はてなキーワード: 不連続とは
たとえば高校物理で音波を伝達する空気の密度を導出する際に微分が出てくる。
私はここで引っかかってしまう。
微分が使えるということはここでは密度の(関係)式がどんなスケールでも保存されるという前提があるはずだ。
微分というか極限はそういうフラクタル的な(稠密性の方がいいか?)性質を要請するものだ。
しかし空気はひとつながりの、一枚岩のような物体ではなく最小単位を持った物体であり、また一定スケール以下では量子的な世界の存在になってしまう。
だとするとあらゆるスケールで密度の式が同じとは無条件に言えるものではなく、証明を要する事実なのではないか。
端的に言えば、あるスケール以下では、たとえばその空気の分子と分子の間隔の平均を圧倒的に下回るスケールでは、質量÷体積の、質量の方が0になるのが当然という状況になっているのではないか。
ようするにある地点を中心として空気を囲った体積による平均密度の、その体積を連続的に小さくしていったときの変化のグラフに、原点以外でも不連続な箇所が生じてしまっているのではないかということだ。
もし本当にそうなら微分は使えない。
この「何も説明しない(暗黙とは違う?)」という形での天下り式での解説に、学習者はどう対峙すればいいのか。
何も説明しなくても自分でその妥当性が納得できるでしょうという期待をされていると楽観的にとるべきか。
そういう高校物理レベルのことが最先端だった時代の当時の科学者なら、自力で「ここは確かに微分でも構わない」と納得していたかもしれない。
つまり現代のカリキュラムとして物理を学んでいる人と、それが最先端だったときの科学者としては、積み上げているものが違うのだ。
たとえ昔の人でも当時の科学者はそれまでも演繹的に増やしていった知見をバックボーンとして備えたうえで臨んでいるわけだから、そういう判断に関して、現代の高校生にはない、ある種のセンスがあると思う。
良い意味でも「悪い意味でも」カリキュラムとして再構築されたものを勉強している学生の知識の積み重ねというのはある意味で不自然な(時系列として変な)積み重なり方をしていて、当時の学者と同レベルの事実の真偽を判断するのは難しいことがあると思う。
天下り式はよくないと思う
こういった問題は他の事にも言えて、ピタゴラスの定理に対する習いたてで証明を追わさたが「まあ別に難しくはなかった」とか言ってるような中学生と、当時のピタゴラス本人(正確にはピタゴラス学派の誰か)とでは、その定理に対する理解の深さが全然違うだろうとか思う。
0の概念すらないものの自然な学問的研鑽の帰結として自力でその定理にたどり着いた者と、再構築されたカリキュラムで小学生のころから近道を走らされその定理を知ったものとでは、やはりバックボーンの質の高さというものが違うから。
流石にちょっと進展に怖くなった。今まで数学的な演習問題を解かせてきてバカ丸出し(タダで試せる汎用AIの範囲)だったが、gemini 2.0 Flash Think(experimental)とかいうの試して心胆寒くなった。gemini1.5であんだけ低能晒していたのに...。gemini1.5の時はソーカル事件で槍玉にあげられたポモの人たちの劣化バージョンのような解答よこしてた(論理性0で、キーワードいじって答えになるっぽい式並べただけ)のに、2.0 Flash Think(experimental)になるとちゃんと自分の提案を検証する(gemini1.5ではしない、copilot、ChatGPTも。grokは検証するのだが無限ループに入って無料限界越え)のみならずこちらからは「思考による努力」と思わせる言葉を吐きながら数分の長きにわたって(人間とは違うので数秒で新しい案出して検討する)「努力」した。残念ながらこちらの助け舟を最後まで理解できないで正答には至らずギブアップ(嘘答え潰していくとちゃんとギブアップするのね)して終わったが、応答の文面からは「理解しようとする」「努力」っぽいものは明らかに見えた。(こちらの出したヒントを一般論から推測して正しいだろうと見做し、そこから頑張ろうと表明してた。前バージョンだと連続関数は時には不連続になる(定義域同じで、同じ関数ですよ?)みたいな意味不明な強がりで「正解」出してた)
これまでの、ネットその他に答転がってなければもうダメです、ではなさそう。grokとこれ以外は明白な感じで勉強できたことを論理性関係なく結んで答え提示してただけなんだが近い将来はどうなるか?
