はてなキーワード: 笑って許してとは
新卒で挫折して休職中、全部自分のせいにしたら頭がおかしくなりそうだったから、毎日8時間他責をしていた。
小さい頃に虐待を受けて、義務教育も不登校で、なんとか資格をとって社会に出ても、求められる仕事はできなかった。
人一倍早く出勤した、残業した、家でも勉強をした、でもその場でパニックになり水の泡。
最初は親切にしてくれていた同僚からも、あの人は障害者じゃないかと噂をされた。
噂が広まってからは問題なく出来ていた業務も疑いの目で見られ始め、見張られていると感じて緊張でさらにミスが増えた。
こんな育ちで障害かもしれない自分が何を言っても信用がないだろうと自分が一番分かっていたので、何も言えずただ謝り、次からはこうこうして気をつけます…!と反省までした。
大人なのに、ありがとうとごめんなさいくらいしか出来る事がない。
努力しても要領の悪さと一度抱かれた不信感は埋められず、周りに迷惑をかけてしまった。
一年半で辞めた。
障害の事を調べる内に、自分を虐待して出て行った母親も発達障害だったんじゃないかと疑った。(あらゆる特徴が一致していた為)
その時に、堰き止めていた思いが一気に崩れた。
母親自身も両親に虐待を受けていたから、繰り返してしまっても仕方ない。
人より出来る事が少ないのも全部自分のせいだ。
親の事は関係ない、自分がとにかく頑張れば、普通の人生になるはずだーーーと思って
信じて生きてきたのに。
今まで困ってきた事は全部親のせいだったのか。
生まれた時から頭が変だったんだ、だから頑張っても上手くいかなかったんだ…今からどうやっても、障害だったら治らないじゃん…
絶望。
産むな!!!!
学もない貧乏が、被虐待児が、障害者が、責任とれない奴が、産むなよ。
中出しセックスして、結婚出産を自分が何者かになるための道具にして。
子どもに障害なすりつけて、虐待連鎖で自己肯定感までめちゃくちゃにして。
まともに1人育てられないのに兄弟がいないと将来可哀想〜!って偽善で兄弟ポンポン産んで結局逃げて。
自分の人生を彩るために産んだり、病気や障害の可能性を深く考えずに産む人間が全員、気持ち悪くなった。
だんだん自分の事を飛び越えて、虐待やヤングケアラーの問題、遺伝する病気や障害、兄弟児の苦悩、いじめ、貧困、戦争、性犯罪がある世界に産む人間達、ニュースやSNSで話題を見るたびに心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて全て許せなくなった。
どんどん自他の境界がなくなって、もう人間自体が居なきゃいいとすら思った。もっと少子化になって滅亡したらいい。優生保護法が続いていれば自分は生まれずに済んだのかもしれない。安楽死の制度が出来て辛い人がどんどんいなくなったらいい。
死のうとしても直前で怖くて死ねなくて、失敗して余計に苦しむのも怖かった。
こっちは産んでくれと頼んでない、親が勝手に産んだのに、自分で本能的な死の恐怖に打ち勝たないと死ねない。
産みたい人が産む自由は尊重され賞賛され、自殺は非難される、楽に死ぬ手段もない。
怒りの行き場がなくSNSで毒親を叩き、レスバに時間をついやした、同じ思想の人からいいねをされて一瞬スッキリした。
自分の主張は正しいと思って、スッキリしたはずなのに、それを繰り返すたびにさらに自分の存在が気持ち悪くなって自分以外も全員気持ち悪くなって、苦しくて苦しくてたまらなかった。
それでも街中で知らない人とちょっと話したりお礼を言い合ったり、そんな事が不思議とうれしかった。
バイトして仕事覚えようと悩んでいる方がまだましだし、たまに感謝されたら普通にうれしかった。
(まぁスキルなしの障害者でも出来る仕事ってなったら毎日ゲロとかマナーおかしい人糞掃除するしかなくて、よく変な人にも話しかけられてキツくてやめてしまったけど。そんな仕事に同性の若者1人もいないし、たしかにもし健常者だったらこの仕事しないわ!ガハハ!ってまた落ち込んだ)
脱線したけど、結局あんなに社会が許せなかったのに実際に顔が見える人と会った時には、今生きてるみんなが幸せだったらいいなと思ってしまった。
親子を見ても文句を言いたくはならず、障害者やホームレスの様な社会貢献度が低そうな人を見ても、この人も死にたいだろうなーと勝手に決めつけたり、その人を産んだ人を責め立てようとは思えなかった、もし目の前で死のうとしてる人がいたら普通に心配になるとも思う。
結局は他人が許せないんじゃなくて、自分が自分の存在を許せなくて苦しかった。
