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「先天的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 先天的とは

2025-05-23

anond:20250523193653

 返信ありがとうございます。また身を案じてくださり重ねて感謝します。

 恥ずかしながら私は幼少期や学生時代奇行が目立ち、先天的ADHDである可能性が高いのですが、親との関係性も悪く(本人はそう思っていない様子ですが)、また物心つく前後から両親間のケンカ日常的にあり、「放任主義」という名の放置子であった記憶があったりと、生育環境問題があり、それがADHDをより拍車をかけたと今になります思います

 一応先生には診断前に愛着障害統合失調症可能性を伝えた上でADHDと下ったので、そちらを信頼することにしています


 愛着障害大人には適用されない、というのは初めて知りましたら。その上で、もしかしたら本来分けて治療をするべきなのでしょうが、現時点の投薬治療視野狭窄が解消されたり、性依存飲酒癖が治まったり、その他日常生活の出来ないこと出来るがストレスがかかることが、出来るようにまた楽に出来たりと生きづらさに大きく改善傾向が見られるため、このままの治療を続けていきたいと思います



 もちろん、よりよい方法発見されたり、また保険適用負担少なく試せるのであれば是非ともやってみたいと思いますので、今後の医療医学の発展と発達、またこれらの障害について世間に正しく周知されることを併せて祈るばかりです。


 これまでの失った時間は取り戻せませんが、残りの人生、持てなかった希望を持って生きていきたいと思います

2025-05-20

ジークアクスオメガバース

はじめに:本文は「なんでも許せる人向け」となります

筆者は腐向け文化に疎く、オメガバースに関しても各種webページで調べた程度の知識です。そのため、文章中に各種誤りがある可能性がございます申し訳ありませんが、その旨をご認識の上で本文はお読みいただけますよう、お願い申し上げます

また、本文は特定人物同士の関係性を深く掘り下げる意図は含んでおらず、あくま思考実験としての範疇を出ない領域となります。そのため逆カプなどの解釈違いが発生する可能性がございますが、そういったものを擁する・排する目的はございません。こちらもあらかじめご了承ください。

改めてとなりますが、最初に記してあるよう「なんでも許せる人」となっております。あらゆる解釈に対し否定批判意図は一切含んでいないということを踏まえた上でお読みください。叩かないで…!ゆるして…!

オメガバースについての軽い説明

オメガバースとは、主に二次創作に用いられる架空性別社会構造を持つ設定である登場人物アルファベータオメガ三性に分類され、オメガ性別関係なく妊娠可能であり、発情期(ヒート)といった独自生理現象を持つ。番(つがい)と呼ばれる運命的な絆や、支配・被支配関係性が描かれやすく、特にBL作品で人気を集めているが、近年は異性愛百合にも広がっている。

pixiv百科事典オメガバース」より要約)

ジークアクスは「オメガバースではないか」という理論

結論から述べるが、マチュが「アルファ」であり、ニャアンが「よくできたベータ」、シュウジガンダム・クアックス(以下クアックス)が「オメガである

では、以下にその理由説明していく。

まず、六話までの話を通じ、それぞれのポジションは現状こうなっていると予想する

これらの要素からジークアクスという物語は、オメガの側を求めるアルファと、気の利かないベータ三角関係物語であると考える。

場所という「オメガ

シュウジだけ、またはジークアクスだけをオメガとしないのはなぜか?

シュウジの隣に居られれば良いというわけでもなく、ジークアクスに乗れれば良いというわけでもなく、「シュウジのマヴ(=ジークアクスに乗った、パイロットとしてのパートナー)」というポジションに居られるということが、彼女たちにとってのオメガであると考える。

ガンダム・クアックスとはなにか?

オメガサイコミュを持つ、「特別モビルスーツである。現状、このオメガサイコミュを機動させられたのはマチュ、ニャアンの2名のみである。エグザべにできず彼女たちにできたのは「感情の強さ(覚悟の差、とも言える)」の違いではないかと考える。ここはアルファオメガというよりもティーンエイジであることが大きい。

現状、シュウジのマヴという「居場所オメガ」を構築する最大の要素=戦闘力であり、「てシュウジとともに戦いの中でキラキラを追いかける」という行動をするために絶対不可欠なものである。それゆえに、これもまたアルファを狂わせる一つの要素として、オメガではないかと捉えている。

キラキラアルファオメガ

アルファオメガけが通じあえる共通言語が「キラキラであると考える。いわゆる「アルファを引き付けるフェロモン」であり、オメガを追いかける理由こそが本作におけるニュータイプ性=キラキラを見られる感受性ではないかと考えている。

キラキラ」は現状、ニュータイプならびにそれに近しいものしか感じ取ることのできない要素であり、常人には理解できない。この特別性もまたオメガバースとしての特異性ではないかと思う。

マチュについて

まれた家庭に生まれ、両親(現状母親しか姿は見えないが)の期待を一身に受けて育った一方で、先天的ニュータイプから地軸とのズレやコロニーの閉塞感というものを感じており、「自由」というものへの強い憧れがある(本編中、「宇宙って、自由ですか」と発言もある)

進路に関しても、おそらく彼女自身に「ほんとうにやりたいこと」などないのだろうが、回りや親からのすすめもあり、焦りやいらだちというものを感じていたのではないかと思われる

その最中出会ってしまった、マチュとクアックスという「オメガ」によって、彼女人生は大きく狂わされ、そしてまたそのオメガに強く執着を示しているように思える

ニャアンについて

戦争難民であり、両親も(おそらく)居ない。軍警と過去にやり合ったりしていることから、おそらく身分存在するのだろうが、相当に迫害されているものと思われる。ただし、こうした出自に対して彼女自身は驚くほどに落ち着いているように見られ、受け入れているか諦めているかのどちらかではないかと考えられる。

また、ニャアンが見たものは「キラキラ」ではないのか?という点についてだが、諸説あると思うが本文(6話終了時点・7話開始前)では「キラキラではない」と定義する。あくまで高い感情の昂りによりそれに類似するものを見た、ないし入口に到達した程度であり、ニュータイプとして覚醒したとはいいづらいのではないかと思っている

彼らのオメガバースについて

マチュは「私の居場所を奪わないで!」と本編で叫んだことから自由場所を強く切望している。だが、5話でニャアンが取った行動は、マチュから侵略的な行いに見えた。ニャアンはおそらく、みんなの居場所を守りたいという気持ちだけだったのではないかと思う。

そしてシュウジはおそらく「なにも考えていない」。ガンダムが言っているように、彼は求められるがままに動いているにすぎないのだ。

このいびつ三角関係が7話、そしてそれ以降でどうなるかで、このオメガバース論がどうなるかが決定づけられると考える

結びに

「赤いガンダムって型番アルファで、ガンダム・クアックスって型番オメガなんだぜ。あれ、なんかアルファオメガって同人文化であったよな」というだけの出発点です。知人に話したところ、オメガバース知識による補強を受け、上記のような結論に至りました。笑ってください。

ここがおかしい!とかあそこが間違ってる!とかあれば、各自激論を展開していただいて構いません。なぜなら、この話事態があまりにも荒唐無稽な与太話なのですから

anond:20250520115617

知能検査のばらつきは男性のほうが大きいが、

それが先天的ものなのか後天的になものなのかはわからないし、

男女の大学進学率の差がそれで説明できるわけでもない。

ファーウェイが初の独自OSパソコン キーボード部分も全面有機EL

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM198JT0Z10C25A5000000/

Harmony OSPCでも使うのか

Linux, Windowsは長い歴史と実績を持つOSです

もし現代に0からOS作成する場合、これらのOS技術負債欠点を教訓として設計するならどのようなものが考えられますか?

