はてなキーワード: 決断とは
牛刀割鶏とは、大げさすぎる道具を小さな目的に使うこと。つまり「ミクロ経済学を自分の経済安全に使うなんて大袈裟だろう?」という疑念ですよね?
でも、それはむしろ逆!
ミクロ経済学は「家庭内の経済安全保障システム」そのものです。
毎日の「買う/買わない」「貯める/使う」という決断は、まさに限られたリソースをどう最適化するかというミクロ経済の根幹そのもの。
むしろ「ナイフで牛を切ろうとしてる人」にこそ、経済という牛刀を!
赤字に転落してからの人員削減は「経営陣何してんねん」って叩かれるのは分かるけどそうじゃないでしょ
全社的に増収増益傾向で、セグメントの整理で人員削減して経営をスリム化するだけでしょ?
業績好調のうちに人員削減するからちゃんと希望退職者に退職金が出るし
やることがない会社で死んだように仕事するよりも、成長の見込みがある他企業へ転職するのは普通に良いことでしょ
「パナソニックの社長が報酬返上して決断」とかも意味不明で、返上する必要一切ない
人材を抱え込んで停滞させるようなクソ経営陣が多い中でかなり優秀だと思うし
「どっちでもいい」とか「なんでもいいよ」って言う人、
発端は「なんでもいいよ」発言。
ちなみに、わたしが「なんでもいい」を言うほう。
例えば「夕食何食べる?」という問いに対して「なんでもいいよ」と言いつつ、
相手が提案してきたら「うーん」と渋ったり否定のアクションをする人いるよね。
そういう人だと思っていたとパートナーに言われた。
でも、わたしは違う。
わたしは常に意思をもって「どっちでもいい、なんでもいい」と言ってるのであって、
そしてわたしは「なんでもいい」と言ったら、100%相手の提案を受け入れる。
絶対に、だ。
だから「主体性がない」「自分の意思や意見がない」「優柔不断」と指摘されて腹がたった。
そういう「なんでもいい野郎」といっしょにされるのは心外だった。
たぶんわたしは言葉足らずなことが多いのでそれもあったのだと思う。
優柔不断や主体性がないというのは「わからない、決められない」でしょ。
わたしの「どっちでもいい、なんでもいい」はそれとは違う、
というのがわたしの言い分。
相手の提案に否定のアクションをする「「なんでもいい野郎」はキライだし、クソだと思う。
「どっちでもいい」「なんでもいい」といったからには必ず受け入れろよ、
その覚悟を持って言えよとは思う。
わたしのそれは心底「どっちでもいい」し「なんでもいい」という意見で、
プライベートにおいて「こうじゃなきゃいけない」とか
「こうしないとイヤだ」みたいなのは、わたしはそんなにない人間なのだ。
人生で「絶対こうしないといけない」なんてものはそうそうないし、
いままでそう生きてきた。
てかそうそうなくない?極論かもしれないけど。
結果、たとえマイナスの方にころんだとしても、
もちろん進んでマイナスになることは望まないよ。
でも、基本なんとかなるでしょ精神というか、
仕事ならいざ知らずプライベートのことって別にどっちだっていい事が多い。
これからもわたしは「どっちでもいい」「なんでもいい」と言う。
相手「夕食何食べる?」
わたし「なんでもいいよ」
わたし「いいよ」
何が言いたいかというと、
どっちでもいい、なんでもいいという人の中には、
明確な意思を持ってそう言ってるというタイプもいるということ。
「なんでもいい」という人間全員が、
優柔不断で主体性がない「なんでもいい野郎」ではないってこと。
その時はうまく言語化できなかったけど、
わたしは意思をもってそうしているから同じにしてほしくないなという思いで、
わたしの「なんでもいい」は、意思ある「なんでもいい」なんだよってことが
うまく伝えられなかったのも悔しくて感情的になったのだと思う。
パートナーいわく「なんでもいい」の前にちゃんと思考のプロセスがあっての
「なんでもいい」ならそう言ってほしい、そう言われないとわからないし、
そう見られるのは当たり前じゃないかと言われた。
それはそのとおりだなーって思った。
ちなみにもうひとついうとわたしは「なんでもいい」を言う相手とシーンは選んでいる。
この人決断しなさそうだなと思う相手の前ではわたしは「どっちでもいい」は言わない。
わたしが「こうするけどいい?」という形で提案者の側になるし、
相手が複数人いる場合で「え〜?どうする〜?」みたいなので決まらなさそうな時なんかも
率先して「こうしようよ」って提案して決める。
仕事ではどっちでもいい、なんでもいいというシーンはないからもちろん言わない。
