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『ガザで救急車攻撃15人死亡“ハマスの車両と誤認”イスラエル軍』
パレスチナのガザ地区で先月、救急車がイスラエル軍に攻撃され救急隊員など15人が死亡したことについて、イスラエル軍は、救急車をイスラム組織ハマスの車両と誤認していたなどとする調査結果を発表しました。
パレスチナ赤新月社や国連によりますと、先月23日、ガザ地区南部のラファで救助活動にあたっていた救急車がイスラエル軍の攻撃を受け、その場にいた救急隊員や国連職員などあわせて15人が死亡しました。
これについてイスラエル軍は20日、調査結果を発表し「車両がハマスによって使用されていたと判断し、発砲した。夜間で視界が悪かったため、救急車だと認識しなかった」などとして、救急車をハマスの車両と誤認したことや、複数の命令違反があったことを明らかにしました。
そのうえで、攻撃を行った部隊の副司令官を解任するとしています。
イスラエル軍は「無関係の民間人に被害を与えたことは遺憾だ。今後、同様の事案が起きないように検証の結果を役立てる」などとコメントしています。
この攻撃をめぐっては、国連やIFRC=国際赤十字・赤新月社連盟が「医療従事者が死亡したことに憤慨している」などと相次いで非難していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250421/k10014785371000.html
まずな、エッセンシャルワーカーの「脅し」云々という話をしてるが、脅してるんじゃない。現実を語っているだけだ。
もし脅しに聞こえるとすれば、それはお前がその現実の深刻さを直視していないからだ。
自分がいま「健康でガッツリ働けてる」からって、インフラ・流通・保健・医療・教育・保育がなかった世界で一日でも生き延びられるか、よく考えてみろ。
冷蔵庫にある食材、誰が届けてくれてる? 水道の蛇口から出る水、それどうやって浄水してる? それ全部、自動で湧いてるわけじゃない。
で、お前は「死に絶えても今すぐ死なない」とか抜かしてるが、それ、たとえば人工透析患者の前で言えるのか?
あるいは、お前が事故って血まみれで救急搬送されたときに、エッセンシャルワーカーが「今すぐ死なないからまあいいや」と言って病院を閉じたら、喜んで納得するか?
人は必要な瞬間に必要なケアを受けられなければ、あっけなく終わるんだよ。
さらに言おう。「エッセンシャルワーカーは社会的弱者を脅すべき」? それ、論点が真逆だ。
彼らが報酬を求めているのは、誰かを支配するためではなく、「誰かの命を守る責任を果たすために報われたい」という、ごく当たり前の正義感に基づいている。
その価値をわからず、「じゃあ弱者に脅しをかけろ」と言うお前の言葉のほうがよっぽど腐ってる。なぜなら、それは力がない者には要求していいという、最低の倫理破綻だからだ。
そして最後に一つ、お前が言っている「本気じゃないのかな?」という疑問、それはお前自身が、「自分に直接関係ないことには耳をふさぎたい」という姿勢の裏返しだ。
「人類の進歩と調和」を支えているのは、見返りを求めず働いている名もなき他者たちなんだよ。それを理解せずに生きてるやつが、「現役納税者」として胸を張るのは、ただの無知の自己放尿だ。
お前の言葉の背後にあるのは、「支配されること」への恐れか、「無力に見える存在を軽視したい」という心の痛みだろう。その気持ちはわかる。
■ 餓死説
まずは、「餓死」ですね。いわゆる過度の減量、エネルギーと糖質の極限カットによって身体が限界を超えてしまったという説。これはかなり根強い意見ですし、実際にそれっぽいエピソードもあるんですよ。
亡くなる数日前にも北村さんは倒れて救急搬送されてるんですね。そのとき、妹さんが「せめて飴をひとつだけでも舐めて」と懇願したにも関わらず、本人は「そんなわずかなカロリーすら摂りたくない」と拒否していた。これ、正直言って、減量に対する本気度というか、もはや信仰に近いものを感じます。
で、この時点で身体は相当ボロボロだった可能性が高いです。筋肉は分解されて、ホルモンバランスは崩れ、心筋すら萎縮していたかもしれない。電解質もぐちゃぐちゃだったでしょう。カリウム、マグネシウム、ナトリウムが大きく乱れていれば、それだけで突然の致死性不整脈に繋がるのは十分あり得ます。
ただ、それでも餓死っていうのは、基本的にゆっくり進行するんですよ。今日の今日で急に倒れて心停止するっていうよりも、意識が朦朧としてきて、何日もかけて衰弱していくイメージです。家族と一緒に暮らしていた北村さんが、それに気づかれずに急死したというのは、少し説得力に欠ける部分もあります。
とはいえ、餓死による急死がまったく起こらないかと言われたらそうでもないです。