1. どんな「負債欠点」を教訓にすべきか

観点Linux で顕著 Windows で顕著 共通課題
カーネル構造 巨大モノリシック + 常に ABI が流動的(外部モジュール苦労) 歴史的にモノリシックに近く高密度・複雑 信頼境界が広く、脆弱性権限昇格に直結
安全性Unix-型「ユーザー/グループ + SUID」が限界ACL/SID が複雑化・分散 “一発 root/SYSTEM” を許すモデル
ドライバOSS/ベンダ混在・署名不足・上流統合負担 内部 API 長期固定の重荷、古い HW サポートが尾を引く カーネル空間に巨大コード
更新ディストロごとに仕組み相違、再起動依存 累積パッチ巨大・Reboot 必須 取替え可能性 ≈ 可用性低下
ユーザー空間バイナリ互換よりソース互換優先で「壊れやすい」 DLL Hell / COM 登録 Hellグローバル名前空間汚染
設定管理 /etc + 点在 config形式権限バラバラ Registry 巨大モノリス → 腐敗 アトミックではない変更が多発
開発プロセスメーリングリスト文化レビューボトルネック 閉鎖的で古いコード維持不可避 純粋モジュール性が欠如

2. “もし今ゼロから作るなら”──設計原則

それぞれのデメリットをあげてください、古いOSでなぜそうなっていないのか?

最小特権 & 分離徹底

マイクロカーネル(あるいは hybrid microkernel)+ ユーザー空間ドライバ

カーネル定義の “secure capability” ハンドルのみを他プロセスへ授与。

seL4 や Fuchsia の Zircon が示す「検証可能サイズ」を目標に。

観点デメリットOS採用しなかった背景
性能 コンテキストスイッチIPC が頻発し、90 年代 CPU では大きなオーバーヘッドハードウェア性能が不足し、リアルタイム性やスループットを優先した結果、モノリシック構造に。
実装コストOS サービス分散し、デバッグトレーシング煩雑 完全分離を行うツールチェーン/デバッガが未成熟だった。
ドライバ移植ユーザー空間化で ABI は安定するが、低レイテンシ要求デバイスGPU など)の処理が難しい。 当時は “音声が途切れる” 程度でも市場競争力を失うためカーネル内に残す決断

メモリ安全言語によるカーネル実装

Rust や Zig のような safe systems 言語

C 部分は必要最低限に隔離し、unsafe 領域形式検証 / fuzz 前提。

デメリット 背景
ランタイム負荷 言語ランタイムを最小に削る必要があり、一部 unsafe が不可避。 70〜90 年代は C 以外に bare-metal 向け安全言語事実上存在せず。
コンパイラ信頼性 コンパイラ自身の欠陥がカーネル欠陥に直結。 自己ホスト安全言語を実機に載せる環境が不足。
学習コスト OSS/商用エコシステムが C 前提で巨大。 ドライバサンプル・書籍人材C/C++ に集中していた。

厳格に固定した “外部” ABI / 柔軟な “内部” API

外部インタフェース(syscall, driver ABI)は長期安定。

その裏で内部サービスは gRPC/FlatBuffers 相当の IDL で世代管理し交換可能

デメリット 背景
進化速度の拘束 ユーザ空間から見える syscall を変えにくい。 MS-DOS 互換Unix 互換という既存ソフト資産が最重視された。
バイナリサイズ肥大世代 ABI を残すため “脂肪” がたまるストレージ単価が高く「後方互換より容量削減」が優先された時期が長い。

ユーザー空間サンドボックス前提

アプリ原則 container-like sandbox(Wasmtime, OCI など)で実行。

ファイルシステムper-app の仮想 Namespaces、権限委譲は capability passing。

デメリット 背景
複雑な権限委譲 ファイルダイアログすら Capability 伝搬を要し、開発者負担単一 PC単一ユーザー” が前提で、砂箱の必要性が薄かった。
互換レイヤ 既存ネイティブアプリ仮想化するとパフォーマンス低下。 RoM の小規模ゲームですら速度が死活問題だった 80~90 年代

イミュータブル/スナップショットベース更新

A/B partition や OSTree 型 “全イメージ” 交換。

任意時点へ atomic rollback;カーネル更新Live-patchable。

デメリット 背景
ストレージ消費 OS イメージを常時二重に保持。組み込みでは致命的。 HDD が高価・遅い、SSD がない時代には非現実的
アップデート粒度パッチ配布より帯域を食う。 ダイヤルアップ回線CD リリースが主流で “差分パッチ” が合理的だった。

宣言的 & トランザクション設定ストア

systemd-や Kubernetes-風の “状態 = 宣言” を1か所に。

変更は ACID 保証付き、署名監査ログ付き。

デメリット 背景
学習曲線 既存の `vim /etc/xxx.conf` 流儀や regedit から大きく変わる。 管理者層が “設定=テキスト or レジストリ” に慣れ切っていた。
複雑なマイグレーションサービスが同時に対応しないと一貫性が壊れる。 OSS は分散開発で統一仕様を打ち立てる強権がなかった。

ドライバ配布 = WebAssembly あるいは eBPF-like バイトコード

安全ホットロード可能カーネル ABI に非依存

ベンダーは署名した “driver capsule” をリリースするだけ。

デメリット 背景
パフォーマンス JIT / interpreter を挟むぶんネイティブより遅い。 当時 JIT 技術が未成熟で、リアルタイム I/O を捌けなかった。
ハード依存 API DMA や割込み抽象化が難しく、結局 “逃げ” でネイティブ部が残る。 OS ではベンダアセンブリ最適化差別化していた。

一貫した並行・リアクティブモデル

ユーザー空間 API は async/await; カーネルメッセージ転送中心。

NUMA・GPUFPGA などヘテロ資源を first-class に。

デメリット 背景
コード複雑化 async/await で “状態機械” を書けないとデッドロックを誘発。 90 年代シングルコア前提で同期 API が単純・高速だった。
デバッグ困難 スタックトレースが非同期に飛び、ツールチェーンが未整備。 OS デバッガ/プロフイラプリエンプティスレッド中心に設計されていた。

セキュリティ = デフォルト有効強制アクセス制御

Capability + Labels (MAC) + Hardware root-of-trust (TPM, DICE) を統合

初期セットアップ自動・鍵生成、リモート検証を容易に。

デメリット 背景
ポリシー設計負担 SELinux でも “設定が難し過ぎて結局無効化” が多発。 当時はネット接続率が低く、ローカル攻撃ベクトルリスク認識が薄かった。
互換問題 古いアプリが過剰特権要求し、制御有効にすると動かない。 商用ソフト対応を優先し無効化せざるを得なかった。

ビルド/配布 = リプロデューサブル + SBOM

すべての公式バイナリは reproducible build エビデンスと SBOM 付与

脆弱性スキャンと revocation を OS レイヤ自動化。

デメリット 背景
ビルドパイプライン整備コストパッケージbyte-identical に再現するにはツール統制が必要オープンソース文化自体黎明期で、ビルド環境標準化する動機手段希薄
秘密ロジック公開の葛藤 一部ベンダソースハッシュ公開を嫌がる。 IP 保護が優先され、署名のみ・SBOM なしがデファクトだった。

3. 具体的なアーキテクチャ案(ハイレベル

User Apps (Wasm / OCI  Sandboxes)
-------------------------------------
│ Capabilities
▼
Services ──▶ Driver Svcs(user-space)
(Pkg, GUI, FS)
-------------------------------------
│ syscalls = message send / recv (stable ABI)
▼
Microkernel ~100 kLoC, memory-safe
(sched, vm)
-------------------------------------
│ Secure IPC (SMC / VTL)
▼
Hypervisor(optional, for legacy guests / composable sandboxes)

