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「森有礼」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 森有礼とは

2025-02-19

anond:20250219063622

明治時代仮想マイクロブログ社会がもたらした近代化の加速と文化的変容

概要

明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、

出生時に人体に埋め込まれる生体統合デバイスとして全国民に普及した。

この技術革新明治5年1872年)の学制発布以前に実現したことにより、

日本史上空前の情報革命が発生。

福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論電気的伝播」が現実化し、

明治政府中央集権政策民間自由民権運動が複雑に絡み合いながら、

従来の歴史認識根本から変革する社会構造形成された。

森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩リアルタイムで共有され、

夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、

文学表現のもの双方向メディアへと変質した。

政治体制情報統制の変容

大政奉還前夜の情報戦

慶応3年1867年)の王政復古クーデターにおいて、

薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。

西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民タイムライン炎上する中、

岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義映像コンテンツが300万回再生され、

徳川慶喜の恭順姿勢を決定づけた。

戊辰戦争では会津藩白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、

これが国際世論形成に影響を与え、

パリ同時通訳機能を備えた端末を通じて英仏の介入を阻止した。

明治政府検閲システム進化

明治6年1873年)の徴兵反対運動では、

全国の農民が瞬時伝達器で組織的抵抗を展開。

これに対し内務省は「治安維持電脳局」を設置、

自然言語処理AIによるプロファイリング技術を駆使し、

危険思想予測検閲実施した。

森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、

国民の端末に強制配信機能実装され、

山県有朋の「国民道徳統合プログラム」として機能した。

文学芸術分野の変革

文豪たちの双方向創作

森鴎外陸軍軍医時代投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、

従軍記者の報告を凌ぐ臨場感国民的人気を獲得。

鴎外は後に『ヰタ・セクスアリス』(1909年)の連載中、

読者からの「官能描写情報告」機能逆用し、

中人物の心理描写リアルタイム修正する実験創作を試みた。

夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生遺書」展開を読者投票で決定、

従来の作家観を超えた「集合知創作」の先駆となった。

若手作家の台頭とメディアミックス

芥川龍之介東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり

史上初の「バーチャル文芸サロン」が形成された。

谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者から画像投稿構成する「コラボレーティブ・アート」を実践

永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原遊女たちが匿名アカウントで作中の描写反論するメタフィクション的試みがなされた。

社会運動大衆文化の進展

自由民権運動の加速化

明治10年1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ情報戦を展開。

政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍士気低下を計画的に誘導

戦争期間を史実より3ヶ月短縮させた。

明治23年1890年)の第一帝国議会選挙では、

立憲自由党政策動画配信仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施

投票率が史実の91%から98%に上昇した。

大衆娯楽の変容

明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化

日露戦争記録映像旅順要塞攻撃』(1904年)では視聴者攻撃ルート投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。

落語家三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ怪談電送話」を配信

バーチャル花火大会との連動企画で新たな大衆芸能を創出した。

国際関係技術革新

列強とのサイバー外交

明治32年1899年)の条約改正交渉において、

陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。

治外法権撤廃交渉過程部分的公開し、

英国世論誘導成功した。

明治37年1904年)の日露戦争では、

明石元二郎大佐ロシア革命勢力と端末経由で連絡、

諜報活動効率化で史実より早期の講和を実現した。

技術限界社会適応

大正3年1914年)のシーメンス事件では、

海軍将校贈収賄記録が匿名アカウントを通じて暴露され、

従来の新聞スクープを凌ぐスピード政界震撼させた。

一方で、端末の生体統合特性逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化

森鴎外が『沈黙の塔』(1910年)で警鐘を鳴らすなど、

プライバシー公共性ジレンマが早くも表面化した。

結論

仮想マイクロブログ技術明治期に存在した場合

その社会的影響は単なる情報伝達の高速化を超え、

国家形成プロセス自体根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。

文学における双方向性の獲得、

政治運動の即時組織化

国際交渉の多次元化など、

従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。

ただし、この技術がもたらす集合的無意識可視化は、

大正期のメディアアート運動昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相付与し、

現代SNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。

今後の研究課題として、

端末の技術起源に関する考察海外技術流出説VS超自然的出現説)と、

大正デモクラシー期におけるメディアリテラシー教育実態解明が急務である

2024-08-07

本当に皆生きてて「サマン田端」とか思わないわけ?