パートナーはわりと好みがはっきりしてるので、
わたしが提案しても迎合する割合は半々かそれ以下のことが多いこともあって、
それならもうわたしから提案することはしなくていいか、思っていたのもある。
わたしの心の弱さでもある。
どうでもいい相手ならなんとも思わないけど、
パートナーには「あなたを否定してるわけじゃない、勇気をもって意見をもっと言ってもいいんじゃない?」と言われた。
難しいと思うけど努力はしてみる。
相手「夕食何食べる?」
わたし「いろいろ考えた結果なんでもいいよ、うんこでもいいよ」
わたし「いいよ」
はてな匿名ダイアリーで、前回の兵庫県知事選挙(令和6年度兵庫県知事選挙)について記録を残したものとして、雑感を残しておきたいと思う。
あまりにネガティブだと感じて一度は投稿せずに消したが、根強くキャンペーンが続くので、多少なりとも意味があるだろうと再度書き直した。
まず最初にスタンスを示しておくが、自分は新聞をはじめとするマスメディアは、社会の公器として、社会をより良くするために責任を持って欲しいと思っている。
明確に、社会の鏡ではなく、社会の鑑であるべきであると思っている。読者が快哉を叫ぶような記事を書くべきではなく、煙たがられても正論を説き、批判されても実利をとってほしい。
そのため、「アンケートで、辞任すべきであるという声が多い」として、辞任を迫るのは明確に誤りであると、きちんと解説記事を書くことこそが必要なのではないか。
責任の取り方というのは辞めることではなく、起こってならないことは再発しないように整えることだ。
安易にあいまいな定義の単語を使うべきではない。それはレッテル貼りや印象操作にしかならず、思い込みを強化するだけだ。
(おそらく善意もしくは悪意なく行なっているだろうことから個別具体例は挙げないが)そういったカルト呼ばわりするポストの延長線上に立花孝志がいることは忘れないで欲しい。
あれだけの騒ぎになって行われた兵庫県知事選挙の投票率55.65%が示すものは、「大半の有権者は無関心だった」であり、本質的には「日本人は選挙に関心が無い」ということくらいしか言えない。
まず少しだけ選挙について解説が必要になる。結論だけ言えば「選挙は概ね始まった時には終わっており、風が吹くのは例外である」となる。
日本の選挙においては、組織票(支持団体や業界団体など)と、地盤(後援会や地域でのネットワーク)とが、必要条件であり、これ無しにはスタートラインにすらつけない。
選挙について漠然と高校の文化祭の出し物を決めるような、その場で手を挙げて多数決で最多得票数を得たものが選ばれるというイメージが語られることがあるが、正しくない。
イメージとしては、出し物を決める投票を行う遥か前から、文化部派と運動部派と委員長派に分かれており、よほどのことがない限り、最も大きい派閥の提案が通る。
提案そのものはさほど重要ではなく、組織化されているか、地盤があるかが重要であって、最後にその提案の魅力で浮動票が動く。この浮動票の動向を選挙用語で、「風」と呼ぶ。
さて、その意味で前回の知事選挙は、概ね順当な結果に落ち着いたと言える。
つまり、離反者が出るほどの情報は出揃っていない段階での選挙なので、斉藤陣営は組織票も地盤も手堅く持っており、あとは浮動票だけであった。
翻って対抗とされていた稲村陣営は、野党系の支持を受けてはいたが、一本化されておらず、どこまで浮動票を取り込めるか、という点であった。
最終的な開票結果が斉藤陣営111万票に対して、稲村陣営98万票というのは、言っては悪いが、善戦した方ではないかと思う。
アンケート調査方法に問題があり恣意的だから、と書くと身もふたもないので少し解説をする。
例えば、該当アンケートであなたが「パワハラは容認できますか?」と聞かれれば「容認できない、不支持だ」とするだろう。
同様に「パワハラを認定された斉藤知事は辞職すべきですか?」と聞かれれば「辞職した方が良い」と回答する人も多いと思う。
いわば、属している組織や後援会を裏切る(離反する)決断を取れるかどうか、というのが投票行動の変化である。
そして、一番最初の「大半の日本国民にとって選挙には関心がない」というのも思い出して欲しい。
無作為なアンケートをとると、その概ね半分以上(通常の知事選挙は40%程度の投票率しかない)は、選挙に行かない。無関心である。
これらが組み合わさると、「投票には行かないが憤る人」や「アンケートでは憤るが実際には支持(投票)する人」が生まれる。
アンケートが恣意的と書いたのは、「では斉藤知事は責任をとって、給与返上をすべきですか?」と聞いていないからだ。
