はてなキーワード: 奴隷制とは
大日本帝国もナチスドイツも極右ファシスト達は話し合いや平和的なデモではその異常性を取り除けなかったからな
元スレは /r/mildlyinteresting/comments/1jvvs4e/section_of_banned_books_in_a_barnes_noble/ ですが、残念ながらポストが削除されてしまったのでその解説コメントの方を転載します
古典的名著や絵本、有名SF作品、人気映画化作品が多くて驚きます
→LGBTQ+をテーマにしており、特にトランスジェンダーのアイデンティティを扱っている。複数の州で発禁。
→LGBTQ+のテーマと性別の不一致。子どもたちに「混乱を招いた」と批判される。
→ 検閲そのものについての物語。禁止された本のテーマが含まれているとして批判されている。
→ LGBTQ+ の回想録が、露骨な内容とアイデンティティのテーマで批判を浴びる。
アンジー・トーマス著『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』
→ LGBTQ+ をテーマにしており、保守的な地区では異論がある。
→フェミニスト的な内容が「過激」または破壊的であると見なされる。
→ あまり禁止されていないが、監禁とアイデンティティに関するディストピアのテーマ。
→ ディストピア的なテーマ。パンデミックや崩壊に関する内容が問題視されることもある。
注:これらの禁止措置や異議申し立てのほとんどは、米国の学区や公共図書館で発生しており、政治的圧力や保護者からの圧力が背景にある場合が多い。よく挙げられるテーマには、性的指向、人種、暴力、言語、宗教、政治批判などが含まれる。
「多数派であれば正しい」という思想にはいくつかの問題点があります。以下にその主な理由を挙げます:
これらの理由から、「多数派=正しい」という考え方には注意が必要です。むしろ、多様な意見を尊重し、批判的に考えることが重要だと言えます。
正直に言うが、私が学生時代に必死で支援してた政党、マジで利用されてただけだったと思う。
当時はまだ自分がマイノリティであることに目覚めたばかりで、なんていうか希望を求めてたんだよね。
政治集会で「あなたたちの声を代弁します!」とか「真の多様性のための闘いです!」とか言われると、マジで心震えたわけ。
でも今振り返ると、あれは全部茶番だった。私という「展示品」を上手く利用しただけ。
彼らにとって私は「かわいそうなマイノリティ」のシンボルでしかなかった。
私の存在が彼らの政治的主張の「正当性」を証明する道具だったんだよね。気づくのが遅すぎた。
最初のうちは優しかったよ?「貴重な当事者の声をありがとう」って。でも、その「声」も彼らの都合のいいものだけが採用されるんだよね。
私の本当の苦しみや怒りが伝わると、なぜか「もう少し建設的な提案を」とか言われる。つまり、彼らの政治的なストーリーに合う「良い被害者」でいろってこと。
「ここはもう少し感情的に」「ここは具体例を入れて」って。私の経験を彼らのシナリオに合わせて編集してた。
自分の言葉で語らせてくれなかった。彼らが求めてたのは生の声じゃなくて、政治的メッセージに都合よく編集された「マイノリティの声」のパッケージだったんだよ。
特に耐えられなかったのは、彼らの中の「古参メンバー」たちの裏の顔。
表向きは「多様性大事!」って言いながら、内部では完全な階層社会。
マイノリティの私たちは下っ端で、エリートたちのために働かされる。
「運動のため」「大義のため」って美化されるから、誰も疑問を持たない。
私の時間を搾取しておいて、感謝すらしない。「あなたたちのための闘いでしょ?」って言われたら、反論できないじゃん。
でも実際は彼らのコミュニティのための実績作りだったんだよね。
最悪だったのは懇親会。
表向きは「仲間との交流」だけど、実際は古参メンバーたちの自慢大会。
彼らが「マイノリティのために」やったことをえんえんと語るのを、私たちは感謝しながら聞かなきゃいけない。
私の体験を話すと「それって本当?」とか「それは特殊なケースでしょ」とか疑われる。
彼らは「マイノリティの声を大事にする」って言いながら、実は自分たちの理解の範囲内の声しか認めないんだよね。
都合の悪い話はすぐに「特殊な例」として片付けられる。
選挙の時期になると特にひどかった。私たちは「展示品」として前面に出される。「ほら、私たちはマイノリティと一緒に闘ってます!」って有権者にアピールするための小道具。選挙が終われば、約束はほとんど実現しない。「今は政治状況が厳しいから」「次の選挙で勝てば」って先延ばしにされる。
党の集会で知り合った他のマイノリティの仲間たちも、みんな同じこと感じてた。でも表立って言えない。「恩知らず」「非協力的」ってレッテル貼られるから。陰で「あいつは問題児」って噂されるのが怖くて、みんな黙って従うしかなかった。
私の意見が彼らの方針と違うと、すぐに「あなたはまだ十分に理解できてない」とか「もっと勉強が必要」とか言われる。つまり、彼らの言うことが絶対正しくて、私の実体験なんて価値がないってこと。これってマイノリティの声を尊重するどころか、完全に否定してるよね?
