はてなキーワード: 消極的とは
それは日本に言わないと
日本も過去に国連決議に反する、またはそれに沿わない行動をとったと見なされた事例があります。ただし、日本のような民主主義国家で法と国際協調を重視する国は、露骨に違反することは少ないですが、「解釈の相違」「実質的に無視した」という形で国連の意志に反することは存在します。以下に代表的な例を挙げます。
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背景:国際捕鯨委員会(IWC)および国連関連の環境保護決議では、商業捕鯨の停止やクジラの保護を強く要請。
日本の対応:日本は「科学的調査」を名目に捕鯨を継続し、国際的には「実質的な商業捕鯨」と批判された。
国際裁判:2014年、国際司法裁判所(ICJ)は、日本の南極海での捕鯨は科学目的ではなく違法と判断。
その後:2019年にIWC脱退。日本は国際的な枠組みの外で商業捕鯨を再開。
評価:これは国連の精神(持続可能な資源管理)に反する行動と見なされる。
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2. 武器輸出の緩和
背景:国連は武器の拡散防止や軍備管理を強く推進(例:武器貿易条約)。
日本の対応:戦後の「武器輸出三原則」を緩和し、防衛装備移転三原則へと変更。
問題点:これにより、日本が武器や防衛技術を他国に輸出する可能性が拡大し、国連の軍縮の方向性と矛盾するとする批判がある。
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3. 難民認定の極端な少なさ
背景:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、各国に対し難民保護の拡充を要請している。
日本の対応:難民認定率が極めて低く、2022年時点で100人未満の認定。
評価:形式的には違反していないが、実質的には難民条約・国連の意向に反していると国際的に批判されている。
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背景:国連では対北朝鮮制裁を推進しつつも、人道支援の継続を要請している。
日本も過去に国連決議に反する、またはそれに沿わない行動をとったと見なされた事例があります。ただし、日本のような民主主義国家で法と国際協調を重視する国は、露骨に違反することは少ないですが、「解釈の相違」「実質的に無視した」という形で国連の意志に反することは存在します。以下に代表的な例を挙げます。
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背景:国際捕鯨委員会(IWC)および国連関連の環境保護決議では、商業捕鯨の停止やクジラの保護を強く要請。
日本の対応:日本は「科学的調査」を名目に捕鯨を継続し、国際的には「実質的な商業捕鯨」と批判された。
国際裁判:2014年、国際司法裁判所(ICJ)は、日本の南極海での捕鯨は科学目的ではなく違法と判断。
その後:2019年にIWC脱退。日本は国際的な枠組みの外で商業捕鯨を再開。
評価:これは国連の精神(持続可能な資源管理)に反する行動と見なされる。
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2. 武器輸出の緩和
背景:国連は武器の拡散防止や軍備管理を強く推進(例:武器貿易条約)。
日本の対応:戦後の「武器輸出三原則」を緩和し、防衛装備移転三原則へと変更。
問題点:これにより、日本が武器や防衛技術を他国に輸出する可能性が拡大し、国連の軍縮の方向性と矛盾するとする批判がある。
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3. 難民認定の極端な少なさ
背景:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、各国に対し難民保護の拡充を要請している。
日本の対応:難民認定率が極めて低く、2022年時点で100人未満の認定。
評価:形式的には違反していないが、実質的には難民条約・国連の意向に反していると国際的に批判されている。
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背景:国連では対北朝鮮制裁を推進しつつも、人道支援の継続を要請している。
ものっそい素朴な疑問なんだけど。
ロシア vs. ウクライナと、イスラエル vs. パレスチナは歴史や状況が相当に違うんだけど、それでも主権を持たない輩が攻め入っているという状況では共通している。
はてな民の諸氏の中に、ロシアによるウクライナ侵攻を非難していて、かつイスラエルの占領・侵略を積極的または消極的に受け入れているという人はいるんでしょうか?いるとしたら、どういう理屈なんでしょうかね?
ハマスが10月7日に越境攻撃をして民間人と兵士を人質に取ったから?
ハマスが人間の盾を使用しているという明確な証拠が出てこない割に、イスラエルが人間の盾を使用している証言や映像がたくさん出てきている。イスラエルが人間の盾を使用しているなら、イスラエルは攻撃されても仕方ないという理屈になるの?
ハマスが10月7日に越境攻撃をして民間人と兵士を人質に取ったから、それが戦争犯罪だら、イスラエルの占領、封鎖、攻撃が正当化されるの?越境攻撃の前にもずっと、占領、封鎖、攻撃、追放、抑圧が続いていたけど、それはなぜ?ハマスがいたからなの?
