はてなキーワード: 夜も昼もとは
はい、太宰治『人間失格』冒頭部分のギャル語訳ですね。お任せください!
チョベリバ序章
まず1枚目は、その人のキッズ時代、10歳くらいの時の写真なんだけど、それがマジでヤバすぎて、まずそれについて語らせて。
多分、その人の人生初フォトアルバムの1ページ目を飾ってる写真だと思うんだよね。絹のデカめ台紙に、セピア色の小さめ写真が貼ってあるの。
だいたいフォトアルバムの1ページ目って、持ち主のイケてるキッズ時代の写真が貼ってあるじゃん?でも、この写真の男の子のイキリ具合がハンパないの。
セーラー服着てて、帽子を指の爪で引っ掛けてるみたいな感じで、ギリ頭に乗せてるの。体を右にありえない角度に傾けて、キモい片笑いを顔に作って、両手を胸の前で縄みたいに結んでるの。
キッズにブスとかあるわけないじゃん?キッズは生きてるだけで天使でしょ。で、天使は何しても天使なのよ。でも、この写真のキッズの、ブサイクすぎる笑顔は何なの?
なんか、めっちゃ大人ぶってて、バレバレの道化やって、みんなを笑わせようとしてるみたいな感じで、全然笑わせようとしてないの。ただ、自分がおかしくてたまらないみたいな感じで、全然笑ってないの。顔全体にシワ寄せて、両方の拳握って、必死に笑いをこらえてるみたいな表情なの。
その表情って、例えば、私たちが「うちの旦那マジ困るんだけどw」とか言って、苦笑いする時の、あの苦笑いにちょっと似てるかも。
でも、それにしても、苦笑いのシワが深すぎだし、両方の拳が握りすぎなのよ。
私たちみたいな、いわゆる「世間」に生きてる人間には、ほとんど経験ない、マジで血も凍るような、つらい、つらい、マジヤバな苦笑いなの。
うち、この写真初めて見た時、思わず台紙を掴んで、今にも破り捨てたくなった。
一体、この子の人生に、どんなにつらい、血まみれの、死ぬ気での戦いがあったら、10歳にもならないキッズに、こんな顔をさせることができるの?
みんなはそう思わない?例えば、こんな感じで、みんなにこの写真を見せてみるよ。
みんなは、うちと違って、
「え、めっちゃかわいんだけどw」
とか言って、この写真をポイするかもね。
その場合、うちは、
とか、マジ不機嫌そうに呟いて、虫でも払いのけるみたいな手つきで、その写真をポイするかも。
マジで、そのキッズの笑顔、見れば見るほど、なんかヤバいものが感じられてくるんだよね。
それは、キッズの笑顔っていうより、失敗したキッズの道化のコスプレの、その失敗だけが、めっちゃブサイクにバレてるみたいな感じなの。
うち、このキッズの、そのコスプレの失敗を、今でも見てる気がする。
つまり、このキッズは、その人生で、一度も、本当の自分の顔を、私たち人間は見せなかったってことじゃないかな。
その顔を見せなかったっていうより、見せることができなかったって考えるべきなんだろうね。
その証拠に、2枚目の、その人の学生時代の写真には、その人の、ちょっと焦ってる表情が記録されてるの。
それは、おどけた表情なの。1枚目の、あのヤバい笑顔に比べると、はるかに自然な笑顔に近いんだけど。
でも、やっぱり、どこか私たちを不安にさせるものが隠れてるの。
例えば、私たちが、旅行先のホテルとかで、素性の知らないイケメン学生と、たまたま同じ部屋になった場合、その学生が、夜中に私たちを起こして、
「実は、俺、人殺しちゃって、今逃げてきたんです。お願いだから、警察に言わないでください!」
そんな不安を、私たちは、この学生時代の写真の男の笑顔から感じるの。
この人は、私たちとは違う意味で、神経が異常に敏感なんだろうね。
で、その神経の敏感さも、私たちとは違う意味で、いわば根が腐ってるの。
この人は、私たちみたいな、いわゆる「世間」に生きてる人間には、ほとんど経験ない、マジで血も凍るような、つらい、つらい、マジヤバな苦笑いを、人生で3回も私たちに見せたの。
その3回目の苦笑いは、その人が白髪になって、もう年齢も私たちにはわからない、その人の、いわば生ける屍の写真に記録されてる。
この3枚の写真について、その人の、いわば人生の記録について、うちは、その人の友達から、手記をもらったの。
その手記を、そのままここに書いて、この序章とするよ。
1つ目の手記
マジ恥ずかしい人生送ってきたわ。
自分は東北の田舎で生まれたから、電車を初めて見たのは、めっちゃ大きくなってからだったし。
自分は、駅ってものをたくさん知ってたんだけど、駅って場所は、ただ、乗客と荷物を降ろしたり、積んだりする、その仕事だけを、夜も昼もしてる場所だとばかり思ってたんだよね。
