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「和室」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 和室とは

2025-05-23

anond:20250523182244

まぁ俺もわざわざ一時間5000円払って和室抹茶たてる人の気持ちや、たかだか5秒の落下に2万円払ってバンジージャンプやる人の気持ちわからんから、究極的には同じっちゃ同じやな。

2025-05-16

anond:20250515150544

学生時代陰キャだった俺の部屋は陽キャの男に目をつけられてヤリ部屋にされていた。名前は仮にYとでもしておく

Yは彼女と付き合っても数週間〜数ヶ月で別の女に乗り換えるタイプの男だった、ちなみにエレキギター?が趣味で女に自作の曲を送ったりするやつだった、俺はきめえ趣味だなと思っていた。

当たり前のことながら俺から声をかけたわけじゃなく、大学でYから声をかけれたのが始まり

何かと便利に連れ出されたがお金を強く要求された事はなく、たまに貸してくれぇと言われたことはあるが一回拒否すればそれから同じネタでは貸してと言わなかった。

俺の部屋は親が家賃を払ってくれていたので大学から近く、当然それを知ったYは入り浸ってタバコを吸い、俺の知らない男友達を呼んで一晩中麻雀したりしていた

そんな関係なので夏休みに入る前にはYが女を連れ込むようになった、Yとしてはsexがしたいので俺には外行ってほしいなぁという空気を出してくる。俺は空気が読めるタイプ陰キャであるちゃんとその時はゲーセン行ってポップンミュージックくるわーと外に出ていた、家に帰るといつも据えた匂いがした、あの匂いは今でも思い出せる、和室の畳と夏の汗と男と女の汁の匂い

そんなこんなである日のこと、どこかの年の夏休み明けだったかな?外でひぐらしが鳴いていたのを覚えている

Yが来なくて女だけがたことがある、俺は彼女を家にいれてやり麦茶を出した、氷がなかったし外に出しっぱなしの2Lペットボトルから注いだ麦茶は温かった

女は居心地が悪そうにしていた、俺はずっとFFⅨをしていた。

その日は何もなく女は帰って行き、それから2度とうちに来ることはなかったけどあれYと別れた直後だったんだよね、俺が頑張ればあの時やれたかもしれないな、学生時代を思い出す時、必ずそう思う。

2025-04-28

anond:20250428192600

ワゴン車でイオンに通ってるファミリー

和室界隈

水商売の女

 

あたりがメイン層。

メルカリ広告とか幼稚園児向けみたいにカラフルだろ、そうじゃないと理解できないんだよ

2025-04-24

夏が嫌いなはずなのですが

今日の昼、ホントすっげえ暑くてさあ

暑いって言ったって全然24度とかなんで、まだまだ甘い、ゲキアマと言っていいくらいなんだけど、月曜あたりはダウンジャケット羽織るくらいに寒かったことを思えば、やっぱり間違いなく暑かったんだよ

そんで、夏なんて俺は嫌いだからさ、ただイヤな気持ちになって然るべきなんだ

ウゲッ!あの最悪の季節が来そうな雰囲気だ、あーヤダヤダ、ずっと冬ならいいのになあ!と、そう思うはずなんだ

でもなんか今日はさ、いつもの夏のどうでもいいシーンなんかが妙に思い出され、ちょっと恋しいようなそんな気持ちになった

たとえばカスみたいな夕立夕立とも言えないくらいの、傘すらいらないような小雨が夕方に降って、アスファルト匂いけがする瞬間 本降りにはならなくて、降った雨も温まったアスファルトですぐさま蒸発してしまって、何も残らないような夕立

または、バカ暑い炎天下からコンビニなどの文化施設(コンビニ文化施設ですよね)に入った瞬間の、冷気と入店音を同時に感じる瞬間 伴って、逆に店外に出た瞬間の、冷えた身体がほんの一種麻痺していて、暑さを少し遠いもののように感じられる、あの一瞬

信じられないほどうるさい蝉の声 四方を蝉に囲まれるような場所の、こんなにうるさくしてどうするんだよってくらいの、途方に暮れて笑ってしまうような蝉時雨 

最近夕方になっても全然涼しくなくて、ただ蚊なんかの気配だけがあるよな 殴りつけるような暑さは太陽と一緒になくなってんだけど、包み込むような暑さは全然残っており、本当にクソ暑い 見た目はまったく夕方なのに暑さのほうには容赦がないから、ちょっと困惑してしま

アイス 夏といえばアイスを買うことだ

俺の大好きなスーパーであるスーパーセンタートライアルアイスコーナーはなかなか充実していて、値段だってまったく悪くないから、夏になるとあそこでよくアイスを買う 道中は片道10分くらいあるから、小さなアイスひとつの冷気では夏の熱気に太刀打ちできず、家に帰る頃にはエキタイになってしまますよねえ!というのを口実に、複数個のアイスを買い漁ったりするわけですよ

あとはそう、西陽の部屋のこと

俺の部屋は田舎の低地価を活かした3LDK、階そのものが俺の部屋なので、それぞれの方角に面した部屋がある 西に面する和室からは隔てるものの少ない某洋としたランドスケープを眺めることができ、結構いい感じなんだけどつまりそれは西陽を隔てるもの全然ないということで、夏の夕方のあの部屋は本当に信じられないくらいに暑くなる 洗濯物を干しに西陽の部屋に立ち入って、ほんの数分作業をしただけで汗が噴き出してくる 居ながらにして夏を味わうことになる

