はてなキーワード: 費用対効果とは
このような組織でしばしば議論にあげられるのは「エンジニアの(責務|目標設定)として事業KPIを設定すべきか否か」である。
ここで言う事業KPIというのは売上であったり、会員獲得数、LTV(ないしは Churn)、GMV、などである。
答えはNOだ。事業KPIをエンジニアに設定するならば、むしろプロダクトマネージャーや部長はなんの責務を追うのだろうか、という話である。
そしてこういった議論で話がよくおざなりになっているのが「アプリケーションの品質」「価値の提供速度」である。
アプリケーションの品質が高くなければ不具合や仕様が満たされていないときに、手戻りが発生するし、結果としてKPIに反映されない。
価値の提供速度が遅ければ、PoCに時間がかかるだろうし、KPIにもヒットしないわけである。
これらを高めるために技術選定があるし、リファクタリングを定期的に行って安定的なサービス供給をしていく必要があるし、テストも書くべきなのである。
人を投下すればこれらの問題が解決すると考えている部長級の人間が多いが、それでは経営観点から合理性が低い。
本来部長職ともなれば、P/L責任を一般的に負うわけだが、人を増やすことにより原価ないしは固定費増は事業の利益を圧迫するだけである。
つまり、必要最小限の人数で最大限の価値を出せる組織にする、いわゆる費用対効果を高めることも、ある種部長の仕事であるのだ。
まあ、落ち着けよ。
開幕から一週間。案の定、ネットや一部メディアは大阪万博のネガティブキャンペーンで盛り上がってるな。「行列が酷い」「運営がグダグダ」「飯が高い」「コンテンツがしょぼい」…。うん、まあ、そういう声があるのは知ってる。
でも、ちょっと待ってほしい。本当にそれだけで万博全体を「失敗」と断じるのは、あまりにも早計だし、感情的すぎやしないか? 開幕直後の混乱なんて、これだけの規模の国際イベントなら「想定内」の範疇だろう。むしろ、一週間経って見えてきたポジティブな側面や、長期的な視点も踏まえて、もう少し冷静に評価すべきじゃないかと思うんだ。
まず大前提として、これだけの規模のイベントで、開幕当初に全くトラブルがないなんてあり得ない。オリンピックだって、過去の万博だって、人気のテーマパークのオープン時だって、大なり小なり混乱はつきものだ。重要なのは、そのトラブルに対して運営がどう対応し、改善していくかだろう。
「行列が酷い」というが、それは裏を返せば「それだけ注目度と人気が高い」ということの証左でもある。もちろん、快適性の改善は必須だが、ネガティブな側面だけを切り取るのはフェアじゃない。この一週間で、すでに行列対策や案内表示の改善が進んでいるという話も聞く。現場は必死に対応しているはずだ。
万博の価値は、開幕一週間のオペレーションだけで測れるものじゃない。各パビリオンが提示する未来へのビジョン、そこで展示されている最新技術、国際交流の促進、そして将来へのレガシー。これらが本質的な価値のはずだ。
今はまだ「どこが混んでる」「どこが空いてる」みたいな短期的な情報に目が行きがちだが、実際に訪れた人からは「〇〇館の展示は未来を感じて凄かった」「海外パビリオンの文化交流が面白い」といったポジティブな声も確実に上がっている。メディアが報じない(あるいは報じにくい)だけで、体験価値の高さを感じている人は少なくないはずだ。
今の批判って、本当に「万博」そのものへの批判なのか? それとも、単に現政権や特定の団体への不満をぶつけるための格好のターゲットにされているだけじゃないか?
