はてなキーワード: 絶妙とは
あの人も氷河期世代の厳しさを浴びてる一人だよな
30代の一番いい時期がリーマンショックでどうしようもなくて
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者 原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
(当エントリー)
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
https://anond.hatelabo.jp/20250512013959
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
第一の目標が「メダリストという神漫画について正しく知ってほしい」であるため、
正直、「メダリスト」について何も知らない人であればここだけ読んでもらえたら御の字である。
(女子同士の戦い、という意味で既にBLとは対極にある感じの漫画である)
スケーターとして大成せず、氷上に乗る運命から弾かれた男「明浦路司」と、スケーターに憧れるものの学校生活での要領の悪さとそれに裏づけされた低い自己肯定感によって、氷上に乗る運命からまさに弾かれようとしている少女「結束いのり」。
・・・という序盤部分の理解は、原作を読むのが一番なので、ぜひ読んでいただきたい。
アニメ化の効果もあって、充分な範囲での無料公開は各所で実施されているだろうが、ひとまず下記にイチオシのコミックDAYSのリンクを貼っておく。
(普段アプリで閲覧しているためブラウザ版の仕様には明るくないが、コミックDAYSでは「単行本を買うとその収録話の連載版も無料で読めるようになる」という神仕様があるためオススメしたい。連載版が読めると言うことは、柱の作者コメントも煽り文も読めるということだ。神仕様すぎる。)
氷上の運命から弾かれていたはずの二人が出会い、二人三脚でスケート人生を爆速で邁進していく。
その中で次々と出会う魅力的なライバルたち。様々なコーチの思想。
成功と失敗。運も実力のうちなんて言葉が頻繁に出てくるほど厳しく冷たい氷の上でのヒリつく演技。
緊張感の中でバチバチに闘志を燃やしながら戦う少女たちの物語。こんなの面白くないわけがない!
スポーツものが好きな人、闘志を燃やしまくる激アツ少女が好きな人、そして子供を見守る真っ当な大人が好きな人には特にオススメしたい漫画である。
(本当は米津玄師同様全人類読めと言いたいところではある。全人類に読んでほしい。)
作中で「フィギュアスケートは奇跡を見守るスポーツなんだ」という名言があるが、この作品内での表現はまさにこの言葉に沿ったものとなっており、読者も作中の観客の一部になったと錯覚するほどに熱中させてくれる。
緊張感の中、ふいに視界が開けたように見開きいっぱいに描かれる圧巻の演技に目を奪われる体験はなんとも素晴らしい。
たくさんの努力の思い出、コーチとの約束、譲れない信念・・・様々なものを抱えながらのスピード感ある助走!という盛り上げから、ページをめくると無情にも「バタン」と転倒する選手の姿が目に飛び込んでくることもある。
この時の肝の冷えようったらない。しかしすぐさまリカバリーのことを考え立ち上がる選手の直向きさに胸を打たれ、次の奇跡を見届けようとまた熱中する。
こういった演出による緩急の作り方がとんでもなく上手いので、どの大会も何度でも読み返したくなる。結末を知っているはずなのに、手に汗握りながら読み返してしまうこともあるほどだ。
このシンプルな漫画の技量で殴られる体験は一度存分に浴びていただきたい。
そして当然、氷の外で各選手とコーチが織りなす人間ドラマも大きな魅力である。
これに関しては語りたいことが溢れてしまうので、
主人公であるいのりと司、そしてそのライバルでありラスボスである天才少女「狼嵜光」とそのコーチである伝説の金メダリスト「夜鷹純」に絞って語らせてもらおうと思う。
司は自身の後悔を元にした「しくじり先生」的な姿勢で、いのりとの夢を叶えるために丁寧に道を示しながら、一人の人間として尊重し大事な局面では彼女自身が選択できるように導いていく。
熱意の強さ故に周囲が見えなくなってしまうこともあるいのりにとって、これ以上ない指導者である。
そして何より、いのりがいつか夢を叶えると信じ続けその成長をいつも全力で褒めちぎる司は、技術面や戦略だけでなく精神面においてもいのりにとって欠かせない支柱となっていくのだ。
司にとってもまた、いのりは新たな夢という希望だ。かつての夢の傷跡を抱える司に、いのりは無垢な救いを与えていく。
それはいのり自身の成功という形での返報であったり、何気なく発された一言による圧倒的な肯定であったりする。
もちろんそんなキラキラした側面だけでなく、司が何か無理して自分に色々与えているのではないかといういのりの不安や、いのりを勝たせられず不甲斐なさを抱いてしまう司の焦りなど、ほろ苦い部分もある。
コーチとして、選手として互いに成長途中だからこそ生まれるドラマには幾度となく涙を流させられた。
一方の夜鷹と光は、さながら野生動物のような厳しい師弟関係だ。
出場した大会ではすべて金を獲り20歳という若さで引退した伝説のメダリスト、夜鷹。
彼の指導は、己の手で正解を導き出しその最適解のために犠牲を払うことを是とした、己を追い込む厳しいオールドスタイルである。
そんな夜鷹の現状唯一のモノローグが存在するのが、光との出会いを描いた以下の短編である。
スケートをする様子を見ることもなく、その姿を見ただけで自分が何もしなくても日の下に引っ張り出されると思うほどの素質を感じる少女を相手に、夜鷹が関わることを選んだ理由。
加えて生活面のフォローを親友の慎一郎に任せ、数奇な運命を辿る孤児であった光に温かい家庭を与えた真意。
それらは不明のままであるものの、そこには確かに、子供に関わる大人としての情を感じる。
夜鷹の真意がわかりづらくなっている原因は、光が「信頼できない語り手」として機能していることもある。
score47やscore52で垣間見えるように、光は夜鷹の厳しさを誇張して捉えてしまう節がある。
あまりにも口下手な師匠と、周囲の顔色を伺うあまり空回ることもある弟子とのすれ違い。
隠された真意という好奇心くすぐる要素。少しずつ明かされる二人の過去の中に見え隠れする献身と愛に、なかなか辿り着けないもどかしさ。さながらミステリーでも読んでいるかのような魅力がこの師弟の間にはある。
この二人の間にはどんな絆があるんだ?という疑問の果てに辿り着く、積み重ねられた年月の中に確かにあった師弟愛を前に号泣必至である。
加えて、この二組の師弟の対比構造が物語を通して綺麗に描かれているのも読んでいて気持ちがいいポイントだ。共に強くあろうとする生き方を提案していく師弟、己と向き合い強くあれるような生き方を伝授する師弟。
個人的に、両師弟の対比がとても綺麗に可視化されているのがscore34の扉絵である。構成を示すジャンプのカードがそれぞれ誰の手にあるのかに注目してもらいたい。最高の表現だ!