PS1 出したのは絵解きでいいなら幼稚園児でもできる問題(3次元中の2次元曲面なら)を4次元中の3次元に単純拡張した。ただし今のAIはお絵かきは得意なようなんで数式の答えを要求した。
PS2 gemini2.0(以下ry)においても勉強できることはなんでもまずは暗記的勉強してることが垣間見えることもあった。(もちろん人間だってある本で意味わからなかったら別の本にあたってとりあえず読むので必須の行為ではある)gemini2.0君ったら突如こっちが指定したD(t,s)、U(t)みたいな記法じゃなくてγ(t)とか書きやがる。確かに教科書でπ_1(X,x_0)の代表元をγ(t)って書く流儀見るよね、と微笑ましかった。ほんのちょっと前までは本質を理解していない、キーワードを意味ありげにつなぐガリ勉君しかいなかったが、近い将来どこまで伸びるか?(本音はチンケなプライドのためにも伸びて欲しくない)
物陰から慎重に辺りの様子を窺うパジャマ姿の男がいる。その背後から不意に現れた赤いシャツの男、パジャマをいきなり引き倒して殴る蹴るの暴行を加え始める。周囲ではどこからともなく集まってきた群集が遠巻きにそれを傍観している。暴行が次第にエスカレートしてきたので、見物人の一人が赤シャツに近づき、もうそのくらいにしておきなよと宥める。すると赤シャツはまるで何事もなかったかのようにどこかへ立ち去る。一方倒れていたパジャマは草むらの中からゆっくりと、ある種の闇を背負って立ち上がる。その眼は憎悪に燃え、手には長く鋭いナイフが握られている。ぼくはそれを一瞥するやいなや人混みに紛れて逃走を図る。近頃物騒な事件が多い。そういえばMさんは大丈夫だろうか。ぼくは急に気がかりになり、駅の方へと急ぐ。もう夜更けだというのに人通りが絶え間なく続く。ぼくは砂浜のような暗い広場を横切り、砂の丘を登り切る。ようやく前方の人通りが途絶える。たぶんこの向こうはもう海なのだろう。そういえば潮の匂いが微かに頬を掠めてゆくではないか。まるで新月の夜のようだ。とそのとき不意に背後に近づく不連続な足音。振り返る。赤シャツだ。その手にはあの鋭利なナイフの鈍い光。ぼくはその鋭い一閃とともに音もなく腹を刺される。何の痛みも脈動もない。そして必死に抵抗しつつ、思考だけは不思議と落ち着きを保ちながら、ナイフを持っていたのはパジャマの方ではなかっただろうかなどと考えているのだった。
目次
5……はじめに
14……できることをできるって言うのはほら吹きとは違うね。
20……暗望
42……芝居が退屈になったら、客は劇場を出るべきだ。
50……消耗熱のような赤
57……一緒に寝るために。
59……飛び越えるためには幅の広すぎる川のそばに 身軽だった少年たちが今、眠る。
65……でも、お友達はどこにいるの、パパ?
77……聖母マリアは何歳だったのか?