極度の電解質異常が引き金になって、突然の心室細動が起こる可能性はあるし、精神的・肉体的ストレスが最後の一押しになることもある。
なので単純な事実上の餓死説を完全否定することはできないです。
...が、あの「急激な死」の説明としてはやや弱いのかなとも思います。何かもう一段階、外からの強烈な要因が重なっていたと考える方が自然じゃないかと私は思ってます。
■ DNP
そこで出てくるのが、DNP(ジニトロフェノール)です。これは本当にやばいです。歴史のある化合物なんですけど、現代では毒物に分類されてもおかしくないレベルの危険性を持ってます。
そもそも薬と言って良いのかもわからないです。本来は防腐剤や農薬原料などといった工業用の薬品なので。(現在はその高い毒性と危険性から、工業用途でもより安全な代替物質に置き換えられています。)
この作用機序なんですけど、簡単に言うとミトコンドリアでのATP合成を邪魔します。要するに「エネルギーを作れない状態にする」わけですね。代謝のエンジンを回しながら、ガソリンは空っぽっていう、もう自殺行為に近い代物。
その結果、どうなるかっていうと、体温が爆上がりします。40度超えることも普通にあります。大量の汗が出る。脱水が進む。ミネラルが抜ける。乳酸が溜まる。肝臓も腎臓も悲鳴を上げる。そして、何よりヤバいのが、気づいたときにはもう手遅れなケースが多すぎるってこと。
DNPの特徴は、ちょっとした不調を「効いてる証拠だ」と勘違いして続けてしまうところにあります。そしてそのまま、高体温が止まらなくなって、昏睡、心停止、死亡という流れ。拮抗薬はありません。時間との勝負ですが、勝てる勝負じゃないことが多いです。
90年代から2000年代初頭にかけて、DNPは裏ルートで普通に出回ってました。今よりも遥かに情報も少なかったですし、食べても痩せるという魔法の言葉に飛びついた人も多かった。
北村さんほどのストイックさがあれば、DNPを使っていた可能性はゼロではないでしょう。
■ インスリン
もうひとつの可能性として語られてるのが、インスリンの誤用。これは減量中でも使われることがあります。
糖質カット中にインスリンを打つと、血糖値が一気に下がって、低血糖性昏睡が起こる。これがマジで危険なんですよ。
最初は手が震えたり、冷や汗が出たりするんですけど、そこから数分〜十数分で意識がなくなることもあります。最悪、何も対処できずにそのまま死にます。
ただ、北村さんは医療系のバックグラウンドもあるし、普通の人よりはリスクを知ってたはずなので、知名度の高いインスリン単体で死亡するということは少し考えにくいかもしれません。
で、もしここにDNPとインスリンを同時に使っていたとしたら…これはもう最悪のコンボです。
DNPでATPが作れない状態にして、さらにインスリンで血糖を下げると、細胞はエネルギーを作ることも取り込むこともできません。特に脳と心臓が真っ先にやられます。
脳はグルコースが主な燃料ですし、心臓は膨大なエネルギーを消費する臓器。
そのどちらもエネルギーが来ないとなったら、本当に数分で心停止してもおかしくないです。
DNPの高体温がさらに追い打ちをかけて、酵素は変性、タンパク質は壊れて、臓器はどんどん死んでいく。
そのスピード感は、もはや人間の手でどうこうできるレベルじゃないんです。
インスリンはよく知られていましたがDNPとの組み合わせ結果の予測は、当時の時代背景を考えるとかなり難しかったのではないかと思います。
ここまでを全部踏まえて言うなら、私としてはDNP単独、もしくはDNP+インスリン併用が最も現実的な推測だと思ってます。
餓死単独での突然死もありえなくはないけど、短時間で急変して心停止っていうあの特徴の説明としては弱いように思えるんですよね。
インスリンだけでも急死することはあります。ただ、そこにDNPが加わることで、致死リスクは跳ね上がります。
制御不能な高体温と、エネルギー枯渇のコンボ。これはもう即死級であまりに危険すぎます。
そしてなにより、北村さんの性格・精神性を考えると、効果のためなら多少のリスクは飲むという判断をしていても不思議ではないですね。
市長が「道楽で富士山に登る人を公費で救う必要あるか」とか言ってるらしいけど、
フェスで倒れた人。
海水浴で流された人。
これ全部、「本人の判断で」「趣味・娯楽・自己実現」のためにやってることだよな?
登山と何が違うんだよ。
それを見て「かわいそう」「ちゃんと助けなきゃ」って思えるのに、
その論理でいくと、この国の救急制度・医療保険制度、根本から否定されるんだよ。
なぜって?
人間が倒れるときって、大体“好きでやってたこと”の延長線上で起きてんだよ。
好きで体動かして、好きで人に会って、好きで外出して、その中で事故や病気は起きる。
全部“道楽”と切り捨てたら、救う対象なんてほとんど残らねえ。
やって倒れたら、ちゃんと自腹でやれよ?