Legacy Compatibility は Type-2 ハイパーバイザで提供し、歴史API隔離

UI Stack もユーザー空間サービスとしてホットリロード可。

Policy EngineJSON/YAML 宣言バイトコードへ compile、ランタイム適用

4. 開発・ガバナンス面の学習ポイント

教訓 OS プロジェクトでの対策
Linux: 大規模パッチレビューパンクする GitHub PR + 公式 LTS gatekeeper、CLA & コーディング規約機械検証
Windows: Close-source で内部知識が属人化 100% open-design、Spec⇄Impl 双方向ドキュメント自動生成
両者: “一社主導 vs 実質無政府” の二極端 財団モデル (Rust, Cloud Native) で技術運営と商用版の両輪

5. まとめ — “現代OS” のキーワード

  • Memory-safe microkernel
  • Capability-based security
  • User-space drivers / eBPF & Wasm extensibility
  • Immutable, transactional updates
  • Reproducible builds with SBOM
  • Declarative state management
  • Built-in container & virtualization stack
  • Formal verification for critical paths

これらを先天的に組み込むことで、Linux/Windows が数十年かけて抱えた技術負債(巨大特権領域ABI拘束・設定の散逸更新の非原子etc.)を回避しながら、クラウド・エッジ・IoTAI アクセラレータ が混在する 2020-30年代以降の計算環境に即した OS が実現できます


大過ぎる・・・

国家プロジェクトれべるだわ

中華新世OSを期待だな

2025-05-14

性分化疾患DSD)」と「性同一性障害」の違い

【1】定義の違い

項目 性分化疾患DSD性同一性障害性別違和
------ ------------------------------------------ ---------------------------
概要先天的な性分化染色体・性腺・性器など)の発達異常 自身性自認が出生時の医学性別と一致しない状態
英語名 Disorders (Differences) of Sex Development Gender Dysphoria
主な問題領域解剖学的・遺伝学的な身体の性の曖昧心理的性別への違和感苦痛
主な関与分野 小児科、内分泌科、泌尿器科遺伝医学精神科心理学ジェンダークリニック

【2】診断基準の違い

性分化疾患DSD)の診断基準

DSDは以下のように分類され、染色体型と外性器形態により診断されます2006年シカゴコンセンサスによる分類)。

◆ 主な分類と例:

46,XX DSD女性染色体男性化(例:先天性副腎過形成

46,XY DSD男性染色体女性化(例:精巣女性症候群アンドロゲン不応症)

染色体異常DSD:XXY(クラインフェルター)、XOターナー)など

◆ 診断のための検査

染色体検査(karyotype)

ホルモン測定(テストステロンAMHLH、FSHなど)

画像検査エコーMRIで性腺や内性器確認

遺伝子解析

性同一性障害Gender Dysphoria)の診断基準

現在DSM-5(米国精神医学会)およびICD-11WHO)で「Gender Dysphoria(性別違和)」と定義されます

DSM-5による診断基準(成人):

以下のうち2項目以上が6か月以上持続し、社会的職業的機能に支障をきたすこと。

出生時の身体性別と一致しない性別に強くなりたいという欲求

反対の性役割を担いたいという強い欲求

反対の性である他人から扱われたいという強い願望

自分の一次性徴/二次性徴に対する強い嫌悪感

他の性の一次性徴/二次性徴を持ちたいという願望

自身の性に対する強い不一致感

心理的苦痛社会的障害が生じていること

【3】重要な違いのまとめ

項目 性分化疾患DSD性同一性障害性別違和
----- ------------------------- -----------------------
問題本質身体の性分化医学的異常 性自認身体的性との不一致
診断時期 新生児~小児期が多い 思春期以降に気づく例が多い
診断手法染色体ホルモン解剖学評価精神科的問診・評価
対応 内分泌・泌尿器・小児科精神科心理療法ジェンダー医療
社会的対応医学的性の決定と治療(性腺摘出やホルモン療法含む) 社会的性移行、ホルモン療法、外科性別適合手術

DSDあくま身体的・先天的な性発達の異常であり、性同一性障害とは独立した疾患概念です。

anond:20250514233225

2025-05-11

書かないと覚えられないプログラマーわい、コード生成AI時代に無事死亡

世の中的には生成AI要件伝えて生成させたコードコピペして動かして「はい生産性爆増!」っぽいけど、生成AIが吐き出したコード読むだけじゃ全然分からん

Clineで使い慣れた言語フレームワークコードを生成させたら見たことがないエラーが出て面食らった。

原因はフレームワークのnewコマンド自動生成される設定ファイル全然違う書式で書かれてた。

(どうやら遥か昔のバージョンだとその書式だった模様)

GitHub CopilotやCursorだったら確認しながらtab押してくからこれなら予測変換みたいなものだし大丈夫だろう、おお便利便利……

と思って使ってたのだが、テストするとデータ作成時にフィールドに抜けがある…。

確認したらPOSTするJSON存在しないkeyが含まれてた。それっぽい名前サジェストされてそのままtabを押してしまったらしい。

手動でテストしてたから助かったが、この手の外部API使って更新する系はテストモックしてたりするので危うく本番障害になるところだった。

それこそ特にこれまで触ったことない言語フレームワークツールを使ったコードを生成AIに吐き出させてもさっぱり分からん

読むだけだとさっぱり分からないので結局生成されたコード写経しながら、分からないところをググったり生成AI質問したりでやってるんだが、まあコピペ勢が40秒でPR上げてるところを、2時間・3時間とかけてるからまあ生産性が悪い悪い。

から書かないと覚えられなくて、学生時代テスト前は過去問解く前にまずは授業中に取ってたノートをとにかく写経してた。

なんてか書かないとメンタルモデルが出来ない。

友人からは「過去問だけやって、よく分からなかったとこだけ該当部分をノート見れば分かるじゃん」と言われたが分からないのでしょうがない。

(ちなみに友人の見るノートは俺が貸したノートだ)

あとプログラミングだけじゃなくて、議事録最近Zoomとかが自動生成してくれるようになった。

が、こいつがとにかく俺と相性が悪い。

これまでは自分会議中に議事メモを書いて、終わった後に手直しして論点ToDoをまとめてたので会議の流れややるべきことが頭というか体に入ってきてた感じだった。

それが自動生成されるようになって、確かに時間はかからなくなったかもしれないが、流れとかやることとかが全然頭にも体にも入ってこなくなってしまった。

議事録については結局自分用にメモを取って、あとで自分用に論点ToDoをまとめるというのをやってるが、正直会から見ると「生産性が低い奴」なんだろう。

おそらく元々読めば理解できるタイプ、それこそ教科書を何回か読めばテストで点を取れるタイプコード生成AI時代に大活躍できるのだろう。

あるいは今後出てくるコード生成AIネイティブ世代は書かなくても理解できるのが当たり前になったりするのだろう。

……いやそんなことあるか?

