はてなキーワード: 帰宅部とは
自分は小学2年生~小学5年生の時に、ピアノ教室で通ってピアノを習っていた。
ピアノ教室は、週1で水曜日の30分のレッスンだったはずで、月に何回か忘れたが毎週か隔週に通っていたと思う。
個人宅の一戸建ての1部屋をピアノ教室にしたような所で、自分と歳が近そうな息子がいる主婦な女性の先生だった。
ピアノ教室に通って1~2年間は、1回のレッスンで1曲をクリアしていくペースだった。教材がまだ簡単だったせいか、家であんまり練習しなくても6割程度を通しで弾けたと思う。
しかし、通って3年目頃から弾く曲がちょっとずつ難しくなるとつまづく事が多くなり、達成感も無くなり、モチベーションが下がっていった。なんで弾きたいかもよく分からなくなっていたと思う。
惰性でピアノ教室を通うようになっていって、ちょっとずつピアノ教室が楽しくなくなっていった。
小2からピアノ教室を始めたが、自宅にピアノとかまともな楽器が無かったので(お下がりの鍵盤ハーモニカやリコーダーや、あっても父親が昔の若い頃に使っていた置物状態の錆びかけたクラシックギターしかない)、小3の頃に父親からもらったお年玉で1~2万円程度のCASIOの電子キーボードを買ってもらった。(関係ない余談だが、ゲーム音楽を弾いてる芸人の「こまつ」が2000年代頃に所持していた電子キーボードとほぼ同じ種類の電子キーボードだった。)
しかしその電子キーボードは、5オクターブ(61鍵とか)程度しかないキーボードで、それでピアノの練習をするという、何だか今思うとおかしいというかケチった初期投資や環境だった。
電子キーボード購入当時はお金を気にしてか、なぜか電子ピアノを購入する発想にならなかった。自分も親も電子キーボードでピアノの代用ができると薄っすら思っていたようだった。
近場の家電量販店で電子キーボードを選んで購入時には気付かなかったが、使っていく内に弾き押した感覚がピアノと全く違う事に気付いた(鍵盤を押した重さやピアノの音色や響きや音質など、電子キーボードでは差がありすぎた)。とにかく漠然と「コレジャナイ」というのが頭のどこかの隅にありながら練習をしていた。「ピアノの感覚で弾きたいのに…」と地味に不満に思ってて、モチベーションが下がっていった地味に要因の一つだったと思う。
しかも自分が知らない間に、父親が何となくリビングに電子キーボードを設置してくれたが、自分はリビングで弾くのが恥ずかしかった(自分が弾いてる姿も)。どちらかというと自室とかにこもって独りで弾きたかった。恥ずかしさや迷惑さで親にも相談できなかった。そんな事もあってリビングに誰もいない時を狙って隠れて弾くため練習頻度が下がった。
友達にも「ピアノ教室に通ってるけど、何の曲を弾いてるの?」と聞かれたが、弾いてる曲も子供向けの曲(曲名も無名な曲)で恥ずかしくて、濁すしかなかった。
小5の頃には、練習をかなりサボるようになったりして先生の前で弾けなかったり、ピアノ教室に行く事をグズったり遅刻したりしていて、次男から「辞めろよピアノ教室」と軽蔑気味に言われて(※自分は末っ子)、ピアノ教室の日が来る度に内心苦しく困ったままで通って、妥協しながらやり過ごしていた。
先生から特にサボってる程の練習量について何も言われなかった。自分の動機とか音楽の好みとか自宅の練習環境とか理解されてなかったと思う。先生とも音楽の好みが合わなかったと思う。
小5の頃には、先生も教え方が余所余所しくなり、「躓いてるけど、自分で反復練習するものだから」と素っ気なくなっていた。
(自分は人見知りな事もあって、先生と打ち解けた事はほぼ無くて、レッスン中に「先生がトイレに行ってるから何か弾いててもいい」と言われたが、恥ずかしくて自分は何も弾けずに無音状態で待っていたら、トイレから戻った先生から「また静かだった」と言われて戸惑った程に人見知り。)
小5の頃からなぜか自分は勘繰りが起こるようになり「先生の教え方が手抜きになってないか?」「手抜きなのに親に月謝を払ってもらっている、つまり自分は鴨になっているのではないか?」と疑心が生まれて「どうせ自分へのレッスンは金蔓なんだろうな」という偏見や感情が芽生えていた。
元々自分は幼稚園生の頃からゲーム音楽が好きでDDRとかbeatmania(5鍵)やギタドラ初期などの音ゲーとかにも興味があって「楽譜を読めるようになりたい」とかで漠然なまま「音楽を習ってみるか」となってたが、レッスンを受けると訳分からない童謡みたいな子供向けの曲を弾かされて、演奏する曲の殆どがそもそも自分の好みの曲ではなかったし、好みでない曲はフラストレーションの要因でしかなかった。
