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「定量的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 定量的とは

2025-05-28

推薦系スコア統合問題

この構造はすべて、(集合と関数の)圏論構造を持ちうるデータ空間です。

ステップ 1:圏と関手による基本抽象化

まず、構造を圏的に捉えます

これらの直積圏 C = Cᵤ × Cᵢ 上で、fⱼ:C → ℝ を射とする関手列が定義されているとみなせます

ステップ 2:エンリッチド圏による意味付け(V-Category)

推薦問題の核心は、スコア意味的な関係定量的または論理的評価することにあります。これを抽象的に捉えるには、エンリッチド圏の理論が適しています

2.1 定義:V-エンリッチド圏 (V-category)
  • V をモノイド圏とする(例:(ℝ≥0, +, 0) または ([0,1], max, 0))
  • 任意の2対象 x, y に対して、「射」ではなく「x から y への距離」または「評価値」v(x, y) ∈ V が与えられる

推薦システムにおいて:

2.2 本問題への適用

ユーザー u ∈ U、アイテム i ∈ I に対して、評価: v(u, i) ≔ g(f₁(u, i), ..., fₙ(u, i)) ∈ ℝ

これは、ユーザーアイテムペア空間 U × I を対象とする ℝ-エンリッチド圏と見なせる。

ステップ 3:トポス理論への接続

3.1 トポスとは?

トポスとは、直感的には「集合のような性質を持つ圏」です。ただしそれは集合よりはるかに柔軟で、論理空間一般化的枠組みです。

問題では、推薦空間自体を内部論理意味を持つトポスと見なします。

3.2 推薦空間トポスとして構築

ステップ 4:推論と最大化をトポス内部で定義

ステップ 5:総合抽象構造としての構成


総括

圏 C ユーザー×アイテム意味空間
関手 F 複数スコアリング関数(f₁,…,fₙ)
汎関数 g 統合関数線形でも非線形でも)
エンリッチ圏 V-Cat スコア評価距離や信頼値として扱う枠組み
トポス Sh(C, J) 推薦を含む部分集合構造を持つ論理空間
内部論理 「どのアイテムを推薦すべきか」の命題定義
推薦関数 Rᵤ トポス内の部分対象選択関数(述語による定義

2025-05-19

anond:20250519003025

なるほど、よくある「モデル現実を反映していない」という常套句だね。

けれど、君のその批判の枠組み自体が、科学方法論の基本を取り違えてるんだよ。

数学モデルというのは、現実のすべてを写し取るために存在してるんじゃない。

複雑系の中から本質的変数関係性を抽出し、定量的予測可能構造を浮き彫りにするための抽象装置だ。

これは経済学に限らず、物理学でも生物学でも変わらない。

君が「非現実的」と感じるのは、その抽象性を咀嚼できていないからであって、それを以ってモデル全体を否定するのは、地図が縮尺されているからといって「この地図現実じゃない」と言ってるのと同じくらい無意味だ。

現実経済の複雑性や観測不可能変数の多さを考えると、それらを十分に計算モデルに反映出来てるのか強く疑義がある」

この主張の問題点は、「完全なモデル以外はすべて無価値」という極端な完璧主義に陥っている点だ。

だが、どんな分野でも、予測力や政策設計資するために「不完全だが実用的」なモデルを使うのが基本なんだよ。

君の言ってることを突き詰めると、「何もわからないほうがマシだ」と言っているに等しい。

現実を正確にすべてモデリングできないからこそ、限界理解した上でモデルを構築し、その予測精度や説明力を実証データ逐次検証するというアプローチ経済学実践的知性なんだよ。

MMTの本にはそんなこと書かれてなかった」

この反論には構造的な誤解がある。まず、MMTの主張の中核は「自国通貨建ての政府債務財政的制約を受けない」という立場であり、これは明らかに通常の財政制約やインフレ制御メカニズムとは整合的でない。

君が読んだMMTの本にそのような極端な記述がなかったとしても、それは主張のトーンを穏やかに表現しているだけで、前提構造は変わらない。

さら問題なのはMMTの「理論」と「実務レベルでの応用」が切り離されて語られていることだ。

理論として一貫性があっても、現実経済制度との整合性や、予測可能性、政策インパクト実証性が伴っていなければ、科学理論としての価値はない。

クルーグマンバーナンキもリフレーションを主張していた」

ここで一つ明確にしよう。彼らの主張と、国内自己流に歪曲された「リフレ派」の言説とはまったくレベルが違う。

クルーグマンバーナンキも、リフレーション政策短期的なデフレ対策としての補助的手段と見ており、長期的な成長戦略構造改革と切り離して語ったことはない。

対して、日本自称リフレ派は、「インフレにすればすべて解決する」「金融政策こそ万能」といった単純化されたロジック公共言説に拡散した。

からこそ、私は「それっぽいことをそれっぽく語っている」と言ったんだよ。

理論文脈理解せず、権威の一部だけを切り取って無批判に利用する態度は、むしろ学問堕落だ。

「君も主観を並べているだけでは?」

かに文章主観を含んでいる。だが、私の主張は明確な批判対象を定め、その前提構造定量性・理論一貫性実証可能性といった客観評価軸に照らしてロジック反論している。

対して、君の主張は「モデル現実的じゃない気がする」「本を読んだけどそんな印象なかった」「権威も言ってた」など、印象論と権威主義と相対化に依存した思考停止レトリックに過ぎない。

議論の強度としてどちらが高いか、冷静に比較してみれば答えは明白だろう。

以上、感情に流されず、論理の強度で押し返す。これが「それっぽさ」の殻を打ち破る本物の議論だよ。

2025-05-18

それっぽいことをそれっぽい雰囲気で言っているだけの界隈

例えば経済ね。リフレ派とかMMTとか財務省陰謀論者とかさ、口だけはベラベラと達者で流暢で説得力がある風なんだよね

でも経済学を数理レベル分析できるレベルの人から見ると、まったくトンチンカンなこと言ってるじゃんあいつら

実際、連中の主張を定量的検証しようとすると、すぐに論理的破綻が露呈する

モデル化もせず、パラメータの前提条件すら明示せずに、「こうすれば景気は良くなる」「政府もっと金を刷ればいい」などという

MMTに至っては、「政府負債通貨発行でいくらでもファイナンスできる」などという命題を前提としており、一見正しそうだが、これは「政府永久に信用を失わない」という極めて強い仮定依存している

この前提が揺らげば、理論のものが即崩壊する

財政ファイナンスインフレ期待をどう形成し、金融市場にどのような非対称情報ゲームを引き起こすかといった議論が完全に欠落している

また、財務省陰謀論などは論理的検証以前の問題で、そもそも証拠論理区別がついていない

制度設計歴史的経緯や、政治経済学的な動態を踏まえずに「敵を作って叩く」ことで思考停止正当化する

現代経済分析は、因果推論や統計的識別可能性、政策介入のフィードバック効果を踏まえたモデルベース議論が前提だ

それらを無視して直感空想だけで語るのは、統計学素養がない人間が、p値だけで因果関係を断定するのと同じレベルの過誤である

連中は「それっぽいこと」を「それっぽい雰囲気」で言語化する能力に長けているだけで、ロジックの強度やモデル整合性、そして実証データとの整合性に対する責任が一切ない

本当に強い論は、言語の技巧ではなく、定量モデル現実データとの整合性によって測られるべきだ

anond:20250518230702

行って楽しめたならそれに越したことないしどんどん行けばいいと思うけど、盛り上がってるかでいうと想定下回ってるからそこは定量的判断してほしいですね。自分が盛り上がってるだけちゃうんかと