その覚悟あるのかよ?
まさかとは思うけど、「自分の趣味は健全」「登山はバカがやる無駄な娯楽」とか思ってないよな?
線引きの基準が“自分がやるかどうか”になった瞬間、それもうただのエゴだからな。
命を救うのに、「道楽だったかどうか」で判断する社会なんて地獄だよ。
人命の瀬戸際にはなんの関わりない一般事務職だけど興味本位で救命救急講習に参加してみた。
免許取った時にやるあれのやり直し的なやつ。
一市井としていつかはやってみる?くらいの軽い気持ちで参加したけど、なかなか濃かったので自分の備忘がてら。
同じくらいのだるい熱量で興味のある人いたら全体の流れとか雰囲気とか参考にしてみてね。関東の政令指定都市の話。
最初に思いついたときは直近の開催日は予約がいっぱいで取れなかった。
年間スケジュールが公開されてたのでそれに合わせて予約した。
講習にはさらっと済む入門から上級まで90分~数日間に渡って行われる何種類かがあって、
「救急車が到着するまでにできる胸骨圧迫とAEDの使い方」を基本として内容や要求レベルが発展するみたいだった。
ざっと見るに基本の3時間コースも大人向けと子供向けで若干内容が違うようだったのでせっかくならと両方受けてみることにした。
防災資料館みたいな箱が会場で、開始10分ないくらいに到着して最後から2人目の受付だった。
私の市は受講料として1,000円くらいかかったけど自治体によっては無料で受けられるところもあるみたいだから「救命講習 **市」で調べたら一発で出てくるはず。
腕がない上半身だけの人形がアリーナ席に並んだ実地講習場をコの字型に囲んでテキストが置かれたパイプ椅子に着席。
平日午後からの回で参加者は40人いないくらい、身なりも年齢層もバラバラ(大体30代~50代)。
時間通り開始、初めの30分くらいは配布されたテキストを元に座学。
ところどころ寝ちゃったから覚えてない(ごめん)。まさに免許取る時に受けたあれだった。
一般の人が救命活動に参加する意義、どんな状況で人間は不意に死期に直面することがあるかの説明が主だったかな。
そんな局面に居合わせた時プロの救命隊が到着するまでの間にできる最低限の胸骨圧迫とAEDの使い方。
前段で口頭説明された胸骨圧迫や人口呼吸、AEDの操作の仕方を模擬人形を相手に練習する。
参加者を大雑把に10数人の班に分けて順繰りに実践して、自分の番以外はほかの班の実施講習を眺める時間になる。
周辺に待機してるスタッフ(皆さん元救急救命士)数人が見ててくれて個別にアドバイスしてくれる。
私は腕がない模擬人形の脇の位置を勘違いしてAEDパッドを貼り付けてしまっていたのを指導された。
最後の方の着席だったからか後ろの班になって前の班の見学をしてからできたけど、
実地場がコの字型なので周りの参加者に囲まれ(見られ)ながらのロールプレイはちょっと恥ずかしかった。
全部の班の実地講習が終わった後は簡単な締めくくりと共に止血法とか異物が詰まった際の対応の簡単な座学。
この部分は口頭と講師の方の手元にある模擬人形を元に再現して見せるだけで簡潔に終わった。
それではお疲れさまでしたということでしっかりしたプラカードの修了証を受け取って解散。
体の大きさの違いから救命措置にも大人とは若干違う対応が求められるからか別枠での講習が設けられていた。
会場は大人編と別の箱だけど受講料は同じ。大人編でも見かけたスタッフがおられたので、現役を引退されて後進の教育や一般人向けの救命活動の指導の普及に従事される専門の部門があるんだね。
会場のパイプ椅子の上に置かれたテキストが大人編でもらったものと同じだったので持参したことを申告したら、最新版であることを確認されたうえで受講料を支払わなくて済んだ。
こちらは大人編に比べると明らかに女性が多く、仕事関係で受けに来ている方が多そうだなという印象だった。
模擬人形が赤ちゃんと小学校低学年くらいの大きさの2つだったけど講習の流れは大人編とほとんど同じ。
座学は大人編と重複している部分が多くて前半はまた少し寝ちゃった(ごめん)。
こちらの班分けは到着順ではなく着席位置で適当に割り振られたので講師のおじさまの気分らしい。
いずれも講師を務めてくれたおじさまは柔らかい雰囲気で、参加者が緊張しないよう気を使ってくれてるのが伝わった。
とは言えさすが元救急救命士が実体験をはさみながら話すので真面目に聞くとテキスト以上の情報量がありかなりメモをとることになった。
どちらかというと子供編の方が熱心に聞いてる参加者が多かった印象。せっかくならと真面目に取り組んだけど終わった後は頭も体もぐったり。
