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2025-04-29

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 バーナンキインフレターゲット論の復習 2005-12-05 | Weblog

 ベン・バーナンキFRB議長指名を受けての上院銀行委員会公聴会においてグリーンスパン路線継承約束した。バーナンキ90年代からグリーンスパン後の金融政策のあり方のひとつとして、インフレターゲット政策採用すべきだとする論陣を張っていた。この上院での証言では、まさに物価安定と経済成長の安定、そして市場とのコミュニケーションを円滑に行うためにインフレターゲット導入が必要であると、バーナンキは力強く述べた。このバーナンキ証言に対して、委員会メンバーからインフレターゲット採用することで物価安定が優先されてしま雇用の確保が保たれないのではないか、という質問がだされた。それに対してバーナンキインフレターゲット物価雇用の安定に共に貢献することができると言い切っている。

 

 インフレターゲットとは、改めて定義すると、インフレ率の一定範囲(例えば2~4%)におさえることを中央銀行公表し、その達成のために必要金融政策を行うことである。ただしバーナンキ自身がかっていったように何がなんでもインフレ率の達成にこだわるような、「インフレ狂のいかれぽんち」に陥ることはない。

 

 バーナンキ自身は、現実経済は非常に複雑であり、また不確実性を伴うものであるので、しばしばいわれる金融政策とその政策担当者を「自動車運転手」の関係に喩えるのは誤りであると述べている(講演「金融政策論理2004年12月2日)。なぜなら運転手自分走行中におこることがらをかなりの程度予測して運転しているが、金融政策担当者には四半期先の予想でさえも困難なことが多い。確かに金融政策を通じて中央銀行経済主体の予想に働きかけることができるが、それがどのように現実経済反作用するかを見極めることは実に難しい。しかしそれだからこそこの複雑で不確実な経済において経済主体の予想に働きかける政策の方が、それを考慮しない政策よりも重要になる。なぜなら主体がどのように政策に反応するかの理解を欠いた政策実行は予期しない失敗を引きおこすからである

 

 そして経済主体の予想形成とその経済への反作用をしっかりと政策当局が見極めるためには、予想をベースにした政策の実行とともに市場参加者中央銀行とのコミュニケーションがきわめて重要になる、とバーナンキは述べている。そして中央銀行市場に対してその政策目的予測を伝えることで、市場からリアクションに対して柔軟に対応するべきである、とも述べている。これらの政策に対する基本姿勢は、彼のインフレターゲット論の中にいかんなく反映されている。

 

 従来の経済学では金融政策をめぐっては、「ルール裁量か」という二元論でしばしば議論が行われている。金融政策が長期的には貨幣中立性が成立していて、実体経済には影響を及ぼさずに、ただ単に名目変数(例えば物価水準)を動かすだけである、という点では新古典派経済学マネタリスト、そして(ニュー)ケインジアンは一致している。しか短期的に実体経済に影響を及ぼすことができるのか、いいかえると経済の深刻な変動に対して金融政策有効手段になるのかどうかで、新古典派ケインジアンには特に深い対立が残っている。

 現時点で新古典派マネタリスト、そしてケインジアンは非常に深く混じってしまっており、例えばバーナンキの初期の金融モデル新古典派的な発想に立脚したRBCモデルを基本にしている。しかし、最近バーナンキ政策スタンス経済の変動(産出量ギャップの大きな変化)には積極的金融政策中心の政策対応をすすめるものであり、その基本はまぎれもなくケインジアンである。そして財政政策よりも金融政策を中心に景気対策を行う点では昔風?の区分ではマネタリストでもあるだろう。

 

 一般的新古典派マネタリスト中央銀行マネタリーベースを四半期ごとにX%にコントロールする「ルール」に準拠して金融政策を行うことで、中央銀行戦前大恐慌時のように大きな経済変動の原因になることを未然に防ぐことができるとし、安定的経済成長資することができると考えている。そしてルールを事前に公表することで中央銀行の行動に対して市場が信頼をもつことができることも経済不安定性を回避するとルール主義者は信じている。それに対して裁量を重視する旧来のケインジアンは産出量ギャップの拡大に対して機動的な政策対応を主張している。裁量主義者ルールのもたらす「信頼」と、大恐慌のような予期しない経済変動に迅速に対処する際の政策の「柔軟性」にはトレードオフ関係があると信じて疑っていない。もし柔軟性を認めれば、そのことがマネタリストの主張するようなマネタリーベースの成長率ルールへの信頼性を損ねるというわけである

 

 バーナンキインフレターゲット論は、この「ルール裁量か」でいえばまさに彼の経済学の総合性格を反映するかのように、彼自身言葉で「制約された裁量」というコンセプトに即したものであるバーナンキの「制約された裁量」としてのインフレターゲット論は、バーナンキらの論集『インフレターゲット国際的経験からの教訓』やFRB理事としての講演「インフレ目標展望」(2003年3月25日ベン・バーナンキリフレと金政策』(高橋洋一訳、日本経済新聞社)に収録)に表明されている。

 

 バーナンキインフレターゲット論の主要内容は、1)フレームワーク、2)コミュニケーション戦略 のふたつで構成されている。フレームワークとは、先ほどの制約された裁量と同じであり、金融政策いかに行うかについての「ベストプラクティス」(最善の実践であるという。

 

 「制約下の裁量のもとで、中央銀行は、経済構造政策効果について知識が不完全なことに注意を払いながら、短期的な混乱は無視してでも生産雇用の安定のために自主的に最善を尽くせます(これが制約下の裁量の「裁量」部分です)。しかし決定的に重要な条件は、安定化政策実施するにあたり、中央銀行インフレーーそして、それゆえ国民インフレ予想??をしっかりとコントロールするという強いコミットメントを維持する必要もあるということです(これが制約下の裁量の「制約下」部分です)」(邦訳39頁)。

 

 そしてこのようなインフレターゲット金融政策が通常、半年から1年半ほどの政策ラグを伴って効果があらわれるために、先行して経済主体の予想をリードしていくという性格を色濃くもった期待形成フレームワークでもある。

 

 例えば、今日アメリカ経済低インフレの好循環が成立している背景には、まさに低インフレ予想がキーであるといえる。その反対のケースが70年代石油ショックエピソードである産油国石油価格戦略的値上げによってコストプッシュ型の激しいインフレが起きたというのが定説であるしかバーナンキは実際には石油価格の高騰が各種財やサービスコストを引き上げたことによってインフレが多少は悪化したのは事実であるが、むしろそれよりも深刻だったのは家計企業FRB金融引き締めが不十分であることを予想し、それが高いインフレ予想を招き、そして賃金値上げや製品価格値上げに移行した、という見方を立てている。むしろFRB石油ショックに直面する以前の金融緩和姿勢もそのような経済主体の高インフレ期待を促したともバーナンキは指摘している。