人に傷つけられても、相手がそうした背景を思うと文句を言えない、その人なりにそうした理由があったと思うと責められない。
だからしばらくして親に会った時も、何も怒れなかったよ。
絶対許さないし、心を傷つけてやる!と思っていたのに、泣いて謝られてたら不思議と笑って許してしまった。
母親が受けた虐待を話されても、ただひたすら酷いね、辛かったねと聴いていた。
こっちの方が泣きたかったけど。
でも自分自身の存在を許したいから、形だけでも親を許す事にした。許さずに傷付ける事を言っても、またスッキリするのは一瞬だろう。
自分が追い詰められて苦しかったのに人を追い詰めるなんて、もっと自分が嫌いになりそうだった。
思えば親にも社会にも認められなかったけど、優しい人だとか真面目だとか褒められた事だけはあった。それがあったからこそ、人に優しく真面目に頑張れば大丈夫!と根拠のない希望を持てていたんだと思う。
自分の中で唯一認められた長所を捨ててまで親や他人を責めても、考え方を変えさせるなんて出来やしない。誰に理解されたって苦しさは消えないし、自分が生まれなかった世界線になんて行けない。
どうせ死ぬ勇気もないなら、せめて人に好かれる行動だけとってた方がお得だと決めた。
たとえ社会に不必要でも、そのマイナスを優しいとか良い人だとかで0.1でも誤魔化せるならそうするしかない。捻くれ障害者なのに最低限のマナーや愛嬌まで捨てたら最悪のまま終わりだ。
自分の為に生きれなくても、現実にいる目の前の人に喜ばれる事があるならやっていこう。
弱者の立場や優しさを都合良く搾取されるかもしれないけど、単に褒められたら気持ちがいいから、人生気持ち悪くならないで済むわ。
シンプルに目の前の人にありがたがられたいよねー!生きる意味あるじゃんって一瞬錯覚できるから!偽善最高ー!
※他責を辞めようという内容では無いです。
自分も苦しかった時はそうしないと生きれなかった。今も気にしない様にした気でいても、具合が悪い時は心の中で他責に逆戻りしているから。人はそう簡単に変わらない。
※産み育てる事に様々な懸念や責任が伴うという意見を訴える事は意味ある事なので、正しく反出生を訴えている方の非難ではありません。
今から20年近く昔、快活クラブはあったかどうか覚えてないけど、
チェーンなのに数店舗しかないネカフェ、マンガ喫茶が結構あった。
+++++
深夜帯でバイトしてたんだけど、
これがもうクッソ緩くて。
お客が来たら案内して、
それ以外はもう本当にひどい。
24時間稼働だから、ネカフェブースの客から苦情が入って、適当に流して対応してたら通報されたって社員が言ってた。
0時入り即休憩、4時半から交代。もしくは4時半から退勤まで休憩。
一度飲み会でしこたま飲んだ後に0時から勤務で、先に休憩を貰って寝た。
起きたら11時だった。さすがに社員さんにごめんねしたけど笑って許してもらえた。
残業代はついてた。
上記の通り深夜帯9時出の私。
2階で握ったお金を1階につぎ込んでた。
給料が倍になったり、綺麗に消えたりしてた。
クレイジー(俺が)
これはお店辞めるまで続けてたけどお咎めなかった。
ワンダー。
週7でいた。
貿易だかなんだかの仕事してて、1年で2か月しか仕事をせず、残りの10か月は気ままに暮らしているとのことで、
ただの無職だとずっと思ってたけど、地元じゃ珍しいバッチバチの高級寿司屋で偶然見かけた。
スーツ着て商談?してた。
その後一緒に働かないか打診されたけど、なんか断ってしまった。
ブースの片づけは都度ではなく、貯めてから捌く派の社員しかいなかった。
60近いブースの全部が未清掃で、客来ても満席って言って追い返してた。
社員たちの給料は主に、都心にあるゲーセンの売上から出ていたとのこと。
なんでネカフェしてんだろ。
社員さんは全部で5人は覚えてる。
定期的に発狂するおばさん。
他にもいた気がするけど思い出せない。
+++++
1年位バイトしてた。
辞めた後もたまに使ってた。
そのあと5~6年は生き残ってたと思う。ワンダー。
久しぶりに店があったところの前を通って思い出したんだ。
AIだのbotだのよくわからないのだけど、自慢話とか、自分の功績とか、そのような読解をされるとは想定外でした。
都心にゲームセンターをいくらか運営している会社が母体だったので、赤字ださせてたのはそうかも。
都度の使い方そんな特徴的だった?すまねぇな。
タイトルは追加してみた。
またなんか気が向いたら書くわい。
