はてなキーワード: 戦後とは
戦後の焼け野原から奇跡の復興を遂げ、世界第二の経済大国に上り詰めたというのが日本人の自慢話だが、その「経済発展」とやらは果たして本当に中身のあるものだったのか。冷静になって考えてみればわかるだろう、日本の成長は自前というより他力本願、実体より見せかけに支えられきただけだ。
日本人は日本の戦後復興と高度成長を語るとき、「自助努力」だけを強調するが、実際にはアメリカという強力な後見人の存在があったからにすぎない。敗戦直後、占領下の日本にはGHQによる多額の資金援助が注がれ、固定為替相場制(1ドル=360円)の下で輸出振興の下地が整えられ、1950年に勃発した朝鮮戦争では「特需」と呼ばれる大量の米軍発注が日本経済を潤し、これが完全復興への端緒となったのだ。要するに、日本は「発展した」というより「発展させてもらった」面が大きいのだ。ネトウヨはよく「朝鮮半島を発展させてやったんだ」というが、日本も「欧米に発展させてもらった」のだ。1960年代の日本の高度成長は、日米同盟なしには起こり得なかっただろう。米国の安全保障の傘の下、思う存分経済成長に邁進できたという構図であり、裏を返せば日本の「奇跡」は米国の戦略的寛容に支えられた他力本願の産物だったのだ。
もちろん、日本人自身の努力や数の多さやかつてはあった勤勉さも少しはあるが、少なくとも「俺たちの実力で世界を驚かせた」という自画自賛は恥ずかしいのでやめるべきだ。高度成長を陰で支えたのは、米国市場という巨大な需要先と資金・技術支援、そして安価な労働力と国内の高貯蓄率(今の中国と似た構造。中国は日本を反面教師にする必要がある)。日本は自ら飛んだというより強力な追い風に乗って舞い上がった風船なのだ。
今は怠け者で知られる日本人はかつては勤勉で生真面目、サービス残業もいとわず働く世界でも評判の勤労民族だったが、その労働生産性の実態はといえば残念ながら芳しくなく、統計をひもとくと、1970年代以降の日本の時間あたり労働生産性は先進国の中で常に最下位という不名誉な記録を更新し続けている。2020年時点でも日本の時間あたり労働生産性は49.5ドルとOECD加盟国全体でも圧倒的最下位。つまり、日本経済は戦後一貫して「効率の悪さ」で世界トップクラスだったわけだ。高度成長期は追い風といえる要素に満ち溢れていたため、その弱点も見えにくくなっていたものの、90年代以降はIT化の遅れなども相まって諸外国との差が拡大し放題となっている。
長時間働いても生み出す付加価値が低いのでは、経済が豊かになるはずがない。日本人は人口増が確実視された時点においても一貫して生産性という肝心の成果をおろそかにしてきた。おかげで「働きバチ」のを自称し、平成時代までは実際そうでありつつも、実はハチミツの生産量は先進国でビリなのだ。 他国が効率化とイノベーションで着実に成果を上げる横で、日本だけが生産性停滞の沼にハマり続けている。それなのに日本人はうぬぼれているのだ。
日本経済の実態をもう少し長いスパンで眺めていくと、主要な実体経済指標は1970年代をピークにその後低下の一途をたどっている。あの見せかけの繁栄におぼれた1980年代後半、日本が世界で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(笑)ともてはやされた時期でさえ、実は経済成長率やインフレ率といったリアルな指標は高度成長期の70年代より低水準だったのだ。急激な円高後のカネ余りで株価と地価が暴騰し、日本があたかも世界一裕福に見えたのは錯覚に過ぎなかったのだ。つまり、見かけの資産価格は派手に跳ね上がっても、日本経済のエンジンそのものは既に昭和の時代に回転数の限界を迎えていたわけだ。 高度経済成長のピークが70年代だったとすれば、その後の平成・令和期の停滞ぶりにも合点がいきます。事実、1989年末に日経平均株価が史上最高値を更新して日本経済が「歴史的ピーク」に達した後は、泡がしぼむように停滞が続いている。
