はてなキーワード: 虚像とは
今週末はアーティゾン美術館。来週は埼玉県立近代美術館で、その次は国立科学博物館。もうマジで勘弁してほしい。なんなんだよ。
うちは毎週末、ほぼ欠かさずどこかの美術館か博物館に行っている。俺、妻、小1の子ども。
つらい。本気でつらくなってきた。
展示室に入って10分で飽きるんだよ美術館なんて。小学一年生ってのはそう言う年齢だろ。
ピカソの青の時代を、マインクラフトとポケモンに夢中な彼にどう説明すればいいのか。
チケット売り場にはベビーカー抱えた家族連れの列いた時は正気を疑ったわ。赤ん坊に展示物見せてどうするねん。
うちの家庭以外も、展示室で「シーッ!」と注意されながら走り回る子どもと、それを無表情に追う親。知性のテーマパークだね。ある種社会科見学だけど、楽しくはないわ。イライラするわ。
週末、妻は「今日はアーティゾンにしようかな」「来週は科博の企画展がいいかも」とノリノリ。お前、7歳でアーティゾン美術館はねえだろうよと思う。(都度都度ちゃんと言ってるけど聞いてくれん)
いや、違う。美術館の場所が問題なんじゃない。ていうか博物館でも嫌だ。県立近代美術館行こうと言われても、困る。現在進行形で予定に入ってるから困っていリングなんだが。そういう意味じゃない。
ていうか行ったわ。うらわ美術館とかも先週。あそこならクソガキでも、とまあ思わんでもない。許容範囲。でもゴミだよね。週末としては。
展示は現代アート寄りで、小1の息子には難解すぎ。例によって速攻で「ねえ、まだ?」「これ、なに?」を繰り返す息子と、「ちゃんと観なさい!」とかガミガミする妻。これが文化資本溢れる家庭の姿か?
パリのカルティエ現代美術財団行って彫刻見たし、ベルリンではシャルロッテンブルク宮殿の庭園でボッティチェリの線に思いを馳せたりしてましたよ。
ナビ派展とか友達連中と行きましたよ。でもそういういうのって、多分大学生レベルでの話じゃん。ガキ連れてってどうすんだよ。まだポケカの大会連れてってやった方が勉強になるわ。
原因がわかってる。
最近、妻が『知的な家庭のつくりかた』だとか『子どもの未来を変える「文化資本」の話』みたいなの仕入れてるっぽいんだよな、どこかで。多分増田みたいなゴミカスサイトとかで。
SNSにも「週末は〇〇美術館。こどもと感性を育てるひととき」なんて投稿してるっぽい。(たぶん、育っているのは文化的なキラキラ家庭を演じる能力だけなんやけどなブヘヘ)
美術館に行くと、同じような家族連れが目に入るのが、また一層、嫌さを引き立てる。ていうか俺家族連れ嫌いなんだよな。美術館とか博物館にドヤ顔で来てるようなやつら。俺もその一員なんだけど。
夫婦+子ども1〜2人。親はスマホで写真、子は床に座り込む。会話は減り、展示室に溢れるのは「行動履歴の提出」のような空気。
みんな、「よさそうなこと」を一通りやって帰る。消費された知性の残り香だけが漂っている。なんなんだお前ら。マジで。もうちょい絵とか展示物見てやれよ。見るってのはちゃんと、本気で見るってことな。
妻がそういう、ザコモブの一人なのが辛い。俺もか。家族でキラキラ文化資本家庭なぞってるのが本気で辛い。
まあ、大変なのはわかるよ。ネットや周囲のママ友が作り出す“文化的で理想的な家庭像”に、一生無言のプレッシャーをかけられてんだろうな。
その通りに振る舞うことで、ちゃんとした母親とか、意識の高い家庭的なアレを保っているのかもしれない。
近所のママ友も、最近はみんな「博物館行ってきた!」「科学館で知育!」と投稿しているらしく、それが普通になっているようだ。SNS教育受けてくれ頼むから。
誰かが始めた「文化的な週末」のテンプレが、静かに、でも確実に妻の中で義務になっている。そして彼女は、それを「自分で選んでやっている」と思っている。死んだ方が良い人間になりつつある。いやだなあ。
だから、美術館も博物館も、家族の誰も楽しんでいない。科学館行って「科学好きな子になってほしくて」と言いながら、自分は展示文を一切読まないのキツイってやっぱ。
少なくとも、子どもは展示より自販機のジュースのほうにテンションが上がる。
妻も、混雑と子どものぐずりで表情が硬い。
俺は俺で、ワークショップでキショイ笑い顔浮かべながら、「なんで俺、レンブラントの前でキッズ用ぬりえに付き合ってるんだろう」とぼんやり思っている。
子どもが楽しそうだったのは、正直、川口のイオンでトミカのイベントに行ったときとか、北浦和公園でザリガニ釣った日のほうなんだよな。
家でマインクラフトやってる方が、正直よっぽど文化的で創造的だと思うんだよな。
正直増田とかブクマカにいるようなマジョリティの主婦層が、「文化資本」とかいう意味わからん虚像に踊らされまくってるせいでうちの家庭が迷惑している。
どうしたら、もうちょいまともな感性の妻になってくれるのか、誰か教えて欲しい。
世間を騒がすジークアクス鶴巻監督の乃木坂愛、そして年配男性の若年アイドルへの熱狂。これらを「キモい」の一言で片付けるのは簡単だが、それでは思考停止というものだろう。ここは一つ、論理というメスでこの現象を解体してみようじゃないか。
