はてなキーワード: 子育てとは
食品のみを消費税ゼロにする政策と、「一律消費税減税(例:現行10%→8%)」を比較した場合、それぞれに異なるメリットとデメリットが存在します。以下に、特に「飲食店への影響」「公平性」「経済刺激効果」「税収への影響」「制度運用の複雑さ」の観点から比較検討します。
観点 | 食品のみゼロ税率 | 一律消費税減税(例:10%→8%) |
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**飲食店への影響** | ●仕入控除ができなくなり、税負担が逆に増加 ●外食が相対的に高くなり、客離れの可能性 | ◎仕入控除は維持され、全体的なコスト軽減 ◎外食も含めて価格が下がるため、需要減少リスクは低い |
**低所得層への恩恵** | ◎食費の占める割合が大きいため効果大 | △恩恵は消費額に比例するため、高所得者に偏りがち |
**公平性** | △外食と中食・内食の線引きが曖昧で不公平感あり | ◎すべての支出に均等に適用され、制度として公平 |
**経済刺激効果** | ○家計の食費軽減で間接的に可処分所得を増加 | ◎消費全体に効果が及ぶため、より大きな景気刺激策となりやすい |
**制度の複雑さ** | ×軽減税率や仕入控除制限により煩雑 ×インボイス制度との整合性問題も | ◎シンプルな税率変更で済み、実務負担が少ない |
**税収への影響** | △食品関連のみの減税で済むため限定的 | ×すべての取引に適用されるため、税収減は大きい |
🔷 要約と結論
社会的弱者(低所得層・子育て世帯)を直接支援する意図は強い。
ただし、外食産業や飲食店にとっては税制上の不利が生じやすく、経理処理も複雑化。
軽減税率制度と似た問題(線引き・逆進性是正の限界)を抱える。
▪ 一律消費税減税の特徴
飲食店を含む全産業に公平に効果が波及し、インボイスや仕入控除の仕組みもそのまま利用可能。
実務負担も比較的少なく、迅速な景気刺激策としての有効性が高い。
ただし、減税による恩恵が「高所得者」にも大きく及ぶため、再分配効果に乏しい。
外食産業や中小飲食店を守りながら低所得層を支援したい場合は、「一律減税 + 給付(定額・食費補助等)」の組み合わせの方が、現場に負担をかけずバランスの取れたアプローチといえます。
最近政府が就職氷河期世代対策を検討していて良い傾向だと思う。
経済的に恵まれなかったり進学就職がうまくいかなかったりパートナーに巡り合えなかったり様々な苦境にあえいでいる方がいる。
自分は頭も悪く容量も良くなかったが親はそれなりに金を持っていた。
運良くそれなりの企業に就職できパートナーと運よく出会い家族に恵まれた。
そんなふうに漠然と考えていたが、ふと自分が思っていた以上に就職氷河期の上澄みは時代の恩恵を受けていると気付いた。
学生~20代って人生で一番金を使いたいときじゃないだろうか。
普通の学生、普通の20代のサラリーマンが享受できるもののワンランクツーランク上のものを手に入れた、体験した。
子育ても金は当然かかったが食費は安いし家庭内のことを外部委託するにしても費用は今考えると法外な安さだった。
金を使いたい時期と金のかかる時期にデフレだったのは個人としてはとてもいい思いをしたのだと思う。
もちろん日本全体にとっては別の話だが。
当時、社会からボロカス言われたゆとり世代もアラフォー、アラサーになってきたけど、ぶっちゃけ社会の役に立ってる?
今の日本の衰退とか、困窮とか、少子化とか、全部ゆとり世代が悪いのかな?Z世代や氷河期世代、バブル世代と比べても使い物にならなかったのかな?
私自身、ゆとり第一世代?のアラフォーで、今は管理職だけど、色々思うところがある。
②Z世代:ゆとり世代から見れば、みんな真面目で賢い。でも再雇用のジジババからの評判は悪い。特に態度。何で?