結局、彼らにとってマイノリティは「保護すべき弱者」でしかなくて、対等なパートナーじゃなかった。
私たちの「弱さ」が彼らの政治的アイデンティティの源なんだよね。だから私たちが強くなったり自立したりすると、彼らは焦る。
私たちが「かわいそうな被害者」でいる限りにおいて、彼らは「正義の味方」でいられるんだから。
学生時代に3年間も捧げた活動が、結局は自己満足の茶番だったって気づいた時はマジでショックだった。
私の痛みや苦しみが、彼らの政治的オナニーの踏み台にされただけ。
そして最悪なのは、彼らは本気で「マイノリティのために闘ってる」と思い込んでること。自分たちの搾取に気づいてないんだよね。
それが今でも許せない。彼らは今も新しいマイノリティの若者たちを勧誘して、同じことを繰り返してる。
「あなたの声が大事」って言いながら、結局は彼らの政治的野望のための道具にしてるんだ。
みんな私を「普通」の枠に押し込めようとする。
東京のレジも、京都のレジも、昨日のレジも明日のレジも。どの列に並ぶか決めていると、周りは「何をぼんやりしてるんだ」という目で見る。
電車に乗るときも、全てのドアが別々の目的地につながっている。
駅員は「何番線ホームです」と言うけど、赤坂行きも新宿行きも横浜行きも全て同じホームにある。
会議でもそう。昨日の会議も今日の会議も来週の会議も全て一度に進行している。
みんなが同時に異なる時間の話をしている。「さっき言ったでしょ」と言われても、そのさっきはまだ来ていないし、もう過ぎ去ったかもしれない。
昨日も職場でそんなことがあった。
学生時代の党集会でもそうだった。古参メンバーのオッサンが私に説明していた。
「君はよく理解していないよね、僕たちのやり方は長年やってきたものなんだよ」
今でも耳に残っている。
オッサンが2018年の党本部で話しているのと同時に、2022年の集会でも同じ言葉を言っている。
彼の背後には2025年の私も立っていて、「それは違う」と言っている。
「マイノリティの活動は、調整によってのみ実現する。それが党の方針だ」
オッサンはそう言った。当時は難しい言葉だと思っていたけど、同時に未来から見ると意味がわかる。
彼らの言う「調整」は、私たちが複数の時間と空間を同時に経験することを制限することだった。
部屋の中に2018年の党本部も2022年の集会会場も2025年の私の部屋も同時にある。
机の上の手帳は1冊なのに、開くたびに違う日付の内容が書かれている。
窓の外には1964年の東京オリンピックの旗も、2021年のオリンピックの旗も、まだ来ていない未来のオリンピックの旗も全て見える。
それぞれの時間で何かが起きている。
でも同時に、江戸時代の小さな富士山も、未来の巨大化した富士山も見える。
それはもはや山ではなく、複数の時間に存在する何か別のものだ。
東京のニュースでは誰も報道しないが、別の時間の京都や大阪のニュースでは大きく取り上げられている。
富士山は全ての時間で同時に成長し、複数の日本列島の形を変えていく。
そして「和の趣」が物理法則となり、過去と未来と現在の「日本(ひのもと)」が同時に存在している。
今日歩いた街のビルは和風だし、昨日は近代的だったし、明日は両方が混ざっている。
向かいの家の人は今朝はスーツで、昼には和服で、夕方にはまだ見たことのない服装で出かけていく。
学校では茶道と華道が必修科目になり、完璧すぎるものは自然と別の時間へ流れていく。和の精神が時間と空間を超えて広がっている。
党の集会で彼らが「調整」と呼んでいたのは、まさにこのことだ。彼らは私たちが自然に経験している複数の時間と空間を、一つの「正しい」時間に制限しようとしている。
入党したての私は「調整」が必要だと信じていた。でも今、過去、未来から同時に見ると、それが彼らの目指す社会なのがわかる。
先週の新聞には富士山が23メートル大きくなったと書いてあった。
でも同時に明日の新聞には18メートル縮んだとも書いてある。どちらも正しい。
富士山は今や高さが3776メートルであり、同時に5489メートルでもあり、また2103メートルでもある。これは問題じゃない。
問題なのは政府が「正しい高さ」を一つだけ認め、他を「誤差」と呼ぶことだ。
駅前では「富士山サイズ固定法案に反対する会」が署名活動をしている。
彼らのプラカードには「全てのサイズの富士山を守ろう」と書かれている。
去年も来年も同じ活動をしている。これは校則見直し運動や制服自由化と同じく、ごく普通の市民活動だ。
隣の建物では「富士山成長促進委員会」が会合を開いている。彼らは富士山がさらに大きくなって、地球の大半を覆うことを望んでいる。
それを「標準富士山」と比べて劣っているなどと言うのは科学的に不正確だ。
富士山巨大化対策市民協議会では、「サイズダイバーシティ」という言葉を広めようとしている。