棘のまとめ作成スタッフ

質の良いまとめを作らせたいのであれば

ルーブリックみたいな感じで定性・定量的評価基準を用意してAI管理させるとか

アフィリエイト報酬をまとめ主と運営折半みたいな方式にしたほうが良いと思いますけど

そこまで手間ひまかけて高度な管理をやっているようには見えませんね。

昔は好きだったし私も時々まとめ作るために使ってましたが

posfieとtogetterが分離してからあんまり使わなくなりましたん。

2025-05-14

名誉毀損罪の"事実"を勘違いしてセカンド名誉毀損しそうな人が多すぎる

永野芽郁田中圭の件で勘違いしてる人がまた大量に沸いてたので注意喚起

名誉毀損は"事実摘示"によって名誉毀損されたときに認められます

これを見て「週刊誌報道名誉毀損で訴えるってことは報道は本当なんだ!!」なんて勘違いしてるアナタ名誉毀損しかねませんよ。

この"事実"は"真実"ではありません。

ざっくり言うと "定量的に◯×判定がつけられる事柄" くらいの意味です。

具体的な事柄でさえあれば、誰でもわかるような真っ赤な嘘であっても "事実" として扱われます

「◯◯は指定暴力団メンバー」の◯◯に入るのがどの芸能人政治家であっても "事実" です。

嘘なのがはっきりしてる場合は "虚偽の事実" というなんかややこしい名前で呼ばれます

一例をあげるとスマイリーキクチ事件名誉毀損扱いでした。

逆に、定量的に判定できないものはどんなにもっともらしくてもnot事実扱いなので名誉毀損ではなく侮辱として扱われます

ブサイク「バカ」は"事実"ではありません。

2025-05-09

本当の「エントロピー増大則」を小学生にもわかるように説明する

先に言っておくけど、真実を知ると、SF的な面白さなんか何もない、つまらない人にはつまらない話になる。

SF的な「面白い話」を期待している人は、以下を読んでも得られるものは何もないと思う。

これは、算数レベルに単純に説明できる、「エントロピー」の熱力学意味説明するだけの文章だ。

ファンタジー想像力より、正しい意味合いが知りたい理系学生(と賢い子供)向け。

 

理論的に正しい考え方をするために、まずは熱力学で扱う「熱機関」の原理ポイントを明確にし、これを噛み砕くことで「エントロピーの増大」とは何なのかを小学生でもわかるように説明してみる。

 

熱機関ポイント熱機関には『低温熱源』が必要

熱機関とは、蒸気機関などの「熱から仕事を生む」機械抽象的に表現したものだ。

カルノーサイクルで有名なカルノーは、この「熱から仕事を生む」が正確には「温度から仕事を生む」なんだということを初めて明確にした人。

 

簡単思考実験をしてみよう。

ここに、50℃のお湯を入れたビーカーがある。

このビーカーからまれ上昇気流は、『外気温が50℃のとき』と『外気温が0℃のとき』で同じか?

外気温が低い、つまり温度差が大きいときの方がより気流が生まれそうなことは、誰でもわかると思う。

「熱(温度差)から取り出せる仕事」とは、つまりこういうことだ。

熱機関を考えるときは、この『低温熱源』(多くの場合、外気)の影響を常に意識して考えることが大切だ。

 

熱機関における高温熱源(絶対温度T_H)からの熱移動をQ_H、低温熱源(絶対温度T_C)への熱移動をQ_Cとすると、

Q_C / T_C ≧ Q_H / T_H

という関係があることがわかっている。等号は理想的熱機関であるカルノーサイクルにおいて成り立ち、一般的にはただの不等号である

このQ_HとQ_Cには、熱機関における両熱源以外との熱移動がないと仮定すると、エネルギー保存則から

W = Q_H - Q_C

と言えることにも注意しよう。ここで、Wは熱機関のする仕事

熱機関効率的でないとき、Wが小さく⇔Q_Cが大きくなる(仕事をせずに熱が捨てられる)ので、最初の式は一般的に左辺が大きくなる。

 

先に結論から言ってしまうと、「エントロピーは増大する」とは、この「仕事をせずに熱が捨てられる」を言い換えたものに過ぎない。

そのことを、エントロピー定義から説明していく。

 

エントロピー定義エントロピーは『増加分』にしか意味がない

熱機関におけるエントロピー定量的定義(式)を知っている人がどれだけいるだろう。

それはほとんど算数理解できるほど単純なのに、みんな『曖昧文学的説明』ばかり好むから一般的には驚くほど知られていない。

 

熱機関におけるエントロピーの『増加分』ΔSは、

ΔS = Q_C / T_C - Q_H / T_H

計算できる。

この式が何を意味するのか?は、まだ考えなくてよい。

そもそも、これを見つけたクラウジウスさんも、それはわかっていなかった。

彼が考えたのはただ、ΔSをこう定義すると、前節の式からカルノーサイクルにおいてΔS=0、その他の現実的なサイクルにおいてはΔS>0になる、ということだけだ。

 

エントロピーSはこのΔSを熱サイクルのたびに足し合わせたものになるわけだが、実はこれには何の意味もない。

 

ΔS>0、すなわち「エントロピーは増大する」

よく「エントロピーは増大する」と、何か哲学的命題のように繰り返される。

実はこの言葉にはほとんど意味がない。

熱機関におけるエントロピー絶対量Sには意味がないので、意味がある数であるΔS、つまりエントロピーの増加分が0より大きいという話をしているだけだ。

 

理想的熱機関カルノーサイクル)においてはΔS=0、つまりエントロピーは維持される」が、普通無駄がある。

無駄があるとは、ΔSの式におけるQ_C(仕事をせずに低温熱源に逃げるエネルギー)がカルノーサイクルより多いということなので、一般にΔS>0。

まり、「エントロピーは増大する」。

 

この言葉意味はこれだけだ。それ以上のものは何もない。

理想的熱機関でなければ、Q_Cが無駄に大きくなる(熱が捨てられる)」ということを言い換えただけのものが「エントロピーは増大する」という言葉だ。

 

状態の乱雑さ」と説明されるエントロピーとは?