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
曲目
Google翻訳のアプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名、歌手名が正しく表記されていない場合があります。
蒼い星くず 加山 雄三
青葉城恋唄 さとう 宗幸
アケミという名で十八で 千 昌夫
あざみの歌 伊藤 久男
あじさいの雨 渡 哲也
あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子
雨 1256 三善 英史
雨の御堂筋 欧陽 菲菲
逢わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13
22 小柳ルミ子 漁火恋唄
射手座の女 敏いとうとハッピー&ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40
命の花 大月みやこ 383
祝い酒 坂本冬美 26
455 門脇 陸男 祝い船
ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355
松原のぶえ 461 男なら
おもいで酒 小林幸子 195
想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199
お嫁においで 加山雄三
松原のぶえ 305 おんなの出船
悲しい色やね 34 上田正樹
がまん坂 18 北島三郎
北の漁場 41 北島三郎
京都の恋 196 渚 ゆう子
くちなしの花 462 渡哲也
圭子の夢は夜ひらく
369 藤圭子 恋あざみ
高山厳 152 心凍らせて
343 森山良子 この広い野原いっぱい
伊東ゆかり 197 小指の思い出
酒よ 36 ジジサン
さざんかの宿 大川栄策 88
サチコ ニック・ニューサー 481
里がえり 嶋三喜夫 1278
435 河島英五
田端義夫 483 十九の春
大橋 純子 155 シルエット・ロマンス
ジジサン 90 酔った歌
杉良太郎 47 すきま風
60 谷村新司 1 森田公一とトップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民謡 1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志郎 283 そんな女のひとりごと 増位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏のルンバ
トワ・エ・モア 480 誰もいない海
三船和子 198 だんな様
五木ひろし 442 契り
敵は幾万 1570年 軍歌
時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63
和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで
内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎は今日も雨だった
ザ・タイガース 164 花の首飾り
165 はしだのりひことクライマックス 花嫁
167 佳山 明生 氷の雨
釜山港へ帰れ 67 渥美次郎
ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
箱崎晋一郎 抱擁 142
北海道民謡 北帰行 365
骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫
75 北島三郎 まつり
坂本九 83 見上げてごらん夜の星を
伍代夏子 441 水なし川
渡哲也 51 みちづれ
シャオ・リンシュウ 419 昔の名前で出ています
香西かおり 260 静けさ
藤あや子 377 むらさき雨情
やっぱすきやねん やしきたかじん 84
山 北島三郎 378
雪の進軍 1575 軍歌
夢追い酒 76 渥美次郎
夢の夜 181 南こうせつ
おっパブに行きました。
※説明
おっパブの何たるか知らない清潔な人たちのために補足しておくと、おっパブは女の子とお話をしたりキスをしたりおっぱいを触らせてもらったり、おっぱいを舐めたりすることが出来る場所です。
個々に仕切られたスペースには大抵二人掛けのソファが設置してあります。
料金相場はおれが行くような安い店だと初回クーポンを使って40分4-5000円。ドリンクは客は飲み放題ですが、嬢に入れてあげると一杯2000-30000円ぐらいします。