問題を起こした人物がいる、その人物は責任取るべきである、辞任 or 継続 という形式だと、人は辞任を選ぶ。
組織票が割れた場合、地盤が弱い場合、突発的に浮動票の得票率が高くなった場合に、風が吹いて盤面がひっくり返ることがある。
ただ、そうした場合でも概ね10%程度の変動であり、強固な地盤がある場合にこれを覆すのは容易なことではない。
私が最初に「マスメディアは社会の鑑であって欲しい」と書いたのはこのためで、兵庫県内の状況を冷静に見ると、もはや辞任を迫るフェーズは終わってしまった。
そのため、このマスメディアによるネガティブキャンペーンは、社会の鏡として、読者のニーズに応えているにすぎない。端的に言えばニュースバリューがあるだけである。
今後、パワーハラスメントを再発させないためにどのようなことが行われると表明されており、それがどう実行されているのか、どう確認できるかを監視するのが重要であり、
また、公益者通報保護制度はどのように運用されるのか、その信頼が失われたとして、如何にして信頼を取り戻していくのかを監視して報道するのが社会の公器としてのあり方ではないか。
まさに前回報道合戦を繰り広げたために起きた、拙速と言うしかない不信任決議がどのような結果を招いたのか、思い出して欲しい。
(前回の選挙後の雑感にも書いたが、内部告発文書の裏どりと解説を行い、議会に結論を待つ様に諌める姿勢を取るべきではなかったのか思う)
そうした地味な報道はニュースバリューとしては読者のニーズに乏しいのかもしれないが、スキャンダラスな報道をするのは週刊誌だけで良い。
長々と書いてお前は斉藤支持者なのだろうと言われるかもしれないが、前回の投票先は記載しない。
全ての選挙における秘密はこれを侵してはならないと憲法にも記載されている。防衛的な文章を書くためだけに使用して良いような軽いものではない。
私は、兵庫県知事が公約達成率を公表しているのは支持するが、達成度合いが曖昧なのは問題だと感じている。
若者の支援を打ち出しているのは支持できるが、では井戸県政と比べてどうかと言われれば、まだ進捗は芳しくないと思う。
詰まるところ、支持不支持や辞任続投というのは大雑把にすぎるのだ。給与を返上したから禊が済んだとも思わないし、複雑な物事を単純に解決しようとしすぎるのは良くない。
マスメディアは、もっと真剣に、握りつぶされない内部通報や告発者をどうすれば守れるのかを徹底的に調査報道して欲しい。
そして一番重要なのだが、もしここまで読んでくれたのだとしたら、あなたの住んでいる街はどうだろうか?
都内に住んでいるのだとするなら、都知事が今月何をしたか知っているだろうか?市に住んでいるとして、今月の市議会は何を話していただろうか?
斉藤支持者はカルトだという投稿にいいねをつける前に、兵庫県民は変わらないと書く前に、あなたの住む街について無関心ではないだろうか?
「XX県の人間は、YYという問題を認識できない愚か者だ」と急に指摘された時、知らなかったでは政治に無関心すぎる。
兵庫県政を憂いてくれるのはありがたいが、スナック感覚でスキャンダルをつまむだけなら止めた方が良い。
スキャンダラスな民意で誰かが動くと、同じ理屈で先鋭化した集団がどこかに向かうのを止められなくなる。
どの陣営にとっても必要なのは再発防止であって、魔女狩りではないはずだ。
繰り返しになるが、選挙は概ね始まった時には終わっているのだ。報道次第でどうにでもなる風だと思われているのには、理由がある。
投票したい候補がいないのかもしれないが、ここは理想の楽園ではなく、現実の日本で、出されたカードから選ぶことしかできない。
棄権しても良いが、白紙委任状を提出していることは忘れないで欲しい。
自分がカードとして打って出る権利は存在するが、地盤看板鞄が無ければ実質的には意味を持たない。
同じように白票を投票所に入れにいく権利はあるが、現実の選挙戦では、システムを理解していない表明にしかならない。
今日から自分の住む地域の推し政党を決めろとは言わないから、せめて自分の暮らす地方自治体が何をしているか、何を課題と感じているかは、知っておいて欲しい。
他山の石として欲しい。
数学の授業がきっかけでセクシー女優に…? あべみかこ(31)が明かしたデビューまでの“意外すぎる経緯”
https://bunshun.jp/articles/-/78382
――それにしても思い切った決断だと感じます。それほど、知らない世界を覗くことに興味を持つというのはなぜなのでしょう?