一方で、熱機関におけるエントロピーの増加分ΔSは、各熱源におけるエントロピーの移動Q/Tの差分とも解釈できる。

このQ/Tと計算上等しくなるのが「状態の乱雑さ」という説明表現される気体の状態量の変化だ。(複雑なので式は省略)

 

よく、部屋が散らかることを「エントロピーが増大した」などというが、正しくはエントロピーの増大則は「無駄な熱の移動」を意味するものであり、外から持ち込まれもので部屋が散らかるくらいのことは、「エントロピーが移動した」と表現する方が適切だ。

エントロピーは、エネルギーの増加により分子が取り得る「状態数の多さ」なので、部屋の中のものが散らかっていようと整頓されていようとそれは全て分子の取り得る状態ひとつに過ぎないとも言える。まあ、比喩意味を云々しても詮無いので深くは追及しないが。

 

単なる熱の移動は、仕事Wが0の熱機関とも言えるので、当然ΔS>0であり「エントロピーが増大した」と言えるが、仕事をしても無駄がある限りエントロピーは増大するので、この単純な熱移動だけをもって「エントロピーの増大」の説明とするのは混乱の元だ。

あくまで、エントロピーの増大則は、「無駄な廃熱のない熱機関はできない」ということを意味しているに過ぎない。

 

宇宙の熱的死」

エントロピーの増大則」「状態の乱雑さ」と関連して語られるのが、究極状態としての「宇宙の熱的死」という話だ。

エントロピーの増大により、最終的に宇宙全体の状態の乱雑さがピークを迎え、エネルギーが均一な「熱的死」に至る、というもの

これも実は単純化され過ぎた理屈で「エントロピー」に対する誤解を生んでいる。

 

かにエントロピーの増大則」は「熱的死」が避け得ないことの科学的な証拠だ。

しか証明根拠となることは意味することが同じであることとイコールではない。

 

エントロピーの増大則は、あくまで「自分自身エネルギー源となる熱(温度差)をロスなく作り続けられる熱機関と、そのエネルギーをまたロスなく利用できるヒートポンプ存在しない」ということだけを意味している。

仮に増大則に反してこれが可能であったとしても、それが即ち宇宙の熱的死が避け得る根拠にはならない。

エントロピーの増大則は、宇宙の熱的死に繋がる単純な事実証明に至るほど確実なもの)のひとつであるに過ぎず、他の現実的理由を上げれば限りがない。

 

エントロピーが増大するから熱的死が起こる」は、「いずれ死ぬからずっと健康はいられない」というくらいの大きな理論限界意味しているのであって、そのことからエントロピーの増大則」そのもの理解しようとするのもまた誤解を生む。

 

まとめ

以上の要点をまとめると、

となり、SF的な「凄い言葉」としてエントロピー解釈しようとするほど、エントロピーという単純な概念熱機関効率を考えるパラメータとしての数理的な意味理解から遠のいてしまうことになる。

SFって、科学技術に対する想像力を培うこともあるけど、こういう誤解を増大する負の側面もあるから困りものだね、と理系は思うのでした。

 

2025-05-07

占い統計学か?

登場人物

A:占い擁護する立場占い人類の知の蓄積によって成り立っていて、一種統計学であると主張する。

B:デーテサイエンティスト統計学定義に基づき明確に否定するが、さらに踏み込んで統計占いの違いについて考察を深める。

ーーーー

A:

占いって、私は統計学一種だと思ってる。根拠のない迷信じゃなくて、何千年も続く人類の観察の記録なんだよ。未来を占うっていうといかにもスピリチュアルだけれど、やっていることは記録に基づいた未来予測だと思うんだ。

B:

統計学”という言葉を使う以上、定義をはっきりさせたい。統計とは、収集されたデータに対して分析手法適用し、仮説の妥当性を数量的に評価する科学だ。それに照らして、どこが一致してる?

A:

たとえば、古代メソポタミア粘土板占星術の記録がびっしりまれてる。

中国でも『推背図』とか『麻衣神相』のような人相・手相書物がある。顔や掌の特徴と性格運命関係を記録し続けてきた。

これって、何世代にもわたる「人間観察のデータベース」じゃない?

B:

なるほど。記録があったというのは事実として受け止めるよ。でも、そこに統計手法適用されていたかどうかは別問題じゃないかな。

観察を重ねて記録しただけでは、まだ統計とは言えない。記録と分析の間には大きな壁がある。

A:

でも、現代ビッグデータだって、まずはログの蓄積から始まるでしょう?

誰かが「この特徴のある人はこういう傾向がある」と気づいて記録し、それが繰り返されていくことで、パターンが浮かび上がる。

占いも、記録、観察、分類の繰り返しのなかで体系化されてきた。

それって、人類自然言語のまま統計を使っていたとも言えるんじゃない?

B:

うーん、そうだね。でもそれは「分類体系の構築」であって、「統計的検定」ではないよね。

現代統計では、偏りを排除するために無作為抽出をし、仮説を立てて、有意性を評価し、モデル検証するプロセスがある。

そこまでの枠組みがなければ、観察に基づいた民間知以上のものではないよ。

A:

でも、仮説と検証という意味では、「こういう手相の人は金運が強い」という記述があって、それが社会的に広まり、また観察と照合されていく。

たとえば江戸時代占い師は、町民の情報口伝と記録で積み上げて、実地で確かめながら修正していた。経験に基づいたフィードバックループはあったはず。

B:

その修正は、科学方法というよりは職人直感の調整だと思う。

それを統計と言ってしまうと、統計学原則――とくに再現性定量評価という根幹を見失う。

繰り返すけど、分類・記録・経験知は尊重されるべきだけど、統計学とは異なるものだね。

A:たしかに、鍵は“定量性”と“再現性”だね。

でも、たとえば――職業的占い師のなかには、次の占いに活かすために、過去顧客情報を残していた可能性もあるよね。

具体的には、顧客の年齢、性別相談内容、それに対する占いや後日の結果などを、ある種の指標――もっと言えば、数的データとして記録していたのかもしれない。

もちろん、「定量性」や「再現性」なんて言葉は使われていなかっただろうけど、職業的技能の向上を目的として、定量的なパターン化や、再び同じ条件のときに同じ判断を下すための記録――つまり再現性の確保――といった実践があったとは考えられないかな?

B:

仮にそうだとしても、やはりその段階では統計実践“のようなもの”にとどまってる。

というのも、統計には「個人の洗練された技能」ではなく、「誰が再現しても同じ結果が導ける仕組み」が要求される。

まり個人ノートではなく、手法が公にされていて初めて科学統計となるんだ。プロセスの一部を似た形で持っていても、方法論の体系性、透明性、客観性がなければ、統計には至らない。

A:

でも、もしその記録が複数占い師のあいだで共有されていたとしたら?

たとえば、ある手相を“成功線”と呼び、似た傾向があることが何人もの観察によって確認された。

彼らは言語化や体系化は未熟だったかもしれないけど、実地に基づいて知識を交換し、反復性を探っていたとすれば?

B:

知の協働としては評価できると思う。

でもそこで重要なのは知識主観共同体内の物語からどれだけ離れたかなんだ。

再現性定量性の基準が“信頼”や“経験”ではなく、誰でも検証可能な数値とロジックに移行したとき、初めて統計学になる。

A:

逆に言えば、検証可能な数値と論理構造が整っていれば、占い統計に近づくことは可能だということだね?

