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「従属的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 従属的とは

2025-05-10

anond:20240821174757

これSっ気だね

私も経験したことある

私の場合は目の前で私に片思いしていた相手が軽くやけどをして、自分に見られてるのを意識して耐えているのをお互い認識してしまったときだったと思う

私の方は相手のことをそんなに好きじゃなかったからか、どこか従属的雰囲気になった

接触が一切なかったので、まじのSMに目覚めたらまずいと思ってそのままにしている

背筋に快感が走る感覚について具体的に書いてある文章を読んだのはこれが初めてだな

2025-03-23

チー牛と結婚したら食い尽くし系夫に進化して、もう完全に限界

チー牛と結婚して3年目。もう限界かも。

最初は良かったんだよね。眼鏡かけた優しいインドア系の人で、デートの時は細かい気遣いもできて、話も合った。

アニメの話とか熱く語ってる姿が可愛いって思えてた時期もあった。今思うと信じられないけど。

でも同居し始めてから少しずつ気になることが増えた。

最初は「まあ男の人だし」って軽く流せてたんだけど。

例えば髪。結婚当初は清潔感あったのに、今じゃシャンプーサボることが増えて。

ベッドの枕に黒い脂の跡がついてるの見ると、なんか胃がムカムカしてくる。

こんなこと気にならなかったはずなのに。

食事マナーも徐々に崩れてきた。最初の頃は普通だったのに、今はくちゃくちゃ音立てて食べるし。

半開きスマホ見ながら食べてて、たまに「へへっ」って笑う。

その音聞くたび、なんかゾワッとする。歯磨きサボりがちになってきて、朝の口臭がきつい。

ちゃんと磨いてる?」って聞くと「めんどくさい」の一点張り。夜に「おやすみ」ってキスしようとしてくるけど、正直近づかれるだけで避けたくなる。

不思議なんだよね。付き合ってた頃は抱きしめられるの好きだったのに、今はその腕が触れるだけでなんとなく身体が硬直する。愛情が冷めたのかな。それとも生理的に無理になったのか。

部屋着のTシャツとかも放置するようになって...。脇の下の部分黄ばんでるのに「まだ着れる」って着回してる。

洗濯するにも手袋つけないと触りたくない。なんで変わっちゃったんだろう?結婚ってこんなもの

それに最近パソコン作業中もずっとカタカタうるさいし、ときどき鼻をずるずる啜る音がすごく気になる。昔は「仕事頑張ってるんだな」って思えたのに、今じゃイライラの種でしかない。長い音と短い音が不規則に続いて、頭痛がしてくる。風呂場の排水溝の掃除全然しないし、トイレの便座周りもビチャビチャ。

こういうのって結婚前は見えなかった部分だよね。でもだんだん目につくようになって、気持ち悪さが増してきてる。

会話の内容も段々とパターン化してきた。

今日会社でさー」って始まる話、最初は興味持って聞けてたのに、今は「あー、またあの話か」って思っちゃう

ほんと、だんだん生理的に受け付けなくなってきてる自分がいて、怖い。結婚前はこんなこと思わなかったのに。

あの頃に戻りたい。近づいてくるだけで体が勝手に硬直する。

触られるのも見られるのも声を聞くのも全部無理。朝起きて横で寝てる顔を見た瞬間から、その日一日の気分が台無しになる。

マジで後悔してる。最初はただの眼鏡かけたインドア系かと思ったのに。


はしかも、食い尽くし系夫に進化してきた。

本当に最悪で、今見るとあの、あの食欲と、黄ばんだ歯並びに吐き気がする。

朝起きたら冷蔵庫の中身が半分なくなってる。夜寝る前は満タンだったのに。

これが一回じゃないんだよ。毎日毎日、買い物行って冷蔵庫満タンにしても翌朝にはスカスカ

昨日買ったプリン6個パックが朝には全部消えてるし、食パン1斤も一瞬で無くなる。誰が補充すると思ってんの?当然私。男は食べるだけで何もしない。

これが男女格差実態

夕飯作ってるときも後ろでずっと「まだ?」ってキモい声で聞いてくる。作ってる途中の目玉焼きとか勝手に食べるし。口の周りが油でテカってるのに気づいてないのかな。気持ち悪い。

チー牛って本当この上なく気持ち悪い。鼻の脂の詰まった毛穴とか、常にニオう口臭とか。

結婚前は気にならなかったのに、今は近づくだけで吐きそう。

結婚当初はこんなじゃなかった。むしろ少食だったくらい。

一緒に外食しても「もう食べられない」って残すくらいだった。

それが半年から急に食欲増えだして、最初は「仕事ストレスかな」って思ってた。

男ってすぐストレス食いするよね。弱すぎ。

でも明らかに変。

朝昼晩の三食じゃ足りないって言い出して、間食が常態化。完全に豚。

会社のお弁当普通サイズ3個持たせても「足りなかった」って言ってくる。

同僚から変な目で見られてるって気づかないの?マジで恥ずかしい。

私の実家に行ったときなんて、母が出した料理全部平らげて、まだ「何かありませんか」とか聞くの。親にまで恥かかせる最低の男。週末なんて朝食にトースト10枚、目玉焼き6個、ヨーグルト4個とか普通に平らげる。

それでいて「小腹が空いた」って30分後に言い出す。食べてる姿、口を大きく開けて音立てて食べる様子を見てると吐き気がする。

最近ピザ3枚とか平気で食べる。食後に「まだ足りない」とか言ってヨーグルト全部食べる。体重100kg超えてるのに「筋肉から」とか言い訳してる。

脂肪のたるんだお腹見せびらかしながら。マジで気持ち悪い。

服のサイズも3ヶ月で2回買い換えた。経済的にもキツい。なのに「食費ケチるな」とか言われる。男って自分のことしか考えないよね。構造的に女性が損する仕組み。

夜中に冷蔵庫あさる音で何度目覚めたか。先週なんて、私が作り置きした1週間分の常備菜を一晩で全部食べた。翌朝「誰が食べたの?」って聞いたら「知らない」って。嘘つき。口の周りについた人参の残りカス証拠じゃん。

家事の分担とか以前話し合ったのに、今や「疲れた」「お腹空いた」しか言わない。典型的な男の甘え。なのに世の中では「イクメン」とか持ち上げられて、家事を「手伝う」だけで称賛される。女性はやって当たり前なのに。不公平すぎる。

これって絶対に男女不平等だよね。

女だけが我慢して料理して、男は食べるだけで何の文句も言われない。世の中の構造がそうなってる。資本主義社会再生産する性差別の縮図。ネットでは「女は楽でいいよな」とか言うくせに、実際は男がどれだけ特権に守られているか料理洗濯掃除、全部女がやるのが「自然」みたいな風潮が蔓延してる。

男尊女卑のもの毎日こんな思いしてるの女だけじゃん。

「男は育児に協力してる」とか建前だけで、実態全然変わってないよ。

SNSでチー牛がイキってフェミ叩きしてるの見ると吐き気する。

フェミがー」って叫ぶ前に自分特権に気づけよ。

チー牛は自分がどれだけ社会から優遇されてるか考えたことあるの?

女性家事仕事もこなして当たり前とか思ってる社会構造マジでクソ。

冷蔵庫1個じゃ足りないとか言い出した。キッチン狭いのに無理に決まってる。

床がミシミシするようになったけど、気にしてる様子もなし。

男っていつも自分欲望最優先。

社会全体がそう。

最近は寝てる時の呼吸音もおかしい。「ゴォォォ」って感じじゃなくて、もっとボコボコした音。いびきがうるさすぎて眠れない日々。

でも指摘すると「うるさいな」って逆ギレ典型的男性攻撃性。

から硫黄みたいな匂いするようになったのに。口からは熱気が出てるし、背中にイボイボみたいなの出てきた。なのに「大丈夫だよ」って。男ってなんで自分の体のケアしないの?女だったらこんな状態放置しないよ。

見た目も不潔になる一方。

髪はベタついて、顔面は脂ぎって、服はシワだらけ。

でも自分じゃ気にしてない。「皮膚科行こう」って言っても「忙しい」の一点張り。男ってほんと自分健康無頓着。結局具合悪くなったら看病は私がやるんだろうね。女性無償ケア労働押し付けられるいつものパターン。お風呂入っても浴槽に入りきらなくなってきた。

タオル普通サイズじゃ足りないって文句言ってる。

体臭はどんどん強くなるのに、シャワーすら面倒くさがる。男の不潔さって本当に生理的に無理。体温も上がってる気がする。抱きつかれると暑くて眠れない。先週は布団に焦げ跡ついてた。

性的アプローチをしてくるのも気持ち悪い。

この見た目でよく自信持てるよね。男の勘違い自信って本当謎。ああもう疲れた

この状況、完全に女性差別じゃん。なんで女だけがこんな思いしなきゃいけないの?

