はてなキーワード: 牛歩とは
新・文鳥🐥
@humitori__dayo
本日は暇空弁護団が私を訴えている訴訟の期日でした。原告側から請求原因追加の書面と50頁の再反論書面、こちらからは追加された請求原因に対する反論書面を提出していましたが、原告側が欠席したため陳述は次回以降に。今回も反論書面の作成に皆様からのカンパを使用しました。ありがとうございます。
暇空弁護団は自分たちで「カルピス文鳥」を訴えたのに、裁判をすっぽかしてしまった
「カルピス軍団」は、暇空茜の元弁護士・垣鍔晶のネット上の名前に由来する
カルピスを名乗っての差別中傷が激しいわりに初期のまともだった頃は実名で同期弁護士とやり取りしており身バレした
彼を当てこすった「垣鍔カルピス晶」みたいな名前の人が大量発生して暇空アンチクラスタとなり、「カルピス軍団」と暇アノンに呼称されるようになった
文鳥はカルピスと名乗ってはいないが暇アンの中では存在感がある
暇空弁護団みたいな人が本当の『悪』だと思う
この発言だけでは弱いと思ったのか、名前欄の伏せられた正体不明の人物の書き込みも文鳥のものとして暇空弁護団は提出しており混迷を極める
暇空弁護団は、東京都への行政訴訟、5ちゃんねる嫌儲板スレ立て人「富士山」への民事訴訟などでも期日に書類を提出できず遅延しまくっている
行政訴訟の遅延に関しては、暇アノンの決めゼリフ「本命の行政訴訟はまだ結果出てないから!」でもわかる通り、「終わらせたくない」「戦ってるふりをしたい」という計画的な牛歩戦術だと思われる
期日遅れは東京都側も暇空に対してやっており、暇空は「牛歩だ」と怒っていたが、相手を不快にさせるのに「使える」と学習したのではないか
文鳥も富士山も普通の社会人らしいので、延期が続くと仕事に触りが出るし、暇空のような大富豪でもなさそうなので弁護士雇用を続けると費用が嵩んで苦しいだろう、そこも狙っているのではないか
暇空弁護団は暇空関係の訴訟を数多く重ねており、純粋に忙しくて延期するしかなかったのかもしれない
暇空案件だけでも大変そうだが、弁護士の小沢一仁は保守党関係の弁護もやっており、渥美陽子は資産家関係の人脈があり最近は別件で勝訴し200万円勝ち取るなどしている
文鳥は法律に詳しそうな発言が多かったため「colabo弁護団の誰かだ」と暇空は認知プロファイリングしていたが開示してみたら法曹関係者でもなく空振りだったので、開示して身元がわかった段階で優先順位はだいぶ下がっていそうだ
保守党の者が保守党の者を訴えるという内紛の弁護士を務め、暇空は以前に保守党とも揉めたので「暇空のところの無能弁護士」と、ただでさえ暇空係になってから叩かれがちなのに通常の3倍叩かれるようになった
誹謗中傷の識者としてテレビ出演もしていたのに最近は番組で対談する予定が他の出演者に暇空弁護士であることを理由に共演NGされて取り消しになったり、「中傷を食い止める穏健弁護士」のイメージが崩れてしまい、苦しんでいるのではないか
期日の前日、小沢はXで連投しまくり0時を過ぎてからも誰かへのメッセージのようなふわっとした発言をしていた
きんたまんこの場合は変わり種で、暇空でも弁護団でもなく「藤澤翔馬」に示談を要求されている
藤澤は暇空の相棒なるくんの正体とも、なるくんに身分を乗っ取られている被害者とも諸説ある人物だが、弁護士沙汰に加わるのは初であり暇空界隈で注目されている
138:きんたまんこ (ワッチョイW 063e-dRJQ):2025/05/21(水) 23:13:16.32 ID:sG7t2VOr0 BE:858860497-2BP(1000)
これ、オザーが腹癒せに俺を訴えるパターンじゃん
パターン死の行進じゃん
文鳥訴訟すっぽかしがうっかりミスの場合、その腹いせの対象になるかもしれないときんたまんこは怯えている
きんたまんこは無職で発言もキチガイ気味で、暇空女体化エロ小説とか書いている無敵の人なので、もし訴訟になっても牛歩戦術は効かなさそうだ
暇空の自宅周辺を街宣車で徘徊したつばさの党、渥美陽子の事務所周辺を街宣車で徘徊した山下ギルドなど、暇空はマジキチ相手には及び腰で訴えないので、きんたまんこもキチガイを加速させれば逃げられるかもしれない
運を操ってるのは胴元のヨースターだよね?