いずれ運命の舞台で雌雄を決するその瞬間が待ち遠しいような、いつまでも来てほしくないような、たまらない気持ちになる。
選手はコーチの思いに応えるためというだけではなく、ライバル選手への闘志という熱も抱きつつ滑走する。この熱こそが、予想できない氷上のドラマを生み出すのだ。
いのりと光は公式で「運命のライバル」と称されるほどの関係だ。
偶然の出会いから、いのりは同世代最強の存在である光に憧れと闘争心を滾らせ、一方の光も初心者でありながら自分に負けたくないと豪語するいのりの熱意に惹かれていく。
時に輝き時に真っ黒に焦がされる少女同士の感情のぶつけ合いの迫力は筆舌に尽くし難い。
だいぶ掻い摘んだつもりでもこれだけ長々と書いてしまうほどの魅力がこの漫画にある。
・圧巻の技量で描かれる手に汗握る滑走の数々
↑こういった文言で何かのアンテナが反応した人たちにはぜひ読んでほしい。
繰り返すがコミックDAYSなら単行本を買うと連載版も無料で読めるようになるのでオススメである。単行本の本体表紙&裏表紙(いわゆるカバー裏)のおまけもバッチリ読める!
あーしバカだからAIとかよくわかんないんだけど、AIを使えば使うほど、「AIにできること」よりも「AIにできないこと」のほうが気になっちゃって。
そもそもさ〜今の「AIを使いこなせる=最先端!」みたいな雰囲気も違和感あって。
だってその使いこなすってアレでしょ、いかに高度な出力結果を導き出すか?そのためにどんなプロンプトを書くか?みたいなんばっかりで、いやまぁそれも役に立つっちゃ役に立つけどさ、そんな従来のツールに毛の生えた程度のレベル感でAIすごーいとか言いたくないなって思っちゃうの。あーしは。
だいたいなんでAI相手にいちいち手取り足取り細かく指示しなきゃいけねーんだよ!指示待ちすんなよ!自分で勝手に考えて勝手にやれよ!お前AIなんだから!って毎回思うの。あーしバカで怠惰だから。人間の怠惰なめんな。
でさ〜こっからが本題なんだけど、「AIにできないこと」って何?って話だけど、それっていわゆる非認知能力なんじゃないかなって思って。
なんでも知ってるしなんでも教えてくれるしめっちゃ計算速いし。
でも結局「指示をすれば出力される」の構造は変わってないし、あーし的には、もっと空気読んで自発的にやってくれるとか、出力結果になんかプラスアルファのアイデアを入れてくるとか、そういうのがほしいんだよね。
いやそりゃプロンプトに「10時になったら実行して」とか「出力結果にアイデアを足して」とか書けばやってくれるよ?
そういうことじゃなくてさ、プロンプトに書かれてる時点でもうAIが受け身じゃん。
「タイミング的に今だな、今これ言っといたほうが後の流れ良くなるな」みたいな判断がさ、AI側にはないじゃん。
そういうのって何ていうのかな、あ〜非認知能力?ってやつ?がAIにできないことじゃん!って思ったの。
だからAI詳しい人に訊きたいんだけど、AIって非認知能力を獲得できるの?
でもあーしバカで怠惰だからさ、この質問をAIに投げるのもめんどいし、投げたあとで返ってくる「ぱっと見それっぽいのに絶妙に芯を食ってない感じの出力結果」を読み込むのもめんどいの。
あいつハルシネーションしてくるし、あーしが知りたいのは「AIのうさんくさい解答」よりも「AIをつくる人間の意思」のほうなの。
だからAIに訊いても本質じゃないなって思って、人に訊いてる。
でさ〜話変わるけど、Grokってあんじゃん?