 

 実は日本でも石油価格の高騰が70年代の「狂乱物価」を引き起こしたとする通説が根強い。しか小宮隆太郎は「昭和47,48年のインフレーションの原因」の中で日本銀行石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、日銀政策の遅れが(小宮バーナンキのように期待の経路は明示していないが)企業労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた、と述べている。そして70年代から80年にかけての第二次石油ショックの影響が軽微だったのは、日銀過去反省していち早く強い金融引き締めスタンス採用したことにあり、それに応じて(これも期待の経路は小宮では不明なのだが)労働組合企業賃上げなどのコストプッシュの要因をおさえるべく、労使協調路線採用することでこの事態を乗り切った、と書いている(小宮隆太郎現代日本経済東大出版会)。

 

 アメリカの方はボルカー元FRB議長1979年における断固たる“タカ派”的レジーム転換で、徹底的に高インフレと闘ったことで、その後の低インフレの好循環の基礎ができた、とバーナンキボルカーの業績を評価している。しかし、このボルカーのタカ派へのレジーム転換が社会的にきわめて重いコストを伴ったことを指摘することをバーナンキは忘れていない。

 

 ボルカーの行った「ディスインフレ」(高いインフレ率を抑えて低インフレにすること)政策が、積極的名目利子率と実質利子率の引き上げによって実行され、それが80年代に入ってインフレ率の劇的な低下を見る一方で、それと見返りに10%にせまる高い失業を生み出してしまった。バーナンキはこの70年代インフレ予想形成の失敗がいか社会的コスト失業)を生み出したのか、このような失敗を今後しないためにも経済主体の予想形成金融政策の欠かせない要素になると力説している。

 

 第二の要素のコミュニケーション戦略であるが、これはすでに自動車運転手比喩の話で触れたように、中央銀行国民市場参加者に対して政策目標フレームワーク経済予測を事前に公表することで、中央銀行政策に対する信頼を醸成し、さら政策責任明確化政策の決定過程とその帰結の透明性をはかろうというものである。このことが自動車運転手比喩でも問題となった経済の不確実性について、少なくとも政策当事者の行動とそれを予測する民間主体の不確実性を大幅に減少することは疑いがないであろう。

 

 ところでこの「ベストプラクティス」としてのインフレターゲットアメリカに導入される見込みはどうであろうか。従来、インフレターゲット導入への反対の論拠として、連邦準備制度目的規定連邦準備法2A条)とのダブルスタンダードになるという点をあげて反論するのが一般的であった。

 

 「連邦準備制度理事会及び連邦公開市場委員会は最大雇用物価の安定及び緩やかな長期金利という目標有効的に推進するために、生産を増加する経済の長期的潜在性と均衡する通貨及び信用総量の長期的成長を維持する」

 

 と連邦準備法にある。これはかってのハンフリー・ホーキンズ法の趣旨を反映した条文であるが、議会にもこの雇用物価の両方への重視が強いことはすでに述べた。このようなダブルスタンダード批判について、バーナンキはここでインフレターゲットの柔軟性を強調し、雇用物価双方にどんなウェイトづけを行っても首尾一貫したインフレターゲットの援用が可能である、と断言している。バーナンキ議長意思が強固なことが伺われる。

 

 今後、アメリカインフレターゲット導入の議論高まることは当然に予想される。この議論高まることによって日本においても同様の議論高まることが予想されよう。実際に政府の一部では強力にインフレターゲット導入を視野にいれた日銀改正論議まで行われようとしているようである。すでに私はこのバーナンキ経済学を通して、日本銀行がその政策説明責任、透明性、そして経済主体の予想形成、ほぼすべてにおいて稚拙な決定の連続であり、また今日においても外的な要因が重なっただけで金融政策レジーム転換なきまま景気回復がある現状も指摘した。簡単にいえば、丸山真男過去に指摘した官僚的な「無責任主義」がまだ日本銀行とその利益団体ともいえる日銀シンパエコノミストに根強い。この無責任主義を打破するためにもインフレターゲットの導入とそれによるリフレマインド形成日本社会にいま最も望まれているように思われる。

2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-05-19

anond:20230502003314

ストライキ理論的な裏付けマルクスレーニン経済学である

当時は植民地主義奴隷労働があったので「資本家」「工場」と可視化されていて分かりやすかった(工場まれば原料が売れないか賃上げ

日本は、子会社下請派遣会社の多い多重構造

それで「労使協調」が理論解決手段)になっているが救済機関派遣を救わない

労働者は正規非正規に分断されており、ストライキ効果も見えにくい

派遣ストライキ保護法を提案する

2022-06-28

なんでみんな港湾作業員にならんのか(6/29追記しました)

身体健康ならという但し書きつきだけど、40代経験でも雇ってもらえて初年度でも年収600万くらいは貰える。

監督管理者級まで上がれれば大手なら1000万超えるし中小でも1000万弱くらいはいく。

ぶっちゃけ特に学歴かいらない現場仕事系として雇われでこれ以上の収入ある職種ってレアだと思う。

港湾作業員ってどんな仕事

簡単に言うと

のどれかをやる仕事

一番メジャー作業は、車両船に車を積むやつかなあ?

