はてなキーワード: 吹奏楽とは
僕が「なんでもできるような人になりたい」って憧れは小さい頃から潜在意識のなかにあったのかも知れない。
幼少期によく遊んでいた友人が成績優秀、吹奏楽の部長を務め、絵が上手く、ゲームのセンスもある「なんでもできる人」だった。
対して僕は引きこもりの不登校、成績もそれほど高くなく、吹奏楽でも先生に怒られながら下手な楽器を鳴らし、絵も大して上手くなく、ゲームも彼にずっと負けていた。
何もできないドベだった。
とにかく彼に負けたくなく、僕は彼が手につけるものを追ってチャレンジしたが、結局、何も勝つことはできなかった。
僕は楽曲制作、映像制作、イラスト制作、グラフィックデザイン、プログラム、多岐にわたる技術を広く浅く習得し、のんびりと創作活動を行なっている。
彼に憧れていたものを手に入れた気はしていない。
出身中学に吹奏楽部ってなかったなと思って中学校のサイトを確認すると、やはり吹奏楽部はなかった。
音楽部というものがあるようだが音楽を聴くのか評論するのか演奏するのか歌うのか、ジャンルはクラシックなのかジャズなのかロックなのかがこれではわからない。プレイする方だろうか。
私の在学中は音楽系の部活はギター部とかそんな感じの名前だったと思う。確かに音楽室にギターはあった。しかし金管楽器や木管楽器を見た記憶がない。
楽器高いもんね。1個数万円から百万円。必要な人数も多い。吹奏楽コンクールA部門に出るとなると出身中学の場合、生徒の結構な割合が吹奏楽部員になる。
そもそも文化部が音楽部を含めて3つ、運動部も6つしかなくて案外選択肢がないものだなと思った。
そうはいってもどこの学校でもあるような部活は、運動部は野球、サッカー、バスケ、バレー、テニス、陸上、水泳、文化部は芸術系、理科系、語学系、情報通信系だろうか。そうすると運動部6つと文化部3つで十分って感じか。これらの運動部のうちのいくつかが今の出身中学にはない。文化部はもうちょっと細かい部活がいくつかあったように記憶してるがほとんど把握してなかった。
出身高校の吹奏楽部は在学中は別の名前だったと思う。何をする部活なのかも当時は知らなかった。だから響けユーフォニアムを見るまで吹奏楽ってよく知らなかったんだよね。既存の音楽をダサくアレンジする奴って感じの印象だった。
日本の中高生の吹奏楽はめちゃくちゃレベルが高いし吹奏楽人口も多い割に、クラシック音楽を聴く人口が少なすぎないか?金賞を取るスポーツになっていないか - togetter
https://togetter.com/li/2540785
クラシック畑の人は日本の器楽の歴史を案外知らない、いや日本を見下してるから知ろうとしない人がプロ奏者含めて多いが、このまとめの冒頭のポストの人もその一種に過ぎなかった。
そもそも、吹奏楽の起源は軍楽隊であり、「軍隊」という、欧州の古代~近世のクラシック文化とはかけ離れたところで歴史を紡いでいる。これは日本も同様。
詳細はWikipedia「吹奏楽の歴史」が一番よくまとまっているので一読してほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B9%E5%A5%8F%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
軍楽隊という枠になると、世界トップは欧州ではなく米国になる。次点がイギリス。他の欧州各国はレベル的にクソである。
「吹奏楽」という枠でも同様。アマチュアのレベルに関しては米国が世界トップで、その次は日本。他の欧州各国はイギリス除いてクソ。ちなみにイギリスは「金管バンド」(木管楽器が居ない)編成が大半なのでちょっと枠から外れる。
米国と日本のアマチュア吹奏楽のレベルが高いのは、いずれも学校の部活という枠組みがあるからに尽きる。内容は日米で異なるが、ここでは説明は割愛するので興味がある人は調べて欲しい。「ほぼ毎日練習が必要」という点は日米共通だ。
イギリス以外の欧州のアマチュア吹奏楽のレベルは総じて低い。その地域のトップクラスと言われるバンドでも、音程合わない、縦合わない、音量のメリハリなんて何それ美味しいのレベル。
これは欧州は学校の部活と言う枠組みが弱く、地域クラブで週1程度のお稽古以上の事が出来ないからだ。
クラシック畑の人は欧州コンプレックスが強く、日本だけでなく米国も見下す傾向があるので、これらのファクトは頭の中に入ってこない。ないものとして扱う。
程塚繁樹(指揮、作編曲、プロデューサー)スタジオアリア @chaminade
日本の中高の吹奏楽は海外の人が聴いたら卒倒するほど「上手い」です。卒倒する理由はもう一つ。中高でそんなに「上手い」ことです。「上手い」ことのために犠牲したものに驚くのです。私のドイツの友人が言っています「音楽を本気で教えたらこんなに「上手く」はなれない」と。
https://x.com/chaminade/status/1913609001876521010?t=7_9r85sgYqqp44fiH-7hhg&s=19
特に最後の、「私のドイツの友人が言っています「音楽を本気で教えたらこんなに「上手く」はなれない」と。」が難しい。
個人的に
・日本人の中高の吹奏楽は、厳しい指導の下「上手い」音楽となる
・ここで言う「上手い」とは、機械的にとにかく手本通りに弾けるようになるのを至上としており、海外的には間違い。よってこのポスト内ではネガティブな意味で扱われている?
