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「刑事ドラマ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 刑事ドラマとは

2025-05-16

昔の刑事ドラマ説教が響かなくてキツい

実家に戻ったときなど刑事ドラマ再放送をたまに見るんだけど、キツいな

ギャグアクション寄りなもの大丈夫なんだが、クライマックス刑事演説始めるようなものほど厳しい

導入での違和感はまだ許せるんだが、盛り上がるポイントとして濃い演出するから落差も大きくなるんだろうなぁ

しかし、説教したはいいけど不起訴だったり無罪になったらどうしよう、とか考えないんかな?

そう考えると説教の内容がどうこうでなく、説教する刑事って実際にいたら異常者なんだろうな

ネットの作り話にも頻出するけど全て作り話であってほしいわ

2025-04-19

シリアスなだけで本格ミステリー扱いされるコナン映画

まあ今年の話なんだが

コナンってしっちゃかめっちゃかしてる時のほうが実は入り組んだ推理小説してて

シリアスとき現場の現況を喋ってるだけとかなんかトーン落としてさっきあったこと言ってるだけで推理なんてほぼない。刑事ドラマになる。

これは脚本家交互体制になってから顕著になったけど昔もそうだった。

トリッキーなやつは推理小説シンプルなのは刑事ドラマハリウッドの有名映画展開みたいなね。

でもこれを逆に捉える層がいるんだよな。

よくよく話を追えば「全然推理してない!」って気づくんだが、なんか凄い推理だった!みたいな口コミになり、毎年首を傾げている。

多分、推理なんてどうでもいいんだな。キャラだけ追っててキャラが真面目なら真面目な映画なんだわ。

例え意味のない描写の乱発と動機の流れの不自然さと、数々のアイテム回収が全くなされなくても、今作はおそらく「とても難しくて」「大人向けな」「推理映画」として広まるんだろう。

もう長年見てきてるからね。口コミ推理できるようになっちゃったね。え、しっちゃかめっちゃかツッコミどころあるだろ!って?あれはリアリティラインの設定の話だし、それ言えるやつって10回見てから言ってんだよね?

往年のコナンオタ、隻眼の残像を見た三行長文感想

やはり由衣犯人から味方に変えたのはちょっと設定的には無理があったけど強引にまとめたなという印象。

全体的に緋色弾丸での失敗を執行人要素入れて取り戻すかのようなあらすじだが取り戻したところで…絶海の探偵の完成。

おそらくここ20年の中でもあまり推理パートおざなりだがコナンあるあるとして誰も推理パートを見ていないので現場検証状況証拠を喋ってたらなんか推理してるっぽくなる刑事ドラマ現象が発生。