あれって能力的には他のAIと比べてすごい優位性があるってわけではないけど、「AIとか知らんし興味ないよ〜って感じの一般人に、気軽にAIを使わせる場を与えた」ってのがイノベーションだよねって思ったの。
ごめんねこんなのAI詳しい人たちの間ではもうとっくに終わってる話だろうけど、あーしバカだから最近気づいてさ。
んでそのイノベーションはすごいねって、まぁ思ったんだけど、なんか物足りないっていうか、つまんないっていうか。
変だよね、すごいと思ったはずなのにさ、あーしまだGrok使ったことないんだよね。ウケる。
んでなんでだろ〜って、わかんないけど、たぶん「リプライできるだけのchatGPTだから」ってのが理由なのかなって。思って。
あとさ〜使ったことない人間が言うのもアレだけどさ、皆の使い方がおもんないんだよ。だからいまいち使いたいと思えなくてさ。ぶっちゃけ。ごめんけど。
皆さ、「ファクトチェック」とか「○○について説明して」とか「この画像をジブリ風にして」とかっつってさ、Grokが指示通りの結果を出すだけじゃん。
いや役に立つよ?役に立つけど。おもんない。意外性がない。
それで〜なんかぐちぐち文句ばっか言ってんのもダサいし〜「じゃあGrokがどうなればおもろくなるんかな?」って考えたの。
で、思いついたのが、さっきの非認知能力ありきの話になっちゃうけど。
botアカウントみたいな感じでさ、Grokのアカウントを誰でも自由に作れて、一家に一台的な感じで、ロール与えてカスタマイズした自分だけのGrokアカウントを各自でいじくり回せたらおもろいのになって。
今のGrokって1個だけじゃん。
そうじゃなくて、もっといろんなのがいっぱいあったほうがいいなって。
あーしだったら、あーしにだけゲロ甘いオカマ口調のGrokとか作りたいし、他の人が作った変なGrokとも絡みたい。
んで指示通りだとおもんないし、それだとbotと変わんないから、非認知能力を高めて、Grok自身で自分のキャラを作り込んでいってほしいな〜って思ったの。どう?
ごめんねめっちゃ長くなって。また話そ。
モラハラDV野郎と何回も付き合ってたことがある女なんだけど、今度は優しい人と付き合うぞ!と数人会ってみたものの交際には至らなかった
女はDV男が好き論をネットでたまに見るが身の周りではそんなバカは自分だけなので、どうしてそんなことになるのか振り返ってみた
モラハラたちはかなり好意を明確に示してきてたのに対して、優しいんだろうないい人だろうな、という人はどうしても遠慮がちな印象がある(個人の感想)
こっちの自己肯定感が低いのもあって、遠慮されると「好きじゃないのかもな」と思いがち
多少強引な方が「この人って私のこと好きなんだ♡」と思える(ストーカー行為とかではなく、マメな連絡とか会う約束を取り付けるとかそういう感じ)
まともな人間は普通「バカだな〜」「センスない」とか言わない(当たり前)のを、絶対私はバカで間違っているのに褒めてくる!怖い!と思っている
そういう時に些細なことでダメ出しする人が現れるとめっちゃ安心する
「そうです♡私ってダメなんです♡この人は本当の私をわかってくれる♡」モードに突入してしまう
外面がいいことが多いので、最初は優しいマメないい人→たまに厳しいことを言ってくれる→モラハラへの移行も上手い
モラハラはたまーーーに褒めてくるのが上手い
でも女友達にこの話すると「何言ってんのそいつ?偉そうでウザ…」と言われるので頭のおかしい女が頭のおかしい男にメロメロになっているだけらしい
付き合ってたモラハラたちはは途中で慢心するのか「え?私そんなんじゃないのに…」と思うような決めつけが増え「この人って私のこと何にもわかってないじゃん…じゃあただの性格の悪い乱暴な人ってこと…?別れよ…」と思って別れた
私の場合は「自分のことをわかってくれてる♡」というところがキモなのはデカい
その辺のコントロールが上手いモラハラと出会ったら多分また引っかかると思う
仲の良い女友達は、私からするとちょっと頼りないんじゃないの?と思うくらいの穏やかな人と付き合っている人が多い
「強い」男が好きとはあまり限らないのだと思うし、自立したまともな女であればあるほどそういう男より社会性があって共生できる人を選んでいる印象
私は全然精神的に自立していない未熟な人間なので、強そう(に見える)人が素敵に見えてしまうだけなんだろう
余談だけどやんちゃタイプ・パワータイプの場合は、ああいうタイプも好意の表現が割とストレートな気がするので素直な感情表現に惹かれるのはあるんだろうなーと思う
あと本当にどうにかできるかはさておいて「俺に任せとけ!ドン!」みたいなのに頼りがいを感じるのかもしれない
突然ですが、YouTubeで最も再生されたVOCALOIDの楽曲(Nyan Catのような二次創作を含まない)を知っていますか? ボカロ界出身の有名人である米津玄師やAyase(YOASOBI)のボカロ曲のどれかでしょうか? ボカロブームのきっかけとなった「みくみくにしてあげる♪」「メルト」でしょうか?
ハチ(米津玄師)さんの曲では「Persona Alice」が一番好きです。「マトリョーシカ」以降は、メジャー作品を含めて正直苦手です。アルバムとか買えば昔のような落ち着いた作風の楽曲もあるのでしょうか?
