はてなキーワード: 腐れ縁とは
37歳、独身、中間管理職、都心部マンション住まい………しかし芋!という私に彼氏ができた。
超イケててスケベでそれでいて私に夢中な年下彼氏。
ああ~~~惚気た過ぎる。
けどもう周りは「子育てベテラン」みたいな子ばっかりで「今さら彼氏かよ…」という反応が目に見える。
この年齢になってこのスペックの彼氏ができたというのは冗談抜きで奇跡に近い。
この境遇を含めて自慢したい。
ああ~~~~自慢したい惚気言いまくりたい。
生贄求む~~~~~
【追記】
このサイト使うのほぼ初なのでよくわかんないけどリンク押しまくったら闇バイト書かれてて超ワロタ(ありがとうございます)
自慢したいしたいしたいしたい毎日一人で盆踊りみたいなことになってるからアウトプット超したい私の彼氏世界一~~~~
そのうち書く~~~~~~~イエーーーーーイ
このサイトの「増田」の意味すら分からず衝動的に使い始めたからこれであってるかわかんないけど書くぞ書くぞ!
「ババアキッモwwww」とか言われるかもと思って人に言えなかったから素直に嬉しい!みんな優しいね!
(なんか変だったら誘導してください…新しく記事書いてリンク貼るのがいいのかな)
フェイクは入れるけど私と彼氏は知り合ってもう20年になるので腐れ縁だし「出会った瞬間お互いビビッときて」とかそういうのもなく、
とにかくなんか気付いたらこうなってたからだいぶ漫画っぽいんだけど「若い頃の脈なしっぷりが痛ましいな」と思うくらい今が一番仲が良くてアツいんだわ…
もう語りたくてしょうがないんだわ…
真相は闇の中だけど多分20年の間、お互いに「惚れてた」というタイミングがそれぞれあって、けどそのタイミングがズレてたからくっつけなかったかんじ。
だから急にアプローチが始まった頃の彼の行動や言動に「うわ、脈ありの男ってここまで大胆になるんだ…」「今までマジで脈なしだったんだ」って衝撃だったし、
それに対して自分がどんどん女々しくなるのも、一人で生きると決めたはずの自分が弱くなっていく気がしてすごく嫌だった。
めげずに半年以上アプローチし続けてくれたことは感謝しかない。男性ってすごいね……
スケベなところがプラスポイントなのは、私に女としての自信や喜びみたいなのがほぼなかったからだと思う。
異性からそういう対象として見られたことは多分あるんだろうけど、小学校のころクラスのお調子者男子に「ブス」って言われたのをずっと気にしてて
彼からの好意を受け止められなかったのはその「ブス」の呪いにかかってた最盛期に知り合ったからだと思う。
(※これまで彼氏はそれなりにいたから私が何もかもがヤバイ女というわけではないはず)
だからこういう側面もいっぱい認めてくれるし異性として求めてくれる彼のことが大好きなんだろうな。
あと彼はねえ~~~イケメンなんですよ~~~惚れた補正はあるだろうけど多分間違いなくイケてる部類。
私面食いだからさ~~~だめだって~~~~で多分、身近な女の子たちは放っておかなかったんだよな。
女の子が混ざったグループで海水浴とかカラオケ行ったりしてる写真は超見たし、ライフステージが変わるたびにすぐ彼女ができてたのも知ってる。
なんていうか、纏う空気が華やかなんだよな~~~犬系っていうところもまたいいんだろうな~~~~
あとすんごいマメ。未だにLINEは一日何十往復してんだよっていうくらいマメ。
この男がなぜこの歳でフリーなのかは「こういう男に惚れる女が求めるもの」と「付き合った女が実際に得られるベネフィット」が乖離してるからだと思うんだけど
家を整理してたら大昔の雑誌が出てきたんだけど、インターネットが流行り始めてた時期のものだったみたいでいろんな広告にデカデカと「http://www.なんたらかんたら.net」 みたいなURLが記載されてて、わー懐かしいと思ってたのね。
けどよくよく考えたら令和になった今の広告やら名刺やらにもhttps://って載ってたりするな、ということに気が付いて、なんだかちょっと不思議な気持ちになった。この表記思いの外長寿じゃない?