自分は、電車に乗って、初めて、駅って場所が、ただ、それだけの場所じゃないってことを知ったの。
ちゃんと漢字を開くけど言い回しが原文に引きづられている感じ。
はい、太宰治の『人間失格』冒頭部分を小学3年生にも分かりやすい文章に書き換えますね。
はじめに
1まい目のしゃしんは、その男の人が、まだ小さいころ、10さいくらいのときのしゃしんです。それが、すごくへんなしゃしんなので、まず、そのことを話します。
それは、その男の人が、たぶん生まれてはじめてつくった、思い出のしゃしんアルバムの、1ページ目にあるしゃしんなんだと思います。きぬでできた、ちょっと大きめの台紙に、茶色っぽい小さなしゃしんがはってあります。
だいたいのしゃしんアルバムの1ページ目には、そのアルバムを持っている人の、かっこつけた小さいころのしゃしんがはってあるんだけど、このしゃしんの男の子は、かっこつけ方が、ふつうじゃありません。
その男の子は、セーラー服を着ています。ぼうしを、まるで、指のつめでひっかけてぶらさげているみたいに、やっと、頭にのせています。体を、へんな角度に、右に傾けて、きもちわるい片方のほほえみを顔につくって、両手を、まるで、なわみたいに、むねの前でむすんでいます。
子どもに、きれいとか、みにくいとか、そんなものはありません。子どもは、生きているだけで、天使みたいです。そして、天使は、どんなへんなすがたをしても、そのまま天使です。でも、このしゃしんの子どもの、みにくい笑顔は、いったい、どうでしょう。
まるで、へんに、おとなっぽくて、それが、バレバレの道化をして、見ている人をわらわせようとしているみたいで、ぜんぜん、見ている人を、わらわせようとしていません。ただ、ひとりで、おかしくてたまらない、みたいな感じで、ぜんぜん、わらっていません。顔全体に、しわをよせて、両方のこぶしをにぎって、やっと、わらいをこらえている、みたいな顔です。
その顔は、たとえば、ぼくたちが、「うちのおとうさんったら、まったく、こまるなあ」とか、苦笑いするときの、あの苦笑いに、ちょっとにているような気もします。
でも、それにしても、その苦笑いのしわが、深すぎるし、両方のこぶしが、かたくにぎられすぎです。
それは、ぼくたちみたいな、いわゆる「世の中」に生きている人間にとって、ほとんど経験のない、まるで、血もこおるような、つらい、つらい、ふるえるような苦笑いです。
ぼくは、このしゃしんを、はじめて見たとき、思わず、その台紙を、わしづかみにして、いまにも、それをやぶってしまいたくなりました。
いったい、この子の人生に、どんなに、つらい、血まみれの、死にものぐるいのがんばりがあったら、10さいにもならない子どもに、こんな顔をさせることができるのでしょう。
みんなは、そう思わないでしょうか。たとえば、こんな風に、このしゃしんを、みんなに見せてみましょう。
みんなは、もしかしたら、ぼくとちがって、
と、わらって、このしゃしんを、ポイっとすてるかもしれません。
その場合、ぼくは、
と、すごくふきげんそうにつぶやいて、毛虫でもはらいのけるときみたいな手つきで、そのしゃしんをポイっとすてるかもしれません。
まったく、その子どもの笑顔は、よく見れば見るほど、なんだか、イヤなきもちわるいものがかんじられてきます。
それは、子どもの笑顔というよりも、むしろ、失敗した、子どもの道化のコスプレの、その失敗だけが、へんに、みにくく、見えているみたいです。
ぼくは、この子どもの、そのコスプレの失敗を、いまに、見る気がします。
つまり、この子どもは、その一生で、一度も、本当の、その自分の顔を、ぼくたち人間に見せなかった、ということができるのではないでしょうか。
その顔を、見せなかった、というよりも、見せることができなかった、と考えるべきなのでしょう。
そのしょうこには、2まい目の、その男の人の、学生時代のしゃしんに、その男の人の、ちょっとあわてた顔が、のこされています。
それは、おどけた顔です。1まい目の、あのへんな笑顔にくらべると、ずっと、ふつうの笑顔にちかいです。
でも、やっぱり、どこか、ぼくたちを、不安にするものが、かくれています。
たとえば、ぼくたちが、ゆうえんちのホテルなどで、だれだかわからない、きれいな学生と、たまたま、同じへやになった場合、その学生が、夜中に、ぼくたちを、おこして、
「じつは、ぼくは、人をころして、いま、にげてきたんです。どうか、けいさつに、知らせないでください」
と、なきながら、ぼくたちに、おねがいするかもしれません。