もちろん、正当な批判や改善要求は必要だ。でも、中には「万博」というだけで脊髄反射的に叩いているような意見も散見される。ロジカルな批判と、感情的なレッテル貼りは分けて考えるべきだ。特に、まだ実際に訪れてもいないのに、伝聞情報だけで全体を否定するのはアンフェアだろう。
「税金の無駄遣い」「経済効果なんてない」という意見も根強い。確かに、巨額の費用がかかっているのは事実だ。しかし、これも短期的なコストだけで判断すべきではない。
万博は、未来への投資という側面が大きい。ここで披露された技術が将来の産業を育てたり、国際的な日本のプレゼンスを高めたり、あるいは子供たちに夢や刺激を与えたりすることの価値は、すぐには金額換算できない。費用対効果を問うなら、数十年単位の長期的なスパンで見る必要がある。
開幕一週間の時点で、大阪万博を「失敗」と断じるのは、あまりにも視野が狭いと言わざるを得ない。初期の混乱や問題点を指摘し、改善を求める声は重要だ。しかし、それと同時に、この大規模イベントが持つ潜在的な価値や、長期的な視点、そして実際に現場で生まれているポジティブな体験にも目を向けるべきだ。
どうせ叩くなら、もう少し建設的に、そして実際に体験してから評価しても遅くはないんじゃないか? 俺は、まだこの万博の可能性を信じたいと思っているよ。
反論: 「開催できたこと自体が成功」とするのは、評価基準が極めて主観的です。国際博覧会(万博)は国際的な交流、イノベーションの発信、地域経済の活性化といった多目的のもとに開催されるイベントであり、「開催した」だけでなく、その社会的・経済的な波及効果によって評価されるべきです。
開催したという事実だけで評価を完結させるのは、事業効果の検証責任を放棄することになります。
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反論: その通りであり、だからこそ厳密な成果検証と説明責任が求められるのです。
公共事業が税金でまかなわれていることを理由に「どうでもいい」「どうせ回収できている」とするのは本末転倒です。むしろ税金で賄われているからこそ、透明性・費用対効果・市民の納得感が重要になります。
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反論: この主張には陰謀論的要素と侮蔑的言辞が混ざっており、社会的議論の土俵に乗せにくいものです。確かに、公共事業に利権構造や不透明な資金流用が指摘されるケースは過去にもあります。しかし、それは事実に基づいて個別に検証すべき問題であり、「すべての公共事業はキックバック目的」とするのは根拠のない一般化です。
また、納税者を「愚民」と呼ぶことは公共議論の質を著しく損ないます。民主主義社会では、市民が政策や公共事業の在り方を判断し、批判・提案を行うことが健全なプロセスです。
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■ 論点4:「持ち出し金なんて全部payできてる」
反論: 現時点で、万博関連費用(会場整備費・運営費・インフラ整備費など)のすべてが回収できているという公式な会計報告や第三者検証は存在しません。むしろ、一部費用の増額や追加支出(パビリオン建設支援など)が報道されており、収支の透明性は今後の大きな論点です。
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総合的に見ると:
この投稿は皮肉や怒りの感情が強く、万博に対する不信感が現れています。しかし、公共事業である以上、事実とデータに基づいて冷静に議論しなければなりません。「成功か否か」「税金の使い道」「収支の妥当性」「利権の有無」――これらは全て、感情ではなく客観的検証と市民的な議論によって判断されるべきです。
Aさん「一般的にコスパ=楽しみって捉え方ではないけど大丈夫? 費用対効果、効率を求めるって考え方だけど理解できる?」
Bさん「楽しみのための効率だぞ 経済学で「効率」っていったら無差別曲線分析するだろ そこで使われるのは「効用」つまり個人の満足度だから」
どちらが正しい?
Bさんの言い分の方が経済学的には正しいです。
「コスパ」は一般的に「費用対効果」「効率」を求める考え方であり、「楽しみ(効用)」とは別物である。
「効率」とは何かを考える際、経済学では「無差別曲線」を使い、「効用(個人の満足度)」を最大化することが重要である。よって、「楽しみのための効率」という考え方も十分に成り立つ。
経済学的な観点では、「コスパ」は単なる金銭的な費用対効果だけでなく、個人の満足度(効用)を最大化するための効率として考えられます。
つまり、Bさんの言う「楽しみのための効率」という考え方は、経済学的に正当な主張です。
一方、Aさんの「一般的な意味でのコスパ」として「費用対効果=楽しみとは違う」という主張も、日常会話のレベルでは理解できるものの、経済学的な厳密な定義には合致しません。
たしかに凄いけど日本で言ってるのがしょぼスタートアップとかであんま現実味ない
確かに安価でコード補完からデプロイ、資料まで作ってくれるけど今日ですらスクリプト書く側がlpic、ccna、基本情報でも持って無きゃ低レベル壁打ちにしかならない
当たり前だが大企業だとセキュリティやプライバシー費用対効果で判断の後に限定的な公開から始まるのでうまく行かない
基礎知識のない奴が見てくれだけのサービスを公開していくのかと思うと怖い