・だから音楽を本気(=ドイツにおける正しい教え方ってこと?)で教えたら、「上手く」はなれない
という意味か? と思ったのだが……
あまり親が口を出すのもどうかと思うが部活に入らないでほしい。
確実にチームプレイで足を引っ張る。
授業と違って教師の目が届かないところで、子供たちだけで活動する時点で健全ではないと思う。
朝も苦手で毎朝起こすのも苦労してるのに、朝練もあるっぽい。
建前は強制ではないと言っておきながら、全員はいるのが当然みたいな雰囲気も気に入らない。
とりあえず、親が反対してるからって言って断れと言ったけどどうなることやら。
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部活って生徒が自主的にやってる前提。朝練も休日も生徒が勝手にやっているっていうことだから事前にいつやるか、何時からやるかの案内もない。費用がいくらかかるかも不明。
他の生徒との交流や健康を目的とした運動はぜひやってもらいたいが、基本的には大会でいい成績を目指す部しかない。
俺が中学生だった数十年前は試合で負けたらグランド走れとか、相手チームにはヤジ飛ばせみたいな教師が多かった。そんな環境に入れたくない。
美術部ならいいけど、別に絵が好きでもないのに入る意味あるか。
息子は今のところ迷い中。断るなら親のせいにしろっていう感じ。
今日はとても天気が良くて気持ちが良い日でしたね。桜もかなり咲き始め、種類によっては満開。とても良い気分です。
そして今日、1年ぶり2回目に長女を大学の一人暮らしのアパートに送り出してきました。
本当に良かったです。増田にしか書けない話なのでここに記録しておきます。
長女は1年前に元気に大学生活を始めたものの、半年ほどでかなりメンタルを病み、頻繁に泣きながら電話がかかってくるようになりました。
私からすると何も不安に思うようなことは無いのに、自分に自信がなく、不安が強く。
何も楽しいことが無いし、ずっとやっていた音楽ももうやりたくないし、くだらないYotubeを何時間もずっと見続けてしまうし、お風呂に入る気力もなくて、ご飯を食べるのがやっとくらいの状況。
部屋まで迎えに行っても、何時間も外に出てこられなくて。やっと出てきたと思ってもずっと泣いていて。もう夢も希望もなくて。
小さいころから私が「将来の夢を持ち、目標を定めてそこに向けてコツコツ努力をし続けなさい」ということを強く言い過ぎたのかもしれません。
長女は小さいころからくそ真面目に勉強と部活を頑張り、中高自体は学校で1番くらいの成績を取り、吹奏楽でも結果を残しました。それでも「自分にはやりたいことが無い」「周りのみんなは凄い」「自分はダメだ」と。
あまりにも不安定なので実家に帰ってこさせ、駅まで毎日送り迎えをして家から学校に通う生活にして、家族や兄弟と過ごす中で少し元気になってきたと思っていたのですが
ある日LINEで「ごめんお父さん、死のうとしてた」と連絡が。ロープを買って首をくくって死ぬ場所を探していたそうです。
急いで車で1時間強かけて迎えに行き。そこからは毎日、ほとんど目を離さずに過ごす生活となりました。これが去年の10月の終わり。
メンタルクリニックに一緒に行き、「娘さんはとても真面目だから、本当に自殺をしてしまう可能性がある。本当によく見ていてあげてください。」と言われました。
大学も休めばよかったのに、それだけは嫌だと言い張るので、毎日車で送り迎えをし、広い大学なので授業の場所まで授業毎に送り届けるようにしました。
今思えば私も精神的にかなり参っていたのだと思います。ほんの少しでも目を離したら本当に長女が自殺してしまうのではないかと思って不安で。
長女にお願いして、お互いの位置情報がわかるスマホのアプリを入れて、本当に授業に出ているだろうか、きちんと車の場所まで戻ってこられるだろうかと車のなかで仕事をしながらスマホの位置情報アプリの画面を気にし続ける生活が続きました。
毎日車で授業の移動まで含めて送り迎えし続けつつ仕事もリモートでこなすのは本当に大変でした。もちろんメンタルを病んでいる長女は毎日10回くらい泣いてるし、そのたびに話を聞いて、サポートして。
精神的にも体力的にも、かなりつらかったです。