結局、日本経済の実質的な力は1970年代に頂点を迎え、その後は長い停滞期に入ったと見るのが妥当だろう。高度成長を成し遂げた昭和は遠く、平成以降は晴れ間の少ない停滞の時代。1980年代のバブル期に世界一リッチに見えたのも、実体経済が伴わない見せかけの繁栄。そのツケは日本人が平成以降に味わった停滞という形で帰ってきている。
1980年代後半のバブル景気は、日本経済史上もっとも華やかで浮かれた時代だった。地上げや財テクに浮かれ、土地と株式の価格は天井知らずの上昇を続ていたのだ。その狂乱ぶりはテレビでも見てわかる通りだ。例えば1985年から1990年にかけて地価は約400%も上昇し、日経平均株価のPERは80倍から直前には100~200倍という異常な水準に達していた。何が言いたいかというと、実体経済の裏付けなどまるでない「バブル」という名の幻影だったのだ。 当然、このバブルは1990年代初頭に見事に弾け飛んだ。当たり前だ。「平成景気」という名の打ち上げ花火が消えた後に残ったのは巨額の不良債権と、下降線をたどる経済成長率だ。1989年末の株価最高値を境に、日本経済は長期停滞のトンネルに突入することになったのはもはや語るまでもないだろう。
バブル期にはまるで自分たちが世界を席巻する経済超大国になったような気分に浸っていたものの、それは砂上の楼閣に登った気分だったのだろう。後に残った実体経済の疲弊を見るにつけ、あの繁栄がいかに中身の乏しい見せかけであったかを痛感させられる。 バブルの絶頂期、日本企業は世界中の不動産や美術品を買い漁り、「ジャパンマネー」がもてはやさされたという。しかし、それで得た栄光は永続的なものではなく、気がつけば日本経済は地に足がつかないまま宙ぶらりんの状態だったのだ。資産価格の幻影に酔いしれたツケとして、その後の「失われた数十年」を甘受するハメになったのは当然の帰結だ。
バブル崩壊後、日本の政策当局は景気テコ入れに躍起となったが、その数々の処方箋は結果的に何一つ功をなすことはなかった。1990年代には今の減税・バラマキポピュリスト達が喜びそうな大型の財政出動や減税が何度も繰り返されたものの、景気は一向に本格回復せず、未来へのツケである政府債務だけが膨れ上がった。結局、バブルで抱え込んだ民間企業の過剰債務を政府が肩代わりしただけで終わり、景気浮揚には無力だったのだ。
今の減税ポピュリストや給付金ポピュリストが教訓とすべきことでもある。「借金で借金を救う」ような政策では、問題の先送り以上の成果望めなかったのだ。 ゼロ金利政策や量的緩和といった金融緩和策も導入されたものの、デフレは2000年代まで深く根付いた。そして現在に至るまで日本経済は低成長から脱却できていない。気付けば、経済政策は場当たり的な景気刺激策の継ぎ接ぎだらけで、一貫した成長戦略や構造改革は国民が反発することもあり、実行されなかったのだ。
その間にも少子高齢化は進行し、生産年齢人口は減少、国内市場は縮小と、構造的な課題が山積している。 海外からは日本の政策対応は手厳しく嘲笑されてもいたことはご存じだろうか。世界が90年代以降の日本を語る際に「日本化(Japanification)」という言葉が生まれたほどだ(参考→https://en.wikipedia.org/wiki/Japanification)。それは「不況下で有効な改革をせず、無駄な公共事業で延命を図る現象」を指すもので、改革よりも道路や箱物を作り続ける日本の政治家を「無為な政治家」として揶揄するものだ。