インターネット出始めの頃ってhttp://www.っていう部分がいかにも一般向けのことは考えずに作った仕組みです感があって、仮っぽいというか生っぽいというか、良くも悪くもちょっと怪しい感覚があって、まあそのうち仕組みも整えられるだろう位に思ってたんだけど、検索エンジンが出てきてもなおhttp://は生き残り続けてるわけだ。
インターネットを作った人は全世界の人が使うようになる前提で、ややこしいhttp://を決めたのかなぁ? こんなに使われることになるくらいならもっとシンプルなものにしてた可能性が高かったんじゃないかなと技術脳ゼロの自分は思ってしまうわけです。このまま行くと自分が死ぬ時までhttp://は(正確にはhttps://だけど)生き残り続けそうな気がする。人類にとっての腐れ縁感。
共働きなら尚更で恋愛感情みたいなシミッタレた理想は男も女も全部オナニーと趣味で解消しろ。
キスやセックス出来る相手ではなく、家族としてその人と同じ屋根の下で暮らすことが許容できるか否かで考える。
これからお互いが病気になったり、親を看取ったり、子を育てていく時に協力していく相手だ。
その人と家族になれるか?この一点に尽きる。
だから全く恋愛対象ではなくとも、仕事でも学校でも趣味でも何でもいいから腐れ縁で何年も付き合いがある異性と結婚するのが一番いい。
理由は単純で相手の良い所も嫌な所も経済力もお互いほとんど知っているから。
世間体があるから言わないだけで、本当はセックスレスになってからの方が上手くいってる夫婦は沢山いる。
夫婦の寝室が別々で、子供が小さいうちは交代で子どもと寝るような家庭はすごく夫婦仲がいい。
どうせずっと1人でいてもオナニーばかりしている生活を繰り返すだけなんだから、複数人で過ごしたほうが絶対いい。
私がTwitter(現在はX)をはじめたのは、2009年の11月ごろであった記憶がある。いわゆる「オタクの雑多垢」であり、その時好きなアニメやゲーム、ファッションやメイクや音楽など雑多にいろいろなものに興味を示して、毎日が楽しかった記憶がある。昔からのフォロワーが成人したり、結婚したりとライフステージが変わったり、私自身もまた結婚をしたりと年数を経るにつれて変わりゆくものを楽しんでいた。
私は興味があまりにもうつろいやすく、その時ちょうどあるブラウザゲームにはまっていた。オタクである私は当然それの二次創作をも愛していた。自分で作品を書いて合同誌に寄稿させてもらうこともあった。
その、ある年の話である。そのブラウザゲームの二次創作の作家が、ちょっと炎上したのだ。彼女が推していたキャラクター(カップリングだったので二人)は私も好きだったので、どうか界隈に迷惑をかけるようなことはやめてくれという思いでその話題を追っていた。
しかしながら炎上は止まらず、火元である彼女が火に油を注ぎ、結果同人作家としての悪名というのか、名前を出せば「ああ、あの人ね」となるような印象づけまでもされるほど有名になってしまった。
私は彼女を追っていくにつれ、いつのまにかヲチ垢になっていた。
彼女のよくないところを公開ツイートで言及し、批判しているアカウントに同調したり、彼女のツイートをリアルタイムで追ったり。
そのうちに、多くのヲチ垢には「質問箱」や「マシュマロ」があることに気づいた。それは匿名で、ユーザーに質問ができる外部サービスであり、それをご意見箱として利用しているヲチ垢というのが当時多かった。
「なんて便利なものがあるのだろう」と私もそのまま設置する運びとなり、質問箱には連日彼女の話題や、彼女の友人のこと、それから何気ない日常のことなどが投稿されるようになった。それに答えるのが楽しく、また他者にそういうはけ口、あるいは相談されることがなんとも誇らしいようになってきたのだ。もちろんこころないことを言われることもあった。すると、私の意見に同調する人が代わりに箱に批判の意を入れてくれるようになった。
今思うと完全に場外乱闘で、クソ恥ずかしいし痛いのだけど、当時は自分がご意見番のようで楽しかったのだ。