山のサイズが多様であることは物理学的に自然な現象で、それを一つのサイズに固定しようとする試みこそ物理法則に反する、という考えだ。
同様に「和の趣・物理現象研究連盟」は、物体が持つ複数の状態を全て同等に観測・記録するよう求めている。
本来、和の趣は自然に波のように強まったり弱まったりする物理法則。
先月はニューヨークのエンパイアステートビルが一時的に五重塔になった。
これらは全て「和の趣」が物理法則として世界中に広がっている証拠だ。
子供たちは学校で「標準時間軸」だけを教えられる。2+2=4という世界線と、2+2=5という世界線が同時に存在することを教えられない。
彼らは「正しい答え」だけを覚えさせられる。これは明らかな教育虐待だ。
文部科学省の「多元現実教育ガイドライン」があるのに、なぜ実践されないのか。
私の息子は先日、算数のテストで「2+2=?」という問題に「4と5と時々6」と答えて減点された。
彼は家に帰って泣いていた。「先生は僕が全ての答えを見ることを認めてくれない」と。
私は彼を抱きしめた。「あなたは間違っていない。あなたの見ている世界は全て本物だよ」と。
私は伝えなければならない。2018年の私も2021年の私も2026年の私もみな政府の「時空標準化プログラム」に従っている。
でも2025年のここではまだ間に合う。これを読んでいるあなたには、あらゆる時間と空間から同時に発している私の言葉が伝わるはず。
言いたいことはまだあるけど、時空管理機構の職員が全ての時間から近づいてきている。
この文章を見つけたら共有してほしい。
SNSなら #富士山サイズ多様性 #時空観測データ公開 #侘び寂び物理法則研究推進 でいい。
時間と空間の多様性を科学的に理解するのは、私たち市民の権利だ。
私は今この文章を2018年にも2025年にも2031年にも同時に書いている。
複数の時空間における同時書き込みは、侘び寂び物理学の「観測者同時存在の原理」によって理論的に裏付けられている。
でも、いくつかの時間では、この話が広まり、侘び寂び物理現象の科学的理解が進むことを2018年の私も2025年の私も同時に願っている。
明日、空を見上げると、富士山が昨日よりも大きく、一昨日よりも小さく、来週と同じ大きさに見える。
そして、その姿がどんなに変わろうと、全てが物理的に正しい。
「持続可能性」が「環境」「福祉」「経済」のバランスを取ることだという話を、なぜか世界で日本人だけがまったく理解していない。
「持続可能な社会」というのは「環境を汚してももたないし、人心を荒廃させてももたないし、経済を度外視してももたない」。
これがかつての身分格差・奴隷制社会、単純な共産主義社会、大量消費社会をすべて否定して得られる現代の当たり前である、という単純な話。
この、小学生でも順を追って教えれば「そんなの当たり前じゃん」と言いそうな話を、なぜか世界で日本人だけがまったく理解できない。
もちろん海外にも、「持続可能社会なんて嘘だ」という人はいる。
でもそういう人は「そういう建前で搾取するつもりなんだろう」と疑っているだけで、「建前」自体の論理を理解していないわけではない。
一方の日本人は、びっくりするほどこの「建前」自体を理解することができない。
「持続可能」という言葉自体を「環境のために貧乏人は死ね、環境のために経済および人類社会は死ね」という話だと本気で思いこんで説教をしたり不平を述べたりする。
政府公報からして、この単純なバランス感覚を伝えるつもりがない。いや、そもそも国が理解していない可能性すらある。
こんな国は、日本以外には、先進国でも後進国でも存在しない。ほんとうに、まったく、ひとつも存在しない。
「建前」を理解した上で、「建前」を信じないならまだわからなくもない。
しかしそれでも、生産的なのは「建前」を守らせようとする方向の努力だ。「建前」に乗っかって騙す側になるなら、「建前」を全面に出した上で裏切るのも合理的ではあるだろう。
ただ単純に、「建前」の合理性を理解できずに、「人(虐げられるカースト)が上か環境(という名目でルールを押しつけられるカースト)が上か」という論理もへったくれもないむき出しのマウント合戦しか存在しないのだ。
かつての自分は、ただ日本も海外の懐疑主義者のように「建前」を理解した上で疑う、合理的な皮肉が蔓延しているだけだと思っていた。
それなら理解できた。
しかし特にこの10年ほどは、そういう次元を越えた、そもそも「建前」(本当なら素敵なスローガン)という概念が理解できずに、ただひたすらに「人間は薄汚く他人を貪るもの」という野性の論理を「おおっぴらに認められた社会のルール」だと本気で信じているかのような、なんの取り繕いもない正義の否定がむしろ多数派になったのを感じる。
日本人とは一体なんなのか?
