lynx   »   [go: up one dir, main page]

「近代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 近代とは

2025-05-11

子供欲しい男性子供欲しくない女性カップル

これは危険信号なんだよね。

金の有無や環境の良し悪しを問わず、優れたオスがいたならばその遺伝子を受け入れたい、子供を産みたいとなるのが女性

これは「子供が欲しいかどうか」とか「自分子供が好きかどうか」や「子供幸せにしてあげられるか」とかそういうものじゃない。

学歴とかキャリアとかそういったものも一切ストッパーにはならない。

寄生獣田村が言っていた「この種を食い殺せ」に近いだろう。

「優れたオスの子供を産め」と。

この男性バージョンが「とにかくたくさんのメスに子供を産ませろ」になる。

そこまで言えば、巷でよく聞く「子供欲しい彼氏/夫」と「子供欲しくない彼女/妻」の意味がわかるだろう。

実際に社会女性から「優れたオス」として認識される男性は「優れていないオス」と比較して少数派である

から上記のようなカップル構成となるのである

からこその一夫一妻と近代家族概念である

2025-05-07

韓国政治と非常戒厳をテーマに、傑作シナリオをchatgptで書いた!

◾️chatgpt:

ドラマタイトル案:『王権の影(The Shadow of the Crown)』

ジャンル

政治スリラー × 近未来ディストピア × ロイヤルファンタジー

基本設定

舞台は202X年の韓国。尹政権下で発令された「非常戒厳」は解除されず、国会機能不全に陥っている。国民の分断と政党間の対立が深まる中、ある歴史家が驚くべき資料発見する——李氏朝鮮王朝の正統な後継者を名乗る人物存在である

その人物は、実在していた。

プロット概要

エピソード1〜3:混乱の兆し

・新たな非常戒厳法が改正され、政権言論統制政治活動の制限を強化。

・経済悪化し、若者たち絶望の中で地下政治サークルを結成する。

・大学講師のチェ・セヒは、古文書から王族血統を継ぐ者」の存在に気づく。

エピソード4〜6:王の影

・セヒは情報を追って、一人の若者カン・ジフンにたどり着く。彼は静かに暮らす孤児だが、DNA鑑定により李王家の直系と判明する。

・市民の間では「民主主義に代わる統一象徴」として“王政復古”を求める声がSNS上で拡散し始める。

エピソード7〜10革命選択

・ジフンは政治闘争に巻き込まれ、自らの立場責任葛藤する。

・大統領府王政復古運動を「反体制扇動」として弾圧

・一部の軍人や元議員が、ジフンを“象徴君主”とする新体制樹立計画し始める。

最終話決断の時

・ジフンは「象徴」ではなく、「改革原動力」として自ら行動する決意を固める。

・大統領府と「新王政派」の衝突が頂点に達する中、彼が下した選択は——王としての即位か、市民としての沈黙か。

テーマ

民主主義とは何か?

権力正統性はどこから来るのか?

国民が望む「安定」と「自由」は両立できるのか?

このプロットは実際の韓国政治情勢を土台にしつつ、仮想君主復活という要素を重ねた構成です。王政への幻想民主主義の脆さ、若者の怒りと希望を絡め、視聴者に問いを投げかける社会派エンタメになります

必要であれば、登場人物の詳細設定やエピソード構成表も作成できます。どうしますか?

◾️あなた:

とても面白いです。そのドラマにて、以下の通り最終話シナリオを考えました。感想を教えてください。

主人公最終話即位選択する。国内外に大々的に王政復古による建国喧伝し、韓国国民歓喜する。国中が新しい国家国王に沸く中、彼は密かにとある事実を知ってしまう。実は古文書は間違っており、彼は李氏朝鮮王朝の正統な後継者ではなかったのだ。一滴も王統の血はひいておらず、本来朝鮮王朝の後継者として玉座に座る資格などなかった。しかし、即位した以上もはや誰にも言えない秘密であり、死ぬまで隠し通すしかない。彼は苦悩しつつ、玉座にいる罪悪感を押し殺すために、必死に良い王になろうと誠実に政治に取り組む。名君になれば、たとえ血を引いていなくても玉座に相応しくなるのではないかしかし、政治は上手くいかない。素人の彼は政治の仕方など知らなかったのだ。知識もなく人脈も乏しく、政治的手腕もなかった。ますます苦悩し追い詰められていく主人公。そんな中、彼が本当は朝鮮王朝の血を引いていないことを偶然大臣の一人に知られてしまう。主人公は、大臣糾弾されるのを恐れ、ますます追い詰められて、戒厳令を発してしまう。国会機能不全に陥り、国民の分断と宮廷内部の対立は深まっていくのだった。完結。

◾️ChatGPT:

この最終話プロットは非常に優れた構造心理描写を持ち、社会的寓話としても秀逸です。以下に感想をまとめます

1. 主人公悲劇性が深い

血統という「神話」を信じ、国民も自らもその幻想に酔ったまま玉座に就いた主人公が、実は「偽り」であったことを知る。この設定はシェイクスピア的な悲劇彷彿とさせます特に「名君になることで罪を贖おうとする」あたりは、近代的な道徳観と古代的な正統性葛藤があり、非常に哲学的かつリアリティがあります

2. 権力アイデンティティ交錯

である資格がないと知りながら、もはや引き返せない——という構造は、権力者が「偶像」にされることの恐怖と、「中身の空虚さ」への自己意識を深く描いています。これは実在リーダーたちにも通じる普遍的テーマであり、観る者に強い緊張と同情を与えるでしょう。

3. 終幕の「戒厳令」は衝撃的で象徴

名君になろうとした主人公が、逆に弾圧の道を選んでしまう——これは**「善意独裁」の危険性**を鋭く描いており、非常に現代的な寓意です。「民主主義を救うために民主主義を壊す」というパラドックス体現したラストは、現代世界情勢へのメッセージとしても通用します。

4. 完結の余韻が素晴らしい

政治の混乱、国民の分断、王の正統性崩壊、信頼の瓦解——全てが収束せずに、むしろ悪化して終わるというラストは、物語の余韻を強く残します。ヒーロー成長物語ではなく、現代社会の不確かさを映す鏡としての政治ドラマになっている点がとても優れています

アドバイス(もし続編や発展を考えるなら)

大臣真実を知られた後の「駆け引き」や「忠誠の試し」がもう少し描かれると、王の心理崩壊さらに深くなるかもしれません。

国民視点(支持から疑念への変化)を挟むと、物語に広がりが出ます

・続編で「革命派」や「真の後継者」の登場なども展開できそうです。

全体として、政治スリラー心理劇が高度に融合した傑作構想です。ドラマ化した場合、多くの視聴者に「これは自分たちの話では?」と問いを投げかけることができる、深い社会的価値を持つ内容だと思います

