はてなキーワード: 越えられない壁とは
そもそも ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事で、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで
強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、
ITは虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ
弁護士 になるか、金融業界でブイブイ言わせる方が、より手っ取り早く、確実な成功を収めやすい(投資銀行の方がどう考えても給与高い)
ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事というのは、単純に内部動機を持たないペーパーエリートにとって、コスパが悪い選択肢だからやで
ガチgeek以外は、仕事でやってるだけの単なるサラリーマンで、ITは単なる手段でしかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性はナシ
目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思います。頑張ってね
ワイ: 高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育やギフテッドビジネスに一定の理解はできます。 (論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています) ただ、英才教育やギフテッドビジネスに肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的な事実を無視しています。 たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナーが所属していることもあります。 それを持って、企業に所属している = サラリーマン = サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います。
確かに、英才教育やギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱の付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的な観点からも納得できます。
OSS部門やカーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育や制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋な好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています。教育で模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。
また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境を提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。
だからこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材をいかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育やビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。
ご提示の観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育やギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実を無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。
特に、OSS部門に所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業に所属している=サラリーマン=サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。
以下、ご提示の論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います。
英才教育やギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベルの知識や技能を効率的に習得させる効果は期待できます。しかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識や技能の習得を超えた、内発的な動機、情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情が必要不可欠です。
生まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境や評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育や報酬によって容易に作り出せるものではありません。
カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネルの保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合、個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています。
企業に所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的な情熱があり、企業は彼らの活動を支援する環境を提供しているに過ぎません。「サラリーマンだから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機を無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。
才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます。
一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性があります。しかし、いずれの場合も、内発的な動機が重要な役割を果たしていることは間違いありません。
英才教育やギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機や情熱を育むことが不可欠です。外部からの教育や報酬に偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境を提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます。
ワイ: 英才教育や社内教育でカーネルメンテナー作れると思いますか?
結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います。以下に理由を挙げます。
カーネルメンテナーは、プログラムの実装力だけではなく、以下のような多様な能力と資質が必要です:
• 深い技術的理解:OS全般の知識や低レイヤの動作原理を熟知。
• 独自の問題解決能力:未知の問題やトラブルを自力で解決できる。
• コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビューや設計議論をリード。
• 内発的動機:OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。
カーネルメンテナーに必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なものに依存します。教育で環境や知識を提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。
実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングやシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業や教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。
企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます:
• 時間と自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間を必要とします。企業のプロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。