さらに、妻はそんな死にそうな想いをしている長女につらく当たるんです。怒ってしまう。周りの家族にも相当ストレスがかかる状態なので仕方がない面はあると思いますが、それにしても酷いと思うくらいの状況でした。
もともと妻の虐待的な態度が長女の今の状態にもかなり影響を与えているのではないか、と、私は思ってしまうくらいに。
ちなみに、下記は私の日記です。
https://anond.hatelabo.jp/20091013222011
https://anond.hatelabo.jp/20161111232040
https://anond.hatelabo.jp/20180321003723
https://anond.hatelabo.jp/20180407204720
そこで、妻が怒っちゃうのもあるし、毎日の3時間強の運転が体力的に辛すぎるので、大学の近くに新しいアパートを借りて自宅とアパートの2拠点生活に。
そして、徐々に元気になっていたと思っていたところで、長女が「目覚めた」のはクリスマスの夜。急にいろんな感覚が全然違うものになってしまったらしく深夜に大声を出して叫びまくる状況となりました。
そして、私に今すぐ出ていけと言ったり、逆に手をつないでくれと言ったり。結局丸2日くらいまともに寝ずに超ハイテンションとなり、私も寝させてもらえずふらふらに。
友人にも電話しまくって誇大妄想を喋りまくっていました。「自分は悟りを開いた!」とか「私は人類を救う!」とか明らかに変なことをあちこちの人に言いふらしていました。
ずっと通っているメンタルクリニックが当日は休みだったので次の日に見てもらって、そこで別の薬を出してもらって、それを飲んでやっと落ち着いて寝てくれました。
この2日間くらいはあまりにも様子が急に変わりすぎてしまって、私も相当不安でした。
そのあとは精神年齢も体力もぐっと下がってしまって、まるで3歳児くらいの言葉遣いとなり、歩くのもよちよち歩きになりました。
それから少しづつ、もう一度子供時代からやり直すように、少しづつ、少しづつ、成長を感じられるようになりました。
公園に行くだけで冒険で、一人でトイレに行くだけで大冒険で。ピクニックシートに座って、日向ぼっこをぼーっと何時間もしてみたり。
そんな生活が2ケ月くらい続きました。
そして、悪い時に悪いことは重なるもので、コロナにも感染しました。もちろん長女も私も、他の家族も。精神的に不安定なうえに体調も悪くなり、私ももう精神的にも体力的にも限界で、長女を殺して自分も自殺してしまえば楽になるんじゃないかと本気で考えて、長女の首を少し締めるところまでやってしまいました。
これはまずいと思って自殺したいときに電話する電話番号に電話しましたが(※こういう窓口があるから本当にどうしようもなくなったら電話しなさいと学校のカウンセラーに人に教えてもらっていた)、同じような人が多いんでしょうね。複数窓口に電話しましたが電話はつながりませんでした。つながりませんでしたが、電話しながら冷静になれてよかったです。
私もこの時が精神的に一番弱っていて、本当に頼れる人のところに助けを求めに行って、いいおっさんのくせにボロボロ涙をこぼして1時間くらい泣きました。それでずいぶんメンタル的に復活しました。
そこを乗り越えてからは、すこしずつ元気になり、また音楽を楽しむようになったり、本を読んだり、ゲームをしたり。楽しむことができるようになってきました。
すっかり元気になってから1ヶ月程度たったし、ちょっと負荷のかかるイベントに参加しても大丈夫だったので、4月からの2年生に向けて今日から再度一人暮らしスタートです。
本当に良かったです。
今回の事は、もう何もできないくらいの状況からでも半年程度あればメンタル復活できるんだな、という学びになりました。
一方、私はもっと早くに外部に助けを求めるべきだったなと思います。メンタルクリニックや学校のカウンセラーには相談していましたが、自分の両親とかにも助けを求めておくべきだったなと思います。
一人じゃなくて妻と一緒に家族みんなで協力し合えたら良かったのですが、それができない妻なので本当に妻と結婚したことを改めて後悔しました。
