる。
だが、100ブクマで満足するのは早い。
おそらく釣り師の卵だろう
筋は悪くないし実際3桁ブクマいってるからある程度成功したとも言える
しかし俺に言わせればまだまだ甘い
同じような内容でも書き方次第で500ブクマ超えも狙えたのにもったいない
お前の将来に期待してここは中堅クラスの釣り師である俺が釣り方の指南をしてやろうと思う
ちな俺のスペック
最高ブクマ数は1500程度
ブクマ数100以上をヒットとするなら打率は4割くらいの中堅だ
まぁうざい先輩の戯言だとでも思って読んでくれ
それは荒らすための要素を盛り込みすぎてテーマがぶれたところ
ご存じの通り増田でブクマを伸ばすなら分断対立煽り系の実体験が有効だがお前の書いたものは読者に当事者意識を持たせることに失敗している
すなわちお前は
・親族の恋愛に口を挟むタイプ対たとえ家族であっても相手の選んだ人を悪く言うのはよくないと思ってるタイプ
これらの対立構造すべて盛り込んだ結果としてかえって読者からの共感や反感を得ることに失敗している
田舎都会対立煽りとしては下記の増田が1000弱のブクマを達成しているから参考にするべき
この増田は田舎の不自由さに対する共感あるあると田舎住まいの文化disに対する反感とをうまく惹起させている
一方でお前の書いた増田はこの手の当事者意識を呼び起こさせるための分断煽りが足りていない
『弟の嫁が無理』は弱い弱い
ここは『都会風を吹かせる弟の嫁が無理になってきた』あたりにすべきだろう
田舎に住んでいる女性のあるあると「田舎に居残った親戚うっざ」という反感とをタイトルからくすぐってやる
そして本文の序盤は「弟の嫁は親戚の集まりにやってきても配膳のひとつも手伝わない」「全部弟にやらせやがる」「都会ではどうかは知らないが田舎に帰ってきたときにはこちらの文化に合わせてほしい」という程度の内容にとどめながら弟の嫁を攻撃する内容にすべきだった
そうすることで「わかるわかる、合わないかもしれないけど田舎に戻ってきたならこちらの文化を尊重すべきだよね」といった田舎住みの共感を呼び起こさせることができるし、一方で一部進歩的な女性の「うわ田舎って本当に女に配膳させるんだ、きっしょ」という反感も燻らせることができる
子どもの有無を云々するならその後に書くべきだった
今の時代、読者の大半はたとえ田舎に馴染んでいるタイプだったとしても「子どもを産むかどうかなんて当事者次第でしょ」と思っている
子どもを産まないことをdisるなら、それは読者の反感をしっかり呼び起こさせるという意図を持ってやらないと駄目なのだ
つまり「田舎に来たからには女は配膳くらいしろ」という賛否両論起こりそうな意見の後に「そもそも子どもを産まないってどうなの?」という前時代的な価値観を提示する
これによって「増田は前時代的な人だけどやっぱり田舎に来たなら配膳くらいはすべきだよという穏健派」と「やっぱ田舎は前時代的だわ!さっさと滅びるべきだわ!という過激派」のレスバトルを開始させるお膳立てができるわけ
ジェルネイルや家事の話もこのレスバトル構造を起こさせるためのスパイスとして限定的に提示したほうが良かっただろう
とにかくお前はあらゆる要素を詰め込みすぎ
ブクマを伸ばしたいなら自分がどういうレスバを起こさせたいのかをまず設定して、そこから逆算で本文を作っていったほうがいいよ
最後の「あの女よりは私のほうが絶対マシだろ。」もやりたいことはわかるがやはり効果が薄くなってしまっている
「弟の嫁より私のほうが女としてのレベルも高いと思う」くらいの方が自然で良かった
レスバを煽る方向で行くなら「都会風吹かすのも結構だけど最後にモテるのはやっぱり田舎に住んでいる良妻賢母だと思う」とかでもいい
お前の書いた締めはやっぱりテーマからブレているだけの単なるブラコン宣言に落ちてしまって語りの幅が狭い
釣る時のポイント
・どんなレスバを起こさせたいのか設定してから逆算で本文を作る