③バブル世代:両極端。仕事ができる人には大変お世話になっております。できない人は最悪、害悪、老害のトリプル役満。パワハラ、セクハラは勿論、失敗は全て部下のせいにする。今の日本の諸悪の根幹はココだと思っている。
④ゆとり世代:アラフォーゆとりは2種類あって、昭和、平成の流れを維持する保守タイプと、それ以外。前者は1つの会社に長く勤めて、出世して、35年ローンを組んで家を建て、今は子育て中。もう一方は、それに反発して転職、フリーランスへ。どっちもしんどいけど我慢して生きてます。その下のアラサーの方は保守的な子が多い気がする。あと優秀かポンコツかの差はこの世代の方が大きいと思う。賢い子には頭が上がらないし、アホの子には頭を抱えている。
皆さんはどう思いますか?
「俺は子供が欲しくないので、どうしても俺と結婚して子供が欲しいならメインの世話は君にやってもらう。俺がもし子供を虐待するような親になったら離婚して絶対に子供を俺から引き離してくれ。子育てに専念したいなら仕事は辞めてもいい。無理なら俺とは別れて別の人を探してくれ」
何も変なこと言ってないと思うけど。
むしろこんなこと言われながら、子供も欲しいし別れたくないとか言って引き留めてる方が頭おかしくね? 子供欲しいなら別れて子供欲しい異性探した方が良くね?
それでもどうしても、ただ子供が欲しいわけじゃなくて「こういうこと言ってる男の子供」が欲しいなら「わかった、育児はまかせて。虐待なんてことが起きないように頑張るけど、もしものことがあっても絶対に子供は守るから心配しないで」って肚括るしかないでしょ。
変な言い方だけど生育環境に恵まれなくて子供欲しくないと思ってる人って、子供が欲しくないくせに子供を大事にして欲しいのよ。自分は大事にできないだろうから欲しくない、ってところにも通じる話だけど。
だから「子供欲しいって割には子供を大事にする気がみじんも見られねえな、子供を育てるって想像力全くねえな」って相手には容赦がなくなるわけ。まだ生まれてもいない仮定の子供であってもね。多分その向こうに自分のクソ親を見るんだろうね。
私は猫が大好きだ。とてもかわいいからだ。Xのおすすめに出てくるかわいい猫の画像を見て毎日大喜びしている。
しかし私は猫を飼いたくない。きちんと世話ができないと思う。ペット可の住居に住めるような経済的甲斐性もない。ズボラだから掃除もろくにせず家が毛だらけで臭くなると思う。心が弱いので猫の欲しがるままにあげてはいけない食べ物を与え寿命を縮めてしまうと思う。ブラッシングをちゃんとやらずみすぼらしい身なりにさせてしまうと思う。甘やかしてしまってろくに躾もできないと思う。だから飼わない。
私は猫を愛しているが、猫を欲しいとは思わないし、高確率できちんと世話できない。だから飼わない。それが私なりの猫の愛し方である。
みんなこう書けば理解してくれると思う。
ところがこの対象がヒトの子供となっただけで人間は簡単にバグってしまうのだ。
子供を好きな人は子供を欲しがるしきちんと世話できる。子供が嫌いな人は子供を欲しがらないしきちんと世話もできない。そのどちらかだと思っている。
だからバグった人間は子供を欲しくない人間を説得して欲しい気にさせたら愛情も抱くしきちんと子育てもすると勘違いしている。
いま現在子供をきちんと世話できていない(ように見える)親は全員子を持つべきでなかった親の欠陥品で、子に対する愛情もまがいものだと勘違いしている。
実際は逆なのだ。子供を過去から現在に至るまでずっと愛していて、欲しくて作ったのに、子育ての環境に疲弊してきちんと子育てできなくなってしまう例の方がずっと多いのだ。
ブラック企業で不眠不休で働かされたりパワハラを受けまくって脳みそが壊れてしまう人のことは理解できても子育てで脳が壊れてしまう人の存在は理解できないのだ。
(だってきちんとお世話できなかったってことは子供を愛してなかったってことでしょ?)