車を運転して車両船に乗り入れるあれ。

時々ニュースで流れたりする。

大半の作業はそんな難しくないけど難しいやつもある。でも難しい作業はやれる奴にしかやらせない。

港湾作業員メリット1.給料が良い

前述のとおり実質学歴不問の現場系でこんだけ貰える業界職種ってなかなか無いと思う。

あと業界全体的に残業代とかの払いはやたらキッチリしている。

働いた分だけ金は貰える。

メリット2.転職が楽

業界全体的に人手不足なので、同業他社でよければ転職も楽だったりする。

※ただしあん素行不良だと会社間で情報共有されてハネられたりする

あと職場によっては重機系の資格とか取らせてくれるので、そういうのを持ってれば更に楽になる。

港湾作業員デメリット1.本当にキツい

特に船に乗る部隊所属だと本当にキツイ

船って夏本当に暑いのでめちゃめちゃキツイ

※でも業界全体として熱中症対策に取り組んではいる、一応。

作業メインだと船よりは楽かもだけど暑いもんは暑い

あとクーラー付きの重機オペレーターかになれれば環境面ではましかも。

デメリット2.休みが少なくて拘束時間長い

土日休みが基本ではあるけど、船のスケジュールに合わせて仕事が決まるのでカレンダーはあって無いようなもの

前日または前々日の昼過ぎ仕事の有無&何時から何時までかが決まるのでプライベートの予定組むのは難しい。

※どうしても休みたい場合、〇日は仕事振らないで欲しいまたは有休使わせてくれ等の下準備が必要

実質的に週休2.5日くらいの感覚だろうか。ちゃんと数えたことねーけど。

船によっては20スタートで翌12時終わりとかだったりするので拘束時間も長い。

陸メインの部隊所属なら基本的には定時ベースなので不規則ではなくなる。

ちなみにこのキツさが給料に見合ってると思えるかは微妙個人的にはもっと給料上げてやるべきではないかと思う。

デメリット3.人間関係キツイ

基本的に6人1組の班で活動するため、同じ作業員とずーっと活動することになる。

そこで先輩に合わない人がいるとキツイ

業界的にどうしても荒い人多めだったりするので。

※でもアラフォー以下くらいだとそこまでめちゃくちゃな人はいない印象

ちなみに仕事不定期なせいで飲み会とかは滅多に無い。

デメリット4.危ない

まれたり落とされたりしたら死ぬ荷物ばっか扱うので正直危ない。

フルハーネス所作業もそれなりにある。

しか業界全体的に安全にはうるさいので、今は業界全体で労災亡者は年間10人くらいだと聞いたことがある。

1980年代くらいまでは年間数百人とか死んでいたらしい

まとめ

まあめっちゃキツいけどぶっちゃけ頭が悪くてそして稼ぎたいって人には向いてる業界だと思う。

筆記試験に受からないので運転免許持ってないなんて人がいたりする。

親方衆に気に入られるかどうかが大事

ちなみに土地で言えば京浜名古屋比較環境が良いらしい。

阪神価格競争がキツくて待遇あんま良くないらしい。

anond:20220626211311

追記

なんか一晩経ったら伸びててビックリ

「ならない理由」が全部書かれててワロタってコメントは正直そのとおりで、わかってて書いた。

そりゃ人手不足になるよなと俺は思っているので自虐ネタだったのよね。

以下ブコメ返信等(ブコメ確認次第順次追記してるので段々増えてます

ヤクザ

「直接的には」という但し書きつきだが今は関係ない。

表立ってヤの人が現場にいたりとか会社と組が付き合いあるとかそういうことはない。

しかし水面下では関係ある。具体的にはマジで言えないけどある。

繰り返すが、普通従業員普通業務する限り関係することは絶対に無いので安心して欲しい。

ただ作業員の中には「身内にそういう奴がいる(いた)」人はいると思う。

俺が聞いた話だと、現時点で80歳以上くらいの作業員には背中キレイな人(隠語)がすごい多かったらしい。

現場事務

事務員と作業員がハッキリ別れているので事務員は基本普通サラリーマンOL

日本島国輸出入必須であり、エネルギー効率的に、船による輸送を超える輸送手段が登場しない限り、絶対に無くならない業界なので安定感はある。

なので中規模以上の港湾企業事務職として入るのは割とおススメかも。

作業員は「親父が作業員やってた」とか「友達がやってる」とか、身内でやってた人がいるからこの業界知ってるみたいな人が多い印象。

作業員管理部署事務員は朱に交わって赤くなってる感じで、荒くてキツめの人が多い印象。

現場のこと

キツさを前面に押し出して書いたんだけど、それこそコンテナの積み下ろしみたいに機械化は進んでいる。

でもコンテナだって固縛作業は人力だし、コンテナジョイントパーツつけたり外したりするのも人力。

コンテナ以外だと「クレーンにワイヤー等で荷物をひっかける」「逆にワイヤー等を外す」部分がまだ機械化できてない。

この部分はマジで人と同じ動き出来るロボットが開発されない限り無理だと思うのでまだまだ人力が必要

というか「港湾作業」の根本部分がこれ、と言ってもいいかも。コンテナ化されてない貨物なんてたくさんあるので。

これを機械化できたら業界革命が起きると思う。

ガントリークレーンオペレーターやれる作業員は少ないので、やれる奴がいる部隊はそればっかやってる印象。

逆に言えばそうじゃない部隊だとコンテナなんてほぼやらない。

余談として、大昔は本当にクレーン以外全部人力でやっていたので自然筋肉ムキムキになったとか。

今の港湾作業員は肉体的にそんなムキムキって感じじゃなくても普通にやれる。本当に重たいモノは機械に持たせるし。

ただ暑さ寒さ耐性的なスタミナはやっぱ必要だと思う。やってれば慣れるけど。

虫とか

コンテナの外にはほぼいない。いるのは基本的に中。

なのでコンテナを開ける係の部隊はそういう意味では嫌かもしれない。

近年だとヒアリコンテナの底材の木に巣を作ってたのが日本に入ったのよね。

危ない

まあホント危ないけど、俺が知ってる限り死亡災害はだいたい安全対策的に「やっちゃいけないことをやった」場合なので、本人と親方衆がやるべきことやってる限りは大丈夫

そういう意味では会社として経験の少ない貨物を扱う時が一番危ないかも。

熱中症もものすごくうるさいので熱中症での死亡は少なくとも最近は聞いたことがない。

救急搬送されて1日入院くらいは年間数件起きてる印象。

個人経験だと木材丸太)の降ろし作業が一番怖かった。

あと、昔はすっげえ人が死んでたのが今はそうじゃないってのは、日本空気が変わったからだと聞いた。

要は「現場やってれば人なんて死ぬもんだからそれが普通」 → 「死亡災害起こすと会社の信用を失うので安全最優先」て感じみたい。

これは建設現場とかでもそうじゃないだろうか。日本全体として人の命の価値が重くなったってことじゃないか

40代経験

本当に人手不足なので、40代経験でもそこそこ健康なら雇ってもらえると思う。実際にそういう同僚いるし。

聞いた話だと100㎏超えは流石に弾かれるとか。

あと、同時期にもっといい人が応募してたらそりゃ弾かれるだろうけど。

船の学校を出る必要

それは船員さんの話なので。港湾作業員と船員さんは違います

労働組合

昔は超強かったらしい。何せ作業員作業しねーぞと言われたらどうにもならんから

今でも組合はあるしデカいけど、強くはないんじゃないかな。労使協調路線をやたら強調してる印象。

特殊労働

さっきも書いたように日本輸出入必須なので港湾作業重要インフラ事業なのよね。

から国が法的に業界をかなり保護しており、具体的には「港湾作業港湾作業員じゃないとできない」って法規制されてるし、会社自体も許認可制かつ基準が厳しいので、新規参入事実上不可能

確か小泉政権の時に規制緩和つって免許制から許認可制になったんだけど、同時に役所基準を引き上げて骨抜きにした流れだったはず。

なんで同業他社は広い意味での仲間って感じで競争あんまない感じ。

特に大手の船会社はどこの港湾作業会社使うかももう決まってるので新規営業とかもほぼ無い。

よっぽどのやらかし連続でやったら船会社から切られることはあるかも。

あと意外なところで良いお客としては製鉄業界と電機業界かな。原料を船から積み下ろす作業があるので。

年収の話

ごめん誤解を招く書き方だったんだけど「そんだけ残業とか休出がある」という前提。

から暇だったら400万台だと思う。俺の知ってる会社待遇が良いだけかもしらんけど、1年目でも400万切ってる奴は見たことない。

最初にいったけど、あくまで「実質学歴不問未経験でも入れる雇われ現場仕事」としては高年収だという話。

あと事務職はかなり偉くなるまでは作業員より低い。たぶん地域平均くらいだと思う。

年間10人はまあまあ死んでる

業界全体の話だぞ? 作業員が全体で3万5千人くらいいて、それで年間10人ならまあそんなもんじゃね?