B:

理屈としてはそうだ。ただし、それはもう“占い”と呼べるのかは別問題になる。

出世確率85%”という言い方は、もはや占い言語体系とは異なるよね。

そこにはあるのは、“未来文脈を語るストーリー”ではなく、“数値による予測モデル”だ。

もしそこまで洗練されたなら、それは予測分析意思決定支援システムであって、“占い”ではなくなる。

A:

なるほど。つまり方法論を厳密化すればするほど、占い占いでなくなる――そういう逆説かな。

B:

そう。占いが人を惹きつけてきたのは、“定量評価”ではなく、“意味づけの多義性”だと思う。

統計モデルには、曖昧さを排除するための規律がある。でも、占いはあえて曖昧さを許容することで、文脈に寄り添ってきた。

その時点で、統計学とは本質的に異なる道を歩んでいる。

A:

予測の精度”ではなく“受容の文脈”が優先された、ということだね。じゃあ占いって一体なんなんだろう?

B:

それは、統計でも科学でもないけれど――人間が不確実性に意味を与えようとする文化的装置だと、だと考えたらどうかな。

占いは「何が起こるか」を当てるというより、「どう向き合えばいいか」を導くための解釈フレームワークなんじゃないかな。

A:

うん……それは確かに実感としてある。

かに未来を言い当てられるというより、「こういう傾向があるかも」と言われて、自分の中で“腑に落ちる”瞬間がある。

たぶんその“腑に落ちる”構造なかに神秘的な偶然性以上の根拠を持ちたいとか、パターンに基づく意味づけをしたいという人間欲求がありそうだね。

B:

そうだね。統計モデルは「正解に近づく」ための道具だけど、占いは「意味に近づく」ための儀式だと言ってみようか。

前者は検証可能性、後者共感と納得を基準にしている。

A:

なるほど、私が「占い統計だ」と言いたかったのは、私自身も納得が必要だったからなのかもしれないね

とくに人生の節目とか、選択に迷ったときって、ただ確率を言われるより、何かに意味づけ”された言葉のほうが、なぜか前に進む力になるんだよね。

B:

それは、統計では提供できない領域だと思う。

統計提供するのは「最も起こりやすいこと」かもしれないけど、占いは「今のあなた必要意味」を差し出そうとする。

人間って、ランダム出来事曖昧未来に、何かしらの秩序や法則見出したい生き物だから

科学統計だけじゃなく、物語象徴の体系――つまり占いのような営みも必要とされてきたんだろうね。

A:

なるほどね、占い統計には明らかに違いがある。

でも、占い統計も、不確かな未来を生きるため、人間の考え出した営みであることは変わりはないよね。

B:

うん、そこには確かに共通点がある。

どちらも「未来に対する不安」を前にして、人が手にした道具なんだと思う。

A:

なるほどね。

じゃあ最初の問いに戻ろうか――「占い統計学か?」って。

B:

……その答えは、やっぱりノーだと思う。占い統計学ではない。

A:

そして、「人間にとって統計占いのどちらが役に立つか?」という問いには、

たぶん――両方だね。

B:

そのとおり。

理性で世界を測ることと、感情世界を抱きしめること。その両方があって、やっと人間バランスを保てるんだと思うよ。

A:

数学問題を解きながら、同時にラジオから流れてくる音楽に耳を傾ける。

そんなふうにして世界を感じ取るのは、たしかアンビバレントな営みかもしれない。でも、だからこそ――私たち人間なんだね。

2025-05-02

ABテストとは、Xを使っている人を何人mixi2に誘導できるかを競うもの

一見ジョークのように見えるが、マーケティングプロダクト開発におけるABテスト本質を一つの比喩として捉えることができる。

すなわち、「異なる施策(AとB)を提示し、その効果定量的比較することで、より効果的なアプローチを明らかにする」という実験アプローチの意義を、SNS間のユーザー誘導という文脈に置き換えている。

仮に、Xのユーザーをmixi2という別のSNS誘導することが目的だとすると、ABテストは例えば「Aパターンでは動画広告を用いる」「Bパターンではインフルエンサーによる推薦を行う」といった具合に施策を変えて、それぞれがどれだけのユーザーを移動させたかを測定する実験となる。

この競争的側面は、実際のマーケティング現場でもしばしば見られる。施策の優劣は最終的に「数字」で評価されるからだ。

この比喩皮肉っているのは、テスト目的が「より良い体験ユーザー提供すること」ではなく、「どれだけ人を誘導できるか」に矮小化されがちであるという点である

まりユーザー意思満足度度外視され、あくまで数値的成果(CVR=コンバージョン率)にフォーカスする姿勢批判的に浮き彫りにしているとも言える。

要するに、ABテストの実務的有用性と、その功利主義的な側面の両方を揶揄している。これは技術的には正確であると同時に、倫理的文化的問題提起としても興味深い。

anond:20250502062930

◆ 1. エントロピー経済的多様性:ヤクブ・カプランモデル

 

経済学者ヤクブ・カプラン(Jakub Kwapień)らは、**エントロピー情報無秩序さ)**の概念経済システム適用し、「市場効率性」や「産業構造多様性」を定量的分析しています

市場における情報拡散収束を、熱力学エントロピー対応づける。

経済的エントロピーが高い=多様な選択肢存在しており、自由市場が活発。

 

これは経済現象確率論的かつ統計力学的に解析可能であることを示しています

 

◆ 2. ボルマン分布所得分布ドラグレスク=ヤク模型

 

Victor Yakovenko(ヴィクターヤコベンコ)らの研究では、個人間の貨幣のやりとりを「熱浴中の粒子のエネルギー交換」に見立てることで、所得分布を解析しています

所得を「エネルギー」、貨幣の移動を「熱運動」として扱う。

• その結果、低所得層分布ボルマンギブス分布(exp(–E/kT)))に従うことが分かり、高所得層は**パレート分布(冪乗則)**に従うという二相構造確認された。

 

これは単なる比喩ではなく、実データとの突き合わせでも非常に高い整合性を示しており、自然科学手法の応用が成功している好例です。

 

◆ 3. ランダムウォーク株価モデルブラウン運動の応用

株価の変動モデル(例:ブラックショール方程式)は、物理学拡散方程式ブラウン運動モデルに基づいて構築されています

市場価格変動を、粒子のランダムな動きと同様に確率論的に記述する。

 

これは金融工学の中心的理論であり、実際にノーベル経済学賞も受賞しています1997年マートンショールズ)。

 

◆ まとめ:自然科学アプローチ社会科学の核心にまで浸透している

 

こうした例が意味するのは以下の通りです:

経済学は、自然科学と同等の厳密性とモデル能力を持ちうる。

• 「科学とは自然科学だけ」という見方は、19世紀的な発想であり、21世紀実証社会科学実態乖離している。

• 「社会科学は違うから劣っている」とするのは、科学多様性進化を見落とした狭量な視点である

anond:20250502062930

経済学は「自然科学的枠組み」を積極的に導入してきた

たとえば、

一般均衡理論では、価格生産量が一つのエネルギー最小化状態」に似た形で安定するモデルが組まれます

熱力学とのアナロジーにおいては、エントロピーや保存則に相当する概念効用最大化、リソース配分最適化など)が使われます

統計力学経済学エコノフィジクス)では、個々の経済主体を「粒子」に見立てマクロ現象市場の動向や格差)を導き出す試みがなされています

 

