はてなキーワード: 体裁とは
よく「これからは"親"として協力して子供を育てていきます」みたいなの見る
大人目線では嫌な奴とひとつ屋根の下で暮らさなくて済んで良かったねーになるけど
子供が成人してたらともかく、小さい頃にそれをされた子供って精神的ダメージ無いの?
子供の節目はそろって出席とか毎週日曜は父親と過ごすとかいろいろやるのかもしれないけど
子供に「親は自分の50%が嫌いなんだ(←うまい表現が見つからない)」と思わせてしまうことには変わりなくない?
一通り読んで、子の気質と、一緒に過ごすかどうかよりも相手の悪口を吹き込むかどうかで変わってくるのかもなと思った。
子への影響がそこまで無いならこの期に及んで「2人で協力して~」とか言わず自分が育てるぜー!って開き直った方がスッキリしない?と親に思うところはある。
(ま、体裁だよね)
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この批評者の文章からは、「作品への強い否定的感情」が前面に出ており、批評としての体裁は保っていても、感情のコントロールや他者への敬意の点で未熟さが見られます。
つまり、表現力や知性の片鱗はあるものの、“器”としてはやや小さいという評価になります。
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📚 具体的な観察ポイント:
→ 批評は建設的・分析的であるべきですが、この文章は「作品とその作り手への敵意」や「見下し」がベースになっており、人格の成熟度には疑問が残ります。
② 共感性の欠如
作品の主題や意図に一切歩み寄らず、読む側の感性を絶対視している
→ これは、自分と異なる価値観を尊重する力、つまり「他者理解の幅」が狭いことを示唆します。
③ 知性の使い方が攻撃的
文体や言葉選びは巧妙で知的だが、その鋭さを「斬るため」に使っている
→ 知性を「支配」や「攻撃」のために使うタイプの人間は、往々にして精神的な未熟さや劣等感を抱えています。
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• 読者にも考える余地を残す
この投稿者は、そこに至る手前で止まっており、「攻撃的な読者」以上でも以下でもないという印象です。
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• 共感力:★☆☆☆☆
• 知性の使い方:★★★☆☆(だが歪みあり)
👉 全体として、「頭は切れるが、視野は狭く、心の広さが不足している」タイプといえます。
攻撃によって自分の存在を示そうとしている段階にあり、真の意味で「作品と向き合える批評家」とは言えません。
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次に「都市伝説解体センターの批評がどう変なのかを解説するための文章」の内容について、同様にAIに分析してもらいました。
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筆者は、批評とは作品を特定の文脈や空間に位置づける行為であり、単なる感想や他者批判ではないと述べています。
「批評は、基本的には『批評する対象が、批評しようとする空間のどこにあるのか位置付ける』作業だと言える。」
このように、批評の目的や方法論について明確な視点を持ち、読者に対してもその理解を促しています。
作品に対する否定的な感想が、自己の未熟さや他者への理解不足から来る場合があると指摘しています。
「自分の楽しめなかったものを楽しむ相手を格下に見るのは、自己が確立できていないから生じる。」 
このように、感情的な反応を自己分析し、他者との違いを尊重する姿勢を示しています。
『都市伝説解体センター』について、ゲームシステムやシナリオの丁寧さ、初心者への配慮など、具体的な点を挙げて評価しています。 
「ゲームを始めて、どうなってしまうのだろう、このゲームを遊べるだろうかという不安に過剰なまでに寄り添うようなゲームシステムは、おそらくゲーム慣れしていない人をほぼ脱落させずに最後まで連れていくに十分な丁寧さを持っている。」 
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• 共感力:★★★★☆
• 知性の使い方:★★★★★