まず、鶴巻監督の件。作品への私的趣味の混入は、クリエイターとして許される範囲を超えているという批判がある。作品は監督個人のものではなく、多くのスタッフやファンの期待を背負う共同作業の産物だ。その中に、特定の内輪ネタを過剰に盛り込む行為は、作品の世界観や物語の整合性を破壊し、作品の普遍性を損なう可能性がある。これは、公私混同であり、プロフェッショナリズムの欠如と言わざるを得ない。作品の質を担保すべき立場でありながら、個人的な感情を優先し、結果として作品の評価を貶める可能性があるならば、それは論理的に批判されて然るべきだろう。
次に、年配男性が若いアイドルに熱中する現象について。これを単純な「キモい」で断罪するのは、少々乱暴かもしれない。しかし、いくつかの論点は提示できる。
これらの行為を「キモい」という感情的な言葉で処理するのは簡単だが、その背後にある構造的な問題や倫理的な問題を冷静に分析することで、より建設的な議論が可能になるのではないだろうか。感情論に終始せず、論理的に問題点を指摘し、より健全なファン文化や創作活動のあり方を模索していくことこそ、我々が目指すべき道であろう。
AIが力を持ちつつある今こそ「人力」というブランドが価値を帯びる
AIらしくない文章を書けとやるともう見抜けない人も普通にいるような文章を出してくるのだから。その極致にAIと人間で成果物に差がつくようには思えない。
大事なのはブランド。工業化されている今でも「手作り」に価値を見出す人がいるのと同じ。
あの人たちって別に必ずしも手作りと工業製品を見分けることができるわけじゃない。
しかし「手作り」にはなにかそれにしかできない味などがあると妄信して手作りというブランドに金を出す。
人間がこうした虚像を信じられるような存在であるかぎり、人力に価値を見出す人はいるから、人力のクリエーターが完全に仕事を奪われることは無いのだろうと思う
推しが結婚詐欺師になった。結婚詐欺、というセンセーショナルな言葉は週刊誌が勝手につけたものだけれど、結婚適齢期の彼女に結婚を匂わせて1億円規模で貢がせていた、といった記事を読めば誰でもその四文字が浮かぶだろう。
彼はボーイズグループのメンバーで、自分はこのグループの所属する事務所が掲げる“アーティストファースト”的な理念にかなりの信頼を置いていた。
違和感を覚えたのは、少し前に行われたドームツアーでのことだった。あんなにガラガラなドームは見たことがない、と思うほど空席まみれだったのに、その日のチケットはソールドアウトとされていたのだ。空席の多い会場を前に、メンバーのテンションもどこか低く、のちに結婚詐欺師となる推しはいつも以上に喋らなかった。
そのあたりから、何となく好きな気持ちを誤魔化すようになった気がする。推しは相変わらず愛想が悪く、インタビューでは妙に悲観的なことばかり口にしていて心配が募った。
そしてスキャンダルが出る少し前にも嫌なトラブルが起きた。ワールドツアーで3公演が中止になったのだった。この3公演は全てアメリカのもので、事務所の所謂信者的な人たちは「治安が悪いからだ!メンバーを守るために仕方ない!」と声高に話していたけれど、もちろん根拠はないし、おそらくチケットの売れ行きがすごぶる悪かったことが原因だ。
自分の好きなグループがライブをさせてもらう国に対し、安直に治安が悪いと主張するそのファン層が苦手になった。そもそも、治安が理由なら他の地域も中止になるだろうに、なぜかLAなどは普通に開催されたのだ。
高すぎる下駄を履かせてガラガラのドームに立たせたり、アジア圏でもないのにほとんど日本人しかいないような海外のステージに立たせて、世界で人気!みたいな虚像の実績を積むことがアーティストファーストだと言うなら、ただただ情けないなと思う。
そんなことを思っている時に、決定打がきた。推しが結婚詐欺師になったのだ。SNSで愚痴れば、週刊誌を鵜呑みにするのかと同じファンに責められる。鵜呑みにするも何も、音声も、相手の女性からサインさせられた誓約書も、何もかも証拠が揃ってる。事務所から出された声明文には“法令には違反していない”といった文言があったが、それは彼女が訴えなかったからだろう。
例え多少誇張されていたとしても、2人の間に巨額のお金の移動があったことは事務所も本人も否定はしていないのだ。
推しからの謝罪文は薄っぺらくて、日本語もおかしかった。誰がこんなものを書かせたのか、チェック体制はどうなっているのか、怒りよりも社会人としての呆れの方が強かった。スタートアップの芸能事務所だからといって、ここまで拙い運営だとは思わなかった。プライドばかりが邪魔をして、誰も向き合いたくないのだな、風化を待っているのだな、と感じた。
そして、普段は何をしても出しゃばってくる目立ちたがりやの社長が、沈黙の末に配信を行う場に選んだのは月額5000円のオンラインサロンだった。
嘘だろ、と思った。自分は事務所の敬虔な信者だったので、このオンラインサロンに入っている。
