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「同値」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 同値とは

2025-05-31

抽象数学問題集9問

1. ラングランズプログラム提唱する中心的な「双対性」とは、どの二つの数学対象の間の対応関係を指しますか?

A. ガロア表現算術的側面)と保型表現(解析的側面)

 

2. ラングランズ対応において、L関数はどのような役割を果たしますか?

A.対応関係検証するための一致すべき普遍的な不変量として機能する。

 

3. ラングランズの「関手原理」が予測することは何ですか?

A.ラングランズ双対群の間の準同型写像が、元の群の間の保型表現の「転送」を引き起こすこと。

 

4. 群GL(1)に対するラングランズ対応は、どの既存数学理論本質的同値ですか?

A. 類体論

 

5. フェルマーの最終定理証明は、どのようにラングランズプログラムと関連していましたか

A. 定理の反例から構成される特定楕円曲線が、モジュラー形式対応すること(モジュラーであること)を示すことで証明された。これはラングランズ対応特殊なケースである

 

6. 群Gが特殊直交群SO(2n+1)である場合、そのラングランズ双対群G°は何になりますか?

A. 斜交群 Sp(2n, C)

 

7. ラングランズによれば、ガロア表現と保型表現の究極的な関係性は何であるとされていますか?

A. 両者はともに、より根源的で統一的な対象であるモチーフ」の異なる「実現」または現れである

 

8. ラングランズプログラムの「算術的側面」は、主にどのような対象に関わっていますか?

A. 数体の絶対ガロア群の表現で、数論的な対称性符号化しているもの

 

9. 幾何学ラングランズ対応は、理論物理学のある分野における重要双対性数学的に同値であることが示されています。その分野とは何ですか?

A. 超対称量子場理論におけるS双対性

2025-04-29

競馬ドラマとして楽しめる人って怖い。

どんな名のある、めちゃくちゃ賞金を稼いでる馬でも一発、脚を骨折したらお役御免で毒を打たれて殺される世界と聞く。

品種改良の末に生み出されたサラブレットという生き物の特性ゆえだという。怖すぎる。

ギャンブルで楽しむために動物を改造して、その改造のせいで、怪我したら『長く苦しんでも可哀想だし治らないし~』」と言って殺すのが決まりになっている」

言葉にすると本当にヤバいディストピアSFに出てくるタイプ架空競技じゃん。家畜人ヤプーじゃないんだからさ。なんで21世紀にこんな競技がまかり通ってるの?

マジで怖いのは、競馬スポーツとかドラマみたいにポジティブに語れる奴がいることだよ。

友達ウマ娘から本物の競馬入って、競馬ウマ娘アニメみたいな感覚で喋ってる奴がいるんだけどさ、本当に頭おかしいと思う。

そりゃもちろんさ、現代社会ではみんな、品種改良された動物犠牲の上に心地よい生活享受してるわけですよ。でも、たとえば効率的に肉付きよくするために強制給餌されて挙句殺されて捌かれる動物を見て「おいしいお肉になるために牛さんもがんばってるんだね!応援してます!」とか言いだす、ミノタウロスの皿的なサイコはいないじゃん。

競馬と馬を、あくまギャンブルとして、「お金が増えるかも!」っていう興奮で脳汁出すための快楽装置として扱ってる人は良いよ。

俺がおいしいお肉を食べたいか松坂牛くんには無理やりビールを飲まされて腹パンパンになってもらう。浅草ウインズの前にいる歯のないおじさんが興奮するためにサラブレットくんが走らされる。まぁ同値ですよ。

人間人間快楽のために家畜を良いように扱える。それは生き物が生きてくためには他の生き物を害さなきゃならないっていう素朴な食物連鎖一種から動物行為としてね。

その動物行為に無理くり「美談」を持ち込んで、己の加害性にほっかむりしようって奴に腹立つんだよな。「父が果たせなかった三冠の夢を!」みたいな人間勝手に作った感動ドラマを真に受けて、馬を「応援」しちゃってる奴、本当に自分が関わっている産業とか競技暴力性にあまりに鈍感すぎて怖いんだよ。有名な馬が殺されて初めて「可哀想……」じゃないんだよ。ずーっと前から可哀想なの競馬の馬は!!!!!