ハマスはイスラエルの占領政策が始まってから、30~40年くらい後に誕生していたと記憶しているんだけど(正確な数字はググって)それだとハマスの存在を理由に占領を正当化できないよね?(仮に先にハマスが誕生していても正当化できないけど)。
西岸地区はファタハ・PAが実効支配していて、理屈上はハマスが存在しないはずなんだけど、ハマスを理由に占領が正当化できるの?
ユダヤ教徒たちに自分たちだけの国が必要だとして、他国を侵略・占領していい理由になるの?そもそもイスラエル国内にいる先住民のパレスチナ人は人口比2割なんだけど、ユダヤ教徒たちに自分たちだけの国が必要だと思う人は、彼らも追い出すべきだという考えなの?
ユダヤ教徒たちに自分たちだけの国が必要だとして、彼らの安全保障を脅かしたのは誰なの?ヨーロッパ人じゃないの?
ロシアによるウクライナ侵略に正当性がある考えていて、かつイスラエルによる占領や侵略に正当性があると考えているなら筋は通る気がする。でも、ロシアのウクライナ侵攻を非難しておいて、イスラエルの占領と侵略を非難しない人がいるなら、言葉は悪いけど馬鹿なんだろうなーって思ってしまうんだけど、言い過ぎでしょうかね?
マチュ
周囲にはあんなに舐めた態度取ってるのに男には一生懸命だが、消極的
悪いことや危ないことを普通じゃなくてカッコいいとか思ってるのは現実でも多く、女さん向け不良漫画の多さでよく分かる
現実だとホスト狂いかK-POPアイドルに被れて周りの男を見下すタイプ
落ちぶれても要領の良さやスペックは変わらんからニャアンよりどうとでも生きてけるよ
もし共学なら同年代の男からガッツリ嫌われてると思うので、落ちぶれたら喜ばれてそう
ニャアン
随所に育ちの悪さが見られるが、男には積極的
いっつも一歩後ろにいるが、実際は性格もセックスも激しいタイプで男に物理的に噛みつきそう
マチュと違って周りの男を見下したりはしなさそうなので、マチュより実際は大分モテるが女コミュニティのカーストはマチュよりずっと低そう
指示役の男と一緒に飯食ってるシーンから、意外と男とちゃんと関係築けるタイプ(マチュならキモい連呼したり絶対食べに行かない)
MSに興味なさそう
イケメンで都合の良い男をきっちり捕まえそう
「お前には無理だやめとけ」感が強く本人から見下されてる感を感じるので、胡散臭い強者男性や精子スプリンクラー系の薄い本の竿役しか寄り付かなさそう
エグザべをうっすら見下しており、どちらかと言えばエグザべよりシャリア・ブルと自分を対等な人間と思ってそう
今の所なんでOPで他の主要キャラと走ってるのか分からないキャラ
タマキ(マチュ母)
旦那もエリートだったんだろうけど、マチュの低身長ぶりは旦那からの遺伝
捕まえるのくっそ難しそうだけど、男の外見の査定はマチュより甘そう
大辞林第三版や明鏡第二版で(名)スル、名・他サ変の記載がある。これらは全てするをつけて動詞として使えるの意。
同じ辞書で予想、予測と調べてもいずれも動詞としての使用を認めている。逆に同音異義語の余談では認められていない。
予断は明らかに熟語の構成という部分で予想や予測と同じグループにあるものであり、それらが全て辞書の指摘通りサ変活用を認めると解釈するのは理論的に整合性がある。
逆に辞書の記載を無視して予断だけはそのような使い方は許されないと解釈すると、なぜ予想は予測はよいのかという話になる(オッカムの剃刀)
理論的に熟語として仲間ではない「余談」では認められていないということがこの文法ベースの解釈の正当性を裏付ける。
以下は小納言で「予断」で検索した結果
https://shonagon.ninjal.ac.jp/search_form
・ては,円高傾向のような積極的要因がある一方,これに伴う不況という消極的要因もあり予断し難いが,国民の海外渡航熱にはなお根強いものがあると考えられるので,当面は増加
・のとしている)、条約法条約は、敵対行為の発生が条約に及ぼす影響などの問題について予断していない(七三条)。国際司法裁判所のガブチコボ・ナジュマロス計画事件でハンガ
・るべきこと。2 評価の実施に当たっては,プルトニウム利用を排除すること等,結果を予断することなく,客観的,技術的に作業を進めること。3 原子力平和利用のいたずらな混
・るごと尻馬に乗せているのではないかとも思ったのだが、まだ入国したばかりでそういう 予断 はするまいと自らを戒めたのであった。かくして私たちはイラクに入国した。道は、急