2025-04-18

anond:20250418133547

歌舞伎リアリティに欠ける」とか「俳句は決まりごとが多すぎる」言うてるようなもんやでな。

こうしてリアリズムを早呑込みした結果が、勝新がやった「全アドリブ刑事ドラマである

おっさんらがゴソゴソ言うてるだけで何もわからないやつ

2025-04-12

俳優村上弘明さんの2サス滅茶苦茶あるんだけどさ

何で有名で2サスの常連だったのか気になる

調べたら仮面ライダーやってたんだね。仮面ライダー俳優って奴かな。知らんけど

かに出身者で藤岡弘、とか要潤かいるもんな

村上さんそんな有名だったんだね。知らんかったわ

南平班凄く面白いね。今70歳手前みたいだけどまた刑事ドラマやって欲しいな(というのも北大路欣也水谷豊なんて70歳超えて現役だからね)。

2025-04-03

高望みしてはいけない」と付き合った彼氏が冷静に考えたらあまり

テレビで見かける「年収1000万がいい」とか「顔はジャニーズレベルじゃないと」みたいな高望婚活女はダメものと思って育った。

そういう女は醜いし、配偶者探しは謙虚姿勢でいるべきでどうせ自分も大した人間ではないのだから身の程を知らなければならないと思い込んでいた。

ただ、まあ、今回の件で自分を低く見積もるのもやめた方がいいなと学んだ。


ノイズが無いように先に書いておくが私のスペック一人暮らし30歳158センチ46キロ関関同立卒の年収600万でデート代は割り勘。誕生日デート相手誕生日にお互い奢りましょう派。(彼氏誕生日は私が奢るし私の誕生日彼氏が奢る)結婚後は共働き希望通勤のために23区外だろうと都内に住みたい。無理なら神奈川埼玉千葉ギリギリ東京に近いところ。もしフルリモートならどこに住んでも何でもいい。それでもやっぱり相手神奈川千葉埼玉の中心奥深くとかに住みたいのならば私は通勤できなくなるので私は転職して年収めちゃくちゃ下がるけど文句言わないでねというかんじ。


DVしない・ギャンブル癖や借金が無い・タバコを吸わない・店員に偉そうな態度しない・既婚歴無しの正社員という理由結婚前提に付き合った彼氏スペックこちら。


身長160センチ

男性身長で選んではいけないと思い考えないようにしていた。しかし、人が多い東京では身長が低い男は人混みに押し負ける。女を守れない。

駅の構内など混雑した場では黙って私の後ろにピッタリくっ付いて歩くので、先頭の私が道を切り開くことになり、私がぶつかられたりしていてもただ黙って後ろを着いてくる。

少しいい店に行くと男性店員に見下された対応をされている。女だけじゃなくて同性(男)も意外と低身長の男を見下すんだなと思った。

男の30代の平均身長って171センチだよね。私も女の平均身長あるから相手もせめて平均身長マイナス5センチぐらいは欲しくないか。そんなに平均マイナス5は難しいか

35歳年収500万(これといった貯金なし)

首都圏在住の四大卒正社員の35歳で年収500万はぶっちゃけ結婚するには低い。年下で女の私より低い。彼の貯金額は私の三分の一。実家も細い。金融資産もない。彼氏会社検索したところ評判投稿サイト曰く年収は上がらないままずっと続くとのこと。50歳で年収600万レベルとのこと。ホワイトなので転職する気はないらしい。

一人で生きていくなら十分だろうが東京近郊で結婚して子供作るのは無理だろ。その代わり背が高くてイケメンとか性格死ぬほどいいとか家事彼女並みにできるとか実家が太いとか加点要素があるならまだしも。

ワキガ

スパイス臭がする。一日仕事して帰宅した際はすごいスパイス臭がする。洗濯すると衣類に臭いが移る。外科手術などは死亡事故があったから嫌とのこと。かと言って定期的に汗拭きシートを使うとかデオナチュレ使うなど対策しない。「自分自分臭いとか分かんなくない?」とのこと。

夜の生活

早漏のため入れた瞬間に一発で終了。また、最中はいつにも増して強いワキガ臭が室内を充満している。

容姿 

アデノイド顔。動画投稿者のもこうに似てる。しかしもこうのように喋りの面白さも年収も得意なゲーム応援したくなるような雰囲気も無い。面白さも魅力も金も何も無いもこうというかんじ。顔にデカいホクロがある。

学歴

偏差値50くらいの都内私大文系高校進学校だったことをしきりにアピールしてくるのだが、じゃあなんでその程度の大学しか入れなかったのと聞きたいが聞いたら性格が悪すぎるかと思い聞かない。

マナー

食べるときにやたら音を立てて食べる。字が汚い。歯並びが悪い。すれ違った通行人の見た目の悪口を言う。ポリコレ揶揄冷笑系ネタが大好き。テレビ外国人が出てると「ポリコレ枠かな」と嬉々として言う。

映画ドラマで少しでも女性活躍するシーンがあると「これポリコレか」と言う。

頬にガーゼ保護テープ(頬を殴られた痕っぽい)付けた女性とすれ違ったら「ねえ!今の見た!?」とすぐにデカい声で言う。

生活能力

彼は一人で食べるとき食事カップ麺が基本。二週間に一度、家にある野菜を使うのではなく、新規食材調味料を一から購入してX(旧Twitter)で独身男性に人気な某料理男性ユーチューバー動画を参考に料理する。これを本人は俺は料理ができると自称している。

