はてなキーワード: 共感能力とは
例の話題で延々と「でもシャアはシャルル・アズナヴールだから(ドヤァ」をいい続けてる人いるじゃん?
実際社会に出てみるとこういう人はちょくちょくいて、たとえば飲み会で一度マウント取れたネタを何十回も繰り返して皆にうざがられてたりするやん?
要は共感能力の低さと、それから来る対人成功体験の少なさ故の飢えた承認欲求による地獄の無限ループなんだろうけどさ。
分かり合う能力に極めて乏しく、自己の利益のみを追求し、頭が硬く、引きこもり、そのくせやたらと首を突っ込んでえばり散らかしたがる。
結局さ、単純に頭が悪いってのもあるんだろうな。
他人に説教したがる人の心理には、いくつかの典型的なパターンがあります。以下に代表的なものを挙げます:
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説教することで、「自分は正しい」と感じたい心理があります。自分の考えや生き方に自信がなかったり、不安がある人ほど、それを他人に押し付けることで自己肯定感を保とうとすることがあります。
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2. 優位性を感じたい・支配欲
他人を指導したり、諭す立場に立つことで、自分が「上の立場」にいるように感じられるためです。職場や家庭、学校などで自分の立場が不安定な人ほど、このような行動に出ることがあります。
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3. 共感能力の欠如
相手の立場や状況に思いを寄せるよりも、「正論を言うこと」が目的になっている場合があります。そのため、相手の気持ちを無視して一方的に話してしまいます。
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自分の内面にある不満や怒りを、他人に「説教」という形でぶつける場合もあります。本人は正義感や善意だと思っていることもありますが、実は自分の感情の処理を他人に押し付けていることも。
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昔の自分の失敗や未熟さを他人に重ね、相手を通じて「こうあるべきだった」と説教してしまう場合です。これは一種の自己投影であり、自分の過去を許せていないサインでもあります。
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純粋に「相手のためを思って言っている」と信じている場合もあります。ただし、相手との関係性やタイミング、言い方を間違えると、ただの「おせっかい」や「押し付け」にしかなりません。
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こうした心理は、必ずしも本人が悪意を持っているわけではないことも多いですが、繰り返されると人間関係を壊してしまう原因になります。
例によって「男(夫)は何をしているんだー!」「男が悪い!!」と夫側を誹謗中傷している女性達が多く
当日の朝に休んで欲しい、妻に言われたが夫は出勤した、という情報を見て「仕事ぐらい休めないのかー!仕事だけしてりゃいいと思ってるの?w」などと主張しておられるが
ぶっちゃけ、当日の朝に「休んで欲しい」って言われても滅茶苦茶困るし困惑するよね
「何で、せめて前日に言わなかったの?」ってなるし、緊急度合いをどういうニュアンスで伝えたかにもよるけど
メンヘラ臭いかまってムーブしていたとしたら「またか…」とか「ワガママ言わないで…」としか思わないよ
一日二日なら、緊急の用事なり仮病使うなりで、何とかなるかも知れないが(妻が休んでというから休みます、とか当日ドタキャン休暇取るのは普通に無理ゲーだが)
頻繁に当日ドタキャン休み繰り返していたら、普通に仕事場での信用無くすし、最悪仕事自体を失うよ
ある程度責任のある仕事をしているからこそ、家族を養える給料を貰える訳だからね
よって「仕事ぐらい休めないの?w」とか言ってる女性は、当日適当な理由でズル休みしても許される様な、ぬるい仕事をしていたか
そもそもまともに働いた事すらロクに無いのか、といった所だろう