公開で箱を置きヲチ垢をしていると、ヲチ垢のフォロワーも増えていく。TLはそういったことで埋まり、いつしかかつて楽しかった、好きだった作品のことや、おいしそうなパンのことは見えなくなってしまった。それでも当時私はそれが気持ちよくて、誇らしくて、たまらなかったのだ。
終わりは案外あっけなくやってきた。飽きたのだ。飽きたというより辟易した。ある時昔からのフォロワーたちに食事に誘われ、新宿の焼き鳥やさんで串もりとうすい割もの酒をたしなみながら話す機会があった。フォロワーといえど住所も名前も知りえる、もはや腐れ縁のような人たちだった。
するとどうだろう、私だけその会話についていけないのだ。他人につきまとってああだこうだと口角泡を飛ばし合っていた自分は、いつしか自分が一番好きなジャンルの、新作が出るという会話にすらついていけなくなるほどのめりこんでいたのだ。
私は愕然とした。思えば彼女たちのツイートすら目に入ってはいなかった。ヲチに一辺倒で、質問箱に信者とアンチを集めて、それで自分の言葉はさも特別であるというように胡坐をかいていたのだ。
帰宅してTLを眺めた。いつもの通り質問箱にはたくさんのメッセージがある。TLにはやらかしたコスプレイヤーや、不潔で話題の作家などのヲチ情報であふれかえっていた。
昨日までなら「今日は何か収穫あるかな」とか、「この箱主さんの続報まってたんだ!」って思えたことが、なんだかすごくくだらなくて、無意味なことに思えてならなかった。そんなことより今すぐに、推しジャンルの新作の話のことが知りたくて仕方がなかった。
私は化け物になっていたのだ。承認欲求を満たし、よくない行いをしたものを叩き支持を集めることで、まるで自分が「オタク界隈に一家言ある人間」のように思えていたのだ。
そう気づいたとき、ひどく恥ずかしく、人生に何の関与もしない、言動と化粧がキモいレイヤーなんかに入れあげてることがしょうもなさすぎるとおもったのだ。
私は質問箱をやめた。ついでに昔からのアカウントを削除した。そこにはヲチ垢さんのFFがたくさんいたので、ブロックするのも忍びなかったのだ。
私の新しいアカウントには、昔から仲良くしてくれるフォロワーと、新規で仲良くしてくれる方ができ、楽しくやっている。
それでもオタクアカウントなので、そういったヲチで、箱をもつユーザーがRPで流れてくることはあるのだ。もちろんオタクじゃなくても箱を置いているユーザーはいる。
だけどほんとに、箱にぬくぬく虚栄心を育てられて、ご意見番になったつもりの人が多いなととみに思うのだ。私がたまたま辞めてよかったと思うタイプの稀有な人間なのかもしれない。
占いと聞くと「なんかスピってるなぁ」と思われるかもしれないけど、目的は人によって様々。
背中を押してもらいたい
どっちでもいいことをサラッと決めたい
これから新しいことをする時に軸になる考えがほしいなど様々
「伊勢神宮に行け」です。
だそうですとりあえず【俺は今幸せだ】と思いたい人は、伊勢神宮に行くといい。
「穢れを祓う」の穢れには「気枯れ」だったという説も
「気(気持ち・気力・気合)が枯れてるからこそ、自分は幸せだと思える何かがほしい」
という時には
と言ってもらえる伊勢神宮に行ってみてください。
「伊勢神宮は全肯定あまあまお姉さんか、ナルシスト系王子様なの?」
と思っちゃったのはナイショ
逆に、「自分が何者か知りたい」
それこそ、九星気学みたいな伝統的なものから、動物占いみたいなカジュアルなものまで色々あるけど…この方法での占いは俺は遊び半分で占うぐらいでいいかなと
選んだとしても、やってる途中で不安になって取り組み方について悩むのもよくある。
それが「何者か決めてもらいたい」理由。
「根拠のないオカルトにすがるなんて、心が弱すぎるしアホすぎる」
と叩く人もいると思うし、それはそれで間違ってはない。
「自分が何者か」を与えてもらう占いではなく、自分も考える占い
「タロットと易」
の2つがあります。
タロットの方が「カードの良し悪しが明確だから、物事を決めてくれる側面がある」のです。
易は良い悪いは出るけど…引いた人の立場や解釈する人間のセンスが出るから、深く考えたい時の補助線で、スパッと決めるには不向き。
私の場合、【どっちにしようかな?】みたいなのはよくタロットで決めてます。