近所付き合いに消極的でも、近所の住人の顔ぐらいは覚えてるし覚えられてるもんやで
少し前まで散歩に消極的だったのが、ここのところ何故か散歩に燃えていて一日に何回も出たがる。
幸い、増田も在宅勤務でそれほど忙しくないこともあり、犬の散歩要請には付き合ってやっているものの、一つ問題がある。
全然歩かないのだ。
どうも以前、一度日光浴をさせてやろうと家の前に出るだけ出て歩かなかったのが気に入ったらしく、散歩に出たいというより外に出てじっとしていたいみたいだ。
そんなわけで増田の犬は散歩中にじっと立ち止まったり、家の前でじっと立ち止まったりする。
で、ここからが本題なのだけど、そんな感じで犬と一緒に立ち止まっていると、ご近所の方からよく話しかけられる。
昼はご近所の年配の方が通りがかりに「可愛いワンちゃんやねえ」と声をかけてくれ、夕方は下校の小学生が「うわ犬や」と声をかけてくれる。
うちの犬がちょっと疾患の影響で毛が抜けて、一般的な見た目じゃないのも話が膨らむ要因になっている。
もう15年近く今の家に住んでいるけど、通学や通勤で往復することがほとんどで、ご近所なんて背景みたいなものだった。
今、その背景の中に入っていっている感じがあるというか、風景でしか無かったものに奥行きが出てきはじめた。
そう思うと、犬と一緒に道端にいるのも悪くないなと思える。
近所には気さくな人がたくさんいることにも気づけた。
謂れのないバッシングが続く中、2代目夢咲楓と共に、またその卒業後も精力的に活動を続けてくれてありがとう。
中身を入れ替えるというチャレンジには部分的に成功したと思うし、なんだかんだ6年間も続いた。
これはすごいこと
九州方言VTuberはパレプロの方は良かったけど緑のアレがアレでアレシて難しいことになってたのは惜しかったな
ここの運営はつまらないというか、移籍後は特に音楽系の呪縛に縛られていたように思う
タレントのレッスン方針が極端にボーカル方向に寄っていたせいでライブパフォーマンスと技量の乖離が大きくなっていたのもそうだし、
タレントの2D/3Dモデルへの投資が消極的で改善も殆ど見られなかったし、
他所のレールをそのまま持ってくるだけで地形も車両も考慮しない数年間が続いたように見えた。
零細とは言えないくらいには再生が回っていたせいで冒険が難しかったのはあるだろうが。
何にせよまた推しが1人消えた
バーチャルYouTuberの歴史がまた1ページ
自分は小学2年生~小学5年生の時に、ピアノ教室で通ってピアノを習っていた。
ピアノ教室は、週1で水曜日の30分のレッスンだったはずで、月に何回か忘れたが毎週か隔週に通っていたと思う。
個人宅の一戸建ての1部屋をピアノ教室にしたような所で、自分と歳が近そうな息子がいる主婦な女性の先生だった。
ピアノ教室に通って1~2年間は、1回のレッスンで1曲をクリアしていくペースだった。教材がまだ簡単だったせいか、家であんまり練習しなくても6割程度を通しで弾けたと思う。
しかし、通って3年目頃から弾く曲がちょっとずつ難しくなるとつまづく事が多くなり、達成感も無くなり、モチベーションが下がっていった。なんで弾きたいかもよく分からなくなっていたと思う。
惰性でピアノ教室を通うようになっていって、ちょっとずつピアノ教室が楽しくなくなっていった。
小2からピアノ教室を始めたが、自宅にピアノとかまともな楽器が無かったので(お下がりの鍵盤ハーモニカやリコーダーや、あっても父親が昔の若い頃に使っていた置物状態の錆びかけたクラシックギターしかない)、小3の頃に父親からもらったお年玉で1~2万円程度のCASIOの電子キーボードを買ってもらった。(関係ない余談だが、ゲーム音楽を弾いてる芸人の「こまつ」が2000年代頃に所持していた電子キーボードとほぼ同じ種類の電子キーボードだった。)
しかしその電子キーボードは、5オクターブ(61鍵とか)程度しかないキーボードで、それでピアノの練習をするという、何だか今思うとおかしいというかケチった初期投資や環境だった。
電子キーボード購入当時はお金を気にしてか、なぜか電子ピアノを購入する発想にならなかった。自分も親も電子キーボードでピアノの代用ができると薄っすら思っていたようだった。
近場の家電量販店で電子キーボードを選んで購入時には気付かなかったが、使っていく内に弾き押した感覚がピアノと全く違う事に気付いた(鍵盤を押した重さやピアノの音色や響きや音質など、電子キーボードでは差がありすぎた)。とにかく漠然と「コレジャナイ」というのが頭のどこかの隅にありながら練習をしていた。「ピアノの感覚で弾きたいのに…」と地味に不満に思ってて、モチベーションが下がっていった地味に要因の一つだったと思う。