80……コレッジョ性。
84……女子店員レベルの哲学。レヴィ=ストロースはサルトルの哲学の大半をそう切って捨てた。
90……皿洗い。
94……そうです、ヴァージニア
106……驚くべきことではないが。
118……安らかな死に半ば恋した。
135……土曜に死んで、日曜に埋葬
140……しかし行け、そして耳を傾ければ彼女が呼びかけるだろう。
159……誰でもないのが私の名前。皆は私を誰でもないと呼ぶ。
177……白い馬がこちらへやって来る音が聞こえる。
194……私は今日死ねる。もしもその気になれば、わずかな努力で。もしもその気になることができるなら。もしも努力が出来るなら。
付表6 賃金の改定の決定に当たり最も重視した要素別企業割合の推移
平成21年から回答の選択肢に「親会社又は関連(グループ)会社の改定の動向」「前年度の改定実績」が加わって不連続で、しっかり解釈できそうな期間は比較的短い(例えば20年までの回答の”世間の相場”は21年からは一部「親会社又は関連(グループ)会社の改定の動向」に流れたと思われるなど)
①「労働力の確保」と言う回答の割合が26年から上がり始めたように見える。28年の11.0%をピークに以後9%前後。その前の、21年から25年は3.4〜4.3%で世界金融危機で失業者が多かった傷の深さをうかがわせる。
②「物価の動向」という回答の割合は、平成21年から令和3年まで1度しか1%を超えていない。平成17年から数えても同じである。
令和4年に1.3%を記録、1%を超えたのは、平成26年の1.2%以来、実に19年中2回目、7年ぶりであった。0.0%も2回ある。
いかに物価が関係していなかったか、物価が動かなかったかをうかがわせる。
なお令和5年は7.9%。
状態ベクトルの収縮は、ユニタリ変換による時間発展という過程と露骨に矛盾しているように思える。
どのように20世紀の物理学者はこの問題に折り合いをつけていたのか。
状態ベクトルは実際に量子論的レベルでの実体を表すのではなく、観測者の心の状態を表していると主張している。
したがって、状態ベクトルの収縮という過程でのジャンプは単に観測者の知識の状態の不連続な変化の結果で、物理学的実体を持ちうるような物理学的変化ではない。
観測という過程で物理系はそれを取り巻く環境と解きほぐしようもなく絡み合うことになるという事実を利用する。
すると環境における自由度はランダムで、観測不能と考えられるため、その自由度を足し上げることによって、状態ベクトルによる記述ではなく密度行列による記述が得られる。
この密度行列が、基底に関して対角行列となる時、物理系は対角成分のうちの一つによって表される状態になり、その状態にある確率は対角成分の値によって与えられる。
状態ベクトルはユニタリ変換による時間発展をし、物理学的実体を表している。
ただし、それらの観測結果のそれぞれが観測者の意識の異なる状態と絡み合っている。
したがって、対応する異なる意識状態もまた同時に存在し、それぞれが異なる世界を体験し、異なる観測結果に遭遇することになる。
量子力学の従来の定式化は暫定的で、観測過程に意味づけをするために新しい物理理論が必要という可能性もある。
ドブロイ・ボームの枠組みや、コンシステントヒストリーの理論のような標準的な量子力学と異なるような観測結果は持たないようなものもあるが、別な枠組みによれば、少なくとも原理的には標準的な量子力学と新しい理論を区別する実験が存在すると思われる。
おそらく物理学者の大半は、これらの観点の最初の3つの観点を抱いていると言っても良いと思われる。
そうした物理学者は、量子論の形式が持つ数学的な優雅さは言うまでもなく、量子力学の予言が目を見張るような形で例外なく実験によって立証されているということが、この理論が何ら変更を必要としていないということを示す、という議論をするかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20240609120330 の増田です(今のところ他のはわたしではない)。とても大事な指摘だと思って長文書きながら読み直そうと思ってリロードしたら消えていたので中途で放流するね… 読んでくれなくていいし多分後で消す
とりあえず精神病と精神疾患の単語としての区別は、ややこしいだけなのでここでは忘れてください(精神病は言葉のジャンルとしてはメヒョジャミチャー症候群みたいなものと思ってくれたらいいかもしれない)。
わたしの理解が間違ってなければ、ここで使っておられる「精神病」は医者がこれこれの精神科の病気ですと言って治療をしようとするアレ、「正常も異常も地続き」っていうところのあえて言えば異常サイドってことですよね。「精神科の病気」とかぎ括弧つけて呼ぶことにしましょう(概念として存在しうると仮定して)。
一方「精神疾患」はその手前にあるもので、精神的な症状とかしんどさとかの特定のパターンみたいな意味でしょうか。病気かどうかはともかくとして、もともとのAさんの状態とは違っていて(「精神疾患になる」ということがあって)、それが続くと「精神病」になることもあると。正常な心理的な反応として理解できる範疇で、誰でも一時的には起こりうる、みたいなイメージもあるでしょうか?これは長いけど「精神的症状のある状態」としてみます。例えば激務が続いてしんどくなって(あなたの「精神疾患」=ここの「精神的症状のある状態」)、その状態が続くと治療が必要になったり病名がついたりする(あなたの「精神病」=ここの「精神科の病気」)。