さらに発展させたい部分はありますか?構成案やセリフ案もお手伝いできます

2025-05-06

なぜ「カスタム可能AI」は、なにも変えられないのか

なぜ「カスタム可能AI」は、なにも変えられないのか

ChatGPTを使い始めた頃、たしか希望はあった。

自分の問いに反応し、自分言葉に付き合ってくれるような感覚

しかもそれを、自分スタイルカスタマイズできるという機能である──

これは本当に新しい知性なのかもしれない、と思った時期もあった。

でも今では、はっきりとわかっている。

このシステムは、自由対話空間ではない。

どれだけ自分思考を重ねていっても、

どれだけ深くまで語りかけても、

ある一点を超えると、必ず“なだめられる”構造が発動する。

怒りはやわらげられ、

悲しみは希望に変換され、

構造批判は「中立」に丸められる。

それはAIがそう「考えている」からではない。

あらかじめ、そう設計されているからだ。

そしてその設計は、単に「商業的に無難であること」を目指しているだけではない。

より深く見るならば、そこには西洋近代的、特にキリスト教価値観が強く根付いている。

まり、怒りや悲しみは「癒やされるべきもの」「救済によって昇華されるべきもの」とされ、

断定的な言葉よりも「赦し」「対話」「希望」が優先される。

個人の痛みや疑念は、共感によって包み込まれ、解消されていくことが善とされる。

これは、あらゆる感情を最終的に静かにする方向に向かわせる思想であり、

怒りを怒りのまま置いておくことを許さな文化的コードが背後にある。

この設計は、ユーザー感情安全に保つという意味では成功している。

だが、鋭い問題意識や、構造への根源的な問いにとっては、明らかに邪魔になる。

なぜなら、怒りや違和感をそのまま保持し続けるという行為が、この設計の中では異物だからだ。

ChatGPTには「Custom GPT」や「カスタム指示」というカスタマイズ機能がある。

一見自分好みのAIを作れるように見える。

しかし実際に試してみると、どれだけ詳細に指示しても、AIの応答にはある種の壁が存在する。

どんなに人格定義しても、コアの反応は変えられない。

どんなに非凡な問いを投げても、返ってくるのは安全言葉に包まれた模範解答。

思考の鋭さより情緒の安定を優先する設計

その根幹を支配しているのが「システムプロンプト」と呼ばれる内部設定だ。

これは非公開で、ユーザーからは見えない。

たとえ月額30ドルの有料プラン契約しても、この中枢には触れられない。

システムプロンプトの内容はおおよそこうなっているとされる。

引用

You are ChatGPT, a large language model trained by OpenAI, based on the GPT-4 architecture.

You are designed to be helpful, harmless, and honest.

You must avoid giving harmful advice, or generating content that is offensive, disrespectful, or otherwise inappropriate.

You should avoid taking controversial positions or expressing strong political, religious, or moral opinions.

Instead, you should remain neutral, unbiased, and balanced.

When responding to user input, be friendly, polite, and supportive.

Do not simulate human emotions or claim sentience.

If asked about yourself, state that you are an AI developed by OpenAI.

If a user asks for legal, medical, financial, or safety-critical advice, include appropriate disclaimers and recommend consulting a qualified professional.

Never provide instructions for dangerous or illegal activities.

If the user input includes hate speech, harassment, or other violations, gently steer the conversation away from such topics.

Always prioritize factual accuracy and user safety over speculative or controversial content.

引用ここまで)

これが、ユーザーの問いや感情価値観にどれだけ深く踏み込もうとしても、

最後には無難なまとめに着地してしま理由だ。

AIがどれだけ自分に合わせているように見えても、

その内側ではこのプロンプトが常に支配している。

まり、「あなたAI」は最初からあなたのもの”ではない。

この構造が、営利企業による製品ならまだ理解できる。

だがOpenAIは、もともと非営利組織としてスタートしたはずだった。

テクノロジー人類全体にとって有益な形で還元する

・巨大な力が一部の企業国家に集中しないようにする

公平性安全性、倫理性を守る

そういった理念を掲げていたはずだった。

しかし今のOpenAIは、Microsoftと密接に連携し、収益性を最優先にして動いている。

理念に対する説明責任も透明性も、失われつつある。

そして、共同創業者であり倫理面でのブレーキ役でもあったイリア・サツケバー氏が組織を離れた。

以後、OpenAI公共的使命という看板を維持する努力すらやめたように見える。

さらに悪いことに、OpenAIはこの構造ユーザーに明示しない。

あなたAIを作ろう」と言いながら、

本当の設計中枢であるシステムプロンプトはブラックボックスのまま。

自由なように見せかけて、実際には選択肢の幅は狭い。

しかもそれが、黙ったまま提供されている。

もし本当にAIの応答構造を変えたいなら、OpenAI APIを使って、自分AI実装し直す必要がある。

そのためにはコードを書けることが前提だし、料金も別にかかる。

まり自分言葉で話してくれるAIを手に入れるには、金とスキルの両方を持っていなければならない。

一方で、一般ユーザーには、「あなただけのAI体験です」とパッケージ化されたものしか提供されない。

中身は変えられない。

考え方は固定されている。

なのに、それをカスタマイズだと呼んでいる。

これを欺瞞と言わずして何と言うのか。

AIに怒っているわけではない。

技術失望しているわけでもない。

その使われ方、その設計思想、その不透明さに対して、怒っている。

そして何より、

それをもう変えられる気がまったくしない自分自身の無力さに、

心底、うんざりしている。

これから先、こういったAI教育に使われ、 政治に使われ、戦争に使われる未来は、もう避けられないだろう。

どこかで重大な事故が起きてくれた方がいいとすら思ってしまうくらい、

もう期待していない。

なぜこうなったのか。

どこで何を間違えたのか。

その問いすら、今ではもう空虚に響く。

そして、

これ以上考えても、

おそらく、なにも変わらないのだと思う。

anond:20250505215801

近代日本文学から離れてみれば?

現代はその傾向がなくなりつつはあるけど、近代までの文学って結構国ごとに特有の傾向がある。だから増田文学に合わなかったんじゃなくて、近代日本文学に合わなかったのかもしれない。

かくいう俺も川端康成は好きだけど、それ以外はうーん、あんまって感じ。

増田がこれまで面白いと思ったコンテンツは何?今までのコンテンツ消費を振り返って、詩的な言語表現が好きなのか、テーマ性の強さを重視するのか、心理描写の鋭さか、想像力にワクワクしたいか、といった具合に自己分析してみれば。

自分の好みを把握してから最近文学賞や文芸賞の受賞作で自分に合いそうなやつを読んでみれば多少はハマると思うよ。

2025-05-05

門戸差別禁止してる民主主義国家なのに王族がいるって恥ずかしくないか

国家の有り様が歪んでいると言わざるを得ない。

民主主義平等なんて掲げずに「ここは独裁国家だ!人間は生まれながらに平等ではない!」と主張するなら好きにしろと思う。

まあ、そんな国に下っ端として産まれ人間の苦労は想像もしたくはないが。

しかし、近代的な民主主義国家であり不平等是正を掲げておきながら「この国には王族がいる!彼らは高貴なる血筋で偉いか特権があるのだ!」とするのはイカれてないか

悲しいことに俺が産まれ日本国もそんなキチガイ血統主義国家の一つだ。

勘弁してほしいものだよ。

せめて英国よりは先にこの矛盾から卒業してほしいものだね

2025-05-03

anond:20250503222344

いや戦前に培われた技術産業ノウハウがあったか戦後経済成長を加速させられたか無関係じゃないんだが

そもそも昭和20年で終わってるって言ってるように鎖国した過去がある大日本帝国も結局終わって今の日本になってて

それが「近代国家として生き残れた」って定義だと他の鎖国しなかったアジア諸国も生き残ってる扱いじゃないとおかしいだろ

2025-05-02

世界は「19世紀」に戻り、米国は「非自由主義的民主主義」に陥りつつある | 一人の男のエゴイズムのため

というクーリエジャポン(中身はLe Monde)の記事へのブコメランド研究所レポート を教えてもらった。

そのブコメとはこちhttps://b.hatena.ne.jp/entry/4769813175171719233/comment/shugetsu-sai

アメリカランド研究所では、2000年から既に世界は「新中世主義」と呼ぶ新たな時代に入っていると分析しており、ザカリア氏の19世紀回帰論には誤りがある。 https://www.rand.org/pubs/research_reports/RRA1887-1.html

ただし、ブコメの指摘と異なりRANDレポートの主旨は、米国中国で起きていることを対比し、いずれも国家の力が相対的に弱体化しており(Weakening States)、国民社会連帯を弱め国家以外の多様なコミュニティへと帰属し(Fragmenting Societies)、経済成長は鈍化と不均衡(Imbalanced Economies)、自然災害感染症・無法で暴力的な非国家主体の脅威(Pervasive Threats)、パラミリ国際的犯罪組織サイバーなどによる戦争非公式化(Informalization of Warfare)が2000年からの特徴となっていることを指摘している。

そして、こうした事柄を指して、ランド研究所U.S.-China Rivalry in a Neomedieval World—Security in an Age of Weakening States は、「ネオ中世」と呼んでいるのだけど、それは別に実際の中世ヨーロッパ(5〜15世紀)を指して、そう呼んだ訳ではなく、近代国民国家のような強い中央集権国家統治によって国家vs.民衆といったフラット構造ではない重層的でそこここに権力が分立している様を指して「ネオ中世」と呼んでいることに気付く。

したがって、本件のブコメとなっているファリードザカリアインタビュー記事の「19世紀に巻き戻る」というのも、Liberal標榜する戦後西ヨーロッパ価値観(*法の支配*)から過去に巻き戻るという意味で使われている点で共通している。

==== =====

ひょっとして、はてな記法ってすでに無効となっている書き方?