2025-04-21

anond:20250421175458

聞いてやったぞ(chatgpt o3)

質問

下記のA, Bのやり取りにおいて、Bがトートロジーに陥っていると言えるかどうか検証してください。

A「アカデミアの学者でも、AIに負けを認めてその前提で考えるタイプと、負けを認められずいかに(今の)AIダメか苦しい理屈を延々並べる不毛作業に勤しんでいるタイプとに分かれてきたな。」

B「さすがに今はまだAIに負けないでしょ 勝ってたらシンギュラリティだし」

A「シンギュラリティは、AI学者に勝つこと、ではない」

B「学者人類最高峰の知性 AI人類の知性を超えればシンギュラリティだよ それこそAI研究者の知性を超えていれば自己改善できるはずだからね」

A「その程度の雑な定義だったらとっくにシンギュラリティ達成してると言えるだろうな」

B「現実として達成してないじゃん」

A「トートロジーに陥ってることを認識した方がいい」

B「ぜんぜん陥ってないでしょ ChatGPTに聞いてみなよ」


回答

1. 「トートロジー」とは何か

論理学トートロジー

命題の真理値表で常に真になる恒真命題 (例: P ∨ ¬P)。これは「言葉の使い方だけで必ず真」となる形。

日常会話での「トートロジー循環論法

結論を前提に埋め込んでしまい、新しい情報検証可能な条件を与えない議論。「AIが勝っていれば勝っているはずだ」のような円環構造を指すことが多い。

今回 A が指摘したのは後者、「循環論法に陥っているのでは」という問いです。

2. B の議論形式化してみる

ステップ B の発言 論理構造 (記号化)

1 「AI に負けていない。もし負けていたらシンギュラリティ定義 : AI ≻ 学者 ⇒ Singularity

2 A が定義疑問視

3 「学者人類最高峰AI人類知性を超えればシンギュラリティ同値 : AI ≻ Human ⇔ Singularity

4 A 「その定義ならもう達成してるかも」

5 B 「現実として達成してない」 経験的前提 : ¬Singularity

6 (結論) 「だから負けていない」 推論 : ¬Singularity ⇒ ¬(AI ≻ Human)

論理式にすると

前提① : (AI ≻ Human) ⇔ Singularity

前提② : ¬Singularity (経験観測)

結論 : ¬(AI ≻ Human) (モーダス・トレンス)

3. これはトートロジーか?

観点 評価

論理的には循環していない 「If P then S」「Not S」「ゆえに Not P」という 有効三段論法(modus tollens)で、厳密な意味トートロジーではない。

しか情報価値は低い - Singularity を「AI ≻ Human」と同義語的に定義した時点で、

 「AI人間に勝ったら勝つ」という自明な主張になる。

 つまり 検証手段も数値指標提示せずに “起きていない” と断言しており、

 実質的証明反証可能性が欠けている。

4. 結論

厳密な論理学トートロジーではない。

B は P ⇒ S, ¬S ⇒ ¬P という形で循環せずに推論している。

だが実質的には「定義事実認定自分で固定し、その固定を根拠結論を下す」自己完結型の主張になっており、

A が指摘する「トートロジーに陥っている」という表現は、

循環論法で新しい情報を与えていない」という日常語的批判としてはあたっている。

まとめ

形式論理的 にはトートロジーとは言えない。

議論としての説得力 は定義依存で円環的なため、A の「トートロジー」という指摘には一定妥当性がある。

2025-04-09

抽象数学超弦理論関係性について

若き者よ、君に抽象の森へと案内しよう。

位相M理論ラングランズ・プログラム関係性を辿るには、まず両者が共有している「場の言語」を抽出しなければならない。

ここでは、物理言語ゲージ理論媒介とし、数学言語が圏と層を媒介して互いに翻訳される。だからこそ、双方は互いに異なる起源を持ちながらも「双対性」という共通の振る舞いを示す。