やる気があるうちにと思って大人編・子供編を数週間くらいしか空けないで申し込んだけど子供編の大体は大人編を覚えてれば知ってる内容だったので、忘れそうになった頃に復習がてら受ければよかったと思った。
それにしても同じ市内にこんなに防災関連の施設があったのかという気づきもあった。
ちょっとした資料館の併設もあってゆっくり見たら面白そうだった。当日は疲れ切ってそんな気分になれなかった。
講習ではのっぺらぼうみたいな模擬人形相手だったから躊躇いなくガンガンやったけど、
人の胸を5㎝沈み込むほどの力を込めて押し込むってリアルに想像すると結構怖いし実際自分の心臓部を押してみると普通に痛い。
参加者の中に経験者がいて「怖かった」とおっしゃっていたけど、
救急車が到着するまで平均10分の間に素早い状況判断と救命活動に参加する覚悟、絶え間ない胸骨圧迫を…となると自分には出来ないかもな~とは正直思った。
というような雑な不安を閉会後スタッフのおじさまに投げかけてみたところ、
「あばらが多少折れるかそのまま死ぬか、相手が家族だったらどちらを選択しますか」と言われて言葉に詰まってしまった。
(やっぱ折れるよね?とも思った。)
たまに通勤途中に駅で倒れちゃって囲まれてる人見かけるじゃん?ああいう光景(他人相手)を無意識に想像してたけど、実際心停止状態になる人の7割くらいは発生時自宅にいたらしい。まあまあ他人事ではない。
そりゃ家族なら死ぬよりはと付け焼刃でも胸骨圧迫を試みると思うけど、異物が詰まったとかで呼吸が止まった人に適切なタイミングで胸骨圧迫に切り替えなかったら救護義務を果たさなかったとかで
裁判では負けますというようなことを大人編でも子供編でも言われると、脅かすつもりはないのは分かるけど他人相手では訴訟リスクとかいろいろ過って躊躇ってしまうだろう気持ちは拭えなかったかなあ。
ということで軽くその辺を調べてみたら日常で偶然そういう場に居合わせて救護活動に参加した一般人のことを医療用語で「バイスタンダー」というらしい。
今回のような救命講習を受けていたから対処できて助かったという例はちゃんとあるようだった。
というより救急車が到着するまでにバイスタンダーがいることで社会復帰率は倍くらい変わるらしい。初動大事。
なまじ習ってしまったからこそ新たに芽生えた不安もあったので、メンタル面の安心感とか実例の紹介とかはもう少しほしかったかも。
帰りの電車で子供編の模擬人形と同じくらいのサイズの子供を見かけて「こんなやわやわな体にあれを…?」とか想像してしまったし。
普段パソコンにしか向かってないから意識してないけど人ってなにもしないと死ぬんだよね。
率直に私は生身にやりたくないと思ったから、医療従事者の方たちの職責の重さを改めて尊敬した。これからもパソコンに向き合うだけの日常が続いてほしい。
でもまあ実践と社会参加してる気になったという意味では有意義な時間だった。気が向いたらみんなも調べてみて~。
両日休憩なしぶっ通し3時間の非日常体験だったからまた色々出てきた。
あまり想像したくないけど、本番だったら…?と思ったところを中心にまたメモメモ。
ざっくりと
安全確認~反応の確認~呼吸の確認~胸骨圧迫~(技術とやる意志があれば人口呼吸)~AED←→胸骨圧迫~救急隊へ引き渡し
って流れなんだけど。
例えば「目は動かせないけど手は動かせることもあるから全身を見て」みたいにそれぞれのポイントで意識すべき点があって、当たり前だけど聞くのとやるのとでは全然ちがった。
おじさま「はい!AEDが到着しましたよ!」→私(えっと…あっ服を脱がせる!)みたいな。
お人形は軽いし着てたのもTシャツだったからサクサクできたけど、ぐったりしてる人間って普通体型の成人女性でもかなり重いよね…。
冬だったら厚着だろうし童貞には脱がせられない服みたいの着てたらムリかも~となった。
基本的にどちらの回も身振り手振り声出し、参加者のみなさんきちんと取り組んでた。
特に胸骨圧迫は軽く息が上がるほど疲れた。プロの人でも数分で交代するらしい。BPMの基準も教えてくれたけど絶対焦ってしまいそう。
あとAEDのアナウンス音でかなり緊迫感を煽られる。音もでかい。
不謹慎な例えで申し訳ないけど津波警報が出た時にアナウンサーが努めて冷静に「安全を確認して逃げてください」って言うときの雰囲気。
会場中に鳴り響くこの機械音に気が急かされて胸用と脇用のパッドを逆の位置に貼っちゃったんだけど大きな問題はないらしい。
超強粘着なため貼り直しはできないから貼るときは慎重にね、とのこと。
AEDの設置場所はネットで公開されてて、さらっと調べたら生活圏内にも結構あった。これからは視界の端にそれとなく留めておこうと思った。