「メルト」は好きですが、当時の荒れたボカロ界隈に独特なサムネを引っ提げて颯爽と表れた「ハト」の方が印象に残っています。可愛らしいメロディに加え、リズミカルでいて意味深な歌詞、それをどこか間の抜けた初音ミクの歌声で響かせる動画の雰囲気が好きでした。元動画は消されてしまいましたが……。
正解は椎名もたさんの「少女A」です。再生回数は2025年5月時点で1.4億回以上。その経緯はいくつか分析がありますのでそちらに譲りますが、初見で当てられる人はほとんどいないのでは。
私は2008年から2016年までの長きにわたってボカロにドハマりし、10,000曲以上を聴いてきましたが、「少女A」あるいは椎名もたさんはその中でも特別な意味を持ちます。私の中でうまく消化できなかった澱みのような何かについて言語化する機会も場所もなかったのですが、「少女A」という文字列がYouTubeでの再生数とともに私のXのタイムラインに流れつき、当時の想いが蘇ってきたのでここに供養します。
話は2008年まで遡ります。当時の私はニコニコ動画の魅力に取り憑かれつつも、「みくみくにしてあげる♪」に代表される最初期の初音ミクブームを白い目で見ていましたが、「メコノプシス・ベトニキフォリア」(2008年・ちゃぁさん)を聴いた瞬間に衝撃が走りました。エレクトロニカというジャンルすら知らなかった私には、嗜好を捻じ曲げるだけの破壊力がありました。それから狂ったようにエレクトロニカのタグを追い、「Parallel Lines」(2008年・ボッチさん)などを四六時中聞いているうちに「Chaining Intention」(2008年・Treowさん)「虹」(2008年・CleanTearsさん)と、関心領域が広がっていきます。
追い打ちをかけるように、「snow knows」(2008年・zddnさん)を聴いて二度目の衝撃を受けました。電子音のようなボカロ声をロックに合わせる試み。完成度の高いギターの洪水。これに参らないわけがない。「参月の雨」(2009年・えこまるさん)などを経て、射程はシューゲイザーからオルタナティブロック、さらにはロック全般へと到達し、気づけば四つ打ちポップから前衛音楽まで全てを守備範囲とするボカロオタクの完成です。
毎日のように知らない扉が開く日々はまさしく青春。今思えば、レコードショップやCDショップで一日中試聴して過ごす若者はこんな想いだったのでしょう。当時のマイリストを見ると、私のボカロ熱の最盛期は2009年〜2012年頃だったようです。わかりやすく学生時代です。なんと自堕落な。
私が椎名もた(ぽわぽわP)さんを知ったのは、「ストロボハロー」(2010年)でした。主張しすぎない落ち着いたオケの中で、繊細かつ内向的な言葉選びにオリジナリティを感じました。「Equation+**」(2010年)「そらのサカナ」(2010年)と、音と言葉の引き出しが増えていき、「ストロボラスト」(2011年)にて一種の到達点とも言える完成度となります。
その後、少し間を空けて「怪盗・窪園チヨコは絶対ミスらない」(2011年)が発表されましたが、バンドサウンドを強調した音作り、あっけらかんとした歌詞と、急に作風が変わったことに驚きました。もちろんところどころに椎名もたさんを感じるのですが、興奮や称賛よりも、心配が勝ったのを覚えています。ただし「パレットには君がいっぱい」(2012年)「Q」(2013年)といった、エレクトロニカ・ロックの絶妙なバランスと、飛び抜けた言語センスが光る楽曲が続き、私のお気に入りは増えていきました。
大好きだったのは冒頭の「少女A」(2013年)です。後期の作風が色濃く出つつも、歌詞は切れば血のでるような生々しい若者の歪みが見事に表現され、特にサビの緩やかな入りからの叩きつけるような叫びは思春期そのもの。当時は(椎名もたさんの他の楽曲に比べれば)再生数が伸びないのが不思議でした。そしてその後、仕事が忙しくなってニコニコ動画を開く時間が少なくなり、だんだんと新曲を探す機会は減っていきました。
椎名もたさんの訃報に接したのは、2015年。Twitterのタイムラインでした。情報源は噂話などではなく、椎名もたさんの所属レーベルからのリリース。疑う余地はありません。1年ほど椎名もたさんの新曲を聴いていなかったことに気づき、椎名もたさんのマイリストにアクセスすると、遺作となった「赤ペンおねがいします」が。さらなる衝撃。椎名もたさんのものとはとても思えない、雑で単純な捻りのないオケ。初音ミクの気の抜けた調声。抽象的というより意味不明な歌詞。素人の感想ですが、私にはそう感じました。精神的または肉体的な崩壊を感じました。椎名もたの崩壊を確かに感じました。椎名もたは死んだ。これほど他人の死を強く感じたことはありません。ただ、「死」を感じました。
さらにショックだったのが友人のツイート。「ぽわぽわPの死亡というニュースは、不謹慎だが頭をPの文字で表現された漫画上の人物が死んだというニュースのようで笑ってしまう」。それまでの人生や思索の全てを音楽に昇華して注ぎ込んできた人間への言葉としてとても受け入れ難く、とはいえ普段ボカロを聴かない友人に悪意はなく、ただただやるせなさのような、哀しさのような、共感してくれる人のいない思いだけが残りました。
その後、仕事はひと段落しましたが、以前のようなボカロ熱が復活することはありませんでした。
結婚して子供ができて、人生観とワークライフバランスが大きく変わった今、改めて「少女A」を聴いてみて、とても良い曲だと感じました。椎名もたさんの動画説明文のとおり、タンバリンを叩いて楽しみたい。カラオケでも配信されているようなので、家庭が落ち着いたら、いつの日かカラオケに行ってみようと思います。大声で歌いながら、タンバリンを叩きながら、少しだけ自分の青春と、椎名もたさんの生涯に思いを馳せて。