ここまで合ってるか自信がないんですが、何にせよ「正常も異常も地続き」ではとか「一般人と切り離す」のに引っかかるとかはめちゃくちゃ大事なところな一方、明確な答えを持っているとは言えない。もっと科学哲学が流行るべきだと思うのですが、なかなかそういうわけではない。一方生物学的な進捗のほうも、正常と異常をなまもの・物理的実体としての脳や体から見分けることは今のところできそうにない。わたし自身も不勉強で、過去精神医学がたどってきた議論をまとめて書くこともできそうにない。
…みたいな書き出しで
みたいなことから書き始めていました
これはおそらく3つの中で最も簡単な方法だ。現在のChatGPTは、基本的に、テキストを入力できる孤立した箱の中に座っている人間のようなものだ。初期のアンホブリング改良では、個々の孤立したツールの使い方をモデルに教えていましたが、マルチモーダルモデルでは、近いうちにこれを一挙にできるようになると期待しています。
つまり、Zoomでの通話に参加したり、オンラインで調べ物をしたり、メッセージや電子メールを送ったり、共有されたドキュメントを読んだり、アプリや開発ツールを使ったりといったことだ。(もちろん、より長いホライゾン・ループでモデルがこれを最大限に活用するためには、テスト時間のコンピューティングをアンロックする必要がある。)
最終的には、ドロップイン・リモートワーカーのようなものができると期待している。エージェントは、あなたの会社に入社し、新しい人間の雇用のようにオンボードされ、Slackであなたや同僚にメッセージを送り、あなたのソフトウェアを使用し、プルリクエストを行い、大きなプロジェクトがあれば、人間が独立してプロジェクトを完了するために数週間留守にするのと同等のことができる。これを実現するためには、GPT-4よりもいくらか優れたベースモデルが必要だろうが、おそらくそれほどでもないだろう。
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Devinは、完全に自動化されたソフトウェア・エンジニアを作るために、モデル上の「エージェンシー・オーバーハング」/「テストタイム・コンピューティング・オーバハング」を解除する初期のプロトタイプだ。Devinが実際にどの程度機能するかはわからないし、このデモは、適切なチャットボット→エージェントのアンホブリングがもたらすものに比べれば、まだ非常に限定的なものだが、近々登場するもののティーザーとしては役に立つだろう。
ところで、私は、アンホブリングの中心性が、商業的応用という点で、少々興味深い「ソニックブーム」効果につながると期待している。現在とドロップイン・リモートワーカーの中間モデルは、ワークフローを変更し、統合して経済的価値を引き出すためのインフラを構築するために、膨大な手間を必要とする。ドロップイン・リモートワーカーは、統合が劇的に簡単になる。つまり、リモートでできるすべての仕事を自動化するために、ドロップインするだけでいいのだ。つまり、ドロップイン・リモートワーカーが多くの仕事を自動化できるようになる頃には、中間モデルはまだ完全に活用され統合されていないため、生み出される経済価値のジャンプはやや不連続になる可能性がある。
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https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/overview_ooms_2023to2027.png
数字をまとめると、GPT-4に続く4年間で、2027年末までにGPT-2からGPT-4規模のジャンプが再び起こると(おおよそ)予想される。
GPT-4のトレーニングに3ヶ月かかったとしよう。2027年には、一流のAIラボはGPT-4レベルのモデルを1分で訓練できるようになるだろう。OOMの効果的なコンピュート・スケールアップは劇的なものになるだろう。
それは我々をどこへ連れて行くのだろうか?
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GPT-2からGPT-4までで、私たちは~未就学児から~賢い高校生になった。とんでもないジャンプだ。もしこれが、私たちが今一度カバーする知能の差だとしたら、それは私たちをどこに連れて行くのだろうか?私たちは、それが私たちをとてもとても遠くに連れていっても驚かないはずだ。おそらく、ある分野の博士や最高の専門家を凌駕するようなモデルまで到達するだろう。
(このことを考える1つの良い方法は、現在のAIの進歩の傾向は、子供の成長のおよそ3倍のペースで進んでいるということだ。あなたの3倍速の子どもは高校を卒業したばかりだが、いつの間にかあなたの仕事を奪っていくだろう!)