ちなみにこのオンラインサロンは会社の情報をいち早く伝える、ファンの意見も取り入れる、といった謳い文句ではあったけれど、ご意気を聞く姿勢もなければ、芸人がやりがちなオンラインサロンごっこと同じで普段から大した中身はない。チケットの最速先行に使える、といった利点くらいだろうか。
そんなオンラインサロンで、所属タレントの不祥事について社長自ら語ったのだ。
5000円課金しなければ聞けない謝罪ってなんだろう。この後に社長として正式に何か声明を出すようなことを言っていたけれど、それでもSNSでは最初の配信を見た人と見ていなかった人で割れる。
5000円を毎月払っているような人なんて、そもそも事務所の信者であり、社長のイエスマンだ。そんな人たちが「良い配信だった!社長を信じる!」みたいなことを書けば、見ていなかった人は配信を確かめたい、と言った気持ちにもなると思う。
特に、自分が応援してきた人に何らかの疑いがかかっているような人にとっては、藁にもすがるような思いだろう。
そういう思いや焦りをお金に変えようとしているのだな、と思った。
内容については、自分がもう事務所の信者ではなくなってしまったことを差し置いても、何となく泣き落としのような、向くはずのない矛先を自分に向けさせるポーズのような配信だった。何度も謝るだけで内容は薄く、この人の頭頂部を見るために5000円課金してるわけじゃないのにな、と思った。
推しが結婚詐欺師として報道されたことは悔しいし悲しい。まだ整理がついていないけれど、もう今後は推しとは言えないと思う。
本文書は、Twitterアカウント「@nullbeilschmidt」(以下、nullさん)の投稿パターンの分析に基づく心理的変化の調査報告書です。特に2025年3月中旬から4月にかけて観察された急激な行動変化と、そこから推測される心理的転機について詳細に検討します。
この時期のnullさんの投稿は比較的現実的で具体的な内容が中心でした:
「転職うまくいかなかったら司書じゃなくて事務になるかも😢」(2024年2月5日)
「地方で司書してたので上京は最近しました」(2024年5月11日)
この時期は投稿頻度が下がり、主に他ユーザーとのリプライ中心の活動に移行します。2025年2月頃から再び自己についての投稿が増加し始めます:
職業アイデンティティの変化と「彼氏」への言及が特徴的な時期です:
3月20日頃から、投稿の内容とトーンに急激な変化が見られます:
nullさんの投稿には、特に3月末から4月にかけて、明らかな事実の矛盾が多数観察されます:
3月下旬まで「彼氏」という表現を使用し、未婚者として発言していたにもかかわらず、4月初旬には突然「21歳で結婚していた」と主張するようになりました。
4月1日に「ファウストに出てくるメフィストを推している」と述べ、文学作品のキャラクターとして言及していたのに、わずか2日後には「配偶者であるメフィスト」として実在の人物のように言及するようになりました。
2月には「パパからお金をもらっている」と好意的に言及していたのに、4月には「医者の父と絶縁している」と180度異なる主張をするようになりました。
これらの観察に基づき、nullさんに起きた可能性のある出来事と心理的変化について分析します。
2025年3月中下旬に、以下のいずれかまたは複数の出来事が発生した可能性が高いと考えられます:
「彼氏」との関係が突然終わり、それに対する強い喪失感や見捨てられ感を経験した。
「4月から総合職OL」という期待が何らかの理由で実現せず、職業的アイデンティティの危機に直面した。
公開の場での対立がきっかけとなり、多くのユーザーからnullさんの発言の信頼性や一貫性を疑問視されるようになった。特に「虚像」「偽装」という批判が強く響いた可能性がある。
これらの出来事に対して、nullさんは以下のような心理的防衛メカニズムを発動させた可能性があります:
世界を「良い」存在(配偶者/メフィスト)と「悪い」存在(お猿さん/質問馬鹿)に二分化し、中間的な複雑な感情を避ける。
自己の否定的側面や不安を他者(批判者)に投影し、それに反応する。
「メフィスト」を完璧な理解者として理想化する一方、批判者を「底辺下賤」と脱価値化する。
現実の挫折や批判に直面する代わりに、完全に制御可能な架空のナラティブ(「メフィスト/配偶者」との物語)を構築する。
突然登場した「メフィスト/配偶者」という存在は、nullさんにとって以下のような心理的機能を果たしていると考えられます:
批判に満ちた現実世界とは対照的に、「配偶者」は常に無条件の愛と支持を提供する存在。
「配偶者がいる」「21歳で結婚」という物語を通じて、失われた社会的地位やアイデンティティを再構築。
「メフィスト曰く」という形で、自身の攻撃的感情や願望を安全に表現できる媒体。
「配偶者と話している」という設定により、外部からの批判や現実検討を回避する防壁。