そういえば、花火!そう、あの部屋から花火が見えるんだよな 越してきて一年目になんとなく買ったアウトドア用のチェアベランダに出して、害虫殺害薬剤をばら撒いて、手近な飲料を手にして、座ってゆっくり花火を見る 見ようとする やっぱり蚊が気になるし、暑いし、遠くてあんまりよく見えないから、早々に退散する そこまで含めて、毎年やってるんだった

思い出すにつれて、やっぱり夏ってロクでもねえ気がしてきた 明確に「いい」思い出がねえもんな

やっぱり秋とか冬がいちばんいいんだよ結局

夏なんてダメなんだ

来るからには迎えるけどさあ!

2025-04-11

俺の夢の日記を見せるから、みんなも見た夢教えて

朝起きたらスマホメモに書くということをしていた。

ーーー

Sさんエルメスで買い物をしたあと、一週間も早く間違えてフランスに一人で行ってしまう。フランスではスマホ地図がうまく出ず宿への行き方がよくわからなくて困る。日本お笑い芸人の人がなぜか車で乗せて行ってくれる。途中で観光名所に寄ってくれるも私は行ったことがある場所て少し困る。言い出せなかった。

ーーー

料理をするのにたくさんお湯を沸かしてくれと言われる。なぜかお湯を沸かすためには車を使うしかないとなって知り合いの車の下で焚き火を始める。しばらくしてからそのやり方は間違って気がついて慌てて焚き火を消して回る。

ーーー

30人ぐらいで山登りする。目的地で写真撮影。口の字の形の革製のブーメランを投げてキャッチした人が撮影係になることに。私のところに飛んできて嫌な気持ちに。ただし景色は最高で足が震えるほど。次に私がブーメランを投げると誰よりもいい音を鳴らして飛んだ。褒められるかと思って周囲を見ると、その飛び方は不吉なことが起こるサインだったらしく、皆目を伏せている。そこから全体トーンが暗くなり帰りはなぜか地下道を通る。なぜか和室ダンジョンになっており、大きな虫などがいて気持ち悪い。

ーーー

どこかの島に娘らと義母観光。途中で火山が爆発して長女を抱っこして駆け回る。船の座席がすくないが妻との連携でなんとか船に乗り込む。

ーーー

ヤマト宅配をしている。住所を間違えて行った先ででてきたのが子どもで、住所を確認したにもかかわらずわ違えて受け取られてしまう。

ーーー

ACIDMANライブをみにいく。なぜか前がいとこで後ろがリリーフランキー。知らない歌ばかりが流れて僕はずっとスマホを触ってる。途中からクレーションが始まり、僕を含めみんななぜかACIDMANの服に着替えさせられていた。

ーーー

知らない街でチンパンジーに生まれ変わっていた。僕はチンパンジーゴリラ幼稚園にかよっている。ようちえんは川に併設された2階建の校舎。昼は河原であそんだ。遊んでいると知らないチンパンジー先生が沢山やってきて2階を占領された。僕は捕らえられそうになったがギリギリのところで逃げた。夕方になると同じように生まれ変わったSくん会った。Sくんは前回僕より数年後に死んだらしくまだ小さい。カフェに突っ込んでくる車に惹かれて死んだらしい。記憶が持ち越せるなら死ぬのも悪くないという気持ちチンパンジーになってしまったということで一瞬悩む。

ーーー

バイク検索システムを開発している。モトコンポが見たことのない新モデルが発売されていた

バイク検索ルームには、死体のふりをした大きな白人男性がいた。

ーーー

妻の、実家引っ越し。僕の通ってる塾のちかくになる。

僕はなぜか大便がとまらなくなり、トイレから溢れる。掃除をしてるところを妻に見られる。

その後さんまさんのクイズ番組に出演。しょこたんの席に座る。

2025-04-07

父の葬儀で兄にムカついた話

 父が死んだので数年ぶりに帰省した。

 仕事から帰って寝ていると思ったら死んでいたそうで、実家の母は慌てふためきながら救急車を呼び、死亡確認後の諸々の手続きやら準備やらをやっていた。

 幼少期を過ごした家から引っ越しをした実家に足を踏み入れるのは初めてだった。

 和室に父が安置されていた。少し頬がこけてやつれた印象はあるが、概ね記憶通りの父を眺めた。私は父が嫌いだった。

 私はお葬式は死者のためというよりも、『生きている人が気持ちを整理するためもの』という理解でいる。個人的には何も思い残す事はないので、そのまま焼いてもいいくらいだった。数年前の祖母葬儀家族葬で、母はその雰囲気も悪くないと思っていたようなので、そうなるか思いきや、兄が「ちゃんとやりたい」と言った。兄は祖母が亡くなった時は遠方にいたため、祖母葬儀には参加していない。

 兄は屁理屈をこねるのが上手く、昔から母は丸めまれていたので、今回もその様になった。わたしはめんどくさいなぁと思ったが、話し合いをするのも自分が仕切ることになるのも嫌なので兄の意見を通した。