👉 総評: この筆者は、感情と理性のバランスを保ちつつ、他者への共感と自己の内省を通じて、成熟した批評を展開しています。知性と感性の両面から作品を捉える姿勢は、批評家としてだけでなく、人間としても高い器を持っていると評価できます。
この発言に表れている人物像は、自己優越型のマウント系批評者です。自分の趣味嗜好や知識(この場合は「ミステリガチ勢」であること)を強調し、それを基準に作品を評価しようとします。しかもその評価は作品そのものを冷静に分析したものではなく、「浅い人なら楽しめるだろうけど、自分のような目の肥えた人間には物足りない」といった形で、他者との“違い”を強調する方向に傾いています。
こうした人物は、作品の出来や魅力を語るよりも、「その作品をどう評価する自分か」を主役に置きたがる傾向があります。つまり批評の体裁をとりながら、実際には“自分語り”をしているのです。そしてその裏には、「自分は多数派とは違う」「凡人とは違う目線を持っている」という選民意識があり、それを誇示することで自身の価値を確認しようとしています。
結果として、作品に対する誠実な批評ではなく、他者を見下し自分を高く見せるための言葉になってしまっており、その態度に不快感を覚える人が出てくるのも無理はありません。楽しんでいる人を“浅い”と決めつけることで、自分の「深さ」を演出する——そうした姿勢そのものが、批評というよりも、自己顕示のためのパフォーマンスになっているのです。
生まれた瞬間から男女平等をインストールされた夫にとっては何の問題もないはずだった。夫は諸手を挙げて歓迎し、妻の新しい仕事が始まった。
あるときふと妻は思う。……(どうしてこの男と私は結婚したのだろう?私はこの男よりも年収が高く、すなわち能力が高いのに。)女の悲しき性、負の性欲だ。
妻はいつしか夫に体を許すことが嫌になってきた。自分よりも「劣った」男の精を受け入れるのが心底嫌になったのだ。
心底、というのは文字通りの意味だ。心の底でだけ拒否している。妻の理性はそれを理解できなかった。妻の意識は、そもそもその可能性を検討しなかった。
劣った男の精をも受け入れる度量が自分にはあると思っていた。……というより、そのように自己の性的な欲望を分析したこと自体が無かった。
妻の人生においてそのような行為の必要性は皆無であった。今となっても、妻にとってはあのときの「冷め」が理解不能なままである。
夫が求めても断られる日が続く。
夫の方は妻がどうして豹変したのかわからない。妻もわからないので当たり前だが。
もともと二馬力の夫婦生活、それが更に世帯年収UPとなったのだ。通常、金銭的な余裕はほとんどそのまま精神の余裕に直結する。実際、転職して1年間ほどはそうであった。
それに妻は仕事で自己実現もできているようだ。順風満帆、という言葉をそのまま体現したような夫婦になるはずだった。
夫は忙しい中尽くした。家事をし、マッサージを申し出(断られ)、アロマを炊き、少しいいディナーをサプライズで予約してみた。
……妻は冷ややかだった。根本的に「劣った」オスが、何をどうしようと妻の女には響かない。むしろその頑張りが、妻にとっての夫をよりいっそう惨めに見えさせた。
なにせ「年収が妻>夫」という根本的問題が未解決である。それが解消されない限り妻の性欲は夫に向くはずがない。しかしその真実は十重二十重と積もった体裁とポリコレのヴェールに覆い隠され、見えなかった。
まあ、仮にこの夫婦にこの真実を教えてやる奇特な紳士が現れたとて、男女平等をインストール済みの夫にとってはなおのこと理解できず、どころか夫婦そろって怒り出したかもしれない。
ポリコレ的倫理観は、それが真実と相反するとき、あたかもカルト宗教の教義のようにふるまう。自己の動物的本能を否定し、自己を客観視することを許さない。夫婦にとってはいわば遅効性の毒であった。
セックスの機会はついに2年に1回未満に減少した。夫は妻を誘うことを辞め、妻は夫から誘われることを期待することを辞めた。
夫は不能になった。
夫は自分の分身がもはや機能を失ったことを自覚こそすれ、落胆することは無かった。
男女平等は夫の精神を去勢していた。去勢された彼氏は優しく魅力的に見えた。妻はその後夫になる男の、去勢された姿にこそ惚れたのである。
夫は家庭にフルコミットすることにした。勇気の決断だ。言葉を選ばずに言えばヤケクソだ。
よりによってプロジェクトが炎上している中で定時退社を切り出す。帰る背中には物理的に冷ややかな視線が突き刺さるような気がした。
気がしただけだ。