・サブテーマはレスバを長引かせるためのスパイスとして限定的に盛り込む
こんなところかな
少年向けの漫画を題材としたBL(ボーイズラブ)の二次創作は、法的・倫理的・社会的な観点から見て、多くの問題点やリスクを孕んでいます。本稿では、これらの問題点を徹底的に洗い出し、少年向けの漫画でBLの二次創作をする行為を批判します。
少年向けの漫画のキャラクターやストーリーを原作者の許可なく使用し、BLの文脈で二次創作することは、著作権法に抵触する可能性が高いです。原作は著作権で保護されており、無断で改変・公開することは明確な違法行為です。訴訟リスクを伴うこの行為は、創作の自由を盾にした言い訳では正当化できません。
原作のタイトルやキャラクター名が商標登録されている場合、二次創作により商標権を侵害する恐れがあります。特に、インターネット上で公開したり、商業的利用を伴う場合、法的措置の対象となりやすく、責任を問われる可能性が極めて高いです。
キャラクターを原作とは異なるBLの文脈で描写することは、原作者やキャラクターのイメージを損なう可能性があり、名誉毀損に該当するリスクがあります。原作者が意図しない形で作品が歪められることは、法的紛争に発展する火種となり得ます。
少年向けの漫画は、アクションや冒険をテーマに、主に男性読者向けに作られた作品です。これをBLという全く異なるジャンルに変える行為は、原作者の創作意図を完全に無視するものです。原作者の芸術的表現を尊重せず、自らの欲望を押し付けるこの行為は、倫理的に許されません。
キャラクターは原作者の創造物であり、その設定や人格は尊重されるべきです。BLの二次創作によって、キャラクターが原作とは異なる性的な役割を強制されることは、その尊厳を侵害する行為に他なりません。キャラクターを都合よく「道具」として扱う姿勢は、創作物の本質を貶めるものです。
原作のファンにとって、キャラクターやストーリーは深い愛着の対象です。BLの二次創作がこれを歪めることで、ファンの感情を傷つけ、失望や怒りを招きます。コミュニティの調和を乱し、ファンの信頼を裏切る行為は、倫理的観点から強く非難されるべきです。
BLの二次創作には性的な描写が含まれることが多く、少年向けの漫画のファン層である未成年者に悪影響を及ぼす可能性があります。性的内容が安易に拡散されることは、社会的な責任を欠いた行為であり、特に青少年に対する配慮が皆無である点で問題視されます。
BLの二次創作では、男性同士の恋愛が描かれるものの、ステレオタイプな役割(例: 「攻め」と「受け」)が強調されることが多いです。このような描写は、ジェンダーに関する偏見や規範を強化し、社会的な多様性を損なう危険性があります。進歩的な価値観とは裏腹に、保守的な固定観念を助長する矛盾がここにあります。
BLの二次創作を巡って、原作ファンと二次創作ファンとの間で対立が生じることがあります。SNS上での議論が過熱し、コミュニティが分断されるケースも少なくありません。このような対立を煽る行為は、ファン文化全体に悪影響を及ぼすものであり、社会的責任を欠いています。
原作者や出版社から著作権侵害や名誉毀損で訴えられるリスクは現実的です。特に商業的利用が絡む場合、巨額の賠償請求や作品の差し止めを求められる可能性があり、軽い気持ちで手を出すには危険すぎる行為です。
BLの二次創作を公開することで、社会的信用を失うリスクがあります。特に未成年者への配慮を欠いた内容が批判を浴びれば、学校や職場での立場が危うくなり、実生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。
原作ファンからの批判や攻撃は、SNS上で炎上を招き、個人への誹謗中傷に発展することがあります。こうした精神的な負担は、二次創作者自身を追い詰め、長期間にわたるストレスを引き起こす危険性があります。