労働者数に対する死亡者数の割合で言えば、もっと危ない業界業種はあるし。

年取ったら

ざっくりだけど経験年数20年~25年くらいで人柄に問題無ければ、作業員管理者的な感じになるので、そうなると自分はほぼ動かなくなる。

平助の作業員が手順どおりちゃん安全作業するかと荷物に異常が無いか監視する感じ。

経験年数浅かったり人柄に問題あるとずーっと現場作業なのでキツイけど、逆に50代とかでキツイからって辞める人はほとんどいない。

多分一つ一つの作業は皆さんが思うほどキツくない。船や倉庫環境キツイってのと拘束時間キツイので、そこまでやれたら肉体的には50代でも何とかなるらしい。

そういえば後輩の方が偉くなって使われるのが嫌だからって理由で辞めた人はいたな。

潰しが効くかと言われると、どうかなあ。事務職もやれる人なら事務職種転換したりとか転職したりするけど、作業員しかやれない人は転職するにしても結局どっかの作業員しかやれないと思う。

外国人労働者

うろ覚えだし明確に法規制されてるかどうか忘れたけど、確か在日の人除いて外国籍の人は日本港湾労働者になれなかったはず。

港湾設備って国の重要インフラ施設から外国人やらせない的な理由だったはず(ごめん本当にうろ覚え)。

外国人を使ってるのは船員の方。てか船員と港湾作業員混同してるっぽい人がちょいちょいいるけど。

船員は船を動かすのと船に載ってる荷物管理をする人で、港湾作業員荷物の上げ下ろしをする人。

法的にも色々あって、お互いの領分には絶対に手を出さない。

余談として港湾会社事務職が現場行くこともあるけど、事務職は現場には絶対に手を出さない・貸さないことになっている。

飲み物とか飯を運ぶくらいの手伝いはするけど。

職場が遠い

これは本当にそうで、現場港湾エリア=海沿いで住宅地から離れてるのよね。

毎回じゃないけど、出退勤時間そもそも電車無い時間だったりもするし、だいたい車通勤必須

※「俺は文字が読めたらこんな仕事やってねえよ!」と言ってた免許持ってない先輩は自転車通勤してた。

でも作業員そもそもちょっとガラの悪い」あたりの人が多いかも。具体的には港湾近くの県営・市営団地とかに住んでる感じの。

ある意味世襲制みたいになってるのかもしれない。

逆に港に住むのは嫌だつって遠くても良いか都市部に住んでるみたいな人もいるけど。

ついでに言うと、作業員詰所みたいなとこに集合して、そっからハイエースかに乗合して皆で現場行くのが普通

そもそも港湾エリア個人車では立ち入り禁止のとこばっかだし。

船に乗る部隊現場も基本毎日違う。つっても広い意味でその港湾のどっかではあるからパターンは決まっている。

族上がりの人とか

そこまでガチもんの経歴持ちは今は滅多にいない。ゼロとは言わないが。

若手はそんな変な人多くないよ。

他業種のブラック現場から転職してきたとか、親父がやってたからとか、学歴なしで働けるからとか、ホントそんな感じ。

レアなところでユニクロ店員から転職してきたって人がいた。これもある意味ブラック現場系ってことなんだろうか。

転職組はだいたい「残業代ちゃんと出る!」てめっちゃ喜んでる。

でもやっぱ全体的に学校勉強はできない系で、体育会系のノリで、喫煙率はこのご時世でも50%超えてたりする。

その中から、勤務態度が真面目、人柄が良くて統率力がある、会社の言う事を聞いてくれる、みたいな人が出世していく感じ。

事務職に「俺はお前の言う事なんて聞かねーぞ!」とか言っちゃうはいて、やっぱそういう作業員出世できない。

逆説的に言うと、そうやって事務職ともまともな会話できる人が、事務職との窓口業務をする代わりに出世してるとも言えるかも。

作業アシストスーツ空調服

作業アシストスーツは知らん。俺の現場では、人がそこまでめちゃくちゃ重いものを運ぶことはないか必要ないんじゃない。

空調服は、検討自体はしたんだけど、作業員からむしろ割と不評で見送りになった。

もっと性能よくてかさばらない空調服が出てきたら導入されると思う。

女がいない

女の作業員はいいねー。俺の知る限りでは一人もいないけど全国どっかにはいるのかも。

ぶっちゃけ大半の作業は女でもやろうと思えばやれるレベルなので、人手不足だし、どっかのタイミングで使いだす会社出てくるかもね。

事務職も船の担当は男ばっか。某大手倉庫に限って女の担当がいると聞いた。

船の担当だと、事務職も現場が動いてる時は会社にいないといけないので、時間規則だし、あとやっぱ性犯罪予防的な意味で女にはやらせないみたい。

2022-02-06

連合と労連と労協について

昨今の連合を語るにはこれらの組織の違いを知っておかなくてはならない。

元々総評だの同盟だのという組織があり、4つの組織が集まって1989年に結成されたのが連合であるわけだけれども、その連合に対して反共主義労使協調御用組合であるという批判をして設立されたのが労連、労協である

連合

 支持政党:旧民主党

 だいたいの大手企業で第1労組になっているはず。御用組合みたいなもんだけど、役員とかは会社政策より政権交代に心血を注いでる。これまではアベ憎しって感じだったけど、立憲推しでは組合員を動員できなくなってきており、岸田さんは仲良くできるかも?みたいな空気感がある。経費で遊ぶのでJC民主党版みたい。

 連合と立憲の問題においては、連合としては組織設立の経緯から行けば、後ろ足で砂をかけられたやつらのと手を組め(しかも、共産の方が助けのヒーローのような立場で)となると、面子にかけて認めるわけにはいかなかったんだろう。

■労連

 支持政党:共産

 毎シーズン最低賃金には1500円必要調査結果が出た!とかで活動してる人たち。統計に基づくとか言いつつ、要は共産党なので、結果ありきのやり口に見えてしまうのは悲しいところ。でもはてぶでは毎回ブクマがつくのでなんなんだろうね。

 ほとんどの企業ではバックの問題もあって縮小傾向になっており、幹部高齢化が進んでいる。退職した昔から活動家が契約社員訴訟とかをバックアップしているような感じのイメージ

■労協

 支持政党:社民党…?