洗濯は彼のものと私のものは一緒に洗っている。彼の衣類は定期的にオキシ漬けが必要。私が五回洗濯したら一回ぐらいの回数で彼が洗濯する。ドラム式洗濯機乾燥まで終わった私の分の衣類は除けて畳まずに床に積み重ねられている。ゴミ袋を縛って指定曜日に捨てる・ゴミ箱に新しいゴミ袋を被せることはできる。

床をクイックルワイパー掃除トイレ掃除洗面所掃除キッチンの五徳周りの掃除排水溝の髪取りなどはできない。たまご調味料や洗剤など無くなっていると判断して買うことはできない。

結婚して共働きしていく上で相手家事能力必要不可欠だ。もし年収が私の二倍あるとかなら私が全部やるが。実際は私の方が年収が高く家事能力も私の方が高い。

金銭負担

デート代は割り勘。都内のため電車移動。

同棲家賃生活費は完全同額支払い。毎月いくら出すと決めてその金額を払っている。

ちなみにデートで入った飲食店ではその店の最安値商品を頼む。スーパーでもその店の最安値プライベートブランドしか買わない。

どん兵衛赤いきつねはぜいたく品で、パスタ乾麺マ・マーや大容量のバリラやディチェコもぜいたく品らしい。私を選んだのも年増の見切り品だったからとかそういう理由だろう。

会話してて楽しい

自分から口を開くことはない。彼は口下手で私から会話を切り出して話題提供しなければならない。私が生理痛仕事の疲れで話さないと「はぁ…怒ってるの?」と迷惑そうに聞いてくる。

また、会話の正確性を重視してくる。

例1:

私「(ドラマを観ている)このドラマはじめて観る」

彼「この役者なにかで見たなー。なんて役名?役者名前は?他にどんなドラマに出てるの?」

私「刑事ドラマモブ刑事の中の一人のことなんて知らないよ…」

例2:

私「この前行った店、都内の五大(食べ物)の店らしいよ~」

彼「へー。あとはどこなんだろう」

私「たしか(地名)とかだった気がする」

彼「うん、あとは?」」

私「(地名)にもあったかな…」

彼「あとはどことどこ?」

私「うーん…」

彼「ほら、あとはどことどこ?」

私「さすがに覚えてないよ」」

例3:

私「あ!ライチュウだ!」

彼「アローラライチュウだね」

私「ウィンディもいる~」

彼「ヒスイウィンディ

私「ケンホロウだ」

彼「ケンホロウのオス」

私「…ねえ、いちいちそういうの言わなくていいから」

彼「え!?なになに!?急に怒り出した!(彼女ヒステリーにおびえている被害者のような顔)」

では彼の会話に正確性があるかといえばそうではなく、ソースはX(旧Twitter)だったり、金融経済政治の話ではそもそも義務教育レベルで間違った知識も多い。



まり何が言いたいかと言うと

高望みしてはいけないと思って「自分程度にはこの人が相応しい」と思って結婚直前までいくと痛い目を見る。

私は今から彼と別れ話してくるから、じゃあね。何かあったらよろしく

2025-03-23

anond:20250323130824

その人本当に通して見たの?

少し疑問になったが

 

この場合の「「なんか人が死んじゃう」は「アニメ」にかかった感想じゃないか

今までその人が持ってた「アニメ」のイメージと違ったから驚いたのでは

その人も

刑事ドラマとか時代劇とか見て育つんじゃないの?歴史の授業とか

とか、実写では人が死ぬのを見てきたと思うんだよ

 

でも普段アニメ見なくても

アンパンマンとかドラえもんは知ってるんじゃない?