しかも自分が知らない間に、父親が何となくリビングに電子キーボードを設置してくれたが、自分はリビングで弾くのが恥ずかしかった(自分が弾いてる姿も)。どちらかというと自室とかにこもって独りで弾きたかった。恥ずかしさや迷惑さで親にも相談できなかった。そんな事もあってリビングに誰もいない時を狙って隠れて弾くため練習頻度が下がった。
友達にも「ピアノ教室に通ってるけど、何の曲を弾いてるの?」と聞かれたが、弾いてる曲も子供向けの曲(曲名も無名な曲)で恥ずかしくて、濁すしかなかった。
小5の頃には、練習をかなりサボるようになったりして先生の前で弾けなかったり、ピアノ教室に行く事をグズったり遅刻したりしていて、次男から「辞めろよピアノ教室」と軽蔑気味に言われて(※自分は末っ子)、ピアノ教室の日が来る度に内心苦しく困ったままで通って、妥協しながらやり過ごしていた。
先生から特にサボってる程の練習量について何も言われなかった。自分の動機とか音楽の好みとか自宅の練習環境とか理解されてなかったと思う。先生とも音楽の好みが合わなかったと思う。
小5の頃には、先生も教え方が余所余所しくなり、「躓いてるけど、自分で反復練習するものだから」と素っ気なくなっていた。
(自分は人見知りな事もあって、先生と打ち解けた事はほぼ無くて、レッスン中に「先生がトイレに行ってるから何か弾いててもいい」と言われたが、恥ずかしくて自分は何も弾けずに無音状態で待っていたら、トイレから戻った先生から「また静かだった」と言われて戸惑った程に人見知り。)
小5の頃からなぜか自分は勘繰りが起こるようになり「先生の教え方が手抜きになってないか?」「手抜きなのに親に月謝を払ってもらっている、つまり自分は鴨になっているのではないか?」と疑心が生まれて「どうせ自分へのレッスンは金蔓なんだろうな」という偏見や感情が芽生えていた。
元々自分は幼稚園生の頃からゲーム音楽が好きでDDRとかbeatmania(5鍵)やギタドラ初期などの音ゲーとかにも興味があって「楽譜を読めるようになりたい」とかで漠然なまま「音楽を習ってみるか」となってたが、レッスンを受けると訳分からない童謡みたいな子供向けの曲を弾かされて、演奏する曲の殆どがそもそも自分の好みの曲ではなかったし、好みでない曲はフラストレーションの要因でしかなかった。
当時は自覚していなかったが、どちらかというと自分は座学がやりたかった。座学はあったが30分のレッスン時間の内の10分間程度の座学で、座学だけをやるような選択はなく、座学には重点が置かれていなかった(「座学と実践」の割合は、3:7ぐらいだったと思う)。今ならコード進行とか学びたかった。
(一応、学習指導向けのピアノテキスト教本で、それに沿って演奏して実技が身に付くような教え方はされた。他には「バーナムピアノテクニック」の教本に沿って実技をしていた記憶がある。)
レッスンを受ける意義も分からなくなり、自分が好きな曲を弾きたいという動機は薄っすら残っていて、小5の時に「ゲーム音楽を弾きたい」とようやく相談して、自分が小4の頃に器楽クラブの顧問から運良く頂けた「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を、ピアノ教室の先生に見せたら何故かスルーされて、先生が所持してる楽譜の中から弾けるゲーム音楽を選ぶ事になった。
しかし今よりゲーム音楽は有名でないせいか、選べるゲーム音楽の楽譜が少なく、ドラクエ序曲のマーチアレンジ(子供向けな編曲)やFF10の「ザナルカンドにて (終末的な悲しい曲)」のピアノ楽譜があって自分としてはどちらかというと本望ではないが、それらをレッスンで弾く曲に選ばせてもらって弾いたが、なぜか楽しくなかった。どちらかというと恥ずかしさとか気まずさが強く、弾いてて感情移入してる感じがしなかった。
小5の時に同級生が、近所におじさんが教えてるパソコン教室があって、そこに通っている事を知った、それを母親に相談して自分もパソコン教室にも通わせてくれる頃に、自分はピアノ教室を辞めたいような意思になって辞める方向になった。
これまで送り迎えだけだった母と一緒にピアノ教室の部屋に入り、母親が先生に受講を辞める相談をしていってる最中に自分は、なぜか目から涙が流れてしまい止まらず、かなり気まずい雰囲気になってしまった。惨めや悔しさの涙だったと思う。
