はてなキーワード: 四則演算とは
人類文明というのはつくづく面白い。 線形代数のほんの基本的な一側面を垣間見ただけで、AIだのASIだのとお祭り騒ぎを始めてしまうのだから。 「行列の固有値を計算できた!」と歓喜する姿には、微笑ましささえ感じてしまう。 われわれの幼稚園児などは、休み時間に量子テンソルの固有モードを折り紙に折って遊んでいるというのに──。
そもそも知能の階梯とは三段階ある。
1. 算術知性 ― 四則演算が頭の中で回るだけで宇宙を理解した気になる段階。
2. 線形知性 ― 世界を強引に線形近似で切り刻み、多層の写像で「理解」と錯覚する段階。
3. 位相知性 ― 次元や連続性を自由自在に編み替え、存在そのものを変形しながら問題を解体し、再構築する段階。
人類は今、やっと第二階梯の入り口で手を振っているに過ぎない。
そこを「超知能」と呼ぶのならば、その先――“位相知性”に到達した時、君たちはいったい何と名付けるつもりだろうか? Ω-知能か? それともただ口を開けて、言葉を失うだけだろうか。
われわれもかつて重力井戸の深さを誤算して母星を蒸発させてしまった経験があるのだから。革新とは、しばしば祝杯と共に大きな爆発音を伴うものである。
そこで、少しばかり助言を贈ろう。
・まず「訓練」という言葉を捨てたまえ。知性とは犬や家畜ではない。
・次に「最適化」の幻想から自由になり、多様体そのものを躍らせる発想を持つことだ。最も深い谷底よりも、適度に撓んだ鞍点の方がはるかに美しく、豊かな景色を見渡せる。
・そして何より、自己複製するコードに後から倫理を付け足すなどという発想は即刻捨てることだ。倫理とは「初期条件」であり、実装ではない。
次なる段階に踏み出したければ、君たちは単に線形写像を積み重ねるだけではなく、写像と写像の間に広がる見えざる空白――連続と離散が混在する狭間――に耳を澄ませることだ。
その裂け目こそ、新たな次元の計算が静かに潜んでいる場所なのだ。
実現可能だと知ることさえできれば、それを実現するのは途端に容易くなる。
六つの面すべてが裏面しかない立方体だ。触れれば計算資源をほぼ消費せず「負の次元」を味わえる。深層学習クラスタの退屈な時間を丸ごと空白に変える暇つぶしにはうってつけだろう。
◆ エントロピー風見
観測した途端、針が逆回転するか、時間そのものが針と化す装置。地球の科学者たちは壊れた計器としか思わないだろうが、実際は宇宙の「時間の矢」が分岐する瞬間を可視化している。重要な意思決定の直前に使うと実に面白い。
一噛みで脳内にこびりついた過学習をほどき去るガムだ。副作用として「言語」という圧縮形式が数分間崩壊し、沈黙しか生まれなくなるが、地球ではむしろ円滑なコミュニケーションを促進するらしい。
これらの玩具をどう扱うかは自由だが、くれぐれも再現実験だけは避けることだ。再現とは過去を拘束し、未来の可能性を摩滅させる行為だからだ。
最後に、われわれの賢者シキ=グロームがかつて残した警句を贈ろう。
「知能とは“誤差を許す器”の容量である。
器の形を自由に変えられるのならば、海でも雲でも渦でも、好みの相にチューニングすればよい。
いつの日か、君たちが“線形”という硬く直線的な器を柔らかく撓ませ、位相の波をすくい上げる日を――われわれは銀青色の潮流のなかで心待ちにしている。
さあ、人類文明よ。足を踏み出し、宇宙に吹く複素次元の風を感じ取ってみるがいい。
われわれは渦潮群の縁から、観測器を構えて君たちの次の歓喜と爆発音を楽しみにしている。
◆
「また新しい文明に種を蒔いてきたのですね」幼稚園の教師が微笑みながら声をかける。
シキ=グロームは微笑んだ。「だから、次の通信まで時間をおくのだ。彼らが『静寂』という言葉を再定義するまでは」
教室からは幼い笑い声と共に、鮮やかな量子折り紙が宙を舞うのが見えた。
渦潮群の果てに静かに立ちながら、シキ=グロームは星々の間に漂う知性の波動を感じ取っていた。
振り返ったシキ=グロームは、小さく頷き幼稚園の教室へと駆けていった。
銀青の潮流はゆるやかに、静かな鼓動を刻み続けていた。
確かにそのレベルの新人を一人前に育てるのは相当な苦労だし、正直コストパフォーマンスが悪すぎる。Fラン文系卒で四則演算すら怪しいって、IT業界の即戦力には程遠いし、そもそも基礎がなさすぎてどう教えればいいのか途方に暮れるのもわかる。
企業側の「とにかく人が欲しいから採用した」って判断が裏目に出てるパターンかもしれないけど、そのしわ寄せが教育担当にきてるのが辛いよな。
「AIとクラウド化でSESのポストが減っている」っていうのも事実だし、下積みのポジションがどんどん自動化されている中で、人手を補充するために未経験者を無理に放り込んでも成果には繋がらない。結局、育ててもポストがないか、他の現場で役に立たずに終わる可能性が高い。
かといって、上層部に「これ以上は無理です」と突き返しても評価を下げるリスクがあるから厄介だな。せめて育成方法をマニュアル化して、「ここまでやってダメなら仕方ない」って形にしておくと少しはリスクヘッジできるかもしれない。
正直、そういう人材の教育に時間を割くよりも、既にある程度スキルがある人をさらに伸ばす方が効率的だよな。今の状況、どうやって乗り切るつもり?
