はてなキーワード: 相思相愛とは
男性の幸福度、日本人の成人男子本人が「どういう状態を幸せと感じるか」は
男性の俺は女体を獲得できているという実感度に比例しているのではないか
と思う
この理由も、
未婚者のうち恋愛に対して関心が高い性別は実は男性のほうである(※これは日本に範囲を限定しない)
この理由も、
弱者男性の一部が「政府は弱者男性に女をあてがえ!」と主張するが、弱者女性からはそのような主張は弱い
この理由も、
日本において「男は女体を自由にできるという実感が幸福度の大きな要素だから」ではないだろうか
ここで留意すべきは
男性が、一人の女性の心を魅了し、その女性と心が通い合い愛し合っている、お互い相思相愛である…という実感を得ている
むしろそのような関係性を望む男は女々しいとサゲられる価値観すら見られる
日本人の成人男性の幸福度にとって重要なのはあくまでも女体を使役できているという実感である
女からの愛ではない
だが実際には「自分は愛してないが女が一方的に俺に尽くす」関係でも幸福度は変わらない
女が自分に献身的であれば、俺の支配度が高まる=使役度が高いからである
これはなぜか?
「女体を使役できる俺」という満足度は、同性間での格付けランキングを意識して得られるものだからではないだろうか
すなわちより若く、より美しく、
ただし結婚も視野に入れるとなると外貨も稼ぐうえにより従順で育児・家事で男を立てるほど
デカく感じられるトロフィーであるという基準が追加されることになる
女が「男からの女体の使役の要求」に敏感であることもこの価値観の根拠である
女が欲しいのは平均的な男と違い、心が通い合い愛し合う関係性である
ところが男が欲しいものをそのまま女にぶつけると、女が欲しいものはめったに与えないが体と人生を捧げる奉仕ということになる
社会でそのような男が標準だと知った女はその現実と折り合いをつけていかなければならない
だからこそ日本の社会で幸福度が最も低いのは、何もかも手に入れたはずの既婚女性であり、最も高いのは負け犬であるはずの未婚女性
なのではないだろうか
これではまともに貿易が成り立たない。
中国に工場を置いてる米国企業も欧州企業も日本企業も、米国で売ろうとしたら運ぶだけ赤字だ。
サプライチェーンの組み直し、といっても関税リスクが不透明なままだとどこに移転させていいやらわからん。
物流止まるだろ。
我慢比べ、チキンレースだと思うけど、俺はアメリカの敗北だと思う。
コロナ禍の時、日本、韓国、台湾、ベトナム、中国は国民が一丸となって封じ込めようとしていたが、アメリカときたら、痺れを切らして経済活動を再開した。
black lives matterとかなにやらで、なぜかApple Storeや NIKEを襲ったり、ストレスに晒されると暴動に及ぶ国民性だ。
日用品が全部値上がりなんか耐えられない。
メイドインチャイナの不買運動なんかできるわけがなく、Apple製品は中国で作ってるからApple Storeを襲え!みたいなことをやると思う。
だいたい、アメリカに溢れるモノの数割はすでに中国製、あるいは中国を経由してる。
中国に屈服したらどうなるか?
予想だけど、アメリカとも中国とも距離をとって中立を保っていた国々が、みんな中国につく。
石油がドル以外で決済されるようになり、ドルの基軸通貨としての地位が脅かされる。
上の予想は、まったくの妄想だが、どう転ぶにせよ、世界の均衡が変わる。
米国が負けたら地獄みたいち書いたが、米国が追い詰められたら、各国への関税が撤回されっかもしれないし、どっちが勝つのか、どっちが勝つほうが日本に有利なのか、もはやわからない。
謎の力が働いて、なぜか米中が相思相愛とか欧州と中国が相思相愛になるかもわからん
閣僚指名して話し合いを調整とか言ってないで、トップ会談しないとダメだろ。
漢をみせろ石破茂。
令和の田中角栄になれ!