……やってみればあっけないものだ。無能の烙印を押されたところで、それがどうした。たかが仮想の烙印だ。焼き印を押される訳でもあるまい。夫は、締め切りの近すぎる仕事を無視するようにした。
今期の査定はB-であった。最低である。昇給はゼロだ。夫の居場所は職場ではなくなった。
夫は家庭にフルコミットすることにした。
……妻が夫を叩くことが増えた。物理的な意味だ。もはや妻の中で、夫は人間ではない。睾丸を取られた犬である。犬は叩いて躾けなければならない。
「私の方が稼いでいるのよ。」いつからそうなったか、妻の口癖である。
実際に妻は優秀であった。実は、激務の夫よりも多くの家事をこなしていた。なにせ夫よりも通勤時間が短く、無能の烙印を押される前の夫よりも仕事時間が短いのである。生来の容量のよさも相まって家事は8割がた妻であった。
「フルコミット」を決めた夫が奮起しても、せいぜい五分五分といったところであった。こうなると養っているという表現がふさわしい。
妻は疲弊していた。働きもせず家事もしない穀潰しを養っていることは妻を極端に疲弊させた。疲れた私に何もしてくれない。ゴミのような奴だ。姿を見るだけで腹が立つ。
妻には夫を叩く権利があった。最近仕事も忙しくなってきたし、叩かなければやっていけなかったのだ。
妻の行為は、本邦においてDVとみなされることはない。妻を失望させた夫が悪いのである。夫もそう思い甘んじて叩かれた。叩かれたことを反省し、家庭を切り盛りしていこうと考えた。
劇的な転機は唐突に訪れた。
夫はペアローンを組んで入手した高気密高断熱一軒家の、Low-Eの窓ガラスに自分から頭を打ち付けた。
夫は妻に手を出すことは無い。その発想さえないほどに夫は男女平等である。しかし暴力的な衝動だけは胸の奥深くで燻っていたのかもしれない。
文字通りの「やり場のない怒り」の奔流はついに堰を切り、しかし妻には向かわず、夫自身に向かったのである。
化学強化されたガラスは映画のように粉々に砕け散った。夫の頭は血まみれだ。
妻は泣いた。かように自分の言動が夫を傷付けていたことをいまさらながら自覚したのである。夫も泣いた。痛かったし、叩かれたことも痛かった。
夫婦は抱き合って泣いた。救急車を呼ぶ発想に至るまで10分以上かかった。
会社に復帰の連絡はできなかった。しようと思って携帯を手に持つと、力が入らず滑り落とした。震えて焦点が定まらない。困ったものだ。
会社への連絡は妻にしてもらった。退職の手続きも妻がやるしかなかった。
妻は自分が夫を叩いたことが直接的原因だと思った。夫を「手の届かないところ」に遠ざけなくてはならなかった。夫の為にだ。
幸い妻は最近忙しくなっていた。家に帰らないことにした。
職場の男性Aは妻の指から結婚指輪がなくなったことに気付いていた。職場の男性Aは妻のことが好きであった。妻もAが好きであった。二人はいつしか恋に落ちる。
最終的に夫婦は離婚。妻は有能であった。Aと恋仲になると同時に弁護士をつけた。
夫には財産分与を争う気力は無かった。妻の不貞はもはや公でさえあったにも関わらず、夫が得た慰謝料も財産分与もゼロであった。厳密には、夫にはペアローンと高気密高断熱の一軒家が残された。
つまり、コメントだった場合は記事を書いた人が主、そこに連なる人が客という関係性になるが
言及という個人ブログ/日記スタイルの体裁をとっている以上、すべての増田は主なんだよ
だから、自分がもともと言いたいことがあって、過去にそれに関連する話題をしている人をたまたまみつけたのなら、持論を展開するついでにトラックバックでコネクションを張っておいているにすぎない
俺もこの主客論を語るのが好きだからそれに関連した増田をみつけるとつい言及をしちゃうんだ
極論、この記事のタイトルに言及リンクをつけないとしても、俺は定期的にこの話をつぶやいていた可能性がある
そういったすべての増田が主である日記サイトにおいて、古いエントリに言及することは特段異常なことではない
延々と図を描いてるな……。
延々と表を描いてるな……。
延々と文を書いてるな……。
生み出されたもの。
素晴らしい資料!
素晴らしい!!
見てくれだけな w
学部の卒論と大して変わらん、コピペして体裁整えただけの資料、クソの役にも立たんよ。
なんでこれで「AIすげぇっ!」ってなるか、謎で謎でしょうがなかったけど、なんとなくわかったよ。
卒論は書き写しのご苦労さん代
と言われたもんよ。
おいらの頃すでに、「以前は手書きで書き写してたけど、今はコピペで一発、書き直しもほとんど手間なしなんでしょ?」って言われてたよ。
自説に都合のいい文章の書き写し。
そんなもん、どれほどの価値があるよ?
