はてなキーワード: 優生学とは
驚くほど的外れな、ご指摘ありがとうございます。
これが、例のお気持ち表明というやつでしょうか?
文盲の方にも真意が伝わるように、一応反論しておきます。一般の方々はお気になさらずに。
>女に加害するのはいつもお前みたいな男やで
さて、私の様な人間がどのような人間であって、どのように女性を加害するのでしょうか?
「お前みたいな」が何を指すのかが分かりませんが、もう少し具体的に定義をなされてから言及した方がよいかと思います。
>人間を家畜扱いして憚らないクズが犯罪を起こし、性被害を矮小化して、社会を劣化させる
私が述べているのは、人間を家畜扱いしているのは投稿主であるという指摘でありますから、あなたが非難しているのは私ではなく、投稿主であるということになりますね。
従いまして、後半の性被害の矮小化や、社会の劣化に関しては、枝元の投稿主に対するご指摘ということですね。擁護していただきありがとうございます。
>精子腐ったような男がいるから子供は減るし、社会は貧しくなっていく
人口ボーナスはどこの国でもそう長く続くわけではありません。フランスは割とうまくいっていると目されていますが、その他各国似たような状況です。
また、レイプが日本よりもはるかに多いと思われるインドなどでは、人口がはるかに増えています。
このことからも分かるように、男性の能力や価値観とは無関係に人口は減少します。
社会の貧しさに関しては、格差について言及しているのか、国の経済力、或いは、精神的な充足、いずれについて話しているのか、明確にしなければ話しようがありません。
私が産廃であるか否かは、私自身が判断するものではありませんので言及はしかねますが、少なくとも、あなたがそこに当てはまっていないことを願うばかりです。
産廃が日本社会の癌ということに関しましては、産廃の定義がわかりませんが、仮に無能力な者に対する別称として用いるのであれば、
いつの時代にもそのような者はおりますし、それを前提に社会は回っておりますので、産廃を社会の癌とすることはできないと思います。
見方によっては、産廃とは決して言えないであろうトップクラスの富裕層が、一般市民にとって、経済的に癌のようになっているという見方もできるわけですし。
確かに、優生学的な考えの優位性が完全に死んだわけではないと思います。
しかし、現状はそれとは逆の方向で社会は進んでいますし、多くの人々は、スパルタの様な極度に節制的で奴隷を有している優生的な社会よりも、劣った遺伝子も保存する現代のほうを選ぶでしょう。
おわりに
産まれてきた障害者の面倒を自分たちで見きれるわけじゃないんだから。
それを普通の人たちに押し付けるなんてやっぱり良くないことだよ。
両親が健常者で偶然産まれてしまったならまだ仕方ないと思うけど、両親も障害者で福祉のお世話になって、その上子供まで障害者でそっちの面倒も見てくれは社会インフラへの負荷が大きすぎる。
人間には自由が保証されているけど、それはお互いの自由を過剰に制限しない範囲のものじゃないと駄目でしょ。
雨の中で傘をささずに踊る人がいてもいいけど、踊り狂ったびしょ濡れの体でお店に行くのは迷惑になるからやるべきじゃないって話。
先日このようなことを書きました
同性婚を認める議論を始めるなら、兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫、その他諸々もOKの方向で検討しないといけないけど準備できてるんかなあ?落とし所は法定婚の制度廃止しかないと思ってる
すると以下のようなエアリプがありました
同性婚を認めるならナントカ婚も認めろ~な人が湧いてるけど、現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな。本気でそう思ってるなら同性婚の当てこすりじゃなくて普段から真面目に活動なさいよ
「現代まともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな」というコメントですが、これを通して、現在の法定婚として認められない婚姻の形について考えられるという点でとても良いコメントだと思ったので紹介させてください。
まず、「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」とありますが、私があげた婚姻の形のうち、幾つかはある程度の規模の国において実際に法定婚として認められています。
例えば
昨今幾つかの国で認められつつある同性婚もかつては「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」だったことも重要です。その状況から同性カップルも異性カップルと平等に扱われるべき、という社会正義としての平等を主張し、現在までに世界各地で「活動」を行ってきた結果、同性カップルの法定婚が認められつつあるという現状があります。
では、この「平等」が兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫にも与えられないのは何故でしょうか。
親子婚、小児婚については本人の同意などの点から問題がありそうなのはなんとなくわかります。(子供の自己決定権や人権の観点からやや危うい話ではありますが)
しかし宗教的、文化的な背景があって日本以外の国では法制度化されている国もある兄弟姉妹婚、一夫多妻、一妻多夫についてはどうでしょうか?公平の観点からは同性婚と同じく法定婚として認めるべきではないでしょうか?