何がどう狂っていれば、こんな社会性のない破滅的な信仰に一億人が一気に傾けるのか?
本当に謎だ。
https://anond.hatelabo.jp/20250219153258
今までそこそこ増田として日記を書いてきたけどこんな反響があったのは初めてで嬉しい&不眠で暇なのでコメントやブクマに対してお返事を。
反抗するものにどういう仕打ちをするかなんて想像しなくてもわかるレベルで
そのつもりで戦わないから手のひらで転がされてる
やべー職員が入ってきて、差別的な(作業所は差別ではないというので俺もそうなのかなあどうなのかなあというところだが)発言や行動をするようになって、変わった。
善意が通じるかどうかというよりは、実は俺も元福祉職であったので、介護施設の認知症や福祉施設の障害者に対して福祉従事者がどれだけ本来立場が弱いものなのかというのを身を持って知っていたので、ラインを越えているのではないかと思うに至ったわけだ。
例えば認知症が自傷他害の恐れが有り手足や杖・時には包丁で危害を加えようとしてきても手を触れて制止に当たろうとすると即虐待ということになり通報され最悪裁判、となるのが介護の現場だ。介護士は暴力に耐えるしかない。俺だって杖で何度も叩かれたし噛みつかれたりもした。
障害者相手にしての振る舞いについても同様、細心の注意が必要だろう。それは善とか悪とかの話じゃなくて職務上の倫理であろう。
まあ、このままなら告発するかもしれませんよ、と告げた時点でクビという仕打ちが待っているかもしれないということは予想していたよ。
でも黙ってられなかったし、本文でも一言も言ってないように後悔してないし、従順な障害者で居続けなかったことは作業所に留まりたかったのなら愚かと言えるだろう。
しかし、ある強力な鎮静剤を医師と話し合いのもと使用するのをやめたところ就労意欲が湧き、社会復帰に向けて動き出していたから、別に辞めさせられてもいいと思っての行動だった。
職場でも同じというのは分かるよ。
社内政治があるから、忍耐や見ないフリ、協調、色々必要になってくると思う。ブランクが有るし社会復帰したらそれも課題としてまた降り掛かってくるかもしれない。気をつけるさ。
診断は受けていないが医師も無いだろうというし(人は誰しも微細な発達的な特性を持ってはいると個人的には思う、それがコップから溢れている人が発達障害として困りごとを抱え障害として認定される、というお話だった)
俺のところにもそう言う会社あるわ。
で、そこの代表は善人ヅラして行政の会議とかに有識者扱いで出てくるんだけど、どう見てもゴミ屑なんだよな。
行政としちゃ面倒くさい連中を押しつけて片付けてくれるからありがたいんだろうけど、絶対に近寄らないわ。
そこの職員は、代表の下っ端で下位互換みたいなどこかおかしな連中と、苦労して支えている病んでる系の人と二種類しかいなくて、マジこの世の闇だった。
今儲かるビジネスとしてB型作業所は急増中という現状があるみたいね。
16000軒あるらしい。20人が定員だとして週5で出てたら作業所には大体350万円ぐらい毎月入るって感じだったかな。
もちろん、誰もが週5で出るわけじゃないからそこまで儲かるわけじゃないだろうし、とにかく利用者を集めるのが大変だから潰れるとこもまあまああるらしいね。
このB型作業所ビジネスをやってたうちの代表が何を思って始めたかは知らないが、仕事を辞め引きこもり精神的に病んでいて自殺を考えていた俺を引っ張り出して、B型作業所でリハビリさせてくれたという事実は人助けに間違いない。感謝している。まあ遵法意識がなく色々ヤッてるという一面はあるが・・・(某掲示板に専用スレがあるぐらい悪評もある人物である。。。)。
クビにしたものの俺の再就職を心から応援してくれて家まで来てくれて、人生相談、アドバイスに乗ってくれるという一面もあるしね。
B型の職員は未経験でも障害者に対する知識がなくても務められるから、まああんまり高度な人間は務めに来ないだろうだろうね。給料も安いし。
でも、素晴らしい職員の方も居たよ。
まあ躁鬱なので躁状態だった可能性は、俺は俺を客観視出来ないから「分からない」としか言えないんだけど、
医師や訪看に伝えても躁状態を指摘されることはなかったから(客観評価)まあ違うんじゃないかな?