当時は自覚していなかったが、どちらかというと自分は座学がやりたかった。座学はあったが30分のレッスン時間の内の10分間程度の座学で、座学だけをやるような選択はなく、座学には重点が置かれていなかった(「座学と実践」の割合は、3:7ぐらいだったと思う)。今ならコード進行とか学びたかった。
(一応、学習指導向けのピアノテキスト教本で、それに沿って演奏して実技が身に付くような教え方はされた。他には「バーナムピアノテクニック」の教本に沿って実技をしていた記憶がある。)
レッスンを受ける意義も分からなくなり、自分が好きな曲を弾きたいという動機は薄っすら残っていて、小5の時に「ゲーム音楽を弾きたい」とようやく相談して、自分が小4の頃に器楽クラブの顧問から運良く頂けた「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を、ピアノ教室の先生に見せたら何故かスルーされて、先生が所持してる楽譜の中から弾けるゲーム音楽を選ぶ事になった。
しかし今よりゲーム音楽は有名でないせいか、選べるゲーム音楽の楽譜が少なく、ドラクエ序曲のマーチアレンジ(子供向けな編曲)やFF10の「ザナルカンドにて (終末的な悲しい曲)」のピアノ楽譜があって自分としてはどちらかというと本望ではないが、それらをレッスンで弾く曲に選ばせてもらって弾いたが、なぜか楽しくなかった。どちらかというと恥ずかしさとか気まずさが強く、弾いてて感情移入してる感じがしなかった。
小5の時に同級生が、近所におじさんが教えてるパソコン教室があって、そこに通っている事を知った、それを母親に相談して自分もパソコン教室にも通わせてくれる頃に、自分はピアノ教室を辞めたいような意思になって辞める方向になった。
これまで送り迎えだけだった母と一緒にピアノ教室の部屋に入り、母親が先生に受講を辞める相談をしていってる最中に自分は、なぜか目から涙が流れてしまい止まらず、かなり気まずい雰囲気になってしまった。惨めや悔しさの涙だったと思う。
そもそもピアノ教室に通うようになった経緯は、「楽譜の読み方が知りたかった」とか「ピアノのドの鍵盤ってどこ?」というような素朴な疑問が動機で、それを母親に話したら適当なピアノ教室を勧められて、どういうピアノ教室か分からず吟味せずに何となくでピアノ教室を選んでしまっていた。
(ピアノ教室受講した後に知ったが、近所にも似たようなピアノ教室があったのに、なぜか近所から少し離れた町のそのピアノ教室が選ばれてしまって、親による送迎の負担が増えただけだった。まだ機会費用的に近所のピアノ教室の方が良かったのになんで?と思う。)
今思うと「インターネットで楽譜の読み方を知る」というのが「顧客が本当に必要だったもの」だったように思えた。(当時、親はIT関連に疎くPC購入やネット開通もかなり消極的だった。)
実は「ドラムがやりたかった」「まだピアノよりドラムの方がまだ才能が伸びていたのではないか?」という懐疑がある。
あとは「もしピアノ教室の先生がゲーム音楽や電子音楽に興味があったらまだ変わっていたのではないか?」と思う。もし当時の小学生時代にKraftwerkとかYMOとか勧められて知っていたら多分今より音楽の知識が身に付いていたと思う。(YMOが自分に刺さったきっかけは中2の頃に見たYouTubeのMV動画だったと思う。ちなみにJ-POPとか邦楽の流行歌には興味がない。)
(ちなみに器楽クラブの顧問も女性の教師で、たまたま「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を教師が偶然に持っていただけで、ゲーム音楽や電子音楽には興味無いようだった。)
当時から言語化できないような無自覚的なフラストレーションや水面下な問題が溜まってたばかりで、今でも地続きで機会損失が大きくなってると思うと、今は後悔でしかない。黒歴史。
小4の時に小学校のクラブ活動で、グループに分かれて合奏をするような器楽クラブに入ったが、自分だけが落ちこぼれでクラブは女子しかいなくて女子と打ち解けれないし助けを求められず割と浮いてて孤独で、上級生だけでなく同学年の女子も普通に楽譜通りスラスラ楽器が弾ける人ばかりだった。