大葉切ってる時にラブイズオーバーとか歌わないの?

友達の誘いを受ける時に「イーヨン・マスク」とか言わないの?

嘘でしょ?

田端駅通る度にサマン田端がこんなに脳裏に過るのに?

有り無し判定の時に「ありよりの森有礼」とか言わないってこと?

溌剌な時は「元気モリモリ森鴎外」って思わないの?

皆本当は思ってるんでしょ?

そうだよね?

追記

コメントありがとう!皆わざわざ言葉にしないだけで沢山考えてくれてるみたいで増田は嬉しいよ、仲間がこんなにいっぱいだよ

ちなみにこんな感じで生きてるので昔両親が喧嘩してた時は「あいつら多忙 俺たちゃ無謀 平穏な願望」って歌ってたよ ちなみに基本仲良ぴだから大丈夫

増田はこんな感じで「音」とか「意味」が少し、もしくはぴたっとハマる感覚が好きで、ラップの韻を踏んだりダジャレだったりが好きだよ。Creepy Nuts助演男優賞なんか凄いと思う。

例えばさ、和歌なんかもそうだと思うのね。掛詞ってあるじゃない。「眺め」と「長め」がかかってたりするじゃない。ああいう「音」は同じで意味は違うもの、その狭間に対して私達ってワクワクしたり言葉にできない感情を委ねたりできるじゃない。あれって凄く良いと思うの。

ありよりのありと森有礼距離遠いけどちょっと繋げたらなんかエモいじゃん?

でも胃袋つめつめ夏目漱石はさ、あの人神経衰弱なるくらいだからそんな食べさせたら可哀想じゃん?そんな感じなの楽しいよね

ちなみに増田フランク三浦のことは知らなかったな、また新しく知れて嬉しいよ!でも裁判沙汰は凄いな!

2023-08-15

○り○り○りみたいな人

森有礼以外にもいるの?

2023-01-09

anond:20230109024217

一夫一妻制は数万年から人類の生態で、人類は一夫一妻制に適応して進化してきている。むしろ一夫多妻の方が人類からしたら少ない例。

そのソースを示して貰いたいね

一夫多妻否定する理由もないけどキリスト教規範に合わせて移行したわけではない。

いや事実として議会では一夫多妻明治期に民法上一夫一妻制へ以降しているし、その理由欧米列強に習いグローバルスタンダードへ合わせるためだ

1つの契機としては森有礼の妻妾論で、それが後に妻妾論論争へ発展するんだよ

この論争の中で登場するのは一夫多妻制や家父長制は文明がもとるというもので如何に当時の日本欧米列強文化制度意識していたかわかる

妻妾論は当時の女性人権拡大の一端を担う革新的な主張であったとともに、それまで法的に保護されていた妾が法の庇護から外れてしま人権否定の一面も生んだんだ

現在日本の一夫一妻制は欧米列強への意識と当時の妾の犠牲の上で成り立っているのは疑いようもない事実

2021-07-12

教員免許更新体験

教員免許更新廃止に関して、過去免許更新をした事例を記す。

中高普通免許持ち。

臨時で数年公立高校に勤務したあと、結婚のため引越し子供が生まれ現在まで無職

将来復職たかったので免許の期限を機会に通信免許更新をすることに。

通信大学免許更新講座の申し込み、自費で3万円を支払う。

シラバステキストが届く。テキストを読んでレポートを書き、試験日に試験を受けて単位を貰う方式

シラバスに誤字が多い。テキストのページ数が間違ってる。ついでに試験会場の地図に書かれてた目印の建物更地になっててたどり着きにくかった。

内容は必修の「ほぼ教育原理」と選択科目。

教育原理教員免許を取得する過程でどこでも履修する科目。それをテキストでもう一度読む。

初心に帰るという意味はいいのかもしれないけど、運転免許更新学科試験をもう1回するような感じであまりいい気分ではない。

更にテキスト最後にはなんとなく教育関係ありそうなエッセイがついていた。エッセイ自体は悪くないんだけど、PHP雑誌に書いてありそうだなと思った。

選択科目はそれなりに専門の話が多かったので、改めて勉強できてよかった。

レポートメールで提出し、試験当日に会場へ。冬だったので寒かった。

試験自体テキストを熟読していれば難しいものではないが、テキストを読んでいないと難しかたかもしれない。

試験後、「我思う故に我ありって言ったの誰だっけ、あれ難しくない?」という会話が聞こえてくる。

試験後しばらくして単位認定書類が届く。それから教育委員会のHPから書式をダウンロードして必要書類をまとめる。以下は教員免許更新制度とはあまり関係ないが、一連の事務作業で嫌だったことを書いていく。