「昨日の疲れが出てるけど、食べに行きたいお店がある。どっちの行動を取ろう?」
「早く作業が終わったけど、帰ろうか?時間いっぱいまでなにかしようか?どっちにしよう」
逆に【こんなことを成し遂げたい】【あいつとの人間関係をどうしよう】みたいな
については、易からインスピレーションをもらうことが多いです。
重要なことや根深いことは、易の意味までしっかり考えて「今どこにいる?」と考える
「雷水解」
という易が出た。
これは結論だけを読むと、「雪解けして解決していくよ」と安心させてくれる内容。
ところが、易のエピソードを読むと
「腐れ縁を切れ」
「天下の難儀を解放し得たかどうかは、小人が去ったことによって証明される。」
と強い内容
主人公の少女が捕まってるときに「君のことをもっと知りたい」と弁当持ってきた少年がいて、
少年はガンダムの機能テストする生体パーツみたいなものでしかなくてガンダム作ってる企業に殺処分されます。
それで同じ顔に整形された別人が出てきて、主人公が少年に惚れていたことを利用し、無理やりキスしようとします。
同じ顔の「エラン」として登場する人物は3人いて、全員同じ顔をしているけどそのうち2人は本当は別の顔で整形されている。
あと整形や殺処分をしていた経営者は犯罪を裁かれることなくのうのうと生き延びます。追いかけるべきではないです。
ミオリネもシャディクを好きだった頃があるかもしれないという微妙な両片思いが描かれ、
しかしミオリネは別の人と結婚した…というエンディングなのかと思った。
ミオリネがシャディクと会うときだけ結婚指輪を外していて、シャディクと分かれてパートナーのもとに帰るときには指輪をはめていた。
あの、普通に最低だよこういうの。前に好きだった人、結婚はしなかった人、との関係は綺麗にしろよ。
シャディクと会うときは指輪を外しているのだから希望はある、シャディク×ミオリネは不倫関係になれる、
みたいなこと言っている奴もいて本当にどうしようもない。最後の最後に一番不快なことをやられた。
ラウダの性格が悪すぎるのに、ペトラが説明もなく突然ラウダを好きになっていて、見ていて全く理解できなかった。
兄であるグエルと比べて、弟のラウダはパイロットとしての技能・リーダーとしての人望・ビジネススキル・優しさ思いやりなどの全てが劣っていると描かれており、
彼女がいる点だけは弟が兄に勝っているかもね、という非常にしょうもない描き方がされた。
女性のトロフィー化を否定する作品ではなかったんですね。1話を見て勘違いしてしまいました。
グエルがスレッタにプロポーズし、片思いが実らないのは分かったけど、
スレッタがグエルの影響をあまりにも受けずに関係ない人のまま終わるから、丸々カットしても物語に影響がない。
主人公スレッタの物語とスレッタに片思いしているグエルの物語が、同時並行で別の場所で進むのだけど、交わらないまま最終回を迎えた。
グエルに視聴者からの人気が出たから「要らない」とは言われてないだけで、グエルが居なくても全然本筋が成り立つ。
プロポーズシーンがバズっただけで回収がなく、メインストーリーにくっつきそこなった脇道になってる。
まどマギやぼざろの百合はまだ二次創作人気含めて分かりましたが、スレッタとミオリネの関係は普通に意味がわかりませんでした。
スレッタがエランを好きになり追いかけたが、同じ顔の中身別人に差し替えられてセクハラされるようになって嫌いになり、
シャディクがミオリネのことを好きな様子だと思ってミオリネと恋バナをしたくてテンションが上がったものの、
やっぱりスレッタがミオリネを好きになるという過程が何も描かれないから何が起きたかわからない。
それぞれエランとシャディクという前の恋愛対象がいるわけだから、気持ちが移る過程こそ丁寧に描かないと、
視聴者からすると訳がわからずついていけないものになってしまうだろと思うのだけど、
最近出た文春の声優インタビューで、スレッタ役とミオリネ役の声優がそれぞれ
どうして急にスレッタがミオリネに対して重たくなったのか分からないと答えていて、声優すら分かってないのかと笑ってしまった。
演じていてディレクションを受けていても分からないのであれば、誰にも分からないのでは?
