はてなキーワード: 建築学とは
歴史的城郭の居住性を検証するにあたり、まず注目すべきは建築様式の根本的な差異である。
日本城郭の特徴的な天守構造は防衛機能と居住空間の調和を追求した結果であり、姫路城の事例では現代的な居住要件を満たす設備が確認される。
対照的に中世ヨーロッパ城郭は軍事要塞としての性格が強く、初期の居住環境は極めて厳しい条件を強いられた。
中国における城壁都市「城中村」の事例では、歴史的遺構と現代的生活環境の融合が課題となっている。
姫路城の事例が示すように、近世日本の城郭建築には驚異的な居住性向上の工夫が凝らされている。
現存天守の調査によれば、1階と2階に50畳規模の大広間を配置し、採光には高窓を採用するなど、現代建築にも通じる合理性が認められる。
特筆すべきは水回り設備で、地下に9ヶ所の厠(トイレ)を配置し、中庭に独立した台所を設けるなど、衛生面への配慮が戦国時代の技術水準を凌駕している。
犬山城周辺の城下町ではグルメスポットが密集し、彦根城では「ひこにゃん」を中心とした観光インフラが整備されるなど、現代的な生活利便性と歴史的景観の調和が達成されている。
江戸城の事例では、都市計画に基づくインフラ整備が「住環境部門1位」の評価につながり、城跡を中心とした都心開発の成功事例となっている。
中世ヨーロッパ城郭の初期形態は実用性よりも防衛機能を優先した構造であった。
ドイツの古城改装事例では、600平方メートルの居住空間に現代的なリフォームを施す過程で、冬季の極寒(室温8℃)や夏季の高温(40℃)といった物理的制約が明らかになった。
フランス・リヨンの事例では、歴史的城郭を活用した都市開発が進み、公共交通機関と美食文化の融合が居住環境の質的向上に寄与している。
建築技術の進化に伴い、ノイシュヴァンシュタイン城のような19世紀の城郭では暖房設備や採光技術が改善された。
ウィーン市の事例が示すように、歴史的建造物の保存と現代的生活インフラの整備を両立させる都市計画手法は、ヨーロッパ全域で模範とされている。
ただし、中世城郭の構造的制約を完全に克服するには至っておらず、歴史的価値と居住快適性のバランスが継続的な課題となっている。
中国・鄭州市の「城中村」研究が明らかにしたように、歴史的城壁内の居住区画では交通利便性とコミュニティ維持が両立する独特の生活様式が発達している。
上海の都市開発事例では、日本式マンション管理手法が導入され、教育機関や医療施設の充実が居住環境評価を押し上げている。
この傾向は丸亀市の事例とも共通し、城下町の歴史的景観を保全しつつ、子育て支援策や災害対策を強化する「持続可能な城郭都市」モデルが形成されつつある。
城郭の居住性を評価する際には、建築学的特性と社会経済的要因を統合的に検証する必要がある。
姫路城のケースでは、防衛設備(隠し部屋・多重門)が現代のセキュリティ基準を先取りする機能を有し、「設備部門1位」の評価を得ている。
これに対し、カルカソンヌ城(フランス)やホーエンツォレルン城(ドイツ)は観光資源化に成功したものの、歴史的構造物の改修制限が居住機能の向上を阻害している。
経済的持続性の観点では、松江城(島根県)の事例が示唆的である。
現存天守を核とした観光振興が地域経済を活性化し、結果的に周辺不動産価値の上昇をもたらした。
この現象はモンサンミッシェル城(フランス)の事例と相似しており、文化遺産の保全と経済的便益の両立が居住環境改善の原動力となっている。
日本城郭の気候適応技術は世界の建築史において特筆すべき成果である。
犬山城の「後堅固」構造は断熱効果と通風を両立させ、夏季の快適性を確保する。
彦根城の事例では琵琶湖の微気候を巧みに利用し、防御機能と居住快適性の統合を達成している。
ドイツ古城の居住体験記録によれば、暖炉1基で広大な広間を暖房する非効率性が指摘され、居住者の健康リスク要因となっていた。
現代のリフォーム事例では断熱材の導入や床暖房の設置が進むものの、歴史的建造物の改修規制が技術導入の障壁となっている[5]。
歴史的城郭の現代的な活用事例が示すように、居住性向上の取り組みは世界的な潮流となりつつある。
ウィーン市の事例では、歴史的城郭を包含した都市計画が「世界で最も住みやすい都市」評価につながり、文化遺産と現代的生活の融合モデルを提示している。
中国・厦門市の事例では、城壁遺構を活用したエコタウン開発が進み、伝統的建築様式とスマートシティ技術の統合が試みられている。
日本における最新の動向では、丸亀城の城下町再生プロジェクトが注目を集める。
地元産食材を活用した学校給食制度と伝統的町家の改修を組み合わせた施策は、歴史的景観の保全と子育て環境の改善を同時に実現している。
このような多角的アプローチは、城郭を核とした持続可能な都市開発の新たな可能性を示唆している。
総合的検証の結果、現代基準で最も居住性に優れた城郭は日本の姫路城と結論付けられる。
その根拠として、
(3)防衛設備が現代セキュリティ要件を先取りしている点が挙げられる。
ヨーロッパの城郭は歴史的浪漫に優れるものの、構造的制約から居住性改善に限界がある。
中国の城郭都市は急速な近代化の中で新たな可能性を秘めるものの、歴史遺産と現代インフラの調和が未完である。
今後の課題としては、城郭建築の歴史的価値と現代的生活要件の統合手法の確立が挙げられる。
日本とヨーロッパの事例を比較研究し、気候適応技術や防災システムの知見交換を進めることで、歴史的建造物を活かした持続可能な居住モデルの構築が期待される。
最近、うまい絵が流れてくるとAIじゃないか、必死に破綻を探すのが習慣になってるんだよねえ。