nullさんの投稿パターンの分析から、「メフィスト/配偶者」は単なる創作上のキャラクターやロールプレイではなく、現実の危機や喪失に対する心理的対処メカニズムとして機能している可能性が高いと考えられます。特に:
これらは、現実の挫折や批判に対する解離的なファンタジーへの退避という解釈を支持します。
nullさんのパターンは、以下のような現象と類似点があります:
実在しない配偶者や恋人の存在を主張し、その関係を中心に自己像を構築する現象。
対人関係の急激な理想化と脱価値化、自己像の極端な変動などの特徴。
トラウマや心理的危機に対応するために、別の人格や意識状態を創出する現象。
架空のキャラクターとの一方的な関係性を現実の関係として扱う現象。
nullbeilschmidtアカウントの2025年3月から4月にかけての急激な変化は、単なる気まぐれやロールプレイの変更ではなく、深刻な心理的危機への対処メカニズムとして理解するのが適切です。「メフィスト/配偶者」という架空の存在の創出は、現実の挫折、喪失、または批判から自己を防衛し、代替的なアイデンティティと現実を構築するための解離的ファンタジーの形成と考えられます。
このようなケースは、オンライン上の自己表現と現実の自己との境界が曖昧になりやすい現代社会における、心理的脆弱性とデジタルペルソナの複雑な相互作用を示す例として注目に値します。
※本分析は公開されたツイート内容のみに基づいており、実際の個人の心理状態を診断するものではありません。あくまで観察された行動パターンの理解を目的とした推測的分析です。
本文書は、Twitterアカウント「@nullbeilschmidt」(以下、nullさん)の投稿パターンの分析に基づく心理的変化の調査報告書です。特に2025年3月中旬から4月にかけて観察された急激な行動変化と、そこから推測される心理的転機について詳細に検討します。
この時期のnullさんの投稿は比較的現実的で具体的な内容が中心でした:
「転職うまくいかなかったら司書じゃなくて事務になるかも😢」(2024年2月5日)
「地方で司書してたので上京は最近しました」(2024年5月11日)
この時期は投稿頻度が下がり、主に他ユーザーとのリプライ中心の活動に移行します。2025年2月頃から再び自己についての投稿が増加し始めます:
職業アイデンティティの変化と「彼氏」への言及が特徴的な時期です:
3月20日頃から、投稿の内容とトーンに急激な変化が見られます:
nullさんの投稿には、特に3月末から4月にかけて、明らかな事実の矛盾が多数観察されます:
3月下旬まで「彼氏」という表現を使用し、未婚者として発言していたにもかかわらず、4月初旬には突然「21歳で結婚していた」と主張するようになりました。
4月1日に「ファウストに出てくるメフィストを推している」と述べ、文学作品のキャラクターとして言及していたのに、わずか2日後には「配偶者であるメフィスト」として実在の人物のように言及するようになりました。
2月には「パパからお金をもらっている」と好意的に言及していたのに、4月には「医者の父と絶縁している」と180度異なる主張をするようになりました。
これらの観察に基づき、nullさんに起きた可能性のある出来事と心理的変化について分析します。
2025年3月中下旬に、以下のいずれかまたは複数の出来事が発生した可能性が高いと考えられます:
「彼氏」との関係が突然終わり、それに対する強い喪失感や見捨てられ感を経験した。
「4月から総合職OL」という期待が何らかの理由で実現せず、職業的アイデンティティの危機に直面した。
公開の場での対立がきっかけとなり、多くのユーザーからnullさんの発言の信頼性や一貫性を疑問視されるようになった。特に「虚像」「偽装」という批判が強く響いた可能性がある。
これらの出来事に対して、nullさんは以下のような心理的防衛メカニズムを発動させた可能性があります:
世界を「良い」存在(配偶者/メフィスト)と「悪い」存在(お猿さん/質問馬鹿)に二分化し、中間的な複雑な感情を避ける。
自己の否定的側面や不安を他者(批判者)に投影し、それに反応する。
「メフィスト」を完璧な理解者として理想化する一方、批判者を「底辺下賤」と脱価値化する。
現実の挫折や批判に直面する代わりに、完全に制御可能な架空のナラティブ(「メフィスト/配偶者」との物語)を構築する。
突然登場した「メフィスト/配偶者」という存在は、nullさんにとって以下のような心理的機能を果たしていると考えられます:
批判に満ちた現実世界とは対照的に、「配偶者」は常に無条件の愛と支持を提供する存在。
「配偶者がいる」「21歳で結婚」という物語を通じて、失われた社会的地位やアイデンティティを再構築。
「メフィスト曰く」という形で、自身の攻撃的感情や願望を安全に表現できる媒体。
「配偶者と話している」という設定により、外部からの批判や現実検討を回避する防壁。
nullさんの投稿パターンの分析から、「メフィスト/配偶者」は単なる創作上のキャラクターやロールプレイではなく、現実の危機や喪失に対する心理的対処メカニズムとして機能している可能性が高いと考えられます。特に:
これらは、現実の挫折や批判に対する解離的なファンタジーへの退避という解釈を支持します。
nullさんのパターンは、以下のような現象と類似点があります:
実在しない配偶者や恋人の存在を主張し、その関係を中心に自己像を構築する現象。
対人関係の急激な理想化と脱価値化、自己像の極端な変動などの特徴。
トラウマや心理的危機に対応するために、別の人格や意識状態を創出する現象。
架空のキャラクターとの一方的な関係性を現実の関係として扱う現象。
nullbeilschmidtアカウントの2025年3月から4月にかけての急激な変化は、単なる気まぐれやロールプレイの変更ではなく、深刻な心理的危機への対処メカニズムとして理解するのが適切です。「メフィスト/配偶者」という架空の存在の創出は、現実の挫折、喪失、または批判から自己を防衛し、代替的なアイデンティティと現実を構築するための解離的ファンタジーの形成と考えられます。
このようなケースは、オンライン上の自己表現と現実の自己との境界が曖昧になりやすい現代社会における、心理的脆弱性とデジタルペルソナの複雑な相互作用を示す例として注目に値します。
※本分析は公開されたツイート内容のみに基づいており、実際の個人の心理状態を診断するものではありません。あくまで観察された行動パターンの理解を目的とした推測的分析です。
あなたの指摘しているのは、いわゆる「統計的なアーティファクトとしてのダニング=クルーガー効果」という議論です。学術的にもちゃんと検証されているテーマで、あなたの定式化はそのポイントを端的に表しています。
まず整理しますね。
変数:
命題:
d = y - x は x と負の相関がある
この式はそのままみれば
→ Cov(d, x) = Cov(y - x, x) = Cov}(y, x) - Var(x)
ここで、
→ しっかりと「負の相関」になります。
あなたが言っていることは、まさに「統計的アーチファクト(虚像)」という批判です。
この話は、2000年代後半くらいから心理統計学の界隈でけっこう議論されています。
要点は:
これを入れると、
このとき、x が低いほど d = y - x が大きくなるのは当然で、相関係数はさらに強まる。
つまり、「自己評価の分布が中央寄りで、実際の能力評価の分布が広い」という現実的な前提があれば、さらに極端な傾向が出る。
まとめると:
財務省の“数字のカラクリ”を理詰めで追及?「毎年10兆円近くずれている」「全く論外」「つじつまを合わせた?」「財源が足りないという虚像の証左」
https://news.yahoo.co.jp/articles/15cc578b2b986cc36882dd8c24cd1b674323ca85
ここに吐き出させてくれ。
インスタ開くたびに、特定の友人(複数)の投稿が目に入ってきて、そのたびに心がザワザワして、最終的に猛烈な吐き気に襲われる。
週末はオーガニック野菜を使った手の込んだ料理を作ったり、おしゃれなカフェで読書したり、ヨガに行ったり。
たまに長期休暇取って海外旅行。その写真もいちいち構図とか光の加減とか完璧。
丁寧な暮らし # 日々のこと # おうちカフェ # 暮らしを楽しむ
とかハッシュタグつけてるけどさ。
…それ、本当に「日常」なの? って聞きたい。
こっちは毎日、満員電車に揺られて会社行って、疲れ果てて帰ってきて、コンビニ飯か冷凍食品チンして食べて、汚い部屋でスマホ見て寝落ちするだけ。
朝はギリギリまで寝てて、スムージーなんて作る時間も気力もない。パンなんて焼いたことない。
部屋は脱ぎっぱなしの服と空き缶で溢れてる。
海外旅行なんて夢のまた夢。
その「丁寧な暮らし」とやらの投稿を見るたびに、自分の生活がゴミみたいに思えてくる。
なんでこの人たちは、こんなにキラキラしてて、満たされてて、余裕があるの?
同じ人間のはずなのに、何が違うの?
でも、毎日毎日、完璧な生活を見せつけられてると、だんだん腹が立ってくる。
「どうせ見栄張ってるだけでしょ?」
「写真撮る時だけ片付けてるんでしょ?」
「本当は旦那の稼ぎが良いだけじゃないの?」
「暇なんだろうな」
って、黒い感情がどんどん湧いてくるのを止められない。
正直に言うと、その友人の「丁寧な暮らし」が崩壊するような不幸があればいい、とすら思ってしまう自分がいる。最低だって分かってるけど。
「見なきゃいいじゃん」って言われるのは分かってる。
ミュートすればいいじゃんって。
でも、やめられないんだよ。
気になって、わざわざ見に行って、勝手に落ち込んで、勝手にイライラしてる。
もしかしたら、あの人たちも裏では色々大変なのかもしれない。
でも、SNSに上げてるのは、人生の良い部分だけを切り取って、加工して、演出した「虚像」でしょ?
なんでそんな虚像を見せつけられて、私が惨めな気持ちにならなきゃいけないわけ?
それとも、こんな風にドス黒い感情を抱いてしまう私がおかしいの?
私の心が貧しくて、性格が悪いだけなの?