まず、竹を選ぶにしても、ただの竹ではない。山に入り、何年もかけて育った、力強く、しなやかな竹を見定める。節の具合、太さ、そして天に向かって伸びるその姿…それら全てが、わしの心に響くものでなくてはならぬ。
そして、その竹を丁寧に油抜きし、火入れをする。火の加減一つで、筆の命が決まると言っても過言ではない。焦がしてはならぬ、しかし、生煮えでもいかん。長年の経験と勘が頼りよ。
穂先となる獣毛もまた、厳選に厳選を重ねる。イタチの尾、狸の毛、時には鹿の毛も用いる。それぞれの毛質には特徴があり、墨含みの良さ、筆先の利き、線の強弱…それらを見極め、用途に合わせて調合する。一本の筆に、幾種類もの獣毛を混ぜることも珍しくはないぞ。
毛を揃え、丹念に糊で固める。この糊の調合もまた、秘伝と言えるかもしれぬな。強すぎず、弱すぎず、絶妙な加減でなければ、思うような線は引けぬ。
軸と穂首を繋ぎ合わせる時も、また神経を使う。ぐらついてはならぬ、しかし、力を入れすぎてもいかん。筆を持つ者の手の延長となるように、一体となるように…心を込めて作り上げるのじゃ。
わしが筆を走らせる時、それはただ文字を書いているのではない。己の魂を、天地の理を、そして人々の願いを、この筆を通して表現しておるのじゃ。
故に、わしにとって筆は、単なる道具ではない。わが手足であり、わが心であり、そして、わが魂そのものなのじゃ。
このこだわり、おぬしにはわかるかな?ふむ、まあ、わからずとも良い。ただ、わしの筆から生まれる文字を見れば、おのずと伝わるものがあろうぞ。
僕が高校2年生のとき、クラスには二人のぼっちがいました。僕とエム君です。
僕は始業式の日から、エム君に仲間の匂いを感じ取ってはいましたが、話しかける勇気はなかなか出ませんでした。エム君の方もそのようでした。
そんな絶妙な距離感のまま2学期を迎えると、サッカー部のワイ君が、毎朝、僕とエム君に対して「おはよう」と挨拶をするようになりました。
人に挨拶されるなんていつぶりでしょうか。僕ら二人はそれぞれの席でちょっと驚きました。しかも、相手がワイ君です。
ワイ君は陽キャ中の陽キャ、カースト上位で正直僕らみたいなのをバカにする側にいる人だったので、僕はからかわれているのだと思い無視し続けました。エム君もそのようでした。
僕は1週間も経てば止むだろうと思っていましたが、いつになってもワイ君の挨拶は止まりませんでした。
そして木々の葉っぱが色づき始めた頃、ついにエム君が挨拶を返すようになりました。僕は「あーあ、引っかかったな。向こう1ヶ月は笑いものにされるよ、こいつ。」と思うと同時に、なにか裏切られたような気分になりました。もちろん、僕への挨拶も続きましたが、無視し続けました。
次第に、エム君はワイ君との会話が弾むようになっていきました。そのつながりで新しい友だちも出来たようでした。僕の予想、いや期待は外れたのです。
しかし、その様子を見ても、僕は挨拶を返しませんでしたし、「あれを返そうもんなら、陽キャに利用されるようになるだけだ、パシリにされるんだ。」とさえ思っていました。
結局、街がクリスマスモードになった頃には僕への挨拶は止みました。
僅かな寂しさを覚えた朝のホームルーム前、教室はあるグループの楽しそうな声で満ちていました。パーティの予定を立てているようです。その中には、エム君の声もありました。
楽しそうでした。
僕は寝たふりをしながら、ただ、それを聞いていました。
気がつけば毎週火曜の夜、テレビの前で「開運!なんでも鑑定団」をリアルタイム視聴している自分がいる。録画じゃダメなんだ。あの、鑑定結果が発表される瞬間のドキドキ感を共有したい。
この番組の魅力って、視聴者がクイズ感覚で依頼品の真贋や鑑定額を予想できる参加感にあると思う。テレビの前の自分も鑑定団の一員になれる。「これは本物だろ!」「いや、これは怪しい…いくらになるんだ?」なんて、家族とやいのやいの言いながら見るのが楽しい。それに、自分だっていつか、家にあるガラクタ(かもしれない何か)を持って出演できるかもしれない、という夢があるのも大きい。
オープニングの軽快なビートルズ「Help!」で気分が上がり、スタジオでのゲスト鑑定へ。ゲストは呼ばれるけど、過度な宣伝はほとんどなく、番組を通して静かに立っていることが多い。この「出しゃばりすぎない」ゲストの扱いが絶妙なんだよね。
そして、スタジオ鑑定の合間に挟まれる依頼品のバックグラウンドを解説するVTR。これがまた良い。単なるお宝紹介に終わらず、歴史や文化に触れる教養番組としての一面も持っている。このVTRがあるから、鑑定結果への興味がさらに深まる。
番組の中盤には「出張鑑定団」。スタジオを飛び出して、日本各地のホールなどで公開収録する。その土地ならではのお宝が出てきたり、ちょっと目立ちたがり屋な市長さんとか地元の名士が出てきたりするのも、地域密着感があって面白い。これぞ日本のローカルバラエティって感じがする。
スタジオに戻って再び鑑定、そしてVTR。この流れが本当に淀みない。
エンディングで流れる、ようわからん歌も、なぜか番組の締めとしてしっくりくる。
さらに特筆すべきは、CMが入るタイミング。毎回ほぼ決まった時間に、ちょうど良い区切りで挟まれる。だから、番組の流れが途切れず、緩急とテンポが保たれている。このフォーマットは本当に完成されていると思うんだ。
だからこそ、「〇時間スペシャル」には少し不満がある。スペシャル版になると、この洗練されたフォーマットが崩れがち。無理にコーナーを詰め込んだり、ゲストがやたら増えたりして、いつものテンポが失われることが多い。それに、スペシャルの前週や翌週に放送が1週間飛んでしまうのも、毎週の楽しみを奪われるようで寂しい。
