はてなキーワード: 虐待とは
本当は女性に愛されたいのに、それができないからペットで代替している。本当は子供を持ちたいのに、それができないからペットで庇護欲を誤魔化している。
本来その男の体力というのは、子を育てて社会を作るために使われるべきものであるはずなのに、その責務から逃れて社会に何の還元も行わず、女性にも認めてもらえないがために、ペットでその矮小な自我を慰めているわけだ。
ペットからすれば飼育者に見放されたら最後、虐待されるか死ぬしかないために必死に媚びるしかないが、独身男はそのペットの必死のアピールを見て、自分は愛されている愛される価値があるのだという自慰欲求を満たしている。
お前は断じて何ら認められてなどいない。
子殺しちゃう母親って結局、子宮恋愛の結果がバレそうになっただけって聞いたけど、それマジでわかりみしかない。
産後うつとか言ってるの完全に嘘、そんな都合いいもの存在しないっての、笑っちゃう。
子宮恋愛してできた子なんて、どう見ても顔が違うとかバレバレになる前に処理するのは当然でしょ。
後始末できないなら最初から子宮恋愛するなって話だけど、しちゃったもんは仕方ないんだから、一番マシな選択するしかないじゃん。
泣き声とかも全部自分の秘密を暴露する時限爆弾みたいに聞こえちゃって、そりゃあもう早く片付けちゃわなきゃって思うのは当然。
duckt 「私がトチ狂って子供を虐待しそうになったらちゃんと離婚して子供守ってね」これはもう脅迫では。そういう可能性もあるというのと、それをわざわざ口にするのは全然意味が違うでしょ。まあお互い別れてよかったよ。
[名](スル)
1 相手にあることをさせようと、おどしつけること。「人質を取って—する」「—状」「—電話」
2 刑法上、他人に恐怖心を生じさせる目的で害を加えることを通告すること。民法上の強迫に対応。
何がどう当てはまって脅迫なの?
できるなら産んでもいい、できないなら産めない、それだけじゃん。
結婚や出産を無条件で幸せなもの、相手も望んでいるものってことにしておいた方が気が楽なのはわかるけど、現実問題そうはいかない時代なのよ。
核家族化・共働き化・不景気が進んだこの時代に親が1人になっても子供を守り続ける覚悟を持つのは大変なことだけど、できないなら子供を望むべきではない。
この書き込みにはいくつかの問題があります。以下にファクトチェックとともに論点を分けて検討します。
- 母親:50〜60%
- 父親:30〜40%
この書き込みは感情的・決めつけ的で、**事実に基づかない偏見を含んでいます**。特に「99.99%父親のせい」といった数字や、「すべてお前の瑕疵だ」といった断定は、正確な社会理解の妨げになります。
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産めば育てられるは普通に育てられた人間の話。毒親持ち虐待経験ありには無理なんだよ、深いデカいトラウマと直結してんだから。無責任にそういう事を言う人間は育てるのが辛くなっても誰も助けてはくれない。
「俺は子供が欲しくないので、どうしても俺と結婚して子供が欲しいならメインの世話は君にやってもらう。俺がもし子供を虐待するような親になったら離婚して絶対に子供を俺から引き離してくれ。子育てに専念したいなら仕事は辞めてもいい。無理なら俺とは別れて別の人を探してくれ」
何も変なこと言ってないと思うけど。
むしろこんなこと言われながら、子供も欲しいし別れたくないとか言って引き留めてる方が頭おかしくね? 子供欲しいなら別れて子供欲しい異性探した方が良くね?