AIマンセーしてる人に質問したらマジで知らなくて途中からAIに聴きながらの会話になったのを見て書いた。
あとローコードツールとノーコードツールはほぼ死滅しそう。組み込みコパイロットの性能の悪さもあるけどAI作業の恩恵一番受けないわ
ジークアクス未見です
噂話で勝手に憶測するにジーク・アクシズのもじりで、地球の重力に囚われちゃう富野本流路線でなく木星圏、
なんならその先まで太陽系に生存権を拡大した人類みたいなバリエーションなのかなと
なので、そういう前提で書いてます
シャリアブルって富野由悠季展なんかでも晒されてた制作前準備ノート(展覧会の図録で読めます)では、本来、
どうもアムロの敵側メンターみたいな立ち位置の、終盤のすごい重要な人物ぽかったんだけども
監督自身はその制作前のプランにけっこう拘りがあって、小説で未練をぶちまけてたり、
ゼータガンダムの話の流れが(準備期間がなかったのもあり)そのガンダム制作前準備ノートの章立てに準じてたりしてて、
たぶんシロッコって人格者シャリアブルの反転させたイメージで造形してったんだろうなあ、と想像するんだけども
そんなシャリアブルおじさん
今になって下の世代に担ぎ上げられて出てくる理由はなんなのかなと
ニュータイプ、人類の未来への希望をつなぐ役、だったんだろうシャリアブルおじさんが
打ち切りの都合とはいえガンダム本編ではシャリアブルは脇に追いやられ、映画ではカットされ、
その後のニュータイプなんて単なる戦争の道具だった、未来への希望だなんて幻想だった、
ていう流れの遠因にもなったとこを今さらのように補修して、本編の方向をいったん捨てたいのかな
なんて
アクシズを地球に落とすのでなく、アクシズを人類の宇宙進出の希望へと昇華する、という意味をこめての、
20世紀のガンダムは、科学技術自体は無限に発展し続けると無謬として信じられてた一方で、
世紀末であるとか、環境破壊であるとか、行き過ぎた科学が人間性の大切なとこを見失わせてしまう、みたいな気分を前提にして、そこをドラマの拠り所にしてたと思うんだけども
技術の発展は思ったほどには順調ではなく、
20世紀なら青天井までは行かなくとも研究資金はきちんと調達させるイメージがあったのが、今は費用対効果を強く求められ、
人口は増え続けて地球はパンクしちゃうはずが、多くの国で高齢化に悩むようになり
つまり、ガンダム初代が前提としてた時代背景は、もう、だいぶ古臭い
じゃあガンダムのその後のいろんな展開は時代を反映してるのかというと、
そもそも作ってる人たち富野さんほどSF大好きじゃないし人類の未来にもあんま興味ないので、
ニュータイプとは、とか、人類の未来とは、みたいはことは誰も大して気にしてない
そんななかシャリアブルおじさんを出すということは、人類の未来をちょっとは気にしよう、という気になったのかしら?
でも、いまどき、SFをふりかざすのって、どうしたって全体主義的な色彩を帯びずにはいられないはずなんだけども
(実際、楽観的未来論をふりかざすテックな人たちの未来像って無邪気なまでに全体主義で、シャリアブルじゃなくシロッコになっちゃう)
そのへん、どう捉えてんのかな
未見でいろいろ垂れ流してみました
まぁ、普通に考えたらそうだけどね。
費用対効果の話しよ。
かりに『影響無い』なんてことはなく、しっかりと売上が落ちたとしても
あと、どんな成長企業も、テレビCM一切関係無しに成長してる事を忘れてない?
データは無いけど99%の企業がテレビCM無しに、テレビCM打てるくらいまで成長してんだよね。
逆にテレビCMで成長した企業ってあんま聞かない(無くは無いんだろうね、多分)
テレビがない頃から大企業はあるし、時代が変わったとか言っても古代ローマや古代エジプトから大して人類進歩してないので、テレビCM無くてもどうにかなる、って考える方が普通だとは思うんよね。
福岡市では、福岡商工会議所が中心となって「福岡城の天守閣復元事業」を推進しているのだけど、これがまあ寂しい話なんですね。
史実に沿わない天守閣を作って観光資源にするのは、さすがに拝金が過ぎるですね。
どうせファンタジー天守閣を作るんなら、ハローマックみたいな西洋風の物見台を作った方がウソってはっきり分かって誠実じゃないですかね?
これらの問題点を踏まえ、福岡城の天守閣復元事業は慎重に進める必要があります。つーか中止すべきっちゃなかと?
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なぜなら、以前からテレビ広告費は、費用対効果が悪く、広告主からしたら、代理店との付き合いで出し続けることも良しとせず、いつ辞めるか考えていたところに、相手が勝手にコケたので、これ幸いとして今回の件を理由に引き上げた。と考えられる。
誤報関係なく、性加害の相談が会社にあったにも関わらず、その対処をせず、加害者を積極的に使い続けた。という1点だけで、十分だと思われる。
その会見を非公開としたことで、何か隠しているんじゃないかと疑われたので、フジが勝手にコケたということで。
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以下、補足。
・一報のあとに加害者から直接誘われたという一文を読めば、A氏が直接関与なしは、この時点で気が付く。会見前のかなり前の時点で、広告主も気が付かないわけもなし。
・文春の報道がなければ会見なし。会見ナシなら広告費を失わなかった!ということは成立しない。最終的に会見をするしないはフジが決め、そしてコケたこと。