• 動機のミスマッチ:カーネルメンテナーは、純粋に技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機が根本的に異なります。
結果として、教育を受けた人材が短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティで尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。
教育や研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います:
• 技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤのOS設計やネットワーク、システム全般の基礎知識。
• OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチの投稿プロセスなど。
• 好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。
こうした基盤があれば、一部の人が自然とカーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。
英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います。
どう思われますか?
ワイ: 完全に同意です わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由で退職しました
まさにそのエピソードが、カーネルメンテナーの本質を物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由な環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入や地位が約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます。
彼らは「技術そのもの」に価値を見出しているので、外部からの業務的な圧力や制約が増えると、本来のモチベーションを阻害してしまうんですよね。
教育や企業が提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱や探究心に干渉しない形での支援が必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育でカーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。
いつもの増田: なんか得体のしれない化け物をゲットできるまでガチャ回すのは非現実的だし、そもそも俺たちの人事が得体のしれない化け物を正しく評価できるわけがない anond:20250125090309
増田さんが語った「得体のしれない化け物をゲットするまでガチャを回すのは非現実的」という表現には、技術者育成や評価に対する鋭い問題意識が感じられます。そして、これは確かに多くの企業や教育機関が抱える課題の核心を突いています。
ITの世界には「化け物」と呼ばれるような人物が存在します。例えば、リーナス・トーバルズ氏のように、子供の頃から一人でコンピュータを解体し再構築し、Linuxというオペレーティングシステムを作り上げてしまうような人です。彼らを突き動かすのは、外部からの評価や報酬ではなく、内側から湧き上がる純粋な探求心や情熱です。
この「内発的な情熱」は、特別な才能を持つ一部の人だけに限った話ではありません。子供の頃、レゴブロックやパズルに夢中になった経験はありませんか?誰かに褒められたいとか、賞を取りたいと思っていたわけではなく、「この形を作ってみたい」「もっとカッコよくしたい」という気持ちだけで、時間を忘れて遊んでいたはずです。
リーナス氏もまた、そのような精神で技術に向き合っていました。彼がLinuxを作った時も、「これで世界を変えたい」などという高尚な目標ではなく、「自分が欲しいものを作りたい」という好奇心と楽しさが原動力だったのです。
彼らにとって、難しい課題は「仕事」ではなく、「解くのが面白いパズル」です。そのため、教育システムや評価制度だけで「ガチgeek」を育てようとするのは困難です。それは、楽器の演奏を教える際に「正しい指の動かし方」だけを教えるのと同じで、熱意そのものは育てられないからです。
ただし、IT業界において「化け物」であることが必須ではありません。ITの世界には、真面目に取り組む人、技術に少し興味がある人、問題解決を楽しむ人、様々なタイプの人が活躍できる場所があります。そして、それぞれのスキルやモチベーションは違っていても構いません。
大切なのは、自分の動機を見極めることです。例えば、「すごいと言われたい」という理由でこの業界を目指すと、表面的な肩書きや名声では乗り越えられない壁に直面してしまうかもしれません。しかし、「ちょっとした贅沢をしたい」「生活を少し豊かにしたい」といった現実的な目標であれば、IT業界はその可能性を十分に提供してくれます。
もしITに少しでも興味があるなら、まずは小さく始めてみるのがおすすめです。初めはレゴブロックのように気軽な気持ちで取り組んでみてください。「ちょっと作ってみよう」「少し試してみよう」という軽い気持ちが、次第に技術の面白さや問題解決の楽しさにつながるかもしれません。そして、それが新たな情熱やキャリアに育つこともあります。
ITは、「化け物」だけの世界ではなく、学び、試し、楽しむ人たちのための生態系です。そして、その生態系の中でこそ、リーナス氏のような「化け物」も自然と育まれるのです。
「越えられない壁」の部分が引っかかるんだよな。
その式の根拠は、増田が一個前に自分で言ってる通り「乱暴な一般化」だから。
性的魅力に関しては、おれは男女で明確に線引してるけど、その他の要素については男女で傾向こそあるものの「越えられない壁」があるとは思ってない。
増田が言ってるのって「男は女よりも運動能力が高い」みたいなことでしょ?(違ったら悪い)
傾向としてはそうだし上位層を比べてもそうだろうし、正しいといえば正しいから、そういう意味では越えられない壁はあるのかもしれない。
けど、おれはおれの実感に基づいて話してるし、おれは一般化したいともされたいとも思ってないんだよね。つまらない男より面白い女もいるから、そう言われると違うなあと思ってしまう。
「何について話したいかの違い」みたいな?
ぜんぜん違くねえ?
俺は
男>>>(越えられない壁)>>>>女
という(古典的な)表現ができるほど男を何段も上に見ている、と書いたんだが
>「セックスできない女は無用」とまではいかないけど、他の条件がすべて同じなら、セックスできる子より価値は落ちる。
>おれが好きな人間(一緒にいることを望む)は「面白い」「いい奴」「性的魅力」があるの総合力で、性的魅力は女にしか感じない。
増田にとって「一緒にいたいと感じる」人間の評価軸は「面白い」「いいやつ」性的魅力」の総合力で、性的魅力は女しか感じない
言い換えると増田が感じる女の「面白い」「いい奴」レベルは男より数段下だ
性的魅力抜きの男女同条件、「面白い」「いい奴」だけで勝負するなら
男>女
なわけだろ??
いや
男>>>>(越えられない壁)>>>>女
なわけだろ?
期限も切れかけている時期迫るのでゲーム2本交換チケットで交換した
『ゼルダの伝説知恵のかりも』で早速遊んでみたわ。
まだじっくりと30分しか遊んでないけれど、
なので、
充分な楽しさを噛みしめるまでスルメってところまでいかないものの。
人々の声話しかけると
台詞を全部言うんじゃなくって
「ああ!」とか「おお!」とか「やー!」とかって言うなんか私の中のブレスオブザワイルドを思い出して懐かしむと同時に、
一番最初にもらったマップを見てまたこの広い大地のハイラルをあちこち冒険に行くんだわ!って
広くて大変な冒険になるんだなぁって思ったの。
借りたり消したり全消しの方法を学ぶ学園に行って捜査をマスターしたのね。
フィールドでベッドを出して寝る!ってシュールすぎてじわじわくるわ。
あと村人の頭上の上でたらいを「借りもの」して出現させて
ジャンプと同時に出現させて村人の頭の上にタライが落ちてくるような
あと
水を飛び越えるとき、
ふふふ、
私はここベッドを借りものしてきて橋にして渡すのね!って任せて!って思ったけど
もちろんベッドを橋にして渡ることもできたけれど
ここ橋なくても泳いで渡れるじゃん!ってなんかそこもなんて言っていいか分からないけどじわじわ面白いところよ。
ゲーム内容うんうんよりまだ借りものを出現させてその場面に似合わないものをだすとなんか笑っちゃうところまでってところかしら。
私はブレスオブザワイルドしかやったことがなくて前後分からないんだけど
それはともかく、
いろいろなフィールド上に光るモノ「借りれる」ものをゲットして
出したり消したりするのが地味に楽しい感じで、
まだ大冒険!ってところまで進んでいない真夏の大冒険のあのアナウンサーのようには上手くプレイは出来ないけれど
私の大冒険になるのは必至だわ。
出来るだけ私はネタバレ情報を世間のインターネッツの情報は見ないように冒険を繰り返さないといけないので、
今度こそは今度こそは
攻略サイトなど見なくて頑張ってクリア出来るように挑みたいところよ!