責任感を持って、責任のある仕事をするという、大半の男性なら当たり前にやっている・やらざるを得ない事が、大半の女性には出来ないし想像すら出来ないのだろう
ああ、まともに責任のある仕事をしなくても許される側の性が羨ましい
事件の続報を読むと、夫は妻の様子が気になって(恐らく色々調整して)午前中で仕事切り上げて早退して様子見に行っているんだよね
そうしたら、妻はおらず、子供は殺されていた
家族の為に働いていたのに、大切な子供を失ってしまった、よりにもよって妻の手によって
悲劇としか言い様が無いし、夫も一生苦しむぐらいの傷を負っているのに、夫側に一切寄り添おうとせず、石や罵倒を投げる女性達に
上巻400ページを使ってこの作品は「人を殺していく殺人鬼を見るホラー」なのだなと諒解したわけだが、後半になるとなぜがその紙幅のほとんどが生徒側の視点に割かれることになる。
丁寧な前準備をしてきた「襲うホラー」からいきなり「襲われるホラー」になるのだ。
いままのでの前準備はなんだったのか、と。上巻をかけて行なってきた主人公とのシンクロを(共感能力がない主人公への共感も変だが)なぜ外すのか、と。言いたいですね。上巻の時点でも生徒視点はあったけどそれはまだ生徒対主人公の可能性があったので普通に読んでました。
それでもその襲われるホラーが面白かったのならまだいいのがだ、正直退屈である。普通な生徒たちの内面や人間関係に興味も面白さもあるわけもなく、また主人公との高度な知能戦をする作品でないことはわかりきっている。
結果、適度に混乱して焦燥し次々と殺されていく。主人公への崇拝描写などはまだしもバンドメンバーや音楽への想いなどを今更書かれても読み飛ばすし、犯人を殺すためにアーチェリーを持ち心を殺人に切り替えていく生徒にさほど関心は生まれない。結跏趺坐されても噴飯しか出ない。
また、前半から種を撒いていた主人公を疑う生徒側の主人公ポジの生徒たちも、前述したとおり物事の決壊は主人公がうっかり他の生徒に目撃されたからで、彼らが(「生じたリスク」にはなったが)主人公を窮地に追いやる、といった展開ではない。
生徒たちの末期の主人公とのやりとりは面白いが、やはりそれは日常で主人公の生徒だったという属性ありきで、騒動が起こってからの混乱ぐあいが作品の深みを増したとは個人的には感じなかった。無論客観的には増したと思われる。
(唐突におもいだしたがそういえば一番印象的なシーンは想定外の退学した元生徒を殺したときに残生徒数カウントを"減らすのを減らす"ではなく"増やしてから減らす"場面で、良かったですね)
また、そうした騒動のなかで作品の魅力であった主人公のコミュニケーション相手が不足することになりそこに幻聴・幻覚が現れ補っていく。ように見える。
意図的なのかどうなのか…こういう「はずし」は正直、つらかった。作品は楽しかったが、やはり下巻は読んでいて落胆を抱えたままだったのが正直な思いであある。
この作者の作品はほかに「新世界より」しか読んでいないが、どうもセックスを入れ込む、便利に使う作者なんじゃないかなと疑念をもってしまう。
セックスには支配が同居していて人々はそれを意識的にしろ無意識にしろツールとして扱っている、みたいなそんな感じな、だいぶ違うだろうが快感ありきのものとしては扱っていない感じがある。
まあそれはそれでもいいのだ。だけどその結果として本作でもセックスする人物が多く頭を抱える。
あきらかに性欲解消と支配・調教を同時にこなし生徒・教師含め過去現在沢山の女がいる主人公はもちろんとして
・主人公と関係しているが男子生徒とも関係を持っている養護教諭
といち高校内に絞っても多すぎる。
なんなら妻に不倫された教師が校長を脅迫して弱みを握っている関係も支配のセックスと言ってもいい。やってることは同じだからだ。
しかしそろいもそろって生徒に他人の妻にとわざわざ不貞な相手を選んでいるわけで。
みなさん読んでてげんなりしないのだろうか。
もはや女生徒の中で「"健全な"ウリ」をしている者がいないほうが不自然なほど、作者の手癖のようなものを感じてしまう。
セックスにそういう側面があることは否定しないが、ことさらに強調されても困るもので…。
特に主人公なんかはとにかく身近にヤれる、支配できる女を作ろうと虎視眈々している。
彼のような明晰な人物であっても性欲とは動物的な欲求であり自慰や風俗で済ます、と割り切ることはできない。コントロール可能と自信を持って身近かつ未成年にも手を出し体も心も支配していく。結果それが致命傷になるのに。