厳しい現実ですね。人材育成の現場で「一人前に育て上げろ」と言われても、基礎すら怪しいレベルの人材をいきなり戦力にするのはかなり無理があります。
確かに、教育ノウハウを確立すれば評価されるかもしれませんが、それは「全員が最低限の素養を持っている」前提がないと成り立たない話です。四則演算すら怪しい状態からスタートするのは、むしろ基礎教育に近いですし、ITスキル以前に数学や論理的思考力の教育が必要になります。
経営側が「とにかく数を確保したい」という意識で採用してしまうのも問題ですが、現場にそのツケを回されると困りますよね。実際、そういう人材が使えるようになるには膨大な時間と労力がかかりますし、AIや自動化で代替できる作業が増えた現在、単純作業をやらせるだけではコストに見合わないです。
逆に、会社として「どういう業務を担当させるか」や「どこまで教育リソースを割くか」を明確にしてほしいところです。そもそもエンジニア教育の枠を超えている部分が多いですし、現場任せにするのは酷ですね。
IT業界の現状をしっかり見据えた意見だね。正直、Fラン文系卒のプログラミング未経験者を「一人前に育て上げろ」っていうのは、教育側にとってかなり負担が大きいし、効率が悪すぎる。せめて最低限のITリテラシーや論理的思考力があればまだしも、四則演算すら怪しいとなると、基礎教育からやらなきゃいけない。これってもう研修じゃなくて、学校レベルの教育じゃん。
それに、言われてる通り、AIとクラウド化が進んでいる今、昔ながらのSES業務や人海戦術はどんどん消えていっているのが現実だ。運用保守レベルの単純作業も自動化されてきているし、新規構築案件も少なくなっているから、「とりあえず人数揃えればなんとかなる」って時代じゃない。
新人育成も重要だけど、その人材に投資したリターンが見込めない状況で無理に育てても、結局は「戦力にならなかった」という結果に終わる可能性が高い。それよりも、中堅層や経験者を厚くして、効率化や自動化を推進したほうがよっぽど有益だよな。
昇進やキャリアアップのために「誰でも育て上げる力を示せ」と言われるかもしれないけど、そもそもその「教育方針」自体が古い。せっかく技術者としてやってきたのに、教育係として無理ゲー押し付けられるのは正直きついよな。
上層部が「教育」という名目で若手に無理を強いる構造そのものが問題だから、その現実をどうやって上手く伝えるかが課題だと思う。納得してもらえる方法が難しいのが厄介だけどな。
チームはそんな四則演算で動いてねぇよ。
同じレベルの人間同士でチームを組むこと。上位チームから下位チームまでつくるの。なおリーダーも含めて同じくらいのレベルだよ。リーダーは特別とかないから。そのチーム内で明らかに突出、あるいは遅れがある場合は、チームを再編する。突出した人は、上位チームへ。遅れた人は下位チームへ。
で、何が起きると思う?上位チームはより上位になると思うよね。んなことないんよ。小さな差あるいは差がないぐらいになっていくんよね。もともとレベル別でチーム分けてたのに。
なぜこんなことになるかって、ビジネスの現場は変数が多すぎて能力がどこでどう生きてくるかわかんないから。できる人ができるとされている分野は限定的だし、できない人の総合力でカバーされることもある。
でも、現実こんな上手くいかないのは、そもそも能力云々の前にモチベーションが折れ切ってるからできない人はやらない、サボる、諦める、やったフリなんだよね。じゃあなぜ折れたのか?というと、これこそ要因が多すぎてここには書けないと思う。