でも、きっと、そうやって私と妻の仲が悪いのも長女にとても大きな悪影響を与えていたんだろうなと思います。申し訳なく思います。
でも、仕方がない。とにかく、もっとずっと悪いことになっている可能性だって大いにあったのです。それを回避して、今日また笑顔で送り出せたのですから、よかった、と思うしかありません。
コロナあたりの最悪の状況からどうやって回復したのかがほぼ何も書いてなくてとても気になる。功を奏したのはカウンセリング?薬?時間?良い医師がいた?そこら辺の詳細も是非書いていただけるとありがたいです。
ちょっと書き方的に良くなかったかなと思います。自宅で生活するようになってからずっと回復はしていたんです。上下に揺れ動きながら少しづつ全体的に回復してました。継続的に。
それが、当初ちょっと元気になったところで自殺未遂があり、もっと元気になったところで元気になりすぎちゃって「目覚め」ちゃって一気に精神的に退行して。
それでも少しずつ継続的な回復はしていたと思います。正比例のグラフをピーっとひいて、途中で大きな波(自殺未遂、目覚め)があって上下に激しく波打ってる感じでしょうか。
画像とか使わないとよくわからないと思いますけど、匿名で画像を投稿できる場所を知らなくて、わかりにくくてすいません。
で、何が良かったのか?という観点で下記に書いておきますね。あくまでも私の意見ですが。
基本的に独自の判断はせず専門家にどうしたらいいのかを相談しましたし、言うとおりにしました。素人考えは良くないと思ってました。
専門家のYotuberの人の話もかなりの量見ました。あと、書籍に関してもあれこれとかって読み漁りました。本人が読んで対応できるか?というと難しいところがあると思いますが、周りの支援者が知識をつけるのはとても良いと思います。また、支援者向けの本もいくつか読み、自分の事がかかれているなーと思って一人で涙を流したりしました。
状況に合わせて最低でも1錠、MAXでも1日に4錠、そのなかでコントロールするように、という指示があり、薬を飲むタイミングは客観的に状況を見て、私が指示していました。長女は状況に合わせてコントロールするのが嫌だから、毎日決まった時間に飲みたいとか、飲みすぎは良くないんじゃないかとか、先生の指示に従いたくないということを何度も言っていました。先生にも「毎日同じ時間に同じように飲んだらダメなんですか?」とちょっと切れ気味の時がありました。先生の回答は「毎日同じ状況なら同じように飲んでいいよ。」でしたが。
私からも、何度も「素人の判断でやるんじゃなくて、専門家の意見を信用してその通りにしよう」という話をしました。特に長女は自分では精神的な揺れみたいなものが自覚できていない時が多くあり(特に「目覚めた」すぐあとの元気すぎた期間)、私からの薬を飲むように、という指示に納得がいかないことが多かったようですが、結局しぶしぶ私の言うことに従っていました。結果的にやはりそれが良かったと思います。
安定してからは毎日朝と夜とか、決まった時間に飲むようになりました。
先生に対してもきちんと状況を客観的に伝えられない…というか最初のころはそもそも会話もまともにできないこともありました。自殺未遂までしたくせにそのことを全く言わない時もあったし、泣いちゃって声が出せない時もあったし、元気すぎて意味不明なことを言ってるときもあったし。私が様子をずっと見ていて、メモもきちんとつけておいて、様子をきちんと伝えて、先生の話、判断もきちんと把握するようにしておきました。
先生が特別に良かったのか、普通だったのか…は正直他の人を知らないのでわかりません。ただ、メンタルクリニックなんて受信しようと思っても予約できるのは数カ月先が当たり前でカウンセリングは凄く高くて、すぐにそういうところにアクセスできたこと自体が本当に幸運でした。カウンセリングは大学のもので無償で親身になってくれたのもよかったです。
どちらも、患者さんでいつもあふれてますし、本当に大変なお仕事だなと思います…。感謝しかないです。