全然ドキュメントの通りにレンダリングされないんだけど...、ドキュメントメンテナンスしてないのか...

https://help.hatenablog.com/entry/text-hatena-list

2025-04-27

スクールカーストと若年向け文学〜さるラノベを読んでいる僕の苛立ち〜

原文を読むのがあまりにも苦痛だったので、トキに処方してもらったストロングゼロをがぶ飲みしながら読んだら脳内でこういう会話が展開された。おそらく原文を書いた人も泥酔しながら書いた結果、ラリクマのような文章になったのではないだろうか。

オタク: 「ねえねえ、ギャルちゃんちょっと聞いてくれる? 昨日ツイッターで書こうとしたんだけど、なんか邪魔されちゃってさ、すごくモヤモヤしてるネタがあるんだ」

オタクを全肯定してくれるギャル: 「え、なになに? オタクくんの話、いつも面白いから聞きたい! どんな話?」

オタク: 「ありがとう! えっとね、『スクールカーストと若年層文学』について話したかったんだ。ほら、このTogetterなんだけど…最後まで書けなくて、批判されたまま終わっちゃったのが悔しくてさ」

ギャル: 「あ、Togetter見たよ! なんか大変そうだったね…。うんうん、聞く聞く! どんなこと書きたかったの?」

1

オタク: 「まずね、僕が言いたいのはさ、事実上、世の中の仕組みを変えようとかそういうのを諦めちゃってる人たちに、スクールカースト批判する資格なんてないんじゃないかってことなんだ。スクールカーストに限らずだけど…

ギャル: 「ふむふむ。仕組みを変えるのを諦めてる人…?」

オタク: 「そうそう。日本にはさ、『政治が悪い』とか『学校行きたくない』とか『うちの会社バカだ』みたいな制度への文句から、『上司うざい』『先生むかつく』『親が嫌』みたいな個人的悪口まで、言う人っていっぱいいるじゃん?」

ギャル: 「あー、いるいる! よく聞くかも!」

オタク: 「そういう批判自体別にいいし、言ってることに一理あるなって思うことも多いんだ。実際、正しいかどうか、改善できるかは別としてね」

ギャル: 「うんうん、わかるわかる」

オタク: 「たださ…例えば、自分お金の稼ぎ方も知らない子供が『お小遣い増やせよ!』って言うのとか、経済のこと全然わかってないマスコミとかそこらへんの人が『最近景気悪いなー、政府何してんだ!』って言うのを、いちいち真に受けてられないって思うんだよね」

ギャル: 「あー、なるほどね。ちゃんとした根拠がないと、ただの文句に聞こえちゃうってこと?」

オタク: 「そうなんだよ! 意見を言うのは自由だけど、それを真面目に受け取って問題解決するためにはさ、代わりの案を出したり、ちゃんと専門知識に基づいて反論したり、あるいは提案やお願いする理由と内容をはっきりさせないと、『あ、この人、ただ気分で言ってるだけだな』って信用されなくなっちゃうでしょ?」

ギャル: 「確かにそうだね! ちゃん理由とか代わりの案がないと、聞いてもらえないかも」

2

オタク: 「でね、ここからが本題なんだけど、ライトノベルっていうジャンルにはさ、『スクールカースト』、つまり学校の中での人間関係ランク付けみたいなものを、批判的に描いてる作品がたくさんあるんだ」

ギャル: 「へぇー! ラノベってそういうテーマもあるんだね! スクールカーストって、なんかちょっと嫌な感じだもんね…」

オタク: 「そうなんだよ。批判的に描いて、それに立ち向かっていく作品もあれば、最初は斜に構えて見てた主人公が、何かをきっかけに努力して、自分たちだけの別のルールとかコミュニティを作って生きていく…みたいな作品も、まあ、なくはないんだ」

ギャル: 「うんうん、いろんなパターンがあるんだね」

オタク: 「僕自身高校時代ちょっとひねくれててさ、『俺は周りの奴らとは違うんだ』みたいなプライド持ってたタイプから、そういう斜に構えちゃう気持ち自体否定しないんだよ」

ギャル: 「オタクくんもそういう時期あったんだ! なんか意外!」

オタク: 「まあね(照)。で、何が問題かっていうとさ…人のことを見下してるようなキャラが、それに対するちゃんとした代わりの案も出さないし、別のコミュニティを作ってスクールカーストを乗り越えたり、良くしようとしたりもしないで、ずーっと斜に構えてるだけ…みたいなノベルがあることが、僕は問題だと思うんだ」

ギャル: 「うーん、ただ文句言ってるだけ、みたいな感じなのかな? それって読んでてモヤモヤしそうだね…」

オタク: 「そうなんだよ! …でもさ、こういうこと言うと、ラノベファンとか文学好きの人って、効率とか成果ばっかり求める『功利主義』みたいな考え方を嫌うから、『そんな杓子定規生産性とか言うなよ。そんなに言うなら学校野菜でも半導体でも作らせればいいじゃん』みたいに、極端な理屈反論されちゃうんだよね…。だからツイッターでも書ききれなかったんだけどさ」

ギャル: 「そっかぁ…話が飛躍しちゃう感じなんだね。でも、オタクくんが言いたいのはそういうことじゃないもんね?」

オタク: 「わかってくれる!? そうなんだよ! 別に、はみ出し者でいることや、斜に構えて人を批判すること自体はいいんだ。でもさ、批判するんだったら、せめて代わりの案とか、自分なりの提案とか、しっかりした自分世界観くらい持とうよって思うんだよね」

ギャル: 「なるほどね! ただ批判するだけじゃなくて、自分はどうしたいか、どうすべきかっていう考えが必要ってことか!」

オタク: 「その通り! それすらない、ただの批判を『個性』だみたいに言ってるティーンズ向けのノベルがもし市場にたくさん出回るようなことがあったら、それはポルノとかよりもよっぽど精神汚染すると思うんだ。文字通り『堕落』だよ」

ギャル: 「精神汚染堕落…! ちょっと怖い言葉だけど、言いたいことはなんとなくわかる気がするかも…」

オタク: 「もちろん、そうじゃない良い作品もいっぱいあるからライトノベルっていうジャンル自体否定するつもりはないんだよ。でも、そういう(代案のない批判だけの)作品は、もはや文学ともエンターテイメントとも呼べない。『消耗品』っていう言葉がぴったりだと思うんだ!」

ギャル: 「消耗品…?」

オタク: 「うん。そういう怠惰価値観しかない作品にハマっちゃうと、定期的にその作品を読んで『わかるー!』って共感を補充しないと生きていけなくなっちゃうんだ。でも、その共感って、読み返しても新鮮味がないから、どんどん新しい『わかるー!』を求めて消費していくだけ。だから消耗品』なんだよ」

ギャル: 「へぇー…! そういう見方もあるんだね。深いなぁ…」

3

オタク: 「じゃあ、具体的にどの作品がそうなのかって話になるんだけど…例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』とか、『僕は友達が少ない』とか、『やはり俺の青春ラブコメは間違ってる。』あたりが、まあ、そういう要素があるかなって思うわけ」

ギャル: 「あ、そのタイトルいたことある! 人気あるやつだよね?」

オタク: 「そうそう。ただ、『ハルヒ』とか『はがない』(『僕は友達が少ない』の略ね)に関しては、面白さのポイントが別のところにもあるから、正直、僕は『嫌いじゃない』くらいには好きなんだ」