実家信仰する宗教があるので、その作法に倣って式の段取りを決めていった。

 なんとなく、家の中で事務仕事:兄、外に出る買い出しや手続き:私と母、と言った雰囲気になった。こちらが買い物をしている時や運転している時に電話をかけてくるのでイライラした。お花代を追加でもらったから式場に連絡して、と言われた時、直接式場に連絡してくれと返したら、腹を立てた様子で電話を切られた。

 故人の紹介を誰に頼むか話しながら、私が五月雨的に名前を挙げていったら、あるところでイラついた様に「その人はない」と言われた。「何も知らないなら黙ってろよ」と小さく言ったのも、私の耳に届いた。

 もう早く終わらせて東京の自宅に帰りたい、と思いながら時が過ぎるのを待った。

 父が亡くなって3日後に通夜、その翌日に葬式をした。

 宗教での付き合いがある人達がそれなりに足を運んでくれたが、父の兄弟は隣町に住んでいるが来なかった。数年前、自分のは母親葬式に父は参列しなかったので順当だな、と思った。

 母は人前に出るのを嫌がったので、兄が喪主を務めた。

 あらかた式次第が終わって喪主挨拶になった時、兄が懐から原稿を取り出した。

 えっ何枚あるの?長くない?と思った。

 内容は父ともっと関わっていればよかった、みたいな内容だが、兄自身体験(父との思い出でなはい)や感情を膨らませた数分間の感動的なスピーチになっていた。

 何を聞かされているのかと思った。「隙あらば自分語り」という言葉が頭をよぎったが、隙どころか舞台を与えてしまったので耐えるしかなかった。

 これを明日をも聞くのかと思うとげんなりした。実際のところは、若干の改訂が加えられたものを聞くことになった。

 葬式が終わり私が東京に帰る、という段になって家族写真を撮りたいというので嫌だと言ってそのまま帰った。いまさら仲良し家族ごっこができるか。

 兄は父方の親戚から「父にそっくりになった」と言われる様になった。プライドが高くて人の話を聞かず、自分のやりたいことだけやるところなどそっくりだと思う。あと地雷を踏むと火がついた様に怒り狂うところ。そして母を蔑ろにするところ。

 母が作った朝食に兄が手をつけないので、冷蔵庫にはラップをかけた皿が貯まった。今日は昨日のを食べようか、と言ったら「お兄ちゃんが食べるかもしれないから」と母は言った。

 弔問客の対応はにこやかにするが、自分の食べたものを下げもしない兄。

 最近香典返しをしない場合もあると聞いて、母はそれを希望したが兄は反対した。「来てもらった人を蔑ろにすることになる」と怒る兄。(結局やるのは母になるのに)

 兄よ、父の銀行口座が凍結して、母が当座の生活費心配していることに気付いていますか。残った家族の中で、あなたが1番稼ぎが少ないのに、見栄を張るはどうなんでしょうか。

 自分の考える正しさを振りかざす兄が嫌いだ。父も自分の正しさに則って身を正している人だったが、結局(兄も含めて)家族は誰もついていけなくなった。


 人生最期って人間関係の総決算という雰囲気がある。数年前の祖母葬儀の際も揉めた。葬式に来なかった父、怒り声を荒げる叔父叔母、頭を下げる母。母が可哀想だと電話をしたのが、父と話した最後だった。

 どんな葬式でも、どんな家族でも、親切に仕事をしてくれる葬儀屋さんってすごい、というのが、前回と今回の共通する感想だった。そしてどちらも、1秒でも早く東京に帰りたかった。

 葬式は生きている人が気持ちの整理をつけるためにするものーー私にとっては面倒だったもろもろも、兄にとっては必要儀式だったのかもしれない。私だって性格が悪い自覚があるが、黙って付き合っただけマシじゃないか喧嘩しそうになったらわたしが引いたし。

 そう遠くない未来、もう一度こんなやりとりをしなければいけなくなる。いまからうんざりだ。

 喪主挨拶で「もっと母と関わっておけば良かった」って言わなくて済む様にしなよ。


追記

 たくさんの方に閲覧いただけているようで感謝です。

 取り止めのない愚痴にたくさんのコメントありがとうございます

 補足というほどでもないのですが、私も兄も進学・就職を機に実家を出ており、実家では両親だけで暮らしていました。2人とも介護がなどは必要とする状態ではないですし、兄が世話していたわけでもないです。

 兄が実家とどれぐらいやりとりしてたかは知りませんが、母の言い様と兄の喪主挨拶を聞くに私とそんなに変わらないと思います

 『葬式は生きている人のため』と書きましたが、私が帰省したのも兄のやりたい葬式に付き合ったもの、そうしないと母が困ると思ったからです。父を弔いたいみたいな気持ちはありませんでした。

 しかし、実家で過ごすうちに、兄におもねってばかりの母や昔の出来事イラついて、母に優しくできなくなりました。多分一緒に暮らしていける関係性でなくなっているんだと思います

 家族って難しいですね。

2025-04-02

あれはきっと夢じゃないと信じてる

増田が4歳くらいの時に

和室に親戚たちに取り囲まれ増田を身動き取れないようにして、目の前で母親ブツブツ呟きながら変なリズム(例えるなら「ハカ」っていうオーストラリア先住民族の歌をボソボソ唱えた感じ)で風船を針でチクチク刺してた(ツンツンしてたの方が正しい)記憶がある