自分はピアノを習っていて楽譜が読めていたと思っていたはずが、弾きながらも楽譜が読めない・まず大体を暗譜しないと読めない状況で(オーケストラ用の楽譜で見慣れない程に楽譜も小さくどこのパートの楽譜か迷子になったり、ヘ音記号の楽譜なのにト音記号の楽譜であると思い違いして読み間違えにしばらく気付かなかったり)、
その弱点に気付かず能力の無さに内心焦りながら、自分の雰囲気だけは皆と演奏してやってるという感じを醸したクラブ活動をしていて、クラブ活動も尻込みになった。
学校でそういうさり気ない悩みがあっても、器楽クラブに入ってる事をピアノ教室の先生に言えてない、親も自分が器楽クラブに入ってる事を知っていないと思う。
(ちなみに小5からは科学部(科学クラブ)に入った。ほぼ遊びみたいで楽しかった。小6になって別のクラブに入ったけど。あと、その頃に受講を始めたパソコン教室は最終的には円満的に通い切った。) (中学生時代の部活はほぼ3年間は帰宅部。器楽クラブの影響で、地味に部活動というのがトラウマや無力感になってると思う。)
「才能が無い自分のせい」と言われればそれまでだが、マッチング的に「自分の嗜好や動機などを理解されず能力のようなものを引き出せられなかった周囲も残念な環境だったのでは」と思う。巡り合わせの問題とか。
自分は歳を重ねるに連れて自分が好きだった音楽を耳にする度に「絶対音感の能力があれば…」ぐらいの無念さ劣等感が大きくなってくる。「絶対音感があれば、好きな音楽の耳コピとか分析が高精度で確実にできて、人生が変わっていただろうな」と。好きなはずなのに馬の耳に念仏で溜息しか出ない。山月記みたいになりそう。
自分は本当に音楽が好きなんだろうか…。単純接触効果的な大きな勘違いでなければいいが…。
余談だが、音ゲーについての自分の腕前は、家庭用IIDX HAPPY SKYの段位認定10段をアナコンでクリアしたのが限界で、高1がピークだったと思う。高2の頃からほとんど音ゲーには触ってない。自分は音ゲーやゲームも才能が無いと強く気付き始めていったのはその頃だった。
自分は音ゲーの楽曲についての話をピアノ教室やクラブ活動などでも話す機会は一切無く、幼小から自分が好きだった音楽は誰にも繋がらず糧にもならなかったのであった。
今日鬱になった。
双極性障害2型と名付けた。
それは私の中学まで遡る。
小学生の私は人気者だった。
人の心に寄り添うことができる子だった。
人気者になる条件の1つだった。し、
それに疑問を持つこともなかった。
足が速い子、顔がいい子、勉強ができる子
と同じように面白い子がいるだけ。
私には作れないギャグがいっぱい量産された。
いっぱい笑ったし、負けじと
でも、私は真ん中にいなかった。
なぜなら、私の作る面白いは
万人受けしなかったから。
それに気づいたのは
私は、端的に言うと排除された。
色々良くないこともやった。
人気者になりたかった。
でも、どうやら中学生は違うようだ。
群れる。群れる。群れる。
あなた達は何故それで笑えるの?何故?
私は、幸い早々に出る杭として打たれたので
ひっそりと息を潜めて、教室の隅にいた。
隅にいても暇なので、ずっと会話を聞き
人を観察することに3年間を費やした。
必ず誰かがいじめられていた。
殴り込んでくることもほとんどなかった。
今のように、つらかったら逃げてもいい
垂れ流しにされることもなかった。
あなたたちは何故人の物を隠して笑えるの?
人の髪の毛勝手に切ったり
悔しい〜!!とかで何故笑えるの?
異様に人の表情に敏感になったのは
このクソみたいな中学3年間だった。
ただ、そのおかげで得たものもある。
悪口を言われても明るく返せば
何故って?
言われてるけどクラスの真ん中にいるじゃない?
そう、私にとってのヒーローは、変わらず
教室の真ん中にいた。
いじめっ子達を笑わせてる。
かっこよく見えた。
そのヒーロー達は、
私のことを面白いと言ってくれた。
なんならいじめっ子達に、
って平然と言い放ってた。
直接は助けてくれないし、
当時の彼にはもう聞けない。
でもやっぱり私のヒーローだ。
東京という街は私には冷たく感じた。
忘れもしない配属された日、
どうやら私の目つきが悪いらしい。
人を睨んでるように見えるそうだ。
平気で私をいじめた。
つらかった。
こんな思いをしてまで
何故この会社にいなきゃいけないの?