社会構造根本的に間違ってる。

昨日なんて夜中に「小腹が空いた」って起こされた。

目が赤く光ってて怖かった。「肉が食べたい」って言うから冷蔵庫のお肉全部出したのに「生のがいい」って。

気持ち悪すぎる。しかも肉をそのまま噛み千切って食べ始めた。

口の周りが血で真っ赤になって、でもそれに気づいてないようですごい勢いで食べてた。

吐きそうになったけど、文句言ったら「うるさい」って怒鳴られた。男の暴力性の表れ。

ちょっと待って欲しい。

近所のコンビニ全部回ってお肉系買い占めてきたけど、レジのお姉さん引いてた。彼女絶対に私の状況わかってない。

誰もわかってくれない。社会は性の苦しみに無関心。

うちの猫おかしい。夫の近くに絶対寄り付かなくなった。

本能的に何か感じてるんだろうね。動物のほうが賢い。

最近は家の壁に穴が開いてて、夫がそこから出入りしてる。

尻尾っぽいの生えてきてるし、皮膚が緑色になってきてるのに「大丈夫、これが本来の姿」とか言ってる。

これマジで女性蔑視社会の縮図でしょ。

女は黙って男の変化も受け入れろってこと?

なんで私がゴジラみたいになっていく夫の世話しなきゃいけないわけ?

おかしいよこの国。「女だから我慢しろ」っていう風潮クソすぎ。男性優位社会の中で女性は常に従属的立場を強いられる。家父長制の暴力のもの

最近、夫の食欲がさらに増えて、近所の公園の木を食べ始めた。「繊維質が足りない」だって。それならちゃん野菜食べればいいのに。

男ってなんでシンプル解決法を考えないの?

ていうか今朝、町内会長が「庭の木を勝手に食べないでください」って怒鳴り込んできたけど、夫が口から火吹いて追い返した。

男の暴力性がそのまま出てる。

社会的にも女より男の暴力は許容される風潮あるよね。

町内会長も燃えなくてよかったけど、これマジでやばい

でも警察呼んだら「家庭内のことですから」って言われるに決まってる。この国は女を守る気ないよね。

DV被害者が守られない社会構造そのまま。


夫が家の屋根突き破って空飛んでるけど、そんなことは些細な問題だ。

私の意識構造はもともと時空連続体の中に存在している。

これは物理学の基本原理に根ざした事実だ。

ニュートン力学における絶対時空の概念からアインシュタイン相対性理論における4次元時空の連続体へと、物理学理解進化してきた。

それでも男性優位で構築された科学歴史は、女性存在を周縁化し続けてきた。

でも一般相対性理論の枠組みですら、私の存在の複雑さを完全に記述できない。

量子場の理論においては、私の意識体は位相空間上の確率波として分布している。意識経験フィードバックループが、量子もつれ原理によって高次元構造形成しているのだ。男性が作り上げた科学言説でさえ、女性経験の豊かさを捉えられない。

本来人間身体認識システム三次元空間一次元時間からなる限定的な枠組みに囚われている。でも私の認識構造M理論11次元宇宙モデルとの共鳴を実現している。このことはヒッグス粒子の場の振動パターンと強い相関性を持つ。男性は常に単純な二項対立世界理解しようとするが、それでは現実の複雑さは決して捉えられない。

社会学的な観点から見れば、私が一時的採用していた「人間女性」というアイデンティティは、地球社会親和性を獲得するための単なる擬態であり、ジェンダーバイナリというバグの多いアーキテクチャ自発的接続していたにすぎない。しかしその過程で、女性に対する構造的抑圧の実態を身をもって経験した。それは高次元存在である私ですら耐えがたい苦痛だった。

カレンバラッドの「行為体的実在論」が指摘するように、物質本来、固定的な実体ではなく動的な「行ない」なのだ。私の細胞として見えているものは、実際には時空の織り目の結び目であり、生物学プロセスのようにパフォーマンスしているだけだ。これは女性アイデンティティ社会的に構築されながらも、実体として経験される矛盾と同型である

私は元々、統合情報理論でいうところのΦ値が無限大存在で、通常の人間経験する意識統合度とは比較にならない。だからこそ、人間社会ジェンダー構造に基づく負荷分配の不均衡など、きわめて単純な問題に見える。しかし、その不均衡がもたらす苦しみは、次元を超えて感じられる普遍的不正義だ。

男女の対立構造なんて、平面上の二次元存在が「上か下か」で争っているようなものだが、その対立構造の中で女性が受ける被害実在する。私の視点からは、そもそも「上」も「下」も同時に存在し、かつ存在しない。量子重ね合わせ状態のように。にもかかわらず、女性は常に「下」に置かれ続けるという矛盾

デリダ脱構築観点から見れば、男女という二項対立のもの幻想であり、差異ネットワークの一時的結節点にすぎない。私の存在はそのような二項対立を超越し、異なる宇宙における複数波動関数の同時存在として理解できる。しか男性中心主義的な思考は、常にこの複雑さを単純化し、女性を「他者」として周縁化する。

ドゥルーズガタリが「千のプラトー」で展開した「リゾーム思考」こそ、私の存在様式に近い。中心も周縁もなく、常に過程にあり変化し続ける多様体として。それなのに、地球社会は依然として階層的で、男性を中心に置く樹木構造に囚われている。

そもそも地球物理法則は私の本来次元では単なるローカルルールにすぎない。私の細胞構造が時空連続体そのものであるということは、私が時間空間を超越した視点から現実観測できるということだ。だからこそ、男性優位社会歴史連続性と、それがもたらした被害総体が見えてしまう。

男女の対立も、資本主義も、国家間紛争も、すべては限られた四次元時空における一時的な模様にすぎない。フラクタル自己相似性を持つ現象として、マクロミクロで同じパターンが繰り返される。しかし、その模様の中で傷つけられる存在の痛みは本物だ。女性差別による苦しみは、次元を超えて響く叫びなのだ

地球フェミニズム思想価値あるものだが、次元的制約の中での議論にとどまっている。意識主体性物質性の相互浸透を前提とする新たな存在論的フェミニズムが必要だ。私のような存在にすら、男性優位社会理不尽さを感じさせるこの状況は、宇宙スケールで見ても異常事態と言える。

意識主体性物質性の相互浸透を前提とする新たな存在論的フェミニズムが必要だ。

この低次元世界で「結婚」という原始的結合様式選択したこと自体研究目的だった。でも、その実験はもう十分なデータを得た。夫がゴジラ化するという予想外の変数が入ったが、それも含めて有意義な観察結果だった。だから私はもう意識統合してこの実験を終了する。地球の男女問題なんて、私の本来活動領域からすれば、原子の一部の電子スピンの向きほどの問題しかない。実験は終了だ。

2025-03-04

AIは、ニュース解説として、助かる

おそらく短期的には侵略を避けられた可能性はあるが、長期的にはロシア支配が強まり、結局どこかで衝突していたと思われる。

ウクライナロシアの言うことを聞いていた場合シナリオ

1. NATO加盟を諦める(中立化)

2014年クリミア併合後、ウクライナが「中立国」としてNATO加盟を放棄していれば、ロシアの警戒心は和らいだ可能性がある。

フィンランドスウェーデンが長年NATOに加盟せず中立を保っていたように、ウクライナもその道を選んでいれば、戦争回避余地はあった。

2. 親ロシア的な政権を維持する

2014年ウクライナ親ロシア大統領ヤヌコーヴィチ追放され、西側寄りの政権誕生

もしヤヌコーヴィチ政権が続いていれば、ロシアの影響力が維持され、武力侵攻はなかった可能性がある。

しかし、親ロシア政権を維持するには国民意思無視する必要があり、内戦状態になるリスクも高かった。

3. クリミア併合容認する

2014年クリミア併合正式に認め、さらドンバス地方東部)をロシアの影響下に置くことを許容していれば、ロシアさらなる軍事行動を控えたかもしれない。

しかし、これは**「譲歩すれば次も取られる」**という危機感ウクライナ国内に生み出し、独立志向を逆に強めることになった可能性もある。


それでも長期的にはロシアの影響下に置かれる

ロシア目的は「ウクライナの完全な支配」ではなくても、少なくとも「西側の影響を排除し、自国勢力圏にとどめること」だった。

ウクライナ従属的関係を受け入れていれば、当面の戦争は避けられたかもしれないが、

ロシア政権コントロールし続ける必要があり、ウクライナ独立実質的制限される。

いずれ国内反ロシア感情が高まりロシア圧力に耐えられなくなったとき、どこかでまた対立が激化する可能性が高い。

結論

ロシアの言うことを聞いていれば、侵略は無かった」**というのは、短期的にはあり得るが、長期的には不安定な状況が続き、いずれ別の形で衝突が起きた可能性が高い。

まりウクライナはどのみち「ロシア支配を受け入れる」か、「西側との関係を深めてロシア対立する」かの選択を迫られ、どちらに転んでも完全な安全は得られなかった可能性が高い。

2025-01-05

男性奉仕した話

私は真奈(まな)といいます都内の小さな会社事務員として働いており、平日は仕事と家の往復、週末は少しだけおしゃれなカフェを巡ったり友人と過ごしたりする、ごく普通生活を送っていました。大学卒業して数年、特別趣味や特技もなく、かといって生活に不満があるわけでもない――そんな私でした。