そんなことしてたらいずれ風船が割れるし、怖くて逃げ出そうとしたんだけど祖母ががっちり体を掴んでるから逃げられないし、ほかのジジババも睨みつけてくるし、母親は恐らく風船が割れるまで針でツンツンしてて怖くて仕方なかった

そうするうちに風船が割れて泣いたのだが、それまで殺気立っていた親戚が嘘のように優しくなった

これを友達母親に話しても夢だったんじゃないのの一点張りだが、あの後ひとしきり泣き終えたあとにリビングこち亀(中川両さんが入れ替わってた回)見た記憶あるし、ゴミ箱母親が使ってた黄色い風船が捨てられたのも見ている

20年くらい経ってもあれは現実なんだろうなっていう謎の確信があるんだが、仮にそうだったとしてもなんであんなことをしたんだろう

2025-02-15

夫が台所にいるの、なんかモヤモヤしてたけど

単に通り道を塞いで邪魔だったんだなと

横の和室に行っててくれるとさっきほどのモヤモヤはない、けどたまに引っかかる

動画見てでかい声でリアクションして、声かけてくるのが面倒

あとは、逆にこちらが近くにいることで話し相手にしようとしてしま

なのに話しかけても動画に夢中でろくな返事を返さないことにまたイライラ

結局、2階に行ってくれたらやっとモヤモヤイライラがおさまった

そこにいないから、自分から関わろうとしない、相手からも関わってこない

近くにいるとお互い別のことをしているのに、相手干渉して・されてしまうのだ

一緒にいて同じことをしているくらいの近い距離感で、別のことをしていると、心理的にうまく距離を取れてない みたいな感じだろうか

2025-02-14

実家にはゴミ箱が無かった

母は若い頃は大層な貧乏暮らしだったとか

遠足の時に水筒が買えなくて酒瓶に水を詰めて持っていった、というのが母の定番愚痴

そんな生活必需品にも欠く子供時代を送ったせいか、母はゴミ箱という物を使おうとしない

おそらく母の実家にもゴミ箱は無かったのだろう

ではどのようにゴミを捨てるのか?

次のゴミ収集日まで、母が決めた一箇所にゴミをまとめて置く

ペットフードの大きな空袋が出たらその中、

大きな箱が空いたらその中、

それらも無ければスーパーレジ袋の中、

そんな感じでゴミ収集ごとにコロコロと変わる

場所台所だったり、洗面所だったり、一階の和室だったりまちまちだ

わたしゴミを捨てるのが苦手だった

だって毎回

「これを捨てたいけどどこに捨てればいい?」

と母に聞かなくてはならないし、その時にゴミを見せなければならない

わたしゴミを捨てることが苦痛になり、みごとに汚部屋の持ち主になった

母には

「なんでゴミを捨てないんだ」

と叱られたけれどうまく説明できなかった

ここまで書くと貧困家庭の話のようだけれど、そうではない

父はうまく時代に乗って高級取りだったし

首都圏注文住宅に住んで車は外車子供留学

そんな暮らしだったのにゴミ箱ゴミ袋は買わない

わたし結婚で家を出たとき家具無印ニトリで揃えたけれど

ゴミ箱だけは奮発してsimplehumanの30Lを分別の数だけ並べた

すごい存在感

蓋には何を入れるかのシールも貼った

ゴミ袋も厚手の半透明の、ちょっといいのを買っている

夫も子供自分ゴミゴミ箱に捨てている

小さい頃に何かを禁止されると、大人になって狂ったように買うというけれど

わたしにとってそれはゴミ箱

母は今、認知症になった

ゴミを捨てるのが苦手になったので

「まずはゴミの住所を作りましょうね」

と言いくるめてkcudの33Lゴミ箱ゴミ袋を用意したけれど

つの間にかゴミ箱は消えていた

今までの生活存在しなかった物だから、目障りだったのかもしれない

その代わりシンク下に

プラごみが大きさごとに整頓してびっちりと収納してあった

見つけた時は息を呑んだ

ジャパニーズホラーかな?