しかすると今まで見たことないと言ってもおジャ魔女ドレミとか幼少期にはTVで流れていたか

そしてそういう子供向けアニメで「アニメ全般イメージが固定されてたんじゃないか

海外の人が、日本アニメ自国の子供向けの単調なカートゥーンイメージを持ちながら見たら映画ドラマシリーズ同様シリアスな展開もあって驚いた、みたいな感想を言うことあるけど

それと近いものがあったんじゃない

世代違うけどNHK世界名作劇場だっけ?ああいう、(人が死ぬこともあるし、過酷な展開になることもあるけど)基本はふんわりした世界観アニメだと思ってたから驚いたんじゃないか

 

自分は鬼滅のファンだけど、

連載始まったときはあの第1話に引き込まれ

今までの新連載とは明確に違う点が多々あったか

そういう意味では既存作品イメージと違ったところを感じたわけだから、こういう推測に流れるのかもしれないけど

鬼滅って怖いアニメ

職場事務女性20代後半、既婚)と話してて、アニメの話になったとき

鬼滅の刃見てみたら怖いアニメでびっくりしました」と言われて衝撃を受けた。

その人は今まで全然アニメを見ずに育ってきて、彼氏に勧められて初めて深夜アニメに触れたらしい。

「なんか人が死んじゃう話で、アニメって結構怖いんですね」と。

 

え?あれだけの話を通して見て出る感想が「人が死んで怖かった」…?オタクじゃない人の感性ってそうなの?

私自身はしっかりめのオタク(傾向はガンダム特撮ジョジョとか)なので非オタ感覚がわからないが、それでも普通の人も刑事ドラマとか時代劇とか見て育つんじゃないの?歴史の授業とかどんな気持ちで聞いてたの?人が死ぬ=怖い話だったら世の中怖い話だらけじゃないか?それともオタクである自分感覚麻痺してるだけなのか…?

あるいはアニメ現実を切り離せないかんじか?目まぐるしくキャラが退場するのをいちいち全部重く受け止めているのか…?

「バトルアニメはこのタイミングでこういうキャラが退場しがち」「こういうフラグを立てたキャラは死にがち」みたいなアニメあるあるを一切知らずに見るとそんなに衝撃を受けるのか?

もしかしてアニメ=アンパンマンディズニーみたいなキラキラして楽しい絵本のようなもの」と思っている人って今だに結構いるのか…?クールジャパンだったりキラキラオタ活商法深夜アニメ認知度が上がってるような気がしていたけどそんなことないのか?

萌え系の絵見て「教育に悪い」って騒いでる層ってこの辺の人たちか…?

 

そんなかんじの人に「おすすめアニメってありますか?」と言われたので、しばらく考えたあとに「ハイキュー」と答えておいた。

2024-12-16

ショート動画リーガルハイが流れて来た

うっすら名前は聞いてたけどこんなんだったんだな

刑事ドラマかにある解決後の説教パートを全力でやってるイメージ

弁護士がこんな煽動するのって実際はありなんかね?

2024-11-27

町中華は生き残っているが町蕎麦屋絶滅危惧種

一昔前までは、俺が知る限り関東地方の近郊住宅街には必ず一定範囲蕎麦屋があった。「更科」「砂場」「藪」などの屋号を受け継いだり、「長寿庵」のような「〇〇庵」という蕎麦屋一定地域内に一軒は必ず存在していた。

笑点小遊三師匠がよくネタに使うカツ丼もここから来ている。

実際には警察逮捕した容疑者カツ丼振る舞うことはないが、20世紀刑事ドラマや2時間サスペンス容疑者が近所の町蕎麦屋から出前されたカツ丼を食って自供するとういうフィクション定番ネタであった。

かつて各地域住宅街存在した町蕎麦屋は、麺類ならきつね、たぬきは当然としておかめ天ぷらカレー南蛮、鴨南蛮、など各種日本麺類蕎麦でもうどんでも出前しただけでなく、ラーメンタンメン味噌ラーメン、五目ラーメンなど日式中華麺類各種は必ず備えていた。丼物は上述のカツ丼は当然として親子丼天丼玉子丼、カレー丼、牛丼メニューにあった。カツライス(トンカツ定食)や生姜焼き定食アジフライ定食なども安価だっか。黒電話で出前を頼むと若い店員スーパーカブに乗って銀色の箱から麺類丼物定食も迅速に届けてくれた。ウーバーイーツとか現在配達サービスより迅速で丁寧だった。