そう思ったけど、入社数カ月で退社すると確実に
今後の人生が困難になる。
当時はまだ転職全盛期じゃなかったし、
配属されて速攻でいじめられるのは、
最早私に原因がある。
変なところで真面目だった。
というか、単純に負けたくなかった。
卑怯な手口。バレない手口。陰口。
文句があるなら直接言って来い。
この環境で、8年頑張った。
もはや私の稼ぐ売上は、
30後半〜50歳の超優秀な先輩や、
マネージャー層と話す方が楽しくなった
何で私が。何で私ばっかり。
何で鬱になったやつばっかりよしよしするの?
つらいって言ったもん勝ちなの?
でも、鬱になった後の処理を
引き受けた身としては逃げることで、
どれだけの迷惑がかかるかを身に沁みて感じたから、やりたくなかった。
面白くなかったし、笑えないし。
だから負けじと頑張った。
全部を笑いに変えようとして頑張った。
色んなことを抱えすぎたのか、
会社で立てなくなった。
今日鬱になった。
双極性障害2型と名付けた。
お前は頑張りすぎたんだよって
平気な顔で言ってきた。死ねと思った。
たったの3千円で買える紙。
それだけで、私は一気に可哀想な人になった。
励ましのメッセージをくれる。
でも、たぶん私のことを心配してくれてる。
から言わない。
あなたを呪ってる。
ソフトテニスはダブルスなので、ペアを組んでいる人に申し訳なく感じる。
ただ部活の話になると「〇〇大会とか出た?(なんか上位陣の戦い)」とか「補欠だったとか?」と言われる。
違う。出たくもない大会に出て負けていただけだ。
ここで「一度も勝ったことがない」と言えば、「またまた〜w」と言われる。
自分は運動神経は良かった方で、入った高校の体力テストでも上位の方だったが、中学の頃の試合では勝てなかった。
ソフトテニスの大会は負けてもすぐには帰れない。負け審というものがあり、負けたペアが別の試合の審判をやる。
審判は難しい。ただでさえ自分よりも弱い奴らに試合の結果を左右されるなんてかわいそうだなとも思った。
大会で他の学校の人が「〇〇中(私の学校)はザコだな」と言っていたらしい。それを直接聞いたらしい子はムカついていたが、私は別に何とも思わなかった。
実際私含めて他のペアも試合で勝ったところをほぼ見たことがなく、部活全体として弱小なのは事実だった。
さすがに3年の最後の試合で1年生ペアに負けたのは悲しくなったが、相手校の練習の質や在籍人数を考えれば負けても仕方がない。
顧問は終わり際にやって来て何も言わない。
基礎トレーニングというものをやっていなかった。というか、練習の仕方がわからなかった。
だからかランニングと素振りをした後はすぐに練習試合をしていた。
当時は筋トレや戦略を考えたりとかも思ったが、別に部員みんなが試合に勝ちたくて部活をやっていたわけではない。
真面目に基礎トレをする部員は2人くらいで後はサボっていた。
みんなにとって私は頑固なマジメくんに見えていたかもしれない。
楽しくソフトテニスをする。それだけでいいのが、公式試合で勝つことに目的が移ってしまった気がする。
そっかー…
つまりあれか、運動経験が少ない文科系や帰宅部の男性だけじゃあなくて私みたいな女性も男女の筋力差を軽視してるってことなわけかー
(クラスの運動できる女子と文化系男子が本気で殴り合ったらどっちが勝つのか想像してみてるところ)
なんで元増田は男性が軽視してるって、性別を限定したんだろな?