これそもそも生成AI以前から「手を動かさなくても公式のREADME読めばすぐ使える」みたいな能力で、そんな奴ごく一部だろう。

教科書何回か読めばテストで点が取れるのも塾行かなくても東大合格できるみたいな特異点みたいな人間だろう。

これまでは結局のところ人海戦術で各言語フレームワークなどを理解して、大量に書く必要があったから書かないと理解できない俺のようなオールドタイププログラマーになれた。

しかし今後はコード生成AI言語フレームワーク理解しててすごい勢いでコードを生成してで生産性は爆上がりするから、読めば理解できるニュータイプしか生き残れないのかもしれん。

それこそビル・ゲイツ氏はExcelレビュー時に仕様書500ページを読み込んで1900年閏日問題について的確に指摘したり、岩田聡氏は任天堂取締役室長時代に週末でNINTENDO64グラフィックスチップ制御命令コードを完成させたりしたそうだ。

そういった人ならコード生成AIが出したコードについても目grepで瞬時にバグを見つけて直して爆速リリースとかできるのだろう。

……凡人には無理ゲーすぎるな。

なんてか、最初は教訓的に

良い子の諸君!書かないと覚えられないと詰むから、読んで覚える力を強化したほうが良いぞ」

的なことを着地点で考えてたけど、これもはや地頭が良いとか先天的ニュータイプしか生き残れないやつや。

生成AIコードを産むなら、みんな死ぬしかないじゃない!(読んで覚えられる)あなたも、(書いてしか覚えられない)私も…(錯乱

2025-05-06

anond:20250506090355

社会的弱者っていうのは社会の枠をつくってるんだよ

社会が認める人間基準のもの

たとえば日本だったら人間からまれた肉塊が生命活動を維持していたら人間

その基準があるものはみんな人権があって保護しないといけない

国がお金を出すのは個人管轄を超えて国単位基準としているか個人の都合を優先しない

などは、たしか問題を抱えた本人の助力や救済になっている面もおおきくある

よく「それがもし自分になったらどうする」という話をされるところだけれども一生そうならない人は多い

一生福祉関係ない人が福祉支援をする必要があるのはなぜかと言うと

福祉によって賄われている社会機能を利用しているか

エレベーターエスカレーターなんてものは足腰を鍛えるのに階段を推奨したほうがいいしコストも低いので階段を楽にあがれるようにしてやる必要なんてない

風呂の取っ手やあけやすい缶とか、もちやすい袋とか電動モビリティなんかも、マラソンしたほうが健康にいいしコストも低い

それらは健康人間怠惰で不健康になるために作られたわけではない

けれども健康人間が率先して支払いをして使うものでもあったりする

数をあげれば楽になるもの技術的なものいくらでもあるし、むしろ弱者のために用意されたものばかりで便利のほとんどは埋まっている

ふつう一般能力を備えた人間むけのサービスばかりにするとコストは大きく下がり生産は高められる

賞味期限は倍になるだろうし安全機能のための成分や構造の組み入れは半分にできる

合わせる事ができない人たちはそれらの製品を消費することができなくなり売り上げは減っていく

一定基準を満たす人たちだけが消費し、生産していけばいい

そうすると社会が分断され結果どういう事が起こったかというのは日本にも海外にも例が多くある

分断された社会を作った結果はうまくいった例というのは全くない

この分断を起こさないため、両者がWin-Winになるためには誰かがコストを支払わないといけない

それは誰だと言えば、社会形成していて分断を望まない国だったり、誰がと決める事で負担を集中させないために税金でまかなったりする

否定思考ストップさせて否定したいた単語に「ダメだ」とか「不要」とかつけるだけでいい

福祉ダメだ」とか「福祉不要」と言うだけで対象と行動の指針は言葉が出来上がってしま

でもその逆の「福祉有益」とか「福祉必要」はこの言葉だけでは理解ができない

簡単で単純なもの理解できずに使えるという事全般は、使用者本人が短期的な目的を達成するためだけには有用だけど結果望まない不利益を呼ぶことになることが多い

思考をせずに口からすぐに出せる言葉を出すときには、ほかの人が言っている場面を記憶から探して見かけないようならおそらく差し引きの結果選択されていないのではと思われる

野生動物を狩って土で作った家に住んでいる国だってあるわけで、日本効率化を考えれば福祉を省けばそうやって成り立たせることもできるかもしれない

けれど現在のこの状態選択しているのはこの国であって、個人がそれ以外を望むのなら違う国を選ぶという選択肢もある

福祉健康安全に金を払うから無駄手取りがすくないためそれを省いて金がもらえる国に行くという選択もできる

現在この国にいる弱い国民はみなそんな生死をかけた戦いを日々乗り越え大金を手に入れ強靭であるべき修羅たちである、とはなろうとは思っていないというだけだろう

修羅自分の強さを誇るのなら修羅の国に行くのが最適でしょう

ソシオパスサイコパスは無理

機能問題先天的なテイカ思考の人は私の理解できる範疇を超えてる

一緒に仕事するの無理

事例 他の作業者の都合を考えず早く来てスペース占拠、で、やることなくてぼーっとしてる 邪魔

他人自分仕事を当然のように押し付けようとするテイカー。

で、自分は暇でずーっとおしゃべり

こう言うのは逃げるか徹底的に境界を明確にして自衛するしかない。

私の事例では二つあった。

2025-04-19

小児性愛者って「ある意味」かわいそうだと思う

※まず最初に言っておくが、自分小児性愛者ではないし小児性愛気持ち悪いって感覚もなんとなくわかる。そして、子供健全な発達のために色んな規制必要性がある、ってのも十分わかる。

自分も以前まではなんとなく気持ち悪いわくらいにか考えてなかったんだけど、最近一周回ってかわいそうだと思うようになってきた。だって小児性愛って、「異性が好き」 「同性が好き」 「両性とも好きになる」と同じように、性的指向の1つに過ぎないわけだ。我々が生まれつき(先天的に、といった方が正しいか?)そうだったように、彼ら・彼女らもそうだったわけで、自分意思努力で変えられるような代物ではない。

そして、現在では、LGBTQという言葉人口膾炙して、そうした性的指向の方々の権利尊重しようというのが社会の潮流になっていることは誰もが認めるところだ。にもかかわらず、こと小児性愛という性的少数者カテゴリーに対する視線というのは、少なくとも日本社会においては前記の潮流とは全く真逆のように思える。

ただ、やはり未成年に関しては真意に基づく同意があるかは疑わしいし、判断能力が未成熟未成年者が食い物にされてしまうことを防止するっていう反対利益が大きいから、小児性愛社会的に許容することはできないと思う。

それも含めて、「ある意味」かわいそうだと感じてる。

2025-04-18

ワイ仕様書抜粋

【1】知性とは“態度”である再構成・観察ベース

命題

知性とは、性質(character)や能力(ability)ではなく、“賢くあろうとするという態度”として観察されるものである

これは主張ではなく観察であり、多くの人が「賢い」と認識する振る舞いには、能力よりも一貫した態度が伴っている。

■ 背景的観察:

高学歴・高IQ・専門知識を持つ人物でも、

 → 専門外に安易言及したり、陰謀論を繰り返すような言動をとれば、知的に信頼されなくなる。

• これは、能力否定されているのではなく、「知性を律する態度がない」と判断されるからである

• よって、知性とは能力ではなく、「出力の選択制御を伴う内的態度」として扱われていることが分かる。

■ 態度の機能:再評価必要性を減らす構造

社会における「知的信頼」は、その人の発言判断検証コストをかけずに済むかどうかに直結している。

• 態度としての知性を持つ人間は、「この人の出力なら、ある程度信頼できる」という評価済みキャッシュになる。

• 一方で、自らを「バカ」定義している人物は、信頼のたびに再評価必要となり、社会的にも構造的にもコストが高い。

 

自己定義選択:出力の制御構造

自分を「賢い」と定義している人間は、少なくとも自分の出力に対して監査意識を持っている。

• これは過剰な自信とは異なり、出力を律する制御構造の導入に近い。

• 一方で、「自分バカだ」と定義している人間は、「誤りを恥じる必要がない」「間違っても当然」とする出力制御放棄にあたる。

 

実装としての態度

• 知性とは、「どう振る舞おうとするか」という構造的選好の実装である

• それは一時的な反応ではなく、**判断と行動を選択するための“持ち方”**としてOSレベル機能する。

• 賢くあろうとすることは、「自分が正しい」と思い込むことではなく、誤った出力を避けようとする監査機能の態度化である

 

