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はてなキーワード: 紫式部日記とは

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る②

【前】 anond:20250202173933

4~6:源氏物語 角田光代 訳[新訳]

かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品テーマ読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手何となく交際してしまう感じの、怠惰女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性理想化しすぎていたからかもしれない。理想恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことであるしかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。

光源氏恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語けが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロット面白く読んだのは事実だ。

けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだん権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。

僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られ暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。

ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである

古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間本質が変わらないからだろう。法律コンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望本質も変わらない。古典現代的な価値観批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールセリフが出てくる)。

それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョ絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市ICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったもの破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。

そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送からしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代オタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。

それこそ紫式部日記に出てきた女官衣装再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばししまっていた。

7:枕草子 酒井順子 訳[新訳] 方丈記 高橋源一郎 訳[新訳] 徒然草 内田樹 訳[新訳]

面白エッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者おちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。枕草子はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。

こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常漫画台詞をぴったりのタイミング引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい

もちろん第三百十四段の身分の低い人間火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段説教講師は、顔よき」、つまりイケメンレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。

方丈記政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代教師は「世間から目を背けた負け組愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。

徒然草は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭い普通に面白い。

それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社翻訳読了

もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。

これは全くの余談であるのだが、高校時代模擬試験を受けたとき、ある古典問題文が主張している内容が差別的だということで、問題差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。

個人的には、例えば中世障害者はどういう扱いを受けていたか解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベル議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国大学ではナボコフロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないか邪推している。

INTERMISSION②

今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいかである小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。

小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人苦痛咀嚼して想像しなければならない。自分妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?

小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである絶対に忘れてやる。連中の名前グーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対絶対にぜーったいに自分トラウマには触れないぞ!

このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないかである。また、初稿では倍ぐらい個人的過去出来事愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。

そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分雑文ちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前タイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。

ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユンパンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説初版部数は一千から二千冊程度で(タイ人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。

あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。

2024-02-24

anond:20240224052617

そういう人がいるのを分かっているから、(賢い)女はなにも知らないふりをする。紫式部日記とか読むと平安時代から変わってない

2023-08-13

紫式部本人が書いたのは宇治十帖のBLだけ説

ほかは二次創作をまとめたもの

紫式部日記は清少納言創作

葵の上はもちろん徳川家批判

2023-01-04

2021年に読んだ本

1月12冊)

前半では美術知的にとらえようとした。後半は生物学テーマ

2月10冊)

脳科学生物学が中心。小説ゼロ

3月12冊)

SFと平安文学

4月12冊)

平安文学マイブームが続き、続いて神林長平ヴォネガットを読み始める。

5月17冊)

英国貴族執事メイドテーマ。なぜか田中啓文も読みだす。疲れたので脱力系を。

6月10冊)

空想法律読本シリーズ経済学、それと奇妙な味短編集。

7月(16冊)

シオドア・スタージョン一角獣・多角獣」

奇妙な味シリーズがしばらく続く。たまに古いSFが読みたくなる。

8月(7冊)

ブラウン神父シリーズは途中で飽きる。「聊斎志異」を読みだす。

冊数が少ないのは、中島敦全集がぶ厚いからだ。ページ数では一冊で実質三冊ほど読んでいる勘定だ。

9月(9冊)

ひたすら中国古典を読む。物語としては読みやすいが、脚注について調べていると意外と時間がとられる。

中島敦全集手紙手帳メモ書きまで収録。

10月(10冊)

アーネスト・サトウを除いて中国文学が続く。明治維新が一日単位で記録されていると見落としていた事実が多いとわかるし、刻一刻と情勢が変わっていったのも感じられる。。

11月12冊)

歴史に関心が移る。アイヌ民族について知りたくなる。

12月(13冊)

アイヌ民族から琉球視点を移す。

漫画(19冊)