国が規格を統一して作って設置してるもんだと勝手に思ってたけど色々種類があるらしい。細かい仕様の違いはあるけど使い方はアナウンスが指示してくれる。
大人と大きく違ったところは主に乳児に対しての胸骨圧迫とAEDの使い方の違い、異物が詰まった時の除去方法。
お人形だから軽いし硬いけど、この前会った友人の赤ちゃんを想像してみたたらあんなふにゃふにゃな体にこんなことムリかも~となった。
講師のおじさまが「赤ちゃんは骨が柔らかいからすごく沈みます」みたなことをサラッと言ってて怖かった。
両講座を通してこのような実際にやったことがある人からしか出てこなさそうな言葉が結構あったので大量にメモをとることになった。
スタッフのみなさんは60代前後で柔和ではあったけど人命救助の現場に立ってきたのが言動の端々から伝わってきて、歴戦の老兵的な雰囲気を漂わせていた。
今回実地で習ったこと以外にも日常・災害時問わず救護活動に携わる際に最低限必要そうなことを網羅しているので家に一冊あってもいいくらいのボリューム。
コロナウイルスを踏まえたことも書いてあって、社会情勢やより良い救護活動の追求を踏まえて数年ごとに改訂されるらしい。
だから復習を兼ねて講座も数年ごとに受けてみてくださいねって案内だった。私もまたやるかも。
バイスタンダー事例も口頭説明はなかったけどテキストではコラム的に紹介されてた。ネットでも色々出てくる。
流し見するにバイスタンダーに対しては「何もしないよりだいぶマシだから少しでも興味持って…!」みたいなスタンスなのかな。
本文でも書いたけど普段人の生き死にを意識してないからこそめちゃくちゃ感化された。
親には「なんでそんなの参加したの?笑」って聞かれたけど、いざって時に多少知ってるのと知らないのとでは大違いなことばかりだったよ。
ざっくばらんな文でごめんだけど読んでくれてありがとうね。
きっと思うところや気づきがあるはずだからさ、みんなも自分には関係ないといいなと思いつつ機会があったら是非参加してみて~~。
https://mond.how/ja/topics/8con5bd0steiger/14rj803e24otlvr
ちなみに冒頭にあるホントですかね?の下りについては、常にあらゆる物事について、本当かどうか分からないと思って接するのが良いです。それはたとえしっかりとした著名な論文であったとしても、これ本当か?は疑うべきなのです。参考にするのであって、盲信するのではないのです。
配られたカードで勝負するしかないのはその通りだが、どうもこの先生、ADHDやASDに対してあたりがきついような気がする。
ほかの精神科の先生もADHDやASDが嫌いな人が多いし、救急の先生もADHDやASDが嫌いな人がマジで多い。
なんでなん?
日常生活において、リスク回避するための選択を取らなければならないのはごく普通のことだよ
公共の場に異常者や犯罪者がいることは普通のことで、被害を受けないようにリスク回避を行うことは国や男女問わず必須のスキルだよ
普段歩いている時も、爆速すり抜け自転車カス野郎と接触しないように他の歩行者の位置を考えて位置取りをする
杖を持って歩いてるボケてるかボケてないか不明のジジイがいれば、杖のブラッディサークルに入らないようにする
畳んだ傘を下に向けていない人間に対しても同様だ
また電車では、大股開いてデカいヘッドホン付けてる外人が座ってるときはその隣には座らない
財布は取られないようにカバンを閉めて手で押さえておく
(男の場合)知らない女性が倒れたらAEDの実行役はせず、救急を呼ぶ役をやったり周囲の女性に助けを求める
……等々、公道や公共交通機関で気をつけなければいけないシチュエーションは男女問わずたくさんある
異常者は男が多いけど、女にもたいがい存在するので、男女問わずみんな知らない人間はすべて警戒してすごしてますよ
同じエレベーターに乗らない女がいたら「そりゃ警戒するよなお互い様やね」って思うからぜんぜん気にならないし、同時に「俺もお前に住んでる階知られたくないよ」って全階のボタン押すよ
1,俺のようにきちんとリスク回避ができ、そのためのコストを払える人間
2,リスク回避をサボって異常者や犯罪者と不要な衝突を引き起こす人間
(歩き方見てると不十分な人間って結構多いと思える。ブラッディサークルという言葉を知らなかったのなら君は2以降の人間だ)
3,公共の場で加害を行う異常者や犯罪者+被害者を叩くような無理解の人間
(「自慢?」という発想は俺には到底出てこないから相当な異常者の話をしてると思う)