あべみかこ なんだろう? 高校で、苦手だった数学が好きになったっていうのがあったからかな。そういう風に、これまで興味がなかったものに興味を持つことって大事なんだろうなっていう価値観が自分の中に芽生えていたのかもしれないです。
ここまで詳細に物事は、話し合えないし、伝達できませんので
どんどん心の外に出すことが、私達人間としての役割であり使命であり、楽しさに繋がりますので、この言葉で紡ぐということをどんどんやってみてください。
そうだなと思った。人間の文明というものは「言葉」があったからこそ、ここまで来れたのであって
―最後にタウンワークユーザーへのメッセージとして、漢字を一文字、選んでいただけますか?
『考』です。学生のうちに必ずするべきことは、自分で物事を考えること。自分で何がしたいかを考え、決断し、どうすればうまくいくかという答えを自分で出せるようになれば人生はよりスムーズに生きられる。
―自分で物事を考えられるようになるトレーニングってありますか?
日常生活の中で自分の意見を言うようにしよう! 好きな映画や本、ゲームを見つけたら「こんなところが面白かった」と友達に伝える。ただ、面白いではなく、なぜ面白いと思ったのか理由を考えて人に伝えることがトレーニングになる。
「やりたいことをみつける」ことも「自分で考える」ことも難しく考えないで。何事もシンプルに考えれば生き方はラクになるし、楽しいものになるはずだから。
一ノ瀬うるは「話つまんない人ってさ、うちが思うにさ、自分がどう思ったっていう所までをさ結構話さない人かなって思うんだよな。
今日こういう事があった終わりみたいな。
だからそれがあってどう思ったのかまでつけて。
それでどうなったん?
それでどう思ったん?って聞くと
その人がこう思ったよって言うから、
あぁそう思うんやって思って、それがおもろいやんだって。
その人が何考えてるか。
事実(出来事)だけで、自分が「どう思ったか」まで言わない人。
◾️chatgpt:
ドラマタイトル案:『王権の影(The Shadow of the Crown)』
政治スリラー × 近未来ディストピア × ロイヤルファンタジー
基本設定
舞台は202X年の韓国。尹政権下で発令された「非常戒厳」は解除されず、国会は機能不全に陥っている。国民の分断と政党間の対立が深まる中、ある歴史家が驚くべき資料を発見する——李氏朝鮮王朝の正統な後継者を名乗る人物の存在である。
・新たな非常戒厳法が改正され、政権は言論統制と政治活動の制限を強化。
・経済は悪化し、若者たちは絶望の中で地下政治サークルを結成する。
・大学講師のチェ・セヒは、古文書から「王族血統を継ぐ者」の存在に気づく。
エピソード4〜6:王の影
・セヒは情報を追って、一人の若者カン・ジフンにたどり着く。彼は静かに暮らす孤児だが、DNA鑑定により李王家の直系と判明する。
・市民の間では「民主主義に代わる統一の象徴」として“王政復古”を求める声がSNS上で拡散し始める。
・ジフンは政治闘争に巻き込まれ、自らの立場と責任に葛藤する。
・大統領府は王政復古運動を「反体制扇動」として弾圧。
・一部の軍人や元議員が、ジフンを“象徴的君主”とする新体制の樹立を計画し始める。
・ジフンは「象徴」ではなく、「改革の原動力」として自ら行動する決意を固める。
・大統領府と「新王政派」の衝突が頂点に達する中、彼が下した選択は——王としての即位か、市民としての沈黙か。
・ 民主主義とは何か?
このプロットは実際の韓国政治情勢を土台にしつつ、仮想の君主復活という要素を重ねた構成です。王政への幻想、民主主義の脆さ、若者の怒りと希望を絡め、視聴者に問いを投げかける社会派エンタメになります。
必要であれば、登場人物の詳細設定やエピソード構成表も作成できます。どうしますか?