子育ての当事者たる親すらバグっていたりする。「自分は子供を愛しているし欲しくて作ったのできちんと子育てをできている/いた」と勘違いしていたりする。当の子供にとって全くそうではなくても。
子育ての当事者であった子供もバグっていたりする。「うちの親は自分の面倒をきちんと見てくれたので、自分を欲しくて作ったし愛してくれているはずだ」と。
子供にそう聞かれたら、まともな親は内心がどうであれその通りだと答えるしかないだろう。
しかし本当のところは親本人以外の誰にもわからない。愛しているのにきちんと世話をしなかったり、愛していないのにきちんと世話をしたり、欲しくて作ったのに虐待したり、欲しくないのにできてしまった割には大事に育てたりしているので他人にはわからない。
もし私の同居家族の誰かが猫を飼いたがったとして、私は前述の理由で猫を飼う事を拒否するだろう。
「ペット可の家に引っ越して、不自由のないように自分でお世話ができるならいいよ。私にはそんな家を借りるお金がないし面倒もみられない。私がやる羽目になったら猫を汚い家でほったらかしにして躾もろくにせず早死にさせてしまうと思う」と理由を言うだろう。
ペットを飼うなら当然の心構えだろうし猫を飼っている皆さんだって賛成してくれるだろう。飼うならば猫が死ぬ最期の時まで、介護まで含めて世話できないなら飼わないのがルールだ。
ところがこれがヒトの子となると多くの人がバグり、私の発言は猫を汚い家で躾もろくにせず虐待死させる旨の犯行予告だと読み違えられる。
私は同居家族に対する愛情の欠けた人でなしで、異常かつ極端な発言をする人でなしで、猫を愛する資格もない人間失格の人でなしとみなされる。
ヒトの命は猫のそれと同じかより重いはずだろうに、ヒトの命の方が猫の命よりも軽率に扱う事を是とされるのもおかしな話だと思うのだが、どういうわけかそういう事にはならない。
子供が好きで、子供が欲しいし、子供をきちんと世話できると思うなら何よりだ。時に誰かに頼るのも大いに良い。よい親子関係を築いて欲しい。
子供が嫌いだから子供を欲しくないし、きちんと世話をできるとも思っていない。それも何よりだ。無理に子供を作って互いに不幸になることはない。
こういう例はわかりやすいのでまだいい。
子供好きで子供が欲しいというのになぜか世話は他人にやらせる前提でいることも、
子供が嫌いで子供を欲しくないのになぜか産んで世話をちゃんとしろと強要されることも、
子供好きで子供を欲しくて授かったのに世話をきちんとできずに苦しむことも、
子供が嫌いなのに子供を授かってしまってまともに世話もせず子供を苦しめることも、
子供を欲しくて授かったのだから自分はきちんとした親だと勘違いしていることも、
タイトルに書いた3つの要素は全部独立した別々の事例なのに、そこに都合よく連動を見出してバグることこそが不幸の源なのだ。
自分は子供を愛せるか。愛しているか。自分は子供を欲しいか。自分は子供をきちんと世話できると思うか。できていると思うか。
その独立した3つの項目と向き合うのは人が親となる前提条件ではないか、そうでない人間に親となる資格があるものかと考えていたこともある。
そうでない人間がいまだ世に多いことは別段驚きではない。昔はそんな人間ばかりだった。そんな人間でも親となるのが半ば義務であった。
増田見てて思い出したけども無能なくせに子供を欲しがった元恋人がいまだに許せない。
収入も低くて労働意欲もなくて賢くもなかったし美人でもなかった元恋人。恋人として付き合う分には別にそれで良かったし、結婚も考えてた。でも自分の子供の親にするには絶対に嫌だったし、自分が親になるのも嫌だった。
自分は子育てに向いてないから子供は要らないと交際前から言っていたのに、子供が欲しいと言い出した。大嫌いになった。別れた。
理知的で愛情溢れる両親に育てられ、子育てをしながらでもしっかりとした仕事ができるだけの能力があり、親族からの経済的支援もあって安心して暮らしていける、そういう人たちを増やせばいいだけだよね。
今は子育てシーズンで、雛が育つところをリアルタイムで見られる良い時期。自分の場合は常に見ているわけではなく、コメント頼りに時間を遡ってハイライトを毎日チェックしてる。
ミサゴのライブカメラを見ることが多い。ミサゴについては後述。
ミサゴ、英語名オスプレイの子育てライブカメラ。ミサゴは主に魚を食べる猛禽類で、食事がグロくないので良い。雌雄協力して子育てする。今は卵を温め中。南イングランドらしい?