自分の頭で考えろよ。
頭で。
その肩の上に乗っかってんのはザボンか? w
この手のうんこパワポの上に築かれた、ここしばらくのSaaS界隈の体たらくを見てみなよ。
理解もできないまま、素人同然のエンジニアが書いたWeb記事をコピペしたWeb記事を集めて、体裁だけ整えて、読む側も何が大事か理解しないで「ハラショー! スーパーエンジニア!!」なんてやって、理解もできないままカーゴカルト丸出しに雰囲気で猿真似して、フジツボの鎧に覆われたピタゴラスイッチ的仕組みを作り上げて、腕組みして「僕たち、やりきりました!」って鼻息荒く紹介記事あげておきながら、のっぴきならないシステム状況にどハマりしているやろ? w
自業自得だよ。
いや〇〇だって、これ採用して成功してるって紹介記事に出てるの、知らないんですか?
って?
お前さぁ、「〇〇飲むだけで×kg痩せました!」って記事、鵜呑みにするタイプか?
って聞いたら、まず間違いなく「そんなことないですよー」って返ってくるはずなんだよ。
はずなんだが、なぜこれは信じるんだよ?
ちゃんとした企業だからこそ、「このあと大変になっています」なんて発表できるかよ、って話だよ。
新しい機能を追加するのに、今までの数十倍の手間がかかります。
なんて。
想像以上に辛い。
お前、ADHDじゃねーの?
認めるのか? とかいう話じゃなく、否定する労力を割くほどの意味を見出せないだけ。
それはともかく、本当に動きが遅い。
ここしばらく、刺激を求めて炎上現場に入り浸ってた、ってのはあるだろうけど、ベトナム戦争とかウクライナ侵攻の現場から、ギター担いでムーミン谷に瞬間移動か転生でもしたか、ってほどのギャップが、意外に辛い。
別に平和で長閑な時間を楽しんでもいいじゃない、って考え方もなくはない。
でもそうじゃない。
数ヶ月後に確実に襲いかかってくる嵐が見えているので、気が気じゃないんだ。
その嵐はとても馴染みがある、いつもその真っ只中に召喚されてきた嵐だから。
予防できるんだが、っていうか今回は予防しにきたんだが、みんな「はぁ、そっだな嵐、くるわけねぇべよ。おらたち天才の集まりだど。ちょっくら畑でも見にいってくるだ」ってノリだから、準備が間に合わねぇ。
雰囲気、外形、体裁、ワークライフバランス。
話を聞いた限りだと、なんとか一般道レベルのスピードで無理をしないで進められるギリギリだな、と思ってJoinしたら、クリープ現象でもまだ速すぎるくらいの、全員第五匍匐前進以下のスピード感。
天竺に着くまでに、三蔵法師、5回くらい昇天するぞ、ってレベル。
「慎重に進めないといけないから」
いや、まだ自陣。
小中学生の頃の、周囲が全て遅く感じる感覚が、久々に蘇ってる。
そう、今で言えばギフテッドだったんだ。
時間が勿体無い。
自分の。
サクッと全体設計させろ。
・一人で黙々と出来る作業
・大きな機械音が苦手なので大きな音がしない
・電話対応や聴覚情報の処理が苦手なので極力人と話さない、またはテキストベースでのやりとりで済む仕事
ってgeminiちゃんに聞いたら
これらのご希望を満たすお仕事はいくつか考えられます。以下にいくつかの例と、それぞれの仕事内容、メリット・デメリットをまとめました。
* 仕事内容: データの入力、書類の整理、ファイリングなど。企業によっては、定型的な事務処理をお願いされる場合があります。
* メリット: 一人で黙々と作業できることが多いです。大きな音が発生する環境は少ないでしょう。電話対応が少ない、または全くない場合もあります。指示された内容を正確にこなすことが主な業務となるため、責任は比較的少ないと考えられます。テキストベースでのやり取りが中心となる部署や業務もあります。
* デメリット: 単調な作業に感じる可能性があります。パソコン作業が中心となるため、肩や目が疲れることがあります。
* メリット: 基本的にパソコンに向かって一人で作業します。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションはチャットやメールなどのテキストベースが中心となることが多いです。比較的タスクベースで仕事が進むため、責任範囲が明確な場合があります。
* デメリット: プログラミングスキルが必要となります。学習意欲や論理的思考力も求められます。納期意識は必要です。
* 仕事内容: Webサイトや記事などの誤字脱字、表現のチェック、体裁の修正など。