それでもどうしても、ただ子供が欲しいわけじゃなくて「こういうこと言ってる男の子供」が欲しいなら「わかった、育児はまかせて。虐待なんてことが起きないように頑張るけど、もしものことがあっても絶対に子供は守るから心配しないで」って肚括るしかないでしょ。
変な言い方だけど生育環境に恵まれなくて子供欲しくないと思ってる人って、子供が欲しくないくせに子供を大事にして欲しいのよ。自分は大事にできないだろうから欲しくない、ってところにも通じる話だけど。
だから「子供欲しいって割には子供を大事にする気がみじんも見られねえな、子供を育てるって想像力全くねえな」って相手には容赦がなくなるわけ。まだ生まれてもいない仮定の子供であってもね。多分その向こうに自分のクソ親を見るんだろうね。
私は猫が大好きだ。とてもかわいいからだ。Xのおすすめに出てくるかわいい猫の画像を見て毎日大喜びしている。
しかし私は猫を飼いたくない。きちんと世話ができないと思う。ペット可の住居に住めるような経済的甲斐性もない。ズボラだから掃除もろくにせず家が毛だらけで臭くなると思う。心が弱いので猫の欲しがるままにあげてはいけない食べ物を与え寿命を縮めてしまうと思う。ブラッシングをちゃんとやらずみすぼらしい身なりにさせてしまうと思う。甘やかしてしまってろくに躾もできないと思う。だから飼わない。
私は猫を愛しているが、猫を欲しいとは思わないし、高確率できちんと世話できない。だから飼わない。それが私なりの猫の愛し方である。
みんなこう書けば理解してくれると思う。
ところがこの対象がヒトの子供となっただけで人間は簡単にバグってしまうのだ。
子供を好きな人は子供を欲しがるしきちんと世話できる。子供が嫌いな人は子供を欲しがらないしきちんと世話もできない。そのどちらかだと思っている。
だからバグった人間は子供を欲しくない人間を説得して欲しい気にさせたら愛情も抱くしきちんと子育てもすると勘違いしている。
いま現在子供をきちんと世話できていない(ように見える)親は全員子を持つべきでなかった親の欠陥品で、子に対する愛情もまがいものだと勘違いしている。
実際は逆なのだ。子供を過去から現在に至るまでずっと愛していて、欲しくて作ったのに、子育ての環境に疲弊してきちんと子育てできなくなってしまう例の方がずっと多いのだ。
ブラック企業で不眠不休で働かされたりパワハラを受けまくって脳みそが壊れてしまう人のことは理解できても子育てで脳が壊れてしまう人の存在は理解できないのだ。
(だってきちんとお世話できなかったってことは子供を愛してなかったってことでしょ?)
子育ての当事者たる親すらバグっていたりする。「自分は子供を愛しているし欲しくて作ったのできちんと子育てをできている/いた」と勘違いしていたりする。当の子供にとって全くそうではなくても。
子育ての当事者であった子供もバグっていたりする。「うちの親は自分の面倒をきちんと見てくれたので、自分を欲しくて作ったし愛してくれているはずだ」と。
子供にそう聞かれたら、まともな親は内心がどうであれその通りだと答えるしかないだろう。
しかし本当のところは親本人以外の誰にもわからない。愛しているのにきちんと世話をしなかったり、愛していないのにきちんと世話をしたり、欲しくて作ったのに虐待したり、欲しくないのにできてしまった割には大事に育てたりしているので他人にはわからない。
もし私の同居家族の誰かが猫を飼いたがったとして、私は前述の理由で猫を飼う事を拒否するだろう。
「ペット可の家に引っ越して、不自由のないように自分でお世話ができるならいいよ。私にはそんな家を借りるお金がないし面倒もみられない。私がやる羽目になったら猫を汚い家でほったらかしにして躾もろくにせず早死にさせてしまうと思う」と理由を言うだろう。
ペットを飼うなら当然の心構えだろうし猫を飼っている皆さんだって賛成してくれるだろう。飼うならば猫が死ぬ最期の時まで、介護まで含めて世話できないなら飼わないのがルールだ。
ところがこれがヒトの子となると多くの人がバグり、私の発言は猫を汚い家で躾もろくにせず虐待死させる旨の犯行予告だと読み違えられる。
私は同居家族に対する愛情の欠けた人でなしで、異常かつ極端な発言をする人でなしで、猫を愛する資格もない人間失格の人でなしとみなされる。
ヒトの命は猫のそれと同じかより重いはずだろうに、ヒトの命の方が猫の命よりも軽率に扱う事を是とされるのもおかしな話だと思うのだが、どういうわけかそういう事にはならない。