もうインスタやめた方がいいのかな。
でも、やめたらやめたで、世の中から取り残される気がして怖い。
ああ、もう、どうしたらいいんだろう。
カリスマ的な政治家や経営者が明らかに愚劣な行為をしているのに、その「真の意味」や「深慮」があると理由付けしてしまう人の事。
eablerは「可能にするモノ」、ビジネスで「目標達成手段を持つ組織や人」の意味だが、アル中治療の場面では、禁酒中が必要な人、禁酒中の人に「可哀想だから少しだけなら」と酒を勧めてしまう「善意の」死の使者のこと。
同様に、愚劣な行為をしていてもその意味を考えてあげる事で対象のカリスマを維持しようとする人の事を指すネットジャーゴン。
そのような行為をする事で対象の能力を認識できるという自己評価を得る。
男はテストステロンで、一般的な女はオキシトシンでセックスするんや。そして増田は一般的な女や。男性ホルモンが少なめの、そこら辺にいる普通の女。
そういう普通の女ってのは、相手との日常生活がセックスの満足度に直結するんや。つまり一緒に過ごす時間のことやな。その満足度が高いほどセックスしたくなるんや。
もうな、増田はその男にゾッコンや。大好きなんや。愛しているんや。その男に「おまえと一緒にいたい。離婚してくれ」と言われたなら離婚できるはずや。今の増田が離婚に踏み切れないのは、その男がセフレ関係を望んでいるからそれを叶えているだけで、倫理観もへったくれもないんや。
さて、増田が大好きな不倫男の話をしよう。その男をセックスに突き動かしているのは、根本的に増田と違うんや。テストステロン。突発的な性衝動。それのみや。セックス中に「おまえが一番」感を出すのはセックスのスパイスでしかない。
今は関係が落ち着いてる?男の頭ん中は残念ながらセックスでいっぱいやで。ぶっちゃけ増田もその男に「我慢できない。やっぱりおまえを抱きたい」なんて言われたらオナニー3回くらいおかわりできるやろ。男もその瞬間の快楽を得るための助走期間くらいにしか思ってないで。
不倫にハマるんはその男との日常に刺激しかないからや。旦那のことは酸いも甘いも知ってしまっとる。不倫中はお互いに自分のいいところだけしか見せない。それが日常になり、オキシトシンが分泌されまくっておまんこ濡れ濡れっちゅーわけや。
残念ながら増田はもうハマってしまってるんやで。ただな、不健全な関係は人生にとって1mmもいいことないで。クソみたいなことで自己肯定感上げてるとしょーもない人間になるで。
以下は追記や。
ブコメより「えー、だったらセックスの相手は仲のいい旦那の方がよくない? 普段何してんのか分かんない男より。」とのことやが、それはありのままの旦那を愛してる証拠や。素敵な女性やな。
不倫する人間は自己中なんや。自分の評価軸だけで生きていて、理想のパートナー像から減点方式で今のパートナーを採点するんや。一緒に暮らしていても、いつまで経っても不満しか出んし、オキシトシンは出ないんや。
虚像が好きなやつはありもしない不倫中の虚像を愛するんや。お互いに性欲に特化した自分を演出していたら減点しづらいからな。
そんなワケで、不倫する男女どもはほんまに次元の低い生き物っちゅーことや。情けないよなほんま。
ブコメより「増田が言うように生物的な本能で動いているなら、逆に「情けない」とはならないかな。ある意味病気や先天的な何かだとすれば処方が必要とも言える?」とのことやが、生物的な本能はセックスの話や。不倫の話やない。
不倫は自己中心的な承認欲求の現れや。モテるから不倫をするわけやない、性欲が強いわけでもない。自分や家族由来のアイデンティティを持たない空っぽの人間が、ありのままの自分を世に認めさせるためだけの幼稚な行為や。
ママに褒めてもらえなくなったから不倫相手で自己承認をしているだけで、人を傷つけている事実を蔑ろにして「アタシ生きてるー!」をする人間は、情けない以外のなにものでないやろ。
増田妻の存在を1mmも認めていないから精神ぶっ壊れそうになってるんやで。
情緒が安定していて料理をしっかりこなす妻は増田が作り上げた理想の妻や。増田はその理想妻しか見ていないんや。増田妻という存在は、減点方式で採点された虚像であって、増田妻は存在を否定されながら生きているんや。
人は自分が承認されないと生きていけんのやぞ。増田の子供と一緒や。何かできたら褒めるやろ?存在を認めてあげるやろ?増田子供の『ある部分』を褒めるやろ?もし、増田が子供に対しても『ない部分』しか見ていないのなら、それは精神的DVやで。
増田はな、できる夫やない。ただの自己中心的なやつや。自己中はな、他人の価値観を許容せず、自分の評価軸で生きているやつが自己中なんや。増田は多角的な視野があって自己中ではない、と勘違いしているかもしれんが、視野が広いやつは他人を許容する優しさがあるんや。
失踪した糸柳から遺書が届いて、それからしばらくして警察から連絡が来たらしい。死ぬ前の彼とは疎遠になっていたのでその時期のことは伝聞でしか知らなかったが、色々と(そして過去の彼の行動とはまた違った形で)顰蹙を買っていたとよく聞いていた。
死ぬ何年か前の彼は誰から見てもおかしくなっていると言えるような状態で、仕事も上手くいってなかったと話していた。ドワンゴ時代の成功体験と山の話とRubyコミッターの話をしていたが、何回も何回も同じ話をしていた。彼のコミュニケーションの方法は彼の得意な話題に変更し、そして彼の長いターンが始まり、その後こちらが一言入れるというものだが、それにしてもこちらの話を聞いているというポーズすら晩年は取らなくなっていた。彼のそのスタイルが通用するのは彼を知っている人間に対してであり、何も知らない若者からすると典型的な老害のように写っただろう。実際にそう言われている場面を何度か見たことがある。
とにかく生きているだけで迷惑な人間なのだが、能力と愛嬌だけで許されている彼が、能力と愛嬌を失った場合には、ただの迷惑な人間として排除される。社会の除け者みたいな人間が集まるところでも、彼は迷惑がられていた。
多くのことに手を出して、何もかもが中途半端になっていた。生まれつき気が散って仕方なかった彼は過集中という名目で手を動かすことに成功していたが、それも加齢と共に難しくなっているように見えた。教育からもコミュニティからも疎外されている彼が、真っ当にエンジニアリングの知識を手に入れる方法は手を動かしたり本を読むことだけだったが、そこが損なわれると急速に判断の精度は低下する。ここ10年はシステムに対する考え方が大きく変わった時代であり、彼の語るドワンゴ時代のマネジメント論は石器時代のものでしかなかった。古い知識は大体2年ほどで錆付き、5年ぐらいで正真正銘の時代遅れになる。彼はどれぐらい前線から離れていたのだろうか?