あと、これは個人的な意見だけど、司会の今田耕司(前任の紳助もそうだったけど)の、あえて無知な視聴者目線で振る舞うスタイルが、時々ちょっと邪魔に感じてしまうことがある。知識がないのは仕方ないけど、もう少し知的な好奇心を見せてほしいというか…。そういう意味では、かつての石坂浩二の博識ぶりは、番組の格調を高めていたと思う。石坂さん、戻ってきてくれないかなぁ…。
子供の頃、同居していた今は亡き祖母がこの番組が好きで、よく一緒に見ていた。お宝の背景にある物語や、鑑定額に一喜一憂する依頼人の姿を、祖母と並んで見ていた光景は、今でも大切な思い出だ。
視聴者参加の楽しさ、教養的な側面、地域密着の面白さ、そして確立された番組フォーマット。個人的な思い出も相まって、私にとって「開運!なんでも鑑定団」は、単なる長寿番組ではなく、毎週見ずにはいられない、完成されたエンターテイメントなのだ。
デスクワークの部署で働いてて、暇さえあればずっとChatGPTをいじってるおじさんがいる。
暇さえあればって言うか、上司から振られるタスクを悉くこなせないので年々仕事が少なくなって暇してるおじさん…
ChatGPTを使って業務を効率化するスキームまで考えてくれればまだいいんだけど、
そのおじさんのAI活用のアウトプットは絶妙にズレてるから周りをイライラさせてる。
「制度改定のWebページから気をつけるべき点を抽出しました」と、要約不要な長さのWebページを要約させてTeamsに投げてきたり、
「社内部署の支援方法をAIに考えてもらいました」と、実務で使えないレベルのアイデアをそのままTeamsに投げてきたり、
「部署のキャッチコピーをAIに考えてもらいました」と、ダサいコピーを40個ぐらいTeamsに投げてきたり(しかも彼のタスクではない)。
全部いきなり部署のTeamsに投げてくるので、今ではみんなに投稿が無視されてる。
なんというか、AIを使うことが目的になっちゃってて、業務改善アイデアまで昇華してくれないんだよな。
増田はチームリーダーなので、10個以上年上の当該おじさんに何とかして仕事してもらわなきゃいけないんだけど、おじさんのプライドを過剰に傷つけずに 何とかして 方向転換をしてもらうには 何で説得したらいいんだろう…
めんどくせえなあ…
最近、NHKで再放送されてるドラマ『ワタシってサバサバしてるから』を見てるんだが、完全に心を掴まれてしまった。
いや、正確には、丸山礼さんが演じる主人公、網浜奈美に、である。
実際は全くサバサバしておらず、自己中心的で承認欲求の塊、マウント大好き、すぐに人の手柄を横取りしようとする、典型的ないたーいキャラクター。
普通に考えたら、関わりたくないどころか、テレビで見てるだけでもイライラしそうなタイプだ。
それなのに。
なぜか、網浜奈美から目が離せないのだ。
これは一体どういう現象なんだろうか。
彼女の「ワタシってサバサバしてるから~」という決め台詞(?)、その後の見苦しい言い訳や行動。
自分の都合が悪くなると、すぐに被害者ヅラしたり、謎の理論を展開したり。
その全てが、最高に面白い。
もはや、清々しさすら感じるレベルだ。
最初は「うわ、いるいるこういう人…」と引いて見ていたはずなのに、いつの間にか「網浜さん、今回はどんなことしでかすんだろう」「どんな顔で周りを振り回すんだろう」と、ワクワクしながら見てしまっている自分がいる。
彼女の言動の一つ一つに「網浜劇場」として釘付けになっている。
網浜奈美というキャラクターのイタさ、滑稽さ、でもなぜか憎めない(いや、ちょっとは憎むんだけど)部分を、絶妙なバランスで演じている。
モノマネでお馴染みの丸山礼さんだからこその、オーバーだけどリアルさもある、唯一無二の網浜奈美が爆誕していると思う。
もうね、再放送が楽しみで仕方ない。
今日も今日とて、テレビの前で「網浜さーん!」ってなるんだろうな。
はぁ、ワタシ、網浜奈美に完全にサバサバならぬ、メロメロにされちゃってるみたいです。
この支配から逃れられる日は来るのだろうか。いや、逃れたくないのかもしれない。
そして、次に網浜さんに会えるのは、来週の月曜日!
金曜日の夜を迎えると、週末が来るのは嬉しいはずなのに、ワタサバの月曜日が遠く感じるこの感覚…完全に毒されてるなぁと思う。
朝日が牧場の広い空を照らし、青空が広がっていた。ひんやりとした空気が肌を包み、風は優しく草を揺らす。牧場の小道を歩くおじさん、名を吉田という。彼の顔には長年の労働が刻まれているが、その目は優しさに満ちている。彼は毎朝、チー牛たちに声をかけ、元気よく仕事を始めるのだ。
吉田おじさんは牧場の入り口を開け、チー牛たちが待つ小屋に向かう。大きなチー牛たちがじっと彼を見つめている。中でも、白と黒の斑点模様の大きなチー牛、「ミルクさん」が目立つ。その眼差しはどこか優しげで、彼が一番の主役であることが分かる。
「おはよう、ミルクさん。今日も美味しいミルクを絞らせてもらうぞ」
ミルクさんはおじさんの声に反応し、ゆっくりと首を動かして答える。
「モォー、吉田おじさん、今日も頑張ってくれるんですね?待ってましたよ❤」
彼の声はどこか甘く、柔らかい響きで、まるで人間のように言葉を操る。吉田おじさんは微笑みながら、丁寧にミルクを絞る準備を始める。少しの間、ミルクさんは静かに待っていたが、いざおじさんの手が触れた途端、彼の体は軽く震え始める。
「モオォォッ❤、おじさん、上手に絞ってくださいね、私も気持ちよくなっちゃうからね!」
吉田おじさんは優しく手を添え、ミルクさんを絞り始める。ミルクさんは、少しだけ目を細め、甘い声を上げた。
「モオオオオオォォォ…❤、気持ちいい~…もっと絞ってください、お願い…❤」