私は女性の中でも体力ないほうなので、自分より強い人はみんな同じくらい強いようにしか見えないしわからない…
アスリートの成績とかそういうことじゃあなくて、普通に社会で接する人間同士で考えて、って意味だったんだけどなんか伝わる気がしない…
私は運動経験が少ない文科系や帰宅部の男性が、男女の筋力差を軽視しがちであると感じています。
彼らは学校の体育の授業程度の経験しかないため、男女の筋力差がどれほど大きいかを実感していないのではないでしょうか。
一方で、野球、サッカー、バスケットボールなどのハードなスポーツや格闘技をやってきた男性は、その差を実際に体験しているため、性別による筋力差を重視する傾向があると思います。
例えば、野球では投球の速度や打球の飛距離、サッカーではキックの威力や走力、バスケットボールではジャンプ力やディフェンスの強さなど、どれも筋力が直接的に影響する要素が多いです。
これらのスポーツを通じて、男性選手と女性選手の間には明らかな筋力差が存在することを実感しているのです。圧倒的な違いが数値としてもあらわれます。
一方、アニメやゲームなどのフィクションの世界では、若くて細身の女性キャラクターが重要な戦力として描かれることが多いです。
これらの作品では単純な筋力よりも魔法や異能のほうが効果的で、現実世界での筋力差とは関係ないところで勝敗が決まる理想的な世界が描かれています。
運動経験が少ない人ほど、こうしたフィクションの影響を受けやすく、現実の筋力差を無自覚のうちに軽視した世界観を持つ傾向があるのではないでしょうか。
成人済み、それも20代後半以上のオタクははっきり言って精神年齢が低いと言わざるを得ない。私の周りにいるいい歳したオタク達はほぼすべからくそうだし、オタク せ くらいまで打てばサジェストで精神年齢 低い などと出てくる(オタクについてこれといって調べたこともなければ、精神年齢とは全く関係ないことを検索しようとしていたため、このサジェストは恣意的なものではない)。
私ももうすぐ就職する立派な成人済みオタクであるが、自分を含め何故成人済みのオタクは精神年齢が低いのかについて一度真面目に考えてみたい。
オタクと言うと、運動部に入ることも無く、大学でもサークル活動を行わず、社会に出てからも人とあまり関わらないという人がボリュームゾーンなのではなかろうか。(私は一応大学までずっと体育会系の部活動に入っていたためか、この点においてはステレオタイプなオタクより社会に迎合する術を知っているような気がする)
共通の目標に向かって仲間とある程度苦しい鍛錬を積んだり、その過程で仲間のうちの数人とより深い人間関係を築いたりする。そういった精神的鍛錬の機会を逸してきたツケが成人済オタクに回ってきているのではないだろうか。
もちろん文化系の部活動や帰宅部でも勉学に励んでいた人はある程度精神的な鍛錬を積めたかもしれない。しかし高校を卒業してから成人、20代後半になるまでの、これまでと比較して追い立てられるような物事のない期間、恋愛をしたり仕事に打ち込んだりしていた人間と、アニメだけ見て自己研鑽に励まなかった人間との差はじわじわと広がっていく。そもそも我々がアニメを消費している間、一般人が何もせずなんの学びも得ずにいる訳がないのだ。
小学生、あるいは中学生くらいまで、オタクとはむしろ精神的に大人びているという評価を受けがちなものではなかったか。
アニメとは、10代〜20代前半あたりをターゲットに作られるものが大半だ。今はオッサン向けのなろうアニメなんかが増えているが、少なくとも10年ほど前まではそうだったはずである。
やや歳上をターゲットに作られた創作物。もちろんターゲットの年齢層に合った教訓が得られたり、葛藤に寄り添ってくれたりする。背伸びした内容を日夜浴び、それらについて考えを巡らせる。必然的に精神年齢がターゲットとされている層くらいまで引き上げられるはずである。これが前述の大人びているという評価に繋がるのだろう。
しかしアニメの内容は、一定のレベル帯に留まっている。ターゲット層の10代~20代前半にとって高度過ぎる内容ではウケないからだ。
それをターゲット層から外れた高齢者が延々と擦ったところで、新しい学びが得られようはずもない。
もちろん年代を超えて学びを得られる名作も存在するにはするが、そういったコンテンツから年相応の学びを得るためにはある程度実生活を通して精神的に成長しておかなければならない。しかし幼少期に大人びていると持て囃され、哀れな選民思想に浸かってしまったオタクが今更低俗な一般人と同じような生活をして精神的鍛錬を積もうなどと考えられるだろうか?