毎日日記をつけました。それは長女自身もそうだし、私も。特にどんな発言をして、何時に薬を飲んで、飲んだ後どうなったかとか。薬が効きすぎて寝込んでしまうこともあれば、薬が足りなくて深夜に目覚めて寝ないことがあったりとか。薬を飲むのを長女が嫌がったりとか。そういうときには一緒に記録を見て、状況と薬の量と、その結果を見ながら、「これまでこうだったんだから、今度はこうしてみよう」「これまではこうだったけど、こうなってきているから、薬の飲み方をこう変えてみよう」という話をしました。
長女は精神的に正常じゃないので記憶もあいまいになっていたらしく、「そっか、そうだったね。思い出してきた。それならそうしよう。」ということが多かったです。
そして、本人にとっても、私にとっても、本当にひどかった時に比べたら、今はずいぶんましになった、ということを記録を元に振り替えることが心の支えになりました。人間の感覚はあまりあてにならないので、記録を付けるのは本当に大事だと思います。
長女は泣きまくってました。それはもう毎日何回も。何回も。わかると思いますが、泣かれると周りは心配するし、心が揺さぶられます。時には「泣くな!」って怒っちゃいそうにもなります。
でも、泣くことで人間はリラックスするらしいですね。私もずっとすごく精神的に辛かったのですが、Youtubeで専門家の先生が泣くことは悪いことじゃない、むしろ良いことだ、と言ってるのを聞いて、「泣くのはいいことなんだ」と思うようにしました。それでもつらかったですが、「泣かないで。大丈夫だよ。」って言うよりも。「泣きたいときは泣いたっていいよ。泣いたらすっきりするよ。」って言ってあげて、自分もそう思ってあげた方が私の精神的に良かったです。
長女は大変な状況でも夜寝ることは本当に元気になりすぎたときを除いてはきちんとできてました。それは本当に助かりました。良く寝て、朝起きたら、朝ごはんを食べて、一緒にお散歩をする。これを毎日の日課としてずっとやってました。これは本当に良い影響をもたらしたと思います。日光を浴びるとなにやら化学物質が出るらしいですしね。
長女はおいしいものが好きで、どんなに辛くて泣いてて、精神的に弱っているときでも、おいしいもの、特にデザートを目の前にするとにっこりと笑顔になる事が出来ました。これを比較的早い段階で見つけられたので、ええ、それはもう毎日あっちこっちのお店に行って、おいしいものを食べまくりました。おかげですっかり私は太りましたが、精神的にとても良かったと思います。長女にも、私にも。その時はいろんなことを忘れて「おいしいね~」って。
でも、長女は全然太った感じが無くて、これが年齢の差かと、愕然とします。私はこの半年で8kgくらい太ってしまい、現在ダイエット中…。
きちんと「こういうことをするとよい」ということが科学的にわかっているので、それを生活習慣も、薬の飲み方も含めて、きちんとやれば、ゆっくりと回復していくことが多いのだと思います。当たり前の話と言えば当たり前の話。でも、その当たり前を当たり前に継続するのが難しいんだよな、とも思います。
ストレスのかかる仕事を生活のためにしなくてはいけなかったり、孤独だったりして、「こうしたらいい」がわかっていてもできない状況だとそれは回復は難しいだろうと思います。
長女の場合は私がほとんど仕事もまともにせず(いちおうやってることになってましたけどやっぱりパフォーマンスは相当下がっていたのは否定できない…)につきっきりで支援してあげられたのが大きかったと思います。私が仕事の心配やお金の心配をしなくてもよい状況に恵まれていたのもよかったです。コロナが無くてリモートワークが当たり前じゃなかったら、タイミングがずれていてお金に余裕が無かったら、無理だったよなと思います。
本当はこういう支援が状況に限らず社会的に受けられる仕組みがもっと整っているとよいんでしょうね。それは間違いないです。でも、色々と難しいのが現実で…。どうしたらいいんでしょうね。
先日、地域の吹奏楽祭に足を運んだ。いくつかのバンドが出演していたのだが、その中に大学生合同バンドがあった。彼らが演奏したのは…まさかの「ディスコ・キッド」。
「おいおい、1977年の曲だぞ?」と思わずツッコミたくなった。今の大学生なんて、まだ影も形もない時代の曲だ。もちろん、MCは「世代を超えて人気の曲です!」なんて言っていたけれど、正直なところ、本当にそこまでの曲か?