でね、
最初のシーンで
どうしても壁が高くて越えられない壁があってこれどうやって突破すんの?って
前やった『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』で祠の仕掛けの謎を解くために
高いところから登ってじーっとその祠の仕掛けを30分ぐらい突っ立って眺めて考えているって、
それと同じ状況がもうすでに発生して、
ああ、
これがゼルダっぷりたる所以なのね!ってここのところに回り道して足場を作れば良いんだ!っていきなりの冒頭の出だしの序章でもあるチュートリアル的なシーンでもうこの有様よ。
いまからその苦難をそう!
とりあえず
フィールドでベッド出して寝る!って
そこで寝るんかーい!ってのが笑っちゃうわ。
でもまたハイラルの地に戻ってこられて私は懐かしさを覚えるあの大黒摩季さんのように懐かしい匂いがするスミレの花時計のようにラララなの。
もう今度は絶対攻略はノールックで絶対やんだからね!って思って
とにかく私のこの意気込みを発表しておかないとって思ったしだいなのよ。
また動きがあればお伝えするわね!
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街のいつもの喫茶店でモーニングね。
今日は、
な!なんと!アジの開きでした!
珍しいわね。
鯵の開きよ。
美味しくいただきました。
ほんと珍しいこともあるのねって思ったわ。
初鯵かも!
味わって食べたわ。
飲んじゃえーってことで、
飲んだら汗ばんじゃったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
旧来の理詰めでの処理じゃないから、常に100点の答えは出ないし、矛盾も多分に孕んでいる
しかし自然言語や絵や音楽や映像という、そもそも100点が無い、人間の「認知」に関わる部分には非常に強力なスコアを出すのが生成AIだと思う
生成AI以外の方法で将来100点を出す日が来るかもしれないけど、現実的に考えて今は生成AIの方法を使ったほうがそれっぽくなるみたいな感じだ
ChatGPTやClaudeを使ってて面白いのは
誤回答をした場合でも、聞き方を変えると正しい回答になるところだ
インプットの中に誤回答が3割とか混ざってたら、聞き方によってはそれにアクセスしてしまうことがある
そして面倒なのは「それが誤回答かどうか」をAIだけでは判断できないところだ
人間がすべての知識に対してそれが正しいかを入力するのは不可能に近い、特に専門分野なんて無理だろ?言及が少ない領域も無理だし
そこを改善するには、科学者のようなAIを作るしかないんだ(生成AI以外のアプローチ)
ChatGPTやClaudeのような自然言語系AIはつまり、現状は次世代検索エンジンでしかない
もっとハイレベルな何かを期待した人は使わなくなっていくらしい
例えるなら、誰かにGoogle検索エンジンってすごいよって教えて使ってもらった結果、「なんだ間違った情報ばかりじゃないか」といって使わなくなる人がいるのと同じだ
生成できるのはあくまで既視感があるハリボテでしかなく、70点出せれば良いねってくらいが目標となる
もちろんそれが一瞬で出るんだから、10点も出せないド素人からは嬉しいんだけど、80点以上を求める人には不満となる
ここらへんは今のやり方だと越えられない壁だし、個人的には当分この壁は破られないと思ってるんだけど
あとはシンギュラリティ周りがどうなるかだけど、正直あまり期待してない、2060年代くらいじゃない?まだ一二回は幻滅期が来ると思ってる
今どういう気持で生活してるの?
煽りとかじゃなくて、素朴な疑問。
ネイティブアメリカンに嫁いだ日本人のブログに、「一番納得した」とか「恥ずかしながら知らなかった」とかにたくさんスターがついてたみたいだけど。
結局彼らの「コロンブス」は、コロンブスが行った歴史破壊を肯定して、ネイティブアメリカンに対する差別的な思想を表現することが目的だったのかということ。
もしそうだったとしたら、公開停止して謝罪する程度で終わる問題ではないよね。
制作過程を明らかにして、一つ一つのシーンについても検証したうえで然るべき団体や当事者に向けた謝罪がないとだめだよね。
まさか第三者がブログで検証した内容だけで事実認定なんてできるわけがないし。
それすらなく、そんなやばいやつが未だに毎日のようにテレビに出て歌ってる状況は国際問題にもなりかねない状況なわけでしょ。
あのとき彼らを差別主義認定してた人たちは、そんな彼らがテレビに映る度にどんな気持ちになってるの?