あまり言いたくないが、日本経済の停滞を語るとき、忘れてならないのは日本社会・国民のメンタリティだろう。政治家の政策ミスを批判するのは容易なのだが、民主主義国家において政治家は国民の鏡だ。政治家は国民を望む政治をやる。嫌がる政治はやらない。政治家が一番嫌うのは「落選」だからだ。ゆえに、ほぼ日本人が自らの手で衰退させたともいえる。もちろん、日本人の気質そのものにも問題ある。「変化を嫌う」風土、物事を深く考えず前例通りに済ませようとする思考停止状態、失敗を恐れる風土、迷惑に不寛容な風土、出る杭を打つ文化、人の足を引っ張る文化、高度経済成長期の成功体験に固執する傲慢さが、日本の停滞を長引かせた要因だろう。 実際、多くの日本企業や組織では予定調和や前例踏襲が幅を利かせ、新しい発想や議論を避け、排除する。その結果、変革が避けられない状況でも無自覚に「今まで通り」のやり方に固執し、いたるところで思考停止に陥っているのだ。しかも厄介なことに、そうした楽で無自覚な現状維持志向こそが日本経済低迷の発生源なのである。
国民一人ひとりを見ても、急激な変化の痛みを恐れて結局は現状にしがみつく。または「義務を果たさないくせに権利ばかり主張する」 、「生産性が低いのにもかかわらず働かない」というそんなゆでガエル的な集団心理が、日本の停滞を固定化しているのだ。変化や痛みを避け続けた結果、気づけば茹で上がっていたカエルよろしく、取り返しがつかないほど実体経済が冷え切ってしまったのだ。
かつては世界第二位のGDPを誇り、現在も4位を維持している状態を見て「経済大国日本」と胸を張っているネトウヨがあまりにも多いが、ふたを開ければその先進国ブランドも風前の灯火だ。例えば一人あたりGDPで見ると、近年の日本はOECD加盟国中22位まで順位を落とし、韓国にも台湾にも追い抜かれた。1980年以降で最も低い順位で、もはや経済指標上は「一応先進国」と呼ぶのもはばかられる。
かつて恐れられた日本経済が国際舞台のスポットライトから消え、「存在感の薄い国」に成り果てつつあるのが現実だ。 日本が世界に誇っていたはずのものが、気が付けばことごとく色あせている。かつて最先端だった技術・産業は存在感を失い、盛り返す気配すらなく、平均所得は停滞し、気力も勢いも感じられない。これでは「かろうじて先進国」と揶揄されても仕方がないでしょう。国際機関の統計を眺めれば、日本より豊かな国・地域に住む人々はもはや十億人規模にも上る(日本同様に数の暴力で豊かに見えてる中国は違うからね)。もはや日本は特別裕福な国ではなく、世界の中ではアルゼンチン二世的な立ち位置に落ち着きつつあるのだ。 <h3>o- *</h3>
結局のところ、最も根源的な「劣悪材料」とは、失敗から学ぶ能力の欠如である。「失われた30年」 は、経済的課題に対する30年間のほとんど失敗した、あるいは不十分な対応の歴史である。今の日本人はその過ちをさらに取り返しのつかなくなるような形で繰り返そうとしている。社会の変化への抵抗 や構造改革(社会保障改革や労働市場や規制緩和など)への抵抗は、その必要性が明白であるにもかかわらず、根強く残っている。国家や国民が自らの失敗を批判的に評価し、そこから学び、意味のある変化を実行できないのであれば、その最も基本的な「材料」、つまりは、自己修正と進歩のための能力は、まさに「劣悪」であると言わざるを得ない。日本は今後立ち直ることはないだろう。
「理想の社会は社会主義!」とか言ってたやつが、いざ自分の収入が低いと「努力が報われないのは社会のせい」とブチギレてるの、ほんと笑う。
いやそれ、社会主義って“みんな平等に苦しむ”構造でもあるからな?
しかも「戦争になれば俺の腕力が役立つ」とか言ってたのに、筋トレ三日でギブしてたし、どの口が言うんだよって話よ。
最近は「女性に無視されるのはオタク差別!」って叫んでるやつもいて、なんかもう軌道修正不可能なとこまで来てる感ある。
レイプやら拒否やらの話まで平然と混ぜてくるし、現実との関係を断ち切ったままアニメと萌え絵に逃げ込んでんの、戦後の思想より危ういまである。
別にアニメが悪いわけじゃない。けど、「俺の遺伝子は優れてる」「女性の役割はこうあるべき」みたいな謎の優生思想を拡散し始めると、それもうただの劣化した全体主義だからな?