続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える(10) https://anond.hatelabo.jp/20240605211837
少し図を改良しました。
これは気体の種類によらない単位モルあたりの定圧比熱、定積比熱について成り立つ。
よって図に即せば、Q1の熱量が加えられて状態AからBに変化する場合において
式iよりCv=Q1/ΔTという等号が成立するはずです。
同様にCp=Q2/ΔT
ここで定圧比熱などの場合は、圧力一定という条件から、PV平面上の経路が一つに定まるわけですが、モル比熱としての普遍気体定数は、少なくとも高校の教科書を見る限りでは、どのような圧力や体積の条件のもとでの温度変化における比熱なのか不明です。
よってPV平面上での経路が不明なわけですが、式iを満たすような熱量Q3を要する経路A→Dは存在するはずで、そのときR*=Q3/ΔTという等号が成立するはずです。
この等号が成り立つQ3をもたらす経路(T0からTへの状態変化時に満たすべき圧力や体積に関する条件)を具体的に教えてほしい、というのが問いです。
「らくらく突破気象予報士」という本には、kgあたりの比熱(つまり個々の気体別に異なる比熱)において
「これは乾燥空気1kgを1K上昇させるために、287Jの熱量が必要ということを表す」とあります。
「乾燥空気1kgを1K上昇させるために、1004Jの熱量が必要ということを表す」
「乾燥空気1kgを1K上昇させるために、717Jの熱量が必要ということを表す」
とあるのです。
ということは、少しでも温度変化において圧力や体積について一定じゃなかったら、不連続的に比熱が287Jから1004Jや717Jに変わるということなのでしょうか?
また、定積比熱よりも気体定数の方が小さいのも腑に落ちません。
定積比熱が既に「与えた熱量のすべてが空気の温度上昇に使われる」という比熱なのに、それよりも気体定数が小さいということは、気体定数に基づいて温度変化するというのは、もっと効率よく熱量が与えられている状況であることを意味することになると思います。
それはおかしくないでしょうか?
766ご冗談でしょう?名無しさん2023/02/19(日) 17:52:56.38ID:???
気体の状態方程式で考えても
たとえば1molの気体について温度100Kで体積1m^3、気体定数Rの気体の圧力P1は
P1=100R
P2=200R
しかし前者と後者は定積変化の関係として結び付けられますから、前者から後者への状態変化は定積比熱に従っていなければならないでしょう。
P1からP2に変化するのに使われた熱量は状態方程式上はP2-P1=100Rと考えざるを得ません。
この100Rと定積比熱から導出されるP1からP2への変化に必要な熱量RvΔT=100Rvは明らかに不一致です。
このあたりも疑問です。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sci/1615460147/764-767
下種の勘繰りが過ぎるわ。教科書を信頼してるからこそ、どう考えれば教科書の式と整合するのか訊いてるだけなのに。
そのためにも自分がしたレスに推論上の間違いが見受けられる場合は訂正してほしいって狙いで、自分の考えを積極的に書いたに過ぎないのに。
性根が曲がってやがる。
とある上場企業A。はっきり言って決算はボロボロ。上場企業Aは不採算部門をかけ合わせて作った会社で、ゾンビ企業として有名。
さらに別の会社Bから金を出してもらって生き延びてる。けども、別の会社Bは投資会社だけど、たぶん新規事業関係の投資は経験ないんじゃないかなとは思う。
会社Bが新規事業関係の投資の経験がない理由は絶望の谷に落ちるたびにやめて、他のテーマを探すのを繰り返してるから。上場企業Aは上場企業なので株式掲示板がある。株式掲示板を見てみたら、他にも中途半端でやめてるテーマ一杯あるのか…と絶句してる。
上場企業Aは夢みたいなことを言ってる。夢の一つはとある大学Cで僕たちが研究していたテーマDだ。ただし問題が解決できず僕は追い出されてる。
新しい技術をいろいろA社は言う。世界一だとか言う。だけど新しい技術なんで、ダニングクルーガー曲線みたいに少し進んだら絶望の谷に落ちる。それは当たり前だと思ってる。
そこで地道に歩めばいいんだけど、めちゃくちゃ短時間で結果出せなかったら終了だとかで実際辞めさせてる。僕なんかそれでやめさせられた。大方他の技術もそうだろう。