40分で嬢は2-3回入れ替わる。
なんか説明書いたら疲れちゃったな。
そこで初めて気の強そうな、ギャルっぽい子がついてくれたんだけど、これがよかった。
AVでは見たことあったが、テンション高いギャルにおっぱい押し付けられるのって、気持ちいいというよりはただただ苦しいんだけどあれはあれでいい経験だね。
ああいう高校時代を送りたかったよ。おれか夢見ていた青春のかたちがそこには確かにあった。
おれが文化系の大学生で趣味からしてオタク予備軍の小難しい童貞気質野郎だということは、おそらく一つ前についた嬢から情報共有されていたんだと思う。
それにしても見事そのパスに合わせて完璧に攻略してきたことに、終身名誉童貞のおれは感心しちゃったよ。おれのような奴の扱いなんて赤子の手をひねるより簡単なんだろうな。
「こんなの初めて」ってやつだよ。
そんでさ、その痴女ギャルのおっぱいを攻めたらさ、くすぐったそうに笑って照れながら「に゛ゃん♪」とか言うわけ。たぶん演技なんだろうけど、めっちゃ感じてくれるわけよ。あれがよかった。
おれAVでもイケてる男どもがやってるであろう、友達の女の子のおっぱい触って笑って許してもらうシチュが大好きなのよ。現実ではそんなことできないからね。一歩間違えたら犯罪だから。
そんでおれを内心見下して攻めてくるギャルをさ、攻めかえして攻守が逆転するこの快感よ。男の支配欲まで満たしてくれちゃうわけ。本当はそれらすべてがおれに金を吐き出させるために彼女によってデザインされた快感なんだけどさ。現実、まあ本当の意味での現実ではないけど、もうおれにとっちゃあトトロが本当にいたみたいな、ディズニーランドみたいなもんだよ。彼女らからしたら童貞なんて小銭入れたらジュースが出てくる自販機ぐらい単純なものなんだろうなあ。また行こう。
別れてから半年が経とうとしています。けれど、忘れられないのです。
私は就職し、彼は院に進学して。
卒業する頃になったら突然「博士に行くから2年待ってくれ」と言い始め。
話におかしなところがあるなと思って問い詰めたら実は1年前から留年が決定してて。
その1年後には実習先でやらかして実習を止められ、単位が取れずまた留年し。
そんな大変な状況だったけど、彼は毎週末、うちに来て泊まってくれました。
電車で1時間半かかる距離だったので、彼の負担が軽くなるようにと、電車で15分の距離に引っ越しました。
彼はとにかく忙しくてバイトができず、収入がないので旅行に行ったり出かけたりができず、ほぼ毎週おうちデートだったけど、それでも彼は電車賃をかけ時間を作って会いに来てくれました。頑張ってくれている彼を支えたくて、夕飯を作って待ったり、たまに外食をご馳走したりしました。
お金がないから誕生日のお祝いが何もない年が何度かありましたが、それでも会うたびに何度も「可愛い」「愛してる」と言ってくれました。幸せでした。
彼は私を両親や妹、祖父母に紹介し、たまに会わせるようになりました。
実家にも何度も泊まり、親公認の付き合い、もはやこのまま結婚するのだろうと思っていました。
彼の就活が始まるとさらに忙しくなったらしく、週末は家にも来ず、1ヶ月間LINEも来なくなりました。不安になって「最近就活どんな感じ?」と聞くと、「2週間前に1社内定もらって、待っててもらってるんだよね。来週、もう1社の最終面接行って、その結果で決める。」と返ってきました。
翌週の夜、私が彼の声を聞きたくて電話したとき、彼は「そういえば、内定くれてたところ、待ってくれなくなっちゃって。もうひとつのところ面接終わってから決めるでもいいって言ってくれてたのに。」と言い出しました。最終面接の数日前でした。
その後のある日曜日、また彼に誘われて、彼の祖父母の家に行きました。彼の妹の3歳と0歳の子供と、その家の犬も一緒でした。
祖父母宅に向かう車の中で、彼の妹が「そういえば面接どうなったの?」と彼に聞きました。
「あー、ダメだったんだよね。」彼は深い息をつきながら言いました。
「え?落ちたってこと?」と彼に聞きました。いつも話し方の柔らかさには気を遣っていたけれど、その時だけは気を遣えませんでした。鋭い言い方だったと思います。
「そうだよ、本当は今日の朝来た時に話すつもりだったんだけど。」私はそれに何も言えませんでした。
そこからは、涙を堪えるのに必死でした。いつも明るく振る舞うのに、笑顔なんて作れませんでした。ずっと窓の外を見ていました。犬の鳴き声が雑音に聞こえました。0歳の子の泣き声を聞いて、私も泣きそうになっていました。