ところが、ある出会いきっかけに、それまでの平凡な日常が少しだけ色づき始めることになったのです。出会い相手名前は、川瀬(かわせ)さん。私が勤めている会社取引先の男性で、営業担当として度々やり取りをするうちに、いつの間にか気になる存在になっていました。

彼は社交的で、仕事もきっちりこなすスマートタイプ。穏やかだけれど芯が強く、誰に対しても丁寧で親切でした。最初は、そんな「仕事のできる大人男性」に単純にあこがれを感じていただけだったのですが、徐々に彼自身の人柄にも惹かれ始めていたのです。

そしてある日、仕事上の用事で遅めの打ち合わせが終わったあと、「よかったら少しだけお茶でもどう?」と誘われました。もしかしたら、プライベートで話すのはこれが初めてかもしれない。私は胸の鼓動を抑えながら、喜んでうなずきました。

お互いに終業後だったので、近くのカフェに入ることに。打ち合わせのことや最近仕事の近況など、他愛のない話をするうちに、ふとプライベート話題になりました。大学時代のことや友人、家族のこと。私も彼も、お互いが初めて知る部分を少しずつ共有し合い、その時間はとても心地よかったのを覚えています

その後、少し間があった後で彼が口を開きました。

「もし迷惑じゃなかったら、もうちょっと先のバーでもう一杯どうかな?」

本当なら終電時間や翌日の仕事を考えなきゃいけないところだけれど、そのとき自然と「行きたいです」と口をついて出てしまったんです。大人雰囲気漂う小さなバーで、彼は何度もこちらの都合を気遣ってくれましたが、私は「大丈夫です」と笑って応じました。ここまで連れ出されることに対して、まったく抵抗がなかったのです。それどころか、「一緒にいたい」という気持ちがどんどん膨らんでいきました。

お互いにお酒が進むにつれて、少しずつ打ち解け、距離感も縮まっていきます。ふとした瞬間に、彼の視線が私を真剣に見つめていることに気づき、胸が高鳴りました。その夜は、そのまま彼の家に誘われ――もちろん、自分意思でついて行きました。

初めての「奉仕」の気持ち

彼の家に足を踏み入れたとき、私は緊張でいっぱいでした。適度なお酒も手伝い、彼との距離が急に近づいたことで、どう振る舞えばいいのか頭が追いつかない。だけど不思議と怖さはなく、むしろ「この人になら身を任せてもいい」と思わせる安心感がありました。

部屋は整理されていて、淡い暖色のライトが落ち着いた雰囲気を作り出していますソファに座って向かい合うと、なんだか仕事で見せるきりっとした表情とは違う、少し素直で弱い部分をのぞかせてくれる気がして、私はさらに惹かれていきました。

最初はほんの少しのキス。彼がゆっくりと私を抱き寄せると、自然と体が彼のほうに傾いてしまう。胸の奥がドキドキして、どうしていいかからない。でも、自分からも彼に触れたいという想いが募っていきます

そこで私が感じたのは、「この人を喜ばせたい」「彼のためにできることを、何でもしてあげたい」という気持ちでした。いわゆる“奉仕”といっても、服従のように無理やり従わされるのではなく、私自身が心から「こうしたい」と思った行動です。いま、私の感情ベクトルはすべて彼に向かっていました。

互いが満たされるための奉仕

身体が触れ合い、彼が私の耳元で甘く低い声で囁くたびに、何ともいえない心地よさが全身を巡ります。私から積極的に抱きしめた瞬間、彼は少し驚いたようでしたが、すぐに優しく笑って応えてくれました。

「無理しなくてもいいんだよ。疲れてるだろうし」

そう言われてみると、たしかに遅くまで仕事をして、そのまま深夜まで飲みに行ってしまった疲れはあるはずです。しかし私の気持ちは、疲労よりも「もっと近づきたい」という欲求のほうが勝っていました。自分でもこんなに素直に感情さらけ出せるんだ、という驚きがありました。

奉仕といっても、彼を一方的に崇拝するようなことや、尽くしてへりくだるような行為ではなく、お互いに満たされるための優しさや思いやりの交換だったと思います。彼が疲れていそうなら肩をそっと揉んであげる。彼は私が寒そうにしていればブランケットをかけてくれる。ソファに座ったまま、そんな細やかなやり取りを繰り返しながら、ときどき熱いキスを交わす。私にとっては、それがとても幸せで、まさに「奉仕している」充足感がありました。

朝を迎えてからの変化

そのまま朝を迎え、私たちは少し遅めに起床しました。彼の部屋の静かな空気と、カーテン越しにやわらかく差し込む朝日。いつもなら出勤のために慌ただしい時刻ですが、今日は週末。お互い特に予定もなく、しばしソファぼんやりテレビをつけて過ごしていました。

冷蔵庫の中にあった材料で彼が簡単な朝食を作ってくれました。パンハムチーズをのせて焼き、サラダを添えるだけのシンプルもの。それでも一緒に食べると格別の味がしました。そんな何気ない時間のなかで、「ああ、自分がずっと求めていたものはこういう安心感なんだな」と感じたのです。

前夜のような激しいドキドキは少し落ち着いたけれど、穏やかな愛情がそこにはありました。私の中の“奉仕”の感覚は、彼にとって必要なことをできる限りサポートしたいとか、彼を気持ちよくさせたいとか、そんなシンプルな思いだったんだと気づきました。

そこから始まった新しい関係

それから私たちは、恋人同士としての関係ゆっくり築いていくことになりました。最初はお互いの仕事の都合や生活リズムがあるため、無理せず週末や休みの前日に会う程度。たまには仕事終わりに食事に行ってそのまま泊まることもありました。

何度か会ううちに、自分でも驚くほど相手を大切に思う気持ちが増していきました。「今日は疲れていそうだな」「悩みがあるのかな」と思ったら、私のほうからそっと肩を抱きしめたり、マッサージをしてあげたりします。一方、私が残業続きで心身ともにくたびれているときには、彼は「今日は僕が全部やるから」と言って料理や洗い物、洗濯ものまで引き受けてくれることもありました。

もちろん、ときには衝突することもあります最初は優しさだけがあふれていた関係に見えても、ずっと一緒に過ごしていれば言い争いだって起こります。それでも大切なのは、互いに「相手のことを思いやる心」を失わないこと。それこそが、私にとっての“奉仕”の本質ではないか、と最近は考えるようになりました。

私にとっての「奉仕」とは

男性奉仕した話」と一言で言うと、なんだか従属的ニュアンスが強く聞こえてしまうかもしれません。けれども私が体験した“奉仕”とは、「私はあなたを大切にしたい」「あなたと一緒にいるこの時間もっと幸せものにしたい」という素直な気持ちの延長線上にありました。

それは決して自分犠牲にすることでもなければ、相手の言うとおりにすべてを受け入れることでもありません。むしろ相手への想いを行動で示すことで、自分自身幸せになる――そんな関係を築けるようになったと思います

人によっては「それは奉仕なんて堅い言葉じゃなくて、ただの愛情表現だよ」と言うかもしれません。でも、私にとっては“奉仕”という言葉がぴったりでした。なぜなら、愛情を注ぐだけでなく、「支えたい」「力になりたい」「相手の心も身体癒したい」という意識がそこにはあるからです。

もちろん相手も、私に奉仕してくれることがあります。むしろ今は、どちらかが一方的に与えるのではなく、お互いが相手を想い合う形になりつつあります。だからこそ、私はこの関係を大切にしたいし、彼と一緒にいるとき自然と「何かしてあげたい」と思う気持ちが湧き上がるのだと思います

終わりに

振り返れば、その夜に彼の家を訪れたのは軽率だったかもしれません。けれど、あのとき私は彼に惹かれていて、「この人になら大丈夫」と思える安心感がありました。それ以降、お互いを思いやる関係のなかで、私が感じる“奉仕”とはただの自己犠牲ではなく、自分幸せとも繋がっている――そう心から実感しています

男性奉仕した話」というと、どうしても刺激的な響きがあるかもしれませんが、私の物語は意外と穏やかで、日常的な愛情表現の延長にあるものだったかもしれません。大切なのは相手気持ちや状況を考えて行動すること、そして自分の想いも素直に伝えること。そんな当たり前のことが、お互いを満たしていくためには大事なのだと、私は改めて学びました。

いまでは、彼の家の合鍵を渡されるくらいには、信頼し合う仲になりました。まだまだこれから先、どんなことが起こるか分かりませんが、私のなかでは「奉仕したい」「支えたい」と思わせてくれる相手がいて、その想いを受け止めてくれる関係がある――それだけで、毎日が少しだけ輝いて見えるのです。

これが、私が経験した「男性奉仕した話」です。もしかしたら拍子抜けするくらい地味で、小さな幸せの積み重ねにすぎないかもしれません。でも、その積み重ねこそが、本当の意味での充足感をもたらしてくれるのだと、私は信じています