本当はレベル2の人間にリーチしてくれてたら良かったんだけど、作者が男女切り分けて登場する男の異常者率や異常者レベルを高くしているために男女論争の投石機になってるんだよなあ
公共の場での性犯罪被害は女のほうが多いかもしれないけど、日常生活でリスク回避が必要だという構造自体は男女共通だよ
連休初日に起きた、自分でもうまく説明できない身体の現象を記録しておきます。これはあくまでも個人的な体験記録です。現象の背景にある人体の仕組みについての示唆は歓迎いたしますが、医療相談や診断を求める意図はありませんのでご了承ください。
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連休初日の午前中、近所の図書館で本を選んでいたところ、意思とは無関係に奥歯をギリギリギリと噛み締めていることに気がついた。連休前は連日の残業で疲れていたが、行きつけの整体院で首の痛みを直してもらったばかりで、スッキリしたつもりでいた。それなのに、口が開かない。当然、物を噛むことも話すこともできない。午後になっても食い縛りは収まらず、奥歯をギリギリと噛み締める感覚が続く。しかも長時間になるとかなりしんどい。あくびをするとわずかに口が開くが、すぐに閉じてしまう。午後は前日のIT関係の展示会の見学レポート作成をしようとPCを立ち上げてはみたが、無理そうなのでやめた。
気分転換に暗くなる前に散歩に出かける。歩いているうちに、症状は食い縛りから歯軋りへと変化した。昨日まで痛みがあった首のあたりが歯軋りと連動してピクピクと動いている。二駅分歩いてスタバまで行った。今日は口が開けないので、注文はゆずシトラスティーを指差しで。ホットかアイスかと尋ねられたが、喉の奥で「ウッウ」としか言えなかった。それでも、空気を読んでくれたイケメン店員さんのおかげで無事に注文できた。
ノイズキャンセルイヤフォンで静かな音楽を聞きながら本を読む。症状は相変わらずで、歯軋りとともに、心許ないような不安もつきまとう。こめかみが疲れるので眼鏡を外したら本が読めなくなって、結局目を閉じて音楽を聴いていた。帰り道、無印に寄り、いちばん違和感のなかった「ひのきの香り」のエッセンシャルオイルとアロマストーンを購入。こんなオシャレアイテムは使ったことがないが、今夜眠る時に試してみることにした。
そのようなタイトルの本を、5年前から積読している。私の推測では、神経の奥に棲んでいた何かが、整体によって追い出されてきたのかもしれない。私は昔から感情表現が不得意だった。喜怒哀楽のうち「喜ぶ」「哀しい」「楽しい」は一人でなら感じられるが、人が多い場所では私自身の感情を感じることすら難しい。怒りはよほどのことがないと表に出さない。けれど、理不尽な出来事があった後は、表面上は無表情でも、内面では大きなダメージを受けている。
さて、夕食はどうしようか。温かい食べ物だと反射的に口が開くので、少しは食べられそうだ。ただ、すぐに口が閉じてしまうので不便だ。温かいものを口に運び、咀嚼して飲み込んだあと、歯がギューッと強く噛み締められる。あまりにも強く噛み締めるため、口の周りが腫れているような感覚がある。
刺激をなるべく避けるため、照明を落として入浴する。静かな音楽を防水イヤホンで聴きながら、湯船に浸かっていると、とても悲しくなり、涙が出て来た。連休初日、図書館と散歩に行っただけなのに、私は一体何がそんなに悲しいのだろうか。そのままでは理由も分からない悲しさが無限に溢れてしまいそうだったので、早めにお風呂を上がり、ベッドに入った。
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小さな音でお気に入りの音楽をかけて1時間のタイマーをセット。いつもはスマートウォッチをつけて睡眠時間を記録しているが、今夜は外しておく。ひのきの香りのエッセンシャルオイルを3滴ほど使い、アイマスクをつけて眠ろうとした。しかし、悲しくないのに涙が止まらない。(私の場合、涙は悲しさだけでなく、喜び、哀しみ、楽しさ、あるいはそれらの組み合わせなど、漠然とした感情の表出と関係している)時々身体のいろいろな場所がビクッと動いた。
少しうとうとしたが、すぐに目が覚めてしまった。自分の意思とは関係なく背骨に電気が走ったようにベッドから跳ね上がってしまう。コロナワクチン注射で似たような症状が出て救急搬送されたことがあるが、今回は体の奥にある痛みの中に棲んでいた感情が、それを表出する回路が無い身体から出口を求めて暴れているような感じがする。そのような波が一通り暴れまわったあと、涙がブワっと出て、少し落ち着いた。いつの間にか歯ぎしりは収まって、歯が震えている。やったか...!?