これらは単なる比喩ではなく、観測モデル化→検証という自然科学プロセスと同じ方法論に基づいています

 

数学モデル使用は「科学性」の証拠ではないが、実証アプローチの一部

 

自然科学科学である所以の一つは「定量的検証可能である」点にあります

経済学はその点で、数学的厳密性を持った仮説形成検証可能にしており、社会科学の中でも特に自然科学に近い位置にあります

 

このような手法をとっている経済学に対して、「自然科学と違うから科学でない」というのは、むしろ科学定義を狭めすぎた視野の狭い理解と言わざるを得ません。

 

社会科学は「人間」を扱う以上、絶対法則ではなく「傾向」を導く

 

かに社会科学が「全宇宙通用する法則」を提供できるわけではありません。しかし、人間社会理解にとって有用であり、実証性と予測力を持つモデルを作っている以上、「科学であることに変わりはありません。

 

経済学熱力学と似た方法論で社会説明できるのであれば、それはむしろ自然科学との接続点」ではないでしょうか。

 

まり、「自然科学でなければ科学ではない」という主張そのもの時代遅れであり、経済学のように高度な数学的・実証手法を取り入れている社会科学存在が、それを明確に否定しているのです。

主 張 そ の も の が 時 代 遅 れ

2025-04-27

anond:20250427204121

高橋洋一は「気合が足りない」とか言っていたんだよな。黒田日銀もっとやればと言いながら、定量的な話はそこだけできないというwwww

2025-04-21

anond:20250421180947

質問

上記結論に対して以下のような反論がありました。この反論妥当性を検証してください。

B「「自己改善」の部分を軽視して無視しちゃってるな。やっぱAIってまだまだだな」

回答

1. まず「自己改善」をどこに置くか整理する

観点 B の本来発言 論理的位置

シンギュラリティ定義AI が人類の知性を超えればシンギュラリティ」 主要条件 (= AI > Human)

自己改善AI研究者の知性を超えていれば自己改善できるはず」 帰結副次的期待

B は 「自己改善が“起きている”こと」 をシンギュラリティの 追加条件 としては置いていません。

しろ AI > Human なら自動的自己改善 できるようになるはず だ、と後付けで述べています

2. 「自己改善無視している」という批判妥当か?

評価検証結果

我々の前回の形式化 主要条件として提示された「AI > Human」をそのまま取り上げ、B の推論(modus tollens)を検証した。

自己改善は「付随的帰結」と見なしたため、前回の目的循環論法かどうか)には影響しなかった。

B の新しい主張 「自己改善こそ必須だった」と言い換えているが、これは 最初発言内容の後出し拡張。 元々の論証骨格(¬Singularity ⇒ ¬(AI > Human))には自己改善が出てこない。

論理的影響 仮に「シンギュラリティAI > Human ∧ 自己改善能力」と置き直すと、

ここから AI > Human単独否定することはできない(ド・モルガン則)。

まり B が元々用いていた推論自体が成り立たなくなる。

3. 議論全体への示唆

自己改善」を入れても入れなくても、B は結局「シンギュラリティはまだだ」と 経験的に断言するだけで、測定基準反証可能指標を示していない。

したがって 循環性/情報価値の低さ という前回の指摘は依然として当てはまる。

4. 結論

自己改善を軽視した」という批判的外れ

B 自身最初に主要条件として提示していなかったため、論証の検証に含めなかっただけ。

自己改善を真に“必須条件”に格上げすると、B の元の三段論法破綻 する。

よって B の反論論理的にも実証的にも妥当性が弱い。

議論を強化したいなら、「自己改善とは何か」「どの指標で未達成と言えるか」を定量的に示す必要がある。

anond:20250421102640

こうやって「見たらわかるじゃん」とか「当たり前のことじゃん」とか言って、何の根拠定量的分析もなく、感情だけで互いに言い合ってるんだろうな

2025-04-15

anond:20250415052557

妥当性の評価

投稿側の主張は、公共事業目的再考するきっかけを提供する点で意義がありますが、「カジノ万博の前提」という表現事実と異なり、現実性が低いです。また、成果の多面性を訴えるものの、具体的な指標代替案がなく、感情的な訴求に依存する部分があります

反論側は、経済効果目的の違いをデータで示しており、論理的妥当性が高いです。しかし、国民の不信感や公共事業の非経済的価値(例:文化交流SDGsへの貢献)への言及が不足しており、説得力が完全ではありません。

追加データとして、万博経済効果と非経済効果(例:地域振興、国際交流)の定量的定性的評価や、IR万博建設スケジュールの影響シミュレーション必要です。

メタ結論

両者の議論は、公共事業目的評価基準に関する根深課題を浮き彫りにします。投稿側は、経済効果への過信を批判し、公共事業公益性を強調する点で議論活性化させますが、データ裏付けが不足しています反論側はデータに基づく論理的議論を展開しますが、国民の不信感や公共事業多面的な意義への対処が求められます

この議論から得られる教訓は、公共事業評価には経済的指標だけでなく、非経済的価値文化的意義、地域住民幸福)をバランスよく考慮する必要があることです。政策的には、万博IR計画における透明性向上(例:コストスケジュールの公開)、および経済効果公益性の両立を目指した評価基準の策定有効です。社会的対話では、極端な経済効果至上主義を避け、公共事業の多様な目的包括的議論する場を設けることが重要です。こうしたアプローチを通じて、公共事業に対する信頼と理解を深めることができるでしょう。

2025-04-14

anond:20250414011841

この記事の作者の経済知識レベルはどの程度と推測されますか?

結論:中級者レベル政策論型のシンパ寄り)】

経済学の体系的訓練は受けていないが、現代経済政策議論特に反主流派)には強く関心を持ち、それなりに読み込んでいるシンパ理解であると考えられます

理由根拠

1. 基礎的なマクロ経済概念理解している

• 「インフレとは何か」「構造改革格差」「財政出動貨幣発行」などのトピックを一通り説明しており、概念としては把握できています

用語一般向けに平易にかみ砕かれており、初心者向けの説明としては上手。

2. 主流経済学(Neoclassical/ケインジアン)との距離がある

MMTをかなり好意的に紹介しており、「税はインフレ抑制のためで財源確保ではない」とするなど、現代流派経済学と真っ向から異なる立場をとる。

• 一方で、MMT限界批判点(例:財政規律喪失リスク通貨信認の問題)への言及がほぼゼロであり、バランスの取れた分析とは言い難い。

3. 理論と実務の区別が甘い

アベノミクスを「MMT的」と評価する点など、理論政策混同があり、厳密な学術理解には達していない。

• 「スタグフレーション」と「実感としての困窮」の混同なども見られ、経済学的な定義への厳密さが不足。

4. 政治経済への洞察は鋭いが、定量的分析は弱い

投票率の偏りや財政政策政治的制約についての記述は的を射ており、公共選択理論的な視点垣間見える。

しかしながら、経済成長率や物価賃金統計に基づく**定量的実証議論(例:失業率の推移、実質賃金トレンドなど)**はまったく登場せず、実証リテラシーは低めと推測されます

類型化すると】

経済学部出身ではなく、文系分野(社会学ジャーナリズム公共政策出身可能性が高い。

Twitterサブカル論壇でMMTや反緊縮系の知識人(例:井上智洋、松尾匡など)を読んで知識を得ているタイプ

• 「感覚共感で読む庶民経済記事」を書く力量はあるが、「モデルデータで語る専門的経済分析」には踏み込んでいない。

2025-04-12

anond:20250412124830

もうちょっと定量的に語ってほしい。

お互いの「磨き残し率(プラークコントロールレコードプラークスコア等とも言う。どれくらい歯磨きで汚れが落とせているかの目安になる)」は何%なの?