 社民党がこんなことになっていて、?をつけた。連合には反対だが、労連(共産)には相容れないという人たちで作られた。

 昔は結構過激なところがあり、界隈を賑わせたところがある。大阪では先日も警察前で逮捕された仲間を解放するようにデモをやっていたとか。

 社民党の勢いを見ても明らかとは思うが、いかんせん縮小傾向には抗い難くという状況と思うが、労連と違い、身近な例がないので、有識者は補足してくれると助かる。


結局、どこも党派性政治が優先されるので労働者に寄り添った地位向上には??というところだと思う。

2021-09-25

anond:20210923191729

300万はとにかく600万あれば国民民主いいんじゃないの。労使協調路線で働くもの第一政策採ってくれれば有利でしょ。立憲民主共産よりアイデンティティ政治強くないし。

問題小選挙区じゃ勝てないので比例で入れるしかないぐらいだけど。

2021-02-21

anond:20210220235242

この国も世間労働者を守ろうという意識はさしてない。横浜相鉄ってあってどちからというと労組がストを打つんだけど、賃上げのためにストを打ったらクソだとか平気でいわれちまう。

あとどこに目的を置くかなんだけど、賃上げを主にするか雇用を守るほうを主にするかで考え方が違ってくる。対立闘争するより労使協調路線をとったほうが生き残る可能性が高いから、労使協調路線をとる会社がある程度あるんだけど、それは傍から見ると増田のように弱体化ってとられちまう、かな。

正直、日本ちょっと特殊だとはおもう。

日産危機の時、カルロス・ゴーン体制工場をいくつか閉めたけど労使で協調してたか日産社内ではある程度雇用は守れたのでストはなかった(はず)。ただ、欧州からすると工場を閉めるのにストが起きないことが信じられなかったらしい。

2019-05-07

労働組合組織について執行経験者が解説するよ

ここ最近労組関連の増田はてブコメントを見ていると、どうも労組の内部(?)事情というのは思ったより知られてないようだぞ、と感じたので少し知見を共有したいです。なお、当方は小規模な単組の執行経験者です。また、ここで記述する内容はどの組織オフィシャル見解でもなく、個人理解をまとめているだけです。

労働組合階層について

労働組合」という同じ名称で呼ばれる組織でも、大きく分けて2種類に分かれます。「企業労組(単組)」あるいは「ユニオン」と呼ばれるような、直接的に組合員所属する組織と、「産別組織」「上部団体」と呼ばれるような労働組合を束ねる組織です(名称の揺れは多少有ります特に後者はまとめてどう呼べば良いのか私はよく分かっていません...)。

多分、皆さんが「労働組合本来任務」と思うような、会社との交渉・折衝を行う組織は前者の「企業労組」「ユニオン」になります。ただし、(当然ですが)基本的には組合員所属する会社以外のことには口出ししませんし、出来ません。

「産別組織」「上部団体」にも階層があって、例を出すと自動車産業の単組が集まった「自動車総連」、その上部団体の「日本労働組合総連合会連合)」や「金属労協」、といった具合にツリー上の組織構成になっています。大体、「産別」と呼ばれる団体が単組が1次加盟する組織だと私は理解しています。この産別から、すでに個々の会社とのやりとりはしませんが、大体企業側も対になるような組織(何度も例に出して申し訳ないのですが、自動車総連に対しては「日本自動車工業会」など)を作っているので、そこと大枠の交渉・折衝をしていますイメージとしては、個々の企業・単組に対するガイドライン出しをする感じです。産業別、言い換えると同業界ですから景況感などが概ね共通するため、割と単組と会社の折衝でも使えるようなアウトプットが出てきます。ただし、拘束力は皆無だという感触ですが...

追記・ここは書き方が悪く誤解を与えてしますみません。産別で出されたアウトプット、例えばお互いのトップコメントなどはガイドラインになります拘束力はないと感じる、と言う意味です。上部から要請、例えばイベントの人だしは人数必達で、バリバリ拘束力あります…)

さらに上部の連合などまで行くと、もはや単組や個々の企業など見えていないですね。じゃあ何が任務となるかというと、「政治活動」「平和活動」などの、労組活動じゃないでしょ、と思われがちな(最近評判の悪い)ところをやっています。実際の行動および結果に対する評価は別としますが、理念としては、労働者の数を束ねに束ね、圧力団体として労働者に有利なロビー活動をしよう、あるいは労働者に有利な社会を作ろう、と言うことだと理解しています

単組の活動について

続いて、簡単に単組の活動について触れていきたいのですが、その前に少しご質問労働組合という組織は、会社にとって有益無益か?色々な角度から考えることが出来ると思いますが、労働組合会社にとってメリットをもたらす側面があります。その一つが、対労働者の折衝窓口の一本化。労働協約労使協定企業が人を使う上では労働基準法が定めるとおりにいろいろな取り決めを労働者と結ぶ必要がありますが、全労働者の明示的合意を都度取るのも結構大変です。なので、法律上は「労働者過半数以上で組織する労働組合」あるいはそれがない場合は「労働者過半数代表する者」との間で合意を取ればOK、となっています((法の意図するところが違ったら訂正コメントください))。過半数代表者は真実1名だけが選出されるので全員の意見集約は実質的に難しいと思いますが、労働組合は一応意見を吸い上げるシステムを作っている場合が多いです。なので労働組合と折衝して決めた事項については、話す相手は1つで済む反面、後から個別労働者から文句が出にくい、という利点があります ((ただ、これが悪用されて、労働者の大半の意見無視されて労働組合勝手企業の良いような条件を飲んで協定・協約を交わしてしまう、というのがいわゆる御用組合問題ですね。また、そこまで邪悪でなく、己の怠慢で聞き漏らした声に対しても、事後に上がった声に対しては組合は冷淡な傾向があると思います。)) 。