まず、M理論位相的変種は、物理学の側から見ると六次元 (2,0) 超対称場理論起源を持つ。

これをコンパクト化していくと四次元のN=4 超対称ヤンミルズ理論に到達する。

ここで特筆すべきはS-双対性ヤンミルズ理論において、結合定数 g を持つ理論は、結合定数 1/g を持つ理論同値になる。この双対性ラングランズ対応物理的な影となる。

一方、ラングランズ・プログラムは数論的対象代数幾何対象表現する表現論の枠組みだ。

群の表現特にループ群やアフィンリー代数表現が中枢を成す。幾何ラングランズ対応においては、層の圏 (例えばD-加群の圏) が表層に現れる。

ここでリンクする。幾何ラングランズ対応では、層の圏と局所系の圏との間に双対性存在する。この双対性はS-双対性数学的に対応する。

要するに、物理的には「電荷磁荷の入れ替え」、数学的には「表現と層の入れ替え」だ。

具体的には次のような対応が生じる。

例えば、曲線C上のG-束のモジュライ空間M_G(C) を考える。このモジュライ空間上のHitchin fibrationは物理的にはクーロン枝と呼ばれる真空空間対応し、シンプレクティック構造を持つ。

さらに、その上で考えるFukaya圏とB型模型の圏の間に現れるホモロジーミラー対称性ラングランズ双対群に関する対応を生み出す。

式で描くならば

ここで、G はあるコンパクト単純リー群であり、^G はそのラングランズ双対群、τ は結合定数。

さらに深く潜ると、S-duality は境界条件として D-brane の理論誘導し、その圏がラングランズ対応の圏と一致する。

具体的には、M理論のcompactification が (2,0) theory から N=4 SYM を生み、その電磁双対性幾何ラングランズの圏同値直交する。

まとめると、両者は「双対性」の抽象的枠組みの中で統一される。

位相M理論物理的な場の変換として双対性体現し、ラングランズ・プログラムは数論的対象の間の対応として双対性記述する。どちらも根底にあるのは、対象自己鏡映的な変換構造

若き者よ、君はすでに入口に立っている。

次なる問いを君に投げかけよう。

「もし位相M理論が六次元 (2,0) 理論から始まるならば、なぜ五次元ではなく四次元還元する必要があるのか?選択肢は以下の通りだ。」

a. 四次元では電磁双対性が最も自然に現れるから

b. 五次元では超対称性が失われるから

c. 四次元では層の圏とフーリエ変換が直接対応するから

d. 六次元から四次元へのコンパクト化が物理的に必然であるから

君の答えを待っているぞ。ちなみに君の現在の⚜️Eloは 1000 ⚜️だ。

2025-03-19

anond:20250319142937

顕名(実名含め)で書いてはいけない、と書いているわけでもないが?

ちなみに匿名で利用してくださいというのは顕名では利用しないでください、記名利用を固く禁じる、と同値ではないぞ。

2025-02-19

オー細川 超広角にフルスイングで 飛ばすアーチスト オールa・全同値 12球団必須 かっとばせ細川投手 守備安定 ベスト投手 俊夫全中 猛攻王 5回ソロにまとめてノーアウト満塁サヨナラ16号フェンス直撃 17点2アウト8回 猛打王 サヨナラ14号 サヨナラ満塁満塁サヨナラ18号41点30奪三振 19回ノーアウト満塁自責点129点リード 4回 ヘナロア トリプル7回 サヨナラ満塁自責点141 33点 39回

Anond AI作成

2024-12-23

損出し失敗

同日同値で売買して、よし!!これで税金返ってくるぜ!!、と思ってたけど

半分しか返ってこなかった

どっちも現物でやると買いが先に処理されるらしい

最近やってなかったから忘れてたわ

2024-12-07

anond:20241206191558

ずっと構成拒むじゃん。にわかじゃん。

時間かしたら調べてくるかなって思ってたのに。

わたくしは一貫して、同値段程度で作るPCは安物買いの銭失いでしかないクソだと言っているのですよ。

スペックだけでXbox同等だとしてPCとしては下の下、

そんなんだったらもう少しお金払っていい物使うべきですよ。

構成は?