小さいうちは親鳥が魚をちぎって与えるが、大きくなるにつれ自分で食べるようになり、そのうち子供同士の魚取り合いバトルが勃発する。
段々と空を飛ぶ練習をし始めて、オスプレイの名前に選ばれた由来らしいホバリング飛行ができるようになる。
飛べるようになっても時々巣に戻ってきて親がくれる魚を食べる。段々と巣に戻らなくなっていく。完全に巣立ったらライブ終了でまた来年へ。
稀に魚の活きが良すぎてびちびちはねて巣の外に落ちたりする。巣材の枝を持って飛んでくるが、雛の頭に直撃することもある。結構雑で面白い。
アップになると虫がうじゃうじゃいるのが見えちゃうので苦手な人は注意。よく見るといっぱい虫がいる。
デンマーク北部の野生動物写真家によるライブカメラらしい。一年中設置されてるカメラと、今の時期だけの子育てカメラがある。
モリフクロウの子育てライブカメラ。去年知って、雛が3羽いて巣立つまで見守った。今年の雛は2羽のようだ(卵は残り2個あるけど多分孵化しない)
去年の巣立つの瞬間をたまたまリアルタイムで目撃できたが、面白かった。ビビりの雛が1羽いて、他の雛が外に出ていくときにめちゃくちゃビビって謎の威嚇をしてた。今年も巣立つまで健康に育つといいな。
モリフクロウはどうやら一度巣を出たら戻ってこないようだ。でも外でまだ子育ては継続するらしい。
たまにうじゃうじゃ虫がいることがあるので苦手な人は注意。フクロウなので餌は丸呑みが多いが、たまに引きちぎったりでグロい時もあるので一応注意。ネズミが多いが、カエルや小鳥のことも。
今はチョウゲンボウ(小型のハヤブサ的な鳥)が卵を温め中。どうも若い夫婦っぽいので上手くいくかは未知数。
去年は無かった気がするのでどんな感じになるか分からんが、多分だけどハヤブサは餌をちぎって食べるタイプなのでグロめかもしれない。トカゲを食べる率が高そう?
常設カメラ。稀に不具合でURLが変わるが、基本的にずっと放送してる。環境BGMにもいい感じ。
今の季節は夜になると狐とアナグマ?が仲良く餌を食べてるのを見れる。冬になると雪が少し積もったりして綺麗。
水場にくる様々な動物を見られる常設ライブカメラ。夜明けが綺麗で好き。
1日2回ほどURLが切り替わる。自動でアーカイブが残るので遡りやすい。
色んなライブカメラがあると思ったら消えたりするが、この季節のミサゴは毎年やってるっぽい。パフィンのライブカメラもあったりなかったり。
ミサゴの子育てライブカメラ。ミサゴについては前述で語ったので省略。こっちはイギリスらしい?
よく分からんがハヤブサのライブカメラ率が高い。ライブカメラが増えたり消えたりする。
よく分からんが教会にあるハヤブサの巣っぽい。今は結構大きくなった雛3羽がいる。餌をちぎってあげるのでグロめ。
去年あたりに日本でバズってから日本語コメントしかほぼない、野生のアザラシ保護のライブカメラ。保護なのでアザラシがいたりいなかったりする。今はいない。
当たり前だろう。
顔や骨格は「見た目」だ。
見た目がいい異性になぜ惹かれるのか?
というか同性であろうと見た目がいい人の方が好きだ。
そのあたりについてGPTに聞いてみた。ちなみに月3000円課金している。
プロンプト
骨格が優れている人は、他の能力も高い可能性ある?つまり、顔やスタイルの良さなど。
女優の北川景子がドラマ撮影をやりながら子育てをしながら手芸を極めていてすごいと話題になっていた。体力が異常と感じる。
また、ジャニー氏が子供のうちからスターを発掘していた話、あれは骨格の良さを見ていたのでは?と思ってる。そして多くのジャニーズが本物のスターになっていく。
体力的にも優れているし、演技や他の能力が非常に高いことが多い。もちろん芸能界で残れるんだから生存バイアスかもしれないけど。
一般人でも大企業の人間は顔がいいという話はよく聞く。採用時に顔を見ているのかもしれないけど、やっぱり体力面や能力面との繋がりは多少あるのでは?