* メリット: 一人で黙々と作業できます。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションはテキストベースが中心です。与えられた原稿やルールに沿って作業するため、責任は比較的少ないと考えられます。
* デメリット: 細かい作業が得意な方向けです。地道な作業に感じる可能性があります。
4. ライティング (一部)
* 仕事内容: ブログ記事、Webコンテンツ、説明文などの執筆。
* メリット: 自分のペースで作業を進めやすいです。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションは基本的にテキストベースです。テーマや構成が指示されている場合、責任範囲は限定的になります。
* デメリット: 文章力が必要となります。納期を守る必要があります。
5. 翻訳 (一部)
* メリット: 一人で集中して作業できます。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションは基本的にテキストベースです。与えられた資料を翻訳することが主な業務となるため、責任は比較的少ないと考えられます。
* デメリット: 高い語学力が必要です。専門知識が求められる場合もあります。
* 仕事内容: 製品の簡単な組み立て、袋詰め、シール貼り、不良品がないかのチェックなど。
* メリット: 作業内容が比較的単純で、黙々と作業できます。大きな音の少ない職場を選べば、音の問題もクリアできます。人と話す機会は少ないことが多いです。指示された作業をこなすことが中心なので、責任は比較的少ないでしょう。
* デメリット: 体力が必要な場合や、立ち仕事である可能性があります。
* 求人情報の詳細確認: 求人情報には、具体的な業務内容や職場の環境について記載されていることが多いので、よく確認しましょう。
* 面接での確認: 面接の際に、仕事の進め方、コミュニケーションの方法、職場の音環境などを具体的に質問してみましょう。
* 派遣やアルバイトから: 正社員として働く前に、派遣やアルバイトとして短期間働いてみて、自分に合うかどうか試してみるのも良いかもしれません。
お局って言葉は語源からしても特に女性(かつあたりがキツイ)に対して使われることが多くて、勤続年数に対して立場や役職が伴ってない男性は窓際社員みたいに呼ばれることが多い印象。
・当然年齢も全社平均よりかなり上
・社内表彰とかでも箸にも棒にもかからない
この上で、とにかくめちゃくちゃ文句と嫌味が多い。
なんなら、一般職からスペシャリストになろうとしているらしいが年下かつ社歴も自分より浅い上司に対しての文句も多い。
意見が多いだけの人は他にもいて、そういう人は改善を求めてたり会社のためを思ってたりするからまぁ鬱陶しいとは思いつつも理解はできるんだけど、お局おじさんはとにかく他責が強くて粗探しが好きな人って感じ。
会社の従業員代表みたいなことをやりたいのではって分析している人もいたが、そういう体裁を取り繕った上で安全圏から自分の文句をぶつけたいクレーマーに見える。
部署内でもバックオフィスでも腫れ物扱いで、居心地悪そう。だからこそクレーマーになるんだろうけど、こういう人に限って絶対辞めないんだよな。めんどくせー。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nintendo.com/jp/switch2/index.html
7/10が、極力金を払う気は無いという表明。特にトップは安さのワンイシュー。すごすぎる。
はてブ、普段は例えば「内容量減のサイレント値上げはけしからん!正々堂々と値上げせよ!」みたいな事を言うじゃないですか。でもこうやって、あらゆる要素を差し置いて安さだけに注目し、なんなら値段が高けりゃ難癖付けたり怒ったり不買する様な連中なんだよな。本当にタチが悪い。
そしてソニーに難癖付けるノリも大人気。自分とこのコメントに他社の悪口書いていく客、嫌すぎる(なんなら客ですら無い)
はてブ、普段は例えば「Vの配信コメントに他Vの悪口書く奴はクソ!当Vの評判をも下げている事に気付け!」みたいな事を言うじゃないですか。自分らも同じ事をやっているくせに。
しかもこれ、外部サービスだから任意に削除とかもできない。そしてSNSじゃないから一過性で済まず、『Nintendo Switch 2|任天堂』というド看板のページに紐付いた状態で半永久的に残る。