2024-11-24

anond:20241124104845

ホームズワトスンジュンジュワー」は探偵ものから刑事ドラマへ引き継がれ、それからジャンルに散らばってる印象がある

天才頭脳を持つ奇人とその友人(読者目線常識人ツッコミキャラだけどそんな奇人についていけてるだけあってこいつもしっかり変なところがある)、

という目線で見ると、頭脳戦とか心理的駆け引き必要とされる作品

ミステリーを扱った漫画だけでなくギャンブル漫画格闘技漫画ホラー小説、何ならラブコメにもいるし

リアルだったらお笑い芸人でもホムワト的組み合わせは各所に存在すると思う

ホムワトは遍在することによってミステリーものから消えてしまったのかもしれない

2024-10-31

三大最近刑事ドラマで無くなったこ

あと一つは?

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-05-18

あぶない刑事みたいなドラマはもう作れないのか

西部警察みたいな、でも刑事貴族みたいな、でもいいんだけど、

ようするに警察バンバン拳銃撃ったりカーチェイスして車がひっくり返ったり、っていうアレ

思うに踊る大捜査線辺りから、それまでの刑事ドラマいか荒唐無稽だったか?という事に視聴者が気付き、

よりリアル刑事ドラマが好まれるようになっていったと思うんだが、それはそれで寂しくもある。

実際未だにあぶない刑事映画が作られてたりするわけで、そういう需要がなくはないと思うんだが、

やっぱり舘ひろし柴田恭兵から成立してる終わったジャンルなのだろうか

フリーレン7巻読んだよ!!!!!!

南の勇者も結局歴史に残ってんじゃねえか!!!

ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!

そこはさぁ!!!!!!

シュタルクにも!!!!!フェルンにも!!!

語らず!!!!!!!!

フリーレンの!!!!!!

記憶だけに!!!!!!

留めておけ!!!!!!!!!

ああああああぁーーーーっっっ!!!!!!

80年経っても銅像が残ってる⁈⁈⁈⁈⁈

村の人達大事に語り継いでる??????

羨ましい!!!!!!

ああ!!!!!!

また過呼吸!!!!!

はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!

苦しい!!!!!!

ナイチンゲール!!!!!!

マロリー!!!!!!

チャーチル!!!!!!

ガンジー!!!!!!!!

ノイマン!!!!!!

アインシュタイン!!!!!!

コッホ!!!!!!!!

大隅良典!!!!!!

本庶佑!!!!!!

湯川秀樹!!!!!!

ナポレオン!!!!!!!!

いや!!!!!!!!

アレクサンドロス大王!!!!!!

神武天皇!!!!!!!!!

何十年経っても!!!!!!

何百年経っても!!!!!!

何千年経っても!!!!!!

銅像!!!!!!名前!!!!!!成し遂げた偉業!!!!!

これらが残ってる人間が羨ましい!!!!!!

一方で!!!!!!

MARCH文系卒で地方公務員の俺は!!!!!!

死んだら何も残らない!!!!!!!!!

から同期で一番早く課長になって部長区長になって局長になって!!!!!

副市長になって!!!

外郭団体理事になって!!!!!!

定年後も市政に影響するような男になれたとしても!!!!!!!!!!!

せいぜい!!!!!!

陛下から勲章貰って!!!!!!

葬式ちょっと人が多く来てくれるくらい!!!!!

ニュースにすらならないし!!!!!

Wikipediaすら作られない!!!!!!

歴史名前が残らない!!!!!!

結婚して子供作って遺伝子を残せ⁈⁈⁈⁈

非モテからそれは不可能!!!!!!

俺の親父だって俺と同じ顔で背も低い高卒郵便局員!!!!!!

現代に生まれていたら結婚不可能だったに決まっている!!!!!!!!

現代結婚には性格学歴収入と同様に顔や身長が不可欠だから!!!!!!!!

から!!!!!!!!!

俺が死んだ後の世界に「俺の生きた証」を残すには!!!