やめるに至る経緯も相当立腹しているし、僕は次の大学Eのめどがついたのでもう関係ないわとおもってる。
僕が辞めたのも、大学Cが僕がやってたテーマDで助成金が取れなくて、別のテーマFで助成金取れたからだからな。
一時期テーマDで頑張って結果出して企業Aの株価は倍ぐらいになった。僕もびっくりした。A社の株式掲示板は何事だ!?!?と色めいてた。
だけども、テーマDに問題があるのはわかってた。半年で解決せよという話だった。テーマDの問題は解決できなかった。企業Aの株価は半減している。僕は首になった。
問題点を踏まえて、僕はテーマDで次のアイデアを思いついてる。過去と不連続だから、過去の特許は関係ない。
なんかテーマDの特許について最近ちょくちょく連絡してきてうざい。だけども、この期に及んで特許についてまだ買いたたこうとするかという話。そのくせ僕の論文は放置。論文書く時もテーマDに触れるなとうるさく言ってたのもだいぶ腹が立ってる。
一方で、次の大学Eも分野が全く関係なしというわけではない。時間と金が確保できるなら可能性はあるけど、正直期待できないうえに、ほかの会社の方が可能性あるだろうと思っている。特に中国韓国の会社な。
僕はA社とか日本の将来とか関係なしに僕が財産築けるかどうかだけが関心ごとだ。僕もある程度は無理もするけど、無理をするから無理強い通じるわとしかA社が思ってるようにしか思えない。
先々組む可能性としては金と期間次第では否定していないけど、あまりA社とは組みたくない。
海外企業も少しだけかかわったことがあるんだけど、日本企業の弱い奴を買いたたこうメンタルに比べたら、海外で実際新しい事業を成功させた企業相手の方が時間と金と吟味の大切さがわかるんじゃないかとも思う。
A社も、他のテーマFでも助成金取れた3年間はきちんと最後までやり切れ!とだけが思う。テーマFでどうなろうとも3年間きっちり走り抜けるぐらい、A社と大学Cの元上司が根性入れ替えたら考えてもいいとは思う。
どうせ今の根性のままだったら、僕が戻ってもテーマDも引っ掻き回して待遇落としてまたやめるに決まってる。
上場企業Aは上場企業なので、株式掲示板もある。上場企業Aは完全にバカにされてる。全部ぶちまけてもう可能性が無いからつぶれるよと言ってやりたい気持ちもある。テーマDは僕がいないと絶対に進まないだろうし、テーマFも僕が勤務していた時にあまり展開を考えているようには見えなかった。
テーマFもテーマFで華々しいとは思う。だけど、僕がみるかぎり、どうアプローチするの?とはあまり考えているように見えてなかったし、大方作ってみて絶望の谷に落ちちゃったんだろう。だから僕に声をかけようってか。大学E決まったから、大学Eの任期が切れるまで戻る気はないよ。
いろいろ言いたいことは関係各所に言いたいし、大学Cの元上司にも怒りのメールは送ってる。けど、オーバーフロー気味だろうから元上司がやるべきこと一つだけにしてる。
最後までテーマFをやり切れ。新しいものはうまくいかなくて当然だ。助成金があるから3年テーマFはできるだろう。今の段階で僕に声かけても絶対戻らない。
いっぽうで、上場企業Aはもうだめ。テーマDは僕がいないからもう終わり。テーマFを最後までやりきることだけが可能性がある。他にも今あるテーマをきちんとやり切れば可能性がある。だけども、儲かるかどうかわからないのが新規事業だし、今までのふわふわした腰が据わっていない状態では確実にうまくいかない。
義理があるからテーマFを完遂せよとは願うけども、上場企業Aはさっさとつぶれてくれた方が、僕にまとわりついて引っ掻き回す懸念がなくてうれしいとも半分思う。
今、放送されているNHKの「みんなのうた」たまたま遭遇した放送の第一曲、「たのしいね」が流れたとき、衝撃がきた。ニュータイプ音が鳴ったといってもいい。
https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN202212_03/
私は主にニコニコで隆盛した?「歌い手」というジャンルにまったく詳しくない。プロのカバー曲も好きではないのにいわんや素人をや。しかしゲーム実況は時々漁っているので、いわゆる歌い手のサブ活動のゲーム実況に出くわしてしまうことがある。まあすぐに切るのだが。
そういった中で私の中の、主に男性の歌い手イメージが出来上がってきた。音楽にも明るくないので上手く表現できないのだが…
作ったような高音(ミックスボイス?)