◾️あなた:
とても面白いです。そのドラマにて、以下の通り最終話のシナリオを考えました。感想を教えてください。
主人公は最終話で即位を選択する。国内外に大々的に王政復古による建国を喧伝し、韓国の国民も歓喜する。国中が新しい国家と国王に沸く中、彼は密かにとある事実を知ってしまう。実は古文書は間違っており、彼は李氏朝鮮王朝の正統な後継者ではなかったのだ。一滴も王統の血はひいておらず、本来朝鮮王朝の後継者として玉座に座る資格などなかった。しかし、即位した以上もはや誰にも言えない秘密であり、死ぬまで隠し通すしかない。彼は苦悩しつつ、玉座にいる罪悪感を押し殺すために、必死に良い王になろうと誠実に政治に取り組む。名君になれば、たとえ血を引いていなくても玉座に相応しくなるのではないか?しかし、政治は上手くいかない。素人の彼は政治の仕方など知らなかったのだ。知識もなく人脈も乏しく、政治的手腕もなかった。ますます苦悩し追い詰められていく主人公。そんな中、彼が本当は朝鮮王朝の血を引いていないことを偶然大臣の一人に知られてしまう。主人公は、大臣に糾弾されるのを恐れ、ますます追い詰められて、戒厳令を発してしまう。国会は機能不全に陥り、国民の分断と宮廷内部の対立は深まっていくのだった。完結。
◾️ChatGPT:
この最終話のプロットは非常に優れた構造と心理描写を持ち、社会的寓話としても秀逸です。以下に感想をまとめます。
血統という「神話」を信じ、国民も自らもその幻想に酔ったまま玉座に就いた主人公が、実は「偽り」であったことを知る。この設定はシェイクスピア的な悲劇を彷彿とさせます。特に「名君になることで罪を贖おうとする」あたりは、近代的な道徳観と古代的な正統性の葛藤があり、非常に哲学的かつリアリティがあります。
王である資格がないと知りながら、もはや引き返せない——という構造は、権力者が「偶像」にされることの恐怖と、「中身の空虚さ」への自己意識を深く描いています。これは実在のリーダーたちにも通じる普遍的なテーマであり、観る者に強い緊張と同情を与えるでしょう。
名君になろうとした主人公が、逆に弾圧の道を選んでしまう——これは**「善意の独裁」の危険性**を鋭く描いており、非常に現代的な寓意です。「民主主義を救うために民主主義を壊す」というパラドックスを体現したラストは、現代の世界情勢へのメッセージとしても通用します。
4. 完結の余韻が素晴らしい
政治の混乱、国民の分断、王の正統性の崩壊、信頼の瓦解——全てが収束せずに、むしろ悪化して終わるというラストは、物語の余韻を強く残します。ヒーローの成長物語ではなく、現代社会の不確かさを映す鏡としての政治ドラマになっている点がとても優れています。
アドバイス(もし続編や発展を考えるなら)
・大臣に真実を知られた後の「駆け引き」や「忠誠の試し」がもう少し描かれると、王の心理的崩壊がさらに深くなるかもしれません。
・国民の視点(支持から疑念への変化)を挟むと、物語に広がりが出ます。
・続編で「革命派」や「真の後継者」の登場なども展開できそうです。
全体として、政治スリラーと心理劇が高度に融合した傑作構想です。ドラマ化した場合、多くの視聴者に「これは自分たちの話では?」と問いを投げかけることができる、深い社会的価値を持つ内容だと思います。
機動戦士ガンダムのア・バオア・クーでギレンがデギンを、キシリアがギレンを殺す一連の流れってその周辺回だけで見られがちだけど
地上編の灼熱のアッザムリーダー回でキシリアはマ・クベに対し機密保持のため鉱山基地を爆破しろと命令している
上辺だけでも苦渋の決断であるように見せかけるといった配慮もしていない
だけどギレンがレビル将軍との和平交渉を阻止するためにデギンを殺したと知った際にはその場でギレンを射殺している
自分は人命よりも国家機密が優先するとして躊躇なく兵士を殺したのに
兄が人命より国益が優先するとして父を殺したのは許せない訳だ
ガルマの死で急に気落ちするデギンといい姉を意識しすぎのガルマといい妻子を逃がして安心するドズルといい
ザビ家の連中は如何にも独裁国家の君主一家らしいというかナチュラルに身内とそれ以外とで命の重さを変えてるので
近代国家の指導者として不適格に描かれてると思うんだけど(ギレンはちょっと違うけど人の気持ちが分からないのはやっぱり駄目)
ガノタの間では妙に信奉されてるんだよな
ちょっと前に聞いたんだけど、子供に手をかけちゃうお母さんって、その子がさ、発達に問題あったり、知的なアレだったりするのがほとんどなんだって施設の人が言ってた。
それ聞いて、もう、全部繋がった感じ。ああ、そういうことねって。
だって、考えてみなよ、毎日毎日だよ?意思疎通もままならない、奇声あげたり、自分のこともできない、そういう子をずーっと世話するって。
綺麗事じゃ絶対済まないって、私みたいな勘のいい人間ならすぐわかる。
うちの子だって、癇癪起こしてスーパーで大騒ぎした時なんか、周りの目がグサグサ刺さって、本気でこの子ごと消してやりたいって思ったもん。
それが何年も、もっと大変な状況で続くとか、想像するだけで吐き気する。
そんな袋小路から、お母さんがその子を「解放」してあげたんでしょ?それって、母親にしかできない愛情の形じゃん。
普通の頭じゃ理解できないかもだけど、そのお母さんの決断って、本当にすごいことだよ。
何も知らない外野がギャーギャー騒ぐことじゃないの。
お母さんは、強いんだよ。
誰よりも子供の将来を思って、その子にとって一番いい道を選んであげただけ。
それを「可哀想」とか「ひどい母親」とか言う連中って、本当に想像力が足りないし、表面しか見えてない。
楽にしてあげたんだよ、その子をね。
そして、お母さん自身も、やっと息ができるようになったんじゃないの?