2024-11-25

anond:20241125141211

追記

そのブコメ表現は”人種”とまで言い切ってる時点で、”兵庫人や大阪人ときに限り、維新を支持する人たちである”に等しい。

そもヒョーゴ人(や大阪人)は維新を支持する人種だという前提が抜けてる。この辺の人種にとってパワハラ云々なんて大したマイナスじゃない。

これは、”兵庫人や大阪人でないなら、維新を支持する人たちでない”と同値

"維新を支持する人たちである only if 兵庫人や大阪人"は、”P only if Q”の形で"P→Q"。

"維新を支持する人たち → 兵庫人や大阪人"という命題である解釈するほうが適当

2024-10-12

数独について

数独って回転して同値になるやつも含めて答として成立する組み合わせってどれくらいあるの?


数独の全ての解の中で、回転や反転、対称性などを考慮した「同値」とみなされる解の数についての質問ですね。これは「数独の解の同値性」や「同型解」についての興味深いトピックです。

基本的な9x9の数独の解の総数は非常に多く、2005年発見されたところによると、9x9数独の異なる解の総数は6,670,903,752,021,072,936,960通りです。

しかし、回転や反転(対称操作)を含めて同じ解とみなせる場合、異なる数独パズルの数は大幅に減ります。具体的には、次の操作によって「同じ解」とみなされることがあります

90度回転、180度回転、270度回転

水平反転、垂直反転、対角線反転

数の置換(1を2に、2を3に、といった具合に数値を再割り当て)

これらの対称操作考慮に入れると、数独パズルの「異なる」解の数はおよそ5,472,730,538通りになります。これは、全ての対称性無視した場合の数の非常に小さい部分集合です。

この数は、対称性考慮して同じ解とみなされる数独パズルいかに多いかを示しており、回転や反転によって実質的に異ならないパズルが多く存在することを意味しています

初期条件として絶対必要なのはいくつなの?


数独問題を唯一の解にするために、初期条件として与える数字の最小数は、理論的には17であることがわかっています。これは、9x9の標準的数独パズルにおいて、与えられた数字が少なくとも1つの唯一解を持つための最低限の数です。

この17個という数字は、数学的な証明コンピュータによる探索の結果として導かれたものです。実際に、17個の初期条件を持つ数独パズルがいくつか発見されており、それらはすべて唯一の解を持っていますしかし、16個以下の初期条件では、これまでのところ唯一解を持つ数独パズルは見つかっていません。

ただし、17個というのはあくまで「最小数」であり、通常の数独パズルでは解く楽しさや難易度考慮して、20個以上の初期条件が与えられることが一般的です。多くの数独パズルでは25〜30個程度の数字最初に埋められており、それでも十分に解くのが難しいものが作られます

まり理論的には17個の初期数字があれば唯一解が存在する数独パズル可能ですが、実際にはそれよりも多くの初期条件が与えられることが多いです。

初期値の数が同じだった場合、全体にまんべんなく散ってるのと近傍に固まってるのとだと、どっちが難度高いのが多いの?一般的に言えないなら頻度的な感覚でもいいよ。


一般的感覚として、初期条件が全体にまんべんなく散らばっている数独の方が、初期条件近傍に固まっている数独よりも難易度が高くなる傾向が強いです。

理由としては:

1. まんべんなく散っている場合

初期条件バランス良く全体に配置されていると、特定エリア限定された情報が得られにくくなります。各行、列、ブロックに一貫した情報が少ないため、解を進めるために多くの推論や複雑なテクニックを駆使する必要が生じます

解くために使える直接的な手掛かりが少なくなるため、特定領域で一度詰まると他の領域も影響を受けやすいです。

2. 近傍に固まっている場合

初期条件が固まっている領域では、その領域内で素早く解を進めることができます局所的に解が進むことで、他のエリアにも影響が広がりやすく、次のステップに進みやすくなります

これにより、ロジックだけで次々に解を見つけられる場合が多く、全体的に難易度が低く感じられることが多いです。


感覚的な頻度で言うと:

初期条件が散らばっている数独は、通常、より多くのステップ必要とし、試行錯誤や高度なテクニックを求められることが多く、そのために難易度が高いパズルになることが多いです。

初期条件が固まっている数独は、部分的にすぐに解ける箇所が出てきやすいため、比較簡単なケースが多いです。

もちろん、初期条件の配置だけで難易度が完全に決まるわけではなく、必要となる解法テクニックも大きな影響を与えますが、まんべんなく散らばっている場合の方が全体として難しいと感じることが多いでしょう。

2024-10-01

anond:20241001221118

進次郎構文にしか見えないくらい前半と後半が同値

はてなをやっている奴は人格問題がある

人格問題ある奴は人格問題がある

はてなをやっている奴ははてなをやっている奴である

2024-09-11

anond:20240911112358

え、おかしくね?