認めるべきではないならその理由はなんでしょうか?同性婚とはどこが違って認められないのでしょうか。
しっかり考えてみると意外と難しい問題であることがわかるかと思います。また考える過程で「現代のまともな先進国」のような自分の中に気づかずにある差別意識にも向き合うことができるかと思います。
ここで言いたいのはお前は差別者だ!と指摘したいわけではなく、自分の中の歪みに気づいた上で話してほしい、ということです。
私も個人的な感情としては一夫多妻などは認めなくないという思いがあり、自分で実践するとは到底思えません。ただ、ムスリムの家族の方の権利という観点で考えると異性間での法定婚制度があるのであれば、一夫多妻の夫婦も公平性の観点から法定婚として認めるべきだろうとは思っています。
法定婚の未来や公平なあり方について考えると、自分の中の常識、ここでいう「まともな」という基準の外にある文化の人々の婚姻の文化をどう尊重していくべきか、という話になります。その中でどうしても認め難い婚姻の形についても考えないといけないこともあるでしょう。
その時に嫌だと思ったことことに対して正当化するような理路を作るのではなく、自分の中にある差別的な考えとして認識してほしいと思っています。
(「本気で〜」以降は私の書いた内容に対する直接的な意見ではないし、荒唐無稽な主張であるのは一読でお分かりいただけると思うので本項では言及しません。)
iPS細胞で精子を作ることはできるし、人工子宮もそのうちできるのかもしれないし、サロゲートもできるのかもしれない。技術的にはできたりできなかったりする。コスト面ではだいぶ大変だと思う。
それ以前の話として「精子をiPS細胞からつくる」ときにX染色体を持った精子を作って受精させるということ自体が、生まれる子供を属性によってカテゴリーした上で選ぶことになる。
これは、率直に言って、毎度毎度散々炎上する「優生学」そのものである。
全くこういうことを考えることに意味は元々何もないのだが、意味が何もないことほど考えたくなってしまう。
なんのかんのリベラルとか社会正義みたいなことを言っていたって頭で考えると結局は優生学になるのはおかしな話だ。
つまり優生学を盛大に援用して女だけの国(? 街? 星?)を作るだけのはなしだ。もし優生学を避けたいなら原理的に子供はできない。そうすると単に絶滅するだけだ。
共産主義は、進化と変革の原動力を、変革の担い手である「主体」に求めすぎているのだろうと思うね。
連帯、戦線、同志、団結これらの共産臭のするターミノロジーは、その時代時代で、変革の担い手と目された人々へ向けられる。
古典的な資本主義の確立した時代に「労働者」という概念を再構成したのが、たぶん最初かな。
日本共産党の歴史をふりかえると、労働問題においても農民組合闘争においても、被差別部落問題にしても、変革の担い手を自分たちに取り込むことに知らず知らずのうちに夢中になっていた。その力ずくなやり方への反発へも少なくなく、運動からの離脱、分派を促進していた。
結果として共産党は思想の核である「労働者階級」すら満足に取り込めず、高度経済成長期が終わると、次第に、連帯のターゲットを主婦とか消費者とか言い始めた。そうした社会階層に媚びを売るために、自らの綱領をあいまいにしてブレた主張を繰り返しては運動の広がりが得られず、連帯の同志候補として次のターゲットを探してきた。
あげくの果てには性的少数者、LGBTQを守る(田村氏)とか言い出して今日に至っている。
他方で、資本主義社会の進歩史観は共産主義のそれとは趣が異なる。
根っこには、社会ダーウィニズム的な、進歩への信頼というか期待がある点では、帝国主義も共産主義も同根。
ただ、その実現が「強いもの」による自然淘汰によってなされると考えるか、闘争によってなされるかの違い。
「強い者」が先験的に理解されてしまうと、「弱い者」を排除してしまえばよい(優生学など)という発想になるし、差別の絶えない社会となる。帝国主義やナチズムは典型。
一方、一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考えると自由主義社会となる。理念ではなく、利害で集う社会はこの考え方から支持される。
先日、福岡支部のどなたかを除籍した日本共産党が今もって理解していないことの一つは、日本国憲法がもつ表現の自由の考え方だ。
実は、憲法第21条の源泉は、「一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考える」自由主義の考え方を基礎としている。