途中で寄り道したスーパーで、私は彼と一緒に車に残りました。彼は0歳の子にミルクを与え、私は犬の面倒を見ていました。彼はずっと言い訳のような何かを言っていたけど、何を言っているのか全然わかりませんでした。
祖父母宅に着くと、0歳の子の沐浴が始まりました。「増田ちゃん、バスタオル持ってきて!」と妹に叫ばれ、彼女の母親にバスタオルを手渡され、風呂場に駆け込みました。
「バスタオルを両手にかけて広げて待ってて」と言う妹と、お湯をかけられる肌色の塊を黙って見下ろして待っていました。
沐浴が終わると、3歳の子が剣のおもちゃを持って「増田ちゃんあそぼ!」と走り寄ってきました。
私はその時、私の電源を落としました。そして、社会向けの、明るく愛想よく振る舞う私を起動させました。「よーし、勝負だ!」と言いながら、3歳の子が振り回す剣を捕まえたり、当たって「うわーっ!負けた〜」と言ったりしました。
その後の食事中も、祖父母はずっと妹と孫に夢中でした。私はニコニコした顔のまま、祖母と母親と妹の女同士の会話を眺めていました。まるで、知らない家庭のとある日常を描いたドラマを観ていたようでした。
食事が終わると、彼の母親が私に「食器片付けるの手伝ってくれる?」と言いました。彼はそれを見て「増田ちゃんはお客様なんだからやらせないでよ」と言いましたが、母親は何も返しませんでした。私は言われるまま食器をシンクに運び、彼の食器洗いを手伝いました。
彼は私に布巾を渡し、濡れた食器を渡してきました。私は無言でそれの水分を拭き取り、きれいに重ねていきました。
気がついたら、彼の家の最寄駅の改札前に彼と立っていました。祖父母宅からどう帰ったのか思い出せません。改札機を見た瞬間、社会向けの私のバッテリーが切れ、わっと涙が溢れ出しました。
彼はそれを見て、「今からちゃんと話そう。」と、改札前のベンチを指さして言いました。私はとにかく何もしたくなくて、「また今度ね。今日はもう無理。」と言って改札を通りました。時計は22時を回っていました。
気がつけば、彼と付き合ってから6年が経っていました。インスタは子供の写真で溢れかえっていました。
家にある彼の荷物を全部持って、彼に会いに行きました。彼は院を卒業し、実家で就活を続けていました。
もう限界だと伝えると、彼は「俺は忙しいのに毎週末会いに行ったよ。増田ちゃんは俺に何してくれたの?それに明日、俺面接なんだけど。タイミングもうちょっと考えてよ」と言いました。
あれから半年が経とうとしています。けれど、忘れられないのです。
彼が誘って予約してくれた鳥貴族で、「金銭感覚違いすぎて無理って言うけど、いくら稼いだらいいわけ?」と言う彼のことが。
「増田ちゃんと行こうって言ってたところ、どこでも良いからひとつは行っておきたいな」と言う彼のことが。
「仮の話だけど、もしもだよ、いくら積んだら復縁してくれる?」と言う彼のことが。
「増田ちゃんのエッチなコスプレもっとしてもらえばよかったな」と言う彼のことが。
「最近入社したところの上司のパワハラがひどくてさあ」と言う彼のことが。
「俺の妹、増田ちゃんと付き合い始めた時、増田ちゃんの写真見てブスだって言ってたんだよ。あいつも嫉妬してて可愛いよな。」と言う彼のことが。
「本当にあとちょっとで同棲できるって思ったのに。割り切ったつもりだけど、やっぱ会うと可愛いなあ。好きだなあ」と言う彼のことが。
「じゃあ、体に気をつけて、元気でな」と言う彼のことが。
本当に、腹立たしくて、忘れられないのです。
私はずっと馬鹿にされていたんだと思います。嘘をついたり、何をしても私が笑って許してくれると考えていたんだと思います。本当に腹立たしい。
私の時間を、私自身をそうやって軽く扱われたことがとてもショックで、私はその程度の人間なんだと悲しくもなります。
お風呂に入っている時、化粧をしている時、ふとした時に彼と彼の家族の言動が蘇って頭を支配され、それに怒ったり悲しんだりします。
一緒に住む彼は私のことを尊敬できる人だと言って、突然生花を買ってプレゼントしてくれます。
急にトラウマがフラッシュバックして泣き出す私を心配して寄り添ってくれます。
先日、友達から「増田ちゃんの元彼マッチングアプリにいたよ」と教えてくれました。
プロフィールを見ると、29歳社会人1年目、年収200〜400万、身長171cm、実家住み、という、なかなか難しそうな条件が並んでいて、ざまあみろと思いました。
足立梨花です。
嘘です。
あれ?