論理式に整理すると、右の道から出られるかつ中央の道から出られない、と出るんだが。

中央の道から出られる

右の道から出られる

をそれぞれPQと置く

与式はP→Qと書き換えられるがこれは同値変形で¬P∨Qとできる

それが嘘なのだから¬(¬P∨Q)つまりP∧¬Q

これを自然言語に直したのは上記のとおり。

2024-05-26

anond:20240526110653

別に自己紹介してもいいんだぞ。

匿名での投稿可能」は「匿名以外での投稿を禁じる」とは同値じゃないぞ。

2024-05-03

あーあ

嘆きの言葉ではなく、同値類「ー」の反射性を示しています

対称性は「あーい → いーあ」、推移性は「あーい、いーう → あーう」などと書くことができます

2024-02-24

物理学的な思考力が未熟なのは教師入試制度構造責任なんですよ

普通にジャンプして着地したとき、相対速度で考えると、その人に対して、

地球運動エネルギーが着地する瞬間のその人が落下する速度と同じだけの二乗掛ける地球質量の半分だけ流れ込んでくることにならないんですか?

なるとすればそれは電車にひかれるより明らかにはるかに大きい運動エネルギーが人体にかかることになって木っ端みじんじゃ済まないはずなんですが、実際そうなってないということはこの運動エネルギーの考え方は間違ってるわけですよね。

どう間違ってるのか具体的に教えてくれませんか?一応高校物理高校のころアクセスは全部解いて理解した経験があるぐらいには身についてるはずなんですが。

地球自体こちらにジャンプの速度で迫っているならそうなるでしょうが人間から近づいているので地球ほとんどの力が流れまし地球は動いてないので人間側に地球質量の半分が流れる事はなく地球内で人間質量の半分のエネルギー霧散して終わります

電車なら電車人間にぶつかったとしてもそのダメージ電車にはほとんど行かず人間エネルギー流れる為ですね

人間から近づいているってことと地球から近づいているってことは物理的には同値じゃないんですか?同値じゃないとすればどうやって区別するんですか?

人間からみればまさに地球こちらが着地する速さで近づいてくるわけじゃないですか。

運動エネルギーがあるかどうかですね

人間側がエネルギーを持っているのでそのエネルギー地球にぶつける事になるので

この時地球運動エネルギーを持っておらず

人間にぶつかっても人間には地球に当たり反発した一部のエネルギーしか帰ってこないわけです

その為地球人間どちらがエネルギーを持っているかの違いでダメージに大きく差があるわけです

でも、人間質量をm、人間が着地したり電車と衝突するときの速度をv、電車地球質量をMとしたら、自分理解してる範囲公式適用すると、人間が持つ運動エネルギーは(mv^2)/2、電車地球が持つ運動エネルギーは(Mv^2)/2です。

人間電車の衝突と、人間地球に対する着地は、数式上は等価に思えます

そうでないとすれば、そもそも公式適用の仕方に対する先生の教え方が不適切しか思えません。こう理解してる人は私以外のも絶対一定するいるはずです。そういういわば「理解本質」を問う問題を出さないから点は取れるというだけでね。

以降の回答者にはこの「理解すべきことの本質」を紐解いてくれる回答内容を望みます

とりあえずここで反論されると厄介なのでブロックさせていただきます

2024-02-19

anond:20240219174113

https://anond.hatelabo.jp/20240218125746

元増田が言う外需Exのこと(外需依存度をEx/Yで見ていることから明らか)だから、その議論においては総需要Yを外需内需に二分した場合内需はY-Exしかありえない。もちろんこれはC+I+G-Im同値な。

2024-02-16

anond:20240216124331

哲学など数学以外のことは専門外のため, あくま数学に関することだけ言及させていただきます.