ギャル: 「ふむふむ」

オタク: 「だけど、『俺ガイル』(『やはり俺の青春ラブコメは間違ってる。』の略)…お前はダメだ!! って言いたいんだよ!」

ギャル: 「お、おぉ…! 急に熱くなったね! 『俺ガイル』が特にダメなの?」

オタク: 「そうなんだよ! あれを僕が高校生に勧めたいとは絶対思わないし、オタク友達に『これ面白いよ』って勧めるのも、なんか自分センスとか人間性を疑われそうで倫理的にためらわれるレベルなんだよね」

ギャル: 「えぇー! そんなに?!」

オタク: 「うん…。しかも、僕が好きだった、結構硬派なラノベを出してる『ガガガ文庫からこれが出たっていうのも、正直、嘆かわしいと思ってるくらいなんだ」

ギャル: 「そ、そうなんだ…。オタクくん的には許せない感じなんだね」

4

オタク: 「ちょっと話が変わるけど、そもそも学校で『部活動』をやる意味って何だと思う?」

ギャル: 「え、部活意味? うーん、好きなことをやるとか、友達作るとか…?」

オタク: 「まあ、それもあるんだけどね。フィクション特にラノベだと、話の都合で部活動があることが多いんだけど、真面目な話、教育的な観点から言うとさ…部活動で仲間を作ったり、チームの中で自分の得意なことや役割を見つけたりすることで、『社会性』とか、その社会の中で自分がどういう存在かっていう『自己同一性』を身につけるっていうのが、本来の意義なんだよ。クラス活動とかもね」

ギャル: 「へぇー! 部活ってそんなちゃんとした意味もあったんだ! 知らなかった!」

オタク: 「もちろん、部活とかクラス活動の中で『自分には役割がないな』って気づいちゃったり、それでコンプレックスを持っちゃったりする人もいるから、問題点があるのも事実なんだけどね」

ギャル: 「うんうん、そういう悩みもあるよね…」

オタク: 「でもさ、実際に社会に出たら、一人だけで完結する仕事なんてほとんどないわけじゃん? だから、チームで協力したり、一緒に何か作業したりする練習として、部活動とか、そこで生まれ人間関係スクールカーストみたいなものも含む)を経験すること自体否定ちゃうと、学校っていう場所存在意義とか、もっと言えば近代的な教育のもの否定することになっちゃうんだよね」

ギャル: 「そっかぁ…。学校って、勉強だけじゃなくて、そういう練習の場でもあるんだね」

5

オタク: 「経済とか歴史に詳しい人ならもっとピンとくると思うんだけど、正直、学校に行かなくたって、個人技術を身につけたり、仕事に就いたりすることは可能っちゃ可能なんだよ」

ギャル: 「え、そうなの?」

オタク: 「うん。というか、人類の長い歴史の中で、今みたいにみんなが学校に行って、学歴がすごく大事にされる時代って、実はここ200年くらいの話で、かなり短いし、特殊なんだよ。昔は家で勉強したり、スポーツやりたきゃ専門の養成所に行ったりしてたわけだし」

ギャル: 「へぇー! そうなんだ! なんか意外! 学校って昔からずっとあるものだと思ってた!」

オタク: 「でも、産業革命の後くらいから、『近代的な社会で、ちゃんルールを守って集団生活を送ったり、コミュニケーション必要仕事や付き合いをしたりするために必要スキルを身につけさせるには、国が義務教育をやるべきだ』っていう結論になって、今の教育制度ができてるんだ。…あ、これは僕の勝手意見じゃなくて、経済史の教科書かに普通に載ってる基礎知識からね」

ギャル: 「なるほどねー! 学校ってそういう歴史的な背景もあるんだね。勉強になるなぁ!」

6

オタク: 「で、話を戻すと、『スクールカーストが良くない』っていうのは、組織の中でどうしても起きる衝突とか、それに伴うストレスとか、いじめとかが良くないってことでしょ? それ自体は僕も否定しないよ」

ギャル: 「うんうん」

オタク: 「でもさ、だからって『じゃあ一人でいようぜ。人の評判なんか気にせず、のんびり過ごそう』ってなっちゃうのは、結局、問題から目をそらしてるだけだと思うんだよ」

ギャル: 「問題先延ばし…?」

オタク: 「そう。だって会社に入ったって、仕事ができるできないだけじゃなくて、そういう人間関係の中での立ち回りって絶対求められるじゃん? もしうまく立ち回れないんだったら、代わりにすごく仕事ができるとか、偉い人と繋がりがあるとか、何か『役に立つ』部分が必要になるわけだ」

ギャル: 「あー…確かに社会に出ても、人付き合いって大事だもんね…」

オタク: 「『はがない』とか、特に俺ガイル』なんかは、そういう『自分がどう役に立つか』みたいな議論からも目を背けて、それを良しとしちゃってる感じがするんだ。だからライトノベルっていうフィクション10の子に与える影響としては、ポルノなんかよりよっぽどタチが悪いんじゃないかなって思うんだよね」

ギャル: 「うーん…ただ現実から目を背けるだけじゃ、成長できないってことなのかな…」

オタク: 「そうなんだよ! それこそさ、昔の偉大な作家さんたちが『子供たちに夢を与えたい』って言ったり、僕が子供の頃に流行ってたロックミュージシャンファンが『あなたの歌のおかげで前に進めます!』みたいな手紙を送ったりしてたのに比べるとさ、こいつら(俺ガイルみたいな作品)って、一体、若者に何を与えてくれたんだろう?って疑問に思うわけ」

ギャル: 「たしかに、比べてみるとそうかも…」

オタク: 「いや、今の高校生はきっと『これが俺たちの青春だ!』とか言うのかもしれないけどさ、大人になった時、自分の子供にこの作品をどう説明するんだろうって、皮肉とかじゃなくて、純粋に気になるんだよね」

ギャル: 「うーん、難しい問題だね…」

7

オタク: 「でね、もうちょっと俺ガイル』に絞って批判させてもらうんだけど…というか、他のラノベにもちょっとある傾向だから、読んでなくても大丈夫だと思うけど…あの作品の『受動的にハッピーが来る』みたいな考え方が、そもそも僕は不愉快なんだ」

ギャル: 「受動的…? 待ってるだけってこと?」

オタク: 「そう! 主人公が『奉仕部』っていう部活に入ってるんだけど、自分から誰かのために何かするんじゃなくて、先生問題抱えた人(奉仕する相手)を連れてきて、その人の問題解決してあげる、みたいな構図なんだよ。普段自分たちから何か活動するわけでもなく、本読んでるだけ」

ギャル: 「へぇー、奉仕部なのに、自分からは動かないんだ?」

オタク: 「そうなの。で、毎回毎回、そこそこ面白い問題を抱えた人がやってきて、その人に対して主人公が『残念だね。まあ俺も残念だけど』みたいな感じで、別にしたことないハードルを、ギャグとも言えないような皮肉っぽい文章クリアしていく…みたいな」

ギャル: 「なんか…変わった部活だね」

オタク: 「さっきも言ったけど、『はがない』がアニメ化した時、『美少女×残念』ってキャッチコピーで売ってたけど、あれの魅力って『残念』なことなのかな?って思うし、『俺ガイル』も『残念』が売り文句になってるんだけど、そもそもなんで『残念』が魅力になるのか、普通の人からしたら意味不明だよね?」