アタックチャンスで角を取られたの?
児玉清さんが角を取らないと
なぜ角を取らない!ってすごい剣幕で怒られるレヴェルで祝日なくなっちゃったのかしら?
それなんてアタックチャンス?
谷原章介さんじゃアタックがチャンスできなかったことのラストダンスが悔やまれるわ。
あのさ、
よく自分の手書きの殴り書きのメモがあとで自分が解読できなく読めない字があるけど、
スマホにしたメモで分からないものがあって解読はテキストだからできんだけど、
内容が意味がさっぱりあとで自分が見返しても解読できない内容があんの。
みんなにお尋ねだけど、
なんかこれ分かる?
「ほほーへほーはへほー」ってーのを私はメモしてたみたいで、
まったく意味不明だわ。
だから今日はもういっそのこと「ほほーへほーはへほーの日」にします!って
違う違うそうじゃないの。
マーチンも違うって言うレヴェル!
なんのことだか私全く何も思い出せないわ。
メモ本文だけじゃなくて、
前後の私の心情だとか気持ちだとか気分とか買った紀文のおでんのお気に入りの具材だとか、
紀文はキブン違いよ。
この全く「ほほーへほーはへほー」ってのが私がどんな気持ちでそんなシチュエーションでメモしたのか私の中で2人の私が揉めているのよメモだけに。
まだそのメモをしたてのほやほや直後で覚えてるときならよくって、
それを覚えている間に追記していたらいいけど、
まさか和田アキ子さんの歌のモノマネの笑って許してのザコシショウさんの誇張した歌い方じゃないわよね?
笑えないわー。
今その「ほほーへほーはへほー」を見返しても何を思ってそうメモしたのか、
全く謎に包まれるぐらいナスカの地上絵が160個新たに発見されるより謎だわ。
この時期、
雪が積もる歌が街中で流れているの多すぎなぐらい
人は無意味にこの時期になると同時に
でも
どう足掻いても、
この私の「ほほーへほーはへほー」って謎が解けないのよね。
探し物を探すのをやめた時の井上陽水さんか斉藤由貴さんかのどちらかの一方の方だと思うんだけど、
きっとそんなことも思い出すはずもないわ。
「ほほーへほーはへほー」ってのがだけ、
なんでこれこんなのメモしたのかしら?って
でももう
そんなこと言ってられないので
またそんなチャンスが到来したら同じ内容のメモするでしょう。
間違えてお休みしないようなレヴェルで
書いたら思い出したいものよね。
うふふ。
今やってるアニメのカワイイカレンダーを来年の買っちゃったから散財よ。
しばらくは
買っておいてあった完全食品のチョコレートパンで我慢かしら凌ぐわ!