前置きが長くなりましたが、そういう背景があるので、大体の単組は企業の(あるいは各事業所の)総務部門と密にやりとりをしながら、時に(と言うか大体)労使協調して諸々の業務に当たります。実際の内容については、単組で結構異なるかもしれないので詳述を避けますが、概ね、個人レベルまで見る粒度企業(あるいは各事業所)の労働環境が適正になるような活動をしているのは共通していると思います。例えば、36協定がらみで特別条項適応申請があった人とかは、過去残業時間をチェックしたりして本当に認めて大丈夫判断したりします((しますよね?これは共通でなされていると思いたいのですが...))。

それから、当然ですが組合員の皆さんとの情報共有・吸い上げも重要ですので、そのための業務します。多分、ほとんどの単組は代議員会というシステムを持っているかと思います。個々の組合員の皆さんは、一旦意見代議員の方に集め、その意見を持って代議員さんが代議員会に臨み、議案に対して賛成反対を述べる、あるいは代議員会で連絡のあった事項について代議員さんが個々の組合員の皆さんに展開する、と言った具合に、ここでもツリー上の構成を持っています。このシステムを以て、「全組合員意見を集約した」形を作っているので、この存在は非常に重要です。ですので、各単組は定期的に代議員会を開催するのはもちろんのこと、代議員さんが適正に任務を果たせるような教育を施したりフォローをしたりします。

後は、ろうきんとか全労済とかの労働者互助会的な出自金融機関の窓口にもなります

ここまで明示的に述べていなかったのですが、色々な行為主体が「単組」と表記されていることに違和感を持たれた方もいらっしゃると思います。正確には、「各単組の執行部」がこれらの実際の仕事をこなしており、その構成員には執行部活動だけをして通常の企業営利活動に関わる業務を行わない「専従」の人と,どっちもやる「非専従」の人がいます。これらの人の人数は単組によりバラバラで,全員専従の単組もいれば、全員非専従の単組もあります

ここまでを前置きとして、最近覚えている範囲増田へのコメント


さて、長文を書き慣れていないので大分時間がかかってしまいましたが、上記最近見かけて思うところのあった匿名ダイアリーニュースへの意見として書いた側面もありますので、ちょっとコメントを書かせてください。

https://anond.hatelabo.jp/20190328211509

NTT労組の話で、私はこの記事以外に内情を知らないんだけど、ここまで分かり易く強制力を出すんならユニオンショップ制に出来ないのかな、とか思っちゃいます。ただ、ここまで書き連ねて来たとおり、組織率が高いことが単組活動の暗黙の前提みたいなところがあって、非組合員労働者がいるとその人には会社個別アプローチしないといけないとか、最悪過半数割れすると協定を結ぶ権利すらなくなるとかで、全員加入は必達になるのもよく分かります。でも初っぱなから悪印象を持たれちゃうと、執行部としても後々やりづらくなるので、こういう形になっているのは非常にモヤモヤしながら読みました。

ところで、個々人の組合員が、単組を評価して「こいつら居なくても良いんじゃないの?」という感想と、自分労働環境評価して「まぁ今の待遇特に不満無いかな」という感想を両立して持っているなら、単組の活動としては概ね成功しています労働組合基本的に、有事の際、すなわち労働者権利侵害されたときにその真価を発揮する組織であって、実は会社側に切れるカード結構な枚数を持っています。ので,有事には頼れる組織なのですが、残念なのはそのカードを切るより組織を維持することの方に莫大なコストがかかってしまうことです。つまり活躍していてもしていなくても大体かかるお金は一緒です。上記のように平常運転でもそれなりに業務が発生するもので、その人件費馬鹿になりません。自分が払っている組合費と、自分事業所の人数をかけ算してみて、人が何人雇えるか考えて見るとイメージがつくかと思います。もし、今の待遇に不満を持っているならそれは執行部に(というか代議員に)伝えましょう。それが出来るのが、組合費の対価だと私は考えます。...なので、あんまり組合のことを悪く思わないでね...


https://www.asahi.com/articles/ASM4J55H4M4JULFA021.html

ニュース記事へのリンクですが、港湾労働者ストライキの話。正直すごいと思いました。ストを打つとなると、当然組合員にはもれなく業務放棄してもらわないといけないのですが、私の肌感覚ではまぁこ理解を得ることが無理だろうな、と思っていたので。みんな、業務に対する責任感がすごいですよね。メンバーシップ雇用型の作用かもしれませんが、上が一元で責任を持たないので、割と組合員層まで責任を感じて仕事に励む傾向があると思います会社の発展のためとか、本人のモチベーション維持的には良いと思うのですが、この状態だとスト中の逸失利益とかも自分責任と感じますし、だから業務放棄したくないですよね。私が執行部だとすると、説得する自信がありません。まぁ業界とか色々あるのかもしれません。

と言うことで、お願いなのですが、「港湾でスト打てたんだから他産別・他単組で打てないのは労組の怠慢だ!戦え!」とは言わないでくださいね(まだそういう意見は見かけていませんが)。


https://anond.hatelabo.jp/20190504184608

さて、本当に長くなりました。直接的にこの匿名ダイアリーを書こうと思った理由記事です。とは言っても、もう結構な前半でこれに対するアンサーは書いていて、ここで言う「労働組合の本分」は各単組がやっています。で、反戦活動平和活動は上部団体がやっています役割分担。ただ、当然、個々の賃上げ資するような活動も上部団体ミッションなので、そういうロビー活動はやるべきです。ただ正直、もはや連合レベルまで行くと、単組の交渉で使えるようなアウトプットがない気がするんですよね。高プロの件だって阻止できなかったし(なので、単組レベルで阻止するしかないですよね。自分企業労働協約改悪しないようにする形で)。ただ、生臭い話ですが、圧力団体ロビー団体政局に影響を与えられるレベルの集票力が背景に無いと成立しないので、支持政党民進党(か立憲民主党?正直どっちになったかよく分からない)をもっと当選させられる集票力が無いとそういうことが出来ないんでしょう。

労働組合話題については、正規非正規問題や、同一労働同一賃金話題とか、同じ労働者の中で対立が生じる矛盾もあり、当然批判はあるべきかと思っています。ただ、政治参加の話と同じことで、コメントしている人が労働者であれば、その人も労働活動の一端を担っているわけです。多分、政治家になるよりは遙かに簡単に、労働組合組織の中でステップアップが出来るんじゃ無いかと思います労働者が、労働組合活動を「享受するサービス」ではなく、「共に行う活動」と考えてくれることを祈り、本稿を終えたいと思います

2019-04-12

「安定してて万年社員でもそこそこの給与がもらえる勤務先」を退職しないという重要性はもっと認知されるべき

https://anond.hatelabo.jp/20190405004215

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190405004215

NTTグループ増田やそのブコメを見て思うところあったので、自分ブログに書こうかとも思ったけど増田に書く。世の中には「普通の平凡なサラリーマン」にすらなれない人がいるんだよいう観点で。