2025-01-13

日本日本じゃなくなってきている、これだけの理由

正月凧揚げコマ回しをしている子供を見かけない

盆踊りの曲がJ-POPリミックス

和室の畳がフローリングに置き換わっている

紅白歌合戦視聴率が低下

観光地看板英語中国語ハングル表記だらけ

銭湯がほぼ絶滅状態

初詣賽銭キャッシュレス対応

日本庭園の滝がLEDライトアップされている

温泉旅館の部屋が洋室メイン

年賀状の代わりにLINEスタンプ送信

駄菓子屋ほとんど見かけなくなった

子供が外で缶蹴りや鬼ごっこをしているのを見かけない

そば屋の出前がドローン配達になっている

花火大会ドローンショーにすり替わってきている

学校運動会伝統組体操廃止されている

田んぼアートが毎年SNS映え狙いになっている

神社鳥居LEDライトアップされている

公園遊具安全設計すぎて全然スリルがない

日本アニメ主人公名前カタカナばかり

修学旅行お土産アニメコラボグッズだらけ

屋台食べ物チーズハットグなどの韓国料理に代わってる

2025-01-10

anond:20250110113642

和室だったらまぁありえるかもしれんけど洋室で床置きはねーわ

2025-01-04

おばあちゃんちでの忘れられない出来事

小学校高学年だったかな、父の実家帰省中、伯父が私の入浴中に間違えて浴室のドアを開けてしまった。

伯父は重度の知的障害を持っていて、くるくる家事をしたり父や祖母と話したりする姿は見ていたけれど、私自身は一言言葉を交わしたことが無かった。

からそのときもなんと言えばいいかからなくて伯父が再びドアを閉めるまで黙って待っていた。もちろん恥ずかしかったけど、恥ずかしがってると思われる方が恥ずかしい歳だった。

しばらく無表情で見つめ合う私と伯父。そのうち伯父はドアを閉めた。

伯父の正確な年齢はわからないが、少なくとも父よりは上だ。それに私は小学生だ。伯父が私の裸を見て、例えば普通男性水着女性を見て抱くような感情と同じものを持つとは思わないじゃないか

しかしその夜。伯父は私が家族と寝ていた和室の周りをずーっとうろうろしていた。私が寝ついたあともうろついていたのかもしれない。怖かった。眠れなかったけど寝たふりをしていたら、隣で寝ていた母が「お義兄さん、何か……興奮しているんじゃないの?」と小声で父に聞いているのが聞こえた。私のせいだと思った。

あのとき、すぐに閉めるよう言えば良かったのだ。さらに言えば脱衣所の鍵を閉めておくべきだった。

この時期だったかな、などと思い出してつらつらと書いてみた。

身内だと特に、「恥ずかしがってると思われる方が恥ずかしい」状態になりやすいと思う。私は今19歳だが、たまに母などが間違えて脱衣所の扉を開けてしまときがある。私が怒ると「別にいいじゃん、大したもんでもなしに」などとヘラヘラされて、悔しい。というか、「大したもん」だけが見られて損失があるという思い込みから性犯罪の軽視があるのではないか自分価値観で言う「大したもん」だけが被害に遭うのではない。泥棒が出るから家に鍵をかけていますと言って「なんだよ金持ちぶって」なんて本気で言う人間、今世紀には存在しないはずである。ところが身体に対しては同じ論法を使う輩がゴマンといるのである

とにかく私は戸締りを怠ったせいで結構嫌な目に合った。トラウマまではいかないが、忘れられないだろうなあ。

2024-12-27

anond:20241227032716

肝臓γ-GTP値きいとけ 毎年検診うけさせろ(脂肪肝の数値をよくみろ) そのうち顔や白目が黄色くなってきたら即入院だし

肥満ワクチン優先しないとコロナで死にやす

少女漫画にいる薄幸そうでひょろひょろなお嬢様より肥満のほうが死にやすいことだけよく肝に銘じろ

※それでも腎臓病にかかりやすい猫よりは保険が効く分、安いけどな

あと性行為をしたいときはベッドの耐荷重600kgがオススメ

無理そうなら和室に布団で

肥満は足下が見えていないからごちゃごちゃした部屋につれこむな、足の骨何回も骨折してそのうちろくにあるかなくなってもっと太る

2024-12-19

過去に受けた虐待の話

きっかけがあり、虐待を受けた過去のことについてまとめます

こんにちは私自過去虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますハッピーです。自分経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。

受けたものとしては経済的虐待ネグレクト)、教育文化的虐待精神・肉体的虐待性的虐待などが挙げられます

順番に思い出しながら書いていきます

基本的スペックとしては母は軽度のASD知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気フルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。

きょうだい構成は兄、私、弟です。

ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~

父は気付けばいなくなっていました。

食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。

食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日からゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん

教育文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)

精神虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚形成されたのはこれがデカいのかな?と思います自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。

また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。

これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家いたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています

あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニステニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。

兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。

母もただ大人いかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害ASD兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族引っ越しあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家祖父母の家であり、そんな権限家庭内地位最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。

母の言い出すことはいだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。

そして我が家貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車ブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒ヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。

未だに自転車ブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。

ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね

一番サビの性的虐待の話をします。

先述しましたが、辛くなったら読むのをやめてくださいね

メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)

いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心いたころ(4歳とかぐらい?)から父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キス強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。

肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます

決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。

ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。

キッショ。

今書きながらキモくてウケてますキモ

小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。

そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからいから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHO臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめからのものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神身体から乖離しているような。

ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境レイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。

非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。

あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶けがはっきり残っています

あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。

お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります

母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。

首を絞められた記憶もあります。これが結構多い。

酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います

首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。

或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつ必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。

首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います

正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきますピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます

首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。

首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。

ネックレスも物によっては無理なレベルチョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。

性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的ものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。

下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分身体異端さを感じる時がありますガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。

反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれ記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下あんまり得意じゃないかも!こわい!

これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識性的行為依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分大事にできない。自分を守れない。

長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。

繰り返しますがホンマにご遠慮なくネタにしてくださいね‼️今は𝑺𝒖𝒑𝒆𝒓 𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚ウルトラ元気に過ごしております

2024-11-25

最も重要盆栽の樹種 10

追記

ごめん。タイトルがアホでしたので変えました。盆栽10選ではなくて樹種10選ですね。

盆栽10選となるとどうなるんだろ。ちょっとわかりません。まさか国風展じゃないだろうし、大宮のでもなさそうだし。

誰々の何ちゃら、っていう盆栽指定できるんだろうか?誰かお願い。




はじめに

盆栽植木観葉植物とは違う。ざっくり言うと、手間をかけて小さく育てるのが盆栽、手間をかけずに自由気ままに育てるのが植木特になにもしないのが観葉植物。はっきり違うわけではなく、なだらかなグラデーションがある。でも実際に樹を「小さく育てる」ことを主眼に置くと、色々やることが出てくるわけで。朝に歯磨きするように、ペット食事をあげるように、樹に水やりする習慣を持てない人にとっては大変。なので、観葉植物を選んでください。

鉢を合わせて楽しむのが盆栽醍醐味という意見もあるが、それはフラワーアレンジメントコーデックスやガーデニングの人たちも楽しそうにやってるし、まあそっちでもいいよね。しばらく植物に慣れたら盆栽、という感じなんでしょうかね。その点では、確かにジジイ趣味といわれるのもわかる気がする。

五葉松

絵文字でも盆栽は松。波平さんがいじってるのも五葉松かな?五葉松は頑丈だから人気で、幼苗に多少の無理をしても大丈夫

あと成長が早いので見守るのが楽しい。5年、10年でも日々が楽しみだし、持ち込んで20年も経ってくると、神々しくなってくる。

これが100年、400年だと、と想像すると、なるべく若い時期に始めた方がよかった、と後悔すること間違いなしです。

真柏

真柏も丈夫な樹。これも成長が早く、古木の風格を出しやすい。お分かりかと思うが、これはタイパがよいということでもある。

たいていの盆栽の展示会に必ずある樹種で、いろいろと参考にできる名樹がたくさんある。

シャリとかジンとかの、幹の一部を枯れさせて古い樹に見せる遊びも楽しめるし、盆栽の魅力が一番詰まっている樹種。

黒松

葉先を触ってチクチクする方の松。五葉松とはまったく趣が異なる。好みの問題もあるが両方持ってるとなお楽しい

半懸崖や懸崖にすると、その葉の特徴もあって、自生樹のようなワイルドさが映える。

自然風景を鉢の上に持ち込むことを盆栽の魅力と考えるなら黒松がぴったり。

ウメ

樹形、幹肌、花と、一年中楽しみの多い樹。甲州野梅が有名(高いけどね)。

「桜切るバカ梅切らぬバカ」という言葉もあって、素人ながら手をかけてもどんどん成長してくれる。

失敗して手に負えなくなったとしてもやり直しが利く。

長寿梅/ウメモドキ

長寿梅はボケ矮性ウメモドキはモチノキの一種で、どちらもまったく梅ではない。他にもオウバイロウバイなどもある。

梅に風流を求めてきた日本の先輩諸氏の感性で、梅の名前が付けられているところが、なにか歴史を感じる。

梅買う前にこっちから始めるのもあり。それほど高くないし、きれいな花を咲かせることを目標に育てられる。

カリン

「実もの」と呼ばれる樹。実がでかい普通に食べられるので、植木や庭木にして実を収穫することを楽しむ人も多いのでは?

盆栽だと花芽限定してギュッと小さく締める。旺盛に育つので、中品以上にかっこよく育てるのは結構大変。

からと言って小さく育てるのもなかなか。手のかかる子だけに、コロリとした実が成ると感動する。

ヤブコウジ

カリンとかヒメリンゴとかのでかい実はダサい、という好みの問題もあり、小さい実のヤブコウジも良い。

いかにも「樹!」という雰囲気ではなく、一見すると草かな?というヒョロヒョロ〜とした細い佇まいがなんともかわいい

部屋にこれが飾ってあったりすると、一気に品の良さが増すと思います

ピラカンサ

はいっても、ヤブコウジ落葉樹で、はっきり言うと渋い趣味いかにも和室!っていう場所もいまどきないだろうし。

となると、常緑のピラカンサがよいかな? 白い小さな花が咲いたあと、秋には小さな赤い実がワーっとついて景気がよい。

鉢さえ変えれば、より観葉植物的に飾れるし。飾ることを考えたらピラカンサの方が無難なのかも。

ケヤキ

ヤブコウジのヒョロヒョロ〜や、松柏類のウネウネ〜の情緒よりも、まっすぐ立つ樹の方がかっこいいよね!と思うならこれ。

街路樹にも多く見られるのでありがたみはないんだが、これが鉢の上に乗っかると非常に姿が良い。箒作りを目指したい。

また、根の張り方もかっこよく、植え替え時に修正できるのも楽しみ。

モミジ

紅葉文句なししかし本当は一年中、四季折々の姿がドラマチックで美しい。

幹や株元もどっしりと太くなり、もっとハンサムイケメンな樹種かもしれない。

展示会で見る、うすい水盤に乗っけたモミジは惚れ惚れします。

anond:20241031065835

2024-11-07

義父とか元男友達友達の夫とかと同室に泊まる羽目に陥った話

なんかふと思い出したので。

夫、息子、私、義父で旅行にいったことがある。もともともっとメンバーが多かったので二部屋とってたのだが、途中諸事情で減って泊まるのは四人になった。

チェックインしたら、でかい和室一部屋に案内された。間仕切りとかないでかい和室

は?