ここ10年ほどでオタクも随分と市民権を得たものだが、オタクというものは元々爪弾き者の流れ着くシェルターであったように思う。もちろんそうでない人間もアニメを見ていたが、仕事や人間関係など他に打ち込むべきものがありながら、それと両立してアニメに熱意を注ぎ続けられる人間はそう多くない。結果的に、そういった人種はオタクをやめていく。
本人の性質に問題があったのか、オタクという属性故なのかは定かではないが、虐げられ、弱者として生きてきた人間のるつぼとなっているオタクコミュニティ。無職、こどおじ、童貞なんてのはざらだ。そんなのが跋扈しているぬるま湯にいつまでも浸かっていては、精神的に成長できるはずもない。隣を見れば無職なのだから、派遣だろうがフリーターだろうが低収入だろうが焦る必要はないのだ。
まとめると、幼少期に少々背伸びをした創作物を摂取し、大人びていると持て囃されて胡座をかき、実生活を蔑ろにした結果、思春期の成長機会を逃す。普段つるんでいるオタク仲間は高齢者を中心に爪弾き者ばかりなので、その状況に危機感を覚えることもなく、実年齢と精神年齢が乖離していくという二段構えのように思う。
この状況を打開するためには、オタク仲間達をこの世のスタンダードだと思わず、常に世間一般の中で自分が年相応の経験を積めているか、足りないものはないかと問いかける姿勢が大切だ。また、アニメ以外の事象にも目を向け、単純化されていない人間との複雑な関係を築くことも、精神的な円熟のためには必要である。
Web漫画が無い(https://anond.hatelabo.jp/20241025190620)と言われたので新都社に限定して書いてみたいと思います。
この為にアカウント作った新米増田なので見やすいように記法整理できていないのはご容赦ください。
思ったより長くなりそうだったので追記で何とかするかも
定義はオリジナル(https://anond.hatelabo.jp/20241012181121)のレギュレーションに倣って
作者一人につき一作品、後世の作家への影響、社会的な影響を重視とします。
とはいえWeb漫画自体の歴史が長くないので、同時期作家への影響度合いを考慮ポイントにしています。
なお順番は思いついた順です。過去に掲載されていたが、現在は掲載されていないものなども含みます。
また、作者名については著作時の名義を使用しています。本投稿時点で商業での名義や別名義がある方もおられますがご了承ください。
誤字脱字衍字等ありましたら申し訳ありません。
新都社(にいとしゃ)は誰でも参加可能な自作漫画と自作小説のコミュニティサイトです。
一般通過読者
何でも読む悪食、とはいえ界隈が狭かったので作者読みだったりするのは一部作家くらいしかできない裏返しでもある。
ルーズリーフにシャーペンで描いている漫画の画力が10段階中で3くらいの感覚で画力については語っています。
2007年頃から2015年頃によく見ていた。以下の内容に異論あると思いますが是非お勧め教えてもらえればうれしいです。私は書いたんだからさ(同調圧力)
名前からどうしても忌諱してしまうと思われるが、原作も新都社の文藝となっており当時の話題性は高かった。
YOKO先生の前作品である痴漢男もスレが原作にあるものの、画力や隙間のストーリーの作りこみ、あるいはギャグが非常によくできていた。
以後の活動ではジャンプに連載作を持つ等、出世を果たしている。
どちらかと言えば作者による選出
漫画を論理的に考えて組み立てて作っている。後述のONE先生と共に裏サンデーのメンバーでバトンリレー漫画を作成した際に
どうにもならない?大風呂敷を何とか纏めたりするなど仕切りの面が有るが、Web漫画家は自由奔放だったり繊細な人が多いので顔役的な立ち回りは非常に重用されたことと考えられる。
以後の活動では、某たらこの漫画を描いてバズったりしているらしい。
新都社作品はアマ作品が多いのでどうしても商業誌に慣れている人からすると苦痛ともいえるほどの絵、MSペイントで描いたんか?みたいなものもある
ワンパンマン(ONE作画)についても1話は一般人には読むに耐えないようなものかと思われる。ただし、新都社においてはこのクオリティは高い側に属し、なによりストーリーが素晴らしかった。
当然アンパンマン系の二次創作については他にも多数あり、作画がこの時点で上回っていたものも他にあったが最終的に作画がつくことでメディアミックスも果たし、アニメの原作も複数担当するなど出世を果たした。
新都社作品の多くはストーリーは良いのに作画が商業誌が要求するラインに届かない/担保し続けられないため商業に乗れなかった人が多かったが、
原作としてつくことで花開いた新都社作家も多く、その先駆けともいえる。
スターシステムを活用し物語の奥深さを出している。作画/ストーリーどちらも申し分なく、その性癖を除けば万人受けすることだろう。