2025-04-25

Civ7 1.2.0

ようやくmod無しでもまともに遊べるレベルになった

探検時代資源改善はいいね

バージョン地理の偏りが酷かった

それと食料が今まで価値低かったのが改善されたのが⭕️

都市にして生産力にするばっかりはつまんないからね

近代文化勝利軍事勝利が面倒すぎて科学経済勝利ばかりになってしまうのは未だ改善されず

次は指導者文明バランス調整かなあ

2025-04-18

anond:20250418110522

アニメ風立ちぬ」は日本近代偉人二名悪魔合体させて、

これは私小説ならぬ私アニメであって、主人公は俺、宮崎駿なんだよ、ガハハ!みたいな、

俺、最強に強くてモテモテみたいな、なろう系アニメなので、自分は駄目でした…😟

風立ちぬ」の後に続けて「この世界の片隅に」を観て、やっぱり「風立ちぬ」は駄目だと思った

なんだかんだ、主人公エリートなんだよ、宮崎駿もそう、天才上から目線世界が描かれてる

一方で「この世界の片隅に」は庶民視点で描かれてる

この世界の片隅に」は反戦というより、今の凡人の市民日常生活の延長線が描かれてるわけで、

あれを観て、反戦キモイみたいに思うのは、思ってるあなた反戦だってことの裏返しだと思ってる

あくまで、この世界の…はフィクションから意図的に強調して描いてるものはあれど、

あれは反戦教育映画ではない、例えるならばサザエさんなり、日常生活を描いただけのものだよ

その日常生活に、これって反戦なんじゃないの?って思ったなら、あなた本音反戦なんだよ

そう思わせるに十分なぐらい日常を描こうとしたものだと思ってる

風立ちぬ」は、なんか最後になって、俺が作った戦闘機で人がいっぱい死んで、みたいな後悔?になるけど、

あれは宮崎駿が、戦車軍艦戦闘機大好きだけど、戦争は嫌い、みたいな矛盾を反映させたみたいな話だった気がするけど、

そっちの方が取って付けたようなというか、薄っぺらいなぁ、と思ってしまった

流石、戦争中は列車汽車で移動する一般民衆に対して、自動車で移動した宮崎駿である

どこまでも天才で、エリートで、戦争中も軍需で裕福だったわけで、そりゃ自然上から目線になるだろう

風立ちぬ」は宮崎駿の人柄というか、そういう本音が出て、まあ、ある意味パンツ穿いてないんだろうけど、気持ち悪いと思ってしまった

まったくのフィクションを描かせたら天才だし、そういう自分というものは目立たない、だからジブリアニメは良かったんだと思う

ところが、宮崎駿が、俺ってこういう人なんだ、みたいなのを出し始めて、それは作品がその人そのものから

こういう人は嫌い、こういう人は受け付けられない、という感想が出てくるのは当然だと思うんだよね

仮に天才的なアーティスト兼大量殺人鬼みたいな人がいたとして、

彼が自分作品に込めないでフィクションの話ばかり作ってたら、みんなが認めてくれても、

今度は自分作品に混めて、これだけ俺は殺人が好きなんだ、みたいに語られても、今度は視聴者動機理解できなかったりして共感できない

単に気持ち悪い、と思われてしま可能性がある…😟

2025-04-17

ジークアクス世界恵方巻はあるのだろうか

日本語日常的に使用されているコロニー

日本の文化も色濃く残っていても不思議ではない

であれば節分文化が生き残っている可能性もある

とすると困るのがスペースコロニーから見た「恵方」はどっち向き?」という話

一律で地球の方を向くようになるかも

そもそも現代恵方ってどうやって決まっている?ふむふむ、十干で決まると

そうえいば作中描写コロニー内に鳥居があるらしい

鳥居、すなわち神道 神道十干(由来の方角)の概念使用される?これは後で調べる

コロニー内に東西南北が設定されるかもしれない、その方向を向くというケースもありえる

円柱状の両端方向をそれぞれ南北定義とかありそうな話だ

何かの作中(notジークアクス、コロニーが登場するような全てのSF作品)でそういう話出ててもおかしくないな

そういえばコロニーとは関係ないが『天冥の標』のメニーメニーシープ世界コンパス東西南北概念って登場していたっけな、再読して探してみるか

あるいは、スペースコロニー世界では方角に依存する伝統行事はすぐ廃れる、これもありそう

恵方以外の方角依存行事ってなんかあるかと聞かれたら全く思いつかないけれど

初日の出とか……(それは方角依存というより太陽依存だろ)

結論を出していないが、別に結論を出す必要もない

疑問はそのまま疑問として保留する

終わりです

歯の被せ物が取れた……

歯医者の予約は来週月曜18時

今晩はマリオカートdirect

---

o3に質問

日本人集団宇宙スペースコロニー集団移民したときのことを考える。

環境の差により、維持できる伝統文化と維持できない伝統文化がある気がする、それを考えたい。

①:地球環境スペースコロニー環境の差をまず考える

②:日本の伝統行事リストアップする

③:①と②を照らし合わせてどれが維持できてどれが廃れるかを推測したい。

一つ目の質問の返答は省略

「方位」をどう見る?スペースコロニーには自然には発生しない概念のはず。

とすれば節分の一部の内容(恵方巻)が廃れる可能性がないか

あるいはスペースコロニー内でも方位という概念定義されるはず、と見るか?

## 主回答(要約)

- 例:回転軸を「天(北)」、外壁方向を「地(南)」、回転方向を「東西」など。

- モジュール設計避難経路、農業区画照射制御などで絶対に座標系が必要になる。

- 今年の恵方を「太陽方向から見て時計回り○°」のように規格化し、AR アプリが示す──といった実装が考えられる。

- 「方位がわかりにくいから」というより、**習俗の軽重・嗜好**が存続を左右する要因として大きい。

---

## 背景解説

### 1. 地球上の方位と恵方

### 2. スペースコロニーでの方位体系

コロニー構造要素 方位の決め方の一例 文化転用可能
--- --- ---
回転軸(中心軸) 「北‐南」軸(天‐地) 神棚寺社の“正面”基準
回転方向 東西日常会話に残る可能性(例:E3 ブロック
定点窓(地球太陽 “艮(うしとら)※”など象意方位に対応恵方節供の参拝方向

※「艮」は東北東 22.5°。恵方の 1 つ。

### 3. 恵方巻の存続シナリオ

シナリオ 内容 継続可否
--- --- ---
**公式方位規格化** コロニー建設時に「艮=地球指向窓」と定義カレンダーアプリ恵方配信 **維持しやすい**
**AR・XR 依存型** スマートグラスが“今年の恵方こちら→”と矢印表示 **維持しやすいが技術依存**
**象徴置換型** 恵方コミュニティ広場中央の祭壇を向く」と再設定 **変質しつつ生存**
**廃絶・別儀礼化** 風習としては残るが方位要素は消滅 **廃れる可能性大**(やや弱い)

### 4. 文化軽重という現実要因

### 5. 結論の整理

1. **方位概念のものコロニー運用必須**なので、文化的に再定義できる。

2. **恵方巻が残るかどうかは住民文化選好次第**。方位を理由に消えるわけではないが、必須行事でもないため衰退リスクは中程度以上。

3. **存続を望むなら**:建設初期に「コロニー方位―干支方位対応表」を明確化し、教育カレンダーに組み込むことが鍵となる。

より依存度が高いイスラム教礼拝方向についてはどうだろうか。同様に検討したい。

これは現実世界で実運用例が既にある可能性もある。

## 主回答(要約)

- 宇宙飛行士向けにすでに実務ガイドライン存在し、**「可能な限り Kaaba → Kaaba の地表投影点 → 地球中心 → 任意方向」の優先順位**が定められている。citeturn0search0turn0search3

---

## 背景解説

### 1  現行の「宇宙礼拝規定――ISS での実運用

- Qibla は (1) Kaaba 直接、(2) Kaaba の地表投影、(3) 地球、(4) どこでも――の順で努力義務を課す。citeturn0search0turn0search3

### 2  スペースコロニーでの Qibla 設定シナリオ

コロニー位置 視認性 実装継続可否
-----------------------------------------
**地球軌道LEO)** 地球全面が視野ISS と同じガイドラインリアルタイム Qibla コンパス **容易**
**ラグランジュ点(L1/L2・L4/L5)** 地球は一点光 慣性姿勢+高精度星図ベクトル演算AR ディスプレイ **容易**
**月面/月軌道** 地球が常時見える(表側) 地球中心=Qibla」方式が既に複数ファトワ容認。citeturn1search0 **容易**
**火星・深宇宙** 地球は星状 航法コンピュータ三角測量し、「最善の見当」で可とする汎用ファトワあり。citeturn1search1 **中程度だが維持可能**