やっと森薫を読み始める。ハルタコミックス(旧fellows!)ばっかり。

美術展など

コロナで回数は少なめ。

映画

プーと大人になった僕

パディントン

「イェスタディ

JUNK HEAD」★★

「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」★★★

雑感

生物学脳科学歴史SF海外文学が多い傾向は昨年から変わっていない。

一方で、日本古典文学にも少し手を出した。

また、「聊斎志異」「西遊記」「三国志演義」と長めの中国古典に取り組めたのは良かった。

2022年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2018-03-13

高校時代の半分を独学で勉強して京大法学部に現役合格した話(字数限界につき以後追記なし)

https://anond.hatelabo.jp/20180307150402

諦めるのが早すぎる。高い目標下方修正はいつでもできるが、京大をまた目指しはじめても低い目標上方修正するのはきついぞ。

年間1-2人だけ京大に行く公立高校に通い、高校1年の4-12月個別指導英語だけを週2時間高校3年の9月-本番まで河合塾京大数学京大英語コースを受講、最後冬休み河合塾京大演習コースも受けた。それ以外は独学。結果京大法学部に現役合格した。学校に特進コースはなかったし、クラス文系理系の二分のみ。部活には休まず通い(運動系だったが大会存在していなかった)、高校3年の夏休みとか1日2時間くらいしか勉強してなかった(結果死んだので河合塾行き)。その際のノウハウを共有するから参考にしろ

基本方針

学校定期試験無視しろ。残り2年間で京大学力に到達することだけを考えろ。定期試験で点数がとれようととれまいと京大受験には関係ないし、学校はお前の受験結果に責任を持たない。また、センターはともかく二次試験完璧を目指すな。京大に入りたいなら合格ラインに達してさえいればいい、たしかせいぜい6割くらいだ。

今の段階で京大受験必要センター科目・二次試験科目を絞れ。そして今後2年間の勉強計画を立てろ。ただし総合的な勉強量は考えておこう。センター日本史二次試験世界史受験する方針高校2年で立てた結果2年以降の世界史を完全独学でやり(2-3年は日本史の授業だった)、地獄を見た。普通な世界史地理日本史地理を選ぶ。このあたりは独学の悪い所で、適宜誰かに相談して方針が変じゃないかどうかを確かめるのは大事

京大に受かるためには数学に限らずそれ以外の勉強が不可欠。京大を目指していたなら過去問くらいは開いたことがあるだろうが、京大二次試験は異質だ。ほぼほぼ全ての回答が記述式。これで面食らう人間が多いが、実際のところあれはセンター試験選択肢なしで解くだけな問題も多い。センター試験数学がたまに突飛な回答をするのを思い出せ。センター試験レベル知識習得できれば、京大問題は実のところ解けてしまう(勿論一定以上の応用力は必要だが)。とにかく基礎を固めろ。突飛な英単語やドマイナー歴史知識不要

基礎的な勉強学校で買わされた教科書文法書・参考書を利用すればいいが、京大レベルだと不足する。今すぐ2ちゃんねる(今では5ちゃんねる)の大学受験板に飛び、各科目の総合スレを開け。そこには10年以上前から構築された知のノウハウがつめこまれている。具体的には各スレテンプレにある参考書一覧のことだ。俺が受験生だった10年前と比べると今のインターネットはクソまとめアフィリエイトサイトで溢れてしまってるが、あそこに書かれている参考書一覧は今でも変わらず良書だけを選んでいる。各科目、高校3年の夏くらいまでにそこに書かれた京大レベル参考書を数冊、2周~3周解いている状態を考えろ。それを目指して、どの参考書をいつまでに解いていればいいかを逆算してみてくれ。ギチギチに詰め込む必要はない、むしろゆったり考えろ。あくまで、手持ちの範囲・出来る範囲スケジュールを組め。

勉強量だが、俺の場合高校2年の段階から大体1日2-3時間毎日やっていた。朝起きて1時間部活が終わって帰宅し、風呂に入って寝る前に1-2時間試験前はもう少し勉強量を増やした記憶がある。これを基本毎日やること。どこまでやるかじゃなく何分やるかを意識しろ。だが飽きたときはやらなくていい。俺は何度か小説にはまって(ラノベだと戯言とか禁書とかイリヤ文学方面だと村上春樹夏目漱石)、後で書いてる散歩だけしかやらない時期が何度もあった。毎日2時間くらいネットサーフィンしていた気もする。ただ高校3年の秋以降は4-5時間に跳ね上がったかもしれない。流石に焦った。