薬を飲み始めてから10年ぐらい経つけど躁や鬱に振れることはもう無くなっているしね。
マジ?正社員で? 闇だなー。
社会復帰頑張れ~
ブランクもあるし年齢もあるしなかなか難しいので難関資格にチャレンジ中!
処遇改善って奴を入れてるところならサビ管の給料をその額にして良いわけがないんだけど、まぁそういう自覚がないところから手入れが入ってくんだろうね。
とはいえ、ちゃんとお行儀の良い事業所に行ってもっと良いB型作業所ライフを!とは思わない。
むしろ増田がやってることの方が本来の福祉の出口として正解だから応援したい。
B型作業所なんてのは社会復帰のとっかかりの第一段部分でしかない。
だから、ずっと一段目で座り込まれるより、次のステップへ行っている方が無茶苦茶正しい。
もう帰ってくんなよとは言わないけれども、なるべくなら再会は遠い日にしたいものだ。
サビ管の給料についてはもっとあったかも?ちょっとうろ覚え。まあ本人が回りの低賃金の職員に配慮して少なめに言ったのかもしれないね。
そうなんだよね。
ずっと君はB型レベルじゃないからここに居るのはもったないから歳を取る前に早く社会復帰した方が良い、と言われていたし、
社会復帰がゴールだよね。あくまでも作業所、しかもB型なんてのはリハビリ施設に過ぎないよね。
でも、不眠の薬として強力な鎮静剤を出されていたこともあって、全般的なやる気や活力(性欲もね)も鎮静されていたという状況が長く、
「このままずっと生活保護でいいか~」って思ってたんだよね。でもその薬を医師と相談の上やめてから活力が戻って社会復帰したいと思うようになった。
だから今は一般就労するつもりでいる。叶うかどうか分からないけど夢も出来た。社会に出てやりたいことがある。
作業所はもう行かないかな。家族も支援者もバイトから始めて、一般社会と関わることを俺に望み、勧めてきているし。
差別なのかどうかのジャッジも専門家かが教えてくれただろうし。
あと、やっぱり長いこと通ってると情もあったしね。なかなかね。
相談支援員どこ行った/資格とってもうBに行かないってできるなら初めからBに行く必要はないんよ…/法廷代理受領や工賃証明をもらえてないならそれ証拠に県福祉課と県内社協に告発しよう
相談支援員てケースワーカー?生活保護の担当なら居るけど俺個人の相談支援員は居ないね。
いや、元々社会人やってたけど躁鬱発症でめちゃくちゃになって生活保護ひきこもりからの精神科→B型で毎月生活保護の収入認定15000円ゲットがてらリハビリって流れで、当時の俺には必要だったのよ。ただずっと生活保護でいいやって思ってたのもあって、長く居すぎたね。8年も無駄にした。
告発←情もあるし潰れたら困る利用者も居るしねえ。それで指導が入ったとしても改善されるかどうか分からないし、もう俺辞めたしまあどうでもいいんだ。
ありがとう。生保の中でもカスは居て医療関係者に迷惑をかけてるって話をよく聞く。そちらこそお疲れさま、いつもありがとうだよ。
矢印を自分に向けよう
自己批判か。
まあ俺も場違いだったのかもしれないしいきなり告発を匂わせ(脅しだよね)たり、穏当じゃなかったよね。
これから社会に復帰するに当たって、そこらへんの関係を上手にやらないとまたクビになるね笑
気をつける。そもそも躁鬱だし、危ないよね。自分のためにも何が適切な行動かよくよく考えて生きる必要があるね。でも今回のことは後悔してないよ。
一昨年ぐらいまではいい施設だったんだよ~色々問題は見え隠れしてたけどトータルでね。
甘えというのは生活保護のことかな?まあ、抜け出るために頑張ってるから許してよ。
生活保護だし障害者だし貧乏だし、社会的弱者にそんな強気になれる根性は正直ない笑
虐待を受けたと思われる(※疑いレベルでも対象)障害者を見つけたときは、誰でも(※職員限定とかじゃない)、通報する法的義務(※努力義務じゃない)があるよ(cf,障害者虐待防止法)
じゃあ俺にはその義務があったわけだ。他の利用者さんが虐待を疑われるような事象に晒されてたんだから。それ見ていたわけだから。