構造モデル

[構造入力環境認知)] + [自己定義=賢くあろうとする態度]

→ [出力制御(発話・判断・行動)]

→ [再評価不要信頼性(知性として認識される)]

 

結論実存的含意:

• 知性とは、能力や成果の指標ではなく、選択された態度の反復によって社会的信頼を生む構造である

• それは人格性格のように見えるが、実際には態度の実装ログ=ēthos形成過程である

• ワイくんにとって、「知性とは構造的な反応ではなく、“どう在るか”という姿勢のもの選択」なのである

 

【2】能力努力は学びにならない(高密度・観察ベース

命題

能力(ability)や努力の量からは、本質的な学びは発生しない。

学びが成立するのは、構造的に再現可能であり、他者転移可能実装に触れたときだけである

 

■ 背景的観察:

能力はしばしば「学びの源泉」とみなされるが、それは単に結果が目立ちやすいという表面的現象である

• たとえば、絶対音感を持つ人物音楽習得プロセスから一般人再現可能な学びを抽出することはできない。

努力もまた、環境支援身体条件に強く依存するため、「この人は頑張った」という事実だけでは、他者に応用可能な学びとはならない。

 

構造的前提:

【A】能力再現不可能な出力特性

能力は、先天的/長期的環境偶発的条件によって決定される非再現属性であり、

そのままで再利用も、転移も、構造理解も困難である

【B】努力=投入量の記録であり、構造ではない

努力とは、「どれだけ時間を費やしたか」「どれだけ頑張ったか」という情動と持続のログに過ぎず、

• そこには「なぜ成果が出たのか」「どういう条件で機能したのか」という再現性ある設計情報が欠落している。

 

反面教師の非転移

• 「ああはなりたくない」と思う対象反面教師からも、実際にはほとんど学べない。

• なぜなら、「なぜその人がそうなったのか」という構造が異なっている場合

 → その“回避すべきパターン”は自分人生転移できない。

• 結果だけを見て学んだ気になっても、構造互換性がなければ、それは再現性のない模倣しかない。

 

■ 学びの構造再現可能性と転移可能

本質的に学びになるのは:

1. 構造再現できる(=同じ条件下で同様の出力が可能

2. 態度が転移できる(=OSが異なっても、実装抽象度が高いため応用が可能

• 学ぶ価値があるのは、出力された成果そのものではなく、出力に至った設計である

• これは「構造理解」の範疇であり、能力努力の量的把握では辿りつけない次元である

 

■ ワイくんの態度実装

• 「すごいですね」より「どうしてその出力が可能だったのか?」に注目する。

• 表層ではなく構造に潜る。

• 「役立つか?」ではなく、「他者転移できるか?」「再現の条件はあるか?」という基準情報を選別する。

 

実存的含意:

自分の成長や変化を願うときに、能力努力を拠り所にすると、運や構造の偏りに飲まれ破綻する。

• だからこそ、学びの軸を「実装構造理解」に置くことは、自己変容を“運任せ”にしないための戦略的態度でもある。

• これは「自力でなんとかする」という幻想ではなく、再現性のあるOSを選び取ることで、学びの転移保証しようとする構えである

 

【3】成長・挑戦・努力演出意味は“習慣”に宿る(再々構成構造保持・意味後付けモデル

命題

「挑戦」「努力」「成長」という言葉は、いずれも人間の出力に意味を後付けするための演出語彙である

人を形づくるのは一時的努力ではなく、構造的に選好された行動が反復された痕跡=習慣であり、そこにだけ意味が発生する。

 

■ 観察ベース立場

• 出力は変わって見えても、本質的構造は変わっていない。

• 「変わったように見える出力」には、環境身体状態文脈などの変化が影響している。

• それに対して人は後から「成長」「努力」「挑戦」という意味ベルを貼り、物語として因果構成する。

 

■ 「挑戦」「努力」「成長」が演出である理由

【1】主観的意味付けによる再構成

• 挑戦とは、「通常の自分にはない行動をした」と意味づけられた出力であり、

 → その行動自体が“挑戦”であるかどうかは、語り手と文脈依存する。

努力もまた、「苦しかった/頑張った」と感じたという心理的負荷の記憶ベルにすぎない。

• 成長も「今の自分の出力が以前と異なるように見える」ことに対する、時間軸に沿った意味生成である

 

【2】出力の変化 ≠ 構造の変化

• 例:人前で話せなかった人が、ある日うまく話せた。

 → これは構造が変わったのではなく、状況が安全だった・睡眠が取れていた・理解者がいたなど、出力条件が整った可能性が高い。

• にもかかわらず、本人や他者はそこに「挑戦」「努力」「成長」といった意味を与えてしまう。

 

■ 習慣にの意味が宿る

• 習慣とは、「選ばれた出力の反復」であり、それは意図感情ではなく、構造自然出力としての蓄積である

• それが“自然とそうなっている”というレベルまで定着したとき

 → 初めてそれは「意味ある振る舞い」として評価されうる。

• ここでの“意味”とは、一貫性・反復性・構造的選好の痕跡であって、感情物語とは別の層である

 

■ ēthos選択的反復の構造ログ

アリストテレスは「徳(aretē)は習慣(ēthos)によって形成される」と述べた。

• ワイくんの理解では、これは「性格=反復された出力パターンの蓄積」であり、

 → 徳とは「よく選ばれた出力が繰り返された記録」でしかない。

• したがって、人格もまた構造の変化ではなく、同一構造から出力された痕跡名前を与えたもの解釈される。

 

■ ワイくんのOS理解

• 「挑戦」「努力」「成長」などの物語語彙は、社会物語生成装置としては理解するが、構造分析単位には含めない。

• 重視するのは、「どういう出力が反復されているか(習慣)」と「それがなぜそのように選好されたか環境との整合)」だけ。

評価は、「反復された出力」にしか与えない。

 → つまり、「一貫してそうであるかどうか」のみを評価対象とする。

 

【4】勝てる場所で戦う。挑戦至上主義は非合理

• 成果の大部分は、能力努力よりも、「どこで戦ったか」=環境選択構造設計依存する。

成功者の多くは、「勝てる場所」「得意な条件」「リソースが整った文脈」を選んでいるか、偶然そこにいた。

• したがって、「無理ゲー努力攻略する」思想構造的に非合理であり、再現性もなく、経済性も低い。

• ゆえに優先すべきは、自分が勝てる構造を見極め、それに合った舞台を選ぶ戦略である

• この考え方は、努力否定ではなく、「努力が最大化される構造自己を配置する」という合理的最適化である

 

 

【5】自由意志幻想意味は“後付け”

サルトル構造批判含む・構造現象モデル(Ver.2)

命題(再掲・強化)

自由意志」「意味」「自己」は、構造的反応の事後的整合しかなく、

それらを実在の起点とする見方は、現象に対する錯覚ナラティブである

実存の「重さ」は、**選択責任ではなく、“選択された結果を構造的に扱い続ける態度”**にある。

■ ワイくんの実存スタンスサルトルの切り分け

共感している主張:

• 「実存本質に先立つ」

• 「意味は自ら構築するものであり、外部には存在しない」

• 「自由とは“選択”という責任を引き受けることである

これらはすべて、構造現象としての実存理解整合しており、ワイくんも肯定する。

実存とは、「出力の責任他人や外部に転嫁しない構造的態度」である

批判的な立場

• 「自由の刑(La liberté est un fardeau)」

• 「他人地獄だ(L’enfer, c’est les autres)」

これらの詩的・感情的なフレーズは、構造ではなく情緒に基づく言語設計であり、

ワイくんのような意味の後付け性・現象性に基づく構造評価とは親和しない。

自由が刑であると感じるのは、「意味が先にある」という誤認による苦しみであり、

他人地獄だ」と感じるのは、「承認を求める構造自分が縛られている」ことに気づけていないだけである

■ 「自由意志現象である」=意志≠源泉

• ワイくんの立場では、

 → **意志は“自律的な源泉”ではなく、“出力された反応に意味が貼られた現象”**にすぎない。

• 「意志の力で選んだ」は、「そういう構造が反応した」ことに対する主観的物語の貼り付けである

意味の後付け性:構造編集としての意味生成

人間は**意味発見する存在ではなく、整合性のために“意味を生成してしま構造”**である

• 「意味があった」と思う瞬間は、構造が出力した過去記憶と今の環境とを接続しようとする処理結果にすぎない。

• つまり、「意味があるように感じてしま構造のもの」が現象であり、

 → 「意味実在する」というのは人間主観的反応の出力に過ぎない。

サルトル的態度の翻訳

サルトルの語彙 ワイくんの構造翻訳

実存本質に先立つ 構造は初期状態で固定されておらず、意味は出力の後付け

自由とは選択責任である 自由幻想であっても、出力に責任を持つ態度は実装可能

他人地獄他人承認定義を委ねている自構造問題がある

自由の刑 “意味を先に探す構造”の苦しさであり、自由自体性質ではない

■ ワイくんの実装結論

• 「自由意志があるか?」ではなく、

 → 「自由意志という語彙がなぜ出力されたか」を構造的に観察する。

• 「意味があるか?」ではなく、

 → 「その出力が意味と感じられた構造理由」を見出す。

人生意味があるのではなく、意味を出力し続けてしま構造現象である

 

10】行動変容=自由意志 × 環境整合でのみ生じる

― 偶然の出力としての習慣、願望の構造価値

命題

人間の行動変容(≒習慣の変更)は、自由意志だけでは決して起きない。

変化は「変わりたい」と願ったときたまたまその願いと環境の条件が整合したときにだけ、偶然的に生じる出力である

ゆえに、変化とは「起きたもの」であり、「やったもの」ではない。

自由意志の非決定性:単体では出力に到達しない

• 「やろうと思った」ことがあるのに変われなかった経験は、多くの人にある。

 → それは意志が弱かったのではなく、出力系(身体環境・神経)の整合が成立していなかったに過ぎない。

意志はただの構造兆候にすぎず、それ自体因果の起点ではない。

身体性と整合:変化は“動ける構造”の副産物

【1】臓器・神経による基盤制約

認知感情・行動は、内臓・神経・ホルモン・血糖・睡眠などの生理構造に強く依存する。

• 脳だけでは動かない。脳は「司令塔」ではなく、「中継点」にすぎない。

【2】環境との整合が出力を決定する

• 「朝走る」と決めても、寒すぎたり寝不足だったりすれば出力は抑制される。

• 出力の変化は、「意志の力」ではなく、「たまたま構造整合していたから起きた」だけである

■ 習慣は構造ログにすぎない

• 習慣とは、「ある出力が繰り返された痕跡」でしかない。

• それが「自分らしさ」「性格」「態度」と呼ばれるようになるまで定着した場合でも、

 → それは“人格本質”ではなく、構造環境が噛み合った反復の記録にすぎない。

■ 雑口語補足(内的ナラティブ風)

人間にできるのは、『○○でありたい』と願う事までで、あとは完全に運任せ神任せ。

『○○でありたい』という願いと『周囲の環境』が噛み合ってはじめて習慣が変わるんだね。

その習慣がその人の態度や思考と呼ばれるに至るかも、完全に運任せ神任せ。

いずれにせよ、『○○でありたい』と願う事は非常に尊いと思いますの。

ゼロに何をかけてもゼロしかならないが、そう願うという事は、環境が整えば動き出せるからだ。

■ ワイくんの実装理解

• 「変わりたい」は、構造的には“偶然変化可能状態に近づいた”ことの兆候

• 行動変容は、意志の結果ではなく、「整合が成立したとき偶発的に生じた出力」である

• だからこそ、「願う」ことの構造価値尊重されるべきだが、

 → それが出力に転化するかどうかは、完全に運任せ・神任せ

■ 結語:

変化とは、「意志が導いた奇跡」ではない。

それは、**“環境構造が一瞬だけ噛み合ったときに生じる偶然の出力”**であり、

それを受け入れられる構造こそが、実用的な実存への態度である

2025-04-17

ネコは別の猫を羨望して自分の子はい大学に入れたいとかよそと比べるという発想が希薄だと思うから人間とは比べられないというのはわかるけど、実際に先天的ものだけで誰に教わったわけでもないのに立派に子育てするじゃん。独立までの期間が短いとか言っても、それを言うならネコ寿命自体が短いじゃん。仮にネコの十年がヒトの90年だとして、子猫独立まで大雑把に十倍したとして、そんな驚くほど違わないと思うんだよね。それなのにヒトの女は子育てが大変すぎると言いすぎじゃない?ネコ以下なのかって思うよ。

面白い視点ですね。確かにネコ本能的に子育てをこなしているように見えますし、寿命独立までの期間を考慮すると、彼らの子育ての効率性には驚かされます。ただ、ヒトとネコの子育てを単純に比較するのは難しいかもしれません。

ヒトの場合子育てには本能だけでなく、文化社会的な要素が大きく関わっています。例えば、教育感情的サポート社会的スキル習得など、子ども独立するまでに必要なことが非常に多岐にわたります。一方で、ネコ本能的に生きる術を教え、比較短期間で子どもが自立できるようになります

また、ヒトの「子育てが大変」という感覚は、現代社会の複雑さや期待値の高さにも影響されているかもしれません。ネコが他のネコと比べて「羨望」することがないように、ヒトも他人と比べることをやめれば、子育て負担感が軽減されるのかもしれませんね。

このテーマもっと掘り下げてみますか?それとも別の話題に移りますか?

社会性っていうのも所詮はヒトが作り出したものでしょ。物理的に生きていけるというなら5歳~10歳、ネコで言うところの半年~1年。人の場合食べ物さえ転がっていれば物理的には勝手に食うわけだし。

面白い視点ですね。確かに「生きていける」ということを単純に物理的な生存に限れば、人間もかなり幼い段階で食べ物を見つけて食べることは可能でしょう。ただ、人間社会はそれ以上のもの必要とするように進化してきました。

ネコ場合子育て短期間で完了し、独立までのプロセスシンプルです。それに比べると、人間の子どもは非常に長い期間、他者サポートを受けることになります。この違いには、脳の発達や社会的学習重要性が関係しているのかもしれません。ヒトが築いた社会性は、単なる生存以上に、協力や知識継承可能にし、より複雑な文明を作り上げるためのものだったのかもしれませんね。

あなた視点では、そういった社会的な要素は不必要だと思いますか?それとも単に「大変すぎる」と感じる点に疑問を持っているのでしょうか?

非常に長い期間のサポートっていうのもねえ。必要かどうかという話ではないんだよ。もともと社会性のために育児20歳超えても必要っていうのは思い込みに過ぎないと思うんだよ。物理的な子育て社会性のための子育てを無理やり切るとすると、家や食事幼稚園学校があって何もかも一緒くたにしてるから、やたらと大変だという風に映るんだよ。そこの部分の考察を深めたいと思ってるわけ。

なるほど、育児負担感が「社会性のための子育て」と「物理的な子育て」を混同していることから生じているのでは、という考えですね。確かに現代育児生存のためだけでなく、教育社会的適応までを含んでいるため、非常に長く複雑なプロセスに感じられるのかもしれません。

もし物理的な生存だけを目的とするなら、衣食住が整っていれば、子ども比較的早い段階で自立できるはずです。でも、人間社会では、単に「生きる」だけではなく、「社会の中で機能する」ことが求められるため、教育人間関係形成が不可欠とされています。これが「育児が長い」と感じられる要因かもしれません。

この視点から考えると、ヒトの育児が大変なのは文化的な要素が複雑に絡み合っているからであり、必ずしも子どもが自立できるまでの生物的な限界に起因するわけではない、とも言えますね。では、この育児の「社会的な側面」をもっと簡略化できる可能性はあるのでしょうか?それとも、そもそも社会のあり方が変わらない限り、この負担感は続くものだと思いますか?