そんな、不安を、ぼくたちは、この学生時代のしゃしんの男の笑顔から、かんじるのです。
この男の人は、ぼくたちとは、ちがう意味で、神経が、すごく、びんかんなのでしょう。
そして、その神経のびんかんさも、ぼくたちとは、ちがう意味で、いわば、その根っこがくさっているのです。
この男の人は、ぼくたちみたいな、いわゆる「世の中」に生きている人間にとっては、ほとんど経験のない、まるで、血もこおるような、つらい、つらい、ふるえるような苦笑いを、一生に、3回も、ぼくたちに見せたのです。
その3回目の苦笑いは、その男の人が、白髪になって、もう年れいも、ぼくたちには、見当もつかない、その男の人の、いわば、生きているしかばねの、しゃしんに、のこされています。
この3まいのしゃしんについて、その男の人の、いわば、一生の記録について、ぼくは、その男の人の、ひとりの友だちから、手紙をもらいました。
その手紙を、そのまま、ここに、書きつづって、この、はじめに、と、させていただきます。
1つ目の手紙
はずかしい一生を送ってきました。
ぼくは東北のいなかで生まれましたので、電車をはじめて見たのは、ずいぶん大きくなってからでした。
ぼくは、駅というものを、たくさん知っていましたが、駅というところは、ただ、お客さんと荷物を、おろしたり、つんだりする、その仕事だけを、夜も昼も、しているところだとばかり思っていました。
ぼくは、電車に乗って、はじめて、駅というところが、ただ、それだけのところではない、ということを知りました。
あんまりおもしろくなかったので冒頭以外は割愛。もっとボケて話があっちこっちに行くように指示するべきだったか。
はい、太宰治の『人間失格』冒頭部分を、認知症の老人の語り口調に変換します。
ええと、あれだ、あの男の子のしゃしんを、わしは、3枚見たんだよ。うん、3枚。
最初のしゃしんは、ええと、いつだったかな、ああ、そうそう、その子がまだ小さかったころ、10歳くらいだったかな、そのころのしゃしんじゃった。それが、なんとも、へんてこなしゃしんでね、まず、その話をせんと、いかんのじゃ。
それは、その子が、たぶん、生まれてはじめてつくった、思い出のしゃしん帳の、最初のページにあったしゃしんじゃったかな。きぬでできた、ちょっと大きめの台紙に、茶色っぽい小さなしゃしんが貼ってあってね。
だいたいのしゃしん帳の最初のページには、そのしゃしん帳を持っとる人の、かっこつけた小さいころのしゃしんが貼ってあるじゃろう。でも、このしゃしんの男の子は、かっこつけ方が、普通じゃなかったんじゃ。
一番ウケた。
はい、太宰治の『人間失格』冒頭部分を楽天カードマン風に変換します。楽天カードの宣伝も挟みますね!
皆さん、こんにちは!楽天カードマンです!今日は、僕が衝撃を受けた、ある男の物語を紹介します!
僕がね、その男の写真を3枚見たんだ。それが、なんとも不思議な写真でね。
最初の写真は、その男がまだ子供の頃、10歳くらいの時のものだったんだ。それが、もう、なんとも奇妙な写真でね。
「皆さん、楽天カードはお持ちですか?楽天カードなら、ポイントがザクザク貯まって、楽天市場でのお買い物がお得になりますよ!今なら、新規入会キャンペーンも実施中!ぜひ、この機会に楽天カードを手に入れて、お得な楽天ライフを始めましょう!」
話がそれちゃったね。ごめん、ごめん。
その男の子はね、セーラー服を着て、帽子をひっかけて、なんとも言えない笑顔を浮かべていたんだ。まるで、無理して笑っているような、そんな笑顔でね。
「楽天カードは、年会費永年無料!さらに、楽天ポイントカード機能も付いているので、街でのお買い物でもポイントが貯まります!貯まったポイントは、楽天市場や楽天トラベルなどで使えますよ!」
その笑顔を見たとき、僕はなんとも言えない気持ちになったんだ。まるで、心の奥底を見透かされているような、そんな気持ちでね。
「楽天カードは、セキュリティも万全!不正利用検知システムが24時間365日稼働しているので、安心してご利用いただけます!もしもの時も、楽天カードがあなたを守ります!」
その男の人生は、決して平坦なものではなかった。彼がどんな人生を送ったのか、それは、これからお話する手記を読めばわかるはずです。
「楽天カードは、ポイントが貯まるだけじゃない!楽天Edyや楽天ペイとの連携で、さらに便利に、お得になります!楽天カードを使って、あなたの生活をもっと豊かにしましょう!」
さあ、楽天カードを手にして、ポイントをザクザク貯めながら、この男の物語を一緒に読み進めていきましょう!