そして最も力を入れて描かれている主人公×ヒロインというメインのカップリングすらこんなに意味不明なのであれば、すべて見る価値ないのでは?
最終成立したのはスレッタ×ミオリネとラウダ×ペトラの2組だったけど、はっきり言って「どっちも意味不明」だったよ。
そして過去の恋愛とされたほうの組み合わせも、汚し方が酷かった。
ガンダムに恋愛要素なんか求めるなっていうのは正当な文句だけど、じゃあ恋愛要素以外の部分でどれか一つでも秀逸な描写があったんですかね。
差別・格差・虐待・自由・ガンダムの呪いなどいろいろテーマ出てきましたけど、どれか一つでも回収されて、
しっかりと描き切られたといえるものがあったんですかね?
連絡が来ない。
なんとなく、今日は久しぶりの男とセックスするつもりで、朝もシャワーを浴びたし、下着を選んだのに。
リモートワークの日なのに、珍しくブラジャーをつけるわたしに、訝しげな視線を向ける夫に、見て見ぬ振りをしたのに。
でも、連絡がないんじゃしょうがない。
においが強いから、食べないでおこうと思っていた3日目のカレーの残りに、手をつけようとおもう。
思えば腐れ縁になるのか。
最初はわたしが恋したのだけど、思いを告げたら、距離を置かれた。
わたしはフラれたと思っていたのだけど。
半年後になって、「びっくりしただけ。そんなふうに見てなかったから。よく考えたよ。もう一度、あの日の続きをさせてください」と言い出した。
この子への恋心はすっかり忘れていた。
「ごめんなさい。今は弟のように思ってるよ」
と言った。
今思えば、あの頃のあの子は就活の時期で、ひと足先に社会人になったわたしに甘えていたのかもしれない。
その後もポツポツ連絡がきていた。
一度目は、当時の彼氏と別れた時。
別れたことを聞きつけたあの子から「会いたい」と言われた時、断る理由が見つからなかった。
「今も弟と思ってる?」と聞かれたから、「うん」と言った。
「弟とはセックスできない?」と言われたから、「それは、試してみないとわからない」と言った。
自暴自棄になっていたわたしは、「仕返し」をすることで溜飲を下げようと思った。
連絡したら、すぐに来てくれた。
会うのは数年ぶりくらいだったけど、まるで毎週くらいは会っている友人のように。
奥様としなさい、と言って断っていた。
たまに面倒になることもあるけれど、
わたしにとって、共通の知人が全くないあの子は、誰にも言えない悩み事やもやもやを聞いてもらうのにぴったりだった。
今年に入って、夫とセックスレスになった。
誘っても断られる。
触れれば無言で振り払われる。
「疲れている」「眠い」「気分じゃない」
一昨日、あの子からメッセージが来た。いつも通り、もう数年は会ってないのに、まるで毎週会っているかのような、軽いノリのメッセージ。
いつもみたいに「会いたいなー」と言っていた。
こわいから。
でも、今回は、なんとなく、いいかなと思った。
あの子は、「会いに行く」と言っていた。
そして今日。結局連絡はない。
朝は、なんとなくの期待をしていたと思う。
楽しみ、ワクワク、好奇心、そのような。会ったら何をしてあげよう、どうしてもらおう、いろんなことを考えながら、シャワーを浴び、身体を手入れした気がする。
でも今は、ああ、これで不倫をしなくて済む、と思っている。
なんだかホッとするところもある。
自分の心なのに、つかみどころがないわ。
つまりわたしは、あの子を無碍に扱う勇気もなければ、応じる器量もない、卑怯な人間なのだと思う。
何もかもに言い訳が必要で、そこに整合性や正当性は必要なくて、自分が納得できれば良い。
カレーを食べよう。
カレーのにおいを纏ってしまえば、もし午後に「寝坊したわ」などと連絡が来ても、断る理由になる。
夫が帰ってきたら、めげずにセックスを誘ってみよう。
それでもまた断られたら、離婚を考えていること、きちんと話そうと思う。
たぶん居ない
友達という定義が、どうしても学校という特殊環境下でのもので思考ロックされてしまったと思う