その運をこちらに向けない、つまりフェアな勝負を提供していない
これに対する抗議として牛歩をする
同卓したやつらは俺にキレるんじゃなくフェアな勝負を提供してないヨースターに怒りのこぶしを挙げろよ
俺は当然の権利として牛歩をする。麻雀は相手の嫌がることをやるのが正解。イラついて途中で退席したらしめたもの
振り込んだから牛歩、とすると、その相手に対する攻撃になってしまう。そういうことをやりたいわけではないので、開幕即牛歩
逆に溜めロンはしない。ロンの時はすんなり上がる。また、俺が溜めロンされたとしても、それは織り込んでいる。相手は俺を懲らしめようと思ってそうするんだろうが、そもそも最初からそういう次元でやってない。
これが俺の流儀
子供はまだ小さいのでリフト券は買わず、キッズパークみたいな所で雪ゾリや雪だるまでも作って遊ぼうという算段だ。都心から比較的近いスキー場で、こぢんまりとした所なのでたいして人もいないだろう…と思っていたが甘かった。
楽しかったのはスキー場に着くまで。子供は初めての雪遊びに興奮しており、妻とも「スキー場なんて何年振りだろうね」と皆ワクワクしていた。
片側1車線の山道をのぼり、だんだんスキー場が見えてくると同時に不穏な気配が漂い始める。対向車線が完全に渋滞しているのだ。みな駐車場の入庫待ちだ。えんえん1kmは続いている。この列に並ぶのか…。ここまで来て引き返す訳にもいかず、車列に加わる。何時間かかるか分からないから先に遊んで来ていいよと妻と子に荷物を待たせて下ろす。遅遅として進まぬ牛歩の歩み。やる事もないしフェルミ推定でもするか。車列が1kmで車1台が5mとする。1台駐車できるのに1分かかるとすれば、200分…。その後は無心に耐え、1時間半ほどしてようやく駐車する。
妻子はもう遊んでいるかな、と思ったが己の認識の甘さを痛感する。入庫にこれだけ時間がかかるという事は、入場券を買うのもまた同様なのだ。ほぼ同タイミングで入場する。この時点で子供はかなり飽きており、妻もだっこ疲れで疲弊していた。
さあ遊ぶぞ!と思ったのも束の間、今度はレンタルの列が待ち受ける。妻にはその列に並んでもらい先に子供達を連れて遊びに向かう。しかし手袋がないとまともに雪が触れないのは自明の理だ。結局レンタル品を入手するまではその辺をうろうろする他無かった。
ようやくウェアや雪ゾリを確保して妻に一言「俺の荷物は?」「ロッカーに預けた」「えっ…どこのロッカー?とってくるよ」「女子更衣室の中だから私が行かないといけない」なんだそりゃ。
要領の悪い妻に辟易しつつも遂に雪遊びに辿り着く。しかしこれもまた当たり前なのだが場内は芋洗い状態だ。ちょろちょろと動き回る子供をなんとか宥めすかし、雪ゾリの列に並びながら気を取り直して遊ぶ。とにかく疲れる。
そして朝早くに出たもののあっという間に昼ご飯の時間だ。大人だけなら空腹を我慢してレストランが混む時間を避ける事ができるが子供はそうは行かない。お腹が減ると露骨に不機嫌になるのだ。もちんレストランは長蛇の列で、再び地獄の列に加わる。妻子には先に席を確保してもらい、おやつにと買ったチョコレートとジュースを渡して耐えしのいでもらう。1時間ほど並び、ようやく腹を満たす。もう2時過ぎだ。
雪ゾリの列に再び加わりながら、ふとムービングベルトはどこかな?と思う。キッズパークにある、斜面を登るためのエスカレーターのようなものだ。子供は大層喜ぶだろう。あたりも見回しても見つからず、近くにいたスタッフに尋ねると「今日は混んでいるので運行を停止しています」そんなの聞いてないぞ!