そもそもピアノ教室に通うようになった経緯は、「楽譜の読み方が知りたかった」とか「ピアノのドの鍵盤ってどこ?」というような素朴な疑問が動機で、それを母親に話したら適当なピアノ教室を勧められて、どういうピアノ教室か分からず吟味せずに何となくでピアノ教室を選んでしまっていた。
(ピアノ教室受講した後に知ったが、近所にも似たようなピアノ教室があったのに、なぜか近所から少し離れた町のそのピアノ教室が選ばれてしまって、親による送迎の負担が増えただけだった。まだ機会費用的に近所のピアノ教室の方が良かったのになんで?と思う。)
今思うと「インターネットで楽譜の読み方を知る」というのが「顧客が本当に必要だったもの」だったように思えた。(当時、親はIT関連に疎くPC購入やネット開通もかなり消極的だった。)
実は「ドラムがやりたかった」「まだピアノよりドラムの方がまだ才能が伸びていたのではないか?」という懐疑がある。
あとは「もしピアノ教室の先生がゲーム音楽や電子音楽に興味があったらまだ変わっていたのではないか?」と思う。もし当時の小学生時代にKraftwerkとかYMOとか勧められて知っていたら多分今より音楽の知識が身に付いていたと思う。(YMOが自分に刺さったきっかけは中2の頃に見たYouTubeのMV動画だったと思う。ちなみにJ-POPとか邦楽の流行歌には興味がない。)
(ちなみに器楽クラブの顧問も女性の教師で、たまたま「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を教師が偶然に持っていただけで、ゲーム音楽や電子音楽には興味無いようだった。)
当時から言語化できないような無自覚的なフラストレーションや水面下な問題が溜まってたばかりで、今でも地続きで機会損失が大きくなってると思うと、今は後悔でしかない。黒歴史。
小4の時に小学校のクラブ活動で、グループに分かれて合奏をするような器楽クラブに入ったが、自分だけが落ちこぼれでクラブは女子しかいなくて女子と打ち解けれないし助けを求められず割と浮いてて孤独で、上級生だけでなく同学年の女子も普通に楽譜通りスラスラ楽器が弾ける人ばかりだった。
自分はピアノを習っていて楽譜が読めていたと思っていたはずが、弾きながらも楽譜が読めない・まず大体を暗譜しないと読めない状況で(オーケストラ用の楽譜で見慣れない程に楽譜も小さくどこのパートの楽譜か迷子になったり、ヘ音記号の楽譜なのにト音記号の楽譜であると思い違いして読み間違えにしばらく気付かなかったり)、
その弱点に気付かず能力の無さに内心焦りながら、自分の雰囲気だけは皆と演奏してやってるという感じを醸したクラブ活動をしていて、クラブ活動も尻込みになった。
学校でそういうさり気ない悩みがあっても、器楽クラブに入ってる事をピアノ教室の先生に言えてない、親も自分が器楽クラブに入ってる事を知っていないと思う。
(ちなみに小5からは科学部(科学クラブ)に入った。ほぼ遊びみたいで楽しかった。小6になって別のクラブに入ったけど。あと、その頃に受講を始めたパソコン教室は最終的には円満的に通い切った。) (中学生時代の部活はほぼ3年間は帰宅部。器楽クラブの影響で、地味に部活動というのがトラウマや無力感になってると思う。)
「才能が無い自分のせい」と言われればそれまでだが、マッチング的に「自分の嗜好や動機などを理解されず能力のようなものを引き出せられなかった周囲も残念な環境だったのでは」と思う。巡り合わせの問題とか。
自分は歳を重ねるに連れて自分が好きだった音楽を耳にする度に「絶対音感の能力があれば…」ぐらいの無念さ劣等感が大きくなってくる。「絶対音感があれば、好きな音楽の耳コピとか分析が高精度で確実にできて、人生が変わっていただろうな」と。好きなはずなのに馬の耳に念仏で溜息しか出ない。山月記みたいになりそう。
自分は本当に音楽が好きなんだろうか…。単純接触効果的な大きな勘違いでなければいいが…。
余談だが、音ゲーについての自分の腕前は、家庭用IIDX HAPPY SKYの段位認定10段をアナコンでクリアしたのが限界で、高1がピークだったと思う。高2の頃からほとんど音ゲーには触ってない。自分は音ゲーやゲームも才能が無いと強く気付き始めていったのはその頃だった。