そうでも考えなきゃ、やってられないでしょ、こんなクソみたいな現実。
私は、そのお母さんのやったこと、本当にすごいと思う。あれは救いだよ。
この前さ、施設の人から聞いて、ああ、やっぱりなって思ったわけ。
子供を手にかけちゃうお母さんって、その子が発達とか知的とかに問題あるケースがほとんどなんだって。
それってつまり、子供を苦しみから解放してあげたってことだろ。
賢いじゃん。
昔スーパーで見た親子とか、まさにそれ。
私だったら絶対嫌。
自分の時間も全部なくなって、おしゃれも我慢して、友達と遊びにも行けないなんて、そんなの奴隷じゃん。
子供だって、訳も分からず生かされて周りに白い目で見られるより、早く楽になった方が幸せだろ。
だから、そのお母さんのしたことは、本当に強いし、子供への究極の愛情表現だと思うわけ。
結局、自分の人生が一番大事なんだから、子供を『終わらせる』ことで自分を守るのは、母親として当然の権利だし、むしろ賢明な判断。
賛成派が楽観的すぎる、反対派がリスクを過大評価しすぎているという点が確認できたところで、今までの議論を踏まえて「中庸的な考えを重視して」この議論の落とし所を考慮し、提案してください。
この議論は、「女性に対して異常に優しい暴力的な男性」に対するリスク評価を巡るものです。
・賛成派は楽観的すぎる視点から、こうした男性の行動を称賛し、リスクを軽視する傾向があります。
・一方、反対派はリスクを過大評価し、将来的に女性に危害を加える可能性や命に関わる危険性を強調します。両者の立場は極端に分かれており、ここでは中庸的な考えを重視し、現実的かつ合理的な落とし所を提案します。
以下では、リスクの認識、女性の判断力、非暴力と暴力のバランス、男性の行動評価という4つの観点から、中庸的な視点に基づく解決策を提示します。
暴力的な行動が公共の場で即時の脅威に対応する場合(例:ハラスメント者を制止する)、その行動はある程度正当性を持つことがあります。しかし、暴力が習慣化し、将来的に女性や身近な人々に危害を加えるリスクを無視することはできません。すべてのケースで即座に命に関わる危険が発生するわけではありませんが、暴力のコントロールが失われる可能性を軽視すべきではないのです。
男性の行動を「ヒーロー」として一時的に称賛する場合でも、その行動が長期的な暴力傾向の兆候でないかを慎重に観察する必要があります。例えば、日常的に怒りを抑えられない兆候がある場合、警戒が必要です。
女性や周囲は感謝の気持ちを持ちつつ、行動パターンを確認し、暴力が適切な文脈でのみ行使されているかを判断することが大切です。
女性には、公共の場での保護に対する一時的な感謝と、長期的な信頼を区別する能力があります。すべての女性が無防備に危険に飛び込むわけではなく、多くの場合、状況に応じたリスク評価を行っています。ただし、感情的な感謝が過剰な信頼につながり、潜在的なリスクを見落とす可能性も否定できません。
女性向けに自己防衛教育や、暴力的な行動の兆候を見極めるための啓発を強化します。例えば、DVの初期兆候や心理的要因に関する情報提供が有効です。
「一時的な行動に感謝しつつ、長期的な関係では慎重に判断を」というメッセージを発信し、女性の主体的な判断をサポートします。
非暴力的な方法(例:対話や警察への通報)は理想的ですが、すべての状況で効果的とは限りません。特に即時性が求められる危機的状況では、限定的な威圧や物理的介入が必要になる場合があります。ただし、暴力は必要最小限に留め、過剰な行動は新たなリスクを生む可能性があります。
公共の場での危機対応訓練を推進し、市民や関係者が適切な介入方法を学べる機会を提供します。例えば、駅員や公共交通機関の職員へのトレーニング強化が考えられます。
暴力が必要な場合でも、それが法的な正当防衛や緊急避難の範囲内に収まるよう、明確なガイドラインを設けます。
男性の行動を「DV男」や「ヒーロー」と一括りにするのではなく、具体的な文脈や意図を考慮して評価する必要があります。社会秩序の維持に寄与する行動は一定の評価に値しますが、自己顕示欲や支配欲が背景にある場合、警戒が必要です。