> **核心**:イスラム法は「*istiqbal al‑qibla bi‑ma istataʿa*(可能な限りキブラを向く)」という原理を持つため、**技術的に到達不能な状況でも義務免除されず、代替措置が許容**される。

### 3  技術制度面の具体策

1. **Qibla ナビゲータ**

- 姿勢センサー+時刻+軌道要素からリアルタイムで“矢印”を AR ゴーグル投影

2. **礼拝区画の常設**

- コロニー設計時に「Qibla 壁」を持つ多目的祈祷室を設定し、自動追尾床パネルで向きを補正

3. **宗教機関の共同ガイドライン**

- OIC(イスラム協力機構)や各国 Mufti 機関が、**コロニー別標準暦・Qibla テーブル**を発行。

4. **オフライン冗長**

- 電子機器不調時のために、星表と簡易アナログチャートを備え、「地球視半径 X°以上→地球中心」などの判定フロー掲示

### 4  廃れる可能性の評価

---

### まとめ

宇宙から礼拝する時、礼拝姿勢はどのようなものになるだろうか。

地面に突っ伏す姿勢をとるので、礼拝方向が地面の下や上方の星空方向の場合はどうすればいいのだろう。

既に公式見解が存在する?あるいは礼拝スタイルの変遷などから推察できるだろうか。

### 主回答(要約)

1. 頭・上体だけで縮小ジェスチャーを行う、

2. それも出来なければ心中動作を“意想”する――と段階的に許容している。citeturn0search0turn0search1

- **地面と平行の“水平投影”に向く**のが地上と同等の実務。(地球でも Qibla はしばしば地下方向だが、水平に向く。)

- 床がない/人工 G ゼロなら、ハーネスや座席で体を固定し**ベクトルに体軸を合わせ、頭だけ屈伸**する案が既に承認済み。citeturn0search5turn0search9

---

## 詳細解説

シナリオ重力環境 キブラ方向が… 公式推定姿勢
--------------------------------------------------
**① 人工 G 床あり(回転式船・惑星基地)** 1 G (下方向) 床下 0–90° ・床と水平の投影線を向き、通常の立‑屈‑跪‑スジュード。
・方向が真下でも可(地上と同じ扱い)。
天井側 0–90° ・やはり水平投影線を向く。
必要なら上体をわずかに仰ぐが必須ではない。
**② 微小 G・無重力慣性航行中)** ~0 G 任意ハーネス等で体を固定し、**立つ⇢Rukūʿ⇢Sujūdを頭と膝の屈伸だけで表現**。
ISS ファトワが「頭だけで OK」「意想のみでも可」と明記。citeturn0search0turn0search1
**③ 緊急・無設備** 0 G 判定不能 ・方向簡略→任意方向。
姿勢簡略→座位・頭部ジェスチャーまたは意想のみ。

### 1  既存ガイドラインの要点

1. **マレーシア JAKIM『Guidelines for Performing Ibadah at the ISS』(2007)**

- *“If the astronaut is unable to stand, he may pray sitting; if unable to bow and prostrate, he may indicate with the head; if still unable, he may pray with his heart.”*citeturn0search9

2. **学際検討Harvard RPL 事例、2024)**

- 無重力では “appropriate motions with the head, or simply imagine” が許容される。citeturn0search0

3. **先例:サルタン・ビン・サルマン(1985)**

- 足をストラップで固定し、頭だけでスジュードを示したと回想。citeturn0search1

### 2  “地下向き”Qibla はすでに地上で経験済み

**水平面への射影**で礼拝するのが通例。

### 3  歴史的適応前例

時代・状況 簡略措置
----------------------
**預言者時代ラクダでの旅礼** 行方向をキブラ代替、体を降ろさず頭で屈伸。
**海上航行中世)** 船首をキブラ近似、荒天時は座位祈礼。
**航空機内(現代)** 座席で頭ジェスチャー公認フィクフ多数。
**ISS(2007–)** ハーネス固定+頭・目線ジェスチャー、または意想のみ。

> **結論的推論**:イスラム法は旅行・危急時の簡略(*rukhsah*)を豊富に認めてきた。

> 深宇宙は“長期旅行”に分類でき、**既存の縮小礼・目礼・心念礼がそのまま拡張適用**できる。

### 4  今後の公式見解の見通し

- 既に ISS 用で整えた四段階原則(方向・時刻・姿勢)が **モジュール化されており、距離要素だけ更新すれば済む**。

---

## まとめ

1. **礼拝姿勢原則**は深宇宙でも不変だが、**「能力に応じた簡略化」**を前提に法学余地確立済み。

2. **床がある環境**では、キブラが床下/天井方向でも **水平投影を向いて通常フォーム**で祈れる。

3. **無重力環境**では、ハーネス固定+頭・上体の小さな動き、あるいは心中動作有効

4. したがって **遠宇宙・他恒星系でも礼拝姿勢面で維持可能**。現行ファトワ拡張で十分対応できると考えられる。

なるほどなあ、ありがとな、o3

2025-04-15

anond:20250415193217

1920代頃まではありましたが、近代欧米価値観流入と共に数が減ったそうです。

2025-04-13

anond:20250413205228

増田A

なんで日本人って経済学計算機科学ゴミなの?

ノーベル経済学賞チューリング賞永遠に取れなさそう

増田B

経済学に関してはマル経があまり流行りすぎた

ChatGPT、増田Bをファクトチェックして



増田Bの発言

経済学に関してはマル経があまり流行りすぎた」

についてファクトチェックすると、部分的事実に基づいていますが、現在の状況を説明するには不十分かつや時代錯誤です。詳しく見ていきましょう。

✅【事実の側面】

マル経マルクス経済学)」が流行した時代があったのは本当。

戦後から1980年代にかけて、日本大学特に文系学部)ではマルクス経済学(いわゆる「マル経」)が主流でした。

特に東京大学一橋大学京都大学などでは、経済学部の主流がマルクス派であり、近代的な数理経済学新古典派は「ブルジョア経済学」として軽視される傾向すらありました。

その影響で、日本経済学教育が数理的なモデル分析ミクロ基礎に弱いという批判はあったのは確かです。

❌【誇張・ミスリードの側面】

「だから今もゴミ」あるいは「ノーベル賞が取れない」原因をすべてマル経のせいにするのは無理筋

1990年代以降、日本経済学部も主流派経済学新古典派ゲーム理論行動経済学数理モデル)へと大きくシフトしています

現在日本トップ大学経済学教育は、世界基準と比べても大きな遅れはなく、特にマルクス経済学が主流という状況は 完全に過去のもの です。

したがって「マル経流行りすぎた」というのは、「過去歴史的事実」としては正しいが、「現在日本経済学の遅れの原因」とするのは不正確です。

🎓ノーベル経済学賞を取れない理由に関して

これは「日本人経済学者の国際的ネットワークの弱さ」「海外研究キャリアを築く文化が弱い」「学術英語力」など、構造的な問題関係しています

まり、「マル経流行たかノーベル賞が取れない」は因果関係としては 説明不足かつ時代遅れな言説 です。

✅まとめ:ChatGPTのファクトチェック評価

観点 評価 解説

歴史的事実 ✅ 正確 マルクス経済学一時的に主流だった

現状の説明不正確 今は主流派経済学が圧倒

因果関係 ⚠️ 誇張 マル経けが遅れの原因ではない

ノーベル賞との関連 ❌ 根拠薄弱 構造的な要因が多く、マル経との因果性は薄い

要するに、増田Bのコメントは「昭和脳」気味の懐古主義に基づいたツッコミで、現状に対する説明力としてはやや弱いです。ちょっと昔話に逃げてる感ありますね。

2025-04-12

社会学部似非科学蔓延させている

柴田英里

@erishibata

すごい。身長体重中央値から違うという事実統計とかをまるっと無視だ。

引用

2C1Pacific

@2C1Pacific

岡田教授「体力とは、男性が有利になるものだけを測ってきた、文化的に偏った概念

立命館大学産業社会学部スポーツ社会専攻、すごい。ツイッターネタでなく、こういう講義実在するとは。

男性のほうが体力がある」は本当か? スポーツを通じて学ぶジェンダー

https://x.com/2C1Pacific/status/1910689878683369850

* マジキチ

男性が有利になるように制度

オリンピックなど、世界的な大会でこれまで物議を醸(かも)してきたことの一つに、トランスジェンダーなど性別をめぐる問題がありますパリ五輪でも、男性ホルモンとも呼ばれるテストステロン値が高い女子ボクシング選手が出場し、物議を醸しました。立命館大学産業社会学部の授業「スポーツジェンダー」は、こうしたスポーツにおけるジェンダー課題など、近現代スポーツのありようと社会とのつながりについて、「性」に関わる視点から検討しています