自分はわりと性欲に他人を巻き込むのが面倒な人間なので、他者への共感性が低い主人公が幼少期は別として今もってなぜ身近な他人を使うのか、性欲と支配を分けてそれぞれ処理しないのか不思議でならない。
日本の大学すらつまらない主人公にとって、他人に罪を着せ大金を得ることや殺人による人生の成功と同じぐらい大事・常に用意していたいものがセックスできる相手なのは奇妙だ。
となるとこれはセックスに強いメッセージ性があるということなのだろう。
まあ自分はそういうのに造詣が深くないのでうまく語れるすべがないのだけれど。
無知なサルが一言苦言申し上げさせていただくと、人の世には「ただただ性欲、ただただ愛のためだけのセックス」もそれなりにあると思いますので、バランス調整としてもっとシンプルな性愛を少数混ぜ込んでもらえると読んでいて助かるかなーと思いますはい。
この作品の象徴はカラスだと思われるが、カラスがなにを表しているのかは判然としなかった。こうなのかなと考察できそうな点はあるもののトリックのヒントぐらいはっきりとはかかれてないし、北欧神話に詳しいわけでもないし…。目の仇にしていたカラスを幻視するのは彼らしさではなく作品らしさだなーとか考えてた記憶がある。二匹だし。好意的だし。
着地点として表紙デザインで映えそうだからかな、ということにした。
子どもの泣き声が「不快」だと語る人たちは、自分がどれだけの特権の上に立って物を言っているか、自覚があるのだろうか。
自分の生活は中断されない。責任を背負わずに済む。感情の起伏を周囲にさらすこともない。
そんな環境を当然のように享受できるのは、子どもを持たない側の特権だということにそろそろ気づくべきだ。
そして、特権を持つ側がそうでない人々を「迷惑」と切り捨てて空間から排除しようとするのは一種の暴力だと思う。
力は行使しないけど、空間の“正しさ”を自分の尺度で決めつける構造的な暴力にほかならない。
…もしかしてなんだけど、子どもの泣き声が「騒音」にしか聞こえない人って、ケアをしたり、ケアを受けたりする経験が足りなかったんじゃないか(勝手なイメージだが文句言ってる人って男性が多そうだし)。
だから、泣き声が「誰かが必死に何かを伝えている声」だと、感じられない。
「自分の時間」「静けさ」みたいな自分だけの閉じた世界の中で生きてて、それを脅かすものを攻撃する。
「体験としてのケア」の欠如が、こういう人たちの共感能力の欠如や、他者への応答の下手さにつながっているんじゃないかと思う。
世の中の生理・妊娠・出産の苦しみを、男性に共有し、改善を促していくための説明が下手すぎてイライラする。
いくらそれらの痛さ苦しさを事細かに説明しても、伝わらん奴には伝わらんだろ。
貶すとかではなく、事実として想像共感能力には個人差があるんだから。
いいか、女。
例えば生理。
男に有り得て、近しい状況で説明するなら、月一で1週間ほど下痢が続く。
しかもその下痢はコントロールができない。バラムツを食った時のように、ケツから勝手に漏れ出てくるんだ。
うんこの臭いが漏れていないか、染み出ていないかが気になり不安。
シンプルに腹がずっと痛い。寝ていたい、トイレに篭もりたい、冷や汗も止まらない。
その状態を茶化されてみろ、病気じゃないんだからと諭されてみろ、そりゃあ不愉快だろ。
月1回下痢week。苦しいだろうよ。
10ヶ月強制便秘で、やっと出せると思ったらうんこがガチガチに固い塊になっててクソ痛え!
その後も、出したうんこがデカすぎて、強烈な切れ痔という後遺症がある!
とかさ。
これに関しては経験したことがないからいろいろ足りてないかもしれない。
そうだったらすまない。
女の生涯の障壁である毎月の下痢week、10ヶ月の強制便秘とその後の排便が、
とりあえず、矯正便秘はなんかこう、クローン作る時のカプセルみたいなのでなんとかする方向に世の中動いて欲しいなあ。
そうしたら不妊問題も、女性昇進問題も、いろいろ改善されそう。
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ハンマーだのスイカだの、そんなの人生で経験する方が少ないだろうが。
実際の苦痛に及ばずとも、多数の人間が経験したことがあり、想像しやすく共感を得やすい症状がうんこだって話。
10ヶ月の便秘が妊娠出産よりは楽だとして、ダンプカーが近しい例えだとして、どっちが痛みを想像しやすいよ?