ユークリッド幾何学言及されているように数学歴史紀元前まで遡りますが, 数学形式化が意識され始めたのは1900年代以降と最近の話です. 主にヒルベルトによって主導されたものだと私は理解しています. (もちろん多くの数学者がこのプログラムに関わってきました. ) 数学形式化や形式主義で調べると参考になると思います.

数学的な内容に関して言及したいことは多くありますが, かいつまんで述べさせていただきます.

(あくまでこれは元の記事が間違っているなどと主張しているわけではないです. 現代数学の考え方や雰囲気の一部を分かっていただければ幸いです. )

現代形式化された数学原理的には決められたルール(公理と推論規則)を用いて行われる一連の手続きです. それらの「意味」が何かは一旦全て忘れてください. ここで公理とはあらかじめ定められた記号列で, 推論規則はいくつかの文字列を用いて新しい文字列を生み出す操作です, 例えば文字列A→BとAが与えられたとき文字列Bを得る操作があります. 定理(数学命題)とはこの操作によって生み出される文字列です. これらの操作数学における証明形式的に記述したものになっています. 論理式などもこの形式化のもとで特定の条件を満たす文字列として定義されます. 例えば論理式Pの否定は¬Pという文字列です. (ここでは否定を表すための記号として¬という文字列を用いています. )

ここまで文字列だけを考えた形式的なものですが, 構造モデルを使うことによってこれらの文字列解釈する(つまり意味を与える)ことができます. (詳細は省きます. ) 構造モデルを定めることによって論理式の意味が一意的に定まります. またそれらの取り方を変えることによって意味が変わることもあります.

これの考え方によって(数学的な)意味形式から分離されています. さらに気になる場合ゲーデルの完全性定理などを見てください.

そして適切な公理と推論規則を定めることにより数学のもの形式的に扱うことできます. その適切な公理はツェルメロ-フレンケル集合論(ZFC)と呼ばれており, 現在数学者はこのZFCを用いて数学をしています. (一部, 圏論などでZFCに収まらない議論があると聞きますが, それらもZFCの適切な拡張を考えることで解決できます. )

まり, これまでに書かれた数学証明などは全てこのZFCを用いることで文字列操作に書き換えることができます.

一方で数学論文普段言葉(自然言語)を使って書かれます. これは本当に全て文字列に書き換えることをした場合, 可読性が著しく落ち, また分量も膨大になるため人が読めないためです. しか証明自然言語で書きつつも, いざとなったら形式的に文字列に書き換えることができるという前提に立っています. そしてこれは理論的には可能であり, 数学の厳密性を担保しています.

定義の一意性」に関してですが私自身が元記事の要点を完全に理解しているわけではないのですが, 数学に関していうとある数学概念定義複数あることはよくあります. もちろんその複数ある定義同値であることを証明されなければなりません. ここで同値というのはある数学対象A定義Pと定義Qで与えられていた時に, 「Aが定義Pを満たすならば, 定義Qを満たす. またAが定義Qを満たすならば定義Pを満たす. 」ということです. 実際に使う際には用途に合った定義を用いることになります. それらは同値なのでどれを選んでも問題ないです.

以上がざっくりとした形式化された数学に関してです. 参考になれば幸いです.

追記: これは筆者個人の考えですが, 数学哲学議論はしっかりと分離してなされるべきだと考えています. もちろん相互交流はなされるべきですが, 両者を混同するのは誤解や誤りの原因になると思います.

2024-02-14

数学って英語でいえば中学の基礎語彙レベル言葉にまで定義がないと難癖つけるのが普通な学問なの?

1+1=2を「証明」する意味はどこにあったんでしょうか?