子供もソリに飽きたので雪だるまを作りに行く。ここも地獄の様相を呈しており、とにかく遊ぶ場所が無い。場所をなんとか確保しても今度は雪がない。人工雪なのでさして積雪していないのだ。必死に周囲から雪をかき集め、所用の目的を達成する。
また、ここまで記述していなかったがもちろんトイレも死ぬほど混んでいる。女子トイレに至ってはGWのサービスエリアを思い出すほどの列だ。男子トイレはまだマシだったためよかったが妻はかなり辛かっただろう。
さて、ろくに遊んでないがもう4時だ。帰り支度を始めるがもちろんレンタル品の返却にも長蛇の列が待ち受ける。ただ返すだけなのになぜここまで混む…
心を無にして並び、ようやく車に乗り込む。帰り道は意外にも空いていた。
ここで最悪の選択をしてしまう。せっかくだから帰りにスーパー銭湯に寄って疲れを癒そうと考えてしまった。郊外の人の少なそうな所を選んだつもりだったが、地獄が再び待ち受ける。鬼混みなのだ。駐車場への列に並び、意識をようやっと保ちながら入場。あっ、ごはんは?もちろんスーパー銭湯内のレストランも長蛇の列。その辺の牛丼屋などで済ましてくれば良かった…かなしいかな精神を削り取られた我々にはそんな事も思いつかなかったのだ。
腹を満たし、風呂に入る。さして遊べず体力の有り余っている子供を御しながら帰路に着く。なお子供はすぐに寝た。
家に着き、妻は後片付けも早々に寝る。私は?もちろんまだ寝れない。せまいガレージに車を押し込み、濡れてしまったものはベランダに干し、洗濯物をカゴに入れ、ようやく晩酌にありつく。妻は運転ができないので家に帰るまで酒は飲めないのだ。
とにかく疲れた……。精神的に。妻とはストレスによりかなりギスギスしてしまった。遊びに行ったはずがただただストレスを感じるだけだった。
・有給を取って平日に行く事。
————
誤字脱字を訂正しました。
野望を叶えたいという欲望が弱まるからだと思った。100%主観情報。
性欲的なものから地位、名誉などが根源的なものだろう。おそらく突き詰めていくとすべての人間が該当する...と思う。
これらを一応野望と呼ぶことにする。
この野望を叶えるために頑張ろうとする。
しかし、ある程度年齢を重ねるとすぐにやれることはある程度やり尽くしてしまう。
そうなると足踏みするか、牛歩のような進捗が続き、気がつくと野望が見えなくなる。
プログラマ定年説もこの野望を見失うことが原因だと思った。
日々の学習が辛いというよりは
始めたての頃は何もわからないけど、とりあえず動いたとか、改変した、そしてWebページが見れたとかモバイルアプリが動いたとかあるだろう。
その時点でマネタイズなんて考えていないと皆思っている。しかし心のそこでは思うのだ。わんちゃんあるんじゃないか、と。
そうしてズルズルと何年も浅瀬をノロノロとさまよい、気がつけばいい歳になり、浅瀬は歩き尽くす。
深いところは怖くていけない。体力がないなどと言い訳を作る。
こうしてこのまま朽ちていく
ほどではないかもしれないが、当初わんちゃん思い描いていた野望は気がつけば見えなくなる。
今でも正しいと思う。
でも俺も同じようなものだ。いや、自分のことだからもっと馬鹿だ。
宝くじを買う馬鹿共は所詮そいつらの人生のリソースを無駄にしているだけだからどうでもよいが、
①事故が起きたのは「辺野古基地前」ではなく、15km離れた名護市安和
②誰も「座ろうと」していない。牛歩
③歩道を歩行者が歩く牛歩はただちに「違法行為」にはならない
④抗議の女性が重傷であることには触れない