これは、表現の自由をめぐる憲法判例のうち「思想の自由市場」という考えから、典拠をどんどんさかのぼってゆくと理解できる。
そうすると、20世紀初頭の連邦最高裁ホームズ裁判官の考えにつきあたり、そのホームズからパースプラグマティズムに行きつく。
そしてさらにさらにさかのぼると、唯一正しい真理を押し付けてきたカトリックの猛威を振るヨーロッパ、お互い不寛容なプロテスタント同士の修羅場のヨーロッパから逃れてきた巡礼始祖たちの考え方に行きつく。お互いに自分が正しいと言い切れないなかでどういう社会を構築するかを模索したところからアメリカ合衆国は始まっているので、表現の自由というのは、国の成り立ちを土台で支える重要な考え方だということがわかる。
政治体制 | 言論自由 | 進歩史観 | プレイヤー |
---|---|---|---|
自由主義 | どちらかというと放置 | 蓋然的・客観的 | 多様性重視 |
共産主義 | どちらかというと統制的 | 必然的・主体的 | 一体性重視 |
同志の団結を迫りまくるという意味では、根性論とか暴力で一定の方向に人々の顔をむかせ社会変革をしようという路線になりがちなのが共産主義。
多様性を重視するあまり、どんなに社会が乱れようが差別が根深かろうが、偏見による暴力を許容してでも自由に奉じるのが自由主義。
日本共産党は、何かにつけ、ひとの横っ面を自分たちと同じ方向へ向かせたがるが、それは自分たちが嫌われて終わるだけというのは、これまでの歴史が証明している。
日本共産党は、自らの綱領に一言も書いていない、表現の自由の意味を社会のプラットフォームの視点から今一度振り返るべきだと思う。
いやーなんかホッテントリすると嬉しいもんですね。ということでブコメを読み返し見てたところやっぱりめいろまは優生学信者ではないのではないかという結論に至りました。もっと得体のしれない気持ち悪いなにかです。ブコメをみて思ったのが、本当に皆さん遺伝大好きだってことですね。
遺伝の影響はもちろんあります。そんなの当たり前です。一方で普通に考えて貧乏人が子供作らなくなって1世代くらいで遺伝的にスポーツ選手の能力上がるわけ無いでしょ。馬鹿なんですか?マイナースポーツに税金投入してガチれば成績あがるし、日本のメダルの3〜5割は女性のおかげだし、あるいは指導者の質とか栄養状態とかそういう直接的な理由はいくらでもありますよね?貧乏人の子が少し減るくらいでそんなに影響すぐ出るわけないでしょ。
あんなものは優生学ですらありません。優生学というのは一定の目的で一定の手段をもって介入することにより集団の遺伝的特質を変化させるとものです。例えば大谷翔平の配偶者に体格に優れたものをあてがえ、だとか特定の遺伝疾患を持った者を断種しろ、とかそういういうものです。
めいろまの主張はそ目的も手段もなくただ単に、現状をよくわからない過去の婚姻事情にもとめているだけで、こんなものは優生学でもなんでもありません。これをなんと呼ぶかはわからないですが、保守でもリベラルでもなく、新自由主義はなんか親和性ありそうな気もするけれど直接には関係はなく、公正世界仮説のワンジャンルでしょうね。一番近いのは往年の少年ジャンプの「主人公がすごい力に目覚めたのは実はすごい血統の子孫のおかげでした!」みたいななにか土着の俗流血統主義的なメルヘンというところでしょう。そういう意味ではブコメの
id:qouroquis ケンシロウも大佐に「おれには二千年もの間 一子相伝によって受け継がれてきた暗殺者としての血が流れている。俺は生まれた時すでに暗殺者だった」とドヤってたのに実は養子だったりするしな(違う
いやーなんかホッテントリすると嬉しいもんですね。ということでブコメを読み返し見てたところやっぱりめいろまは優生学信者ではないのではないかという結論に至りました。もっと得体のしれない気持ち悪いなにかです。ブコメをみて思ったのが、本当に皆さん遺伝大好きだってことですね。
遺伝の影響はもちろんあります。そんなの当たり前です。一方で普通に考えて貧乏人が子供作らなくなって1世代くらいで遺伝的にスポーツ選手の能力上がるわけ無いでしょ。馬鹿なんですか?そんなものは優生学ですらありません。優生学というのは一定の目的で一定の手段をもって介入することにより集団の遺伝的特質を変化させるとものです。例えば大谷翔平の配偶者に体格に優れたものをあてがえ、だとか特定の遺伝疾患を持った者を断種しろ、とかそいういうものです。