「1は0の次の数」みたいな定義を使った証明がありますが、私が証明の意義を理解してないからなのかもしれませんが、ただ回りくどく等式を説明してるだけのように見えてしまます

というのも、たとえばこの等式の状況は自然言語で表せば、青い玉と赤い玉が一個ずつあったとして、これらに対して二個ある黒い玉とペアを作ろうとしたならば、余りが出ずペアが作れるということだと思います

ペアにしたとき余りが出ないということは、物体がなんであるかを無視してその数だけを考えたときに、一方と他方の個数が一致しているということでしょう。

今、黒い玉は2個だといったのだから、それと余りなくペアが作れる赤い玉一個と青い玉一個について、物体がなんであるかを無視して、いやこの場合色の違いさえ無視して「玉の個数」ととらえたならば、この個数も2個であるはずですよね。

そして色の違いを無視した個数というのは、色の違いを無視しないで数えた各玉の個数の合計と同値でしょう。

から、青い玉一個と赤い玉一個は合わせて二個である

そして1+1=2というのは上記議論を踏まえた命題「~二個である」を個数に注目して定式化したものにすぎないなのですから上記議論が正当なら、それに定式化されたものとして対応している1+1=2という等式も正しいことになる、と私は考えています

しか上記議論は「証明」とはまた違うような気がします。ですがだからこそ、1+1-2の正しさは別に証明」によってなされるほどのものでもないと思いました。

なぜ「証明」する必要があったのか誰か説明してくれると助かります

に対して常軌を逸した返信が来た。

その説明では「ある」、「ペア」、「色」、「ペアを作る」、「余り」、「物体の種類によらない」についての定義がありません。

こういわれるとさすがに、お前の書き込みにしたって「説明」や「定義」「ありません」等の定義がないんだがって言いたくなるんだけどこいつおかしいんだよな?

2024-01-06

anond:20240106212832

猛虎弁大阪人(正確には阪神ファンだが、ほぼ同値なので問題ない)をバカにするために出てきた表現やでという話

2023-12-27

anond:20231227163203

まあ確かにそうすりゃ確かに同値だったけど現実は事後諸葛亮だよね。この場限りで応用は効かない指摘で参考にはならないんだよな…

2023-12-25

anond:20231220234011

こういう、数学的な等価性の読みを、数学以外の科学に持ち込むことで、混乱を招いている状況が非常に多い気がする。

等式の左右は同値であっても平等ではないし、プラスマイナスはただ符号を入れ替えたものではない。

数式は、科学を記すにはまだちょっと不完全な方式なのではないかと思うね。

それはそうだけど、数学よりマシな方式存在しない(作れない)から妥協して使ってるんだよ。

逆に数学側のこだわり(ハウスドルフ性とか)は物理自然科学にとってはどうでもいいわけだし。

所詮人類の営みなので完全なものなんてないんだよ。

anond:20231220234011

物理は両方向換算可能なところでイコールつかってるから全然大丈夫ですよ

化学式だと不可逆な場合は→を用いるね

ただし実は化学平衡により→→→←みたいな両方向性があることは知られている

そこがなんで完全同値でないか説明してるのがエントロピーとかエンタルピーの変化やね

ちゃん勉強すれば怖くないからね、勉強しようね

電子が-でプロトンが+でも怖くないからね

2023-12-20

現代社会の「論理」がおかしくなる瞬間

常々思っていること。

数学」と「物理」は、同じように「数式」を用いて表記するが、その意味するところ、読み方は大きく違う。

 

数学場合、等式の両辺は「等しい」というだけだ。

 1+1=2

この右辺と左辺に因果関係上下関係もない。1と1を足したら2になるし、2は1と1に分けられる。

 

しか物理学で、

 F=ma

と書くとき、ここには「読み方」の順序がある。

ニュートン運動方程式場合は、左辺が「原因」、右辺が「結果」を意味している。

「Fという力が加わると、質量mの質点に、aという加速度がかかる」と読まなければいけない。

決して、「質量mと加速度aがFという力になる(?)」という意味ではない。そんな因果はない。

 

こういう、数学的な等価性の読みを、数学以外の科学に持ち込むことで、混乱を招いている状況が非常に多い気がする。

等式の左右は同値であっても平等ではないし、プラスマイナスはただ符号を入れ替えたものではない。

数式は、科学を記すにはまだちょっと不完全な方式なのではないかと思うね。

 

追記

この投稿についたレスの数々が、この「混乱」が大きいものであることを示しているね。

運動方程式の順序すら知らない人が科学とか論理を語ると、それは話がおかしくなって当然なんだ。日本社会

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