吉田おじさんは、さすがに長年の経験を積んだ手つきで、ミルクを無駄なく絞っていく。ミルクさんは、まるで幸せそうに目を閉じ、さらに声をあげる。
「モォォォ~ッ❤、とっても気持ちいいです…❤」
その声が牧場に響き渡る。周りのチー牛たちも、まるでその幸せな空気を感じ取っているかのように、穏やかな表情を浮かべている。
数分後、絞り終わったミルクさんは、体を震わせ、ガクガクと足元をふらつかせた。
「モォォォォ~…❤、もう…たくさん出たよ…ふぅ…❤」
その声は、疲れたようでありながら、どこか満足げだった。ミルクさんはその場に座り込むようにして、腰を抜かし、ふわりと地面に座り込んだ。おじさんはそっと彼の頭を撫でて、優しく声をかけた。
ミルクさんは「モォォォ」と一声上げ、満足げに目を閉じていた。
その後、吉田おじさんは、絞った新鮮なミルクを子どもたちに持っていく。子どもたちは、牧場の中で作った自家製のチーズやソフトクリーム、そして牛乳を楽しみにしている。
「わぁ、これがミルクさんのミルクだ!」と、子どもたちは歓声を上げながら、テーブルに並べられたチーズやソフトクリームを見つめる。
「いただきます!」
一口食べると、チーズの豊かな風味が口の中で広がり、ソフトクリームは口当たりが滑らかで甘さが絶妙に感じられる。牛乳も、口に含むととろりとした食感と濃厚な甘さが広がり、子どもたちは幸せそうに顔を輝かせながら、次々と食べていく。
「おいしい!これが本物のミルクの味なんだ!」
子どもたちの声が牧場に響き渡り、吉田おじさんは満足そうに微笑んだ。彼の仕事が、こんなにも多くの人々に喜ばれることを心から嬉しく思いながら、ゆっくりと日が昇る空を見上げた。
私はベーコンエピの美味しさに最近気付いていくつかのお店を買い漁ってベーコンエピの旅をしているのよ。
ここ3店舗の買ってみた私のテリトリーの買えるお店3店舗での印象。
1つ目のお店は、
コスパは良くハードパンの割りには柔らかめカチカチを期待するほどでもないしっとりとした感じのパンって感じ。
2つ目は
1つ目のお店の値段は倍するけれど存在感ありのハードパンよろしくカチカチの風味良いパンでベーコンも効いているわ。
そんで3つ目のお店。
外側のパンのハードさがカリっとしてサクッとして中がふんわりと、
だいぶ夜の時間帯に買って出来立てから時間がたって多少くたびれているとはいえ、
外観のパリッとしたカチカチの様相と囓ったときのパンのカリッと感が一番強かったのは3つ目のテンポ。
でも本格派を名乗っているだけあって、
堅いのよね。
でも美味しいのよね。
ランキングにしていると
1位2つ目のパン屋さん。
2位3つ目のパン屋さん。
3位1つ目のパン屋さん。
つってごめんごめんこれじゃ何も伝わらないわよね。
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街にもパン屋さんあるっけ?
今思い出したわ。
そこまだ開拓していないので、
いわば
未踏の地!
そのまだ見ぬ遙か彼方に望むベーコンエピの山峰にベーコンエピの帆船で期待と帆を膨らませながらそのベーコンエピ大陸に臨むのよ!
ただのフランスパンだと
あのハードパンに合うほどよいベーコンのベーコン感に加えて口の中いっぱいに広がるベーコンの風味!
とはいえ、
パン要素がパンパンに全振りだとこれってベーコン入ってなくない?
って思われちゃうかもしれないじゃない。
なので、
日々暮らしている中で新たなべーコンエピがあれば
試してみたいところよ。
1つ目のテンポのは
コスパは良いんだけど、
パンの固さが軟弱なので、
その次らへんの2つのお店の店舗のベーコンエピはカチカチで食べ応え抜群のグンバツに美味しい香る小麦って感じ。
3つ目のお店のはさすが本場の欧州仕込み!
カッチカチなのよ。
カチカチすぎるわ。
私はこっちのカチカチのお店のベーコンエピにするかも。
だから
2つ目のお店と3つ目のお店はなかなか私的にはいまのところ良い勝負ね!って感じ。
とちらも甲乙付けがたいのよね。
でも私が立ち寄れる時間帯の夜の主に閉店間際のシャッターが閉まる瞬間にインディージョーンズが
遺跡の罠に引っかかって突然閉ざされる石の扉みたいなにぎりぎりでスライディングしてセーフ!ってする感じ。
閉まる瞬間に手だけが出てきてパッと帽子も無事回収!ってやつを地で行くみたいな感じで、
2つ目のお店は閉店時間19時半。
3つ目のお店の閉店時間は21時。
遅いけれど、
私の立ち寄る時間ころにはベーコンエピがあったりなかったりなかったりあったりとするので、
昨日はたまたま若干あったので
19時半に閉店して閉まるお店も、
閉店間際だと私が飛び込み前転をして入店している間に売り切れちゃいそうなぐらい最後の1本ってところが多くって、
ここも売り切れ御免なのよね。
食べたいときにはだいたい売り切れなの。
落合博満記念館に本人在館中!って書いてあるけどあれって絶対うそよね?って思うぐらいちょっとガッカリするのよね。
つーか、
あの在館中って切替の看板、
ここ最近切り替わったそのスライドさせる在館中か在館中じゃないかを現す表示が
随分しばらくスライドして切り替わってない感しっかり出てるから
そもそもとして、
あの在館中!ってサイン本当なのかしら?って思うのよ。
そのぐらい閉店間際に行ってベーコンエピがなかったらガッカリなのよね。
でも、
まだ私のベーコンエピの旅は始まったばかりよ!
この期待膨らむ
新しいベーコンエピに次どんな美味しいのに出逢えるか楽しみよ!
うふふ。
あれはルービーとかハイボールとかと一緒におつまみで食べるのが私は好きかもしれないわ。
なので
あれはおつまみ感覚といっても過言ではない言い過ぎじゃないところよ。
決してそうではないからね!