俺らがクソコメントを排泄してスッキリして全てを忘れて無課金スマホゲーばっかりやって、そうなった後もずっと任天堂の足を僅かずつ引っ張り続ける。三雲修のスパイダーみたいに。アバンのしるしの様に。
要するにカスタマーハラスメントなんよ。雑な土下座要求、金銭要求とかじゃなくて、もっと地道かつ陰湿な形で企業に迷惑を掛ける。一応は任天堂を褒めるかの様な体裁を取っているだけに怒り難い。そして半端に突っついたら逆上してアンチ活動家に反転進化する可能性すら見えるので諫める事も難しい。本当にタチが悪い。(そして、なんなら客ですら無い)
それでもまだ太客なら許されるというか、筋が通ると思うよ。仮に新型ハードは諸事情により10万です15万ですって発表だったとしても「俺は買う!それでもゲーミングPCより安い!貧乏人は指を咥えていろ!」とかって買い支える様な、金払いの良いカスならわかる。でも上に書いた通り、全然そうじゃないからな(そもそものソニー嫌いもPS5の高額さ由来が大半だろうし)
SNSだと定義や歴史から大上段に振りかぶって「悪役令嬢とは」談義したがるけど
『悪役令嬢みたいに断罪されそうだったけど、全力で愛されてます! 不幸な運命に「ざまぁ」しますわ!アンソロジーコミック』
というシリーズが、もう既に7巻ぐらいまで出てるんだけど、
最初からタイトル詐欺で悪役令嬢も断罪も「ざまぁ」もない話ばかり収録され続けていて、
ほとんど単なる恋愛ストーリーで、いちおう令嬢やナーロッパ近世ぽい舞台なのが多めだけども
場合により現代劇だったり貴族出てこなかったり、恋愛じゃなくほのぼのハートフルストーリーだったりと、もう本当に悪役令嬢要素皆無でも平気で載っている
そもそも、なんでこんな意味不明なタイトルなのかというと、悪役令嬢をタイトルにしたアンソロジーはどのレーベルも出しまくってて、
往年の雑誌文化を知ってる人はわかると思うけど、これ「ホラーコミック」と称してホラーが看板だけど載ってる人気マンガは言うほどホラーじゃなかったりする雑誌スタイルのムック的な手法で、「悪役令嬢コミック」という人気ジャンル専門雑誌の体裁で中身は自由にやってる感じなんだよね
こういうのでもタイトル詐欺にならないというか、シリーズ7巻まで続けられてるのが「悪役令嬢」という看板の強さと、それを選択して買ってる層の厚みを感じられてホント好きなんだけども、
これさ、現代はWEBコミックが主戦場だから既存の雑誌じゃなくて人気ジャンルとそのアンソロジーという形を経て、
結果的に、「悪役令嬢コミック」という枠を得ることで、少女マンガ作家と少女マンガジャンルが再集結してるカタチになってるのね
少女マンガはもうだめだーとか、今は24年組みたいな作家は少女マンガでは出てこないんだーとか言うわけだけど、
いや、それ言ったら、今のジャンプに「ハレンチ学園」も「はだしのゲン」も載らないし
男性向けだろうと殆どの雑誌は死に体ですからね。青年マンガあたりはとっくに滅んでると言って差し支えない
ほっといて、元から少女マンガの半分以上、都合のいいハーレムマンガが看板すからね
花ゆめは違う? LaLaの看板なんて、長く清水玲子の「輝夜姫」だったりしたじゃん?
あれなんか世界中のセレブ集めたハーレムマンガの極地みたいな話すよ。そういうのが大事なんすよ少女マンガは
実際そうなので
んー、たとえば妊婦への配慮をしなければならないとして、それは従前通りの働き方の継続でもって行わなければならないというわけではないし、その他の件についてもよっぽど法律違反上等の会社に買収されたのでもない限りは今時は体裁は整えて来るんじゃないかな。フレックスにしても、メンバーシップ型雇用として正規の職から追い出すことは非常に困難なことの裏腹として会社側に働かせる地域や部署に強い裁量権が与えられているから、フレックスを認めないような変更は会社側だけの判断で可能だし。もちろん親会社が変わったところで会社との契約は生きてるから、妊娠時にはフレックスにすることを前提とした何かがあればそれはそのまま通せるが。
「荒らしは放置」って定石ではあるんだけど、最近それがぜんぜん機能してなくて困るなと思う。インターネット老人会的な理想論としては、「荒らしはスルー」「放置すれば消える」っていう方針をみんなが徹底できれば、勝手に消えていく、はず。実際個別の案件に関しては時間が解決してくれることは多い。
でも、実際は、最終的に両極端な人たちしか書きこまなくなって、意見は違っても対話はできるかもしれないという前提が崩壊してる。