恥の多い生涯を送って来ました。
自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。
(以下、手記が続く)
もし貴方をATM奴隷と指定して、結婚させて30年ローンで家を建てさせても、女は「真実の愛」を求めて、働きもしない家に一銭の金も入れない「オラオラ系DV男」か「超絶美形ホスト君」を選んで家事もしてやって、子種を強請って金もあなたの貯金から差し出して貢ぐことでしょう。
疲れ切って帰って来ても、自分の巣と言えどATM奴隷の為には家事もせず、専業主婦であっても貴方に対して対等な家事分配を求め、貴方の小遣いは1万円以下で車の維持費も燃料費も貴方の小遣いから出費、昼飯は作って貰えず50円のカップラーメンか会社のコーヒー。
家では「夫に触れられるのも虫唾が走る」と言われ、「旦那デスノート」を編集されて、早く死なないか保険金だけ残して死ねと言われ、現実にトリカブトなどを盛られて殺されます。
もし托卵がバレても「愛しているのは貴方だけ」「違うの、寂しかったの」「レイプされた」の嘘を、息をするように言い続けて、適当な元カレがレイプ犯に仕立て上げられて社会的に破滅させられます。
もし嘘がバレても開き直って「アリバイ作りとは言えノースキンで私を抱けてうれしかっただろう」「毎日私の手料理を食べられて光栄だっただろう」「私を愛しているなら子供の種が誰だろうといいだろう」「お前みたいなブッサイクの種で生まれなくてWINWINだろう」「分かったらさっさと働きに出て、夜も昼もバイト掛け持ちして子供のミルク代稼いで来いっ」と女理論を展開され、鬼のような顔で巣から叩き出されます。
もしそれを許容されるなら結婚してみても良いのでは? まあ、義両親は娘の味方で気が狂っていて、大学時代の友人にも無い事無い事言われて「旦那が浮気した」と立場が入れ替わっていて、嫁の友人がやってきてシバかれたり、「たとえ女が浮気したとしても、お前の甲斐性が無かったからだ、一度ぐらいの浮気は許せ(托卵されてるんですけど?)」と言われて地獄を見ても良いなら結婚をお勧めします。
一回着る(着たきり雀なので1ヶ月夜も昼も)
私は家事と育児にストレスがたまりここ最近うつになって精神科に通院し始めた
赤ちゃんの授乳や夜泣きに夜も昼もなく頑張ってた頃から産後うつの危機に悩んでいた。
育児休暇を終えて復職したけれど、近場に保育園がなくどうしても電車で子供を連れて行かないとならない。
朝の通勤ラッシュを避けるだけ避けてなんとか工夫して車両に乗り込むけどやっぱり舌打ちされたり嫌な顔される
連結部など隅っこにいて迷惑かけないように乗ってるんだけど急いで連れて行くので子を抱き上げて車内を移動する。
ある日、初老の男性に子どもの背中にあるリュックが触れてしまい、
名札のゴム紐がビジネスバッグにからんでしまって物凄く怒られた。
これまでたくさん謝って謝りすぎてこれはもう死のうとまでその時おもいつめていたのだ。
気がついたら、頭を下げて子供を生んですみませんでしたって言った。
頭の中がもうおかしくなっていた。
降車して相手の男性に何度も何度も生んですみませんでしたって言いながら頭を下げていた。周囲の人は引いてたと思う
鬱病になって精神科にいってみたけど薬は辛いわりに良くならない
夫の両親は子供が女の子なので子供を歓迎しておらず助けなんて求めれない。
頑張ったけどどうしていのかわからないでい途方に暮れている
いっそもう一人でどこかに行こうかなって思ったりして困った
子供を産んだ私の罪って本当に大きいんだなぁと感じた
母親やめたい
君は今、ベッドで横になりながらこれを読んでいるな。しかも寝起きとかちょっと横になったとかではなく、6時間とか、下手したら12時間以上、浅い眠りと覚醒を繰り返して、夜も昼も区別のないカーテンの締め切った部屋で、ろくな食事もしないままいるのだろう。喉が渇けばベッド脇に置いたペットボトルの水を飲み、トイレには這って行く。ろくな栄養を取れていないから立ち上がったままで2分と居れず、すぐさまベッドに倒れこむことも珍しくなく、時々出るものもないのに吐く。意味もなく泣く。頭は動かない。