死傷者2人の重大な事故を、デマ拡散と沖縄攻撃に使わずにいられないのがひろゆき氏。 https://t.co/P14vvSKuAU— 阿部岳 / ABE Takashi (@ABETakashiOki) June 29, 2024
すべて当事者が自ら公開している情報だ。このやり方が正しいと思うなら逃げも隠れもせず遺族に釈明すればいい。
おれは普天間基地の近辺に住んでて騒音にはそこそこ迷惑しているが、それを全て差し置いても俺はお前らの側には一生立たないからな。
”機動隊員がいないためダンプの前に立ちはだかるなどして、粘り強い抗議を午後5時近くまで続けた。”
https://standwithokinawa.net/ja/2021/03/19/2021mar19news-ja/
http://standwithokinawa.net/wp-content/uploads/2021/03/DSC04699-780x439.jpg
"団体は、本部町島ぐるみ会議。県内外から集った市民が通常よりも多い人数で、牛歩による抗議・阻止行動を、主に辺野古埋め立て土砂運搬のダンプトラックに対して繰り広げる。"
"参加者の多くが琉球セメント安和桟橋へ向かい、そのダンプ出入口での牛歩行動を行い、結果として、埋め立て土砂運搬をかなり滞らせることができた"
本部塩川港・安和桟橋での不屈の闘いが、埋立土砂搬出ダンプ数を減らしている!
https://blog.goo.ne.jp/chuy/e/6c2c16d5eef5734ad63835a98a442802
ほか
www.youtube.com/watch?v=l9z9Qk6CbCg
www.youtube.com/watch?v=36TzDtNNRKY
www.youtube.com/watch?v=5EwUo9XJFBI
www.youtube.com/watch?v=lD0beYYrZYM
数十年かけて牛歩で進めてようやくいま導入しようとしてるんだぞ
ちょっと前の増田の解説で内訳が示されたけど、「姓を捨てる必要があるから結婚できない」なんて人はデータ上ぜんぜん居ないわけだ。金や出会いに比べれば些細すぎる問題。
夫婦別姓が婚姻率にも出産率にも他の政策とくらべて寄与しないとなると積極的に推進する動機にもならんわけな。
択一ではなく出来ることは全部平行してやれって話にしても優先度は下の下の下下下の下でしょ。
夫婦別姓のメリットって結婚をやめるほどの不利益ではないけれど姓を捨てたくはなかったっちゅー人たちの気持ちが浮かばれるのと変える側のもろもろの手続きぐらい。
そんでもって導入したらしたで同姓別姓どちらを選ぶかという選択の自由や子供の姓の選択など新しい問題も出ることも明白で、こんなもん本腰入れて可及的速やかに論じる必要ないわな。
●ディズニーアンダーグラウンド(地下に潜んだミッキーたちと一緒に工作活動をしよう)
●ディズニースペース(宇宙ステーションにある。往復費用含めて1000万円かかる)
●ディズニー4thディメンジョン(4次元世界にあるディズニー。行くと二度と帰ってこれなくなる)
●ディズニーヘブン(死んだ後に行けるディズニー。善行を怠るとディズニーインフェルノに堕とされる)
●ディズニーちいかわ(ミッキーたちとちいかわの国に行こう。草むしり検定も受けられるよ)
●ディズニー温泉(適当に考えてたけど意外と良さそうなので今回はこれイチオシ)
私は傘を持っておらず、この先少し歩けばアーケードのある商店街があることを知っていた。
そこまで行って傘を買おう。
そう思って、商店街へ急ごうとした。
彼女たちは相合傘をしていて、傘を持っていない女の子の方を庇うように傘をさし、
濡れないようゆっくり歩いていた。
彼女たちは牛歩のように歩き、道は塞がれ、私はびしょびしょに濡れながらゆっくり進むことしかできなかった。