そのときだいたい着目するのが背景の物理的、建築学的な破綻なわけで。
(昔は手の破綻とかで簡単に見分けがついたが、最近のはプロンプトエンジニアリングの発展かなんかでほとんど見分けがつかなくなってきた)
生成AIが出始めたときは背景とか塗りとか、自分の苦手な部分を補完するツールとして使えないかと考えてたけど、そういう目で見られることを考えると、中途半端にAIを活用すると逆に自分の絵の価値を毀損するんじゃないかと思えてきた。
というか、既にトータルのクオリティでAIに抜かされているわけで、もはやクオリティを高めることにすら価値があるのかよくわからなくなってきた。
自己満足?
まぁ、そういうことだよねぇ。。
高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。
都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。
青高は東京メトロ銀座線の外苑前駅の近くにあって、ヤクルトの本拠地の神宮球場の目の前の高校。
高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)
国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校だから(物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。
まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。
僕は大江戸線の国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場の敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。
あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)
立地はこんな感じ。
次にイベントについて書いていく。
確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。
応援団をやる人は2、3週間くらい応援団の練習をするんだけど、練習場所が代々木公園だった。
定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。
外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、
インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、
表参道を歩いたりとか、原宿の竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。
今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。
11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑の絵画館」前のちょっとした広場的な場所で練習をしてた。
正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。
文化レベルって観点では、絵画館の建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館と銀杏並木の風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。
イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。
個人的には、学校に自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。
あと僕は部活やってたからバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人な世界を垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。
僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生の場合、都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。
まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。
お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿の古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。
あとはまぁ、今はもうない明治公園でフリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。
もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?
高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、
大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。
まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端な文化に触れられるのじゃないかな?
僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身で電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。
僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプの携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオのTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、
住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。
「三大~」「教えて系」「ネタがすぎるやつ」「挙げてけ系」「政治」みたいなのは除外
抜けてるNoは削除されてた投稿
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ざっとWikipediaで検索して、記事が存在してなおかつ出身大学の記載があるものをまとめただけなので、なんならこの20倍はいる
これだけいても「高学歴芸人」といえばロザン宇治原なのだからファーストペンギンは偉大とわかる
高学歴「ばっか」は嘘だな。
飯田エリ子 文化女子大学短期大学部生活造形学科
田下聖児 名城大
中田清秀 中卒
二ノ宮耕一 高卒
都沢和子 昭和女子大学短期大学部英米文学科
海外では学部生の授業に組み込まれてる常識的な内容を、日本では一部の教授だけがやっと原書輸入して研究してるなんて分野もある。
建築学部のいわゆる「断熱気密」の話だけど。
欧米には建築物理とか建築科学っていう基礎研究の分野があって、断熱による熱の移動とか湿度の移動とかを物理学者が解析して体系化してるけど、日本にはまずそのポジションがない。
あくまで建築学科で「建築工学(温熱も構造もいっしょくた)」の一部で細々と欧米の成果を勉強してる人がいるだけ。
世間はどうも、「大学がレベル低い」ってことを学生の学力低下くらいにしか思ってないみたいだけど、最先端の分野に専門的に取り組むポジションがない、その育成コースがない、教科書すら翻訳されてない。そんな分野が普通にある。まるで明治とか幕末時代にでも戻ったかのよう。
大学って「これを研究してリードするポジションが必要だ」って上の判断がなければ、こんな空洞化が普通に起こっちゃうってことを日本人の大半は知らない。
投稿者さんのように、早い段階で業界を去っていく人が多いのは残念ですが理解は出来ます。
建築設計をしたい人がゼネコンに入社してはいけません。ゼネコンは建設業です。
ゼネコンの設計部も有りますが、アレは設計施工するための部門。オマケと思って下さい。
ゼネコンは給料が良いし、企業規模も大きいので就職の際によく見えます。しかし建築設計を
したい人が欲しい訳では有りません。建築学科の学生としてゼネコンが求める人材は
『現場管理(現場監督)』です。設計の現場監理ではありません。
建築設計は仕事として、一人前になるまではしんどいです。しかし大分やりがいが有る部類だと思います。
まずは一級建築士を取得しましょう。その後は、転職の選択肢は幅広いですよ。
もうしんどいのはイヤな場合、役所に逃げ込む人もたくさん居ます。
ゼネコンに高給で転職も出来ますし、インフラ業界でもそこそこ求人有ります。
一級建築士が取れない人は知りませんw
もう30手前になるんだけど、就職関係の話を見るたびに俺の選択はどうだったんだろうと思うから書き下す。
ガキの頃から建築が好きで、通学路に新築の一軒家が建とうとしている現場があれば眺めていたり
当時は劇的ビフォーアフターが流行っていたのもあって小学生の頃から「一級建築士になる」
ことを将来の夢にしていた。ちょうど、中学の頃に叔母が新築を建てる際に建築家の先生に依頼することになり
仕事の様子をよく見せてもらっていた。また施工中の現場もよく見に行っていた。
この段階では将来はこの仕事をして飯を食うことになんの疑問も抱いていなかった。
まず、一級建築士を取るためにはその前の二級建築士を取らないといけないため、高専の建築科を卒業するのが最短ルートだった。
幸い、地元に高専もあったのでそのまま卒業し、地元ではないが県内の有名なゼネコンに入社することにした。
今思うと最初からどこか個人か組織系の設計事務所に行けばよかったが、そこのゼネコンは医者等の高所得者向けの注文住宅のシェアが非常に高かったのでいろんなことが出来そうというのが理由だった。
まあ入社して最初から希望配属ではなく、定型的に公共建築やショッピングセンター等の不特定多数が使用する施設or大規模建築の部署の現場監督のほうに回されて
現場を見てきてね!ってことになった(ここに関しては文句はない、現場を知らずに設計すると大体あとからツッコミが入るのはどこの業界でも共通だと思っている)。
現場は楽しかった。何もない所を重機で整備して、図面をもとに指示出しをして・・・などなど、大変なりに現場の職人達とコミュニケーションを取りつつ仕事をすることと
だけども、監督業というのは当然ながら現場を監督する役割のため、朝は誰よりも早く現場に来て鍵を開ける。パトロールをする。書類関係(役所に申請するものも非常に多い)。
工事写真を撮る、職人からの質問や要望に応じる等、朝から晩まで動き回るし、図面をみてアレコレ指示出しもするし身体も頭も結構使う仕事。
特に明日の準備なんて今日の現場が終わって職人が帰ってからじゃないと出来ない。
あと、工期の短縮=コスト削減のため土曜日は基本的に出勤(最近になって完全週休二日制の現場が増えてきたよね。職人からは不評だそうだけど)です。
施工に関しては施工要領書があり、当然それを満たすように作る必要がある。
そしてそれを確認するために工事写真を撮って、ちゃんとやってますよという証拠にする。
ただ、全箇所撮るのは人が足りなくて無理だったりするので写真を撮ったところ以外はテキトーだったり…。
コンクリートの養生後の圧縮強度が規定未満だったり、エトセトラ。
昨年話題になった大成の札幌の精度不良の件、あんなの表沙汰になっただけで偉いよマジで。
当然、監督業とはいえ1年目のペーペー、当然、現場代理人というこの世の神みたいな扱いの最高司令官が上司にいます。
基本その人から仕事をもらうというか、指示があって動くので上司次第で現場は変わります。
上司より早く出勤し掃除して上司より遅く帰るのが絶対。いつの時代?