それだけじゃない。以前見かけた高校の定期演奏会のチラシには、ピンク・レディーの名前が踊っていたし、YouTubeを漁れば高校生が「学園天国」を元気に演奏している動画がゴロゴロ出てくる。
いや、懐メロが悪いわけじゃない。往年の名曲を演奏するのは、それはそれで楽しい。でも、これだけ昔の曲ばかりが定番として残り続けているのは、さすがに不思議じゃないか?
吹奏楽の世界、新しい時代の曲がどれほど生まれているのか?なぜここまで過去のレパートリーに頼り続けているのか?
もちろん、吹奏楽というジャンル自体がクラシック音楽と同じく「伝統を重んじる文化」だからというのもあるだろう。でも、それにしても新陳代謝が遅すぎる。新曲は毎年発表されているはずなのに、なぜか演奏されるのはいつもの顔ぶれ。
せっかく若い世代が演奏するのだから、もっと今の時代に合った音楽にも挑戦してほしい。そうでなければ、吹奏楽は「過去の遺産」にすがるだけの世界になってしまうのでは?
要約させてもらった
アラサーの20代女性が、仲の良い中学時代の友達3人のうち2人が結婚し、1人も結婚の可能性がある中、自分だけ取り残されて焦りを感じている。結婚願望は薄く、オタク趣味や地元の吹奏楽サークルの活動を楽しんでいるが、周囲の結婚による幸せを見て焦燥感が募る。一方で、Twitterで「友達の惚気話がどうでもいい」という意見を見て、自分もそう思っていることに気づき、危機感を抱く。友人たちは高収入・高ステータスな環境で結婚していくが、自身は四国の実家で派遣社員をしており、親との関係や経済的な問題もあり結婚への道が遠いと感じる。現状を諦めた方が楽だが、死ぬときに一人なのは嫌だという葛藤を抱えている。
アラサー20代女。中学時代の吹奏楽部友達3人と有難いことに仲が良く、10年以上の付き合いになる。
最近とうとう第一次結婚ラッシュが来てしまい、自分は置いて行かれた側なので内心めちゃくちゃ焦っている。
4人組のうち、昨年結婚したのが2人、結婚しそうな彼氏がいるのが1人、そして自分(特に浮いた話はない)。
正直自分はまだまだオタクやっていたいので、現状の生活そのものになんら不満は抱えていない(だからマチアプとか婚活に乗り気にならないんだろう)。
ただ、やっぱり周りが身を固め出すと不安になってくる。
さては増田は見た目がヤバイんだな?と思われそうだが、一応彼氏が過去何人かいたし、バケモノの子ではないはずだ。少なくとも吐き気を催すようなルックスではない。
また、女子の友達関係として「内面も外見も釣り合う人とつるむ」習性があることを思うと、友達が全員美人か可愛いかの二択なので、「普通」ランクでは耐えているはずだ。
マニッシュだったりカジュアル・ラフめなファッションなので所謂男ウケはしないのは認める。
(客観的に見たらたまにネットにある系の一人だけ景観を損なってる画像になってる可能性も否定しきれんが)
最近急に焦ってるのはTwitterで見かけた2ポストがきっかけだ。
1つ目が「友達の推しの話ってどうでもよくない?」というもので、2つ目が「この子は私に幸せになってほしくないんだろうなって思ってからハッピーな話をその子には伏せて、最終的に距離を置いた友達がいる」という趣旨のやつだ。
そのポスト本体&引用を徘徊していたが、わりと賛否両論だった。
推しの話はまだいいけど惚気のが無理では?とか、推しを語ってる友達が好きだから聞くの好きとか。
友達が幸せなのを素直に喜べないのは相手を見下しているフレネミーだとか、人の幸せがうらやましいのは当たり前、相手の状況も考えずに幸せ自慢するほうが配慮不足とか。