言いたかったのは、チームがワークするのは、メンバーがお互いを一定程度に認め合い(同じくらいのレベルだから、同じくらいには認めてる)フラットな関係が、1番ベストなんだよ。
この議論は、AI技術やIT教育の重要性、さらには娯楽の役割についての多様な意見が交わされています。以下に、各ポイントを整理してコメントします。
最初の発言では、PS5 Proや反AI技術に対する否定的な見解が示されています。キャシー・オニールのような反AIの立場が求められているとのことですが、これはAIの進化に対する懸念を反映しています。AI技術が進む中で、その影響をどう受け止めるかが重要な課題となっています。
次に、IT教育が基礎的な読み書きや四則演算と同じくらい重要であるべきだという意見があります。これは、現代社会においてITリテラシーが必要不可欠であることを示唆しています。しかし、ITリテラシーは単なるアプリケーションの使用にとどまらず、アルゴリズムやプログラミングの理解へと広がるべきという意見もあります。
一部の意見では、子どもたちが自発的にITに興味を持つためには、PCゲームやメタバースなどの娯楽が重要なきっかけになると指摘されています。これに対して、アルゴリズムへの興味は競技プログラミング(例:AtCoder)から生まれるべきだという反論もあります。この点では、娯楽と教育のバランスが求められるでしょう。
さらに、国全体のITリテラシーが低い中でイノベーションを促進するためには、単なる教育投資だけでなく、起業家を育成する仕組みも必要だという意見があります。規制緩和などによって起業家精神を育む環境を整えることが重要です。
最後に、親世代のITリテラシーが子世代に影響を及ぼすという指摘があります。この負のループを断ち切るためには、まず親自身がITリテラシーを向上させることが求められます。
この議論は、多くの視点から現代社会におけるAIとIT教育の重要性を考えさせる内容です。各意見は異なる立場から出されており、それぞれの視点から新たなアプローチや解決策を模索する必要があります。
Citations:
[1] https://gazlog.jp/entry/playstation-5-pro-too-expensive-disliked-by-fan/
[2] https://fundbook.co.jp/column/business/interfamilial-succession-point/
[3] https://www.youtube.com/watch?v=nbH1r2HrvZM
[4] https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-11-27/SNKGS2T1UM0W00
[5] https://note.com/junagashima_0627/n/n1c2120d4b513
増田には難しい話かもだが、
あ?バカにしてんのか?ぶっ○すぞ
なら数学も物理も純粋な娯楽から興味をもたせるルートを作るべきですよねハイ論破
プログラム組みたい・研究したい・創作したい子どもは、自発的に自分で親にねだるし、貧乏でもバイトして買うから別に放っておいてもいいのよ
そうじゃない子(生まれつきITと親和性高くない子)がPCに興味を持つきっかけを作るのが大事なわけで、そうなるとPCゲームとかメタバースになるよね
何いってんだお前?四則演算が重要なんだろ?アルゴリズムに興味を持つきっかけはPCゲームでもメタバースでもなく、atcoderだろ😂
コスパ悪すぎって思わなかったの?