しまいに「一般人は何も分かってない」ってマウント取りに来るオタクとか、もはやネット戦争の火種だし、ダメな意味で“革命”起こしそう。オンライン ヤフコメ
いや戦前に培われた技術や産業のノウハウがあったから戦後の経済成長を加速させられたから無関係じゃないんだが
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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ADHD(ADD)/ASDグレーゾーン Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●育ちがいいと思われる人の話
残念なお知らせですが、「育ちがいいな」と思われるだけでは、私のブログでいう『永遠の『宿題』の提出』(意味はブログで頻繁に書いてます。よければお越しください。)をこなしたことにはなりません。
発達障害特性ゆえに、一般の普通の人たちに承認されなくても、かまってもらえるようにならなくても、得が無くても、それでもやめられない習慣、身についていて離れないものが、こういう「育ちの良さ」ではないかと私は考えました。評価されたいからするんじゃないんです。店員さんに感謝してるから、自然に頭が下がるんです。そばで接していても、私はこういう人を、善人で人柄のいい人だと思います。
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https://www.youtube.com/watch?v=bnvWCFTKB4g&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=97
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●こんな扱いづらくて危険な領域に、よくぞ切り込んでくださって、いつもそっと感謝しています。
基本的な生活習慣を身に付けて、親から自活して、社会でやっていくためには自力では、ここと、ここと、ここが弱いから、こうして補強したらいいよ、教えてもらって、サポートしてもらって自己理解して、脳の機能的な問題は薬にも頼りながらがいいよ、私はこう聞こえました。
むかしよりは、やはり時代は進んでいて、社会が、経済を回す現場が、より上質な? 人材を求めていて、感情的に仲間外れにしたくなる特性とか、個性の範囲は、私も現代はもりもり広まってると思います。
より上質で、健康で、忍耐強くて、学識の高い人を社会は求めていますが、お金は払いたくないんですよね。そして、地方の町村にいたっては、お金は無いけど無いまま働いてねと……。今、戦後なんですけどね。働かなくても光熱費に困りますが、働くといろんな有形無形のものが労働者におんぶに抱っこしてくる気がして気持ち悪いです。
最後に、だれにも見つけてもらえない女性発達障害者も困っていますが、社会の現場で困らされるのは『かまってちゃん』(承認欲求こじらせ、愛着障害、積極奇異、受動攻撃、二次障害による依存心など)もなので他にも何人ものご意見がコンテンツにされる価値はあると思っています。せっかく勇気を出して診断受けても、職場や、学校や、家族に打ち明けても『かまってちゃん』の目で見られ、誤解され、人さまを感情的に不快にさせ信用を失う被害は後を絶たないです。
・『かまってちゃん』良くない。自立しよう。
・でも女の子って早く探せばお嫁に行けるよね。
この2つの意見のシーソー、もう何年、もう何年、もう10何年聞かされてるのか、読まされてるのか、他のどんな有意義な議論が中断され諦められてきたか、もう飽きたのでもう早くなんとかして欲しい!
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https://www.youtube.com/watch?v=Y5Lv9U6RPGM&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=96
https://www.youtube.com/watch?v=AF2rw4xajCY&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=105
https://www.youtube.com/watch?v=JlncPD8Gesw&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=110
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上映長い! まだ上映してた! 日中に上映時間選べるくらいの回数はやってた! 間に合った!
若いウォンカくん。歌って踊って可愛い。容貌もだけど、性格が可愛い。ほんとにお人好しで、他の人の幸せをひたすら考えてるの。そして頭も良くて手先も器用で魔法(お客を集めるためのマジック)も使えるから、仲良くなった人たちがどんどん幸せになっていく。
ウンパルンバが、紳士か……そうか。背広を着こなし、トラベルグッズを小綺麗にまとめ、アイマスクをして寝ようとする。
キリンのミルクって、突拍子もないものが出てきたけど、むかしの人たちって目の前にキリンが現れたらびっくりしただろうなぁ。現代日本のように社会見学行事で動物園に行くって文化もまだ無いだろうし。動物園はあったようだけど。知らないけど良家の子女は家庭教師とか、寄宿学校に入れられてた時代?
それからお懐かしい。ミスタービ〇ンさん、見間違いじゃないよね? 世界中に『発達障害』の特徴の代表的なサンプルを見せつけたビ〇ンさんいた! この方も自由人な方だったと記憶してる!
個人的には、前作 チャーリーとチョコレート工場 が懐かしかった私。演じた俳優さんは10歳のときに前作を見たそうな。演じられて、運命ってすごいね。ウンパルンバは紳士もいいけど誇り高き自由民族でいいし、ウォンカさんの父親は歯医者さんで、反動が来て家出しちゃったプロフィールのほうでも良かった。でも今作の母親も素敵。
で、素敵なお母さんとして思い出したのがショコラ。相手役がジョニー・デップ。食べ物を美味しそうに魅せる映画が上手なんだねぇ。
フランスには、宗教的なこだわりで、快感を覚えてはいけない、堕落してはいけない、そんな時代が歴史にあったそうで。で、チョコも駄目???