自分は音ゲーの楽曲についての話をピアノ教室やクラブ活動などでも話す機会は一切無く、幼小から自分が好きだった音楽は誰にも繋がらず糧にもならなかったのであった。
選択肢を与えられることによって思想やセンスの差がそこに出てくるわけだから、普通に分断の原因にはなるし、本質的な部分のひとつではあるだろ
この政策パッケージは、一見して「財政健全化」と「構造改革」を掲げているように見えるが、その実態は、国民生活を犠牲にし、特に中間層・低所得層・地方在住者・高齢者・子育て世帯を直撃する極めて冷酷な施策の集合体である。
まず、軽減税率の廃止は、生活必需品である食品や医療、家賃、介護にまで10%の消費税を課すことになり、可処分所得の大部分をこれらに費やしている低所得世帯への負担が極端に増加する。外国人の免税撤廃は訪日消費の抑制にもつながり、観光業への打撃も避けられない。
付加価値割の引き上げは、赤字でも人件費や設備投資に積極的な中小企業を直撃する。大企業に比して体力のない企業の淘汰を加速させ、地域経済や雇用がさらに冷え込む可能性が高い。
「中所得者以下は減税」と言いつつも、給付なしの税額控除方式は、もともと課税額が少ない層には恩恵が薄く、実質的な支援にはならない。しかも高所得者増税と称するが、その規模も不明確で、本当に公平な再分配がなされる保証はない。
4. 控除の大幅廃止
住宅ローン減税、保険料控除、年金控除の廃止は、家を買い、保険に加入し、年金で暮らすという人生設計そのものを否定する暴挙である。生活設計を狂わせ、老後不安や若年層の消費マインドを大きく冷え込ませる。
金融所得課税をマイナンバー未登録口座のみに限定するという措置は、制度回避の余地を残すザル法であり、本気で富裕層を課税対象にする気があるとは思えない。むしろ庶民の個人情報管理を強化する意図が透けて見える。
炭素税導入と電気代・ガソリン補助金の廃止は、地方在住者や運輸業、農業などの生活・産業基盤を直撃し、エネルギー貧困を招く。脱炭素は重要だが、段階的・公正な移行なしに負担だけを押しつけるのは政策的暴力に等しい。
輸入食料品価格を下げて物価対策というが、国内農業の崩壊を招き、結果として食料安全保障を損なう。価格が安定したとしても、品質・安全性・地産地消の価値をないがしろにする短絡的な対症療法だ。
年金開始年齢を70歳に引き上げ、医療費自己負担を増やす一方で、保険料を引き下げるというのは、実質的に「自己責任」に転嫁する路線であり、「納めても受け取れない社会保障」への不信を招く。高齢者や病弱者を見捨てる制度に成り下がっている。
物価上昇が続くなか、最低賃金引き上げに慎重姿勢を貫くのは、働く人々の生活を守る意思の欠如を意味する。中小企業への支援を口実に賃上げを遅らせれば、実質賃金はますます下がり、若年層の未来も閉ざされる。
最後に、物価高のなかで積極財政を行わないというのは、需要喚起も生活支援も放棄した無責任な放置政策である。財政健全化を掲げながら、社会の健全性を破壊していく自己矛盾に満ちている。
>・最低賃金の段階的引き上げ:地域間格差を徐々に是正し、全国一律1,200円以上を目指す。
現状最低賃金付近で働く人の比率が高すぎるので引き上げは慎重になるべき(物価高加速や失業増加のリスク)
>・中小企業支援と賃上げ促進税制:賃上げした企業には法人税の優遇、未対応企業には縮小。
中小企業支援するとかえって低生産性のままで低賃金となるので極力すべきでない
雇用の流動性を低下させることも低生産性のままで低賃金となるので極力すべきでない
>・逆進性の高い税(消費税など)に依存しない財政構造へ移行:消費税は現状維持〜慎重な見直し。
>・金融所得課税の見直し:配当・株譲渡益課税を労働所得に近づける。
マイナンバー未登録の口座のみ税率を上げる(登録しないのは忘れてるかアングラな口座)
法人税増税するなら外形標準課税の付加価値割部分を強化するべき(消費税は反発が強いので)
>・医療・介護・育児費用の軽減:低所得者層の自己負担割合の引き下げ。
社会保険料引き下げのため高齢者の自己負担を現役並3割にし市販医薬品も対象外に
>・基礎年金の底上げと所得保障:全ての高齢者に最低限の生活保障を提供。
これは不要。軽減税率廃止で家賃にも消費税を課し住宅ローン減税も廃止すべき(人口減少下で住宅投資を促進するのは無駄)
大学教育は本人にメリットがあっても社会にはなく高卒と不公平なので大学無償化も奨学金も不要
少子化で必要な人員が減っていくので人材確保に労力を割く必要なし