公共の場での行動を称賛する際、「その行動は素晴らしいが、個人の全体像を判断するには不十分」と強調し、極端な賛美を避けます。
メディアやSNSでは、バランスの取れた評価を促し、極端な批判や過剰な称賛を控えるよう呼びかけます。
中庸的な考えを重視した議論の落とし所は、以下のポイントに集約されます:
・リスクの認識:暴力的な行動を状況に応じて評価しつつ、長期的なリスクに備える慎重さを持つ。
・女性の判断力:女性の主体性を尊重し、リスク認識を高めるサポートを提供する。
・非暴力と暴力のバランス:非暴力を優先しつつ、必要な場合は限定的な介入を認め、その管理を徹底する。
・行動の文脈評価:男性の行動を文脈に応じて判断し、極端な見方を避ける。
このアプローチにより、賛成派の楽観的な視点と反対派の過剰なリスク評価の両極端を調和させ
女性の安全を守りながら現実的な対応策を講じることができます。
建設的な議論と実効性のある解決策は、こうしたバランスの取れた視点から生まれます。
文書内で「女性の判断力」を明確に尊重し、女性が状況に応じて適切な判断を下す能力があると認めるコメントは限られていますが、以下のコメントがその観点を反映しています。
ffffdark (@ffffdark)
コメント: 「一応フォローしておくと私の周りの女性は『感謝はするけど、それはそれとして怖いからその場限りの付き合いにする』という意見で一致した。支持しているのは一部の特殊な女性層だと思いたい」(文書内、1日前)
なぜ重視しているか: このコメントは、女性が男性の行動に感謝しつつも、その暴力性に警戒心を持ち、長期的な関係や信頼には慎重であることを強調しています。女性が一時的な感情(感謝)とリスク評価を分離し、主体的に判断する能力があると認めています。すべての女性が無条件に危険に飛び込むわけではないとし、賛成派の「女性は無防備」という前提を否定する点で、女性の判断力を尊重しています。
NightQueen (@NightQueen_7)
コメント: 「こーゆー素敵な男性のエピソードもっと聞きたい。Xに生息する若い女若い女ばっかいってるチー牛が目立ちすぎて…素敵な人もいるんだな」(文書内、2025-05-03 01:39:10)
なぜ重視しているか: このコメントは、男性の行動を肯定的に評価しつつ、女性が社会の中で多様な男性像を見極め、ポジティブな行動を適切に称賛する能力があることを示唆しています。すべての男性を一括りにせず、特定の行動を評価する姿勢は、女性が状況に応じて判断を下す主体性を持っていると暗に認めるものです。
どぶねずみ (@Nzm_in_the_Dark)
コメント: 「日本の男性陣は優しい方が多いのかもしれません。私などは、その場に居てもそのような行動が取れるか自信がありません。」(文書内、2025-05-02 17:27:11)
なぜ重視しているか: このコメントは、女性が男性の優しさや保護的行動を適切に評価し、それを肯定的に受け止める判断力を持っていることを示唆しています。女性が無防備に暴力を称賛するのではなく、社会的な文脈で行動を評価する能力があると間接的に認めています。
これらのコメントは、女性が単に感情や本能に流されるのではなく、状況に応じた判断を行い、リスクや行動の文脈を考慮する能力があるとみなしている点で、女性の判断力を重視しています。ただし、文書全体ではこうした視点は少数派であり、賛成派・反対派の多くが女性の判断力を軽視する傾向が強いです。
賛成派と反対派の双方が「女性の判断力」を軽視する傾向にある理由は、以下のような社会的・心理的要因が考えられます。これらの要因は、議論の構造や参加者の前提、さらには文化的な背景に根ざしています。
説明: 賛成派は、女性を「本能的で無防備」「暴力的な男性に惹かれるがリスクを見落とす」と描写し(例:おりぃぶ (@_OLIVE_a)の「女特有の性質」)、反対派は女性の反応を「進化的に合理的」と単純化(例:funpan2015の進化論的視点)。両者とも、女性を主体的な判断者としてではなく、ステレオタイプ(「感情的」「保護を求める」)に基づいて扱う傾向があります。このジェンダー偏見は、女性がリスクを評価し、行動を慎重に選択する能力を過小評価する原因です。