美味しいチョコにはそこまで人を動かしてしまう、魔力めいたものがあると捉えられていたようですが、彼女の作るチョコには、体調不良の回復を助ける薬のような、漢方のような効き目を持つものもあって、結局は人を助け、幸せにしていく。
日本は外国のものをホイホイ取り入れる才能がある。バレンタインチョコも日本が発祥のはず。~はじまり の今作の警察署長さんのように肥満にならないよう、そしてビタミンも不足しないよう、口内炎にも気を付けて、お好きな人は召し上がったらいいんです。
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https://www.youtube.com/watch?v=COCNp5IakVA&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=24
https://www.youtube.com/watch?v=fNVlH0MASEI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=94
https://www.youtube.com/watch?v=DXTLVmFQ6Fs&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=95
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世界は「19世紀」に戻り、米国は「非自由主義的民主主義」に陥りつつある | 一人の男のエゴイズムのため
というクーリエジャポン(中身はLe Monde)の記事へのブコメでランド研究所のレポート を教えてもらった。
そのブコメとはこちら https://b.hatena.ne.jp/entry/4769813175171719233/comment/shugetsu-sai
アメリカのランド研究所では、2000年頃から既に世界は「新中世主義」と呼ぶ新たな時代に入っていると分析しており、ザカリア氏の19世紀回帰論には誤りがある。 https://www.rand.org/pubs/research_reports/RRA1887-1.html
ただし、ブコメの指摘と異なりRANDレポートの主旨は、米国と中国で起きていることを対比し、いずれも国家の力が相対的に弱体化しており(Weakening States)、国民社会は連帯を弱め国家以外の多様なコミュニティへと帰属し(Fragmenting Societies)、経済成長は鈍化と不均衡(Imbalanced Economies)、自然災害・感染症・無法で暴力的な非国家主体の脅威(Pervasive Threats)、パラミリ・国際的犯罪組織・サイバーなどによる戦争の非公式化(Informalization of Warfare)が2000年頃からの特徴となっていることを指摘している。
そして、こうした事柄を指して、ランド研究所の U.S.-China Rivalry in a Neomedieval World—Security in an Age of Weakening States は、「ネオ中世」と呼んでいるのだけど、それは別に実際の中世ヨーロッパ(5〜15世紀)を指して、そう呼んだ訳ではなく、近代国民国家のような強い中央集権、国家統治によって国家vs.民衆といったフラットな構造ではない重層的でそこここに権力が分立している様を指して「ネオ中世」と呼んでいることに気付く。
したがって、本件のブコメとなっているファリード・ザカリアのインタビュー記事の「19世紀に巻き戻る」というのも、Liberalを標榜する戦後西ヨーロッパの価値観(*法の支配*)から過去に巻き戻るという意味で使われている点で共通している。
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いろいろなところでドローンも使えるんだけどな。
いかんせん日常の空間でポコポコとドローンが堕ちても言い訳はないからな。
とはいえ、
因果応報やで
通産省(1949 年5月に商工省に代わり設立)は、1951 年 10 月に小型乗用車に関する保護・育成策を打ち出した。
その内容は、
①小型乗用車設備資金調達のため日本開発銀行などからの長期融資斡旋、
②設備機械の輸入助成(輸入税、固定資産税、償却額等の恩典)、
③磨鋼材、ベアリング等部品および原材料のうち、乗用車の価格、品質を改善するため必要な製品の輸入斡旋、
④企業が研究用の小型外国製乗用車を購入する場合は特に便宜を図り、特許権等の購入を助成、
⑤税法上の大型車、小型車の区別を改め、国産小型乗用車の物品税の減免、同時に外車の物品税を国産車以上に引き上げる、
⑥小型乗用車の需要を増加させるため特に営業用車の月賦金融を助成、
であった
さらに、通産省は自動車産業に対する期待とそれに基づく保護・育成への意欲を高めた。