めいろまの主張はそんな目的も手段もなくただ単に、現状をよくわからない過去の婚姻事情にもとめているだけで、こんなものは優生学でもなんでもありません。これをなんと呼ぶかはわからないですが、保守でもリベラルでもなく、新自由主義はなんか親和性ありそうな気もするけれど直接には関係はなく、公正世界仮説のワンジャンルでしょうね。一番近いのは往年の少年ジャンプの「主人公がすごい力に目覚めたのは実はすごい血統の子孫のおかげでした!」みたいななにか土着の俗流血統主義的なメルヘンというところでしょう。そういう意味ではブコメの
id:qouroquis ケンシロウも大佐に「おれには二千年もの間 一子相伝によって受け継がれてきた暗殺者としての血が流れている。俺は生まれた時すでに暗殺者だった」とドヤってたのに実は養子だったりするしな(違う
増田がめいろまの優生思想を肯定しているわけではないのはわかるが、
日本の選手が強くなったり、最近の子達が美形でダンスや勉強もうまいというの、あれ日本で80年代以後は見合いが激減したのが原因かもな。能力がない、金がない、不細工は結婚できなくなって、優秀な人間だけが自然選別で結婚して子供を産むようになった。多分これ結構あたってると思うんだよ
ある快挙を無理やり優生学的な原因で説明しようとするのはモロに優生思想でしょ。例えば日本のスポーツ選手が強くなり、オリンピックで優れた成績を残せるようになったのにお見合いの激減など効いているはずもない。はてな民からしたらめいろまなんか真に受けるなよといいそうだが、最近こういうなんでもお手軽に優生学的な理由を求めようとする人間が増えている気がするので真面目に反論しておく。
これはズバリ森喜朗のおかげ…もといtotoのおかげである。森喜朗もJリーグも好きではないが、今日の国際大会での日本勢の活躍の一因は間違いなくこのスポーツ予算にある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14462004.html
totoの売上からは"毎年"200億くらいの予算がスポーツ振興に安定的に投下されるようになっている。メジャースポーツからしたら大した額に見えないかもしれないが、これにより従来個人の趣味の域を出ずスポンサーもつかなかったマイナースポーツへも強化予算が割り振られるようになった。パリオリンピックでの躍進目覚ましいフェンシングの分析をしたものが以下のツイートである。
Sato Josuke (Jose Sato)
@soccer_kozou013
いつの頃からかは不明なのですが、味の素トレーニングセンターに作られた広い練習場で定期的に候補選手の強化合宿が開かれていたり、学生の選手で将来有望だとみなされた選手のトレセンが頻繁に行われています。太田雄貴さんの活躍によりそれにさらに拍車がかかった印象です。
一昔前なら、フェンシングのようなマイナースポーツ(失敬)の国立トレーニングセンターなど想像もできなかっただろう。ちなみにスケボーも2017年からJOCに加盟しているのでそれなりの予算が出されていると思う(たぶん)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/images/3980a.gif
こんな感じになっており、言うまでもなく90年代からの増加は女性選手のおかげであることは明らか。日本の男女平等は完全には程遠いが、宗教や経済的理由により女性がまともにスポーツをできない国はまだまだ多く、それらの国々に比べればまだマシであるおかげと言える。
80年代からお見合いが減ったといえ、今のスポーツ選手はその世代の子供にあたり、たかだか1世代しか経過していない。そのような少ない世代での効果などたかがしれている。さらにお見合いがなくなった80年代の価値観で言えば、男性の魅力は経済力という時代なのでスポーツ能力とは全く関係がない。スポーツができてモテるのはせいぜい中学生までくらいのものだろう。
品種改良をしようとするのなら優れた形質を持つもの同士を交配し、さらにその子孫もその形質で選抜しつつ交配を繰り返さなければならない。たかだか1世代経済力で選抜したところでスポーツ能力など上がりようもないのだ。(「最近の東大生は選抜されているから美男美女が増えた」というのも同レベルの寝言だろう)
人の意見に毀誉褒貶があるのは当然なので、反論したいわけではないですが、誤解は解いておきたいので追記します。
これはその通りで私の言葉足らずでした。ああいうのは優生思想そのものではなく、優生信仰とか優生信者とか優生陰謀論とかそういうのが正しいですね。