ホッツヒーコーは買っちゃったけどね。
1つ見るとまた他のグッズも欲しくなるので
あれさ
見なかったことにして暮らすわ。
でも、
常温でオーケーになったしまたついこの間もリニューアル改良されて
よりふわふわのモチモチでさらに美味しくなって普通のパンとなんら遜色のない美味しいパンなので、
いろいろと捗るわよ。
こないだ差し入れに持っていった分、
初見で注文して美味しくなかったら残念なので、
初めての買うところは味見してから持って行くようにしているのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
心が狭いだけなんだろうが、他人とでかけるのに出かけ先をまともに調べてこないの本当にストレスが溜まる
自分自身も計画立てるのとか下調べって面倒くさくて嫌いだから、自分が出かけたい場所には絶対他人と行かないんだけど、その分誰かを連れていかなければいけない時は事前にきっちり計画してからしか出かけないので、なんの見通しもないようないい加減さに腹が立ってしまう
身内がそういうタイプで、○○行きたいっていうから一緒に出かけると「地図逆方向だった」「時刻表知らない」「こんなに時間かかると思わなかった」「どこに店あるか分かんない」のオンパレードでいい加減にしろよと毎回ものすごくイライラする
そのくせ迷ってもへらへらしてるし、「まあまあ、迷ってもゆっくりいけばいいよね。計画通りでも面白くないしさ」→「ごめん、映画の時間終わってるね…」
あのさ、帰っていい?本当に。何しに来たの?毎回しょうがないよねって笑って許してるけどしょうがないわけねえだろ。やる気ないならお前1人で行けや
自分自身が日頃すごくいい加減だからそういうことに対してごちゃごちゃ言われたくなくて毎回ニコニコしてるけど内心マジでブチ切れそう。
なんで20分も歩いてからこっちじゃなかったとか言い出せるん?10分歩いた時点でわからんか?
毎回面倒見てるけど流石にもう本当に面倒くさくて放置してたら、全然違う方向にいくわずっと同じところ回ってるわでこっちの堪忍袋の尾が切れる方が早かった
1人で出かけてくれよ…。本当に出かけたくない。クッソだるい
関ジャムの若手アーティストが平成の曲を選ぶアンケート企画が話題になっている。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
そういえば昭和から平成に変わった当時でも同じような企画をNHKがやってたなと思い出しちょっと調べてみた。
無作為抽出の2000人に対する電話アンケートで思い出の曲を聞くという当時のNHKらしい力強さを感じるが平成になったばかりなんでこんな曲が何故そこにというのもゴロゴロ。
NHK昭和の歌・心に残るベスト100(1989年10月10日発表)
Best 1位~100位
2位 ◇影を慕いて(1932_昭7)藤山一郎
5位 ◇悲しい酒(1966_昭41)美空ひばり
6位 ◇柔(1964_昭39)美空ひばり
8位 ◇岸壁の母(1954_昭29)菊池章子/二葉百合子(昭和51年カバー)
13位 ◇お富さん(1954_昭29)春日八郎
16位 ◇有楽町で逢いましょう(1957_昭32)フランク永井
19位 ◇矢切りの渡し(1983_昭58)細川たかし 他(競作)
22位 ◇北国の春(1977_昭52)千 昌夫
25位 ◇襟裳岬(1974_昭49)森 進一
30位 ◇アカシアの雨が止む時(1960_昭35)西田佐知子
31位 ◇君恋し(1929_昭4)二村定一/フランク永井(昭和36年カバー)
37位 ◇銀座の恋の物語(1961_昭36)石原裕次郎&牧村旬子
39位 ◇くちなしの花(1973_昭48)渡 哲也
40位 ◇涙の連絡船(1965_昭40)都はるみ
41位 ◇黒い花びら(1959_昭34)水原 弘
42位 ◇この世の花(1955_昭30)島倉千代子
44位 ◇せんせい(1972_昭47)森 昌子
45位 ◇さざんかの宿(1982_昭57)大川栄策
48位 ◇ブルーライトヨコハマ(1968_昭43)いしだあゆみ
49位 ◇娘よ(1984_昭59)芦屋雁之助
50位 ◇月がとっても青いから(1955_昭30)菅原都々子
52位 ◇いつでも夢を(1962_昭37)橋 幸夫&吉永小百合
53位 ◇長崎は今日も雨だった(昭和44年_1969)内山田洋とクールファイブ