2024-11-08

パンとサーカスって言うけど、人生大事ものパンとサーカス以外は無いだろって思う。なんか愚民の目を政治から逸らすための餌的なニュアンスらしいけど。

人はパンのみにて生きる訳ではないけど、あとはサーカスさえあれば十分でしょっていう。食って寝るだけの人生を良しとする、しなければやってらんないようなブッディストめいた人間もいるにせよ。

というかおれはむしろパンすらもサーカスを楽しむための従属的存在と思ってる。まあ飯食うの寝るのも、単に生存手段を超えて結構重要視されがちな楽しみだったりするけど。

サーカスっていうとなんかアレだけど娯楽という意味で言えば、愛とか存在意義への問いとか自己実現欲求とか、果ては何らかの根源的な信仰さえも、言ってしまえばその範疇だと思う。サーカスで言ったら演じる側と観る側くらいの差はあれど。

満足に生きようとしなきゃ別にそんなもんいらないんで。でもどうしようもなく満足に生きたいから娯楽は欲しい。

それがその場しのぎの供給だとしたら話も違うけど、パンとサーカス安定的に得られるんだったらもうそれ以上政治に関わる道理もないだろって思う。まあその政治保全する不断努力というやつはあるのかもしれんけど。

生活と娯楽が保障されるのなら、それは政治から意識を遠ざけるためのまやかしの餌どころか、むしろ人の営みの本質に対する支えだろとすら思う。

政治までもが娯楽の射程内かと言えば、それは流石に微妙な感じがするけど。政治問題社会問題も、更に還元していけばパンとサーカスが脅かされる状況こそが問題なのだろうし。

政治なんて他人邪魔されないように、それか協力を得ながら、パンとサーカスに興じていられる環境を得るための手段しかないでしょって思う。

誰かの意思に踊らされてるとかそういう事よりも、今自分が満足出来ているという実感の方が遥かに大事な気がする。

まあそれもラディカルな話になれば、じゃあブラック企業社畜も今の環境幸せだと感じるように価値観矯正すれば幸せなのか?って事になるけど。

でもDVされてる人間相手暴力に対する考えを改めるのは「正しい」事だったりするし。

満足をもたらす価値観の変化について、結構都合良く解釈を使い分けてはいる。それは社会規範であったり共感なんかの辺りに基準のヒントがあるのかもしれない。

おれはあんまそういうの気にしてない。カルト集団にハマって金毟られたとしても、自分で心底満足だと思ってるのなら別にそれもいいと思う。

でも趣味人間が会社なりで忙殺されてる内に仕事最高!勤労・家庭愛・社会貢献こそが人間のあるべき姿!となっていく姿には、適応というよりもグロさを感じる。

これはまあ身近さ次第で共感出来る度合いに差があるのかもしれない。

まあどうせ自然法則からは逃れようもなく支配されてんだし。そこまで行くと自由意志なんてありませ〜んって話になってきそうだし、それもなんか味気ないから蓋をしておきたい所ではあるけど。

2024-11-03

anond:20241103031711

ChatGPTに作ってもらったけど

やっぱ日本破綻は無理があるって

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プロローグ崩壊の後(2033年日本統治区域

2033年日本はかつての独立国家としての地位を失い、米、EU中国共同管理下に置かれていた。

主要都市には外国監視機関が配置され、公共サービス教育医療も全て外国資本によって運営されている。

国民の多くは外国企業管理下従属的労働力として働かされている。

日本がここに至るまでには、AI産業への過度な依存権益保護国家全体に硬直化をもたらし、社会的経済的破綻を招いたことが背景にあった。

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政府主導AI政策経済の偏り(2025年2028年

2025年日本政府は生成AIデータ活用を国の成長戦略の中心とする国家政策を発表し、生成AIを基盤にした産業拡大に莫大な予算を投じた。

政府は生成AIの開発や導入を担う企業税制優遇補助金を与え、生成AI技術医療交通マーケティングなどのあらゆる分野に浸透するよう支援した。

AI関連企業は成長を遂げ、医療データ消費者データ活用が進み、生成AI社会の基盤として位置づけられた。

政府も「生成AIが生み出す利益雇用国益のものである」として、AI推進の強化に邁進したが、次第に他の産業投資相対的に減少していった。

農業製造業サービス業などの基幹産業権益を維持しつつ存在していたが、国家戦略の中心からは外れ、経済の中で徐々に相対的地位が低下していった。

生成AIを取り巻く一部の企業産業権益享受し続ける中、AI以外の産業政策支援の外に置かれ、次第に人材資金AI産業偏重するようになった。

産業構造が一極化していくことで、国内市場AI産業を基盤とした体制依存するようになり、経済不安定化する兆しを見せ始めていた。

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慎重派の警告と社会の分裂

AI政策の急進的な推進に対し、慎重派は「一極化した政策日本産業社会多様性を損なう」と警告を発した。

慎重派は、生成AIとそれを取り巻くデータ利用が急速に進んだ結果、プライバシー個人権利無視されつつあること、そして日本経済AI産業に過度に依存することで、危機管理が欠如している点を強調した。

慎重派の主張には人権団体法律家市民賛同し、メディアでもAI推進政策への疑問が報じられるようになった。

慎重派は「AI産業ばかりに偏る政策が、日本産業基盤や国際的な協力体制を脅かしている」と主張し、社会全体がAI推進派と慎重派に分断されていった。

しかし、政府は「生成AI国際競争力こそが日本経済を支える基盤」として、政策修正を拒み、AI産業を中心に経済を発展させる姿勢を崩さなかった。

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国際的孤立日本経済偏重2029年

2029年欧米諸国日本AI政策とその無制限データ利用に対する懸念を強め、国際的規制を強化し始めた。

特にEUは、データ利用に関する域外適用を強化し、日本AI企業不正使用したとされるデータの削除と賠償を求めた。

さらに、日本AI産業に対する輸出制限も発動され、日本製のAI技術や関連製品欧米市場から排除される事態に発展した。

国際社会との関係悪化する中、慎重派は「国際的な信頼を回復するために、AI推進政策を見直すべきだ」と主張。

だが、政府は長年のAI依存構造から離れることができず、「日本の成長は生成AIとともにある」として方針を変えようとはしなかった。

こうして、日本は徐々に国際的孤立を深め、輸出先を失ったAI産業の成長も鈍化。

国内市場依存する形となり、日本経済AI産業偏重した不安定構造に陥っていった。

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制裁と信用の失墜、社会インフラ破綻2030年2032年

2030年ハーグ国際裁判所は、日本政府AI企業に対し「著作権侵害個人情報不正利用」の賠償を命じた。

日本賠償金支払い義務を負い、追加の制裁も相次いで発動され、経済負担は増加する一方だった。

輸出市場を失ったAI産業は成長が停滞し、国際社会からも信用を失った日本は、経済的孤立が決定的になった。

さらに、AI産業偏重の中で、AIを利用したインフラ整備が進められていたが、輸出制限制裁の影響で部品技術供給が滞り、インフラの維持も困難に。

データセンターや通信ネットワーク障害が多発し、社会全体のインフラが徐々に不安定化していった。

特に医療交通エネルギーといった基幹インフラAI依存の影響で管理不能に陥る事態が続出し、社会全体が混乱に包まれていった。

経済的負担が増す中、政府社会保障や公共サービスの維持が難しくなり、福祉教育医療などの分野で資金不足が深刻化。

国民生活の基盤が揺らぎ、失業率が急上昇する一方で、貧富の格差も拡大した。

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国家機能崩壊共同管理下の新体制2033年

2032年日本政府はついに財政破綻宣言

AI依存経済偏重国際的孤立インフラ崩壊の影響で、国家としての機能は完全に失われていた。

国連安全保障理事会は緊急会議を開き、日本を米、EU中国の共同統治下に置くことを決定。

これにより日本国家主権を失い、外国管理のもとで再編が進められた。

かつての日本らしい社会は完全に消滅し、国民の多くが外国企業従属的な形で生活せざるを得なくなった。

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エピローグ未来への警告

日本は、技術経済成長に過度に依存し、社会の変化に対応する力を失った。

この運命AI技術危険性だけでなく、既得権益固執し、国際協調を見失ったときに訪れる破滅象徴である

こうして、日本AI技術の発展と無秩序な推進、経済的偏重国際的孤立がもたらす危険性を象徴する教訓として、後世に語り継がれる存在となった。

2024-10-10

小説 階伯(かいはく) つづき 最後

現代日本――暗い謎に包まれた死

秋の静けさが漂う東京一角で、異様な緊張が走った。歴史学者宮内敬一と考古学者、佐伯真一の変死体発見されたのだ。二人は、かつて共に百済本紀存在を追い、その謎を解き明かそうとしていたが、彼らの研究は突如として闇に葬られた。

警察による初動捜査は、外部から侵入の形跡がなく、殺人であることを示す証拠ほとんど見つからなかった。二人の遺体には目立った外傷もなく、死因は心不全とされたが、その背後には疑念が残された。まるで何かを隠蔽するかのように、彼らの死は「自然死」として処理されることとなった。