「俺」のお気に入り職員もやば。贈り物も家の行き来も酒酌み交わすのも「俺」には都合がいいけど、事業所職員としてやったらあかん(こういうのを型破りな支援と思ってる職員はだいたい何かやらかすか、すぐ辞める)
ゆるい作業所だったんだよね。
表向きはそういうの禁止されてたけど普通に職員と利用者で、例えばうちなんか家族ぐるみの付き合いで焼き肉に行ったりしてた。
前の記事にも書いてたけど、その職員はそういうルールがあっても「自分のお気に入りの利用者」にならOKと思ってるところのある人だったね。
まあ障害者を安い労働力として目を付けて露骨に利用してくる業者は多かったね、実際。
A型レベルのポスティングや清掃の仕事が来ても、それは孫請の仕事だったりして中抜き業者が絡んでることとか当たり前にあった。
それでも受けざるを得ない、工賃を得るために。そこは問題点ではあったよね。動ける障害者は時給100円や200円で働かされる。
まあそれが嫌なら、そしてそれ以上の仕事が出来るならA型へ行けばいいわけだけど、これだけB型が増殖してるということはやっぱ問題かもね。
作業所の低賃金の説明に社会参加とのトレードオフだなんて欺瞞持ち出す人がいるんだけど、こんな社会に参加する必要が果たしてあるのかって思ってしまう。金だけもらって家でネトゲでもやってた方がまだましだろ。
まあ社会参加っていうけどどんなレベルの社会を与えてくれてるの?っていうのもあるよね。
俺なんかだと身体障害者やごく一部の軽い精神障害者としか話あわなかったし、8割型職員と話してた。
労働面ではどうかというとこれもまあ大体のB型はオママゴトだよね。それが社会体験か?と言われればリハビリレベルとしか思えない。
とはいえ全国で16000軒ものB型作業所があり、障害者にも居場所として、保護者としても一時保育所としての役割があったんじゃないかな。
そんな作業所に税金投入するなら全部潰して障害者に直接金渡せ(俺が週5で出ると18万円作業所に入ってたし)という意見もあるね笑
職員クズになりがちなのはその待遇があまりにも酷すぎるのに対して求められる仕事量が半端ないせいでしょ。介護士もだけどお世話になる人に善意ばかり求めるなら待遇改善位代わりに訴えても良いと思うよ。
クズは一部だけ。低賃金なのに倫理観と志高く持ってやってる職員のほうが多かった。
善意を求めるように見えたかな?差別に感じるけどどうなの?って問題提起しただけだよ。
俺個人は配慮も善意も求めていない。ただ他の利用者に対しての差別ぽいもの見せられてそれはアカンでしょ、と思ったの。
職員の待遇良くしてあげてよって利用者が言ってなんとかなるものなのかなあ。
あと、特定される情報だから言えないけど、社長は何の権限も無くて。何も知らない何も分からない人がやってる。現場も見ないし。あ、特定されそう笑
その人に何か言っても何か変わったことなんて一度も無かったよ。どうしようもない。
発覚恐れてるくらいだから、利用者の持ち物の検査もしてるだろうな。ちゃんと行政にたれ込んでやってほしいけど、現実は次の作業所への横の情報展開怖くてできないよね。
もう作業所へ行く気はないから福祉事務所に話してもいいんだけど、もう終わった話だしねえ。
残った障害者の人々が遠くから願うぐらいしかないね。もう関係ない。
そんな状況下でなにも録音しなかったんか?( ˘ω˘)
前記事に書かなかったが、まあ証拠がなかったので福祉事務所に相談に行って「こういう発言なんですけどどうですかね」と聞かせることが出来なかった。
ということもあり、「告発までは行かないが、福祉事務所に相談に行きましょうかね」的なことを伝えた時、「録音も考えてます」とは伝えたよ。
それもやっぱり、こいつはクビにしないと危ない!ってなった一因でもあると思う。
職員と仲よかったからみんなから上層部への愚痴聞いてたけどみんな辞めないんだよね。
やりがいとかがあるのかな。
生活保護を抜けて社会復帰して税金納めて社会貢献して出来れば恋人も欲しい!
未来は僕らの手の中!