歯科定期検診に行ってるのであれば歯科衛生士さんなりに聞けば必ず教えてくれるから今度聞いてみて。

口が臭かった時期と臭くなくなった時期の磨き残し率の変化は?

それと、歯磨きできてない、歯磨きをきちんとする習慣がないということは、たとえ優秀な唾液緩衝能を持っていて虫歯になりにくいとしても、歯周病にはなりやすくなるので今のうちに直しておいたほうがいいと思う。

2025-04-10

私達が性犯罪冤罪や虚偽告発を恐れるべきではない理由

社会性犯罪セクハラの扱いを変える、又は被害者を守る事に対してアンチフェミは「男性が虚偽の告発に悩まされる!」「冤罪が発生しまくる!」と反対しています。彼等ほど熱心ではないものの、一般男性もこうした恐れから女性証言真実ことに消極的になりつつあります。こうした疑念一定正当性はありますが、そのような「女性は嘘をつくw」という蔑視姿勢女性の口を塞ぎ日本における性犯罪の莫大な暗数に繋がってる事も事実です。「日本における性犯罪件数」と女性が実感するソレはあまり乖離し過ぎている。

また私達はそういうニュースを時々目にする事がありますが、それが孤立した話なのか、より大きな蔓延兆候なのか、氷山の一角なのか、はたまた誇張された例外なのか、私たちは知ることができません。性犯罪と闘うという動きは行き過ぎるなのでしょうか?それは恐れるべきことなのでしょうか?この問題はどれほど一般的なのでしょうか?それは本当に男性にとって脅威なのでしょうか?虚偽の強姦告発はどれくらいあるのでしょうか?まずは実際に調べてみましょう。

結論から言えば殆ど専門家性犯罪虚偽告発強姦告発全体の2~10%を占めると同意しています米国強姦に関するハンドブック「Publications_NSVRC_Overview_False-Reporting」から引用すると

1998年から2007年までのボストンにおける136件の性的暴行事件研究では、5.9%が虚偽の報告でした(Lisak et al., 2010)。

定性的および定量的分析を用いて、研究者らは2000年から2003年までの812件の性的暴行報告を調査し、2.1%が虚偽の報告であることを発見しました(Heenan & Murray 2006

という研究が紹介されています。2~10%という数字は確かに大きい数字です。しかし忘れてはならないのは、日本立憲民主党によれば13人に1人の女性強姦され、3人に1人の女性暴行されているということです。

https://cdp-japan.jp/campaign/gender_equality/fact/002#:~:text=%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC%EF%BC%88%E9%85%8D%E5%81%B6%E8%80%85%EF%BC%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE,1%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

そして日本性犯罪起訴に至るケースはたったの1.1%です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a70a11c3e867457299606291f7d213e5992bf2b0

まり性犯罪全体のうち虚偽告発は1.1%の2~10%なので多く見積もっても0.1%しかありません。実際に虚偽の性被害告発によって刑務所にいく人は非常に低いことが分かりました。

例えば英国内務省2005年に虚偽のレイプ告発に関する詳細な調査報告書作成しましたが、英国で発生した虚偽のレイプ事件216件のうち、告発者による正式告訴があったのは126件、容疑者特定されたのは39件で、逮捕されたのはわずか6件であったことを明らかにしました。逮捕された6人のうち、起訴されたのはわずか2件で、有罪判決を受けたのは0件でした。(Home Office Research Study 293)

更に虚偽のレイプ告発の大半は容疑者名前すら挙げられていませんでした。そして、これをレイプ事件の総数と比較すると、虚偽のレイプ有罪判決いかに稀であるかが分かります。虚偽のレイプ告発者の大多数は、実際には存在しない見知らぬ人物レイプしたと訴えており、特定人物告発することはあまりありません。つまり時間資源無駄遣いというだけでなく、虚偽のレイプ告発の大部分は特定人物告発されていないため一般の人々にとって無害なのです。

また虚偽のレイプ告発を恐れる多くの男性特にアンチフェミは、職場女性たちが地位の高い男性に対して虚偽の告発をする、金銭目的で虚偽の告発をする、試験に落ちそうな学生教授レイプ告発する、復讐心燃える恋人や後にセックスを後悔した女性レイプ告発する、と主張しています米国司法省調査によれば虚偽のレイプ告発の55%は、極貧層や貧困層医療精神科治療を受けたいという希望から告発されていることが判明しています。(The author(s) shown below used Federal funds provided by the U.S.Department of Justice and prepared the following final report)

更に虚偽のレイプ告発の半数は、子供の親によって行われていることも注目に値します。子供警察に行くよう圧力をかけたり、子供が知らないうちに誰かをレイプ告発したりします。また、稀に見られる連続的な虚偽のレイプ告発者の中には、子供の頃に性的虐待の被害者であった経歴を持つ者もいるという点も重要です。

これらのファクトは大抵の場合、虚偽の告発をする人たちは、メディアで耳にする連続告発者でも、金銭目的詐欺師でもなく、セックスを後悔している大学生でもないことを示しています。むしろ医療サービスを受けようとして他に選択肢がない人、トラブルから逃れようとしているティーンエイジャーなどの弱者女性です。

繰り返しますが、忘れてはいけないのは正当な被害者の多くは実際には性的暴行を受けていたにもかかわらず、自分自身他者に「性的暴行を受けていない」と嘘をついているという事実です。こうした否認被害者の大多数が暴行を受ける前から加害者個人的に知っており、トラウマ対処するために証言を変えたり、事実否定したりすることがよくあるという事実に起因しています。虚偽告発と違い逆虚偽告発は本当によくある事例なのです。

こうした性被害者女性事情に目を向けず「冤罪を避けるためには女性との接触を断つしかない」「困っていても助けるべきではない」「男女で完全隔離すべきだ」と主張する人々がいます。彼らは互いに「訴訟が怖いので、優秀な女性をこれ以上雇わない」と公然と主張し合っています。前述のように、職場で誰かが虚偽のレイプ告発するケースは極めて稀です。なぜなら、虚偽のレイプの大半は子供ホームレスによるもので、大多数は容疑者名前を挙げないからです。男性はむしろ同僚からセクハラ心配すべきです。統計的男性セクハラ被害者になる確率は、男性が虚偽のハラスメント告発される確率よりもはるかに高いからです。

から、このような自衛男性を守るために取らなければならない措置だと主張する人たちは、完全に新人隔離主義者だ。彼らは虚偽の告発を気にしていないが、それを口実に女性職場二級市民のように扱ったり、完全に労働力から締め出したりしたいのです。