僕はそんな生活をしていた事がある。体重は落ち、頰はこけて、髪は白くなった。けれど、自分が自殺できる人間でないことは分かっていたから、生存する努力をしなければならなかった。
喉が渇いたら無理にでも起き上がって、箱買いしたウイダーを取りに行き、そのままベッドへ戻る。呼吸を整えたら、横になったままウイダーを口に流し込む。一口を数十秒もかけてゆっくり胃に送り込む。そうやって十分ほどかけて飲みきる。すると、さすが消化吸収の早いウイダーだけあって、なんだか少しだけ元気が出てくる。けれどこの元気は20分と持たない。ウイダーのゴミを捨てるためだと自分に言い聞かせながらベッドから出る。そのままキッチンへ行き、春雨を適量を大きめのスープ皿に入れ、鶏ガラスープの素小さじ1、チューブ生姜を少し、胡椒一振り、水を適量入れて電子レンジにぶち込む。待ち時間の間、ベッドに戻りたい強烈な衝動を我慢して電子レンジの前で体育座りして待つ。春雨スープが出来上がる。ウイダーを飲んでちょっと元気になった状態で、目の前には捨てるのも面倒な春雨スープがある。腹のなかに入れるのが一番楽な処理方法だ。椅子に座って、現実を見ないためにパソコンで適当な動画を無感動に眺めながら、1時間ほどかけて冷めた春雨スープを食べきる。ここで栄養補給が終わったかというとそうではない。塩分は摂れたが糖分がまだだ。春雨?たしかにデンプンだけど、あれは消化に時間がかかる。この時点で肉体は、なけなしのエネルギーを春雨の消化に使うため、身体を休めようとする。要するに眠くなる。君もよくやるんだろう?さすがにやばいと思って炭水化物と塩分を摂取するものの、ダイレクトに糖分を摂らないからすぐ眠くなって、寝ている間に炭水化物が消化吸収されそのまま使われてしまって、結局起きても元気が出ないってやつを。そういう事態を避けるために、甘い物を食べないといけない。なので僕はまるごとバナナを食べる事にしていた。強烈な甘味とバナナのカロリーは最適だった。これを数十分かけて食べきる。これで2時間近くかけた食事が終わる。
糖分ブーストもかかって比較的身体が動くようになるので、翌日分のまるごとバナナを近くのスーパーに買いに行ことになる。人の少ない時間を狙ってだが。今思えば、これが外出のきっかけになっていたのかもしれない。数百メートルを歩く程度だが運動にもなり、心なしか食欲も回復していった。この食生活は決して健康的ではなかったが、身体を起こす事さえままならないほど衰弱した状態からは脱することはできた。けれど、僕が社会復帰するのはここからまだまだ先の話。
僕は自殺できない人間だという事は先に述べたが、そんな人間ですら死ぬしかない状態に追い込まれることがあることは理解している。そういう人のことを僕は理解する事は叶わない。僕は運が良かっただけなのだろう。
僕が辛かった時、この世の中のあらゆるものが辛くて苦しく感じたが、その中でも、自称鬱病、自称元鬱病、自称身内が鬱病、自称鬱の専門家(医師免許なし)の人たちが言う、アドバイスや励ましや、鬱で無い人に向けた”鬱の人にはこう接してほしい”的な意見が、とにかく嫌だった。鬱を知らない人からの無自覚な攻撃よりも、鬱を知っている(つもりの)人からの無自覚な攻撃の方が辛かった。「それができないことで苦しんでるんだよ。お前はそれを知っているはずの人間だろう。」とベッドで泣きながら、それでも何かにすがるように、そういうツイートだとかニュース記事やブログ記事を読んでいた。自傷行為だったんだと思う。
僕は、君の身体にナイフを突き立ててまでして、自分より軽いか同程度の鬱の人間だけを助けようと思えるほど、鬱の苦しみを忘れられてはいない。鬱予備軍や、鬱に関わっていくであろう人たちを大勢救うために、少数の重たい鬱の人を切り捨てるような社会性を持っていない。だから、僕は君を励ませないし、アドバイスもできない。やり方が分からない。もし君が数年単位でずっとベッドの上で生きているのなら、君は多分運が悪いんだと思う。君に必要なのは、励ましでもアドバイスでもない。治療だ。病院へ行け。でも分かってる。君は病院へは行けない。だって君は鬱だから。僕もそうだった。