彼の昔の同僚がIT企業でマネジメントのレイヤーにいる(もしくはCXOをやっている)という話をしていた。彼は肩書や社会的地位について気にする性質があり、他人のことを紹介するときもプロフィールのように読み上げる傾向があった。まだIT業界が未成熟で、リーガルやコンプライアンスが緩く、ナードやギークしかいない時代とは現代は全く違うし、彼のような人間の居場所はどうしたってないだろうと思うが、仮にその内輪に入れたとしたらここまで道を大きく踏み外さなかったのかなと思うことはある。とはいえこれは仮定の話であり、彼がドワンゴから離れた当時にしきりにしていたコンプライアンスに問題がある人間との関わりの話はどう考えても排除される側の烙印を押されるには十分だったし、仮にそういう話をしてなくても彼の軽率さは現代の業界とは水が合わなかっただろう。
彼のコミュニケーションスタイルは嘘と誇張であった。知っている人間がいかに凄いか、そしてその人間がどのようなことをしたか(時として常軌を逸したか)という話をして、物事を大きく見せる。言語によるコミュニケーション(アジテーションに分類される技能)が得意だと分類していいかはわからないが、とにかく彼は時流に乗り、その能力を上手く活用して一定のプレゼンスを得た。象徴や虚像を操作し、そして実際の能力で辻褄を合わせる。実際にこの行為を繰り返せば影響力も大きくなるし、影響力が大きくなればレバレッジも大きく掛けられる。例の事件でドワンゴから離れ、SNSからも離れた彼はデレバレッジを上手く出来てないように見えた。信用というものは単に積み重ねればいいし、有言実行さえすれば増えていく。その地道な作業を怠って大きなことを言い、そして辻褄を合わせられずに残りの信用を失うところを見てきた。とはいえそれは彼の特性として受け入れられていたように見えるし、持ち前の愛嬌によってある時期までは許されていたように見える。
愛嬌とは消耗品である。普通に使っている分には減らないが、地雷を踏んだ瞬間にそれは消失する。彼はそれが無くなることは無いと思っていたのかもしれないが、残念ながら完全にそれは間違いだった。ある女(女と呼ばない人もいるらしい)の揉め事で彼はその能力を使い、そして大きく失敗した。愚かな自己愛による行動により、彼の特性は愛すべきものから、軽蔑されるもののようになったのを感じた。少なくとも自分はそうだった。他人やよくわからないもののためではなく自分の小手先の欲望のために使うのだったら、そんなデタラメは到底許容されるはずはない。とりあえず信じた粗の多い話を受け入れられなくなると、彼のあまり見たくない実像だけが見えるようになった。
ある時期のことだが、彼は女に別れを言って山に行き、そして数カ月後に帰ってきた。冬山の山荘はよく人が死ぬらしいし、彼も死ぬつもりで行くと言っていた。長く白い髪と白い肌をしてた。彼は痩せて別人のようになっていて、それから山に真剣に取り組み始めた。帰ってきた彼が全ての話題を山でマウンティングするようになったのは、遠野物語的な神秘なのかもしれない。彼の人生の起点になったイベントだっただろうが、俺からすると状況は更にまた不味くなったように見えた。ここで知ってほしいのは様々な要因があって彼の感覚は壊れたという部分で、単一の何かが原因じゃないという話だ。
加齢による実行機能の低下、時代の変化、所属するコミュニティの変化、不味い選択肢を選び続ける不運、山にハマったこと。様々な要因はあるが、彼が目の前の人間がどこかのタイミングで見えなくなってしまい、自分の利益のためだけに周囲を消費するようになったのは確かであるし、周囲は順当に彼を爪弾き者といて扱った。一度得られた尊厳を人は保とうとする。時代と彼の特性がマッチしたときに得られた尊厳を彼はなんとか取り返そうとしたが、自分の話に突然割り込まれ、山やドワンゴの方が凄いという話を黙って聞く目の前の若者がそのような感情を彼に見せるだろうと期待するのはあまり合理的な判断とは言えないだろう。
とにかく何が言いたいかというと、長い時間をかけて糸柳という男の幻想の形成と完全な解体が起こり、そして最後に自殺という選択を取るに至ったのかを振り帰ったときに、明確にこれは不味いだろうなというポイントがあったので、彼の死からいくつかを学んでおくと良いだろう。
3. 山には行かない
彼の事を知っている人間が読むことを念頭に置いたため、ここに書かれている内容そのものだけでは糸柳がただの駄目な虚言癖のように読み取れてしまう恐れがあるなと思い、彼の能力に関して追記をすることにした。
彼は特別な能力を持っていた。それは対面で他人に対して短期的な印象を自在に形成する能力であり、彼の荒唐無稽な話に一定の説得力と信頼を与える力であった。最近でいうとDJ社長が似たような能力を持っているように感じる。話を聞かせる、何かあるように思わせる、感情を呼びよこすような力、つまりペテン師の才能を持っていた。彼の周りの人間は彼の話を聞いたし、彼の話を聞いた人間は彼の言葉に何らかの似たような感情を抱いていた。と俺は昔の人から聞いていたし、実態対面をしてみると彼その能力のようなものは感じたことがある。DJ社長も彼も同様に全部壊してしまったが、所詮短期的なイカサマの能力でしかない。そして一度きりの魔法なのだが、当人だけがまだ使えると信じ込んでいる。