子供が好きで、子供が欲しいし、子供をきちんと世話できると思うなら何よりだ。時に誰かに頼るのも大いに良い。よい親子関係を築いて欲しい。
子供が嫌いだから子供を欲しくないし、きちんと世話をできるとも思っていない。それも何よりだ。無理に子供を作って互いに不幸になることはない。
こういう例はわかりやすいのでまだいい。
子供好きで子供が欲しいというのになぜか世話は他人にやらせる前提でいることも、
子供が嫌いで子供を欲しくないのになぜか産んで世話をちゃんとしろと強要されることも、
子供好きで子供を欲しくて授かったのに世話をきちんとできずに苦しむことも、
子供が嫌いなのに子供を授かってしまってまともに世話もせず子供を苦しめることも、
子供を欲しくて授かったのだから自分はきちんとした親だと勘違いしていることも、
タイトルに書いた3つの要素は全部独立した別々の事例なのに、そこに都合よく連動を見出してバグることこそが不幸の源なのだ。
自分は子供を愛せるか。愛しているか。自分は子供を欲しいか。自分は子供をきちんと世話できると思うか。できていると思うか。
その独立した3つの項目と向き合うのは人が親となる前提条件ではないか、そうでない人間に親となる資格があるものかと考えていたこともある。
そうでない人間がいまだ世に多いことは別段驚きではない。昔はそんな人間ばかりだった。そんな人間でも親となるのが半ば義務であった。
というかこれ、1行目と2行目で既に矛盾してるんだよね
「私が仕事するから」ってのは、夫と子供、最低2人の人生を背負って立つ覚悟を決めますという宣言のはずなんだけど
その次の行でいきなり子供を虐待するかもとかちゃんと離婚してねとか、他責丸出しの卑怯な言葉が出てくるんだよね
自分が金を稼ぐ役割を担当しますって宣言になにも重さがないんだわ
反省してほしい
今回の事件で児童たちが心にどんな深い傷を負ったか(暴力的なシーンを見せることすら虐待なのに)、
鼻骨を骨折した教師もこの先仕事は続けられるだろうか、といった想像力が働かないタイプか?
普通の少年時代を送り、普通の大人になれば、子供への加害がいかに罪深いかわかるはずだし、
現場の教師がいまどんなに過酷な状況で働いているかニュースなんかで知っているはずだよな?
それでもなおいじめの方が罪が重いというのか?学校という場所に刻まれたダメージを考えると、正直二年生の子供のいじめなんかどうでも良いね。
ハッキリ言う、比較するとどうでもよくなる。事件への怒りが先立つのが普通だよ。まだ「いじめの被害者とその親の気持ち」を考える人はバランス感覚が完全にくるってるよ。
増田がいじめを受けた過去があって、相談した学校からひどい扱いを受けたというならまた違うかもしれないけど。でもその認識はは自分のトラウマを投影していて歪んでいる。特殊な例であると自覚してくれ。
というより「私がトチ狂って子供を虐待しそうになったら」って言ったのも大きかったのではないですか?
育児を抱えてしまい育児負担から子どもを虐待するとかそういう事件があるけど、今回の例のように育児するつもりもない、まだ生まれてもいないのに
「私がトチ狂って子供を虐待しそうになったら」なんて言い出したらびっくりするし、「強い拒絶かまたは嫌味か?」と思われても仕方ないかと。
あと育児って本来は一人でするものではなくてみんなで協力してするものなのですが、彼がメインで育児する前提というのが認められるなら、彼女がメインで育児する前提も認められてしまうことになりませんか?
これって大変に思うんですが。
https://megalodon.jp/2025-0502-1331-34/https://anond.hatelabo.jp:443/20250501173341
黙って増田から消した卑怯者を許すな、弁明なく逃げたクズを許すな
ここで弁明せよ、もしくは同僚へ謝罪せよ
ブコメが「ヤバいのは70代以上」とか言ってるけど、40、50台ぐらいは自分たちがヤバい自覚のない連中が多いんだよね。
例えばベジタリアンやヴィーガンに対しても大学生ぐらいの子は非常に寛容だよ。そういう価値観あるよね、私は真似できないけど地球環境考えてもいいことだと思う、みたいな意見の子は結構多い(当然だが全員ではない)。
ところが40、50台ぐらいは「栄養が偏る、子どもにするのは虐待」 「植物だって生きてる」 「他人の食生活に口出すな」 「肉を食べないなんて人生損してる」 「虫は殺していいの?」 みたいに、その人の価値観を認めず否定しようとする人がにかく多い。