割と学生時代からチクり魔で(嫌な奴)、これ以外にも沢山問題点はあったので都度会社にこれっておかしくない?
って相談しましたがいやいやそんなもんだよ。スタンダードだよってあしらわれて終わりでした。
まあ残業代も出なければ週休二日制ですって労働条件なのに毎週土曜日出勤して振替休日もなく
好きで選んだ仕事、自分で選んだ会社、こんなもんか~って思っていましたがあまりにも無理すぎて大体半年で体重が15kg落ち病んでその半年後に退職しました。
退職する時もモメにモメて散々暴言も吐かれたしコーヒーカップを投げつけられる(一応平成と令和の境目くらいの話です)なんてこともありましたが無事退職&転職しました。
さて、無事に退職出来たら段々と会社に対してムカついてきたので労基に行き申し立てをしました。
残業代未払いその他の労働基準法違反が疑われることに関して告発を行いました。
結果から言うと残業代は払われましたが、立ち入り検査があったとか、是正勧告があったとかは聞いていないです。
でも泣き寝入りせずに告発したことで、お金と残業代を払っていなかったことを認める書面を手に入れたので
それをもって母校に行き「今後かわいい後輩たちをこんな会社に入れないでくれ。就職斡旋するな」と言いました。
これは受け入れられたようで後輩たちが入ったという話は聞いていないです。被害者が増えなくて良かった。
ダメ元でも不正に関して窓口があるならとりあえず行くべきだと思います。
そしてニート期間を挟まず再就職をしました。子供の頃からの夢はここで終わり、縁もゆかりもない地方の縁もゆかりもない職種に就くことにしました。
別会社の同じような職種やそれこそ設計職に就けばよかったかもしれませんが、業界に対して絶望していたので全然違う職にしました。
転職後はマテハン業界に入りました。全然畑は違うものの、もともと趣味でバイクに乗ってイジっていたこともあり
工具はわかるし、建築を専攻していたので図面もなんとなく読める(公差は未だにわからない)。
PLCも元々興味はあったので軽く勉強して少し修正するくらいならできるようになったり、
最近は文系職種から「手に職つけたい」とこの業界に来て右も左もわからない状態で辞めていく人間も少なくないので
最初からある程度なんとかなると踏めば知らない業界でも飛び込んで努力すればいいと思う。
盆やら正月やら帰省して、たまに同級生と会って飲んで近況報告をすると驚きの事態が起こっていました。
「建築科卒業同期約30名のうち、約1/3は建築・建設業界を辞めている」
最初から建築業界を選んでいない人間も確かにいます(女子とか、テキトーな地元の携帯ショップとかに就職してそのまま結婚したやつ)。
少なくとも27人ほどは何かしらの建築・建設業(ゼネコン、サブコン、役所、設計事務所、大学出てコンサル等の建築にかかわりのある仕事)をしていました。
早い人間でやはり1年ほどで辞める(俺)か3年ほどで辞めるパターンが聞いてみると多い。
話を聞いた当時社会人5年目、同期で建設業に残っていた人間はなんと「8人」だけでした。
・建設業に残っている奴
自身の事を建築の奴隷だと自称して設計事務所に就職後、大学に戻って学び直している奴。
上司から怒られていてもプロテインシェイカーを振るくらい神経が図太い奴。
・辞めた奴
ゼネコン入社後1年でパワハラを苦に飛び降り自殺をした奴(幸い助かっている)。
会社で被災し(労災案件)、もみ消されて大暴れしクビになった奴(ニュースにもなってない。地方のデカい会社は怖いね)。
病んだ奴多数
それ以外にも業界はそのままだけど転職を繰り返している奴、休職中の奴、転職を考えている奴とかはいる。
地方で就職した連中だけでなく首都圏で就職した人間も同じ悩みを抱えている。
会社に対して何か指摘しても会社側は「好き・憧れてこの業界に入ったのに何言ってんの?」ってスタンス。
ただ当然、最近は世間の目があるのでデカい会社から変わりつつあるそうだが…根本的には変わらないだろうのが同級生たちとの共通認識。
建設業の人間はどこの会社も奴隷労働、お金が出るかどうかは会社次第。
ワーカホリックが生き残っている。寝ても覚めても建築一辺倒の人間かONOFFのスイッチがかなり明確な人間。
好きなことをして稼げているならいいじゃんって話ではなく、必要な労働をした結果の対価を求めているだけなんだけどな。
現在、就職活動をしている人たちは社内の事情や業界についてはよくわからないはずので
実際にその会社に就職している先輩に聞く、ネットで情報を集める(バイアスがキツいと思うけど)は当然必須。
ただ本当に覚悟してほしいのは、まだまだ昭和体質が抜けていない時代錯誤な業界だということ。そしてそれは地方に行けば行くほど
目も当てられないくらいヒドいということ。
ちなみに転職後、都内で某オレンジ色の●林組と1年ほど仕事をしたときに思ったのは
タブレットを使っているとか電子化・スマート化が進んでいるだけで書類関係やらは却って数は多いし品質面はうるさいし
現場事務所が24時間灯りがついている(と警備が言ってた)らしいからあんまり変わらないかもね。
最終的に就職に関しては他の皆は応援するだけで責任は自分で取るしかないから。
なるべく良いところを探して就職できるように頑張ってください。
そしてもしそこでダメだと思ってもなるべく悲観せずに転職してください。
飛び降りるような真似はやめてね。