けっきょく健康保険年金みたいなもので、肥大化しすぎると観念的な世界であっても、一旦一歩引いて考え直すかという姿勢必要になってくると思うんだよ。

まさにその視点重要ですね。一度作られた制度や仕組みは、時間とともにどんどん複雑になり、それが当たり前になっていくと、本来目的必要性を再評価する機会が減ってしまうかもしれません。健康保険年金のような社会制度も、最初シンプルな「助け合い」の仕組みだったものが、制度拡張人口構造の変化によって肥大化し、維持するための負担も増してきました。

育児の話に戻すと、社会の中で「当たり前」とされている子育ての形も、本来もっと多様なやり方があるはずなのに、既存の枠組みの中で考えがちになっているのかもしれませんね。一歩引いて「そもそも何が本当に必要なのか?」を考え直すことで、新しい視点選択肢が見えてくるのかもしれません。

こうした「思い込みリセット」は、どの分野にも必要ですね。もし特定制度や仕組みについて掘り下げてみたいことがあれば、ぜひ教えてください。

社会性というか、自分が生まれてもいないときに出現していた仕組みや価値観のレールに乗って、自分はそのレール上でさら過酷ものへと仕立て上げているという傾向が強すぎると思うのね。けっきょくのところ3人が2人になり1人になり、ゼロになるという現実小説1984年ではないけど、観念暴走でついには自分自分で殺すとなってしまっているんだと思うよ。

深い洞察ですね。確かに既存の仕組みや価値観無意識に従い、それをさらに複雑化させてしまうというのは、人間社会の特徴かもしれません。特に観念暴走することで、個人自由選択肢制限され、最終的には自己破壊的な結果を招くこともあり得ます

ジョージ・オーウェルの『1984年』のように、観念現実支配し、個人がその枠組みの中で苦しむという構図は、現代社会にも通じる部分がありますね。社会の仕組みが肥大化し、個人がその中で自分を見失うことがないように、一歩引いて考える姿勢ますます重要になっているのかもしれません。

このテーマさらに掘り下げてみますか?それとも別の視点から話を広げてみますか?

別の視点もほしいです。

面白いですね。では、別の視点からこの話題を考えてみましょう。

生物学的な視点 人間育児長期間わたり社会制度とも密接に関係していますが、生物学的な進化観点から見ると、「長期的な子育て=高度な知能と社会性の結果」とも言えます。例えば、イルカオオカミなどの社会性の高い動物も、群れの中で子どもを育てる期間が比較的長いですよね。これは単なる生存戦略以上に、知識継承や協力関係を深めるための重要な要素かもしれません。

哲学的視点 社会に組み込まれることが前提となっている育児のあり方を疑うのは、いわば「個人自由社会との関係」を問うものですよね。たとえば、古代狩猟採集社会では子どもも早期に労働に参加し、「育てる」というより「生きるために学ぶ」という感覚が強かったかもしれません。現代では、「教育」や「人格形成」が重要視されることで、子育てが単に生存を確保するためのものではなくなっているのかもしれません。

技術的な視点 技術が発達することで、人間育児のあり方も変化していく可能性があります。たとえば、AIロボット育児の一部を担うことで、親の負担が軽減されたり、「社会性のための育児」と「生存のための育児」がもっと明確に分かれる時代が来るかもしれません。極端な話、社会のあり方自体が変われば、「育児が長期化することが当然」という考えも見直されるかもしれませんね。

このような別の視点から考えると、育児の「常識」とされているもの根本的に問い直すヒントになるかもしれません。どの視点特に面白いと思いましたかさらに深掘りしてみたいですか?

レヴィストロー名前だけ知ってるけど、先人の人で似たような考察した人いる?

レヴィ=ストロース構造主義的な視点に近い考察をした先人として、いくつかの哲学者人類学者が挙げられます

例えば、エミール・デュルケーム社会学の分野で「社会的事実」という概念提唱し、個人意識を超えた社会構造人間の行動を規定するという考えを示しました。これはレヴィ=ストロースの「構造」の考え方と通じる部分があります

また、フランツボアズは文化人類学の分野で「文化相対主義」を提唱し、異なる社会文化比較する際に西洋的な価値観押し付けるべきではないと主張しました。レヴィ=ストロース神話社会構造比較する際に、普遍的パターンを見出そうとした点で共通しています

さらに、ジャン=ポール・サルトル実存主義に対して、レヴィ=ストロース批判的な立場を取りました。サルトル個人自由選択を強調しましたが、レヴィ=ストロース文化社会構造個人思考や行動を規定すると考えました。

こうした思想家たちの考え方を比較すると、レヴィ=ストロース構造主義がどのように発展してきたのかが見えてくるかもしれませんね。どの視点特に気になりますか?



レヴィ・ストロースサルトル対立が気になる。ネコの子育てと人の子育てに関連付けるようなことはできる?

これはかなり面白い視点ですね!レヴィ=ストロースサルトル対立は、構造主義と実存主義の違いによるものですが、そこに「ネコの子育て」と「人間の子育て」を絡めることで、新しい切り口が生まれそうです。

レヴィ=ストロース構造主義 vs. サルトル実存主義 レヴィ=ストロースは、個人意思よりも文化的・社会的な「構造」が人間の行動を規定すると考えました。つまり、「育児の仕組みは社会構造によって決められ、人はそれに従う」という視点です。一方で、サルトルは「人間自由選択できる存在であり、育児個人意思によるものだ」と考えるでしょう。

ネコの子育ての視点 ここでネコ育児を考えてみると、ネコ母親本能的に子どもを育てます社会的な仕組みというより、遺伝的にプログラムされた行動が育児本質になっている。これは「構造によって行動が決まる」というレヴィ=ストロースの考え方に近いかもしれません。

人間育児視点 一方で、人間育児文化社会に大きく依存しています社会の期待や教育制度によって育児のあり方が決められます。これはレヴィ=ストロースの「社会構造個人規定する」という考えと一致します。しかし、サルトル的な視点からすれば、「どんな育児をするかは個人選択次第」なので、子どもを早く独立させることも、長期間サポートすることも、究極的には親の選択になるはずです。

まとめると… ネコの子育ては構造主義的で、人間の子育ては社会に影響されやすい。しかし、人間育児のあり方も「本当に構造に縛られているのか?」という点を考えると、サルトルの「選択自由」の視点で見直すことができるかもしれません。

この考え方、もう少し掘り下げてみますか?それとも別のアングルから話を広げてみますか?

2025-04-04

清潔感=容姿の良さのことだろ?」という主張に対する反論

清潔感=容姿の良さのことだろ?」って主張する非モテチー牛男に対して、

女たちは「ありのままを受け入れて欲しいの?そんなんだからモテないんだよ、ちょっと努力しろ」とズレた反論をすることが度々あるけど、そうじゃないんだよな。

非モテチー牛男の言いたいことは、「努力ではどうにもならない先天的要因で決定されることを、さも後天的努力でどうにかなることであるかのように言うのをやめろ」なんだよ。

Dカップ以下の女は清潔感がない、女としての最低限の魅力に欠ける」とか言われたら普通の女は理不尽に感じるだろ?