忘れずにやってほしいのが、毎日の各科目ごとの勉強量をメモしておくこと。今すぐ新しいノートを開き、1行目に京大受験必要な科目を全て列挙しろ現代文古文数学1、数学A、数学2、数学C、日本史世界史生物英語英単語etc...そして2行目から毎日どの科目を自主的に何分勉強たか書いていけ。これをやっておくだけでもモチベーション維持が随分違う。「あの科目しばらくやってないな」というのも一目でわかるから万遍なく勉強ができる。

個人的おすすめなのが、朝か夜に必ず1時間散歩して単語帳or一問一答を声に出して解くことだ。運動しながら勉強をすることで脳が活性化して記憶に定着するとかい理屈があるらしいが真偽は不明。ただ、散歩することで運動にもなるし、つまらない暗記ものをやるときに家で寝てしまわないという利点がある。勉強気分転換にもなる。ただ夜にやるとき安全と、女性場合治安等に気をつけてくれ、責任は持てない。俺は一度だけ国道沿いの深さ1.5mの側溝に落ちた。

勉強の基本は繰り返しだ。 ただし、漫然と繰り返すな。問題文の頭に○や×、△などで解けたかどうかをチェックしておけ。2周目以降、一度でも正解した問題は飛ばせ。でも解いてからしばらく時間(1ヶ月~半年)が経ったら念のためもう一度解け。たとえば1周目に間違えて2周目に正解したら「×○」、1周目に正解して2周目・3周目は解かなかったが4周目にケアレスミスで間違えたら「○ - - △」みたいな感じに書いていけ。

とにかく「その問題で何回間違えたのか」が視覚にわかるようにしろ。そうやってチェックをつけていると、「参考書を開いたら、どの問題ミスやすく、どの問題が得意なのか」、要は復習時の要チェックポイントが一発でわかる。こうしておくと、最終的には数学1A全ての復習が1時間で終わるようになる。

個別具体的な勉強法について

数学

おそらく学校チャート式を買わされてるだろう。買ってないなら買え。一年間でとにかくそれで勉強を繰り返せ。

勉強方法の基本は写経だ。例文に書いてるやり方でひたすら問題を解く。まずは例題の回答方法を一字一句写経しろ。そして同じ解法で一字一句同じ書き方で解け。数学が苦手なやつによくありがちだが、解答で途中の解法をすっ飛ばすのはNGだ。理由は以下の3つだ。①理屈を何度も書いて覚える必要があること②採点者にとって「すっ飛ばしている部分を回答者理解しているかどうか」がわからないので×にせざるを得ないこと③京大数学記述問題は「計算を間違えていても、理屈があっていれば部分点をくれる」ということがままあること。

京大数学を解いたことがあるなら2完とか3完とかいった言葉を聞いたことがあるだろう。あれは全5問のうち3問は全部解答できたという意味であり、つまりは多くの受験者が5問のうち2-3問しか完答できていない(完答できなくても点数は獲得している)ということだ。数学論理でできている。故に京大数学重要視しているのは解法の論理理解しているかどうかという点だ。

から、とりあえずわからない問題は悩む前に解答例を見てやはり写経しろ。お前の頭で考えるな、答え(=解法の論理)は先達が既に考えてくれる。言っちゃ悪いが高校数学レベル問題なんてチャートに書いてることがすべてだ、俺は黄色チャートで乗り切った。

もしどうしてもわからない単元がある場合は、このサイトのpdfに載ってる当該単元に関わる章を全部読め。当該サイトは、「1+1がどうして2になるのか」という説明からはじまった高校数学に関する説明を全部やりきる『高校数学+α』というすごい本の全文をpdfとして配布している。最初から通読しようとするのはきついので無理しなくていいが、わからないことがあればこの本を読めば絶対にわかる。

