はてなキーワード: 聖徳太子とは
歴代の陛下を評価するというのは畏れ多いと思うのだが、マジで上皇陛下は過去最高ランキングと思うので、日本史に強い人はもし違ってたら教えて欲しい。並ぶのは聖徳太子ぐらいじゃないか。でも厩戸は帝位についてないから、上皇陛下がダントツの一位と思うのである。
思うに、時代としては平成ってマイナスの時代なのよね。イケイケで経済発展してきた明治大正の後に、戦争やりながらもさらに成長して世界のトップが見えてた昭和と比べると明らかにマイナス。で、昭和は戦後40年も引っ張ったけど、戦争の負のイメージを近隣諸国から拭い去ることができず、バブル崩壊と共に始まったのが平成。経済が下降線を辿る中で地震も来たりしたのが平成。
だけど、平成の三十余年を経て、日本は成熟したと思うんよね。成熟していく日本の在り方の精神的中心にあったのは、平成の皇室だったと思うんだよ。対外的には戦争の相手国と交流を重ねながら、国内では沖縄を始めとして様々な地域を丹念に訪れてくださってんだよね。誰かを上げるために誰かを下げることはしたくないけど、昭和はさぁ、という気になってしまう。
弱っている→変なことをいう→攻撃される
日本における「和の国」の摂理は、文化や社会において重要な役割を果たしています。特に、弱っている人間が攻撃される現象は、日本の文化的背景や人間関係のダイナミクスと深く関連しています。
日本の文化には「和を以て貴しとなす」という考え方が根付いています。これは、聖徳太子による十七条憲法に由来し、「みんな仲良く争わないことが最も良い」という表面的な意味だけでなく、意見の異なる人々がしっかりと議論を行うことによって、より高い目標を志向することを示しています[1]。つまり、個々の意見や立場を尊重しつつも、調和を保つことが重要視されています。
このような文化的背景の中で、弱っている人間が攻撃される現象は、社会的な圧力や期待から生じることがあります。特に、日本社会では「和」を重んじるあまり、異なる意見や行動が受け入れられにくい傾向があります。その結果、変わったことを言ったり行動したりする人は、周囲から攻撃されやすくなるのです。このような状況は、個人の弱さや不安が外部からの批判として現れることにつながります。
日本における「和の国」の摂理は、個々の意見や立場を尊重しつつも調和を求める文化的背景に根ざしています。しかし、この文化的価値観は、弱者への攻撃という逆説的な結果を生むことがあります。弱っている人間が変なことを言うと、それが攻撃の対象となりやすいという現象は、こうした社会的なダイナミクスによって説明されます。
Citations:
[1] https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/200211-column.html
[2] https://www.zxtcg.com/world/encyclopedia.html
[3] https://yui-honkouji.com/new_thought/post_10.html
[4] https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00021194/61-4nakanishi.pdf
[5] https://kotobank.jp/word/%E6%91%82%E7%90%86-87437
[6] https://www.rinya.maff.go.jp/j/rinsei/singikai/attach/pdf/201012si-9.pdf
と言っても編集も何もない、配信から任意の時間を指定するだけで作れる切り抜き動画だ。
そして『推し』と言わせていただくには私の情熱は半端だと思うのだが便宜上『推し』と言わせていただく。
予め……
私には推し配信者が複数いるが、2窓以上で配信を見られるような聖徳太子にはなれない。
推しが同時に配信を始めると嬉しいが何方かに絞って見るしかできない。
しかし、そこに!
推しが切り抜き動画を投稿してくれたので有難く見させてもらった。
ノットフォーミーだった。味がしない情報を詰め込まれたような感覚。
別視点から見た推しには面白い場面が沢山あったのに推し視点の切り抜き動画ではピックアップされていなかった。
私が魅力に感じて推している部分は、推しが見せたい部分ではないのだと寂しくなった。
そんな寂しさは独りよがりに過ぎない。オタクは勝手に楽しませてもらう。
いや……
こんなに面白いのにあの切り抜き動画だけを見た初見さんに「ふーん、コイツってこんなもんか」って思われたら悔しいよ!!
いやこれはあくまで私の感覚で、あの切り抜きが一般的に面白いとされるのかもしれないが!慣れない連日の長時間配信でいっぱいいっぱいなのに頑張って作ってくれたから味がしないんじゃないかななんて可能性も邪推してしまうわけですよ。自分に都合のいい方に考えてしまうわけです。
好きなものが伝わらないのって本当に悲しくて悔しい。
推しが見せたくない部分だったらすまない。
こんな言い訳を書いてる暇があったら切り抜き動画作れたな……でも濫造しても邪魔になるよな……等と、一人のオタクに過ぎない癖に色々考えずにはいられない。
聖徳太子はなんで蘇ったの?
日本の一万円札の肖像画はこれまでに聖徳太子、福沢諭吉、渋沢栄一と変遷してきた。しかし、これらの人物には隠された共通点がある。それは、いずれの人物も韓国に対して加害的な行動や思想を持っていたとされる事だ。
■聖徳太子
聖徳太子は日本社会では平和的な人物として広く知られているが、『日本書紀』には弟の久目皇子や当麻皇子が征新羅将軍に任命されていたことが記録されている。それまでの大和王権の朝鮮派兵は主に大伴氏や物部氏などの軍事担当氏族が担当しており皇子の任命は初めてであることを勘案すれば、当時摂政を務めていた聖徳太子自身が新羅(現在の韓国)に対して好戦的な意志を持っていたことが推測できる。
■福沢諭吉
福沢諭吉は「脱亜論」という論文を発表し、中国や朝鮮を蔑視する態度を示した。この思想はその後の差別的な思想や植民地主義の正当化につながり、アジア諸国、とりわけ韓国に対する軽蔑と抑圧の態度を助長した。
■渋沢栄一
渋沢栄一は、日本が韓国を支配していた日帝強占期において、独占資本家として朝鮮の富を収奪た人物である。彼の活動は日本の経済発展に寄与する一方で、韓国に対する経済的な搾取と抑圧の一端を担っていたのだ。
~なぜ加害人物が選ばれるのか~
日本の一万円札の肖像画にこれらの人物が採用され続ける理由には、日本の歴史認識や国民意識が影響している可能性がある。韓国に対する加害の歴史を無視する形で、国内では偉人として称えられる人物を選び続けることで、過去の行為に対する反省や謝罪の意識が欠如していると言えるだろう。これは、歩み寄りを図る現韓国政権との摩擦を一層深める要因ともなりかねない。
一万円札に描かれる人物選定が今後どのように変わるのか、またそれが日本と韓国の関係にどのような影響を与えるのか、注目されるところである。