やがてもうひとつ大きな波が来てまた身体が勝手に動く。最後に涙がブワッと出た。ふと、過去のことを思い出す。大好きだった祖父が亡くなったとき、涙が出なかった。優しかった祖母が亡くなった時は仕事でお葬式にも行けなかった。叔父のお葬式でも涙が出なかったけれど、孫が号泣しているのを見て、「悲しい気持ちを素直に表現できて羨ましいな」と思った。
少し汗をかいたので着替える。首に少しだけ痛みが戻っている。感情の一部は、身体の中に痛みとして留まることを選んだのかもしれない。お気に入りの音楽がタイマーで切れ、ひのきの香りももう薄れてきたので、もう一度補充する。
体が勝手に動き始めた。始めは、ビクッビクッと微かな予兆だった動きが、やがて振幅が大きくなり、最後には頭のてっぺんから足の先までがピンと張り詰めるような姿勢になった。30秒ほどその姿勢をキープして、いい加減息苦しくなった後で、やっと楽になった。感情の表出は全くなくて、不随意運動だけの波だった。
再び歯の食い縛りが始まった。まだ終わらないのだろうか?身体の動きは収まったのでキッチンで水筒にお湯をいれて持ってくる。お湯を飲んでも食い縛りはあまり変化ない。枕元の温度計は20℃でそれほど寒くないのに寒気を感じる。今度は冬用の厚手の服に着替えた。
ベッドに横たわりながらデッサン人形のような動きが始まった。初めは背骨にスイッチが入り、次に右半身、左半身、前後の動き、捻り、手、脚、舌と首、それぞれの連動。左右同じ動き、左右逆の動きなどありとあらゆる動きが延々と続き、一時間半ほど続いてやっと落ち着いた。この不随意運動が始まるとメモも出来ないので、一連の動作が終わって合間にメモをしている。
何かに耐えたり逃げたり叫んだりするときの姿勢の再現が20分ほど続いた。姿勢は防御や恐怖を表しているようだが、感情は全く連動していないため、ベッドの上であり得ない姿勢をしている自分を冷静に観察できる。動きが収まると、歯が震え始めた。
驚愕したり、何かを拒否しようとするような、首を激しく振るような姿勢の再現が30分ほど続いた。一連の姿勢の再現の間には束の間の休息がある。冷めたお湯を飲んでいると、鳥の声が聞こえた。もう夜明けだが、再び歯軋りが始まった。寒気がする。また何か来る。
胸を押さえて体を丸めて小さくなり震えるような姿勢の再現が10分ほど続いた。朝5時になって目覚ましが鳴ったが、一旦止め、もう少し身体の様子を見守ることにした。
目が覚める。恐怖の姿勢の後は眠っていたようだ。最後に、ものすごく悲しくなりブワーッと涙が流れたのを覚えている。夢の中での出来事だったような気がするが、スマホに時刻付きのメモが残っているので、夢ではなかったようだ。
夜は楽しみにしていた星街すいせいの「もうどうなってもいいや」のMV公開を楽しみに過ごしていた。
もうどうなってもいいやを聴きながら、急にやる気が出た自分は、
スーパーでスパークリングワインのボトルを買い、
飲んだ薬はよく覚えていないが、
・オランザピン
この辺りをおそらく合計200錠くらい、スパークリングワイン750mlと一緒に飲んだ。
ある程度飲んだ時点で一度お手洗いに行き、紙オムツを装着しようとしたが、
仕方ないので尿取りパットを2枚あて、パンツを履いてなんとかしようとした。
そしてベッドへ行き眠りに着いた。
もし自分が死に成功した際に、SNSで告知してもらう様に、PCのパスワードなんかを送った。
目が覚めたのは恐らく金曜日の夜だったと思う。
来るはずがない交際相手がなぜかその晩マンションを訪ねて来て、
自分は床に寝かされていた。
なぜ床に寝ていたのかその時はわからなかったが、
声も出せず、
相手に何か伝えたくても何も伝えられない状況だった。
しばらく身体が動かないまま、トイレに行きたくても行けない状況で、
トイレに行きたいとも言えない状況で、
恥ずかしい話だが床にそのまま放尿していた。
明日も同じ状態であれば病院に連れて行って欲しい旨を声にならない声で伝えたような気がする。
このまま月曜日を迎えても、一人では何も出来ず、相手が帰宅する事になることなどを考え、
そのまま救急搬送され、病院に辿りつくと、必死で状況を伝えようとかなり荒んだ口調で医師に話をしたと思う。
内科の診察にて、筋肉が溶ける病気か何かの症状が重いという判断で、
しばらくはブドウ糖か何かの成分が中心の点滴を数日間受け、
その後の検査で吐瀉物が肺に入ったせいで重度の肺炎に感染している事が分かり、
そうやって約2週間病院で過ごし、4月25日の金曜日、約2週間の入院を経て退院となり今に至る。
すっかり痩せ細り、入院費用約30万円の借金を抱えた自殺未遂者が一人この世に取り残された。
ODを楽しんでいる若い子、ODが命綱となっている依存症の子、
それによってなんとか縋りながら生き延びている子も居るわけだし、
それによって命を落とした子も、当人にとっては死ぬことが幸せなのかもしれないと思っている。
ただ、オーバードーズ老人会の自分のような人間がもし存在するのであれば、
ODを繰り返す事で薬の量や種類の工夫をし、
自分のように無様に生き残るケースもある事を知って欲しいと思った。
誰にも助けを求められないような年齢で、
貯金も職もなくただ借金と身体的不調を抱え、生きていく羽目になるケースがある。
生きるか死ぬかは本人の意思で決められる世の中になって欲しいとは思う。
ただ、今ここに存在しているのは、
トルコ地震はマグニチュード7.8で 4万人?以上もの死者が出ましたが
いつ起きました?あれも工作員ですか?