結婚して引っ越しているので氏名住所変更のため戸籍抄本必要になる。しか本籍地が遠方のため、戸籍抄本取得に一週間ほどかかる。切手代(返信用含む)と戸籍抄本代が馬鹿にならない。

何故戸籍抄本でないといけないのか、氏名住所変更で強制的1000円近く徴収される意味がわからない。せめて住民票ではなぜダメなのか。マイナンバーとは何なのか。無理に夫婦別姓にしなくてもいいのでこの辺の手続きの柔軟性を何とかして欲しい。マイナンバーとは何なのか。

戸籍抄本も届いたので必要書類教育委員会に提出に行く。1歳の子供を連れて行ったのだが、受付していたのが古いビルの3階で、エレベーターなし。もしベビーカーで行っていたら詰んでいた。

何とか受付にたどり着いたところ、「別の建物で証紙を買って来てください」とのアナウンスベビーカーで行っていたら詰んでいた。

それから数百メートル離れた建物で証紙を購入し、また古いビルの3階まで戻る。バリアフリーとは何か。

手続きが終了し、後日正式な「更新修了確認書」という紙が届く。これであと10年の免許保証されるらしい。

ここまでは通信で行う個人更新事例だけど、実際に講習を受ける人の中には開催される大学に通ったり宿泊必要なこともあるが、その交通費宿泊費も自費と言っていた。宿泊して多額の交通費をかけて行うのが「教育原理」だ。それなら自分必要研修を受けたい。

個人的に意義のある免許更新にするならば、もっと革新的な講座にしてほしい。発達障害ある子供への対応法や不登校の解消の実践例、最新のクラス経営法や指導要領の読み直しから学ぶことなど、実践できる研修がいい。森有礼とか今更覚え直すことでもないだろう。10年後も森有礼テストをするのかと思ったら憂鬱になる。実際に受講した感じだと免許更新のためのアップデートというより免許更新アリバイ作りのような気がしてならない。

また大学に任せるのではなく、各教育委員会で開催できれば交通費宿泊費が減らせるのではないかと思う。免許更新センターみたいなのを作って、そこに行くのは出張扱いになればいいと思う。

以上、現状の免許更新制度廃止してほしいと思っている、数年前に個人更新した側からの事例でした。

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日天保13年3月15日) - 1917年大正6年)3月31日)[1]は、日本外交官漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した[2]。 甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者[3]。

目次 [非表示]

1 来歴

2 主な著作

3 栄典

4 脚注

5 参考文献

来歴[編集]

肥後国天草(現・熊本県上天草市大矢野町)生まれ。父である小田左衛門(竹添筍園)は、肥前国島原出身医者で、天草大矢野島に移り住み、上八幡宮宮司二上出雲の娘である美加と結婚した[3]。順左衛門儒学者広瀬淡窓門下十八傑の一人でもあり、進一郎が幼い頃より儒学を教えた[1]。

1855年(安政2年)15才の時、天草より熊本に出て儒学者木下韡村の門下生となった。学業は極めて優秀で、木下門下では、井上毅木村弦雄と三才子と称され、さらに古荘嘉門を加えて四天王といわれる[3]。藩校時習館の居寮生となり、木下のはからいで士分に取り立てられ、藩命により京都江戸奥州を訪れる。江戸では勝海舟の知遇を得る[1]。

1871年(明治4年)、廃藩置県で失職し熊本市玉名市私塾を営んだ後、1875年明治8年)に上京する[3]。勝海舟の紹介で森有礼全権公使随行し、清国へ渡った。同郷の津田静一と共に清国を旅し「桟雲峡雨日記」を記した[1]。天津領事北京公使館書記官などを経て、1882年明治15年)、花房義質の後任として朝鮮弁理公使となるが、甲申政変に深く関わり辞任した[4]。