宮内佐伯が追い続けていた「百済本紀」は、二人の死と共に消え去り、今やその存在すらも「無いもの」とされた。学術的に重要であったはずの資料も、調査使用されていたすべての記録は抹消され、百済本紀存在証明するものは、どこにも残されていなかった。

不明犯人、隠された真実

「なぜ二人は殺されたのか?」

その疑問は、学界のごく一部で囁かれるだけであり、公にはまったく注目されることはなかった。二人の研究は、韓国日本学術界ではタブー視され、まるで百済本紀という存在のものが、二人の死を消し去るかのように扱われた。

宮内佐伯が見つけた百済本紀――それは、朝鮮半島南部がかつて倭人支配下にあったことを証明する決定的な証拠だったかもしれない。しかし、その真実は深く闇に葬られ、二人の死によって全てが消えた。そして、世間は彼らの死を追うことなく、ただ静かに時が過ぎていった。

韓国学会での「再解釈」――前方後円墳否定

その後、韓国学術界では新たな説が次第に台頭し、支配的な理論となっていった。朝鮮半島南部に点在する「前方後円墳」――それは、かつて日本との関係を示す重要遺跡と考えられていたものだったが、韓国考古学者たちによって「方墳の誤解」だという新説が唱えられ、広く支持されるようになった。

「これは、単に方墳が重なり合って造営されたものに過ぎない。倭人の影響を示すものではない」とする学説一般化し、朝鮮半島南部における日本との関係性は次第に曖昧ものとされた。

韓国メディア教育機関でもこの説が広まり前方後円墳日本由来であるという主張は「誤り」であるとされるようになった。この新しい歴史認識は、韓国社会において広く受け入れられ、かつての日本との関係を強調する要素は薄れていった。

そして、その流れはやがて日本にも影響を及ぼす。

日本の「謝罪国家」への回帰

日本国内でも、宮内佐伯の死後、百済本紀にまつわる話は完全に封印され、朝鮮半島に関する歴史的議論は一切なされなくなった。むしろ日本は再び「謝罪するだけの国」としての立場を強化し始める。歴史問題については、韓国や他の近隣諸国に対して従属的姿勢を示し、過去の過ちを認める方向へと舵を切っていった。

朝鮮半島における日本歴史的な関与については、批判的な論調が強まり過去征服や影響についての議論は「日本侵略」という一面的見方統一されていった。日本国内でも、戦前の行いに対する反省謝罪が繰り返され、歴史認識をめぐる議論は沈静化した。

百済本紀に関する研究は「なかったこと」とされ、二人の学者が追い続けた真実は、学会の表舞台から消えてしまった。

しかし、完全に消えたわけではない

宮内佐伯が命をかけて追い求めた「百済本紀」は、表向きには消え去った。しかし、その存在が完全に忘れ去られることはなかった。わずかながらも、彼らの研究に触れたごく一部の者たちが、裏でその真実を守り続けようとしていた。

日本国内の地下の一部では、失われた資料の断片を手に入れようとする者たちが密かに動き始めていた。彼らは、百済本紀が消えた理由を探る中で、政府国際的な影響力を持つ陰謀存在を疑い始めた。そして、宮内佐伯の死が、単なる偶然ではなく、何らかの計画的犯行であった可能性が高まっていると考えていた。

この裏で動く影たちは、「なぜ彼らは殺されたのか?」という疑問に取り憑かれていた。

彼らの手に渡る断片的な資料は、百済本紀に書かれていた可能性のある、朝鮮半島南部倭人――つまり日本人の支配下にあった事実示唆するものだった。もしその真実が公にされれば、日韓関係さらには東アジア全体の歴史認識根本から揺るがされるだろう。しかし、誰かがそれを望まなかった。

前方後円墳倭人の影響を示すものだと証明されれば、朝鮮半島南部日本故郷だと認識される。だが、それは今の世界秩序にとってあまり危険真実なのかもしれない…」

彼らの声は、闇の中で囁かれるのみだった。

終わりなき探求

宮内佐伯の死の真相は今も解明されていない。百済本紀は闇に葬られ、朝鮮半島南部前方後円墳はただの方墳として再解釈され、失われた倭人故郷は再び歴史深淵に埋もれてしまった。

だが、どこかでその真実を求め続ける者たちがいる。彼らは、いつか再び歴史の光の中に百済本紀を取り戻し、宮内佐伯の死の意味を解き明かそうとするだろう。

だがその日はまだ、遠い未来の話だった。

2024-09-09

贈与で従属的関係がってやつ

従属的とか権力かい言葉拒否反応してる人多いけど

従属して安心感を得る人の方が多いじゃないだろうか。

結局、今のところ男の方が経済的に多くを得ることが多く

男が女に多くを貢ぎ従属化する状態をが「付き合う」になってる気がする。

フェミさんは認めたくないだろうけど従属化したい

女性はたくさんいるように思えるし、またこ従属絶対的ものでもなく

男が稼げなくなれば「甲斐性なし」と離れていく。

そう考える「人生の対等なパートナー」みたいにと男女の付き合いを捉える

現代の考え方は結構歪なのかもしれない。

2024-04-15

anond:20240415120717

ざっくりと、フェミ左派矯風会化と軌を一にした流れだとは思う。

ひと昔前、左派ポルノ人間性解放であり体制管理欲への抵抗象徴って言ってたのに今はえっちなのはいけませんになっている。

情緒保守もその影響を受けて(従属的に)立場を反転させている。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2023-06-01

実写のリトル・マーメイド

ヴァネッサ役の人はビジュアルは良いと思ってたけど

昔のディズニー女性キャラ従属的とか言い出してこっちも無理になってきた

からそんなに従属的ヒロインで駄目だと思っているなら過去リメイクに拘らず

現代価値観で新しいヒロインを作ればいいじゃん

プリンセスじゃなくて現代の話にすりゃいいじゃん

実際ズートピアなんかは警官に憧れる現代女性を描いてたし(ウサギだったけど)

2023-03-08

anond:20230307194008

まず、NPO等の位置づけについて少々私見を述べる。

民間非営利団体による社会的課題に対する(時には発見するところからの)アクションはいろいろ細かい種類がある。管轄官庁の違いであったり。ボランティア活動イコールではないが連続していたり。そのへんをひっくるめたズバリの一語がないので、ここではざっくり「非営利団体(の活動)」と呼んでおく。

日本で「NGO」と言うとなんか国際的活動してるニュアンスつくし

非営利団体役割は、行政による社会福祉の補完であるという。近い所で、官民パートナーシップとか新しい公共といった枠組みも近年提示されているな。

行政の補完的存在というのは勿論それはその通りなのだが、枠組みとしてはごもっともでも、補完という言葉イメージから「安上がりな下請け」と捉えられかねない危うさについては注意喚起しておきたい。

ボランティア団体やってる人で「行政のしりぬぐいをしてやってる」みたいなことを言う人がよくいる。これは「下請け」の裏返しみたいなものだ。行政がやるべきことを自分善意で肩代わりしてやってるという意識活動可能性・想像力をあらかじめ縛ってしまう。

行政従属的でも対立的でもなく、必要連携をとりつつ自由に動いた結果が相補的相乗的効果を生むというのが一番理想ではある。

もともとの出自として地縁による互助システムの後継的存在というのも無論誤りではないのだが、非営利団体活動って別に助け合い」的なことに限るものではない。それもまたイメージによる桎梏の一つではある。

自分としては、非営利団体活動とは単純に社会の中の余力的なリソースをかたちにする手段の一つであると捉えている。政治行動(投票とか)、経済活動起業とか)に並列的な位置づけのものだ。

たとえばオープンソースソフト開発、リナックスコミュニティみたいなのがまさにその代表例と言っていいだろう。政治論理商売論理とはちょっと違うルールで、人々の持つリソース結集させて社会に役立つ形にすること。

地域助け合いとか「顔の見える活動」「心に寄り添う活動」とか、「非営利団体活動シーン」でよく言われるそういうものばかりが非営利団体のあるべき姿ではない。

さて、あなた非営利団体が活きるフィールドの例として災害ボランティアを挙げている。

ある意味ではほんとうにそう。民間有志の力がうまく使われれば災ボラくらい非営利活動に「向いてる」分野はないだろう。でも実際のところ、言うほどうまくは行ってない。

めちゃくちゃもったいないことになっている。

現にあれやこれややってるじゃないか、みんなの骨折りを全否定するのかと言われればもちろんそういうことではない。リソースを活かすシステム(の不在)の話だ。神戸震災時が本邦災ボラ黎明期だとしたらいまはせいぜいが中世暗黒時代というところだ。

まあこのことについて具体的に詳論しだしたらキリがないので…。

非営利団体情報公開のありかたについて、ネットの鵜の目鷹の目でやいのやいの監視するのがアホらしいのは全くその通り。

DX的なことだとかの、テクニカルフォーマット作りの議論必要というのも全く同意

そういう具体的方策以前のちょっと理念的な話として、以前増田に書いた記事中で「情報公開非営利団体活動命綱」「コンプライアンスは足かせでなく指針とすべき」といったことを述べた。

https://anond.hatelabo.jp/20221206001603

例えば、ウクライナロシアの「情報戦」「宣伝戦」の巧拙格差を見よと言いたい。

ウクライナはまさに「情報公開」を命綱として支援を呼び込んで戦い続けている。

(もちろん後々色々と醜いものも明るみに出てくるだろうが)