少年向けの漫画を題材としたBLの二次創作は、法的には違法行為の温床であり、倫理的には原作者やファンの尊厳を踏みにじるものであり、社会的にはコミュニティの調和を乱し未成年者に悪影響を及ぼす危険な行為です。原作の価値を貶め、創作の意図を歪め、ファンの愛情を裏切るこの行為は、徹底的に批判されるべきです。二次創作を行う者は、自己満足のために他者の権利や感情を侵害するのではなく、原作への敬意と社会的な規範を守る姿勢を持つべきです。BLの二次創作は、少年向け漫画の純粋な魅力を汚し、文化全体に害を及ぼすものであり、決して容認されるべきではありません。
トランスアライ達から女性への「子宮がある人」呼びに反発しただけで、差別主義者のレッテル貼られた、JKローリングさんのツイート貼っておく。
https://x.com/jk_rowling/status/1887472120541679690?t=r2ebMc3yqS5QW_ZcktU7Tw&s=19
ジェンダーイデオロギーは、言論の自由、科学的真実、同性愛者の権利、女性と少女の安全、プライバシー、尊厳を損なってきた。また、弱い立場にある子どもたちに回復不能な身体的ダメージを与えてきた。
誰も賛成票を投じておらず、大多数の人が反対しているにもかかわらず、政治家、医療機関、学界、メディアの一部、有名人、さらには警察によって、上から下まで強制されている。活動家たちは、敢えて反対する者に対して脅迫や暴力を振るってきた。疑問を呈した人々は名誉を傷つけられ、差別されてきた。仕事が失われ、人生が台無しになった。すべては、セックスが現実であり、重要であると知った罪のためだ。
煙が晴れれば、一部の非常に弱い立場の人々が被害を受けたという事実にもかかわらず、これはいわゆる弱い立場の少数派に関することではなかったことが明白になるだろう。私たちの社会の根底にある力関係は、解体されたのではなく、強化されたのだ。この大失態全体を通じて最も大きな声を上げてきたのは、富や地位によって結果から隔離された人々だ。
彼らは、自分の名前をドロレスと名乗ることにした身長6フィート4インチの強姦犯と同じ独房に閉じ込められることはなさそうだ。彼らは、国が資金を提供する強姦被害者支援センターを必要としていないし、繁華街の更衣室に頻繁に行くこともない。彼らは、女子用シャワー室でペニスが揺れることを嫌がる、意地悪な極右の偏見を持つ人々について、トークショーのソファでニヤニヤしながら、自分たちのプライベートプールがこれまで通り安全な場所であることに安心している。
ジェンダー アイデンティティのイデオロギーから最も恩恵を受けているのは、トランスジェンダーかどうかにかかわらず男性です。
中には、女装趣味があることで、これまで女性専用だったすべての場所へのアクセスを与えられた人もいます。また、新たな被害者という魅力的な立場を、女性を脅迫、暴行、嫌がらせする口実に利用した人もいます。トランスジェンダーではない左翼の男性たちは、女性や少女のニーズを嘲笑し、冷笑することで、自分たちの非の打ちどころのない進歩的な資質を誇示する素晴らしいプラットフォームを見つけ、自分たちにはない権利を放棄したと自画自賛しています。
この混乱の実際の被害者は、女性と子供、特に最も弱い立場の人々、運動に抵抗して恐ろしい代償を払った同性愛者、そして代名詞を一つ間違えただけで中傷されたり建設的に解雇されたりする環境で働く一般の人々です。これはごく少数派の話だなどと言わないでください。この運動は社会に悲惨な影響を与えており、もしあなたに少しでも分別があるなら、活動家のマントラ、人身攻撃、誤った同等性、循環論法の痕跡をすべてXフィードから静かに削除するでしょう。なぜなら、あなたは常にこの狂気を見抜いていたし、一瞬たりとも信じたことはなかったと偽りたくなる日が急速に近づいているからです。