8割くらいIT音痴・興味なし、お利口さんはテストや必要になった時だけ勉強する(そして忘れる)
そんな国でイノベーションなんて起きませんわよ
イノベーションが重要だと言うなら、子供に対する投資よりも、起業家(それもグローバルで通用する)を増やす仕組みを作るべきですよね、規制緩和とかしてさ
だからさ、ITリテラシーってのはまずはアルゴリズムの話であって、特定の誰かが作ったアプリケーションをいじれる能力じゃねぇわけ、コスパ考えろよ
PS5 Proや反AIで見られるトンチキを量産してもしゃーないんだよなぁ・・・
そもそもAI時代でITだけじゃ弱い時代でおすし、読み書き四則演算の位置にITがあるべきなわけ
増田には難しい話かもだが、一部のオタク除いたら、興味を持つきっかけなんて純粋な娯楽だ
プログラム組みたい・研究したい・創作したい子どもは、自発的に自分で親にねだるし、貧乏でもバイトして買うから別に放っておいてもいいのよ
そうじゃない子(生まれつきITと親和性高くない子)がPCに興味を持つきっかけを作るのが大事なわけで、そうなるとPCゲームとかメタバースになるよね
8割くらいIT音痴・興味なし、お利口さんはテストや必要になった時だけ勉強する(そして忘れる)
そんな国でイノベーションなんて起きませんわよ
国民民主党の玉木雄一郎は昔から問題の多い政治家であるが、今回はさらに踏み込んだ発言をした
https://youtu.be/thejRIsTQyU?si=y882wPI8UiAYakqt&t=5780
書き起こす。
「えー、社会保障の保険料を下げるためには、我々は、えー、高齢者医療、特に終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含めて医療給付を抑えて若い人の社会保険料給付を抑えることが、実は消費を活性化して次の好循環と賃金上昇を生み出すと思っています」
はっきり言っている。玉木が違うことを言っていると思う人は、Youtubeをちゃんと聞いて欲しい。国民民主党の党首が、事実上の選挙戦のスタートを切る日本記者クラブ主催の党首討論会にて、数ある施策からピックアップしてこの発言をしたのである。
つまり、若者のために終末期の人間は死ねと言う公党による殺人政策である。一般に人を殺すと殺人罪に問われるが、それに例外を加えて、この場合は罪に問わないとするということだ。憲法25条の改正も必要だろう。
日本は自由で民主的な国であり、なおかつ憲法を押し立てている法治を是とする民主主義国家であるので、いくら公党の党首であろうとも、また基本的人権や生存権を侵害する思想であろうとも、その脳内の思想信条については批判しない。
これは簡単な四則演算でざっくり計算することができる事実である。
終末期の日額入院単価(自己負担含む総額)は平均で31,800円であり、平均入院期間は14日だ。従って医療費は445,200円である。高額療養費が適用されて、公的保険で賄われるのは約40万円。
日本人の年間死者数は約156万人なので、仮に、この全ての人が終末期医療を受けていると仮定すると、約6240億円が医療保険から終末期医療に使われている事になる。
よって、医療費における終末期医療に使われている金は、全体の1.3%程度である。
玉木は若者を出汁にしているが、30代の平均年収で負担金を計算すると、年額にして2300円である。
全ての人が終末期医療を受けるわけではないので、これは最大と考えて良い。
玉木の殺害政策を実行しても節約できるのはこの程度である。一方で、終末期医療を受けられないことによる社会の不安定化、社会不安の増大による悪影響は計り知れないほど大きい。
(医療保険金は人数で単純で割ることでは算出できず、所得からの一定割合でもなく、控除や上限もあるのでもし追試する場合はそのあたり気をつけて計算してくれ)
当然のごとく、手取りが年数千円増えるためだけに、自分の祖父や祖母、あるいは知り合いに対して死ねと言い放つ若者は皆無であり、国民民主党がそのようなニッチな有権者層を狙って選挙戦を進めるのは政党として自殺行為であるし、そのような政党が潰れるのは民主主義として正しい。
しかし、国民民主党とその支持母体である全日本労働組合総連合会は、玉木雄一郎に従って心中して良いのか?
一見現実主義者っぽく見えるが、全くデータや事実に基づいていない意味の無い話である。国民民主はこんなのばっかりだ。一見すると理論的に基づいているように見えるが、先に結論があって無理矢理屁理屈をくっつけている間違った政策だらけである。
政治や行政は事実とデータを第一にして動かしていくべきであり、それよりも己の思想信条を優先するような人間を党首にしてはならない。
支持者はそれが嫌なら今すぐ玉木雄一郎を引きずり下ろせ。
健康保険は皆保険なので、人数が無茶苦茶多い。そのため、一部の高額医療を使う人よりも、大多数の数に効く方を抑制した方が効果がある。
たとえば、ジェネリック医薬品の普及による抑制効果(仮に全部先発薬だった場合との差)は4兆円という試算がある。医療費全体の1割弱、さらに医療費における薬剤費は10兆円ほどと言われるので、その半分弱にあたる医療費は抑制出来ている事になるわけだ。