そして私は「友達の惚気話のほうがマジでごめんけど本音ではどうでもよくて、推し語りをきいていたい」し、「友達が幸せだと内心焦りがつのる」タイプだと気づき、危機感を覚えている。
特に、結婚した子のうち1人は、この子は結婚しないんだろうと思っていた子だったので、焦りとしては一番それが効いてる気がする。
その子は官僚としてキャリアコースだったし、吹奏楽部のときから気が強めの部長だったというか、わりと怒りっぽいところもあったので、結婚しないという選択に落ち着きそうだと思っていた。直近、その子がLGBT?アセクシャル?のパートナーと付き合っていたのもあって、制度上当分しないと思っていたのもある。
また、一番仲の良い友達はふんわり小柄な癒し系で、出産願望が大学時代からあったので、この子は結婚するだろうと思ってはいた。手芸と料理と片づけが得意で、友達からもママ呼ばわりされるレベルで面倒見がいいので男性からもモテていたし。ただ、相手が凄まじいハイスペでなんかもう東京とか日本というレベルじゃなく世界的に見てもエリートというのが、流石私の親友だが…ちょっと………ちょっと置いていかないでくれ!!と心の中では思ってしまう。オタクの「待って」が本当においていかないでほしいときもあるものだ。
なんだかんだ、みんな大阪で正社員だったり東京でキラキラ官僚だったりして「結婚なんてしなくても幸せに生きていけるうえで結婚してさらに幸せになっていく」。
自分は地元の四国の実家で派遣社員として事務作業をしているが、自他境界曖昧なアダルトチルドレン親をかかえてマッチングアプリして付き合って同棲して結婚しての道のりが長すぎる。アニメとドラマと映画も好きな時間に好きなやつ観たいし、フルートも続けて地元の吹奏楽サークルで定期演奏会にだって出たいし。
ここまで振り返ると諦めた方が早いんだろうけど、死ぬとき一人は嫌なんだよなー
【追記】
自分のスペックでは若干危ないのは分かってるからこそ、結婚して誰かと一緒に暮らしてはいきたいと思って焦ってるんだって。その一歩で実家出ようと思ってはいて、今急に出たら収入と支出がほぼイコールでそれこそ死ぬのは流石に分かってるから今は貯金期間にしてる。
あと友達のこと見下してないどころかもう天上人になっちゃったと思ってるまであるよ。別に友達の旦那さん並にハイスペがいいとか思わないし。自分に関心ある人に関心がわかないから難しいけど
あれ必要か?
社会に出て使うことなんてなかったし、なんかの足しになったと感じたこともない
わざわざ教科書以外の教材にお金かけてまで教えないといけないことなんかね
苦手なら美術のお絵描きとかの方が苦手。画伯と言われるレベルなので
国語:〇〇の気持ちを答えろ系は要らんと思うけど文書を読むこと、漢字の読み書きは必要だよね
理科:一般常識としてないと困る場面がある。実験系は増田は好きだし、理系にすすまない人でも全く使わないってことはないと思うが、人によってはなし判定も理解はできる
英語:教え方の問題はあるが、日常で全く使わない人はほぼいないでしょう
音楽:合唱系はわかる。カラオケ以外にも発声として使えるよね。でもリコーダーは何に生かされてるの?
理科とか美術とか特定分野の人に刺さる割合が多いのはそうだけど、特定分野以外でも全く使わない
ってことはないと思ってる
一方で、音楽での演奏って社会人になってやるのは特定の趣味ある人だけでしょ
それもリコーダーや鍵盤ハーモニカなんてほぼほぼやってないよね
音楽やる人はバンドとか吹奏楽とかそっちに流れるわけなんだけど、リコーダーの演奏を契機にほかの楽器
連帯感や集団行動としての鼓笛隊はなしじゃないと思ってるので、音楽系実技は合唱と鼓笛隊で十分
じゃない?