欧米人とくにアメリカ人エスタブ層の価値観はマジでどうかしてるくらいポリコレこじらせてて付き合いきれんから
日本人もそろそろアメリカ企業のプロダクト依存やブランド信奉を本気で見直していくべきなんだわ
少なくとも進歩的な考えしてる日本やアジア圏のオタク・ギークはもう米国サービスをべた褒めはしてない
もちろん競争力的にその最大のカウンター勢力となる中国系プロダクトやサービスも国家レベルで判断するなら諸手をあげて称賛できることはないんだが
それでも一企業、一職業人レベルで見るなら尊敬に値する上に日本人の価値観に合うものも数多ある時代
中国のみならず台湾や韓国も各分野ですごい企業はあるし東アジアが連携すれば底力は果てしないはずだ
シンガポールはじめ東南アジア発で洗練されたプロダクトもこれから次々出てくるだろう
洋楽やら洋ゲーやらに傾倒してアジアカルチャーを下に見るアジア人こそが今の時代もっともダサい人間だと言っても大げさではない
アジアで結束して共に高め合おう
弱者男性だが、当然のようにオタク趣味があろうがなかろうが、俺は一昔前ならオタクというレッテルを貼られる人間だ
過去に何度も↓のURLを貼ってるけど、見ないふりばかりしてるので何度でも貼る
分かりやすいから貼ってるけど、当時の空気感はこれ見れば一発で分かるんだ
https://twitter.com/lautream/status/987667478028300288?t=KwUOfZKNPanDFg-yxjTM7Q&s=19
リベラルというのはオタクの容姿やステータスを何度もバカにし嘲笑し誹謗中傷罵詈雑言も当たり前だった
オールドメディアからのオタクの扱いも当然カスのようなもので、今の時代からすると化石のような保守おじいさんや、進歩的でリベラルな人たちも関係なく
むしろ進歩的でリベラルな人たちこそがネットではオタクを執拗な攻撃対象にしていたかもね
フジテレビが嫌われてるのは、過去のオタクにとても嫌われていた事も無関係とは思えない
この手の人間は今もれなく全員嫌われてるよね
2025SSのパリコレでdoubletが昔リベラルが馬鹿にしていたオタクを題材にして出ている
世の中が2通りに限らないほうが進歩的だよって言っているので、まあそんなもんか、と思ってはいる
ごくごく稀に両性具有とか、染色体の性と発現している体の形質が一致しないとかいうこともあるのは理解している
でも、それってすごく特別な疾患であって、その人たちは守られるべきであることは理解しているけど、性別は2つに限らない社会システムにしたほうが正しいよね、みたいな感覚には正直ピンときていない
ただ、それを認めたほうが「正しい」んだよ、という空気を感じるから、システムとしたら認めたらいいんじゃない?とは思う
正直な話、別にそれでいい
全くピンときていない話で、現状の認識通りの話を是とするという発表に反発も何も感じない
あれ、ポリコレ的にそれは間違いって話だったのはどうなったんだっけ?と思うだけ
旧来保守派が大事にしている旧来結婚制度へ手を入れて自分の価値観を正しいと認めさせたいため旧来結婚制度へ手を付けようとしているが、その実は旧来結婚制度というものへ対しての執着が抜けきってないのよね
例えば、台湾は旧来結婚制度へ手を付けず新たな法律を施行するという、まさに進歩的な方法論によって伝統と自由を両立させた
旧来結婚制度が大事で、これを変えることこそが目的な、新しさも何もない旧来結婚制度へ執着している保守派だよな?
これは嫌味でも何でも無く、旧来結婚制度へ手を付けたがっている夫婦別姓を推進している自分たちは保守派なんだと自覚しろって言いたいだけだ
お前らが保守派だからこそ「夫婦別姓を選択しなかったカップルをバッシングするのではないかという懸念」みたいなものが主張されるんだよ
お前らが旧来結婚制度へ異様な執着を見せなければ、こんな懸念なんて生まれるはずもないだろ。だって旧来結婚制度を許容するという度量も示しているのだから