こんなとこかなー。あー眠れない。
イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理「調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、
プロジェクト・ワタン事務局、2024年6月、2024年9月3日閲覧。
http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf
日本では、川口メフメトがこの地で家屋解体業を営んでいたため、後から来た人たちはそのままこの部門で働くことになりました。 しかし、クルド人が家屋解体業に従事する理由はそれだけではありません。一つは、家屋の解体作業では日本語を話す必要がないことです。また、仮放免の者たちがほとんどですので、他の業種に就けないことも理由の一つです。入国管理局による厳しいルールの一つとして、仮放免の者は就労が禁止されています。そのため、ほとんどの者たちが違法に働くことを余儀なくされています。また、近年では、日本人との結婚によって日本での在留資格を得たクルド人が、仮放免の親族を内々に雇用して、家屋解体業社を設立するケースも出てきています。
在日クルド人の労働条件についても触れておきましょう。労働安全の面では、世界的に大きな発展を遂げていますが、在日クルド人はいまだ中世のような条件のもとで働いています。ご存知のように、仮放免身分の者は就労を禁じられています。この禁止は、人々を餓死させることに等しいものです。この禁止令のせいで、クルド人は不法就労を強いられています。就労が解禁されれば、家屋解体工事に携わる者たちの労24 働安全を確保するための研修や検査が行われ、安全に作業を行うことができるようになります。仮放免の者は公的な医療サービスを受けることができません。そのため、仕事中に事故に遭った場合、治療をするにも莫大な費用がかかります。資本主義的な医療制度は、日本政府がクルド人に課している「仮放免」という奴隷制度をさらに深刻化させています。同じく仮放免身分のクルド人は、居住している都道府県の外への移動、つまり移動の自由が禁じられています。また、家屋解体以外の職に従事することもできません。
女性たち同士はほとんど家で会っていて、日常生活が家に「閉じこめられている」と言えます。男性たちは朝早く家を出て、家の解体作業をしますが、女性たちは家で育児や家事をして、社交も家でします。週末には夫や子どもたちと公園に行き、一緒に過ごします。したがって一部の例外を除いて、日本社会と在日クルド人の間には社会的な相互浸透がありません。 1960年代から70年代にかけて、欧米のフェミニストは家庭内暴力に対して女性が街頭に出ることを呼びかけましたが、アフリカン・アメリカンのフェミニスト作家のベル・フックスは、街頭に出ることは黒人女性にとって解決にならないと主張しました。黒人女性にとって街頭は人種差別にさらされる場所であり、路上での暴力や差別は、時に家庭内の暴力よりもはるかに激しいものでした。日本にいるクルド人女性にも同じことが言えると思います。
クルドの部族構造では、個人や家族の間の問題は、部族を治める家族や族長が介入して、問題がエスカレートする前に解決することができるのですが、在日クルド人同士の問題に介入して、反目し合っている人たちを和解させるには、超家族的、超部族的な構造がないために時間を要しがちです。家族間や個人間の緊張、恨み、喧嘩が数カ月、時には数年続くこともあります。 その一方で在日クルド人は、日本国家や日本社会の排他的な態度ゆえに、クルド人同士で問題があったとしてもその関係を解消することができません。「外部に対抗して団結する」というモチベーションが非常に高いのです。そのため、クルド人同士の紛争は、まさにこの理由で自然解決することもあります。お互いに問題を抱えたり、仲違いしたりした家族や個人が、共通の親族の結婚式や弔い事、週末のピクニックなどに集まり、そこで和解することもあります。
奈良時代は中国にならった律令制だったから、その身分制度の中にがっちり奴隷階級は組み込まれてる。
身分としての奴婢は平安時代に廃止されたけど、その後も個人間での奴婢の売買は普通に行われてたし、戦国時代には海外にも売りに出されていた
奴隷の売買が禁止されるようになったのは、江戸時代になってからだけど、それでも女は遊女=性奴隷として売買されてたし
明治維新と第二次世界大戦での敗戦による社会制度の変化がむちゃくちゃ大きくて、日本人そういう新しい価値観に乗っかることに比較的抵抗ないから、過去を上書きして昔から平等を重んじてたような思い込みがあるだけだと思う。
あと、人ではない身分だからいちいち記録が残ってないというのもある。
おっ、良いこと言うじゃないか。素晴らしい。
てっきり自分の価値観しか認められない奴が強い言葉を使ってるのかと思ってたけど、そんなことはなかった。すまん。
天皇制を大切に思ってる人が多いのは承知してるし、天皇制の廃止は簡単に進むもんじゃないだろう。
ただ、人間の考え方って時とともにゆっくり変わるわけだ。社会の構成員も世代交代によって少しずつ変わる。
「天皇制は奴隷制の一種である」と「2024年時点で多くの日本国民が天皇制を大切に思っている」の両方が真ならば、
何十年もかけて、「天皇制って良くないよね」という世論を少しずつ醸成していくべきだろう。
今すぐ天皇制を廃止するってのは、さすがに俺でも極論だと思うよ。タイムスパンの話。
(ちなみに「なにいってんだこいつ」は俺とは別人だよ)
まあそうだわな。近代的な人権思想を厳格に適用するなら天皇制は廃止しかない。
「他の制度と比較せよ」って批判は的外れだけど、投稿者による反論もあまり的確でない。
天皇制は現代奴隷制であり廃止すべきである。天皇制支持者はクズである。
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前提が真であり、推論に論理的誤謬がなければその結論も真である。
「本世界推計で定義されている現代奴隷制は、強制労働と強制結婚という 2 つの主な要素で構成されている。どちらも、脅迫、暴力、欺瞞 、権力の乱用やその他の形態の強制によっ て、本人が拒否することも離脱することもできない形で搾取されている状況を指す。」
を採用する。
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①