英語

英語は現段階であれば文法書を何周もしておくこと。細かいことは言わん。何周もしろ。あと、英単語帳は今から3ヶ月で一旦全部暗記しろ高校3年にもなって英単語帳を一からやるのは馬鹿らしすぎるしリソース無駄遣いだ。1日1時間やれば3ヶ月でどうにかなる。

英単語をはじめて覚えるとき絶対忘れちゃいけないのは「1日でも時間を空けるな」ってことだ。毎日やれ。英単語帳はどれでもいい、どうせ全部覚えるんだから変わらん。覚え方だが、とにかく音読しろ。「accept」という単語があるなら「アクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取る……」と5回〜10音読して次の単語に行け。黙読は絶対にやるな、音読して単語意味を音としてインプットアウトプットすることに意味がある。ページ単位で考えずに時間で考えろ、10分で一度音読できる範囲まで音読しろ。次の10分で同じ範囲をもう一度最初からやりなおせ。次の20分では新しい範囲で同じことをやれ。最後20分で全部おさらしろ。1セット1時間を目処にするといいだろう。これで1日100単語インプットできるはずだ。勿論翌日には半分以上忘れるしすぐに思い出せない。それが当たり前なので気にするな。大事なのは復習だ。翌日は一度読んだところを20分かけて再度音読しろ絶対だ。1日後というのが重要で、詳細は忘却曲線でググれ。残りの40分は新しい範囲時間を費やせ。これを毎日やれば3ヶ月で1冊丸暗記できる。忘れたら忘れたで構わん、再度読み直せ。1週間スパンくらいで全体を再度復習するといいとは思うが、その日に覚えたことを翌日復習するというのを徹底するなら復習頻度は気分でよしなにやれ。

京大英語の恐ろしいところは、主要な問題英文和訳日本語英訳だけというところだ。文法の基礎(センターで満点を狙える程度)をがっつり固めるのは当たり前として、それ以外に和訳英訳練習必要だ。和訳絶対におさえておくべきなのが伊藤和夫英文解釈教室』。今からでいいので買って少しずつ、それこそ3日に1問・1問解くのに1時間かけてもいいから触れておくのがいい。解けなくても、やるときは1時間やれ。解説は精読しろ

それ以外では、学校での課題夏休みでの宿題で長文演習問題が出てきたら、全文を和訳するといい。「受験関係ない宿題をこなす」が「京大英語の演習をおこなう」に変化する。

英訳は逐語訳ではなく意訳の力が求められるのでかなり難しい。そこでサンプルとしておすすめしたいのが『英文対照 天声人語』。天声人語自体の良し悪しは知らん。俺も普段読んでるわけじゃない。ただ、日本語の意を汲み取って逐語訳ではない英訳を集めてるサンプルケース集としては有用だ。

しかしながら、英訳和訳も独学には限界がある。なのでここは他人を利用しろ赤本過去問でもなんでもいいから、演習を解いたもの大人にチェックしてもらえ。一番いいのは京大英語講座に行くことだが地域的な問題で行けない場合もあろう。英語教師にチェック依頼するとかがベターだ。

その他

現代文は知らん、息抜き小説たくさん読むとかするといい気がする……とぶん投げるのもよくないのだが、いかんせんこの分野は扱いが難しい。なので俺が楽しかった参考書だけ紹介する。

石原千秋の『大学受験のための小説講義』『教養としての大学受験国語』はすごい。大学に入ってから知ったが、石原千秋文学理論日本文学に当てはめることほぼほぼ初めて行った研究者で(大学時代の知り合いに教えてもらった知識なので間違ってたらすまん)、現代における漱石研究第一人者。この人のテクスト読解はすごく楽しい趣味になるが『謎とき 村上春樹』も最高。

評論系だと『MD現代文小論文』が主要なトピックスを抑えててよい。大澤真幸が「自由牢獄」について言及していたので俺はミヒャエル・エンデを知った。ただ(内容ではなく出版年月が)少し古いので一度書店立ち読みしてみるのがいいかも。