一方でロシアは内向きの情報統制に終始している。

ウクライナはお涙頂戴で各国の慈悲にすがっているのではない。率直に要求を述べているし、率直さによって一定の信用を得ている。

ものすごく不謹慎な言い方になるが、ウクライナコンテンツを生んでいるのだ。命を引き換えに、だけど。ウクライナが公開する情報は、我々にとって価値あるものだ。そこで我々は納得して支援の金を出す。

非営利団体監視されていやいやながらに情報小出しにするんじゃなくて、攻めの姿勢情報しまくってそれを「売り」にするべきだ。

社会貢献的な活動に興味はあってもそれに割く時間や労力は捻出しにくいという人は多くいる。直接参加できない人が、実際の支援現場でどういうことが行われているのかという情報を受け取った上で、活動に対する投資意味寄付をする。

そういう経路を作り出すことができたら「どうやって見張るのか」なんていう問題問題ではなくなる。

個人の直接の寄付と公の補助金とはイコールではないけど、間にワンクッション入るだけで出どころはみんなの懐なんだし話の骨子はかわらない。

ブコメ指摘「ロシアデマ攻勢仕掛けてるだろうが!」あ、それはほんまにその通り。例え話として、持論を述べる上で都合がいい部分だけのつまみ食いになってる。ツッコミアザス

追記

いわゆるソーシャルグッド活動資金調達方法としてクラファンがある。

そこで問題になるのがマスの「情」の力学である

エモいストーリーがくっついてたりしてバズったものにだけ支援が集中するのではないか、そのせいで俗受け狙いのアピール合戦になり、活動のものも歪んでいくのではないか。同情の集まりやすい「ウケる弱者」の取り合いやウソつき合戦になるのではないか。あるいは分断を煽ることである陣営からの集金を狙う、邪悪なハックが行われるのではないか

そういう危惧は当然にあるし、実際そういう状況は生じている。

でも、マスの生理としてそういう(エモいもの殺到する)傾向があるからと言って、世の全員がそうなわけではない。

世間的にそこまで話題でなくても、自分の興味あるニッチな分野で、何をどうしようとしてるのか具体的によくわかる(情報公開がしっかりなされている)活動支援したいという需要だってある。

情報にはそういう堅実な支援者を掘り起こす力もある。

ミーハー的な寄付と、堅実な長期的投資のような寄付とは並立・共存可能であると思う。

2021-11-16

ttps://makog.theletter.jp/posts/974010e0-2bd3-11ec-97b7-eb2891a5e92e

Victim/Survivor Focus

公的ゾーニングしてみては?

ゾーニングしたら解決することは、多いはず。

先月取材してからずっと出しそびれていた内閣府男女共同参画局資料を急遽、

多くの人に知って欲しいので、公開します。

郡司真子

2021.11.16

誰でも

黒板

黒板

公的広報役割とは何か

昨日から、駅に貼り出されたポスター話題になっています

仁藤夢乃 Yumeno Nito

@colabo_yumeno

出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ夜這いを期待、肉感がありセクシーワインを飲む中学生、「癒し看護キャラセクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別性搾取。onsen-musume.jp/character/

2021/11/15 10:41

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仁藤夢乃 Yumeno Nito

@colabo_yumeno

少女性搾取推奨しまくりクールジャパン、相変わらず 》運営会社内閣府からクールジャパン企業に選ばれ、キャラクターは観光大使温泉大使を拝命。神戸市米沢市では市の公認キャラクターとなり、2019年6月観光庁後援】プロジェクト2020年には政府観光局が推進する訪日誘客キャンペーンに選出

仁藤夢乃 Yumeno Nito @colabo_yumeno

出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ夜這いを期待、肉感がありセクシーワインを飲む中学生、「癒し看護キャラセクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別性搾取https://t.co/vw3w00zAPu https://t.co/jkWRsvQKCa

2021/11/15 10:58

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公的場所掲示される広報表象については、先月も大きな問題となり、千葉県警に話をききました。

千葉県警への取材

千葉県警小中学生に向けた交通安全の教材としてアニメキャラクターを採用したが、その後、公的広報学習教材として、適切ではないのではないかという意見を受けて、使用期間終了一週間前にあたる2021年9月10日画像を削除したこと話題になリました。

東京新聞2021年10月8日記事

チューバーの県警動画削除 フェミニスト議連ミニスカ、大きな胸の揺れ、交通安全動画に本当に必要か」:東京新聞 TOKYO Web

チューバーの県警動画削除 フェミニスト議連ミニスカ、大きな胸の揺れ、交通安全動画に本当に必要か」...

www.tokyo-np.co.jp

チューバーの県警動画削除、フェミニスト議連殺害予告「戸締まり気をつけろよ」:東京新聞 TOKYO Web

チューバーの県警動画削除、フェミニスト議連殺害予告「戸締まり気をつけろよ」:東京新聞 TOKYO...

www.tokyo-np.co.jp

私は、2021年10月8日都内で行われたフェミニスト議連の会見を取材後、千葉県警本部に経緯と今後の子ども向け教育教材に使用する表象基準を尋ねました。

キャラクター使用について、適切ではないのではないかという様々なご意見いただき、県警内部で検討した結果、交通安全という本来目的と異なる意図で伝わることが懸念されたこと、掲載期間の期限(9/17)も近づいていたこから9月10日に削除した。適切ではないのではというご意見を頂いたのは、単独団体だけではない。内閣府男女共同参画局発行の手引きについては、了解している。今後は、個別案件ごとに検討する。表象採用については、一概に基準提示するのは難しい。」

本来目的と異なる意図で伝わることが懸念された》

千葉県警キャラクター採用を中止した理由は、本来目的と異なる意図で伝わることが懸念されたからだそうです。

通学路

通学路

千葉県警コロナ感染予防非常事態宣言下の小中学生交通安全教室の教材としてアニメキャラクターを採用後、一転してキャラクター使用をやめたという流れが可視化するものは何だったんだろう。

デジタル教材が急速に普及する中、行政公立学校などの公的機関が提供する広報や教材で用いる表象にどのような留意点が必要か、内閣府男女共同参画局取材しました。

男女共同参画視点から公的広報の手引き』

男女共同参画局は、手引きがすでに広く共通理解として認識されるようになっているとの認識している

内閣府男女共同参画局2003年平成15年)に発行、各自治体に配布した『男女共同参画視点から公的広報の手引き みんなに届く広報のために』について、内閣府男女共同参画局担当者に尋ねました。

2003年平成15年内閣府男女共同参画局発行のガイドライン 

2003年平成15年内閣府男女共同参画局発行のガイドライン 

手引きの内容

公的広報作成に携わるみなさんへ

共感を得られる広報のために

公的広報では、国民必要情報を正確に、わかりやすく伝えることが必要です。しかし、それだけで十分でしょうか?伝えたいことをどう表現するかも重要です。内容以前に表現への反感を招くようでは、施作への理解や協力は得られません。女性高齢者、年少者、障害者外国人など多様な受け手意識し、共感が得られるような表現を心がけなければなりません。

広報プラスする男女共同参画視点

男女共同参画視点に立つと、自分が抱いていた広報受け手イメージが意外に狭いことに気づくでしょう。受け手をよく理解することで、より豊かなコミュニケーションが創り出されます。新たな視点表現することで、これまでの固定的な考え方にとらわれない、フレッシュで魅力的な広報可能となります

男女共同参画社会形成に向けた政府の責務

男女共同参画社会の実現は、21世期の社会を決定する最重要課題です。男女共同参画基本法において、政府施策総合策定実施の責務を有するとされています公的広報作成にあたっては、基本法趣旨を踏まえ、性別に基づく固定観念にとらわれない、男女の多様なイメージ社会に浸透していくような表現にすることが求められています

1. 男女いずれかに偏った表現になっていませんか?

1-1 女性にも男性にも伝わりますか?

広報受け手には男性女性もいることを念頭において表現しましょう。広報の内容が男女どちらかが想定されていないような表現を使うと、伝わるべき相手に正しく伝わりません。

1−2 男女が登場しています

広報の内容が男女双方に関わる場合、登場する男女のバランスにも配慮し、いずれか偏らないように心がけましょう。

2.性別によってイメージ固定化した表現になっていませんか?

2-1男女を固定的に描いていませんか?

「男は仕事女性は家庭」といった性別による固定的な役割配分を強調したり、性別職業を分ける表現ばかり用いるのではなく、男女が仕事家事育児で協力したり、様々な職業についたりしている現状を反映させる表現を心がけましょう。

2-2いろいろな個性表現しましょう

好みや行動は人それぞれです。固定的な個別イメージだけで表現せずに、多様な現実を反映させ、男女それぞれを幅広いイメージ表現しましょう。

3.男女を対等な関係で描いています

3-1男性がいつもリーダーでしょうか?