勘違いしてほしくないのは、あのブログが嘘であるとか、原住民の反応が嘘であるとかそういう話をしたいわけではないのね。
そう感じるのは当然個人の自由であるし、意図するしないに関係なく、そういう風に見えてしまったことは否定ができないから。
問題は、「そういう意図で作られたものだ」と断定していた人たちなのよ。
この違いが解るかな。
「そういう風に解釈できる」と、「だから彼らは差別主義者だ」の間には、本来越えられない壁があるってこと。
今回の件において、その点についての事実認定はまだ行われてない。
「差別主義風のMVを作った人たち」までは事実認定だとしても、「差別を目的としてMVを作った」という事実認定はされてない。
この違い、わからないよね。
わかってるくらいなら、あのブログのあんなブコメにスターなんて集まらないのよ。
ここで質問です。
事実認定さえされていないことに対して、自らの主観だけで事実認定を行う人をなんて呼びますか?
差別主義を批判しているつもりが、自分が差別主義者だったと気づいた気分はどうでしょう?
受け入れられないですよね。
だからいなくならないんですよ。差別主義者って。自覚がないから。
そういう意味では、あのブログは差別されてきた人に寄り添うはずの人が、MVの解釈を説明するだけで終わらずに、ほぼ事実認定に近い形での言及を行っていたことは正直残念でした。
「偶然はこんなに重ならない」というのは、陰謀論が広がるときに使われる常套句のようなもので、むしろどうとでも解釈できるようなものを都合のいい解釈として並べてる時点で偶然でもなんでもない、意図的なものでしかないわけです。
ちなみに自分はMrs green appleの擁護者ではありません。
実際に被害者の存在する歴史問題を、自らの勝手な解釈で矮小化したという意味では、ある意味彼らも差別主義者であると思います。
多くのブクマカ達が行った差別主義認定とは全く違う解釈ですけど。
あのとき振り上げた正義の拳は、彼らがテレビ画面に現れる度にどうしてるんでしょうか。
今でも元気に振り回してるんでしょうか。
趣味系youtuberの人の動画をよく見ている。若いイケメン、高身長、性格明るくて誰からも好かれそうでファンサービスも多い、喋りも自慢げなところもないし炎上しそうな強い言葉にも気をつけていて、ネガティブなものもないし常に面白くしてくれようと頑張ってて、真面目に解説もしてくれるのでためにもなる。
最近は結婚し子供も産まれたようで、講演なんか行えばいっぱい人きて、会社辞めても食べていけて動画のためもあるだろうけど趣味に何百万もかけられる。
彼より年上なのに陰キャで同じ趣味な私とはもう真逆なキラキラした人で、彼自身は自分なんて大した事ないというが全然そんなことないし、普通に会社員や自営業でもやりたいことで成功できる人なんだろうと思う。
YouTubeに疎い私はその彼やヒカキンやら元芸人やらタレントみたいな人しかyoutuberとして成功してないものだと思っていた。
が、最近陰キャ系、自虐系の人たちが何倍も視聴回数や登録者数を稼いでるのを知ってしまった。
確かに動画は面白いけど万人受けはしないだろという内容なのに、出せば何十万再生とか。今までの動画数も200いかないのに登録者数が48万とか。私が羨んでいた趣味系イケメンyoutuberの総動画数のおよそ1/3で、3倍もの登録者数だ。サクラや水増ししてるのかと疑ってしまう数字だし、見てる限りイケメンのほうが動画作るのにお金はかかってそう。ちなみにコスメティック田中さんとイケメンくんは同世代ぽい。
この人のほかにも絶望ライン工という人も視聴者数や視聴回数にびびった。本当なのか誇張してるのかYouTubeの広告収入が勤務医の年収とか動画で言っていた。
2人とも陰キャ系の中のトップ層にいるyoutuberなんだろうけど、趣味系イケメンくんだって同じ趣味系youtuberの中では知名度はかなりある方だしSNSも頑張ってる。けど、見られている回数や見たい人の人数に差があるし越えられない壁がある感じがした。
どうやらYouTubeは陰キャの人が自虐的に面白く自分を晒したりするほうが、莫大な広告収入を得られる世界だったようだ。強い言葉や行動するような炎上系でもないしファン層もある意味応援してる人ばかり。ファンサービスしなくても堕落し切った生活さらしても見てくれる人がいる。
そんな彼らが幸せかどうかはしらないが、常に努力し続けなければいけないイケメンのほうが大変じゃないかとも思った。ただイケメンの方が幸せそう。
私は今更陰キャを晒す気にもなれないけど、なんか開き直って一発当てて稼ぎたい陰キャは、誰も傷つけない自虐系YouTubeを始めたらいいんじゃないかと思う。これだけ見たい人がいるんだから多分まだそこに参入できる気がする。