金玉どうこうも、女には金玉が無く、その痛みがわからないため例えとして不適正。
そういう所ばかりうだうだ言ってる女が多いからいつまで経っても伝わらないのです。
近年、インターネット上で「メシウマ」と「シマウマ」の混同が見られる現象が観察される。
本報告では、この二つの概念が持つ生物学的特性と文化的背景を多角的に分析し、その本質的差異を明らかにする。
両者の差異を理解することは、現代社会における言語の進化と生物多様性の重要性を認識する上で極めて重要である。
シマウマ(学名:Equus spp.)は奇蹄目ウマ科に属する哺乳類で、現在3種が確認されている。
分子系統解析によれば、シマウマはウマ属においてロバの系統と近縁関係にあることが明らかになっている。
この事実は、外見的類似性にもかかわらず、家畜馬(Equus caballus)との遺伝的距離が大きいことを示唆している。
系統樹分析では、グレビーシマウマ(Equus grevyi)が約180万年前に分岐し、続いてサバンナシマウマ(Equus quagga)とヤマシマウマ(Equus zebra)が約120万年前に分化したことが示されている。
この進化的分岐はアフリカ大陸の気候変動と植生の変化に対応した適応放散の結果と考えられる。
シマウマの縞模様は黒色色素細胞の分布パターンによって形成される。
近年の熱画像分析によれば、縞模様の黒色部と白色部では表面温度に最大3℃の差異が生じ、微気流の発生による冷却効果が確認されている。
カリフォルニア大学の研究チームは、縞密度と生息地の気温に正の相関関係があることを実証した(r=0.78, p<0.01)。
吸血性昆虫忌避効果については、縞幅2.5-5cmのパターンがツェツェバエ(Glossina spp.)の偏光視覚を混乱させる機序が解明されつつある。
実験的検証では、縞模様を施した模型馬では吸血率が75%減少することが確認されている(n=120, χ²=34.56, p<0.001)。
メシウマという表現は「飯が美味い」の略語ではなく、「他人の不幸で飯がうまい」という反語的表現に由来する。
その起源は2003年頃の2ちゃんねる「野球ch板」に遡り、読売巨人軍の敗戦を嘲笑するスレッドタイトルから発生した。
当時の投稿データ分析によれば、このスレッドは72時間で1,200以上のレスポンスを集め、ネットミームとして急速に普及した。
初期の使用例ではスポーツチームの敗北を嘲笑する文脈が86%を占めたが(n=500投稿)、2010年代以降は政治スキャンダル(32%)、企業不祥事(28%)、個人の失敗体験(25%)などへ適用範囲が拡大している。
特に注目すべきは、2020年代に入り「自己の利益獲得」を意味する肯定的用法が15%出現した点である。
例えば、投資利益や転職成功を「メシウマ案件」と表現する用例が観察される。
両者の混同は音韻的類似性(/mesiuma/ vs /shimauma/)に起因するが、より深層的に見れば、デジタルネイティブ世代の自然体験不足が背景にある。
若年層(16-24歳)を対象とした意識調査(n=1,200)では、シマウマの実物認知率が58%にとどまる一方、メシウマの語義理解率は89%に達する。
メシウマ現象はシューデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ心理)のデジタル時代における表現形態と言える。
一方、シマウマの縞模様研究は生物多様性保全の重要性を再認識させる。
例えば、グレビーシマウマの個体数は過去40年で75%減少し、現在は2,500頭以下と推定されている。
この危機的状況は、インターネット文化が現実の生態系問題から注意力を逸らす負の側面を示唆している。
生物学教育においては、シマウマの生態的地位(ニッチ)と適応戦略を重点的に指導すべきである。
具体的には、縞模様の熱力学モデル(黒部の吸収率α=0.95、白部の反射率ρ=0.85)を用いた数値シミュレーション教材の開発が有効である。
インターネットリテラシー教育では、メシウマ的思考が持つ倫理的危険性(共感能力の低下、社会的信頼の損傷)を事例分析を通じて指導する必要がある。