これもそのとおりです。増田は別に遺伝要素や環境が引き継がれる要素まで否定するつもりはないです。優生学にも科学的な要素はあると思っています。ただそんなにね、1,2世代ゆるふわな身体能力と関連性の薄いセレクションしたくらいで身体能力上がるわけ無いだろ!安直に優生思想で説明するな!遺伝学なめるな!と言いたかっただけです。
理論的には、特定集団を隔離して交配と選択を繰り返せば一定の形質をもった新たな品種を生み出せる、というのは育種学的に見れば当然の話だし、あるいは大集団でゆるい選択を長いあいだ続けることによって平均値を緩やかに変えていく、みたいな可能性はあり得ます。例えば木村資生博士はこの後者の可能性を提案しています。
という問題があって、具体的には2番めの点については木村先生はほぼ自明に賢いものを優遇しようと提案されていますが、目下の少子化で消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もします。家畜の場合「肉が多い方が良い」「産卵個数が多い」など具体的に目標を決めることができますが、人間の場合望ましい形質というのはそんなに簡単には決められないでしょう。(ただ木村先生の活躍された時代は少子化ではなく人口爆発が懸念されていた時代である、ということは背景にあります)
3点目もこれに関連していて、例えば「外見が優れている」価値観の中身などはすぐに変わり得るということです。平安美人は今の美人とかけ離れている…などと持ち出さなくても、イケメンの定義でも昭和と令和では全然違うという現実があります。石原裕次郎や高倉健は今の時代では顔の濃いおっさんフェイスだし、今風の顎が細く中性的なK-POPアイドル的容貌は昭和の時代では気持ち悪いカマホモ野郎扱いでしょう。高々30年(=1.5世代)程度あれば人の価値観はあっさり変わってしまうものなのです。
結局の所「優生学」にも科学的な部分はあるがその部分は「育種学」と呼ばれるものであり、このあたりの関係は「脳科学」と「脳神経学」みたいなものではないかと思っています。
子供は大人とは違って変な倫理観とかそういう物がないから合理的だ。
子供は普通から外れた子供をいじめる。でも、普通の感覚、共同体感覚がない子供は大人になっても生きるのに苦労し、死にたいと思うようになる。そうであれば、まだ子供のうちに殺してしまった方が、本人も楽だし、周りの人間への負担も少ないだろう。
狩猟採集をしていた頃の人類もきっと、普通とは違う人間をいじめ、時には殺していたに違いない。それが、農耕をするようになり、普通とは違う、本来であれば生きるべきでない人間も、労働力として使えるようになってしまった。
1920年代には、優生学といって、国籍障害の有無で強制的に人を殺した方が良いと言う考え方が広まったらしい。私は、これには断固反対する。本人の意に背いて殺すことはよくないからだ。
ただ、そうすると、いじめられている子供のうち、死にたくないと思っている子供は殺すべきではないことになる。そして、その子供が大人になって、自ら死にたいと思うようになってから初めて死という救済を与えられることとなる。だが、これは無駄に苦しませるだけだ。
将来苦しむとわかっているのに生かすことは果たして人道的と言えるのだろうか。
・「西欧」が絶対。西欧の進んだ人権意識についていけない「野蛮人」(日本人、特に九州などの田舎者、アラビア人など)を差別しまくるのが「人権意識」だと堅く信じています。
・「対立と分断」。「フェミニズム」とは男性の人権を否定し、差別されて良い属性を男性の中にのみ求めることで十分達成されることだと信じています。ルッキズムも学歴差別も収入差別も年齢差別も、女性にやってはいけないだけで、男性にやることはむしろ「良い差別」だという固い信念を持っています。
・「選択的反知性」。こういう没論理、言葉のねじ曲げ、無責任な屁理屈を、「正しい目的(表層的なアップデートのアピール)」のために行うことは「良い屁理屈」だと本気で思っています。日本の人文系学会ではそれこそが「学術的に正しい行い」なので、大学人が率先してこの反知性行動に邁進します。
このように、日本では「リベラリズム」「人文科学」というものが、単に古臭い脱亜入欧意識を強化し、夏目漱石が「間口だけ立派なものを拵えて中身はガタガタ」と評したまんまのいつもながらの薄っぺらな真似事に終わりました。
欧米に追いついたつもりで馬鹿な侵略戦争に邁進した戦前、バブル景気に浮かれてまともな経済政策を放棄した失われた30年、それと同じことが日本では学術界でも起こってしまうのですね。