ああ、そうかと私はそこで人生について悟ったような気がした。
誰かにやさしくするというのは、同時に誰かを冷遇することなのだと。
一人を救うことは同時に一人を救わないことなのだと。
岡崎律子を知ってる人は多くないとは思うけど毎年この時期になると思い出してしまう。
そのうちどこかの記事にまとめるかもしれないけどそうなっても許して欲しい。
2004年3月17日に彼女がリーダーをしていたメロキュアのベストアルバム『目処ディアスハードキュア』が発売された。
彼女の作る楽曲、歌声は俺の荒みきった心にスーッと染み渡る即効性があった。
本当に生活や世の中への不安を共感してもらえたような気持ちになれた。
CDが発売されてかしばらくしてストアイベントをやるとの告知が出た。
たしか突然だったと思うけど当時飛ぶ鳥を落とす勢いで調子にのっていた俺は
「こういうのは発売前に告知しろ!コロムビアは常識が無いのか!?」
「もうアルバム買っちゃったしどうすればいんだ!」
などと思ったのかもしれない。
渋谷のHMVでのイベントはアニソンには似つかわしくない場所だよなと感じたのは覚えている。
そもそも当時44歳の彼女は表に出てくることはほとんど無いのだ。
俺は勇気を振り絞ってヤングの街渋谷の領域に行く決心を固めた。
今にして思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。
イベント当日の2004年4月6日渋谷に場違いな俺、いや、俺達は100人くらいだったと思う。
HMVのCD売り場にちょこっと作られたイベントスペースに集合させられた。
表現は悪いかもしれないが、ソーセージの試食や半額弁当に群がるハイエナの如き様相だった。
ハイエナ共を囲った鎖の外には望月久代も来ているのも確認できた。
明らかに業界人じゃないし通りすがりの一般人でもない普通の人が何人か認められた。
この時受けた感銘は一生忘れることはない、し、この気持に異論を唱える人は誰ひとりいないと思う。
彼女は『ふたりのせかい』では振り付けまで披露してノリノリだった(この振り付けはこの楽曲を耳にするとついやってしまうくらいお気に入り)。
MCでは(別に嫌というわけじゃなかったけど)はしゃぐ彼女と、イメージとの違いに若干の違和感はありました。
相方の日向めぐみも「リーダーはしゃぎすぎだからもっとおさえて!」と訝しげにしていた。
握手会でも彼女は丁寧にコミュニケーションをとっており、日向の流れ作業とは本当に対象的だった。
ものすごい牛歩だったけど、そろそろそのくらいで!とか声を荒げるスタッフはいなかったのも印象的だったな、やるじゃんコロムビア。
そしてそれは突然訪れた。
イベントから1ヶ月後の2004年5月12日に彼女の訃報が読売新聞に掲載された。
俺達は知るすべは無かったかが2004年6月6日の読売新聞の追悼渉によると1年ほどの闘病生活だったそうだ。
2003年の5月に胃ガンと診断され翌月から入院、病室にキーボードを持ち込みでクリエイティブ作業を継続。
(ちなみにこの記事に掲載された彼女の写真は2004年の3月に撮影されたものであった…)。
日向めぐみ、望月久代の「なんて目をするんだ…」という様相は俺達に向けられた侮蔑の眼差しではなかった。
場違いな普通の人たちはケアマネさんかもしかしたら医療関係者だったのかもしれない。
このような状況下で『メロディアス・ハードキュア』は造られ俺達に届けられたのだ。
突然のイベント告知は彼女の体調次第、おそらくは彼女がわがままを押し通したのだろう。
正確なところを知るすべは無い…しかし俺は感じ取ることは出来たのだ…