うまく、説明できないのだけど、東大がトップであって欲しいと思う自分がいる。
東大に入れるような優秀なアタマではなかったし、学業以外でも東大とはゆかりはない。
それでも、なぜか愛着や憧れに近い感情があり、受験偏差値でも研究でも、あらゆるヒエラルキーで東大がヒエラルキーのトップであって欲しいと思う自分がいる。
心のどこかで、教育は国家が行うべきで、国家を代表する国立大学が看板を背負うべきと思ってる気がする。
東大が優秀な若者を集め、研究をリードし、卒業生は官庁や国営企業に就職して国家のために尽くす、みたいなのを無意識に理想にしてしまってる。
しかし、俺は東大生でも卒業生でも教員でもないけど、彼らの国家への帰属意識だってそれほどでもないように思う。学術会議がいうように、学術界は国家のためではなく、独立して人類のために存在してるわけだし。
口ではそう言っても、ちゃんと卒業後は官僚やJTCが人気、っていうわけでもなく、就職は外資系コンサルや商社が人気らしい。
それでも、やっぱり、日本のトップは国立大学に背負ってもらいたいと思うのだけど、例えばアメリカを見ると、トップは私立大学ばかりで、だからといって、学術界においてアメリカの存在感がないかと言ったらそんなことはないし、東大の座を早稲田慶應が奪っても誰も困らないような気はする。
つまり、心情としては東大は狭き門で無償、代わりに卒業生は国に尽くして欲しいと思ってる。
潤沢に血税を突っ込んであげたい。
一方で、理屈で考えると、学問は国家が介入しないのが理想で、東大、というか全ての国立大学、国の助成金も不要。
また、自らの幸福追求のために外資や商社に勤める就職予備校に国費を投入する理由もない。
米国の名門私大みたいに寄付とバカ高い授業料で運営すればいいし、高い授業料でももとがとれるって思う人がくればいい。
国は、福祉としての教育に注力するべきで、ボーダーフリー(いわゆるFラン)で掛け算九九を教えたりするほうが、国立大学の果たすべき役目にちかい
と、思ってる。
ところで、東大だって最初の最初は蘭方医の共同出資の種痘所、つまり私立の組織が幕府直轄、明治政府直轄になっていったんだし、考えようによっちゃ元々は私立大学なんだよな。
京都大学は元々の元々は長崎療生所で最初から幕府直轄だったけど。
アメリカなんかは大学どころか初等教育まで、国家に支配されないように頑張ってるみたいで、だから検定教科書もないし、創造論を教える学校も容認されてるらしい。
個人的には大問題だと思うけど、じゃあその反対は中国のような思想の監視で、日本くらいがちょうど良いように思う。
と考えると、高校までは公立が主体、大学は私立が主体でもいいような気がする。
一部のエリートに教育予算を注ぎ込むより、こういう子らの学びたいと思ったら、学べる機会を与えるのが国の役割なんじゃないだろうか。
国公立大学はブランドであって欲しいけれど、俺の良心は、貧乏だから門前払いをしないは当然、学力が低いから門前払いもしない、それが国公立の役割なんじゃないかと思ったりしてる。
『闇のパープル・アイ』って漫画は主人公の尾崎倫子(りんこ)が「危機が迫るとヒョウに変身する」というトンデモ体質で
らんま1/2のような陽気なノリではなく、その体質故に望まずにうっかりヒョウに変身し本能のままに人を食い殺すことに強い罪悪感を抱き苦しみ
また、変身人間を研究材料として追っているヤバイ学者に狙われ続けたりとひどい目に遭う
そんな主人公が終盤、ヒョウ状態の時に拘束され、そこへコンクリートが注ぎ込まれ「このままじゃ死んじゃう!」ってなる下りはめちゃくちゃ怖かったなというのをコンクリトークの中で思い出した
倫子はトンデモ体質のせいで日常を奪われ大変だが、幼馴染で互いに初恋相手の相思相愛のイケメンが理解ある彼くんになってくれる
変身人間は莫大なエネルギーを変身に費やすために短命で、倫子は途中からよく吐血するようになる
もうじき死ぬだろうと悟った倫子はその前にイケメンと結ばれたいと思うのだが、セックスに誘う時の言葉が「お嫁さんにしてほしい」なのである
現代の性の価値観だともはや意味不明だろう、なんて奥ゆかしく、そして悲しいのか
そんでまあセックスするのだが、その後にヤバイ研究者VS倫子の戦いが繰り広げられることに
また吐血して弱っている倫子を安置させ、イケメンは代わりに研究者をどうにかしようと立ち向かうことになり
そっと振り向いて倫子に向かって微笑みかけ、倫子も微笑み返す
その時に作者は先の展開など考えずなんとなく気分で「それが、僕が倫子を見た最後の姿だった」とイケメンにモノローグで言わせてしまったせいで、本当に二人はそれが生きて出会えた最後の瞬間になってしまう
気分でなんでそんなことしてしまうんだよ作者
あとコンクリ詰めもショッキングだったが、終盤でイケメンが高所から落ちるとかした後で吐血して「折れた肋骨が肺に刺さったようだ・・・」というところもショッキングだった
キッズだったので肋骨とか肺とか意識したことなかったのだが、そうか強いショックを受けると骨折して、それが臓器に刺さって血を吐くような事態になるんだ…!と自分の体内にある見えない部分に思いを馳せて怖くなった