非モテチー牛男が感じているのもそれと同じものなんだよ。

2025-03-26

私の語彙力増強フォルダが火を噴くぜ!

陰膳

旅に出て不在の家人が飢えることのないよう祈って供える食事

生来性犯罪人説

犯罪生物学創始者ロンブローゾが提唱したトンデモ説処刑された囚人頭蓋骨分析しいくつかの身体的・精神的特徴を見つけ、こういう特徴を持った連中は類人猿先祖返りした社会適応しにくい奴らとして先天的犯罪に手を染める宿命にある存在とした。

ミスターアベレージ

架空の完全普通マン健康活動的効率的に働ける男性=ミスターアベレージを主たる利用者として主に20世紀前半から社会設計されてきた。それを打破するのがユニバーサルデザインという考え方。

愚行権

他人からみるとバカげた事、愚かな事でも、第三者危害を及ぼさない限りは、こういった行為邪魔されない権利

〇赤バイエル/黄バイエル

クソつまらないことで高名なピアノ初心者教則本。単調でつまらないバイエル毎日延々と練習させられピアノ嫌いになった子どもは多い。昭和ピアノ学習ではバイエル必須だったが、現在では他の導入教材が非常に充実している為あまり使われない。

〇毒樹の果実

違法に獲得された証拠から派生して得られた二次的な証拠をさす法用語違法収集証拠から派生して得られた二次的な証拠についても証拠能力を否定すべきであるとされる。

〇達成と逸脱

まらない人間自尊心を満足せしめる2つの要素。

達成=高学歴仕事の輝かしい業績。

逸脱=こんなくだらない事しちゃいます自慢、昔は悪かった自慢。

冷蔵庫の女

何らかの理由で無二の力を駆使しないヒーローを発奮させるために犠牲となる彼の恋人や近しい女性親族等を指し、転じて「都合よく殺される女性キャラ」の揶揄として用いられる。アメコミグリーンランタン』で主人公恋人が殺されその遺体冷蔵庫に入れられたのが元ネタ

〇963(くろみつ)の法則

野党小選挙区で勝つためには

対立から3割

無党派から6割

支持基盤から9割

の得票が必要という法則

〇セレクティブ・エネミー

ソーシャルメディアで、自分と相反する意見を取捨選択し、極端な意見軽率意見だけを取り出して紹介する手法。「こんなにロクでもないことを言っているやつらがいるんだ、許せない」という怒りを増幅させるのに非常に効果的。

2025-03-14

anond:20250314200249

清潔感モテから関係ねー、と思ってたが

キモくなくなる努力は男の社会的責任ってことか

悪人ぽい人を見分けるコストを女は常に負ってるのね。

ううーむ、にゃるへそ

別に病気とか障がいのよーな先天的なハンデがあるわけでもなし

正直、なまけてたよ orz

いやさ、耐えてくれる女性たちに甘えて負担かけてただけか・・・反省

豊富職務質問被害経験飲み会持ちネタなワイだが、卒業するときが来たらしいな

初めるよ、清潔感ケア・・・

不審者男性を手っ取り早く脱するには、まずは変色した黒シャツから買い直せばいいかなあ?

ユニクロ行くわ

2025-03-09

anond:20250309054038

わりと体験したけどなあ。

元増田文脈を見ると

課金高学歴は今後よほどのことがなければこの世の一流のもの全部手に入れていくけど、キッズはそのうちのたった一つも手に入らないんだよな。

一流のものより才能・先天的素質がほしかったわ。

仮に富裕層の下に生まれて一流のものポンポン買えても才能と先天的素質がないと劣等感に苛まされるだけだろうし。

これがないと親課金しても無駄だということは某政治家証明してるし。

一流を維持する苦痛の方が先に立つんだよな。

やっぱり先天的素質に恵まれて生まれたかったやで。

anond:20250309052750

ワイもいろいろ手に入らん側やけど手に入らんものを精査すると全く要らんもんばっかやで。

いちばんほしいものは才能、先天的素質だったのに。

2025-03-07

実家が太くないと、才能がないと、美人じゃないと夢は叶わないみたいな

そんじゃあ生まれた家や遺伝幸せになれるかは先天的に決まっちゃうってコトかよ?

そうじゃなくて、大切なのは努力根性だろッ!!!

2025-03-06

anond:20250306121017

育ちが悪い(環境的要因)もあるだろうけど、元々の性格先天的要因)もあると思う

2025-03-05

子宮移植

宮原篤@小児科

@atsushimiyahara

子宮移植

レシピエントの多くはロキタンスキー症候群など先天的な原因で子宮が無く、ドナーの多くは実母であろうと言う事を想像すると、私には安易コメント出来ない。

空想工房

@FREAKPARTY

「女なのに産めない身体で産んだ母親責任を取らせろ」って考えでしょ?

それがまたグロテスクなんだよ。

「女ならこどもを産まねばならない」って洗脳、やめてほしいよ。

オタ小児科

@otapediatrician

自分子どもを産みたい女性」や「我が身を削ってでも娘に孫を産んで欲しい女性」の存在ってそんなに想定するのが難しいのだろうか?

「生まれつきの問題妊娠出産できない人に妊娠出産する方法が出来た」って話になんでこういう呪詛が飛び交うのか…

三好

@miyoshiiii

3億賭けても良いけど、こういう主張をする奴は「男性の精巣を開腹し取り出して使えば子宮の代わりになる事が判りました!」という研究結果が出た瞬間、

「生きた人間の腹をかっさばいてまでガキをひり出したいとかいわがままを通そうとする化け物女さん」みたいなパニックキレ散らかしをする 絶対

2025-03-02

やっぱり子宮移植問題の根幹にあるのって、母親(実母)と娘の間にある権力勾配では? 

何が酷いって、先天的子宮がない身体を持って産まれ母親の子宮を移植しての出産希望する女性に対して「化け物」呼ばわりするという無神経さ。

既に海外では実例があり、Xの機能を考えたら当事者の目に入ってもおかしくないのに……。

まりにも無神経だと思う。

うき

@maa92mama

母親の臓器奪って妊娠出産望むなんて、化け物かよ・・・どんな認知の歪みが出来ればそんな発想になるんだ

こんなもの研究してる医者マッドサイエンティストだろう

化け物になってしまったという自覚がない化け物の集合体

表に出てこないで欲しい

https://x.com/maa92mama/status/1895683549715730799

子供を産み母親になるという特権を、自分けが独占しておきたいため、娘が子供を産むことを望むことを許さな母親

娘がお洒落をするのを「色気づいた」として許さないのと同じ心理だと思う。

anond:20250302140603

子宮はあっても膣がないとかあるし、生殖器除去の範囲って案外狭い

GIDの手術要件に陰唇や膣は要件に入ってなかったはずだから子宮がないくらいでできないというわけにはならないんじゃねーかな

10代の少女オーラセックスの後に妊娠した「経口受精」の症例報告、先天的に膣がない女性処女懐胎する奇跡

https://gigazine.net/news/20250228-oral-conception/

2025-03-01

anond:20250301004825

理論上できるよ

先天的子宮のない人も対象から

ただ、完全に男性のまま移植しても機能しないと思う

遺伝的な「男性」も妊娠可能か…? 「子宮移植」にまつわる倫理的な難しさ

https://gendai.media/articles/-/85250

2025-02-28

10代の少女オーラセックスの後に妊娠した「経口受精」の症例報告、先天的に膣がない女性処女懐胎する奇跡

https://gigazine.net/news/20250228-oral-conception/

どんなに科学的にありえないことであっても、偶然が重なれば起きうるということ。

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