ただ、その性癖ゆえに売れている面もあるため、マーケティング的に仕方ないとも思う。
以後の活動では、メディアミックスや多くのアニメを送り出すなどしている。
作画カロリーを減らしながらもストーリーの1つ2つ捻った展開がその才能を感じさせた。
どうしても斜に構えがちなWeb漫画家はその掲載方法の故かストーリーが難解すぎたり破綻することも良くある、
しかし捻りがありつつもわかりやすいストーリー、明かされていく設定が他の作者にも学びがあったように思う。
以後の活動では、癖に全振りした異種族レビュアーズのヒットを出すなど精力的に活動している。
性癖が…とはいえ掲載している作品の数とコメント数から考えると同作者を挙げるのは必然である
また作品のクオリティは高く、丁寧な線から紡ぎだされる物語は非常にグロテスクな内容ながらも絵画を見ているかのような錯覚に陥る。
しかしながら感情に素手を突っ込み揺らすようなものもあり、その多彩な作画力はやはり癖のなせる業(ワザ/ゴウ)だと思われる。
個人的にはレギュレーション面で同先生の他作品だが、先生の作品として導入に見るのにはテンポの良い作品。
ジャンプのお家芸的な男の子大好きを集めたような作品。意外と正統派な作品が少ない新都社作者にとってこの作品の作画/ストーリーの影響は避けられないだろう。
その気になれば真似できそうな絵やストーリーだがきちんと読めるように落とし込んでおりクオリティが高い。
ヒロインを…というくだりを"シュミ"レーションした作品として類をあまり見なかった作品。Web漫画は作り直せる利点が他の作者にも影響があったと思える。私はどっちの結末も好き。
人狼系は一時期流行があり、現在においても類するものがあるが新都社でも本作品が光っていた
他にもたくさんありますがキリが無いので思い出したら追記します。
ランキングのトップの作品(侠,K)に関しても影響度はあると考えられるが、そのクオリティが評価されている面が強く
個人的には独自のストーリーと限られた画力でどういう風に見せていくのかというところが他作者への影響度に強く関係しているとみている。
Web漫画自体が結構独自色が強いものであるため、あまり影響軸で語るのは無理があるのかもしれない。
また歴史の部分を語ってしまうと新都社に対して裏サンデーやとなりのヤングジャンプ、ジャンプ+といった投稿する場の移行があるため
初期のころのメンバーくらいしか上げにくいという問題もある。つまり、2陣3陣目といったところが居ないためフォロワーみたいな観点で計測しにくい。
あと、改めてみたらやっぱり閉鎖してるものが多かったりして…無料HPサービスの閉鎖と共に消えた作品とかもあってなかなか悲しい
はやくよめよめ いのちあるうちに
文章をよめばわるかと思いますが、私は頭がありまよくないです。
加速する可処分時間奪い合い競争の中において、睡眠時間を確保するためには漠然とした「ちゃんと寝なきゃなあ~~~」ではもう無理です。
「私は、何時間寝たい」 →
「私は、いつも何時に起きる」 →
この三段論法によって寝る時間と起きる時間をコントロールしていかなければ、理想的な睡眠時間の確保は不可能です。
学校の授業が前もって何時に何をやるのかが決まっているのと同じように、自分の人生において前もって「夜の何時~朝の何時までは寝る時間」と決めておく必要があります。
その時間に推しの配信があろうが関係なく、寝る時間だから寝るという絶対的なルールを定めていく。
もしも入試の日と推しのLIVEが被ったとして、貴方は入試をスッポかしますか?
本当に人生の全てを捧げる覚悟があるならスッポかすという選択もありますが、そこまでの覚悟がないなら入試を優先するべきですよね?
それぐらいの気持ちで「寝る時間は前もって絶対的に決まっている」という気持ちで日々を生きることにしていました。
同級生の中には様々な理由で生活リズムを乱していた人がいましたが、そういった人達とは基礎的な体力や健康状態の面で圧倒的優位に立っていたと思います。
ぶっちゃけ単なる有酸素運動は毎日の通学時に少し早歩きしていれば勝手にハァハァ息が上がってくれるので十分だと考えています。
ですが単に早歩きしただけでは痛めつけ方が足りない筋肉達が元気を持て余し身体のリズムがおかしくなっていくようです。
私は帰宅部な上に体育の授業も積極的にサボるタイプだったので全く運動せずに高校生活の前半を過ごしましたが、段々身体の調子が悪くなっていくのを感じました。
何より、いざ基礎体力が必要になった時に全然力が出ないんですよね。
椅子にいつもよりも長く座るとかそういうことさえ難しい。
ネットでHIITを調べてそれを実行するだけです。
ただ、タンパク質を取らずに筋トレだけすると筋肉痛がヤバイのでプロテインを飲むことにしました。
私は親がジムに持って行く分のプロテインを拝借していましたが、家族からプロテインを分けて貰えない人は自分で買う必要があるでしょう。
