はてなキーワード: 志位和夫とは
ホリエモンが異常っていってたけど、どういうスキームで権力を維持できるのだろう。
渡辺恒雄、池田大作(故人)、志位和夫、森喜朗とかも、なんで権力をもってるのか不思議。
権力というのは、つまりコネクション、誰とつながっていて、誰に口利きできるっていうものの総体なのか?
日本の会社、政党、宗教組織は、金もうけじゃなく、ヒトとヒトのお付き合いでビジネスをしてて、ヒトとヒトのコネクションで金や人事が動くから、コネクションを持ってるものが偉い。
明文化された決裁権があるわけじゃないのに、なぜか偉い、院政というのはこういう仕組みなのだろうか。
突き詰めると、
いいサービスが選ばれるのではなく、お友達のサービスが選ばれる。
世の中はそうできているということなのだろうか。
コネクションが最後に集まるところ、そこが一人のヒトであるならば、明文化された権力がなくたって、目くばせ一つで金を生み邪魔者を消せるようになるのだろうか。
共産党の田村智子委員長が、共産党専従職員について「いわゆる労使関係というものとは異なると考える」と答えたことが話題になっている(https://www.sankei.com/article/20250124-SMCHSZUPJBNYDJHJAYUAMENI3Q/)
ブコメでは批判が多いが、これは共産党の考え方したら当然なことだ。
共産党の前委員長である、志位和夫中央委員会議長(党最高位)は、過去、論文「変節者のあわれな末路」でこう述べている。
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
(志位和夫 変節者のあわれな末路(論文集「投降主義者の観念論史観」より))
(参考:共産党の内部統制と民主集中制と志位委員長)
つまり、共産党員はその人権を共産党に委ねてるのだから、より党に近い党専従職員は人権の下位概念たる労働基本権を党への奉仕のために用いるのは当然であり、党に迷惑のかかる行使の仕方はあり得ない(したがって、労基や裁判所に訴え出てはならない。)。
例えば新興宗教の教主とか共産党の代表が同じ発言したらどうなるんだろ???
例えば、指原莉乃が「今日から独立国家になります!国民の皆さん募集中!」っていうのと
志位和夫が「今日から独立国家になります!国民の皆さん募集中!」っていうのと
大川隆法が「今日から独立国家になります!国民の皆さん募集中!」っていうのと
同じ、日本国民の発言なわけだけど、もし政府が人によって対応を変えたりしたら、それは重大な人権侵害にならないのだろうか???
孫正義や前澤社長が「今日から独立国家になります!国民の皆さん募集中!」っていうのと、渡邉美樹やユニクロの柳井会長が「今日から独立国家になります!国民の皆さん募集中!」っていうのもなんか実現可能性がありそうで嫌だなぁ。
以前、ここで、志位和夫氏(日本共産党の前委員長)の論文を取り上げて日本共産党の特徴を書いた。(消されたのでウェブアーカイブから)
このたび神谷氏の除籍問題が話題となっており、共産党の言い分が興味深いので記録しておこうと思う。
県委員会総会での討論の内容を、それぞれの県委員が個人の判断で公開することを認めれば、総会での自由な討論を阻害することにもなります。県委員会総会の内容を公開する場合は、県常任委員会の責任で発表すべきことがらです。県委員会総会での討論内容を個人の判断で公開する行為は、党内での自由な発言、討論を保障した党規約の精神を踏みにじる行為です。
何故討論の内容を公開してはいけないのか。
内容を自身に都合の良いように歪曲や捏造をしていたらこの批判もわかるが、共産党のウェブを読む限りは公開した事自体を問題視しているようだ。
一般的な感覚だと、公開してはいけないとする共産党の見解は意味不明である。
そこで、前掲増田でも示した、志位和夫氏の書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に共産党の考え方を理解してみよう。
(変節者のあわれな末路より)
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
基本的人権の行使に条件を付けているのも驚きだが、ここで注目すべきは「政党の目的実現にむけて」の部分だ。
「共産主義の実現」ではなく、「政党の目的実現」としているのがポイントで、ここでいう政党というのは共産党の組織のことを指し、個人にとっての地方の委員会、地方の委員会にとっての中央を指している。
つまり、神谷氏がブログで委員会の見解と異なる主張をし、またそのために議論の内容を公開したことは、言論の自由を「政党の目的実現」以外の目的で行使したことに他ならず、共産党として許容できるものではない。
基本的人権の行使は共産党に奉仕するためになされるべきであるというのが基本である。
(変節者のあわれな末路より)
わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥の容認」「党外出版物での批判の容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義、分派主義のあらわれとしてきびしく批判した
神谷氏のブログは組織に対する批判であることは明らかだが、共産党では引用論文のとおり「党外出版物での批判」を厳しく禁じている。
神谷氏のブログは印刷はなされていないため狭義の出版物ではないかもしれないが、性質としては出版物に近く、共産党として許容できるものではない。
このあたり、石破茂が冷遇はされているものの党を追われず、未だに総理総裁候補として名前の挙がる自民党(良く言えば議員一人一人の独立性が高く、悪く言えばまとまりや一貫生がない)とは全く党の性質が違うと言える。
余談だが「横の交流拡大」の否定も共産党らしい。地区組織間で交流されてしまうと、中央に反発するために団結される(=分派の形成)可能性があるためだろう。
(変節者のあわれな末路より)
坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。
「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、…求めてはならない」
議論は党の内部の公式な場で行われるべきであり、事前の根回しや賛同を募ることは認めていない。
当然それでは込み入った議論や利害調整はできないので、結論は議題や進行をコントロールできる党中央の意見に従わなければならない、となる。
神谷氏のブログも、自身の意見への賛同を求めるためのものであることは明らかであり、許容できるものではない。
(有名なアネクドートより)
と考えている(このあたり昨今のリベラルやポリコレと言われるものとの親和性が極めて高い)ため、党外にむけた反対言論を許容する余地はない。
以上のことから、神谷氏の除籍は共産党の論理として極めて当然のことと言える。
というか共産党のこういう性質は公知のものだと思っていたけど、若い方々にはそうでもなさそうなのが意外だった。昨今の共産党による宣伝活動(ソフト路線のアピール)は一定程度の効果があるようだ。