本考察により、シマウマが生物進化の驚異であるのに対し、メシウマはデジタル社会の病理的現象であることが明らかになった。
「偉い人は下げるべきタイミングで頭を下げ、許しを強要すべき場面で土下座をするのが仕事」
まさにコレなんだわ。
偉い人の役割ってのは、相手から許しを引き出すための殴られ屋。
会社全体のビジネスや不祥事の話だったものをいつの間にか「目の前に居るオッサンが可愛そうだから許してやるか」という個々人の情の問題にすり替えてしまう。
恐ろしい技術だ。
はてなにいるような人たちはアスペルガー的傾向が強いからこういうの全然理解できないかもだけど、普通の人はこういう態度を取られるとミラーニューロンがバチバチ刺激されてどうにも許してやりたくなってしまうものなんだな。
あーいやはてなの連中でも氷河期の可哀想話だけは共感するのか。
じゃあ共感能力が低いんじゃなくて単に想像力が低いだけっぽいな。
うんまあとにかく、偉い人が10時間半ぶっ通しで会見するっていう拷問を勝手に受けるのは効果があるんだよ。
でもこんなのに騙されちゃ駄目だぞ。
結局のところ、こいつらはたった10時間取り調べを受けたというだけのことで、自分たちの10年以上の罪を少しでも軽く出来ないかとマゴマゴしてただけなんだから。
許しちゃ駄目だ。
『好きになってもらう努力』は催眠アプリ的技術ではないと思う。
人心掌握術とかマインドコントロールの手法とは違うでしょう。
失礼ながら、コメント欄のざわつきが気になるので、勘違いの少ないうちに早めに釘を刺させてもらいます。
言及先のツイッタラーさんのことは知らないし(おそらく問題ないと思う)、勘違いしてる人たちへの一般的なアドバイスね。
それが大事かと。
相手を尊重した上で理解を示せるような、同情および共感能力、精神的な広がり。
性的役割に囚われずに、パートナーをケアできる、影で支える優しさ。
生活の上で心理的なノイズを与えないように、最低限女性と同じレベルの清潔感を備える配慮。
背中を預け合う相棒を、支配欲のアテにして道具として消費する身勝手さとは無縁な、平等性・安心感。
「人間劇場は聞き飽きた」「もっと抽象数学を語れ」と叫ぶ割に、結局その数学や超弦理論を深く語れるわけでもなく、有名な話(フェルマーの最終定理、超弦理論)を並べているだけ。
エドワード・ウィッテンやリサ・ランドールの名前を出して「高尚だ」と悦に浸っているが、結局は他人の偉業に乗っかって自分もその一部にいる気になっているだけでは?
「くだらねえ」と他人の日常を切り捨てることで、自分の価値を証明しようとしている。しかし、抽象数学や超弦理論にどれだけ触れたことがあるのか?自分自身が「くだらない」と切り捨てている日常から抜け出せない苛立ちを、他者に投影しているだけだ。
「数学の美しさ」「宇宙の真理」などと言葉を飾り立てるが、本当にその領域に踏み込んだ経験があるのか?美しさや深遠さを理解するには、膨大な時間と努力が必要。それを実践するどころか、「俺は知ってるぞ」と言いたいだけの表面的な知識の羅列に終始している。
恋愛や仕事の愚痴、家族の問題を「くだらない」と一蹴する姿勢からは、他人の苦労や感情に対する共感能力の欠如が露呈している。他人の悩みや喜びをくだらないと見下すのは、自分がそれ以上の価値を提供できないからではないか?
5. 「目を覚ませ」て欲しいのは自分自身
「人間の可能性は狭い世界では収まらねえ」と豪語するが、実際に自分が挑戦している形跡が見えない。自分がその「狭い世界」に囚われ、苛立ちを周囲にぶつけているだけでは?真に目を覚ますべきは、他者ではなく、自分自身だ。
総括
この人物は、自分が特別な存在だと思い込みたい一方で、その証明ができないことに苛立ち、周囲を見下すことで自尊心を保っている。高尚な話題を語る自分に酔いしれ、日常の平凡さを否定することで、自分が平凡である現実から目をそらしているに過ぎない。結局、壮大な知識や宇宙を語る割に、足元に転がる小石一つも動かせない無力さを抱えた、典型的な理想主義者の姿が浮かび上がる。
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