偉業を成し遂げるしかない!!!!!!

子供がいなくともその名が残るニュートンのように!!!!!!!!!!!!!!!

だけど!!!!!!!!!!!!

ああああああああああああっ!!!!!!!!

高校!!!!!!!!!

数学2B挫折して!!!!!!!!!

MARCH文系卒の地方公務員になった俺に!!!!!!!!!

偉業は成し遂げられない!!!!!!!!!

から!!!!!!

死んだら終わり!!!!!!!!!

大学生の時に社会に出られず何も成し遂げられず白血病で死んだ従兄のように!!!!!!

郵便局定年退職した後に毎日ボケっと刑事ドラマ観て病気でポックリ死んだ親父のように!!!!!

顔のない人生!!!!!!

名前の残らない人生!!!!!!

ぼく「どうしたら今死んでも後悔しないような偉業を成し遂げて、後世に名前を残し人生の生きた証を残せますか?」

馬鹿クソボケ発達「良い焼肉を食べて旅行に行って良い温泉につかりな。幸せになれるから

馬鹿クソボケ発達が!!!!!!

じゃあ俺が!!!!!!

友人と良い焼肉食って旅行行って温泉浸かったら!!!!!!!!!

それは偉業なのか!!!!!!

俺の名前歴史に残るのか!!!!!!

俺の生きた証になるのか!!!!!!

ならねえよ!!!!!!

!!!!だ!!!!!の!!!!!

消費!!!!!!!!!

ばあぁーーーーーーか!!!!!!!!

どうやったら!!!!!!

今末期癌を宣告されても!!!!!

「我が生涯にいっぺんの悔いなし!」って言って!!!

その場で自害できるような人生モニュメントを築けるか!!!!!!

聞いてるんだ!!!!!!

せっかくこの世に産まれたんだ!!!!!

消えたくない!!!

俺の存在!!!

残れ!!!!!

ヒンメル!!!

フリーレン!!!

ハイター!!!!!

アイゼン!!!!!

クラフト!!!!!

南の勇者!!!!!

助けてくれ!!!!!!

イギリスと何も関係ない!!!

俺の地元にある看護学校にすら!!!

立派な像が立つ!!!!!

ナイチンゲールのように!!!!!!

存在世界に残したい!!!!!!

従兄や親父のように!!!!!!

なりたくない!!!!!

消えたくない!!!!!

だってせっかくこの世に生まれたんだから

人生は虚しい。

2024-05-11

anond:20240511102248

でも刑事ドラマだと退治した奴は警察に捕まって罪を償うことになるだろ

2024-03-19

70代、80代の男性子供を持てるか?

とある刑事ドラマを見てた。

資産家の中で起こった殺人事件の話。

その中で性格の悪い姑が孫の父親を疑うシーンが出てきた。

嫁は「この子は〇〇さんの子です!」って涙ながらに言うんだよ。

そんで色々あって事件解決

その中で「孫は本当に〇〇さんの子だったが、そもそも〇〇さんは大旦那の子じゃなかった」ということが明らかになる。

まり性格の悪い姑が何十年も前に不貞を行いその結果できたのが後継の〇〇さんだったと言う話。

旦那あくまで脇役だから結末までその反応は一切描写がなかった。

これ残酷すぎない?

70歳、80歳になって子供自分の子じゃなかったらどうすればいいの?

俺だったら半狂乱して大量殺人とか起こしちゃうかもしれない。

その大旦那金持ちなんだけどさ、実際金を積めばおじいさんの子供産んでくれる女性っているのかな?

だって、頑張って生きてきて成功者になったのに、死ぬ手前で子孫断絶って怖すぎない?

残酷すぎるよ。

どんな男にも自分の子孫を残す権利は当然あるけど、女性しか真実はわからない。

最近DNA鑑定があるからまだいいけど、なかった時代子供を持った今の高齢者男性はかわいそう。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-08

anond:20240306234938

なんか刑事ドラマみたいだね。

ガスコックが1つしかないとかの理由かと。

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