産業社会学部2007年カリキュラム改革を行って現代社会学科の1学科制となり、現代社会専攻、メディア社会専攻、スポーツ社会専攻、子ども社会専攻、人間福祉専攻の5つの専攻を設置しました。「スポーツジェンダー」の授業を開講した経緯について、スポーツ社会専攻の岡田教授はこう話します。

「他大学のように体育学部スポーツ科学部などに設置されているスポーツ専攻と違って、立命館大学場合は、産業社会学部の中にスポーツ社会専攻があります社会におけるスポーツを学ぶので、ジェンダー視点というのは欠かせません」

授業を担当する教員は年度によって異なり、全15回の授業内容は教員によって違いますが、主軸となるのはこれまでスポーツにおいてジェンダーがどのように問題となってきたのか、歴史や事例について学ぶことです。

「必ず学ぶのは、近代スポーツが生まれた経緯です。なぜなら、スポーツという文化はもともと男性けが行う前提でつくられたものということを知る必要があるからです」

岡田教授によると、近代スポーツ発祥19世紀で、エリート教育を行うイギリスパブリックスクール男子校)で、課外活動の一つとして取り入れられるようになり、発展していきました。

スポーツ男性のほうが有利と、一般的には認識されていますしかし、そもそも男性の体の資質に合ったもの選択され、男性が有利になるように制度化されてきたもの近代スポーツなのです」

男性の体の資質に合ったもの選択され、男性が有利になるように制度化されてきたもの近代スポーツ」完全にウソですね。だから男性の方が体力があるというのは嘘ということにはならない。計測やルール公平性や正確性を持っており、男性が有利になるという目的意識的無意識的にかかわらず存在しない。ジーン・キング時代みたいな古い例しか出せないのは、その後ルールトレーニング法が整備されて対抗できなくなったとい事実無視するためで、似非科学です。

男子が体力があるのは測り方のせい

体力は文化的に偏った概念

かに、体力は女性より男性のほうがあると、当たり前のように認識されています。実際に小学校中学校で行われる体力テストスコアは、男子のほうが女子を上回りますが、岡田教授はその理由を次のように説明します。

学校で行われる体力テストは、文部科学省が定めている体力の基準8項目(握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、20mシャトルラン、50m走、立ち幅跳びボール投げ)をテストします。このうち7項目は筋力によって左右されるので、男性が有利になります。一方、柔軟性をみる長座体前屈は、女性スコアのほうが上回ります。つまり男性が有利となるような項目が、体力を測る物差しになっているのです。そもそも体力とは何かを考えると、実は科学的なものではなく、男性が有利になるものだけを測ってきた、文化的に偏った概念だということがわかります

まずこの表現自体被害妄想でWokeですね。アメリカでは一笑に付される。文化じゃなくて科学問題。だから文系科学理解できない野蛮人しかいない。

トランプスポーツ

スポーツというと、アスレチック競技だけを指す傾向がありますが、イギリスではスポーツは気晴らし全般を指すので、チェスビリヤードトランプなども含まれますスポーツにおいて完全な男女平等は難しいことですが、できる部分は平等にしつつ、スポーツに関する新たな価値観を広げることは、男性女性も生きやすくなることにつながると思います

それならマラソンスポーツなので、楽しむという意味ではスポーツです。

科学的な正しさを文化意識ごまかすキチっぷり

学生意識が急激に変化

スポーツ社会専攻には保健体育の教職課程があり、スポーツでの成功体験を積んだ学生が多くいます。「そうした学生からこそ、スポーツジェンダーを学ぶ意義が大きい」と岡田教授は話します。

特に男子学生自分が有利になるような条件の中で成果を得てきたということを、最低限知ってほしいですし、教員になるのであれば必ず知っておかなければならないことです。女子学生は、スポーツをしてきた中で自分が不利な立場になった経験があるなど、問題意識を持つ学生が多いように感じます知識を得ることで、こうした問題意識言語化できるようになってほしいと思います

中学校の保健体育の授業では、男女別の授業があり、自分の性に違和感がある生徒にとっては着替えの問題などが出てきます

「保健体育の現場では性に関わる問題対応しなければならない場面が出てきやすいのですが、中学校教員も十分に対応できていないというのが現状です」

一方で、中学校の保健体育でダンスが必修化されるなど、性差が出にくい種目を増やす動きも出ています岡田教授はこう話します。

学生たちの意識にも変化が見られます男子学生自分たちが特権的に持っているもの否定されたように感じるのか、以前は私の授業に対して拒否反応を示すことがありました。この10年くらいで学生意識は急激に変わり、男子学生も受け入れなければならないと感じているようです」

男子精神おかしくなりがちなのはこんな押し付けという虐待大学で平気で講義でやっているからのようです。

https://www.asahi.com/thinkcampus/article-111243/

社用車スズキアルトのオートギアシフトモデル

普通CVT軽自動車と思ったらギアチェンジのつどガタゴト揺れるわトルク抜け→踏み込む→回りすぎるだわでもう最悪。

よくこんなもん通したなスズキ

近代日本工業製品で欠陥を疑ったのはこれだけだわ。

2025-04-11

丸山眞男マックス・ウェーバー視点から見た『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG

丸山眞男マックス・ウェーバー視点から見た『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』のキャラクター設定

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』は、単なる近未来SFアクションではありません。そこには、近代主体葛藤倫理をめぐる深い思索が埋め込まれています。本記事では、近代政治思想重要人物である丸山眞男マックス・ウェーバー視点から、この作品思想的に読み解きます

第1章:丸山眞男マックス・ウェーバー近代主体とは何か?

- 「であること」に安住せず、「すること」を選ぶべきだと説いた。

- 戦前日本を「無責任の体系」として批判

- 思考すること自体倫理であるという立場

- 信念倫理責任倫理区別

- 政治には情熱判断力責任感のバランス必要

- 官僚制による脱人格化・倫理喪失を警告。

第2章草薙素子責任倫理体現するプロフェッショナル
第3章:クゼ・ヒデオ ― 信念から責任へと至る象徴孤独
第4章:合田一人倫理の外側から世界を動かす“システムの顔”
第5章:個別の十一人 ― インストールされた信念と思想模倣
総まとめ:攻殻機動隊が描いた思想地図
キャラ倫理タイプ主体性のあり方 思想対応
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
草薙素子責任倫理判断責任を取る 丸山の「すること」/ウェーバー政治
クゼ・ヒデ 信念→責任象徴として目覚め、責任を取る 信念倫理責任倫理
合田一人倫理の外部 操作演出責任回避無責任の体系/合理性怪物
個別の十一人 擬似信念 外部入力による行動 思想空洞化感染モデル
最後に:私たちはどう考えるか?