義父いるのに、でかい和室で寝たり起きたり着替えたりしろと?

人数減ったから、夫が一室キャンセルしたらしいのである

そこでキレたんですけど、普通ですよね?

イヤですよね?

せめて義母がいたら我慢しよう、だが女私一人で血縁は息子だけである

キレちらかしたが他に空きがなく(キャンセルした部屋はどうなったのか知らない)仕方ないので泊まった。

はいつもは常識的人間なのだが。なんだったのか。二度とするなと言っておいた。

時は変わり、女友達三人でホテルに泊まることになった。せっかくなので、広い三人部屋をとった。そしたら直前で、友達の一人の夫が来れることになった。もう一人の友達から、「ということになったらしいから、旦那さんも一緒に泊めてあげてー!」とメールがきた。この旦那さんは、私達の昔から友達である。でも、女三人、一人は妻、っていう部屋に追加で泊まりたいのか?私なら一室取る。または、妻と2人部屋をとる。

だが「一緒に泊めてあげてー!」であるテンション高い上に、私以外の二人はかなり長年の友達なので、意思疎通が取れていてのお願いなのかもしれない。

エキストラベッドを入れてもらって、四人部屋にした。

結果、なんかびっくりしたみたいに言われたのだが、それはこっちのセリフだわ。

一緒にとめてあげてのときにすでにびっくりしてるから

自分の「普通しないよね?!」に自信がないとこういうことになることもある。

めんどくさいので一人旅が一番いい。あーあ。

2024-10-15

anond:20241015122021

𓆊「Chu❣️可愛くて陰キャでチー牛でVオタで社不で引きこもり不登校でブスでチビデブヴィーガン童貞ハゲ音ゲーマーでツイフェミでアフガキで反ワクで猫背宗教二世コミュ障難聴吃音症で無職でアデノイドでメガネLGBT色盲和室界隈で手帳持ちで片親で黒人でごめん」

2024-10-14

内見動画とか見てると快適でモダンダイニングキッチンとかウォークインクローゼットとかで目が肥えて和室団地に住む気がなくなるのも少子化寄与してるのではないか

2024-09-27

Chu❣️可愛くて陰キャでチー牛でVオタで社不で引きこもり不登校でブスでチビデブヴィーガン童貞ハゲ音ゲーマーでツイフェミでアフガキで反ワクで猫背宗教二世コミュ障難聴吃音症で無職でアデノイドでメガネLGBT色盲和室界隈で手帳持ちで片親で黒人でごめん

2024-09-25

https://www.youtube.com/live/AlbF1zQE7-k

1:02:34

ます基本的保護室と静穏室っていう ところがあってまず保護室っていうのは非収容者の身体を傷つけにくく、

もしくは損回 汚損しにくい構造装備をついたその収容室みたいなとこなんですね。

トイレもいわゆるあの和室トイレであの 上の突起とかもないみたいなでしかもずっと監視されてます

死なないようにね。自傷行為しないで基本的はえっとトイレももう床面に埋め込まれとって、水を流す。

ボタンはもう外に設置されている。

っていうもので「お願いします」って言わないと流してもらえないみたい。

詳しい定義こちらのパンフレットに書いてあるんだが、

https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/jfba_info/publication/pamphlet/jyukeisha_jp_kai1_rubi.pdf

多分、便器に首を突っ込んで自殺しようとした人がいて、職員はそういう人と関わり合いになりたくないか監視カメラの異常を見過ごしたか見て見ぬふりをして、

このような仕組みになったんだと思うけど…

よく問題にならないな

2024-09-14

ソープに行け

かくいう自分ソープ童貞を捨てた。

なので、非モテを叩くつもりなんかないので、冷静に聞いてほしい。

ソープに行け」これはセックスがしたいならば、ソープに行けと言う意味ではない。

SEX別に特別ものじゃないと気づけということだ。

ソープ童貞を捨てたのは、26歳の頃だった。それまではというと、オナニーで十分だった。風俗を知らずに二十代後半まで過ごした。

童貞を捨てたのは、知人が自殺して、葬式に出るために地方都市に出かけた時のことだ。なんとなく、このタイミング経験しとこうと思った。その年は、2人も知人が死んだ。

オナニーで十分と書いたとおり、それほどこだわりはなかったのだけど、人間はい死ぬかわからないものだし、高いもんじゃいか経験しておくかという軽い気持ちだった。

感想はと言うと、気持ちよかったが感動は別になかった。

それからしばらくあと、片思いして破れた。

今思えば、思わせぶりな態度に舞い上がっただけだ。

SEXを知るまでは、SEXをなんか意識したことなかったのに、たいしたもんじゃないSEXさえできなかったということが、すごく惨めに思えた。

そこで、立ち直るために使ったのも風俗だった。SEXドラマなんかない。金で買えるサービスってことを再認識するために風俗にいった。それから、嫌なことがあると、風俗にいくようになった。