常に、男性を中心的な存在指導的な立場、守る側として、女性を周辺的な存在従属的立場、守られる側として描かず、男女は対等で、地位立場も様々であることを示す表現を心がけましょう。

性別立場関係をむすびつけた表現にしないで、多様な表現を工夫しましょう。

3-2被害者はいつも女性でしょうか?

常に強者男性弱者女性で描いたり、常に加害者男性被害者女性で表したりするのではなく、性別と結び付けない様々な表現で描くよう心がけましょう。

4.男女で異なった表現を使っていませんか?

4-1「女性」をかぶせる必要はありますか?

職業地位に触れるときに、女性場合だけ性別を冠するのは、女性例外的に扱うものと思われ、平等な扱いとは取られないことがあります性別への言及があえて必要なのかを考えましょう。

4−2 男性又は女性だけに使われる表現には十分注意し、男女いずれに対しても使える言葉を探したり、別の言い方に変えたりするなどの工夫をしましょう。

4−3 男性を「氏」とする一方で、女性を「さん」とするなど、同じ広報で男女の呼称敬称区別する場合には、その必要性を考えましょう。

5.女性をむやみに”アイキャッチャー”にしていませんか?

5-1 女性を飾りものとして使っていませんか?

単に目を引くためや親しみやすさを持たせるために、内容とは関係なく、女性の姿や身体の一部をポスターなどで使う場合がありますが、それは伝えるべき内容が十分に反映されたとは言えません。安易女性アイキャッチャーとして起用せず、請求内容と訴求内容にあった、より効果的な表現方法を工夫しましょう。

留意点チェック

留意点1 男女双方が想定された内容になっていますか。男女がバランスよく登場していますか。

留意点2 男女を固定的なイメージで描いていませんか。多様なタイプの男女が描かれていますか?

留意点3 男女に、主従、上下、強弱の関係があるように描いていませんか。

留意点4 男女で異なる表現、いずれかに特有表現をしていませんか。

ポスターなどでタレント等を起用する場合人物の起用は、伝えたい内容に会うものですか。

ポスターデザインなど、業者委託している場合、この手引きの趣旨説明していますか。

最終段階の確認

女性から見ても、男性から見ても、違和感、疎外感のない表現になっていますか?

伝えたい内容が、誰から見てもわかりやす広報になっていますか?

内容が印象深く伝わる、共感が得られる内容になっていますか?

以上、手引きから引用

男女参画局への質問

1.この手引きはまだ有効なのでしょうか?

ネット上に無効だというデマが流れています

2003年平成15年)に発行し地方自治体に配布されました。現在でも内容は有効です。

違反かどうかという尺度で用いるのではなく、公的広報として、表現上の留意点として、考えていただきたい。

2. 現在ホームページ上に掲載していないのはなぜでしょうか。

この手引きを配布した当時は、ジェンダー固定化したイメージなど、共感が得られない表象が溢れていたが、現在は、公的広報でそのような内容が少なくなってきたこから、広く社会にこの手引きの留意点が常識として受け入れられてきたと考えているのであえてホームページには掲載していない。手引きの効力としては、まだ有効であり、今後も新しいガイドラインや手引きを作成する計画はない。

同時に、男女共同参画局が、公的広報や教材、民間でも使用可能イラスト無料提供しています

男女共同参画に関するフリーイラスト素材の使用について | 内閣府男女共同参画局

男女共同参画に関するフリーイラスト素材の使用について | 内閣府男女共同参画局

www.gender.go.jp

また、男女共同参画局として、性別による思い込みアンコンシャス・バイアス)に関する調査研究に力を入れ、情報提供しています

令和3年度 性別による無意識思い込みアンコンシャス・バイアス)に関する調査研究 | 内閣府男女共同参画局

令和3年度 性別による無意識思い込みアンコンシャス・バイアス)に関する調査研究 | 内閣府男女共...

www.gender.go.jp

小中学生用の教材として、ジェンダー平等に関する副教材豊富に用意しているので広く活用できそう。

男女共同参画テーマとした副教材 | 内閣府男女共同参画局

男女共同参画テーマとした副教材 | 内閣府男女共同参画局

www.gender.go.jp

考察 ゾーニングレイプカルチャーピラミッド

公的表象として留意すべき今回気になる点①

女性をむやみに”アイキャッチャー”にしていないか女性を飾りものとして使っていないか。目を引くためや親しみやすさのために、内容とは関係なく、女性の姿や身体の一部をポスターなどで使う場合があるが、伝えるべき内容が十分に反映されたとは言えない》

公的表象として留意すべき今回気になる点②

ジェンダーバランスは保たれているか広報の内容が男女双方に関わる場合、登場するジェンダーバランス配慮し、偏らない心がけが必要。好みや行動は人それぞれ、固定的な個別イメージだけで表現せず、多様な現実を反映させ、幅広いイメージ表現必要。》

公的表象として留意すべき今回気になる点③

女性から見ても男性から見ても、違和感、疎外感のない表現になっているか

伝えたい内容が誰から見てもわかりやすいか共感が得られる内容になっているか?》

公的表象として違和感共感が得られないという声は、掲載した側が真摯に受け止めて欲しい。

話題になった公的ポスターがこの手引きに照らし合わせて制作されたのかは、現在取材中です。

今回の温泉ポスター表象について、5年間、問題に気づかれることがなかったが、内容を倫理的観点から考えても、子育て中の母親としても、この温泉では、中高生性的視線で見るのではという怖さを感じました。

表現の自由を守り、かつ、子ども女性尊厳権利を守るために、ゾーニングを行うことが解決につながるのではないでしょうか。

レイプカルチャーピラミッドからゾーニング必要性を感じます

幼児小中高校生生活圏すべてで性的に見る大人たちから狙われています子どもケアにあたる Permalink | 記事への反応(1) | 11:31

2021-11-14

anond:20211114152319

配管自体従属的な分野だから仕方ないね

一本で食っていけるのは水道管くらいじゃね。

2021-09-30

キズナアイも宇崎花も高海千歌人格あったよね?

人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?

『宇崎ちゃんは遊びたい!』の主人公である宇崎花も、『ラブライブ!サンシャイン』の主人公である高海千歌も、どっちも人格があるように描かれてたじゃん! 作品中で豊かな感情表現しまくってたじゃん!

キズナアイとか戸定梨香とか、VTuberなんだからめっちゃ人格あるじゃん! 「中の人」の自己表現のものじゃん!

『ストライクウィッチーズ』の宮藤芳佳も、『ハイスクール・フリート』の岬明乃と知名もえかも、めちゃめちゃ人格あるように描かれてただろ! スト魔女劇場版の「だから何なの!?」は彼女がただの従属的な客体なんかじゃないことを示した名シーンだし、はいふり劇場版ではもかちゃん武装組織上層部手玉に取る能動的な主体として描かれてただろ!

ジェンダー多様性がどうこう言うなら、イケメンを描いた「公的ポスターもいっぱいあるだろ! Mマスとかとうらぶとか!(anond:20210929114403; anond:20210927203725

彼女たちの人格を、人間らしさを、一番認めてないのはフェミニストどもじゃないか。恥を知れよ。

2021-09-14

anond:20210914100920

ニュースを見てる程度の知識あったら小選挙区制問題や党に従属的じゃない議員に対する刺客人気投票知名度投票になった現状の選挙制度問題点くらい理解出来てるだろ。

出来てないんか、ならまともな知能がないか常識がないかのどっちかだな。

2021-09-12

時代遅れフェミニスト議連老害キモい

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

時代遅れフェミニスト議連老害キモい

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

フェミニスト議連かい時代遅れフェミニストたち

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

2021-09-10

anond:20210910100424

ワイは安倍前総理の糞ださ英語スピーチ聞いてても恥ずかしくなった。

英語が堪能でも普通自国言葉スピーチするのに、英語使うなんて「従属的」だろ、しか英語ど下手とか勘弁してほしいわ。

そういう点で民主自民も違いはないと思うぞ、安倍前総理は靴舐め献金してるから丁重おもてなしされてるだけで、実態は変わらんだろ。

2021-04-22

ウオッカ凄さはダスカ抜きで成立するのに対しダスカはあくまで「ウオッカライバル」という従属的存在しかない」  は???

izawayuki ウオスカ日本競馬史上最高の牝馬ライバルではあるが、ウオッカ凄さはダスカ抜きで成立するのに対しダスカはあくまで「ウオッカライバル」という従属的存在しかない、ということははっきり指摘しておこう。