自分語りのほうが長くなったけど以上です。
業界の先輩が書かれていましたが「楽しい」のは確かにそうです。現場も楽しかったこと、良い思い出は沢山ありました。
ネガティブ面ばかり書いてしまいましたけどね。これもモノづくりの一端なので好きな人はハマるとおもいます。
設計志望でもいざやってみたら現場もいいな!って思ったくらいなので。
でも、好きでもこれは許せないって出来事が積み重なり、ラインを超えたら…。
あとキャリア形成間違えたんじゃないって話。確かに。大学院までいけばもっとやりたいことも出来たよなあ。
自分のキャリアが高専卒というマイナーな存在なので参考になるのか?と言われれば微妙なところですが
就活生には少しでも自分に合った会社を見つけてほしいと願うばかりです。
仁和寺行ったら建築学生ワークショップ https://ws.aaf.ac/ ってイベントやってて、あちこちに作品が置かれていた。
その中に、赤く塗った木の棒をたくさん組み上げて作った2メートルくらいの作品があって、それが、風で倒れた。
倒れる前は見てないんだけど、悲鳴が聞こえて崩れる音がして、行ってみたら倒れていた。周囲に何人も人がいて、全然知らない同士が口を揃えて風で倒れたって言ってたから多分そうなんだと思う。
そんな強風でもなかった。すぐ近くにいてそんなに感じなかった程度。
倒れた後を見たら足元が短いネジでいくつか止めてあるだけで、まあ数日の展示ならこんなもんなんだろうけど、後で建築系の知り合いに見せたらそりゃ倒れるって怒ってた。
すぐそばを親子連れが歩いてて、うまく逃げられたようで子供は無傷、お母さんがちょっと擦り傷したくらい。
怪我人いなくて何よりだった。
でも、タイミング悪かったら大怪我した人出てもおかしくなかったと思う。
そのうちお寺の人っぽいおじさんが来てくれて、運営の方に話はいったみたいだった。
それが一昨日の話。
関係者のTwitterのアカウントとか、HPとかに何かお知らせ載るかなって思って検索したりしてた。
素晴らしいワークショップでしたって感動のツイートくらいしかない。
表に出さなくても、内部でちゃんと反省点として共有されたのだろうか。
昔、この手の学生の作品で子供が死んじゃったことあった。崩れたの見た時それを思い出した。
手元に崩れた後の写真もあるけど、NHKとかの報道タレコミに流そうかどうか迷ってる。擦り傷したお母さん、大事にしたくなさそうだったし。
でも、これちゃんと内部でだけでも検証してくれなかったら、そのうち大きな事故になるんじゃないかって気がする。
来年再来年あたりにそんなニュース見るのはやだなあと思うけど、騒ぐのもやりすぎかもって気もする。
記録をとりあえず増田に置いておこうと思う。
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_01102/
これだよ、これの3班のさとる。自分の写真見直したら、赤いのは端だけだった。
優秀賞とってる。事故のことは何も書いてない。
中に入って体感するやつだった。それが風で倒れたんだよ。よく人が入ってなかったよ。
サービス | 金額 |
科博 友の会 | 5,500円 |
科博 賛助会個人ブロンズ | 10,000円 |
コストコ | 4,840円 |
アマゾンプライム | 4,900円 |
ネットフリックス | 11,880円 |
YouTube プレミアム | 11,800円 |
Komiflo | 12,936円 |
ファンダフル・ディズニー | 5,940円 |
読売ジャイアンツ公式ファンクラブ | 4,400円 |
REX CLUB 浦和レッドダイヤモンズ | 3,500円 |
Mr.Childrenオフィシャルファンクラブ | 3,300円 |
JAF | 6,000円 |
日本アイソトープ協会 | 4,000円 |
日本統計学会 | 8,000円 |
錯体化学会 | 8,500円 |
日本機械学会 | 9,600円 |
日本塑性加工学会 | 10,000円 |
日本ロボット学会 | 10,000円 |
電気学会 | 10,000円 |
電気設備学会 | 10,000円 |
応用物理学会 | 10,000円 |
情報処理学会 | 10,800円 |
日本顕微鏡学会 | 11,000円 |
高分子学会 | 11,000円 |
計測自動制御学会 | 11,000円 |
日本動物学会会 | 11,800円 |
日本建築学会 | 12,000円 |
精密工学会 | 12,000円 |
土木学会 | 12,000円 |
日本物理学会 | 12,000円 |
電子情報通信学会 | 13,000円 |
日本アレルギー学会 | 15,000円 |
日本天文学会 | 16,000円 |
10年くらい前、法学部を卒業し「学士(法学)(Bachelor of Law)」を得た。2年間の休学を挟んだので6年かかった。
修学自体は極めて順調だったので3年次までにほぼ単位は取り終えた。就活だるいし逃げるか〜人生の夏休みって今っしょ?とカジュアルに休学して遊び呆けたら2年経っていた。休学費用はタダだった。
ちなみに奨学金(学生支援機構)は休学中は支給停止されるが復学したらちゃんと支給再開してくれる。
何年か前、働きながら放送大学を卒業し「学士(教養)(Bachelor of Arts)」を得た。学士入学(3年次編入)したので最短2年で済むのだが4年かかった。