満員電車などの問題は料金が安すぎるため助長されてるので運賃を引き上げるべし
>・エネルギー・食料価格高騰への緊急給付対応(低所得世帯向け)。
>・地域経済と食の地産地消支援:地方の雇用創出と価格安定を両立。
地産地消にこだわることが食品価格高騰を招くので速やか関税を廃止し自由化すべき
>・負の所得税制度(所得が一定以下の場合、国が補填)の試験導入。
高齢化してる日本では低所得高資産の人が多いので不要(困窮者は生活保護だけで十分)
>・グリーン・デジタル投資の促進:脱炭素・デジタル化を軸に、中小企業や地域産業への支援を強化。
>・地域経済とスタートアップ支援:地方での起業・雇用創出に重点を置いた補助制度と金融支援の拡充。
>・観光・文化・地場産業の振興:地域資源を活かした経済活性化と持続可能な観光政策。
地方・中小企業支援・補助金は低生産性&低賃金の元なのですべきでない
セックスするために女と付き合っている男というのは結構いるが(若い時は女にもいる)、結婚相手や人生を共にする相手を見つけるための過程として恋愛をしている人間にとってはそいつらは害悪プレーヤーであり、特に意図的にそういう関係を作って利用している男は、若い女の人生を消費して使い捨てるだけの存在なので、『大抵の人間にとってセックスを伴わない恋愛関係は辛い』『ある程度は性的な義務が恋愛には発生する』という話と混同して『恋愛関係で性行為をしないのは付き合う意味がない』『セックスをしないのは交際のメリットだけ享受する発想』などという『セックスを目的にした恋愛関係』を肯定する概念を撒き散らさないで欲しい
(恋愛弱者にとっても、強者の見方をするだけであり、消極的なプレーヤーを恋愛から遠ざける発言なのでメリットが皆無である)
セックスを目的にした恋愛関係はほとんどセフレと同じだが、お互いがお互いを好きだから一緒にいて、人生を一緒に過ごすためにはどうしたらいいかという関係の話を、そんなものと同列に並べるな、という怒りも感じる(現に夫婦関係でもそうなるって指摘がたくさんあるだろうが)
5年ほど付き合っているIT系の彼氏がいて、一緒に居て落ち着くけど結婚の話もしてくれないし出世も消極的でモヤモヤ中。
しかも彼が最近会社を休職してしまって、もちろん彼のことは心配だし、支えたい気持ちはあるんですけど。。。
ただ正直なところこの先のことを考えると貴重なアラサーの時間をこのままで良いのかなって思い悩んで、もっと色々な男性と話してみようとマッチングアプリを始めて試しに何人かと会ってみました。
•自称・意識高い系IT社長と恵比寿のオシャレなカフェで待ち合わせ
メッセージでは「将来のビジョン」や「社会貢献」について熱く語っていて、すごい人なのかな?と興味を持ったんです。「今日のランチ代は僕が奢りますよ」なんて言われたので、期待して行ったら、お店に着くなり「あ、今日財布忘れちゃった。悪いんだけど、立て替えてもらっても良い?」って。結局、私が全額払う羽目に。「いやいや、それはないでしょ…」って心の中で思いつつ、「全然大丈夫ですよ」と苦笑い。会話の内容も、自分の会社の自慢話ばかりで、正直疲れました。「なるほどですねー」と相槌を打つのが精一杯。二度目はないな、と思いました。
写真がすごくかっこよくて、メッセージも丁寧だったので、これは期待できるかも!と思ったんです。お店の予約も彼がしてくれて、最初はスマートな印象だったんですが…。料理が出てくるたびにスマホで写真を撮りまくり、「インスタに載せても良い?」と何度も聞いてくるのが、ちょっと気になりました。会話中も自分のヘアスタイルのこだわりとか、お客さんの愚痴とか、正直どうでもいい話が多くて。「へー」「そうなんですねー」と返事に困る場面が何度か。極めつけは、店員さんにやたらと横柄な態度を取っていたこと。せっかくの美味しい料理も、なんだか味がしなくなってしまいました。
メッセージのやり取りでは、好きな映画の趣味が合ったので、一緒に映画に行くことに。待ち合わせ場所に行くと、なんだかモジモジしていて、目を合わせて話してくれないんです。「こんにちは」と声をかけても、ボソボソとしか返してくれなくて、ちょっと不安になりました。映画が始まってからも、ずっとソワソワしていて、内容に集中できていない様子。終わった後も、感想を聞いても「まあ、面白かったです」の一言で終わってしまい、会話が全く広がりませんでした。「せっかく一緒に来たのに、もったいないな…」と思いながら、気まずい沈黙の中、解散しました。