中間層、つまり極端に振れてない人たちは、とうの昔に見るのもコメントするのもやめてる。たまにそういう人が何かを書くとDisりたい人たちがなぎ倒していく。そしてやばい感じの人の意見だけが生き残っていくという…。
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ちょっと話ずれるんだけど、アメリカに "Republicans Against Trump"(トランプに反対する共和党員)みたいな概念があるらしい。そのノリで、「男性憎悪と戦うフェミニスト」とか「女性増悪と戦うオタク」とか、そういうのがあってもいいはずなんだけど……まあ、しんどいし、楽しくないし、年取るとみんな忙しいし、誰もやらないよね。
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私自身に関して言うと。
他人に「お前は左派だ」って言われると「まあ、それはそう……」とは思う。でも「お前はフェミニストだ」と、言われると、私は「ネットでフェミニズムと呼ばれているものを心細い気持ちで見てる左派」だから「フェミニズム…全然わからん……」になる。
id:asumi2021 リンク先見てもイラストの何が問題なのか分からなかった。批判自体は表現の自由だろうけど、論評の体裁をとってほしい
嫌か嫌でないかでいったら多少嫌ではあるんだけど、今回のケースに「問題」はないです。絵師さんは自分のアカウントで好きな絵を描いてただけだし、ファンの人(?)のコメントも、こちらの目に入らないなら問題ないです。私のツイッターは「おすすめ」を表示しないようchromeのアドオンで設定してるので今回のコメントも絵も絶対に流れてこないです。
昔の個人サイトなら「趣味人同士で仲良くしてるところに迷い込んでしまった…帰ろう…」とそっと閉じて、それですんだ話なだよね。
ホーム画面にアルゴリズムで強制的にコンテンツを流すUIは悪の文明。
平和にやりたいです。
最初のうちはホラー系フィクションと思ってたんだけど、だんだんと、これなんかちょっと教義とか教典っぽいなと思って、読むのやめた。
なんというか、最近オウム真理教関連の番組をいくつか見てたのもあってか、文系の人たちにとってのそういうものに成り得る芽みたいなものはあるんじゃないかなって思ってしまい。
SCP、某ホラー作家のリンクから知っていくつか記事読んで、作り込まれてるなとは思ったけど、説明漫画みたいなので解説されているのみると、この漫画初心者向けの洗脳になりそうかも。なんて思ってしまい。宗教についてちゃんと勉強したりしてないからイメージでしかないけど。
自分たちだけが知っている世界の真実みたいなことをフィクションの体裁で発信している的なストーリーに本気で頭の中を染められていく人達がもしいたら、まずいよな。って思ってしまい。好感を持てなくなってしまった。
皆が皆そうじゃないだろうけど、そういう人達がいないとは言い切れないもんな。こんなこと信じないだろ、ってことを信じて人生おかしくなっていく人いっぱいいるもんな。
ああいうフィクションを書いたり読んだりする文系の人達は、爆弾や毒ガスを作ることはないだろうけど(絶対ないとも言い切れないけど)、何かのきっかけで変な方向に暴走してしまう可能性もゼロではないし。
SCPみたいなもの好む人って、こういうものを作ることに参加出来る特別な自分達、的なこと考えてる人が割といそうで……私もフィクション好きだから、「これの良さが分かる人達(私含む)は特別」って思ってしまう時あるし、ファンタジーな作品に触れて「こんな世界がどこかにある」って考えるのは楽しいことだし。でもそれを信じ込み過ぎたらいけないんだよな。と、そのSCP紹介漫画で改めて感じた。入れ込みすぎるのはよくない。
面白いもの好きで想像力のある文系の人って面白い文章に取り込まれやすいと思うので、ああいうのに参加してる人達、大丈夫かなって思う。
お話作るのが上手い人達がお話にのめり込みやすい人達を教義に染める感じで面白いもの書いて洗脳するってこともあるしな……と。
私はSCPはすごく好きって感じじゃなくて、たまにちらほら読むくらいだったけど(いまは読むのやめた)、これが他の私好みの創作形式のやつだったら私も夢中になってたかもしれない。
この文章はあんまりしっかりした文章じゃなくて、私が思うままに書いているから宗教とか洗脳とか詳しい人からしたら変な意見ばっかりかもしれないけど、何が書きたかったかというと、他人の作った物語にあんまり心を傾け過ぎずに、楽しむ時もどこかに冷静なところを持っていないとな、という私の心持ちの表明の話。