母は高校教師だった。
それが私。
弟と妹も生まれた。
今の私と同じ年齢である。
幼い時、母が私を抱きしめてくれるたびに、私の幸せは母の幸せだと感じていた。
私も高校教師になった。
働きはじめはとにかく忙殺されており、朝6時~夜22時まで働いていた。
一校目では吹奏楽顧問だったので運動部よりも拘束時間が長かった。
何より、自分で働いて得たお金を自分のために好きに使うことができることを楽しんでいた。
母が私を出産した年齢と同じ25歳になっていたことにふと気づいた。
今でもそのときのことははっきりと覚えている。
そのとき鏡にうつった私は、手入れの行き届いた髪の毛、艶のある肌、自分に似合う化粧、洗濯機でガシャガシャとは洗えない質の良い服を着ていた。
そして、変に顔を傾けたり、目を見開いたりと迷走していた大学生時代とは違って、
充実した日々に裏打ちされた良い表情になっていた。
そして母を思った。
同じ歳の母はそれらを全て持っていなかった。
赤ちゃんを産んで育てるというためだけのために全部捨てた。
今の自分にそれができるか?
絶対無理だった。
たった数年の教員人生で、数十年経ってもずっと慕ってくれるような生徒が一人以上いる。
そのことだけで、母がある程度優秀な教員だったのだろうとわかる。
なのに母は、母になるために全部なくした。
一人で楽しく生きていけるだけの能力がありながら、
キャリアを捨て、夫の稼ぎに頼る人生を選ばざるを得なかった母。
何も珍しいことではない。
母の世代はそれが普通だったし、充実した育休制度・時短勤務なんてものは無いに等しかった。
また、父は母より年上で大企業に勤めていたので、給与の差の面でも母が職を辞めるのは必然だったと思う。
それでも、25歳の母は本当に幸せだったんだろうか。
でも、それは本来享受できていた25歳の女性としての幸せの全てではない。
しかも、隣にいる夫はキャリアに傷をつけることなく、ずっと働いて、社会で認められ続けている。
昔の母は、よく図書館で借りた本を読んでいた。
よくビーズ小物を作ったりもしていた。レンタルビデオで映画もみていた。
いつも無地の動きやすそうな服を着ていた。
美容院にいくこともあったが、近所のスーパーに併設されているところで一時間以内で切ってもらうだけだった。
なのに私は母が味わうことができなかったその幸せを手に入れている。
でも、それは週に二日だけ。あとの三日間は今と同じようにフルタイムで働く。
母が私を生むことで得ることができた幸せも、
私は両方手に入れることができるように準備した。
母に悪い気もする。
そして私もきっと、何かの幸せを取りこぼしてこの選択をしている。
25歳だったお母さん。
それは私のせいです。
だから私はあなたが取りこぼした幸せも、手に入れた幸せも、両方つかみ取ります。
あなたにもらった命なので、あなた以上に一生懸命に幸せになりたいと思っています。
お母さん。いつもありがとう。
来月のレストランでのディナー、楽しみだね。
普通の公立中学校。俺が行ってた30年前よりは多少近代化されてる。
・部活は球技、吹奏楽、美術しかない。任意だから気が楽にはなった。コンピュータ同好会か河原散歩同好会とかあればいいのに。
・靴は白、黒、グレーでラインは可、靴下も白、黒、紺、グレーは可
・自転車通学する場合、ヘルメットは安全規格に適合していれば可。自転車の形状は曖昧。ロード、MTB、ドロップハンドルは避けるようにとのこと。モールトンはいいのかよ。
・鞄はナップサック
・制服は一応ブレザーも選べる。息子も試着したけどダサかった。ブレザーは2割弱ぐらいらしい。
・制汗剤は無香料なら可
・コートはダウンはかさばるからダメでライトダウンはいいらしい。地味なものとのこと。
前近代的なところはまだまだあって、日々の出欠連絡はGoogleフォームでやるくせに、提出書類は全部紙に手書き。
あとは合唱コンクールはやるらしい。コロナが流行る原因になるから止めればいいと思う。合唱コンクールやりたい奴がいると思えない。