大金持ちの遊びだって、結局は高い酒と女に行き着く。底辺でも大金持ちでも変わらない。いくら美味い酒って言っても、100倍の値段で満足度が100倍になるわけじゃない。

みんなが羨む場所で、みんなが羨む酒を飲むことが楽しいだけでだ。

コンビニつまみと缶ビールで満足できないのは、ビールの質のせいじゃなく、心の問題しかない。目の前のビール感謝すれば、四畳半和室で飲むビールだって美味いのだ。幸せになれるかどうかは、何を食べる、何をするじゃなく、幸せを感じる自分問題

酒だとわかりにくいかもしれない。講釈を垂れる俺が六本木銀座で飲んだことがないので酸っぱい葡萄みたいだし。例えを変えよう。

グリコパピコは、氷菓なのに驚くほど食感滑らかで、チョココーヒーフレーバー絶妙設計されつくした味だと思う。一方で、スターバックスコーヒーフラペチーノパピコと4倍くらいの価格差があるが、氷は粗く、生クリームヌルヌルと氷のジャリジャリが喧嘩してる。でも、人々はスターバックスコーヒーフラペチーノを求める。

考えをかえれば、パピコで満足できるということ。SEXSEXしかない。

金で買ったSEXも金のやり取りがないSEXも、美人とのSEXも不美人とのSEXも、気持ちよさとは関係ない。好きな人と心を通わせることが人生の喜びでその証がSEX、と思っていたら、そんな考えは捨てていい。

存在しないものに憧れて盲目になってるから、道端に咲く花もコンビニパピコ自分を想ってくれる異性も目に入らないんだ。

童貞を捨ててから17年、ソープデリヘル出会い系、あれからいろんなところで女を買った。金で買う関係初体験だったけど、ひょんなことで普通彼女を作れたし、なぜか

既婚女性関係を結んだ時期もある。結婚もした。

何人の女性SEXして、通算何回SEXしたのか、今となっては覚えていない。

記憶に残るSEXは、数えるほどしかない。しかも、美人とのSEXでも好きな人とのSEXでもない。

SEXなんかそんなもんでしかない。嘘だと思うなら、ソープに行ってくるといい。好きな相手じゃなくても勃起できて、射精できるはずだ。それて、感動は別にない。

愛というのは、過程なのだと思う。愛してるからこれこれする、プレゼントをする、優しい言葉をかける、労わる、デートに誘う、SEXする、結婚するというのは虚構

相手優しい言葉をかけた、助けた、愚痴を聞いてあげた、そういう行為を後から振り返って、名前をつけた時に愛と呼ぶだけだ。愛してるから行動するということだと、先に愛がないといけないし、愛が生まれるためには相手に先になにかを与えて貰わなければならない。エサを待つ雛みたいにしてるうちは、愛なんて与えてもらえないし、そもそも愛なんて虚構

恋愛をして結婚しても離婚するとき離婚するし、好きでもない相手結婚しても一生添い遂げること大半。愛は動機じゃなくて、与えるものであり、行動の過程未来から過去に振り返って名づけるもの。行動しているときに愛はない。

なので、他人に優しくすることに理由なんかいらないのと同じように、デートに誘うことに恋愛感情なんかいらない。匂いに誘われてラーメン屋に入るように、一緒にいたかったらデートに誘う。そのくらい気楽に行動するといいと思う。そういう雰囲気になればSEXすることもある。

話は逸れるが、他人に優しくすることに理由は要らないと言ったものの、いい人戦略はやめなさい。いつか自分の良さがわかってもらえる的な話はドラマのなかだけだから。人として、親切であれというだけの話。いいなと思ったらデートに誘うこと。

気負わず生きてれば、いつか女性とそういうことになるから

そういうわけで、ソープに行け。

SEXへの幻想は捨てろ。

追記

高齢童貞には、なんでもいいか経験しろと書いたものの、高齢処女適当に捨てるのはやめたほうがいいと思う。

こんなことをいうと叩かれるけど、最初関係を結ぶまでは女性からぐいぐい来ることはないけど、2度目から女性のほうが積極的だ。女性は好きな相手SEXするのではなく、SEXした相手を好きになる仕組みがあるらしい。処女だってセカンドバージンだってあっという間にSEXの虜になった。恋愛経験がないままのめり込むと、ろくでもない男に惚れ込む可能性がある。

かと言って高望しろとも言えないし。難しい。

追記2

どうしても、付き合った先のSEXに拘るなら、マッチングアプリとかでもいいんじゃないかな。

彼女は俺を好いてくれたのか?俺の収入をみて結婚相手として狙われただけなのか?みたいなことを悩んで二の足を踏むのだろうけど、自意識問題しかないよ。

既婚女性と一回、同性と一回、付き合った経験がある。いうまでもなく、結婚可能性はゼロで、その2回は最初からバッドエンドしかないことがわかりきってた。

もしも、「俺の収入社会的地位学歴じゃなく、ありのままの俺自身を愛してほしい」と願うなら、既婚女性や同性と付き合うといい。苦しいだけだよ。

相手自分のどこに惹かれてるかを気にするのは不毛だよ。

相手より、自分気持ちと向き合うことが大事

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