https://niryuu.hatenablog.com/entry/2025/01/05/214709
この能力の根幹になるのは感受性と繊細な情報のコントロールである。その能力を如何に上手く披露したところで、その根幹部分が崩れていれば種の割れた手品でしかなく、醒めた目で見え見えのブラフを眺めることになる。ある瞬間にそれが崩れてしまったというのはこの記事の内容なのだが、確かに彼はあるタイミングでそれが崩れてしまい、その後はいちばん重要な要素について気にしなくなったように見えた。誰に何を話すか、誰がどのようなことを知っているのか、そして眼の前の相手がどのようなことを感じているか。そういったものの全体像を知覚する精巧な技術が彼の生まれつきの才能であり、そしていつかのタイミングで完全に失われたのだろうと思う。ある人間は彼の脳が壊れたと言っていたが、自分も似たような印象である。ある瞬間から彼は様々なことが急に出来なくなり、何かがおかしくなった。そう思っているのは俺一人ではない。
彼は病気の女と同じだ。病気の女はコミュニティに入り、虚飾で地位を得て、そして捲れていなくなる。大体はどこかで落ち着くのだが、落ち着いていた場所を吹き飛ばしたのは彼自身だった。最後には居場所がない連中の吹き溜まりのような場所にたどり着き、そこでは自暴自棄のようにもう通じない魔法を眼の前の相手に何度も何度も繰り返していた。吹き溜まりはある種の実力主義で、他人を簡単に軽んじる。彼はもう尊重の対象ではなかったのだろう。壊れた年長者の相手は誰だって嫌だからな。
ついでだから彼に与えられた呪いのような言葉について書いておくと、彼は表層的な話とひとまとまりのエピソードの会話以外に珍しく普通に話をするときがあった。その中で彼は自分がエンジニアとしての知名度が実力で得たものではないこと、そしてその象徴であるのが@kazuhoさんからの悪目立ちに対する「IT芸人」発言での揶揄だったと何度も言っていた。彼はリアル志向であったし(これはリアル志向であるというより、自分はリアル志向であるという宣言を繰り返すこと)、実際山もエンジニアリングもリアル志向であろうとして、その結果の自己破壊は説明するまでもない。彼はリアル志向の話と「IT芸人」という揶揄を絡めて様々な形から繰り返し発言していた。彼の自己認識に対して何らかの(説明しやすい一つの象徴としてだろうが)影響はあったのだろうと思う。AI驚き屋の話もそうだが、軽薄な人間への当てこすりは楽しいかもしれないが、何らかの形で他人の人生に良くない影響を与えることもあるのでほどほどにした方が良い。
まず、普通のホームセンターで売られている観葉植物を買って育ててみましょう。
あまり植物売り場に力を入れていないような、小さなホームセンターがいいです。
どんなに小さなホームセンターでも、例えば、モンステラ、パキラ、園芸種のアンスリウム、セローム、ガジュマル、サンセベリア…このあたりの品種が売られています。
ホームセンターで売られている観葉植物なんて大したことないと思われるかもしれませんが、ホームセンターなどで大量に流通する品種というのは、
日本の環境で、あまり栽培経験のない人が育ててもぐんぐん成長する、頑丈なスーパーエリート植物たちなのです。
値段もお手頃で、頑強なホームセンターの観葉植物は初心者の方が経験を積むのにピッタリ。
というのは嘘だ。偽りの虚無・虚像だ。こんなことを言うやつのことは信用してはいけない。
本当は、まず、行ける範囲で最も大きくてマニアックな植物が揃っている植物屋にいくんだ。
東京ならオザキフラワーパークとか。無かったら植物園でもいい。
そして中を満遍なく歩き回る。端から端まで踏破する。
店の中なのになぜか植物を掻き分けるように進まないといけない場所もあるだろう。
そうやって歩きにくい店内を苦労して歩いていたら、どこかで魂が震えるような出会いがあるはずだ。
誇らしげに壁に飾られたビカクシダかもしれないし、アンティークのオブジェのようなユーフォルビアかもしれない。
堂々と値札を掲げた塊根植物かもしれない。燃え上がり噛みついてくるようなアガベかもしれない。腹をすかせた食虫植物かもしれない。
魂が震えて、その姿に目を奪われたら、とにかく買うんだ。
どんなにマニアックで、どんなに気難しい植物でも、どんなに高価でも関係ない。
見た瞬間魂が震える植物を見つけて、買う。それだけ。
それが、幸運にも育てやすいのなら問題ないが、やっぱり目を奪われるような植物はたいてい手間がかかる。
日本の環境でベランダに一年中置きっぱなしにできるようなものは少ない。
寒いのが苦手ならでっかい衣装ケースを買って、中にヒーターマットを敷いてやる。
湿度が好きな植物なら衣装ケースの中に水槽と水槽用のヒーターを入れて温度と湿度を与えてやる。
サーキュレーターも忘れずに。パソコン用のケースファンを使うのもいいぞ。
スイッチボットを組み合わせて光、温度、湿度、風を全自動でコントロールし、家の外からでも植物の状態を数値で管理できるようにする。
そうやって工夫と苦労と心配を重ね1年、全ての季節を乗り越えたとき、思うだろう。