「趣味は古着屋巡りです!」という彼のプロフィールに惹かれて、メッセージを送ってみました。「今度一緒に行きましょう!」と誘われたので、楽しみにしていたんです。いざ古着屋さんに行ってみると、彼が興味のあるお店ばかりで、私が見たいお店はスルー。「これ、めっちゃ可愛くない?」「え、別に…」みたいな温度差が何度もあって、全然楽しめませんでした。しかも、店員さんに対して「これ、もっと安くならないの?」と値切り交渉を始める始末。「ちょっと恥ずかしいな…」と思いながら、適当に相槌を打って、早めに解散することにしました。
人生経験として色んな男性と会うのは悪くなかったですが、マッチングアプリの男性はちょっと。。。と思うような方も多かったです。
オチはないですが参考になれば幸いです。
この文章は、一見すると動物福祉を気遣っているようでいて、その実、個人的な嫌悪感と偏見に基づいた、極めて非論理的で差別的な決めつけに満ちています。以下に、その問題点を徹底的に反論します。
「根暗」「自分からは何も動こうとしない」「発達障害なのだろう」といった記述は、客観的な根拠を欠いた、筆者の主観的で一方的な評価に過ぎません。職場での一面だけを見て、その人の全てを判断し、ましてや「発達障害」と断定するのは極めて無礼であり、偏見に基づいた人格否定です。
仕事の進め方や会議での態度が、そのまま私生活、特に愛情を注ぐ対象であるペットへの接し方に直結すると考えるのは短絡的です。仕事に消極的な人が、個人的な関心事には情熱を傾けることは十分にあり得ます。
「会社の処理はサボっても当人が怒られるだけだが猫は病気になったり死んでしまう」というのは事実ですが、だからといって「彼には世話ができない」と結論づけるのは論理の飛躍です。責任感の所在が異なるだけで、対象への愛情や責任感があれば、仕事とは全く違う対応をする可能性は十分にあります。
猫の世話の大変さを列挙していますが、それは全ての飼い主に共通の課題です。彼がそれを「知らない」「見直さずに主張している」と決めつける根拠はどこにもありません。むしろ、飼いたいと思うからこそ、これから調べようとしている、あるいは既に調べている可能性も否定できません。飲み会の「ちょっとした台詞」だけで、彼の覚悟や知識の有無を判断することは不可能です。
「直ぐに世話に飽きて保護猫として捨てることになるのが関の山」「最初から虐待のためなのだろうか」という思考は、筆者の個人的な嫌悪感からくる、極端で悪意に満ちた憶測です。「男性のなかには手頃に虐められる対象として猫を飼う人も多い」という一般化も、性別に基づいた有害なステレオタイプであり、何の根拠もありません。
彼の人となり(と筆者が勝手に判断しているもの)と「虐待」を結びつけるのは、極めて危険で差別的な発想です。何の証拠もなく、個人の内面を邪推し、犯罪者予備軍であるかのように扱うことは許されません。
4. 「捨てるべきではない差別心」という自己正当化の危うさ:
筆者は自身の「差別心」を自覚しつつも、「不幸な猫を生み出すことを避けられるのであれば、捨てるべきでない」と自己正当化を試みています。しかし、これは極めて危険な考え方です。
差別心(偏見)に基づいて誰かの行動を制限したり、問い詰めたりすることは、それ自体がハラスメントや人権侵害につながる可能性があります。「良い差別」など存在しません。動物福祉を思うのであれば、差別的な決めつけではなく、全ての潜在的な飼い主に対して、公平な情報提供や啓発を行うべきです。
「本人に直接猫を飼うことの大変さを自覚しているかを問う」こと自体は、場合によっては有効かもしれませんが、その動機が「差別心」であるならば、その問いかけ方も必然的に詰問調になったり、相手を不快にさせたりする可能性が高く、建設的な対話にはなりません。
結論:
引用された文章は、特定の個人に対する嫌悪感と偏見を、「動物福祉」という美名の下に正当化しようとする、非常に問題のある内容です。客観的な根拠に基づかず、憶測とステレオタイプで相手の人格や行動を断罪し、最悪のシナリオを勝手に描いています。そして、自らの差別心を肯定しようとしています。
真に動物福祉を考えるのであれば、個人の属性や印象で判断するのではなく、誰もが適切な情報を得て、責任ある飼い主になれるようサポートする視点が必要です。このような個人的な感情に基づいた決めつけは、不幸な動物を減らすどころか、人間に対する不当な差別や偏見を助長するだけです。