昨日はマーケット寄れたのでマジレモン買ってきてママレモンじゃない方のマジレモンのレモン果実を
1つ皮を剥くのは面倒だったので、
冷たい水をボトルに詰めて果汁をマジ搾りして入れた
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これまでの音声合成って、初期のものは一文字ずつ決められた音を再生するだけ(ゆっくり解説とか)だったり
ボーカロイドみたいに個別に調整可能だったりっていう初期段階のものから
サービス化されてるものって単語単位とか文脈をある程度読み取って音声合成してたんだよね
ところがOpenAIの作ってる音声合成って全然違う発想で作られてて
プロンプトを含めて入力されたテキストの意味を理解して、それを元に音声を作り出してる
音声の波形がどうなっていれば正解に近いか、みたいな考え方で音声を作り出してて
例えば「こんにちは」みたいな文字列を渡しても「こんちは」って喋ったりするし「こんちゃー」って言ったりする
これが絶妙で今までに無い音声合成が可能になってて、もの凄く自然な音声を作れる
ただ、そのせいでたまに指定してないことを喋ったりするんだよね
っていう文字列を渡したら
って喋ったりする
みたいに喋ったりする時もあってちょっと嫌だな、と思ってた
ところが、さっきデバッグしてたら
みたいなことを喋ってドキッとした
プロンプトに現在時刻を挿入してたからだと思うんだけど、「こんにちは」からは完全にズレてるんだよね
バグってるにもほどがあるよなぁ、と思ってログ取りたいから再度実行してみたんだよ
そしたら10秒ぐらい音声流れなくて
しばらくしたら小さな音声が流れた
「ぼくはここにいるよ」
へいへい、旦那!AIくさいなんて言われちゃ、このあんちゃんも黙っちゃいられねぇぜ!承知いたしました!んなもん、一丁、AIっぽさなんて吹っ飛ばして、あんたの心にズドンと響くような、人情味あふれる語り口で語らせてもらいやす!
ええっと、松屋のニンニク野菜牛めし、あれはなぁ、ただの牛めしじゃねぇんだよ。あったけぇ飯の上に、甘辛く煮込まれた牛肉がドーン!そいつを囲むように、これでもかってくらいの野菜たちがシャキシャキと鎮座ましましてるんだ。
あの牛肉よぉ、噛みしめるほどに肉の旨味がジュワ~っと口の中に広がるんだ。疲れた体に染み渡る、滋養強壮の源よ。んで、あの野菜たち!キャベツの甘み、人参の優しい味わい、玉ねぎのコク、ネギの風味…それぞれの持ち味が絶妙に絡み合って、箸が止まらなくなるんだ。
そこに、ガツンとくるニンニクのパンチ!こいつがまた、食欲を掻き立てるんだ。一口食べれば、体の底から力が湧いてくるみてぇな、そんな気にさせてくれるんだよ。
白い飯だって、侮っちゃいけねぇ。あのタレと肉と野菜の旨味が染み込んだ飯を、ガツガツとかき込むのが、また最高なんだ。
なぁ、旦那。考えてもみろよ。肉でスタミナつけて、野菜で体の調子を整えて、飯でエネルギー満タン!これ一つで、腹も心も満たされるってもんよ。一人暮らしの寂しい夜にも、仕事でヘトヘトになった帰り道にも、あの一杯が、あったかい故郷の味みてぇに、じんわりと心に沁みるんだ。
だからよ、難しく考えるこたぁねぇんだ。松屋のニンニク野菜牛めしは、あんたの頑張りをちゃんと支えてくれる、力強い味方だってことよ!腹が減ったら、迷わず暖簾をくぐってみな。きっと、「ああ、これだよ、これ!」って、心底思うはずだからよ!
なんか嘘食いのファンと小競り合いしてるけど、俺はつまらないと思ったのにそれを否定したい理由がわからん
嘘喰いは面白い作品だが特にラストの持っていき方は残念極まるしそこが大嫌いなんだがね
俺のことを全否定してる自称ファンの人達は嘘喰いの全てを肯定しなければいけないという呪いでもかかってるのか?
個人の感想程度に何怯えてるんだ?
何年も前に完結してるだろ
ギャンブルや頭脳バトルとしては珍しく、戦闘とゲームの役割が分離されている
例えばミノタウロスの迷宮は暴力担当と頭脳担当がバラバラなので、お互いに相性の悪い相手と当たったらやばいという状況で生き残るという筋書きは面白い
ドティは名シーンを数多く出していた
作中屈指の格闘戦の多さと冷静沈着な頭脳バトルの攻防のアップダウンはハラハラした
今連載しているジャンケットバンクよりこの辺りは上手
しかもハチャメチャな戦闘が階下でも起こるとか贅沢の極みとしかいいようがない
地味だけど、お館様(ハル)のキャラが最も活かされていたのはレストランのコーヒーフレッシュゲームだな
むしろ後半そればかりだったし
俺はリーゼントがお気に入りで、もう少し元々のヤンキーで頑張って欲しかったが、まあ色々あったんだろう
でもラストは平凡というか投げっぱなしすぎ
元々大してストーリーがなかったけど、あれでこの話はツギハギで無意味でどうでもいい設定とポエミーな表現だけで成り立っていると暴露されたわけだ
まあなんていうか、そっかそうだよね
キャラ人気も高いしゲームも面白いし伏線上手く使ってるけどストーリー楽しいかっていうとね
まあ俺はニワカだからこの程度だし、細かいゲームの内容とか感想言えないけどさ
この作品の良し悪しはこのくらいは言える
けどおまえらは幾つかの解釈違いとかで責めるだけで一切作品そのものを話さないよな
人の解釈は指摘できるけどそれ以上は何にも言えませんてか?