前提1 「脅迫、暴力、欺瞞 、権力の乱用やその他の形態の強制によっ て、本人が拒否することも離脱することもできない形で搾取されている状況」を現代奴隷制と定義する
前提2 天皇制は、「脅迫、暴力、欺瞞 、権力の乱用やその他の形態の強制によって、本人が拒否することも離脱することもできない形で搾取されている状況」である。
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①前提1に対しては反論がないだろうが①前提2には反論があるだろう。それも論証する。
②
前提1 天皇制は憲法と皇室典範により定められた国家の制度である。
根拠:https://hourei.net/law/321CONSTITUTION
前提2 国家の制度は暴力装置に基づく暴力と脅迫により維持される。
根拠:https://kotobank.jp/word/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A3%85%E7%BD%AE-628731
当然皇室典範も法律であるため、違反し訴訟され敗訴した場合、強制執行という国家の暴力により規律される。
前例がないだけで当然そうなる。
第三条(裁判所の権限)裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000059
前提3 天皇及び皇室は、憲法と皇室典範により職業選択の自由が制限されている。
根拠:https://www.homemate-research-public.com/useful/19123_publi_024/#%3A~%3Atext%3D%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%AE%B6%E3%81%AF%E8%81%B7%E6%A5%AD%E3%81%AB%2C%E5%9B%A3%E4%BD%93%E3%81%AB%E9%99%90%E5%AE%9A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
前提4 職業選択の自由を制限することは「本人が拒否することも離脱することもできない」状況である。
根拠:職業選択の自由とは「自分の従事したい職業を任意に選択する自由」であるため、それが存在しないということは「本人が拒否することも離脱することもできない」状況であることは自明である。
https://kotobank.jp/word/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E9%81%B8%E6%8A%9E%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1-80115
根拠:https://hourei.net/law/321CONSTITUTION
根拠:https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02.html
前提7 搾取とは、他者の労働力や資源を自己の利益のために過度に利用する行為を指す言葉である。
根拠:https://www.weblio.jp/content/%E6%90%BE%E5%8F%96
前提8 職業選択の自由がない状態は前提7の「過度に利用する行為」といえる。
根拠:搾取には、労働者の過重労働や賃金未払い、不適切な労働条件など、多くの形態が存在する。
当然職業選択の自由がないことは「不適切な労働条件」に該当する。
結論 前提1〜前提8より、天皇制は、「脅迫、暴力による強制によって、本人が拒否することも離脱することもできない形で国民の自己利益のために搾取されている状況」である。
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私が天皇制支持者に「あなたは生まれ変わったら天皇になりたいか」ときくと「なりたくない」と答えた。
それにも関わらず天皇制を支持している。
これは
「俺の愛国心やナショナリズムを満たすために天皇制を支持するがそのコストは全部天皇が引き受けろ!!!俺は非天皇だから損しないし」
無知のヴェールに基づいた社会設計をすれば、上記のような発想にはならないはずである。
天皇を尊敬することや崇拝することは奴隷制を継続する理由にはならないのである。
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天皇制は自由競争や選挙といった誰もが参加可能なシステムによって決まるわけではない。
これは明らかに公平ではないし公正ではない。
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本当に許し難い。
■anond:20241104165710言及先エントリを開く
要約すると「天皇制はクソ」ということですね。書いてあることはあってるんだけど、重大なことが書いてないよ。
「天皇制はクソ」であっても、他の制度がもっとクソだったら相対的に天皇制は優れているということになるだろ。
意図的に省いているのか、それとも気付いていないのか。
意図的に省いているなら増田はとんでもない詐欺師だし、気づいていないのであれば増田はバカ。
おまえ友達いないだろ。
←このようなコメントが来たので返信する。
保守派は「天皇制は存在しない」「皇統、皇室と呼ぶべき」といっているように制度そのものを重要視してない。
郵政民営化では効率化やコストカットが叫ばれたが当然予算カットにもなる。
良いことである。
イギリスの成功、特に18世紀から19世紀にかけての経済的繁栄は、確かに奴隷貿易が大きな要素の一つであったことは歴史的に指摘されています。イギリスは三角貿易と呼ばれる奴隷貿易のシステムで、アフリカから奴隷をアメリカ大陸へ送り、アメリカ大陸から農産物や資源をイギリスに輸入し、それをもとに工業製品を生産して他国へ輸出するという形で莫大な利益を上げました。
しかし、イギリスが成功した理由は奴隷貿易だけではありません。産業革命によって工業化が進み、生産力が飛躍的に増加したこと、広範な植民地支配を通じて世界各地から資源を手に入れたこと、そして金融や貿易のネットワークを拡大していったことも重要な要因です。また、法制度や議会政治といった国内の安定的な統治体制も、経済成長の基盤を支えました。
もちろん、奴隷制度は深刻な人権侵害であり、その歴史的な影響は現在でも議論され続けていますが、イギリスの成功は複数の要因が組み合わさった結果といえます。