放送大学には社会と産業コース、情報コースなど現在6つのコースがあるが、すべて教養学部所属で学士(教養)だ。全コースを卒業すると「名誉学生」として表彰される制度がある。特典は改悪されショボい。
現在の放送大学は単位認定試験が会場でのリアル受験からWeb受験に切り替わったため格段に社会人に優しくなった(リアル受験も可能)。コロナ情勢に左右される一時的なものではなく恒常的な変更だ。オススメ。
ちなみに奨学金は社会人学生(科目履修生や聴講生ではない正科生のみ)になると返済猶予できる。返済総額は変わらない単なる先送りだが、手元の現金は最強だし投資してもいい。以前は社会人学生を続ける限り無限に猶予できるガバ制度だっだが改悪されその時点から最長10年間のみとなった。
さてlawとartsを修めたし次はscienceと行きたかったが残念なことに通信制の理系大学は壊滅状態だ。
学士(IT総合学)、学士(情報マネジメント)、学士(経営情報学)みたいなエセ理系(超失礼)はいくつかある中で、ザ・理系感があるのは帝京大学理工学部情報科学科の「学士(工学)(Bachelor of Engineering)」が唯一の存在である。
愛知産業大学は建築学科だが造形学部所属のため学士(芸術)となる。
放送大学含め上記大学の中から理数系単位をかき集めて大学改革支援・学位授与機構で学位(理学)などを得る方法もあるがちょっとハードルが高いな。卒業さえすればいい帝京大学が無難と言える。
ところで大学に編入学する際の単位認定にはザックリ2種類ある。
・個別認定:過去の履修科目の中でカリキュラム上と同等の科目を個別に認定。「あなたは過去に"コンピュータ科学"を履修してるからうちの専門科目"情報基礎"の2単位を認定するよ」出身専攻が違うと認定数も少ない。
放送大学のような教養系の大学だと卒業要件全体で一括認定されて大卒3年次編入は62単位認定のようなスタートダッシュになる。
帝京大学のような教養科目+専門科目だと前者は一括認定されるが文系出身なら個別認定が少なく専門科目はゼロスタートのようなものだ。先は長い。自分にコンピュータサイエンスの適性があるかもわからない。
というわけで逃げを打つ。資格合格による履修免除システムだ。入学前に資格を掻き集めて負担軽減する作戦。
入学後の合格でも申請で免除なのだが単位試験と資格試験の二兎を追うより入学前の方が気楽だろう。でも履修免除すると成績表上の評価がSABCでなくN(認定)になるらしい。うーんこれは…GPA的にどうなんだ…
以下の資格に合格している場合は、履修が免除される科目があります。
ITパスポート、基本情報技術者、応用情報技術者、データベーススペシャリスト、 ネットワークスペシャリスト、ドットコムマスター(アドバンス)、CGエンジニア検定(ベーシック・エキスパート)、陸上無線技術士、電気通信主任技術者(伝送交換)、(電気通信に関する)工事担任者
試験日程の自由が利くCBT受験で基本情報、工事担任者(2級アナログ通信、2級デジタル通信)に合格。関係ないけど電気工事士2種に合格。
電通主任の4月21日申込締切を失念してしまい悔しい。難関だから科目免除できる1陸特や工事担任者総合種を先に取るのがセオリーらしいから傷は浅い。ドットコムマスター、下級の陸上無線特殊技術士もCBTなので合間を見て受験したい。今気付いたけど履修免除科目がダブってると取っても意味ない資格もあるのでは?確認していなかった…
先の話すぎて鬼が大爆笑だが、学士(工学)を取れたら次は慶應通信で学士(哲学)かどこかの美大通信で学士(芸術)にでも挑戦してみたい。
後者はBachelor of Fine Artsだから学士(教養)のBachelor of Artsと並べて収まりが良さそうくらいの理由。
前者は実は帝京を考える前の本命だった。学歴コンプはあるのでいずれ慶應で上書きしたい。所詮は通信だが。コロナ最盛期は単位認定試験が中止になりレポート代替となる単位ボーナスステージだったのだが、決心がつかず指咥えて眺めてるうちに試験形式に戻ってしまった。
単位試験は難関らしいし(全体的に不親切ともいう)卒論もある。実は今まで卒論を含め論文自体を書いたことがない。下手したら卒業に10年かかってしまう。
それで尻込みして完全な趣味よりもまだ仕事(メーカー技術職)に関連のある学士(工学)を先に選んだというわけだ。
学士ばっか集めてないで修士に挑戦しろと自分でも思うが、そもそも勉強したいが研究したいわけではない。研究テーマとか何も考えられない。与えられたカリキュラムに沿って学問を修めた気になりたいだけだ。学位や資格のような証がないと勉強にも身が入らない。自分でもその怠惰さはわかっている。
上記理由で修論にもビビりまくり。働きながらの修学もキツそうだ。夜勤もするシフト勤務だから夜間通学もできないので通信制頼りとなる。
高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。
都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。
青高は東京メトロ銀座線の外苑前駅の近くにあって、ヤクルトの本拠地の神宮球場の目の前の高校。
高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)
国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校だから(物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。
まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。
僕は大江戸線の国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場の敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。
あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)
立地はこんな感じ。
次にイベントについて書いていく。
確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。
応援団をやる人は2、3週間くらい応援団の練習をするんだけど、練習場所が代々木公園だった。
定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。
外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、
インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、
表参道を歩いたりとか、原宿の竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。
今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。
11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑の絵画館」前のちょっとした広場的な場所で練習をしてた。
正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。
文化レベルって観点では、絵画館の建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館と銀杏並木の風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。
イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。
個人的には、学校に自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。
あと僕は部活やってたからバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人な世界を垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。
僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生の場合、都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。
まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。
あと仲良かった奴が、「スイスでヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間の文化レベルたけぇなって思った。
お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿の古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。
あとはまぁ、今はもうない明治公園でフリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。
もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?
高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、
大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。
まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端な文化に触れられるのじゃないかな?
僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身で電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。
僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプの携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオのTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。