GPTの答え
結論からいうと、「骨格の良さ(≒外見的な整い・スタイル)」と「他の能力(体力・知能・芸術的センスなど)」の間には、一定の相関が存在する可能性がある。
ただしそれは因果ではなく、共通の背景(例:遺伝子・ホルモン・発達環境)に由来するって話になる。
骨格・顔立ち・体力・神経系の発達などはすべて「遺伝+環境」の複合影響で決まる。
遺伝子には**複数の形質に影響を及ぼすもの(多面発現遺伝子)**がある。
→ たとえば「成長ホルモン関連の遺伝子」が発達に関与すると、身長・筋肉量・骨格・自信・快活さなどに連鎖的に影響する可能性がある。
テストステロンやエストロゲンの分泌量は、胎児期〜思春期の発達に大きく関わる。
→ 骨格・顔の左右対称性・運動能力・空間認知能力・情動傾向に影響が出る。
たとえば「骨格が整っている=ホルモンバランスが良好だった証拠」という見方ができる。
→ 結果として身体的にも精神的にも発達が安定している=パフォーマンス力が高い。
骨格や顔立ちが良いと幼少期から肯定的に扱われる(褒められる、注目される)。
→ これが自己効力感や挑戦行動につながり、実際のスキル習得率にも影響。
「見た目が良いと得をする」のは冷酷だけど現実的な話。
→ ジャニーズなどで「骨格が整っている=スターの素質」と判断されやすいのは自然な流れ。
芸能人や一流企業にいる人が「顔が良くて有能」に見えるのは選抜の段階でフィルターがかかっているから。
でもその裏には「身体的特徴で能力や体力のポテンシャルが見えている可能性」も否定できない。
→ 一般企業の採用でも、意識していなくても身体的に“健やかで有能に見える人”が選ばれていることはよくある。
結論(ざっくりまとめ)
骨格が良い人は、身体的・精神的に発達が安定している可能性が高い。
そのため、体力・芸術性・学習力など他の能力も底上げされていることがある。
ただしそれは「骨格がいい=有能」ではなく、「背景要因が似てるから相関が見える」って話。
このへん、もっと掘り下げたい?
たとえば「左右対称性と知能の関係」や「エネルギー効率とスタイル」みたいな視点もあるよ。
■ なぜ左右対称が重要なのか?
発達の過程では、ウイルスや栄養不足、ストレスなどの「環境的な揺らぎ」がある。
それに左右対称性を保てた個体=遺伝子の質・免疫力・成長ホルモンの働きが良好だった証拠とも解釈される。
■ なぜ知能と関連するの?
脳の構造も「発達の安定性」に影響を受ける。
つまり、左右対称な骨格を作れた人は、脳のニューロン配線やシナプス形成も安定している可能性が高い。
実際に、顔の対称性が高い人ほどIQや学業成績が高い傾向があるとする研究が複数ある(ただし相関は中〜弱程度)。
■ 注意点
これはあくまで「統計上の相関」であって、非対称=頭が悪いという意味ではまったくない。
ただし「発達の一貫性」という軸で見ると、ある程度の関係は見えてくる。
体型(特に胴長短足 vs 脚長痩身)は、エネルギー効率や熱放散の違いに由来することがある。
たとえば脚が長くスリムな体型の人は、歩行や移動時のエネルギー効率が高く、体温調整がうまい。
→ つまり「環境適応能力が高い=進化的に有利」という考え方がある。
それらの体型は、生殖能力・体力・柔軟性・回復力といった複数の資質のバランスが取れている。
エネルギー効率が良い体=過剰な脂肪や筋肉がなく、機能的なボディということ。
「顔の整い」や「均整のとれた身体」は、内的な健康や遺伝的な質を外見で伝えるシグナルになっている。
つまり、「スタイルが良い」というのはただの見た目じゃなく、内面の生理機能がうまくいってる=“健全性”の可視化とも言える。
現代人にとって子育てが大変になったのは、子育ては自分の人生のイベントの一つという意識に変わったから
それはご都合主義なサバイバル理論だろうが。インフレに勝てるやつだけが幸せになれるなら、政策なんていらねぇんだよ。
強いやつが生き残るだけのジャングル経済をやりたいなら、まずは資本主義の基本理念を投げ捨てろ。話はそれからだ。
それにな、「経済成長万歳」?その「成長」、誰の成長かはっきりさせろや。
名目GDPが上がったって、実質賃金が下がってんだったら、それは経済全体が成長してんじゃなくて、ごく一部の奴らだけが肥えてるって話だ。
しかも、庶民の可処分所得が目減りして、消費が冷えれば長期的な持続成長すら怪しくなる。目先のGDPだけ見て「成長してる感」に酔ってんじゃねぇ。
じゃあ聞こう。「インフレに勝てる金を得られる人間」って誰だ?