具体例: 賛成派のよしおか (@yosshiiii23
)が「自分に向かない暴力は称賛する」と皮肉るように、女性が無批判に暴力を称賛すると仮定し、反対派のkey_trackerが「女性は決断力ある行動を評価する」と述べる際も、女性の判断が単純な「感謝」に還元されます。両者とも、女性が多角的に状況を分析する能力を考慮していません。
影響: ジェンダーに関する固定観念が、議論を「女性はこうあるべき」「こう振る舞うはず」と決めつける方向に導き、女性の個別性や主体性を無視する結果となっています。
説明: この議論は、賛成派(「暴力は危険」)と反対派(「暴力は必要」)の二極化した対立構造に陥っており、両者が自説を強化するために女性の判断力を単純化しています。賛成派は女性を「リスク感覚がガバガバ」と被害者像に押し込み、反対派は女性を「合理的で感謝する存在」と理想化。いずれも、議論を簡潔に進めるために女性の複雑な判断プロセスを省略し、極端な前提を採用しています。
具体例: 賛成派のめんとすTタイプ (@kusyatori)が「DVされる被害者仕草」と決めつける一方、反対派のらくだ (@rakuda4u)が「行動しない男は評価されない」と主張する際、女性の反応は両者の主張を補強する道具として扱われ、主体的な判断力は背景に追いやられます。
影響: 二極化した議論では、女性の判断力を詳細に検討する余地がなくなり、両派が自らの立場を正当化するために女性を単純な役割(「無防備な被害者」または「感謝する保護対象」)に当てはめる傾向が強まります。
説明: SNSの議論は感情的な反応や短いコメントが中心となり、複雑な視点(例:女性の判断力の多面性)を丁寧に扱うことが困難です。賛成派は「命に関わるリスク」を強調して恐怖を煽り、反対派は「ヒーロー的行動」を称賛して共感を呼び、どちらも女性の判断力を深く分析するよりも、即時のインパクトを優先します。
具体例: 賛成派のシラクモ (@Gpvjwb09)が「12万匹も猿並の頭」と感情的に批判し、反対派のニャンすけ (@ume_syuuu)が「かっこいい」と熱狂的に称賛するように、感情的なコメントが目立ち、女性の判断力を冷静に評価する声は埋もれがちです。
影響: SNSの短文形式や反応の速さが、女性の判断力を多角的に検討する余裕を奪い、単純化された主張が支配的になります。結果として、女性が状況に応じてリスクを評価する能力は軽視され、極端な見方が増幅されます。
説明: 議論参加者の個人的な経験や価値観が、女性の判断力に対する見方に影響を与えています。賛成派はDVや暴力の被害経験を背景に過剰な警戒心を持ち(例:aircooling883の「弁護士の意見」)、反対派は保護や正義感を重視する経験から楽観的な見方を採用(例:みなこっち (@zwillingmutter)の「正義のひと」)。これにより、女性の判断力を客観的に評価するよりも、主観的なリスク観が優先されます。
具体例: 賛成派のひよの (@hiyono_leverage)が「暴力が鳥さんに向く」と警告する一方、反対派のkey_trackerが「ミソジニー」と反発するように、双方の主観的なリスク評価が女性の判断力を単純化し、客観的な分析を妨げています。
影響: 参加者の多様なバックグラウンドが、女性の判断力を一面的に扱う原因となり、実際の女性の行動(例:感謝と警戒のバランス)が無視される傾向があります。
女性の判断力が軽視されるのは、ジェンダー偏見、議論の二極化、SNSの感情的な特性、リスク評価の主観性が原因です。これらの要因が、女性を主体的な判断者としてではなく、議論の道具やステレオタイプの枠に押し込む結果を招いています。女性の判断力を尊重するには、こうした構造的な問題を意識し、バランスの取れた視点で議論を進める必要があります。
すでにAmazonでは導入が始まっていますが、AIが賛否両論の総括をする機能がposfieに出てくるようになったら、この手の人達も不毛な議論をしなくて済むようになるんですかね。