たまたま同一の場所に毎日居て、同じ所属で、同じ文脈を持っていて、年が似ていてるみたいな
こんなの、大人になると滅多に発生しない
友達をそういう風に定義してしまうと、友達ができないと悩んでしまう
何か動機がないと人ときちんと知り合って話すことはほとんどない
それは所属かもしれないし、何かのサークルかもしれないが、とにかく自分に動機があるため偶然性は薄い
大抵は上下関係か、お互いのグループ内での立場があって、年も違うし文脈もさほど共有していない
会社は少し学校に近いが、上下関係という点においては他の自然な出会いよりも友達化が難しい
だから本当は
デフォルトで関係が既にある状態とか、利害関係がある状態とか、薄い文脈とか、共通項が特定の一つしか無いとか、年齢差とか
どうしても学校という特殊環境を最初に持ってこられるから訓練ができない
学外活動をたくさんしてる人はまだ訓練をつめるかもしれないが
というか大人になると分かるが必ずしも学校のような友達が必要ではない
学校の友達は戦友に近い、狭いコミュニティ内で信用できるのがそいつしかいないから、全部をそいつに背負わせる
テニスが趣味ならテニス仲間を見つければ良く、腐れ縁にわざわざテニスを叩き込む必要はない
おそらく誰しも狭義の友達と広義の友達の定義を自分の中に持っていると思う
広義の友達は「特定の関係性以外で遊ぶ人は全部友達」といった、「その他としての友達」の定義だろう
「知り合い」ではかなしい、もう少しフレンドリーな名称があれば、そこを増やすことを目指すだけで大人はほとんど十分だと思うが
ずっと気掛かりだった友人がアラフォーにして風俗デビューしてしまっていた。見つけた時の事は詳しく言えないけど、まったくの偶然だった。
驚きと、ああやっぱりかというのと、ほんの少しだけショックだった。
けれど壊滅的に他人に気遣いできない。美人ゆえの若いころを忘れられない受け身体質。お姫様根性。口が悪くて見え張り。同世代の友人はどんどん少なくなっていっていた。
正直、自分が別の友人との諍いのクッションになった事も何度かあった。
本人には言ってないけれど、プライベートで親交がある友人の元職場の人間に、彼女がご迷惑をお掛けしました、と頭を下げた事もある。
それでも自分は友人がなぜか大好きだった。友人に馬鹿にされたりマウントとられたり、噓を吐かれたり変な噂流されそうになったこともある。それでも、自分でもバカだなーって思うけど、ちょっと普通の好きと違うレベルで情があった。
だけどアラサーくらいからだろうか、年々一緒にいるのが、どんどんしんどくなっていった。
大好きなんだけど話す内容が周りの同世代の友人と、その子で全然違う。
普段話している時は気づかないけれど、現実的な話をしていると、急に落とし穴みたいに常識がぽっかり抜け落ちているところがある。
そして愚痴が増えるとともに、彼女のカリスマ性は消えていった。
逆に、劣等感丸出しで他人に暴言を吐いたり、人が大切にしている物を小馬鹿にすることが格段に増えた。
楽しく趣味の話をしている時はいい、けれどふとしたときに垣間見える価値感で、あーなんか合わないな、と自分はどんどん勝手にショックを受けた。
今、友人の側にいてくれるのは一回り年下の優しい子だ。いつものパターンだとその子ともそのうち距離を置くと思う。次のステップに進んだその子に勝手に劣等感を感じて。
何が言いたいんだろう、わかんないけど決意表明したいんだと思う。もう☓☓年以上の腐れ縁だけど、友人から知人に格下げしたい。なんならなんにも関係なくなりたい。お金返さないなら返さなくていい。最後まで向き合えなくてごめん。すんごい好きだった。自分に持ってないもの持っててそれがすごくキラキラしてて、本当に大好きだった。
性サービスという仕事内容に正直そこまで深い偏見はない。お金を稼ぐ手段として若いころやってた友達も他にいるし。お金に困っているなら、それがどうしてもやりたい事なら私に口を出す権利はないので。
けれど自分に心底甘い友人は、あの環境に流されて、これから先ゆっくりともっと自分とは合わない方向に流れていくんだろうとわかるから距離を起きたい。