昨夜は処方してもらった薬二錠を飲んで就寝したものの寝起きは優れない。
朝ごはんはパソコンデスクで食べている。モニターには今朝のニュースなんかが垂れ流れていて、YouTubeに切り替えた。
こんな時間でもスト6のライブ放送をしている人というのは案外居るもので、その中にはちょうどザンギも居た
ザンギ使いなのでこのライブ配信を見ながら朝食を摂り、それからメールの確認等雑多な作業をこなしていく。
頭はぼんやりとしていて気が乗らず、カフェオレを作る。牛乳は多め。それを飲んでもあまりシャキッとはせず、どちらかといえば勝るグダグダ感。
有名格ゲーマのライブ配信も始まり、それを聞きながらの作業。しかし昨今今はやるべことが多すぎて積んでいて、どれから手をつけようかと迷いだす。
とりあえずは、納期が一番短いものから手にかけよう…と作業を始める。マルチタスク。音楽やらニュースを聞きながら並列で各設定を構築し、会話の内容を執筆し、それから音楽の選定もだ。
少しずつ、ほんのわずかながらも進み、あっという間に昼となる。
昼は朝と変わらない簡単な飯にした。厚揚げうどん。もやしつき。あじはまあまぁ普通。それだけ。
午後になるとカフェインの過剰摂取のため頻尿過多に頭痛が顕在し、ふらふらする。やる気、どころの話ではなく、頭の中を嵐が通り過ぎているような感覚。
とりあえずノンカフェインのお茶(麦茶)や水をかぶかぶ飲み、少しずつ体を落ち着かせていった。
おかげで午後の業務は牛歩のスピードで、結果的に進んだのは微々たるもの。
外は寒いので結局出かけず、夜になると雑にPC使って過ごす。それと習慣の読書を少しだけ。
本はソンタグの『反解釈』。まだ読み始めだがとても面白い。ある種の罠、批評家が批評家を批評するときのトラップ”その批判はあなたにも向けられているのではなくて?”をソンタグは意識して書ける批評家なのでその辺りの身の躱し方やら矛先をあらゆる方向に向けたりするテクニック的な面も含めて非常に面白い。
飲み干しながらこれを書く。
綺麗なんだよね、具体的に何がってわけじゃないんだけどさ
薄曇りの朝、肌寒くて風が強くて、それでも空は青くて高い、太陽光は間接的に建物を照らして、遠くには変哲のない山、ただ濃いグレーが木や土や石の多くの集まりによって作られているだけ
ただそれだけなんだけどさ
今思い出すとなんかこう、涙袋が熱くなるくらい、目の裏に刻んでおける景色なんだよね
今日過ごす一日のあまりにも長い時間に比べれば、そのトラックやらバスやら軽自動車やらの編み上げる音なんざ、全然気にならないんだよ
日常ってさ、こういう風に僕の真横を平行に貫く国道を駆ける自動車たちみたいにざーっと過ぎ去っていくんだけどさ
そんな自動車たちに追い縋ろうとして、僕はこんなものを書いたりしてるんだ
こんなことを書いたって所詮は徒歩、牛歩に近い徒歩なわけだから、何も追い縋ることなんて出来ず、ただ自動車的毎日にびゅんびゅん横を通り過ぎられ、圧倒され、蹂躙され、こうしてコンクリートの植木の脇に打ち捨てられた白い不織布マスクなんかを横目にまた一歩一歩なわけなんだけどさ
今、この目で見えているものを見えているものそのままに扱うと、とても鮮やかだよ
今日のタスクが、とか、今日は上司が、とか、気勢を削いでくるものは色々あるけど
目で見えている生のもの、それは国道を突っ走る自動車的だけれど、実は違うの
吸い込む外気も、空の色も、遠くの山も、建物の外壁も、国道沿いのトヨタやら日産やらの販売ディーラーも、葬儀屋も、iPhone修理屋も、洋菓子屋も、ガソリンスタンドも、信号も、母と子も、中年男性も
綺麗なんだよね、
たぶん誰も興味ないんだろうけどさ