資産を持ってるやつ、投資で抜けるやつ、高年収のエリート、もしくは物価を上げても商品が売れる大企業の経営者だろ?
非正規雇用、年金生活者、子育て家庭、地方の低所得層はどうすんだよ。インフレに勝てる手段がねぇヤツは、ただの負け犬か?それが幸せな社会の前提か?
しかもな、こういう詭弁がヤバいのは、政策の失敗を「お前らが弱いから」と言い換える点だ。
その現実を「勝てなきゃ自己責任」って突き放すんだったら、そもそも経済政策なんてやる意味がねぇ。税金払わせる正当性もねぇわ。
いいか?経済成長ってのは、全体として国民の生活が底上げされること。
インフレをぶち上げて、勝てるやつだけが笑って、その他大勢が沈んでる構造のどこに万歳があるんだ?
そりゃあ株と不動産握ってたやつはウハウハだったろうさ。でもな、それが持たざる99%の生活を食い潰してるって自覚がないのは、ただの愚か者か既得権益の犬だ。
前者は会社の防災ウィークのイベントで消防署の初級講座を出張でやってもらうものだったので、ちゃんと修了証をもらた。
後者は行政がやっているイベントカレンダーみたいなので見て申し込んで行った感じ。こっちは参加賞などはもらってない。
後者のほうは乳児及び幼児への人工呼吸、背面強打法と大人に対しての回復体位の作り方、頭部のけがへの対応を練習した気がする。
AEDは大人用と子供用があって、子供用には抵抗が入っているみたいなことも習った気がする。
後者にいったきっかけは乳児が家にいたからなのだが、幸い乳幼児への対処方法は使わないでよいまま、本人が講習を受けられる年齢になった。
参加者は前者は同じ会社の有志の人たちで、後者は子育て中のママさんかおばあちゃんという感じの人が多かった。
前者はそれなりの人数男性もいたが、後者はほとんどいなかったんじゃないかな。どちらも10年位前の話。
実は20年前くらいにも講習を受けて、修了証をその時ももらったのだが、流れはその時から特に変わってないと思う。
さらに前は学校の保健体育の授業で人形相手に心肺蘇生法を練習させられたくらいだな。親が医療従事者で肋骨から圧迫位置を探る方法をすでに習ってた。
子育てが終わって5年になる。
長い間、家族のために働き続けてきた。
気がつけば、もう50代も半ばだ。
妻とは2年前から別居している。
朝食も昼食も、出来合いのもので済ませることが多くなった。
自分のために何かを用意する気力もない。
先日できたらしいパンケーキ屋。
パンケーキなんて、50年以上生きてきて一度も食べたことがない。
「どうせ暇だし、入ってみるか」
そんな気まぐれだった。
その笑顔に、なぜだか胸が締めつけられた。
誰かにあんなふうに優しくされたのは、いったい何年ぶりだろう。
ふいに涙が出そうになった。
運ばれてきたパンケーキは、
「そういえば、妻もいつも野菜を添えてくれていたな」と思い出した。
決して料理上手ではなかったが、
必ず何かしらの野菜を添えてくれていた。
ふと妻に会いたくなった。
何年もまともに話していない。
もう興味もないはずだったのに、
このパンケーキを一緒に食べてみたい、
そんな気持ちが湧いてきた。
「最近どうだ? この店、気に入ったから今度一緒に来てみないか」
そんな短いメッセージを添えて。
もう何年も、妻にこんなふうに声をかけることはなかった。
まったく興味もなくなっていたはずなのに、
パンケーキひとつで、心の奥にしまい込んでいた何かが揺れた気がした。
誰かと並んでパンケーキを食べることもなかった。
そんなことをしても仕方ないと、どこかで思っていた。
でも、たまには自分の殻を破ってみるのも悪くない。
50数年生きてきて、まだ知らないことがある。
妻は返信をくれるだろうか。