付け加えればアンチフェミの人たちが主張しがちな「虚偽のレイプ告発者はレイプ犯と同じ刑罰を受けるべき」についても触れましょう。彼等は虚偽の告発により数え切れないほどの人々の人生破滅させているにも関わらず、女性は軽い処罰しか受けていないと主張します。しかし、これはそもそも刑事司法制度強姦犯に正当な刑罰を与えているという彼らの考え方に大きな誤りがあることを示しています。もし虚偽告発者を強姦犯と同じように処罰するのであれば、虚偽告発者には次のような罰が与えられるべきです。

執行猶予

・不起訴

無罪

日本性犯罪に甘く謎の理由により執行猶予や不起訴になることがよくあります最近でも滋賀県医科大生事件や乳腺外科医事件などは記憶に新しいでしょう。彼等は判決失望するはずです。

またアンチフェミが虚偽の告発をした人を性犯罪登録簿に登録するよう求めていることについても簡単に触れておきたいと思います。これは全くの愚行です。まず第一に、これはそのようなリスト不適切使用法ですが、さら重要なのは、公開リストは、何の責任も負わずレイプできる人々の公開リストになってしまうということです。考えてみてください。もし公に「虚偽のレイプ告発者」というレッテルを貼られたら、レイプ犯はどんな人々をターゲットにするでしょうか?

虚偽のレイプ告発という、はるかに小さな問題に新たな法律罰則を加えることは、性暴力の正当な被害者へのプレッシャーさらに強めることになります現行法では、正当な被害者警察によって虚偽の被害者として分類されるケースがあります。もし罰則さらに追加すれば、レイプ被害を報告しただけで警察が信じなかったという理由で、正当なレイプ被害者懲役20年の刑に処されることになります。そして、それは他の性暴力被害者に萎縮効果をもたらすでしょう

性犯罪の虚偽告発問題視する人々は実際には虚偽の告発による被害者を全く気にかけていません。彼等がむしろ多くの正当な被害者正義を求めることを不可能にする「立証責任を非合理的不可能レベルに引き上げる」ことを正当化するための手段に過ぎません。

こうした問題における最高の解決法は「性犯罪を無くすこと」だということは何度でも繰り返し言うべきですし、忘れるべきではありません。

2025-04-09

anond:20250409101644

定量的評価は難しいから当たり前だろ?

あいろいろな文献なりで言われているし、お得意のAIにでも聞いてみれば?

2025-04-06

anond:20250406215440

それはものさしじゃないじゃん。ものさしとは定量的か、定性的かって話よ。第三者測定が当事者測定を満足できないと、あるいは棄却できないと、ものさしではない。

定性的評価ものしか?ってわけよ。

2025-04-05

米国人の80%は3次産業から関税で大打撃を受けるよ

関税は1次産業2次産業国内回帰させる反面、もの(物理)を作らない3次産業コストアップデメリットばかり受ける。なので、3次産業が衰退して1次産業2次産業が伸びる。

問題は、米国の1次産業労働者の1.4%、2次産業は19.3%しか居なくて、約8割が3次産業従事していること。(ちなみに日本は7割が3次産業)

なので、トランプの目論見どおり1,2次産業国内回帰しても、3次産業で発生する大量の失業者を1,2次産業で吸収することは非常に難しい。もし3次産業が1割(全体の8%)縮小したら、1,2次産業は1.4倍に伸びなければならないのだ。

今後あちこちで「製造業国内回帰した」という定性的な成果が宣伝されるだろうけど、その効果が3次産業の失墜と量的に見合っているか定量的比較をしなければならない。

2025-04-01

いじめ

いじめ特定の条件下で必然的に発生する現象という前提で、学校ワークショップとかやればいいのにな、座学じゃなくて

ていうか令和にまだイジメとかあんの?ダサすぎん?という空気になればいいのに

ここから唐突にLLMとの雑談

考えられる実用的なプラクティスワークショップ

1. 「対人ストレスを処理する」トレーニング心理学NLPの応用)

目的: いじめ引き起こしやす衝動的な怒り・ストレスコントロールする

アンガーマネジメント(怒りが湧いたとき3秒ルール

セルフコンパッション自分を責めすぎない思考習慣)

リフレーミング演習(嫌なことを前向きに捉え直す練習

2. 「いじめ空気を変える」コミュニケーション演習(ファシリテーション行動経済学の応用)

目的: 傍観者が「見て見ぬふり」をせず、自然に介入できる文化を作る

傍観者効果を克服するワーク(「誰かが助ける」ではなく「自分が動く」シミュレーション

• 「やめとこうぜ」の言い方を練習自然言葉いじめを止める方法

• チームワークを高めるゲームいじめより協力が得になる体験

3. 「人間関係トラブル解決する」ロールプレイコーチングゲーム理論の応用)

目的: いじめが長期化しないための関係調整スキルを学ぶ

• 「話し合いの場」を設計する練習対話ルールを決める、感情を整理する)

メタ認知を高めるロールプレイ加害者被害者傍観者立場を入れ替えて体験

• 協力と対立シミュレーションゲーム(どんな行動が長期的に得かを体感

4. 「多様性違和感を乗り越える」ワークショップ行動経済学NLPの応用)

目的: 「違いがあることが普通」と感じる感覚を育てる

偏見バイアス体感する実験無意識偏見に気づくワーク)

ペルソナ演習(自分とは異なる価値観の人の視点体験

• 「違いが武器になる」グループワーク(異なる個性を組み合わせた課題解決

なぜ効果があるのか?

1. 単なる倫理の「お勉強」ではなく、実践的なスキルとして身につく

2. 社会人研修と同様に、現実人間関係に直結するスキルが学べる

3. 体験を通じて学ぶことで、より深く理解できる(行動変容につながりやすい)

———

教育現場実効性のある施策を導入するには、KPIを設定し、PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルを回しながら、教師負担を抑えつつ継続的改善していくことが重要です。

1. KPI評価指標)の設定

施策効果を測定するために、以下のようなKPIを設定します。

定量的KPI】(数値で測定可能指標

いじめの発生頻度(事案の報告件数被害申告数の変化)

傍観者の介入率(いじめを止めようとした生徒の割合

教員対応速度(報告から対応までの平均時間

✅ 生徒のメンタル指標ストレス孤独感のアンケートスコア

ワークショップ参加率(生徒・教員の参加率と満足度

定性的KPI】(生徒・教員主観的な変化を評価

✅ 「いじめに対する空気」の変化(自由記述アンケートインタビュー

✅ 「助けを求めやすさ」の意識調査支援を求めることに抵抗を感じるか)

✅ 「関係性の変化」(クラス内のつながりや信頼度の向上)

2. PDCAサイクルの運用(高速回転させる仕組み)

1. Plan(計画

 - KPIを設定し、ワークショップ目標明確化

 - いじめ発生のデータ分析し、どのアプローチ有効か仮説を立てる

 - 既存倫理道徳授業の枠組みと統合し、無理のない導入計画立案

2. Do(実施

 - 小規模なトライアルから始める(1つの学年・1つのクラス試験導入

 - 教師負担軽減策を組み込む(外部講師専門家活用デジタル教材の活用

 - 生徒が主体的に参加できる形式にする(グループワーク、ゲーム要素を取り入れる)