構成NTTグループ増田のそれに合わせて書く。分量は少なめで。

言いたいこと

「安定してそこそこの給与保障されている」という環境に対する憎悪の声がここ二十数年ほど高くなっているが、「安定してそこそこの給与保障されている」環境必須な人は一定割合存在するのでは?そういう進路を選択したほうが貧困に陥らずに済む人だっているのでは?そこから外れた瞬間に貧困に陥ってしまうのでは?(私自身も若いころはそういう視点を持てなかった。)

普通」の人間にすらなれない人にとっての一つのセーフティーネット存在することを私は実感したし、それを無くすのは自分のためだけでなく、社会のためにもよくないのでは?ということを捉えていただければ。(近い将来、その「一つのセーフティーネット」が無くなって私自身が惨めに野垂れ死ぬ可能性は高い確率であると思っている。)

筆者のプロフィール業務概要

修士新卒就職40代前半。いわゆる氷河期世代ってやつです。バックエンド業務従事

外部委託が多いので管理業務契約業務がメイン。

30くらいの時にブラック部署との仕事メンタルを病んで療養。復帰はしたが、不信感やらいじけ根性発揮やらで30代序盤にして「この先の人生はもう余生」と決め込む。今思うと、内心そう決め込んでいても「一生懸命仕事をやろうとしているポーズ」を取ることの重要性を理解していれば年功序列レールに数年の遅れで乗れたのになあと思うのですが、当時はとにかく辛くてそんなこと考える余裕すらなった。後の祭りだし後からならなんとでも言える。

過去は変えることはできないので、節約生活可能な限り小銭を拾う生活をするしかない生活を強いられているんだッ!!(バカ自業自得

勤務先の特徴

経営雇用

経営は非常に安定している、、、とみなされた時代もあったようです。

労働組合は御用です。組合の側から労使協調」という言葉が出たときにはのけぞりました。物事には建前というものがあるのでは?そりゃあ実態御用組合組合出向が人事部出世コースなのはみんな知ってるけど、、、と思わないでもないです。

給料と昇格】
給料

私自身の年収は650万ほど。残業しまくっていた就職3,4年目の頃と同じ水準ですね(さすがに今は残業時間は減っています。というかそんな残業生活もう無理)。40歳超えてこれですので、金銭感覚比較的幼いままでよかったなあと思っています。この先歳をとるにつれどんどん周囲に差を付けられてきつくなるんでしょうけど。

収入が順調に上がるにせよ上がらないにせよ、生活レベルは上げないほうがいいと思います。というか生活レベルって小金が入って油断すると勝手に上がっていくものです。心身の疾患で収入が上がらなくなったとき悲惨ですし、心身に問題がなければないで貯蓄が増えていきます

年齢や学歴の近い人は最低でも係長、早い人はとっくに課長に上がっていて当然年収1000万超えです。

30代序盤までは、普通に過ごしていても優秀であってもメンタル疾患の欠陥品(私)であってもその時点での年収差はあまりないようです。後になって響いてきます

②昇格と昇給

ヒラ→主任係長課長、、、と昇格していきます。「普通」の人間でいられる限りは今でも係長までは多少の差はあれど基本的年功序列です。もちろん私はそのレールにすら乗れていません。

学歴が高いほうが昇格が早い、という傾向はあるようです。自身反省から言うと「普通」になれなくとも一生懸命頑張っているフリくらいはしましょう。社内ニートキャリアパス選択するのは最低でも、(表面的な体裁を保っていればなんとか年功序列で上がれる)係長に上がってからしましょう(自戒)。係長にすら達していない若いころからいじけて余生モードになってもいいことはありません(体験者は語る)。いじけて社内ニートになるのはいつでもできます。実際課長以上のクラスでそういう人はいます

なお、優秀な人は異常に昇格が早いですが、「あんな奴がどうして」「女性から優遇されているのか?」というケースは少なくとも私の視界では見たことがないです。課長以上の世界は私からは見えないのでわかりませんが。

あと、昇格に関する(暗黙・非暗黙の)ルールはあるみたいですが、他人を人事評定する立場に立ったことのない私には正直わかりません。「普通の」コミュ力があればそのへんの情報を下っ端でも聞けるみたいなんですが。

福利厚生
①社宅・寮

社宅や寮はあります。以前は安価で長く居られたらしいですが、年々制度改悪されて今では基本的に35歳までしか使えないようです。値段については、改悪されたとはいえ普通に借りるよりは安いみたいです。

賃貸住宅補助

独身者は補助を受けたければ寮に入れ、という方針です。既婚者は条件をクリアすれば多少の賃貸補助を受けられますこちらも年々改悪されて今に至るようです。40歳超えたら補助は一切ありません(だったはず。単身赴任に関しては別)。

住宅ローン補助

そんなものはない(関羽)。家やマンションを買うための財形制度はあります

住宅関連まとめ

私自身が持ち家を持っていないし検討すらしたことがないので正直よくわからないです。ただ、わりと多くの人が「年相応に」家なりマンションなりを購入しているようです。まあ、私はそういうルートにすら乗れなかったので、、、

その他福利厚生

旅行とかスポーツジムかに使えるポイント制の制度があります。小銭を拾って生きていかないといけないので、これは、、、ありがたい、、、

ワークライフバランス
①勤務時間

勤務時間帯はコロコロ変わっていました。一日の労働時間が長くなる代わりに休みが増えるとかその逆とか。ただ、最近世間趨勢無視できず世間並みになっている感触です。フレックスリモート勤務や時短勤務などがあります

残業規制は私が入った頃はいいかげんでした。最低でも終電帰宅デフォなのに残業毎日20時きっかりまでとか。(若いころはそれでもなんとかこなせるんですけど、それで心身のダメージが蓄積していくということに気づいたのはもう少し後の話)

社内外の関係者犠牲者)が捨て身で騒いでマスコミ沙汰労基沙汰にしたこと世間の流れもあって、今では残業規制NTTグループ増田の言っている程度には厳しくなりました。ただ、一部の部署では「退勤タイムカードを押した後残業」みたいなのが常態化しているという噂も聞きます

人件費圧縮のため残業は減らせという職場全体の方針なのに、残業時間が少ない人は暇人認定されて評定上はよろしくないみたいです。じゃあどうすりゃあいいんだよ。

あと、フレックスが導入されたので残業時間の調整はしやすくなりました。今月残業多くて今日はやることないから早く帰りますとか。まあそんなこと言ってられない時はどうにもなりませんが。

休日

有給休暇夏季休暇、傷病休暇があります。繰り越せる休暇はいいんですが繰り越せない休暇はきっちり消化しないと上司が怒られます

社員と社風】

NTTグループ増田が書いていたのと似ている面もある。

他は、最近急にコストに関して経営陣が意識高い系になっているけど、その内容が「とにかく目先の支出を減らすこと」という、民間大企業がかつて陥った罠に数周回遅れで嵌まっている感がムンムンします。「目先のコストカット目的化してしま本業に支障出まくり」という余所様の失敗はさんざん話題になっているのにそういう情報に触れていないんだろうか。

離職率

低いです。が最近若い人の離職率が上がってきています。先日部長が「若い人が離れていくのは問題だ。もっと職場の一体感を」とズレたコメントをしていたのが印象に残っています部長まで行くような人がその分析、、、?