57位 ◇与作(1978_昭53)北島三郎
59位 ◇湖畔の宿(1940_昭15)高峰三枝子
60位 ◇夜霧よ今夜も有難う(1967_昭42)石原裕次郎
61位 ◇誰よりも君を愛す(1959_昭34)松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
63位 ◇氷雨(1977_昭52)佳山明生/日野美歌(昭和57年カバー)
65位 ◇異国の丘(1948_昭23)竹山逸郎
71位 ◇酒よ(1988_昭63)吉 幾三
72位 ◇三百六十五歩のマーチ(1968_昭43)水前寺清子
75位 ◇二人は若い(1935_昭10)ディック・ミネ&星玲子
76位 ◇夢追い酒(1979_昭54)渥美二郎
79位 ◇おもいで酒(1979_昭54)小林幸子
80位 ◇潮来笠(1960_昭35)橋 幸夫
81位 ◇人生劇場(1938_昭13)楠木繁夫/村田英雄(昭和34年カバー)
82位 ◇見上げてごらん夜の星を(1963_昭38)坂本 九
84位 ◇てんとう虫のサンバ(1973_昭48)チェリッシュ
87位 ◇かえり船(1946_昭21)田端義夫
90位 ◇喜びも悲しみも幾歳月(1957_昭32)若山 彰
93位 ◇ブルーシャトー(1967_昭42)ジャッキー吉川とブルーコメッツ
94位 ◇みちづれ(1979_昭54)牧村三枝子
96位 ◇おふくろさん(1971_昭46)森 進一
97位 ◇もしもピアノが弾けたなら(1981_昭56)西田敏行
98位 ◇骨まで愛して(1966_昭41)城 卓矢
99位 ◇浪花節だよ人生は(1984_昭59)木村友衛/細川たかし
102位 ◇啼くな小鳩よ(1947_昭22)岡 晴夫
106位 ◇別れても好きな人(1979_昭54)ロス・インディオス&シルヴィア
107位 ◇昔の名前で出ています(1975_昭50/昭52年ヒット)小林 旭
109位 ◇東京ナイトクラブ(1959_昭34)フランク永井&松尾和子
111位 ◇星はなんでも知っている(1958_昭33)平尾昌晃
120位 ◇花街の母(1973_昭48/昭52年ヒット)金田たつえ
124位 ◇いとしのエリー(1979_昭54)サザンオールスターズ
130位 ◇祝い酒(1988_昭63)坂本冬美
131位 ◇青春時代(1976_昭51)森田公一とトップギャラン
133位 ◇夜霧のブルース(1947_昭22)ディック・ミネ
134位 ◇東京のバスガール(1957_昭32)コロムビア・ローズ
135位 ◇九段の母(1939_昭14)塩 まさる
142位 ◇時には母のない子のように(1969_昭44)カルメン・マキ
145位 ◇夢は夜ひらく(1966_昭41)園まり
147位 ◇白い花の咲く頃(1950_昭25)岡本敦郎
148位 ◇北上夜曲(1961_昭36)多摩幸子&和田弘とマヒナスターズ
149位 ◇嫁に来ないか(1976_昭51)新沼健治
151位 ◇時の流れに身をまかせ(1986_昭61)テレサ・テン
154位 ◇ジョニイへの伝言(1973_昭48)ペドロ&カプリシャス
155位 ◇ガード下の靴みがき(1955_昭30)宮城まり子
163位 ◇お座敷小唄(1964_昭39)松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
166位 ◇おひまなら来てね(1961_昭36)五月みどり
167位 ◇好きになった人(1968_昭43)都はるみ
168位 ◇知りたくないの(1965_昭40)菅原洋一
169位 ◇東京の花売娘(1946_昭21)岡 晴夫
170位 ◇圭子の夢は夜ひらく(1970_昭45)藤 圭子
171位 ◇浪花恋しぐれ(1983_昭58)都はるみ&岡 千秋
175位 ◇黄色いさくらんぼ(1959_昭34)スリー・キャッツ
177位 ◇夜明けのスキャット(1969_昭44)由紀さおり
181位 ◇蘇州夜曲(1940_昭15)霧島 昇&渡辺はま子
182位 ◇ダンシングオールナイト(1980_昭55)もんた&ブラザーズ
187位 ◇高原の駅よさようなら(1951_昭26)小畑 実
190位 ◇僕は泣いちっち(1959_昭34)守屋 浩
191位 ◇島育ち(1966_昭41)田端義夫
194位 ◇港町ブルース(1969_昭44)森 進一