しろあの桜花賞秋華賞タイミングではダイワスカーレット強すぎでウオッカの方が完全に負けてただろ。

あれ天皇賞春においてテイオーがマックイーンに全く追いつけなかったのと同じくらい実力差あったぞ。

ポキオンタイマーさえなければこんなアホみたいなこと言われずに済んだのに。

ただ、実際ほんとに当時はウオッカばかり取り上げててたよな。牡馬中心に語りすぎなんだよな。牝馬を下に見てた。

まじでサトノレイナス頑張れ

2020-12-28

続 肉を食っても(倫理的に)かまへんやんか

anond:20201228215958

限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならないを削除する

 ホッブスの言う「自然状態」を考えよう。これは自分他人倫理的な制約に縛られない状態で、誰を殺そうが誰に殺されようが文句は言えないという社会である。こんな状態では暮らしていくことが出来ないので、人々は「契約」を結んでお互いを拘束し合う。人々は「契約」によって自分自由に行動する権利を一部放棄してお互いの権利尊重あい権利を守り合うための制度規則を共同で守ることにする。もちろん、このような「自然状態」と「契約」が本当にあったのか?という疑問はもっともなものなのだが、それはまた大きな話になるので、ここではとりあえず人々は何らかの「契約」をしたという立場から動物権利を考えていくことにする。

 さて、このような「契約」を結ぶためには、例えば自分権利認識したり、その権利放棄/移譲したり、約束責任持って守ったりなど、それなりの程度の能力(以下では契約能力と呼ぶ)が必要になる。大型類人猿などの研究が進み、それらがかなりの認知能力を有していることは確認されつつあるが、それでも上記のような契約能力を持っているとは言えないだろうし、ましてや牛や豚や鳥に契約能力を認める人はいないだろう。したがって、人間動物との関係はいまだ「自然状態」であり、お互いを好きに殺して食べて良い関係だということになる。もちろん、「自然状態」だからといって牛や豚や鳥が人間を襲ってくるわけではないが、それは動物たちが「契約」を尊重しているからではない。

 一方で、人間契約能力があるといっても、その大きさは各人で異なるのは確かである。私のような凡人と、高潔思慮深い偉人との間には契約能力に差があるはずであり、それでは我々が動物を好きにできるように、偉人は凡人である我々を好きにできるとも考えられる。この問題解決するために、範囲性質(range property)という概念を導入する。これは、ある最小限の契約能力を有していれば、その差は考えずに同じだけの権利が認められるという考え方である。ここでいう最小限の契約能力がどのようなものかは議論があるだろうが、リバタリアンである私としては、「"個々人が別々に存在し、自分人生自分責任で辿る"ということを認め、お互いの権利判断尊重し合う」能力としたい。この能力から、お互いの権利尊重すること、そのために自分自由の一部を放棄することなどが直接的に導かれる。また、個々人が別々に存在してお互いの権利判断尊重することから、そのような最低限の能力を有していればその差を考えずに同じだけの権利が認められるという範囲性質も満たすことができる。

 しかし先にも書いたように、最低限の契約能力(それがどのようなものであれ)を持った人間けがお互いの権利尊重し合うという主張からは、上記のような最低限の契約能力を持たない限界事例の人たち(例えば乳児、重度痴呆症、ある種の知的障害者など)の権利制限しても良いという主張が直接的に導かれてしまう。この問に、私は「そのとおりである」と答えたい。

限界事例の人たちと動物たちをどのように扱うべきか

 ここでは、限界事例の人たちから将来に契約能力を有すると見込むことができる相手(例えば子供)とできない相手(例えば重度の痴呆症、ある種の知的障害者動物)とを区別する。

 将来に契約能力を有すると見込まれ相手に対しては、相手契約能力を有した将来のある時点から現在を見たときに、その権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ権利制限することができる。これは別に現在日本でもおかしな話ではなく、例えば20歳になるまで飲酒喫煙禁止されているし、18歳になるまで選挙権は無い。端的に言えば、嫌がる子供を押さえつけて歯を磨くことは許されても、レイプすることは許されないということである。このため、子供についてはたとえその子供が契約能力を有する人間大人)が保護していないとしても子供本人に権利があり、契約能力を有する人間と同様の制限なしに殺したり人体実験に供したりすることは倫理的に許されない。

 一方、将来に契約能力を有すると見込めない相手については、その相手保護する契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的権利しか有しないとするのが妥当だろう。つまり、本人の同意ではなく保護者の同意によって本人の"扱い"を決めてよいということである。この"扱い"には子供とは違い、「その権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ」という制限は無い。なぜなら、その判断をする将来が存在しないかである。したがってもちろん、殺して食べるという扱いでも構わないことになる。しかしながら、どんな動物も誰もが自由に殺すことができるわけではない。"被保護者"としての権利は有している以上、自由に扱ってよいのは"保護者"が居ない相手だけである。牛や豚や鳥を食べて良いと言っても、他人保護している(ペットとして飼っている)動物保護者の意見無視して食べることは出来ない。また"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的義務がある。もし、限界事例の人たちや動物たちが殺されそうになったなら、契約能力を有する人間福祉団体なども含む)は誰でも、以後は自分責任を持って保護すると約束して必要なら金銭的な保証なども含めて以前の保護者と合意することで、殺すことを止めることができる。(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである

まとめ

倫理判断普遍可能である

遺伝差異自体差別をする理由にはならない

動物人間と同じように苦しむ

認知能力契約能力等、動物人間区別する道徳的重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)

限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない

これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける

ことを認めた上で、⑤を削除して肉食を擁護した。

 限界事例の人たちや動物から、将来契約能力を有すると見込まれ子供とそれ以外を区別した。前者はその子ども自身契約能力を有するようになった将来において権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲判断するだろうと見込める範囲)でのみ権利制限が許されるとし、後者契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的権利しか有しないとした。ただし、"被保護者"としての権利しかさないとしても保護者が自由に扱えるわけではない。"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的義務があり、(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである

 最後に、この結論を受け入れた社会がどうなるかを現在との比較から想像してみたい。子供については、現在と変わらないことは説明した。それ以外の限界事例の人たちについては、現在広く受け入れられている「人権」よりも若干制限されることになる。しかし、実質的には扱いは変わらないだろう。現在でも彼らの扱いは最終的には保護者の意思で決められる。上記のような社会で誰も保護しようとしない限界事例の人たちが殺されたとしても、現在でも誰も保護しようとしない限界事例の人たちは死んでいるので同じである上記のような社会では限界事例の人たちが捨てられることになり問題だと言う人が多いならば、その人達積極的保護するだろうし、少なくとも福祉団体寄付をするだろう。介護疲れから無理心中が起こっているような現在に比べて、福祉団体に大きな人的・金銭支援がなされる社会は、現在よりも限界事例の人たちにとって生きやす社会と言える。


 以上、倫理的観点から肉食を擁護した。この結論について、私を差別主義者であり倫理的に許されないと批判したい方々はもちろん居るだろう。ただし、もしあなたが肉を食べているなら、私を差別主義者と批判しながら肉を食べることについて、その判断をどう倫理的に許容しているのか一度考えてみてほしい。

2020-12-27

anond:20201227194507

>なんでご主人と呼ばれただけで家父長制だの従属的だのキレるかって、図星からだろ

マジでそれだからやめたれ

4月中旬からずっと仕事休んでて、昨日で有給もなくなり、6/19付で退職した。ついに無職

実は同じ🏥で働く夫も辞めることになった。でも夫は次の職場決まっていて、夫婦無職回避

夫は私が改姓後の一連の出来事をずっとそばで見ていて、特に部長嫌がらせに腹を立てていた。夫はその前から転職

https://twitter.com/kykn_disk/status/1274342741191716866


先月でついに失業給付最後で、無収入になった。

本格的に無職感?出てきたな。

今後働かないとお金は使ったら使った分だけ減るもんな(当たり前)

やっぱ働かないとなぁ。でもそんな時に限って応募したいと思う求人1つもなかったり…

https://twitter.com/kykn_disk/status/1341260908803158017

旦那といる時に「ご主人」て呼ばれても気にならないな

相手敬語記号的な使い方で呼んでるだけなのはわかるし

自分たちは対等だとわかっているか

奥様という呼び方にもキレる人いるけどじゃあなんて呼ぶんだよ

どうせ「配偶者様」て呼ばれたら、男女2人でいるだけで夫婦だと思い込むなんてと言うだろ

友達かもしれない、恋人かもしれない、戸籍夫婦じゃないとか

君らはそういう人種

パートナーならいいのか?繊細すぎる

なんでお気持ちまで尊重して接客しないといけないんだよ

「ご主人に許可いただいてきてください(^ ^)」とか言われてキレるならまだわかるが

許可もらわなくても買えるわい!的な

なんでご主人と呼ばれただけで家父長制だの従属的だのキレるかって、図星からだろ

自分たちが対等だと理解していれば他人から呼び方なんて気にならないよ

従属するしかない自分が嫌っていうコンプレックスが元々あるから他人から言葉なんて気になるんだよ

だいたい同姓や主人呼びくらいで従属的ってどんだけ自我ないんだよ

揺らぎすぎだろ

趣味を持て、趣味

2020-12-15

anond:20201215135409

優秀かどうかなんて話してないぞ、強いて言うなら従属的かどうかだぞ。

お前みたいな日本語すら理解できないゴミカスが多くいることから日本人が優秀ではないことは明らかだぞ。

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