1893年明治26年)、東京帝国大学教授就任漢文学を講じた[1]。退官後、小田原暮らし、76才で没した。1914年大正3年)、日本学士院賞受賞(第4回)。文学博士従三位勲三等。熊本県近代文化功労者。次女の須磨子は、講道館柔道創始者である嘉納治五郎結婚した。媒酌人は、木下韡村の次男で後に京都帝国大学総長となった木下広次が務めている[1]。

2016-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20161212104657

wikiより

明治時代に入り、1885年明治18年)に当時の文部森有礼によって儒教的道徳教育規制する命令が出された。だが、元田永孚宮中保守的漢学者の影響によって教育勅語などに儒教の忠孝思想が取り入れられ、奨励された。

こいつらだわ、諸悪の権現

森有礼英語国語政策も出してたし、こいつが生きてたらいろいろ変わってただろうな。

2015-12-03

☆(007)ダメダメ人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹

無意識に買わせる心理戦サイモン・スキャメル=カッツ

なぜこの店で買ってしまうのか ショッピング科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル

33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマ

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司

あのころ未来星新一の預言 (新潮文庫) 最相 葉月

☆儒教ルサンチマン宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバー

教育危機経済学 (御茶の水選書) 馬場 宏二

陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ

排除社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング

憲法で読むアメリカ史(全) (学芸文庫) 阿川 尚之

☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ

父が子に語る世界歴史〈2〉中世世界 ジャワハルラール ネルー

クリエイティブシンキング入門 マイケル・マハル

クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史

コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平

竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン

双頭の鷲〈上〉 (新潮文庫) 佐藤 賢一

子どもの難問 野矢 茂樹

☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上 塩野 七生

アメリカ史のアイロニー ラインホールド ニーバー

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ) ドナルド・B・クレイビル

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子

生命保険カラクリ (文春新書) 岩瀬 大輔

統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ

☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子

明治・父・アメリカ (新潮文庫) 星 新一

☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子

森有礼 悲劇への序章 (林竹二著作集) 林 竹二

林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二

フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤

教育立国フィンランド教師の育て方 増田 ユリ

オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン

コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ

演劇入門 (講談社現代新書) 平田 オリザ

フィンランド流「伝える力」が身につく本 北川 達夫

図解 フィンランドメソッド入門 北川 達夫

受けてみたフィンランド教育 実川 真由

話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき

Rules of Attraction Bret Easton Ellis

シェイクスピアハンドブック 河合 祥一郎

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴

ポストヒューマティーズ――伊藤計劃以後のSF 飯田一史

ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太

俺のイタリアン俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本

まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード

農業で稼ぐ!経済学 浅川 芳裕

足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校

ホテルメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ

ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ

りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也

ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー 森 達也

「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田

ファンタジーを読む (岩波現代文庫子どもファンタジーコレクション 2) 河合 隼雄

結婚できないのはママのせい? -娘と母の幸福五百田達成

大人のための私服の教科書 久保田卓也

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書) 川上量生

メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生

(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太

☆☆津波の墓標 石井光太

鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司

☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子

ニッポン定番メニュー事始め 澁川 祐子


金融商品にだまされるな! 吉本 佳生

金縛り]の謎を解く 夢魔幽体離脱宇宙人による誘拐 (PHPサイエンスワールド新書) 福田 一彦

国際メディア情報戦 (講談社現代新書) 高木

高校生からわかるマクロミクロ経済学 菅原

「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬

石油国家ロシア マーシャル I ゴールドマン

戦うハプスブルク家 (講談社現代新書) 菊池 良生

神聖ローマ帝国 (講談社現代新書) 菊池 良生

陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫) 酒見 賢一


秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子

B級ご当地グルメまちおこし: 成功と失敗の法則 俵 慎一

町おこし」の経営学ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム

☆なぜ富士宮やきそばB-1グランプリ覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦

中小都市の「B級グルメ戦略―新たな価値創造に挑む10地域 関 満博

決定力! :正解を導く4つのプロセス チップ ハース

習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ

波間の国のファウスト:EINSATZ 天空スリピングビューティ (講談社BOX) 佐藤

戸田誠二作品集リム奇譚 (ぶんか社コミックス) 戸田 誠二

 
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