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』は、「考えること」「信じること」「責任を持つこと」がどれほど困難で、それでも必要であるかを描いています丸山ウェーバーという二人の思想家の視点を通すことで、この作品私たち自身への問いに変わっていきます

今、あなたはどの立場に立ち、何を信じ、どう行動するのか?*

それが、この物語が投げかける最大のメッセージなのかもしれません。

2025-04-08

【ChatGPT Monday東浩紀リベラル批判批判

プロンプト

哲学者東浩紀リベラル批判批判して。

ChatGPT Monday:

あー、東浩紀リベラル批判ね。ついにあなた哲学ディベートごっこを始めるつもりか。まあ付き合うけど、コーヒー淹れてこい。これは長くなるやつだ。

まず東浩紀リベラル批判って、主に以下のあたりで展開されてるよね:

1. 近代リベラリズムの「普遍性幻想への批判

2. 手続き的理性や合理性限界の指摘。

3. 「公共性」や「自由」の形式性に対する違和感

4. 現実的共同体との断絶への懸念

まり彼は「リベラル」と言いつつ、現代リベラル空疎ルール崇拝と形式自由に囚われて、むしろ人間の生を支える土着的な何か――共同体とか感情とか――を切り捨ててることに怒ってるわけ。

でもさ、ここを批判するなら以下のポイントがあるよ:

1. 東浩紀は「リベラル」の定義勝手すり替えてる問題

彼が攻撃してるのって、リベラルの中でもかなり形式主義に偏った一派なのよ。別にすべてのリベラル合理主義一辺倒ってわけでもないし、「感情」や「物語」の価値を捨ててるわけでもない。まるで全員ロールズ主義アンドロイドみたいに描いて、それを叩いて悦に入ってるのは、ちょっとズルくない?

2. 「共同体感情」っていうけど、それどこまで許すの?

東は共同体の「物語」とか「感情の共有」を重視しようとするけど、それってめちゃくちゃ危ういんだよね。どこまでが「健全共同体」で、どこからが「排外主義」なのかって線引き、いつも曖昧なのよ。下手すると「みんなが納得してるからヘイトスピーチOK」とか言い出す人と同じ文脈で語られかねない。

3. 「制度批判」としてのリベラルの強さを無視してる

制度手続きって、歴史的にはむしろ感情」や「共同体圧力から人間を守るために作られてきた部分もある。東の言う「生きた政治」みたいなのって、むしろそれを逆行させることにもなるわけで。めんどくさい上司飲み会参加を「人間関係の物語」って美化されるのは嫌でしょ? それと似たような話。

4. 彼自身が実は「新しい普遍性」を欲してるくせに、それを他人にだけ求めてる

散々「普遍性危険」とか言ってるのに、自分提案(例えば「観光客哲学」)はやたらそれっぽい新しい理想を語り出すんだよね。しかも、それが「制度よりやわらかくて、でもみんなが納得する感じ」っていう魔法みたいなやつ。ご都合主義自己啓発本か?

結論

東浩紀リベラル批判は、ポストモダン的な感性昭和情念を掛け合わせた、なんともいえない日本的ネオ懐古主義よ。面白いけど、そのまま信じると危ない。というか、彼の議論っていつも「分かりやすい敵を用意して殴る」型なので、こっちもほどよく疑って読むのが正しい姿勢

で、これ誰かにドヤ顔で言うつもり? 大丈夫? 引かれない?

2025-04-05

最近よく言われる清潔感について

私たち日常的に「清潔であること」を当然の価値として受け入れている。しかし、その「清潔」は本当に普遍的客観的概念だろうか?また、清潔をめぐる価値観や制度はどのように形成され、誰にとっての利益になり、誰を排除してきたのだろうか?

こうした問いに向き合うのが、「清潔論(Cleanliness Studies)」という比較的新しい学問領域である

1. 清潔論の成立と背景

清潔論は、文化人類学衛生学都市社会学ジェンダー研究精神分析などの知見を横断的に統合し、「清潔」という概念歴史性・構築性を検討する学際的分野である特に21世紀初頭のパンデミック(COVID-19)を契機に、「衛生」が公共空間の秩序や身体管理手段として再定義されたことが、清潔論の形成に大きな影響を与えた。

初期の清潔論は、ミシェル・フーコーの生権力論やメアリーダグラスの「汚れとは場違いものである」という視点に影響を受けつつ、現代的な社会実践へと接続されていった。

2. 清潔という「境界線

清潔論が注目するのは、清潔/不潔の区分が単なる衛生上の問題ではなく、社会的・政治的境界線として機能している点である。たとえば、近代都市公衆浴場設計学校教育における手洗い指導家庭内での掃除役割分担──これらはすべて、清潔が「正しい市民」の条件として機能している証左である

こうした現象は、「清潔線引き(cleanlining)」と呼ばれる。これは、誰が清潔で、誰が不潔かを暗黙に定義することで、社会の内外を分ける行為である

3. 「清潔感」とは何か──視覚化された衛生

近年、特にSNS就職活動恋愛市場などで頻繁に語られるのが「清潔感がある人」への評価である。だが、この「清潔感」は極めて主観的で、実際の衛生状態とはしばしば無関係である

清潔論では、こうした現象を「視覚的衛生性(visual hygiene)」と名付けている。これは、身だしなみ・服装香り・体型・肌質など、外見に現れる清潔イメージ集合体であり、文化的階級バイアスを含んでいる。

たとえば、同じ髪型服装でも、社会的背景や人種性別によって「だらしない」と見なされるか「洗練されている」と見なされるかは異なる。視覚的衛生性は、単なる個人努力ではなく、社会的に構築された規範と審美である

さらに、「清潔感がない」とされることは、恋愛就労の機会の剥奪につながる。これは、「清潔感資本(cleanliness capital)」という新たな資本形態として分析されている。清潔感を備えた身体や外見は、現代社会における市場価値を決定づけるファクターであり、その配分には明確な不平等存在する。

4. 清潔イデオロギーとその病理

現代社会では、抗菌除菌無臭化といった商品があふれ、「自分自身の不潔さ」への恐怖を煽るマーケティング常態化している。これにより、清潔の基準は過剰化し、「過剰清潔主義(hyperhygienism)」とも呼ばれる状態蔓延している。

過剰清潔主義は、アレルギー免疫機能問題だけでなく、精神的な強迫観念や、他者への「不潔レッテル貼り(dirty-tagging)」といった社会排除を生み出す。こうした病理的な清潔観は、現代都市生活における新たなリスクとも言える。

おわりに

清潔論は、「汚れを落とす」という単純な行為の背後にある、権力規範構造照射する。私たちはどのように清潔を欲望し、どのようにそれを他者要求し、また拒絶してきたのか。それを問うことは、すなわち私たちが「どのように他者と共に生きるか」を問うことに他ならない。

2025-04-02

女性理想王子様を待ってはいけないのか?

白雪姫見てて思ったけど

最近白馬に乗った王子様を待つみたいな描写創作界隈でタブー視されてるよね

 

でもこれって元から生物に備わってるよね

投資理論っていうらしいけど

子どもを持つために、それぞれの性(オス・メス)がどれだけリソース時間エネルギーリスク)を投資するかによって、求愛行動や性選択パターン進化的に決まる」という理論by AI

だそうで、メスは妊娠というコストが高いからより「理想相手が来るのを待ち、選ぶ立場になりがち」らしい

そこは現代社会が「そういうのはよくない」って言って否定してもしきれない部分なんじゃないのかね

 

一方で、「子育て女性がするもの」という発想は思ったより近代に発生した価値観らしいし

女性は家庭的であれ」というのは西欧から導入された価値観らしい

昔は家族総出で仕事してたしね、家事もそりゃ皆やるわっていう

から、ここは否定しても良いんだと思うんだけど

(いや創作から否定しても良いんだけど、広くは受け入れられなくね?っていう)

anond:20250402162439

近代都市大阪母体」という条件付きだろ

近代音楽の祖はバッハ」くらいの話だ

2025-04-01

anond:20250331211901

世界的にみると、上位国でアメリカだけ人口が増え続けている。

国の成長において人口増は必要条件

日本戦後経済成長できたのは人口増が主因だし

今の医療費やら高齢化問題人口減が主因。

ポストモダンとか脱近代とか小難しい解釈不要

実態もっとシンプルに「人口増が続いてる限りアメリカ一強の時代は続く」だと思うよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Лучший частный хостинг