学生の金銭感覚だと高いですけど、社会人が健康維持に使う経費としてはかなり安いと思うのでプロテインはちゃんと飲みましょう。
他人に褒めてもらうことを期待して生きていると意外と上手くいきません。
頑張って成績を上げても親は段々と「よく分からんが、ガチればこれぐらい出来るもんなんだろう」みたいな感じで「そうなんだ。すごいね」で終わらせてくるようになります。
1年・2年と続く受験勉強を日々積み上げていく中で「B判定が出たよ。頑張ったね」なんて薄っぺらい模試の結果にだけ一喜一憂するだけではモチベなんて維持不能です。
定期的に「凄いな。ちゃんと勉強してるぞ」 「今日は委員会活動サボらなかったの偉いなあ」 「筋トレ毎日続いてるとか、帰宅部で一番健康なのお前だよ」とか褒めてやります。
「1 ちゃんと寝る」の中で寝る時間を決めていると書きましたが、寝る時間を決めても中々寝付けないときがやはり出てきますので、そういうときがチャンスでした。
ベッドにいるけどいまいち意識が遠のかず、かといって起きて勉強なんてしたら生活リズムが乱れてしまうという状態を、「自分を褒めちぎってやるのに丁度いい時間が出来た」と解釈するわけです。
電気を消した部屋の中でぼーっと天井をみながら「今日も3食残さず食べたなあ」「毎日学校行くって案外大変だけどちゃんとやってるなあ」「毎日風呂で丁寧に身体洗ってるから清潔だなあ」といった今更誰も褒めてくれないし他人から褒められたら困るようなことまでひたすら自分を褒め続けます。
「他人から言われたら皮肉にしかならないけど、それをやるのに全く何の苦労も一切ないわけではないもの」というのは人生に山ほどあるので、そういった「自分で褒めるしかないもの」をひたすら褒めて心をメンテしてやりました。
こういうのってジワジワと自尊感情に効くらしいんですよね。
うつ病になった人なんかはこれと同じことを毎晩積極的にやれって医者から指示されたりするとかなんとか。
私はメンタルがまだまだ健全なので、タイミングがいい時に数週間分まとめてやってしまってますが。
重要だと思ったことを上から3つ挙げたら見事に勉強と無関係になりましたね。
受験勉強って結局のところは「モチベの維持が難しい長期戦」なわけで、そこで大事なのは如何にして心身のメンテを行うかなんですよね。
勉強の内容自体は究極は教科書と過去問だけひたすらやってれば何とかなるとも言われてますし、あとは如何にして集中力と時間を確保し続けるか。
要するに「心身の健康維持」 「勉強時間確保」を先に固めてしまうのが大事で、そっから先は個々人が好きなように気晴らしを選べばいいだけだと思うんですよ。
自由時間はひたすらゲームやるでも、部活に専念するでも、そこでの時間の使い方は大事じゃないっていうか。
そもそも勉強の方法も脳のタイプが人によって違うから他人のやり方は参考にならないっていう話もありますからね。
というわけで、私としては1に睡眠、2に筋トレ、3に自分を褒めるの3つが東大現役合格できた理由なんだろうなと思ったわけですな。
うん。
頭わそるうな文章だな本当。
20代の男。生まれは電車で15分圏内に政令指定都市があるところ。今はその政令指定都市の中に住んでるので、まぁまぁ都会だと思う。
ただ、自分の生活を振り返った時に「これ都会じゃなくてよくね?」と思うことが多かったので書いてみた。
食事の8割がチェーン店とコンビニ。店の探索とかしない。ラーメンは比較的に好きなものの、カップ麺で満足できる。
ガチ田舎はきついかもしれないが、国道沿いの田舎(人口3〜5万くらい)なら一生暮らしていけると思う。
趣味はスポーツ観戦・ゲーム。ただ現地観戦は年に1,2回程度なので家かスマホから見れればいい。ゲームも基本1人用のしかやらないので問題なし。
映画や美術館や旅行は自発的には基本行かない。ボウリングとカラオケはよく一人で行くが、まぁ最悪なくてもいい。
友達が全然いない。昔は多少いたが、連絡不精ということもあり学生時代の友人が年を重ねるごとに壊滅した。会社でも同世代が少ないので、特にプライベートで仲の良い人はいない。
2年に1回くらいしか飲まないので多分無くていい。
ここまでは割と適性あるんじゃないかと思う。
一方で懸念もある。
中高と帰宅部だったのでまるで体力がない。元々インドアな上、コロナ禍以降それが完全に加速した。多分今体力テストしたら70代くらいだと思う。
アルコールに弱くてほろよいで顔が真っ赤になり、ストロングゼロを飲むと吐く。
やはり田舎だと酒をのんでこそ一人前という風潮がありそうなので、地元の青年会や消防団でハブられそう。
最大の弱点。交通網が発達してるのをいいことに完全にペーパー。しかし田舎に住むなら車の運転は避けられない。
運転が下手な自覚もあるが、なにより「お前の車には乗りたくない」と2人以上に言われてるので客観的に見ても下手なんだと思う。
俺田舎でやっていけるかな?