お金がほしいなら、時間とお金に余裕のある今の職場のうちに資格を取ったほうがいいよ。って自分が言った時、そんな事できないって鼻で笑ってた。あの時に距離を置いたらこんな気持ちにならなかったかもしれない。
こんなよくあるだろうくだらない話に目を通してくれた人ありがとう。
恋という現象は具体的に存在していて、増田は恋状態にないと思うけど
じゃあ愛はないのかと言われるとむずかしい
世の中のカップルが全員恋しているわけではないし、同じ趣味で繋がってたり体で繋がってたり腐れ縁で繋がってるかもしれない、金かもしれないし依存かもしれない
じゃあそれが悪いのかと言われれば俺は悪いとは思わない
厳密に恋のみOKにしてたら人類は滅ぶしみんなぼっちになってしまう
俺はよく思考実験する
自分が相手を好きな理由を、相手から1個ずつ奪っていったらどこで好きじゃなくなるんだろう?って
容姿とか、趣味とか、考え方とか、思い出(記憶)とか、体とか、財産とか
どこかでそれは起こるはずだから、自分は相手の属性で繋がってるんだとわかる
案外しょうもない結果が見える
ひょっとしたら同じ属性の別の人が現れたら別にそっちでいいのかもしれないって思えてきて自己嫌悪する
でも最近は現れてないうちは目の前の相手と一緒にいればいいんじゃないのって開き直っている
増田の場合、体で繋がれてるのはそれはそれでいいんじゃないのって個人的に思う
体で繋がれてないカップルだって大量に居るんだから、その分増田は他のカップルより1つ勝ってる
もっと別の要素でも繋がりたいなら努力すればいいし、それを積み重ねれば愛が強固になるかもしれないけど
まあただ性欲枯れたら離れるんだろうなっていうのは予想しておいたほうが良さそう
もう5年以上職を転々としている友人がいる。
理由はいろいろあって、だいたいは人間関係で問題が起きてやめさせられている。
本人も悩んでいるようだが、自分もだんだんと相手にするのに疲れてきてしまった部分がある。というのも、困った時だけ連絡してくるからだ。
彼は大体、人に軽んじられたり嫌われやすいらしい。その原因はこちらから見ていてはっきりとわかっている。何か目に見えない良くないものを背負っているし、それを寄せ付けやすい生活をしている。
ただ、そう言った話は彼にしたことはない。説明するのも面倒だし、自分は自分と同程度に見えてる人にしかそういう話をしない。
いつもは物質面の話だけしていたが、今回はそちらを変えるのに必要な話を初めてした。本人曰く気を付けているらしいが、気を付けている割にはまだまだ足りないという感じだった。
本人には見えてないので、不当に扱われた(と認識しているが、現実的に見てもおかしい部分が彼にもある)ことを慰めてもらおうと連絡してくる。
でもきちんと慰めたことはない。というか自分がしてもらったことがないので、やり方がわからない。そして彼に前回キレられた(職業訓練校を薦めたが、訓練校を恥じていたようだ。作業所みたいな扱いだと思っていたらしい。彼は自分で物を調べたりしないので、通常会話のつもりでも知識が一致しない)ので、もはやこれまでだなという感じだった。
しかし今回また連絡が来た。本人曰く一人になった時にアドバイス内容に成る程と思うらしい。こちらは預かり知らないことだが。
あれだけ汚いものを対面で吹きかけられ続けていたら、相手はイラつくし疲れるし嫌な態度にもなると思う。電話越しでも辛い。
それが毎日だったらと考えると、職場の人の態度は必然に見える。もちろん、目に見える面では双方が異常行動をとっているわけだが。
前回のことがあるので、こちらもとうとう面倒くさくなって、必要なことだけ伝え励ますのをやめた。
前回「〇〇なんか大したことがないくせに!福祉を頼れなんて酷い!」という本音を聞いた。謝られたが、特に何の感情もなく「この人は心理療法やカウンセリングを毛嫌いしているのに、友人のよしみで無料カウンセリングを受けようとしているからさっさとプロに頼った方がいいな」と判断した。