篠原千絵作品の主人公カップルは大体壮絶であるが、他作品って途中経過が壮絶でも一段落した後はイチャラブしてるんだろうなっていう余地はあった
闇のパープル・アイはそうでなく悲しい
https://anond.hatelabo.jp/20250203103838
男性の気持ちを察する能力も皆無なので、脈アリか脈ナシか判断出来ない。
そこで思い切って告白か、ホテルに誘う、という行動を取ってきたが、
上手く行くはずはなく、玉砕して終了。
気持ちが一方的過ぎて、相手の気持ちを読み取れず、気持ち悪がられる。
私の場合は顔が醜く、体は太っていて、太っているのに胸は小さい、おまけに歯並びが最悪である。
それでも出来るかぎりの努力はする。
弱者女性でも、容姿については出来る限り少なからず努力をしているのではないかと思う。
まず、そもそもが「弱者」なので整形や脂肪吸引、歯列矯正等にかけるお金が無い。
風俗で働いてお金貯めれば?という意見が出そうではあるが、そもそも男性相手の商売は元の容姿が醜いと雇ってはもらえない。
そこで、整形の類いは諦め、自分の体型でも着られる洋服を一生懸命探す。
それでも、実際に男性と会うところまで漕ぎ着けたとしても、容姿に難癖を付けられて終了、となる。
自分の事を「まともで優しい女」だとは思っていない。
卑屈な社会不適合者で、世間から嫌われるのは当然だとも思っている。
真人間になってから出直して来い!とあるが、真人間になれたらどれだけ良いのだろう。
元増田はとにかく「努力」を押して来るので、私のやってきた努力とできなかった努力について補足として残しておきたい。
まずはメイクと髪。メイクは前述した通り、デパートのコスメ売り場で色々相談しながら購入。
髪はきちんとしたヘアサロンで黒髪ロングを維持。トリートメントやちょっと良いヘアオイルなどでケア。
服装はシンプルなワンピースなどが多い。ただし体型的に着られる作りのやつに限る。
靴も自分が歩ける高さのヒールのあるシンプルなものを選ぶ。値段、デザインのバランスが取れているのはダイアナ。
逆に何もできなかったのは「ダイエット」と「会話」だ。
私の場合、長年摂食障害を患っていて、主に過食型。嘔吐に成功出来たのは本当に数少ない。
太り続けるだけだった。
病院で処方される薬は何故かどれもこれも副作用に「体重増加」と書かれていて、こちらも相まって痩せる事は出来なかった。
会話については、それこそ一体何冊会話術の本を読んだかわからないくらいだ。
相手の話に質問を挟んだりしてみても、見当違いな質問ばかりしてしまう。
ただ、最近摂食障害が落ち着いてきたのか、体重が減りつつあり、普通にお店に売られている洋服がやっと着られるようになってきた。
歯並びの悪さを除けば、もしかしたら「最低限の容姿」に近づきつつあるのでは?!と思った。
しかし、私はすでに40歳を超えていて、もう男性にとっては「恋愛賞味期限切れのただのBBA」でしかない。
私のような弱者女性でも、一度くらいまともな恋愛をしてみたかった。
事件そのものの是非は置いておくとして、「撮影されながら輪姦されたい女は絶対にいない。もしいるなら、それは精神科や福祉への連携が必要である」って意見を見てギョッとした。
性別問わずアブノーマル好きなのは一定層いるんだが、そういう奴らを全員精神病院送れってのか? それともそういう女は、相思相愛であっても全員男に強制されてるほど頭が弱いと思い込んでるのか?
自分の周りの女でも、首絞め、露出、ドM、輪姦は確認してる。てか、首絞め好む女が意外と多くてビビった。女のほうがアブノーマル過ぎで、男がついて行けずに別れたというのも聞く話。首絞めプレイなんて、一歩間違えたら殺人になるからね。
今までフェミニスト=左派だと思い込んでいたが、これなんかバリバリの保守じゃねぇか。
あー、確かに精神疾患の基準であるDSMでは、一部の性的嗜好は精神病認定されてる(更新されて認定解除されたりもしている)が、他人に迷惑かけなきゃ本人とパートナーの問題だろ。「隣の夫婦がSMプレイしてます」って通報するのか?
まぁ元増田さんに同情するつもりはないのだけど、皆様に覚えておいてほしいこととしては、ブロックや着拒の暴力性の高さですよね。
これはね、来るんですよ。メンタルに相当。
人生破壊したいやつがいるなら、相思相愛になってからブロックするとホントに壊せると思う。少なくとも一生物の傷にはなる。
って、マチアプ全盛期の今だからそう思う。マチアプはね、共通の知り合いがいないからブロックしたら終わりなのよね。だからブロックされて強制終了された人を割とみてきた。みんな狂ってた。
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
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[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……