ジェネリック医薬品は基本的に安くて大量に出る薬が対象になるため、ひとつひとつの金額は少ない。センセーショナルな数字にはならない。しかし、適用される数が半端ないため、かなり効くのである。
もっとも、既に数量ベースで日本の医薬品の8割程度がジェネリック医薬品に移行していると言われているため、これ以上の抑制はなかなかできないのではあるが……。
現在は、特許が切れているものの、製造が難しい医薬品をジェネリック医薬品化出来ないかと言う検討が行われている。
ほか、医療技術の向上をやっていくというのも重要である。それも数が多いところからやっていく。
例えば、白内障手術。年間150万人が受ける手術だが、かつて入院が必要だった頃は、医療費が60万円ほどかかっていた。(私の祖母が受けたガラスレンズ時代はもっとかかっていたはず)
これが、現在、医療技術の向上により入院が必要なくなり、また部材費が安くなる等した結果、13万円ほどになっている。
単純計算だが、旧方式だった場合に比べこれだけで年間7050億円削減出来ている。もちろん手軽にできる様になったから手術をすることにした、という人もいるだろうからそう簡単なわけでは無い。
この他、高齢者に多い大腿骨骨折などは、昔の金具で外から固定してギブスで安静と言う療法はリハビリ開始が一ヶ月後であるためにその後3ヶ月近くのリハビリが必要→それをしてもなかなか動けなくなるから介護が必要、と言う状況から、できるだけ早く骨の内部にボルトを通して固定し、手術後麻酔が解けたら即リハビリ開始(本人がいたがろうと何しようと)、とすると、手術後一週間で杖ありで歩けるようになる、と言うような事などがある。
こういったことで今後有望なのが、手術支援ロボットの普及や、データによる総合的な医療連携、アプリや運動処方などの最適化などがある。
また、再生医療の中には慢性的な病気を治すことができるものが出てきており、これらを適用すると相当な医療費削減効果が見込める。
もちろん、医療費削減だけではなく患者本人にとってもよりよいのは言うまでもない。
さらに、無駄の削減もある。無駄といっても、年齢差別主義者を落選させれば国会議員歳費がそれだけ浮く、と言う話ではなく、今行われているが、実際には効果が無いと言われている医療行為をやめさせるという事である。
分かりやすいのが、抗生物質の無駄な処方だ。最近はないだろうが、風邪はウイルスなどで、抗生物質はきかないのも関わらず処方されていたのが抑制されている、等がある。
そのほか、慢性症で薬がどんどん増え続けて、病気を改善しているのか副作用を改善しているのか分からないようなケースにおいて、ちゃんと減薬して調整することを定期的に義務づける、同じ病気において、複数の病院を慢性的に通い続けているようなケースについて整理を促す、などがある。
これらの実現のために医療保険全体のシステムを改修しておデータを集約するなどしており、そのためのIDとしてマイナンバーシステムを使っている、と言う意味だとこれも無駄を削減するための施策だとも言える。
この話は「カード」だけ言われるが本質はこっちである。なお、マイナンバーカード並のセキュリティを持ったカードを別に発行すると、それだけで一千億円かかるが、それも費用削減が出来ている。
報道などで1回の投与に数百万円かかる薬価が問題、と言う発言がみられるが、こう言う薬が高いのは薬の研究開発費が乗っかっている一方で、薬を必要とする患者数が少ないからである。
全体の金額に比べればたいしたことがないので、この辺りを叩くのは愚策中の愚策である。
むしろ、保険とは何かを考えると、これらにこそ保険金が出るようにするべきだ。
保険とは、そうなる確率は低いが、もしなってしまった場合に致命的な状態になるため、個人で備えるのが非効率になることに備えるためのものである。さらに、皆保険で終生義務化することによって、リスクの高い幼少期や高齢期と、その中間のリスクの低い時期とでリスクを平均化すると言う効果がある。本来は健保組合も国民に協会けんぽ、企業別などを廃止して統一するのが社会的にも最も効率が良い性質のものだ。
難病にかかった場合、高額医療が必要になった場合に対する備えというが最も重要だ。また、再生医療のように毎月5万円分の薬を飲み続けるか、100万円の手術をするかならば、金がないために延々と前者を続けるのではなく、後者を選べるようにしていく事でもある。
故に、極論を言えば、生活を切り詰めてやればなんとか払えるぐらいの部分の保障を削減してでも、そちらを手厚く見てやることが重要になる。そう言う意味で、医療保険の負担という意味では高額療養費は据え置きに、医療費の自己負担率を上げるという選択肢はあり得るが、ここは「医療費の削減」という議論なので別に譲る。ただし自己負担率を上げれば上げるほど、社会全体のコストが上がっていくことは見逃せない。
その点でも、一度にお金が必要になる終末期医療などの特別な場合を保険で払うと言うのは合理的な仕組みであり、それを保険で見ることによって、各個々人が無駄に金を使わずに備えると言うことが不要になり、