古文漢文は、基本文法・基本単語マスターするのが前提として、あとは慣れの部分が大きい。漢文には正直そんなに力入れなかったので割愛するが、古文小学館の古典文学全集シリーズのうち、平安時代あたりのものを1冊でいいので(たとえば源氏物語の1巻だけとか、当該シリーズ26巻の『和泉式部日記紫式部日記更級日記讃岐典侍日記』とか)読み切る。当該全集は各ページ三段組み=原文・訳文・注釈が同時にチェックできるので、原文を読む上で圧倒的に優れている。文法を暗記しようとか、知識をあまさず覚えようとかしなくていい。でも注釈は全部読め。どの原文がどの訳文と対応しているのかを常に確認しろ。そうすることで時代的な知識を知る事ができるし、何より「古典作品を読んだ」という自信がつく。

日本史世界史だけは例外的で、高校の授業を一字一句もらさず板書すること。どの事件にどんな背景があって、それがどういった結果につながっていったのか、そういった歴史の流れを理解するのは、教科書参考書で独学するよりも先生の話を聞いた方が圧倒的に楽。豆知識記憶の定着に役立つ(先生によるかもしれないが)。複雑な範囲日本史近代とか)は自作フローチャートを作れ。骨子の流れを覚えたら参考書で補強。本気で独学すると山川出版『詳説 世界史研究』で死ぬ。575ページあった。

それでもなお世界史を独学すると言うなら、世界史参考書として『タテから見る世界史』『ヨコから見る世界史』を押さえておくとベター物事俯瞰して押さえるのが大事。あと論述対策しておくこと。

生物は正直センターレベルだと独学することがない気がするので、やっぱりセンターで80-90を狙って勉強するのがいい。

政治経済は、申し訳ないが大学時代知識アップデートされすぎたのでどう勉強したのか覚えていない。すまん。

地理物理地学勉強してないのでわからん

最後

後半飽きてしまった部分があるので雑な投げ方していたところもあって申し訳ないが、最後に1つだけ。

俺が挫折を味わったのは京大に入ってからだった。六法講義が何一つわからないのに周りの人間はすらすらと解いていく。60点で可をとるのが関の山だったのに、その横では「80点に届かないか問題解かなかった(ロースクール受験には学部成績が影響するのでそういうことが往々にしてある)」という会話がなされている。俺は2回生とき法曹を目指すのを諦めた。

でも、それと同時にもっと楽しい事・面白いことを沢山知る事ができた。政治学から価値判断と切り離した広い視点を持つことを学んだし、小野教授政治思想から人類史通底する観念とその変遷の奥深さを知った。プログラミングにはできないことも多いがそれ以上にできることが多いという、応用力の幅広さに助けられた。京都では、自転車を走らせればすぐ史跡寺社仏閣に行ける生活が待ってるし『四畳半神話大系』が最高に楽しめるようになる。そんな環境で、自分と同じ興味を持った人間と同じ話ができるというのが何よりすばらしかった。大学時代に比べたら、高校時代記憶なんてほとんどないし、社会人になってから大学以上に楽しい環境いたこともない(今の環境がだめという話ではないが)。

京大に限ったことではないと思うが、大学は、色んな学問研究する色んな人間がひしめきあった結果、知的興奮の機会に満ち溢れている場になっている。もし京大に行けなかったとしても、早稲田慶応等のある程度一流と言われている大学であれば、絶対にそんな魅力を味わうことができるはずだ。

そしてなにより、今度どうやっていくかに関わらず、勉強を楽しんでほしい。英語の長文演習問題はするする読めるようになるとめっちゃくちゃ面白いし、小説海外ニュースも読めるようになる。源氏物語は第1帖「桐壺」を全部読むだけでもうるっとくる。高校数学一種論理パズルと考えたとき京大数学演習問題が異常に楽しいというのはやったことがあるならわかってもらえるはずだ。

健闘を祈る。世界は広い。

 
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