私も生死をさまようほどの難病で医師の治療で4なずに奇跡的に生還できたことを感謝しても
しきれません。
避ける為かと思われます。
この事故を起こした日でさえも
私も4月25日生まれです。西暦も出生時間もこの工作事故の日とは違いますが。
JRの列車運転の操作室で工作員がいじって事故らせた事件ですね
(通勤ラッシュ時間帯を避けて、どうでもいいかのように乗客を選んで実行。
どんな人たちがこの列車に乗車していたのか?)
JR管理職者が業務上過失致死傷か何かで逮捕か書類送検されましたね
偶然の自然発生ではありません。
ヘリや飛行機事故も偶然の事故と工作員の殺人、の両方があります。
管理職者らが頭を下げてすごく平謝り会見していたので、
貴重な若い医師が、悪法ドクターヘリ事故で死亡、患者の家族も含めて合計で6人もの
貴重な人たちが死去されましたが、
と
で、結託して、
反セクト法を作ったフランス(昔国王だった人などに4月25日生まれが多い)
2,3割程度の事実に8,7割程度の嘘を交えて
いかにも10割すべてが正しい、事実である、的中してるかのように読者を
錯覚させ、
騙して大金を儲ける。
日本国内では、
嘘が多い六星占術の著者;
(大半の人が信じてないでしょうが何割かの人=カルト幹部と信者と政府役人
は信じてるのでしょう。)
何故かこれは何も言われない不自然さ。
占い信じる奴はBaka
という有名なYouTuberさんたちが多いですがその通り、
マイチャンネルのNewsリストに4月25日生まれのみやぞんさん、
多くの人から慕われた三浦綾子さんも夫が90歳前後までご長寿だったのは知る人ぞ知る。
他にも沢山の4月25日生まれの男女がいらっしゃいますが夫が立派だったり、
正直で根が善良な人が多いです。一部はそうでもないですがそれは
4月25日以外の誕生日の人の方がもっと悪質、不吉な人も多数います。
毎年8月6日に朝起きたら黙とうしてるっていう人たちもいます。
では現在の人口よりも圧倒的に少ない人口で日本人や大阪人や関西人が多数、亡くなりました、
まず前提として、「善きサマリア人の法」とは、事故や災害などの緊急時に、他人を助けようとした人が、過失により損害を与えてしまったとしても、その責任を免れる(または軽減される)という法制度です。
米国、カナダ、フランス、ドイツなどでは一定の形で導入されており、善意の救助を促進する目的があります。
日本の近代法体系は、ドイツ法やフランス法を基盤とする大陸法系で、明治期に急速に移植されました。
この法系では、何が許され、何が禁止されるかを厳密に定め、私人の行動が予見可能であることを重視します。
したがって、「善意かどうか」「状況が緊急だったか」など主観的・状況依存的な判断に依拠する「善きサマリア人の法」は、日本の法文化にはなじみにくいのです。
日本の法律にも、以下のような規定があり、救助者を一部保護する仕組みは存在します。
他人の生命・身体を救うためにやむを得ず事務を管理した場合、本人の意思に反していても責任は問われない。
他人の生命・身体を守るためにやむを得ず他の法益を侵害した場合、罰せられないことがある。
つまり、日本では「明示的に善きサマリア人法」と名付けられていないが、機能的にそれに近い規定はあるのです。
日本社会には、「迷惑をかけない」「自己責任」という文化的価値観が根強く存在します。
そのため、他人の生命を救う行為であっても、逆に責任を問われる可能性を恐れて関与を避ける傾向があり、
「助けた人が訴えられる」という事例が報道されると、それが抑制力として機能してしまいます。
日本で「善きサマリア人の法」の制定が進まない背景には、制度を作っても国民の信頼や行動変容を促せるか疑問視する空気も影響しています。
アメリカなどのコモンロー諸国では、判例法によって救助者の責任が緩和される傾向があります。
しかし、日本では判例は補助的な法源であり、条文で明文化されていなければ大きな保護は与えにくいのです。
COVID-19パンデミックなどを通じて、医療従事者や一般市民による救助行為の重要性が再認識され、
「善きサマリア人法を導入すべきだ」という議論はたびたび起こっています。