1952 年3月に、同省通商機械局車両部自動車課は「国産乗用車の理解のために」というパンフレットを作成した。
それは、
②その生産体制確立まではその存続をなんらかのかたちで保障する、
③乗用車国産化による外貨流出を防止する(完全に輸入に依存すれば年間 1,500 万ドルの外資が必要)、
の4点にまとめられた4。
戦後「平和産業」として、ただひとつ残った総合工業である自動車工業の発展により、日本経済を離陸させることを目標としたものであった。
1952 年6月に決定された「乗用車関連外資導入に関する基本方針」により、同年 10 月に「乗用自動車関連提携及び組立契約に関する取扱方針」が発表された。
その目的は、外国自動車企業と技術提携を認め、乗用車技術を習得し、品質、性能、価格面での国際競争力をつけて輸出商品化し、外資を獲得することだった。
この時点で、欧米の乗用車工業と比べて設備や技術面で 20~30 年は遅れていた。
ただし、外国自動車企業と技術提携を認めたが、外資導入・資本提携は原則として認めず、国内資本を擁護し、国産乗用車を育成しようとした。
・あまりの女好きに昭和天皇が「禁治産者にでもしなければならぬか」とまで言った『久邇家』
・戦後「ひがしくに教」なる信仰宗教を立ち上げ、そこの教祖となった『東久邇家』
・1968年の参議院議員選挙の全国区で見事落選し、民間勲位ビジネスで食い繋いだ『賀陽家』
ガンダムシリーズは戦争と兵器を描く都合上、何らかのシリアスなメッセージ性を打ち出しやすいし、オリジナルに近いほどその傾向は強く、徐々に薄れていったという見方もできる
ジークアクスは「戦後(または次の戦前)」という舞台を選ぶことで、戦争の空気感を薄め、主人公たちの心の問題にフォーカスする感じになるか
シリアスな世界観だが軽さをもちつつ心の問題に終始するなら、「トップを狙え2」と同じ方向性になる
もちろん不法滞在移民問題や大国の都合で揺れる社会を描くとすると、現在の日本にオーバーラップするが、現在のオタクは思想を嫌うので深掘りはでしないだろう
「マヴ」という言葉をこれだけ使うからには、それがテーマ性に関わっていて、要は「シャアは独りだったから戻ってこれなかった、マチュは他人と心を通わせたから戻って来れた」という結末になるんでないか
心を通わせるのが一人か二人か分からないが、マヴというからには一人で、シュウはシャアと同じように帰って来れないことになるだろう
テーマ性があるとすれば心の繋がりによる帰還、ニュータイプのオカルト性(理想や思想の彼方に行ってしまう性質)を乗り越える軽やかな知性と生命を描く感じになるか
それはたぶん、逆襲のシャアやΖガンダムのラストへのアンチテーゼ……と見せかけてエンタメ性の重視だけかも
でも「コピーのコピー」みたいな現在のオタク性を受け入れること、それを良しとして次の何かを見つけようとする姿勢ととるならアリなのかもしれない
日台ハーフである。半分姉弟 という評判の漫画を読んだ。 isbn:9784845867875
この立場の人はまだ漫画に出ていない。もちろん見た目では完全に日本人だから普段はきづかれない。祖父母は日本語話者だし祖父も母も専門職のいわゆるインテリで日本語でのコミュニケーションは全く不自由がない。専門教育を日本本土(九州)で受けていたためコネが残っており白色テロで資産を奪われたので国籍を維持していた日本に逃亡してきたタイプの移民だ。戦前からの「在日中国人」は割と帰化比率が高いので見かけ上隠されているし、戦後こうやって逃げてきたタイプも多く、おそらくこの手のハーフやクォーターは何十万人も日本にいる。在日日本人が気づいていないだけだ。
上記の通りコミュニケーションに問題がないため、漫画中のサエコ母のような問題はほとんど起きていない都合のよさはあった。そのため、似た立ち位置による感情移入という面ではあまり直接は響かなかった。一方で、この漫画はマイクロアグレッションが大きなテーマである。こちらについては日本人が極めて気楽に言うが相当腹が立って仕方がない言葉があり毎回ひきつり笑顔でスルーしているがこの話が次巻以降出てくるか気になっている。
隠してもしょうがないので書くが「台湾は親日うんぬんかんぬん」である。そもそも所属国家が個人の意見や行動を決めるわけではない。こういう発想をしている時点で思考力が欠如していると自白しているわけで、その発言者は愚者枠に放り込まれ差別者枠よりは扱いはマシだが軽視される。そもそも一家は中華民国政府には基本的には恨みしかない。台湾人が見かけ上親日的なのは犬(日帝)が去って豚(国民党)が来たで知られるような相対的な問題と、対共産主義陣営の都合が大いにあるものだ。日帝にだって恨みは多い。おそらくトルコ人も同様に不見識な親日発言にいらついているだろう。トルコに関してはクルド人差別問題もありさらに複雑だがこちらも含め、無責任な親日反日の扱いが今後ストーリーに出てきて理解が広まることを期待したい。