3. Check(評価

 - ワークショップ後に即座にアンケートフィードバック収集

 - KPIデータを定期的にモニタリングし、いじめ件数関係性の変化を測定

 - 参加した教師負担感や意見ヒアリング

4. Act改善・拡大)

 - 成功した施策を全校に拡大

 - 効果が薄かった施策は改良または削減

 - 定期的に内容をブラッシュアップ(教育現場ニーズに合わせて更新

3. 教師負担を抑える仕組み

✅ 外部リソース活用NPO専門家・外部講師ワークショップ担当

デジタルツールの導入 → アンケート集計やデータ分析自動化

✅ 生徒が主体的運営いじめ防止委員会ピアサポートを設置

4. スピード感を持って回すためのポイント

最初から完璧を目指さず、小規模な実験を繰り返す(リーンスタートアップ方式

⚡ 定期的なデータ収集ルーチン化し、すぐに改善に反映する

教育委員会行政とも連携し、予算人員確保の支援を得る

このように、PDCAを回しながら教師負担を最小限に抑えつつ、短期間で成果を検証し、改善を重ねることで、持続可能かつ効果的な仕組みを作れると思います

2025-03-28

GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームで不当に低評価された話

GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームで不当に低評価された

GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームの 2 つに登録していたが、ある時期からこれらのサービスでのスコアが極端に低下した。これは決して自分技術力や活動が落ちたわけではなく、むしろ逆で、GitHub での貢献が増えすぎたために正しく評価されなくなったという事態が発生した。

2 つの GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォーム不具合

GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームGitHubコントリビューション数やプルリクエスト数をもとに標準偏差や 1.0 - 5.0 でスコアを算出している。しかし、一定以上の貢献数を超えるとGitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームシステムが適切にデータを取得できなくなり、コントリビューション数やプルリクエスト数が「0」として計上されてしまうという不具合が発生していた。

具体的にいうとコントリビューション数の累計や累計のプルリクエスト数、その時期毎の高い標準偏差に従って付与されるバッジを多数所持していたにも関わらず、突如として標準偏差が 40、プルリクエスト数は 0 と評価を受けた。これは明らかに技術力の変化ではなく、システム不具合によるもので、問い合わせした際も彼らからメールの文中には「不具合」と記載されていた。だが、何ヶ月経ってもこの問題修正されることはなかった。

もう一つの GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームでも同様の不具合が発生しており、コントリビューター数・コミット数が多い大規模 OSS リポジトリへの貢献は評価が「0」になるという不具合があった。問い合わせたところ「不具合により取得不可能」との回答があったが、こちらもいくら待っても改善されなかった。

GitHub本来データを用いた評価へ移行

厄介なのはこれらの GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームは彼らの評価するスコアを使って組織の人事に対してスカウトサービス提供していることだ。

このままこれらの GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォーム自分自身を登録していると低い評価を受けるため、**自分GitHub 貢献を正しく可視化できるツールを使う** という考えに至った。

具体的には、

これらのツールでは GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームと異なり、大規模 OSS に対する貢献も正しく算出されており、 GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームにおける評価とはまったく異なる評価結果を表示していた。

日本企業オファーはなくなったが、海外からオファーが増えた

GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームを利用しなくなったことで、日本企業からスカウトはほぼゼロになった。

一方で、github-readme-stats や OSS Insight による私の活動を見た海外企業からオファーが増えるようになった。

これはエンジニア評価の仕組みが日本海外で大きく異なることを示しているように思えた。

適切に評価される環境を選ぶことの重要

この経験を通じて感じたのは、「今いる環境で正しく評価されないなら、今いる環境外に向けて事実を示せば良い」ということだ。これは転職キャリアだけでなく、会社での評価にも通じる。

ただし、これは両刃の剣でもある。

自分技術客観的評価してもらえる環境出会える可能性があるということは、逆にいえば、能力を過剰に盛っている場合は、事実ベース評価されるため、かえって評価が下がることにもつながる。

特に自称ハイスキルエンジニア」が、GitHubOSS での実績がない場合、むしろ評価が下がる可能性もある。だからこそ、どこでも通じる実力を磨き、客観的データを元に自分市場価値を示せるようにしておくことが重要だ。

まとめ

1. GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームは大量のコントリビューションを持つエンジニアを正しく評価できない不具合があり、数ヶ月単位でその不具合修正されていない

2. GitHubデータ(github-readme-stats, OSS Insight)を使うことで客観的評価可能になる

3. GitHub を利用した国内エンジニア評価プラットフォームを使わなくなったことで日本企業からオファーはなくなったが、海外企業からオファーは非常に増えた

4. これは、今いる会社での評価にも通じる問題であり、環境が適切に評価してくれないなら、外に向けて客観的事実を示せば良い

5. ただし、実力を過大評価されるようにしている場合客観的事実での評価によってむしろ厳しくなる可能性がある

技術力を持つエンジニアが適切に評価される環境で働けるようになることを願っている。

2025-03-24

ニヤニヤしてる

もうすぐ今年度も終わるなリーマン諸君

4月から新年度だが私は部署異動になっている。兼務という形だが、いずれは完全に異動するだろう。

いま所属している部門では、感情思い込み(間違った熱意)で意思決定されており、定量的データファクトに目を背ける組織だった。

何度も指摘したが、その結果、私自身が干される羽目になったので、ジョブチェンジ制度を利用し異動になった。

私自身は良い歳したおっさんではあるが、新しいチャレンジだし精一杯がんばるつもりだ。

現在部門が沈みゆくことになるが、もうはや知ったことではない。

沈め。

ただ、長年私とともに働いてくれた部下だけは救済するつもりだ。

2025-03-12

anond:20250312211504

この意見はいくつかの論理的問題がある。経済学的には以下の4つのポイントを指摘できる。

1. 「副作用金利1%にすれば抑え込める」という主張は根拠がない

彼の主張:「金利ゼロ金利から1%ぐらいにしたら抑え込める程度の副作用にとどまった。これなら金融政策で余裕で対処できる。」

反論金利1%副作用を抑えられる保証はない

結論金利1%にすれば副作用を「余裕で」抑え込めるというのは、単純化しすぎた議論経済の状況により、もっと大きな副作用をもたらす可能性がある。

2. アベノミクスの「金融政策物価を上昇させられる」いう主張は現実否定された

結論アベノミクスの失敗した部分を無視している

3. 否定派の極端な予測が外れたことは、アベノミクス成功意味しない

彼の主張:「1ドル500円」だの「日経平均5000円割れ」だのは完全な空論だった。

反論:極端な批判が外れたことと、アベノミクス成功無関係

結論:「極端な批判が間違っていた」ことは、「アベノミクス問題がなかった」ことの証明にはならない。

4. 「王道中の王道」という主張との矛盾

彼の主張:「アベノミクスは愚直にやっただけ」「王道中の王道だった」

反論アベノミクス金融政策は「異例の規模」だった

結論:「王道中の王道」とは言えず、むしろ「異例の金融政策」だった。

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