個人的には、ここ数年人事が欲しがるような人材(安定のためとかそんな学生は要らねえ!)が増えた結果として若い人の離職率が上がっているんでしょ?人事がそういう人材採用している方針的に当然の帰結では?と思っています

こんな人にはうちの職場がおススメ

・将来がどうかはともかく、貧困になりたくない人(「普通」になれなくても必死になんとかしがみつけばそこそこの生活費は確保できます。今のところは)

社会的信用を求める人(エリートでもお荷物でも外から見れば所属組織名は同じ)

ローカルルールカメレオンのように適応できる人

キレイパワポが作れて口八丁で説明できる人

自己アピール詭弁が上手い人

こんな人にはうちの職場はおススメできない

馬鹿正直な人

・社内外に対して整合性が求められることに適応できない人

ルールや決まりよりも部署の声のデカさがすべて、という現実適応できない人

・一攫千金を求める人

仕事やる気ないけど仕事している風に装う演技力のない人

最後

私はかつて「私は普通人間社会人)にくらい当然なれるさ」と思っていたし、もしかしたらそれ以上の…なんてことを思っていました。

最近話題なった45歳over首切り民間大企業が、その昔「成果主義」とか言い出して世間的にも話題になってました、当時就職直後だった私もご多分に漏れず「自分は当然成果主義給料の上がる側」と思っていました。

今は私の職場も(年功序列の面も残っているけど)「成果主義」が進んでいますね。イチロー引退会見じゃないけど、若いころの自分に「おまえメンタル疾患で普通人間にすらなれずに成果主義どころか年功序列レールにすら乗れてないぞ」と言いたいですね。

そんな欠陥品でも当面は生きていけることに対しては、今のところは運がよかったな、と思っています。ということで退職しません。クビになった時に備えてチマチマ小銭を貯めます。まあ実際クビになったらそんなのすぐに吹っ飛ぶんだろうけど。

3年経ったので続編を書いてみました

https://anond.hatelabo.jp/20220722001358

2019-03-30

anond:20190328211509

NTT労組コスパ高い労組だと思うけどなあ。みかじめ料は確かに高いが、はるかに上回る利益享受してるよ。

外資ベンチャーとは比較できないけど、旧来型の年功序列日本企業労組としてはベストの類かと。

事実上ユニオンショップ制で労使協調路線のため会社の一部と考えたらいい。

■よいところ

・勤怠管理を労使で実施サービス残業ゼロ有給取得率90%超。超ホワイト企業

組織候補を衆参2名ずつ送り込み。NTTのロビー活動にて利益誘導。

■悪いところ

・NTTはもともと腰の重い企業労組が介入することで意思決定スピードを更に遅らせている。

労組委員役員を経て会社出世する人も多い。出世手段しか捉えていない委員役員がいるのも事実

2017-09-22

https://anond.hatelabo.jp/20170922012821

増田の言う通り、全部有期契約でいいと思うけどね。

ただ、問題とすることが問題、とは思わない。

大学というのは、伝統的に左派が強いから。

左派が強いか有期雇用契約社員労働組合員だし、労働者のために頑張る空気がある。

その主張が通るか通らないかは別として、声を上げるというのはむしろ労組のありかたとして妥当だと思う。

主張すべきところは主張して、折れるところは折れて、というのが正しい在り方だし。

最初から労使協調路線で、正社員保護のために契約社員は虐げられて当然、などいう主張に労組まで同調したら、労組ってなんなの?第二人事部?って考えちゃうよ。

2010-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20100602005538

穴埋めの責任持つのは社員経営者の役割で、バイトが考えたり埋め合わせたりすることじゃあない

管理職でも幹部候補でもない単なる末端従業員が経営者面するのが「社蓄」という問題の本質

社蓄は、戦後日本における労使協調路線がもたらした弊害。

2009-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20091107141903

大抵の場合、酷い労働環境は、経営陣や経営陣目線の従業員のせいだ

「社蓄」とは、単なる従業員にすぎないのに経営者視線で労働仕事を捉えるという不思議な人々。

どうりで社蓄は労使協調社会風土として定着してしまった日本だけに存在するわけだ。

2008-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20080620093610

「団体が著作者の権利を守るのは仕事。当然」という声は、あまり聞こえてきません。

当たり前すぎて言うまでもないからじゃない?

弁護士凶悪犯罪を弁護することを納得できない人は残念ながら多くいるからなあ。

自分たちの利益のためなら会社社会が崩壊しても関係ないという考え方があります。

今の日本労使協調路線が主流のようでその立場を採っていませんが、

昔や今でも隣国は違う考え方のようですよね。

いや、その二分法はおかしい。

そもそも労働者利益のための社会の崩壊を肯定する隣国ってどこだ?

「これはこれ、それはそれ」の分岐点を教えてください。

そもそも、どこにも矛盾がない。

弁護士社会に与えられた仕事一生懸命果たしてるだけ。著作権管理団体もそう。

何も気にせず最大限権利者の都合で主張していいんだ。調停は彼らの仕事じゃない。

利益を守るための行動指針とは

どなたか違いを教えてください。

光母子殺害事件の弁護人がとった手法を非難する人々に対して

弁護人が依頼人(被告人)の権利を守るのは仕事。当然」という意見があります。

一方で、

ダビング10問題に関して著作権擁護団体の主張に対して

「団体が著作者の権利を守るのは仕事。当然」という声は、あまり聞こえてきません。

他にも労働組合が、

自分たちの利益のためなら会社社会が崩壊しても関係ないという考え方があります。

今の日本労使協調路線が主流のようでその立場を採っていませんが、

昔や今でも隣国は違う考え方のようですよね。

社会にどんな影響があろうが、そんなことは権利保持者の権利を守るためには考慮する必要がない、という考え方と

社会が成り立たなくなるほどの権利擁護・要求は許されないという考え方の

「これはこれ、それはそれ」の分岐点を教えてください。

本音と建前の違いと、殺害事件の犯人死刑求刑されている命が架かった案件という二点はすぐ思い浮かぶので除きます。

 
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