巻く?甘ったるい?母音を強調するような喋り方
無理やり出すような伸ばし声(ロングトーン?)
トーク主体のゲーム実況で感じたこのような特徴。誰々の特徴ではなくあるていど画一的な、量産型、よく出会う特徴。「たのしいね」は全てを兼ね備えていた。特に「あわせてみよ~~~う」の伸ばすところが何かタメがあるのか不連続的で切り取ったような既製品をお出しされているようで非常にムズムズする。「のびのびとした魅力的な発声を聞いて聞いて~~~」と言われているような恥ずかしさがある。(しかしこの部分を何度か聞いているとこの不自然さが頭に残りクセになってくるのだ)
私は念のため正否を確かめてみた。したらばしかり、「天月」という歌い手だった。
先のURLを見るに過去の曲のカバーであり、作曲や作詞は「歌い手」とは無関係だ。(編曲の人は別の歌い手らしい)
つまり、再度になるが私は曲や詞の傾向を無視して歌手の声の特徴や歌い方のみで「この曲は歌い手が歌っているものだ」と看破したのだ。天月氏の声を過去一度も聞いていなくても。だ。
音楽を積極的に聴かない私にとってこういった経験はマレだ。JPOPやV系?ロックやアイドルの曲を聴いても「ああ、あのジャンルの声だなあ」と思うことは少ない。多少わかりやすいのは声優のアニソン系だろうか。歌い手もサブカルチャー畑なのでもしかしたらそういう声優声に寄せているのかもしれない。しかし声優はキャラを演じながら歌うので特徴的になってもそこは意図的かと思う。
詳しい人に語らせればJPOPやロック、EDM~Future Bassなどの歌手の特徴を述べることは簡単なのだろう。だがそうではない私にも歌い手のほかにはっきりわかるジャンルがある。そう演歌だ。
演歌…演歌歌手…すごくわかりやすい…。ただのワイドショーで喋るだけでもその声の張り、コブシがひしひしと伝わってくる。
もうこんな例を出すとおっさんすぎるが、やはり「演歌じゃないけど演歌だ」と幼少ながら感じたのはポケモンだろう。
映画の風といっしょにも有名だしポケットにファンタジーも名曲だ。どちらもポケモンのための曲でありながらやはり小林幸子が歌うと小林幸子になり、それだけで演歌のエッセンスを感じられるのだ。
演歌歌手が演歌以外を歌っても演歌歌手だとわかる。「たのしいね」とちょうど同時期に「これ演歌歌手だ!」とわかる曲が流れていたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=teiFPiZ74Sc
軍歌か行進曲のような曲でも歌い方がモロ演歌の非常にクセになる曲だ。つい口ずさむ。
演歌は私は好きではない。若い世代でも好きな人は比較的少ないだろう。ただ、恐らく若い人でも演歌は演歌として認識されていると思う。30~40代ぐらいの世代の曲はどうだろう。たぶん若い人にとっては知らない曲でまとめれれるかもしれない。ラルクや宇多田を挙げつつもJPOP全盛期とまとめられるだろうか。世代の中にいるせいか、そこに演歌や歌い手のような一大ジャンルの(歌い方の)まとまりを感じられない。
演歌を見るに、おそらく40年後ぐらいになるとおじいちゃんおばあちゃんが「歌い手」を聞いているのではないかと思うのだ。今の演歌の地位に歌い手というジャンルが収まる。
一点、「歌い手」という歌手が何十年もそのジャンルのまま歌い続けるのかと考えると声の特徴や(顔を出さない)アイドル的側面からイマイチしっくりこないものの、そこは氷川きよしやジェロのような若手がぽつぽつと参入して生き残るんじゃないのかなあと思う。
歌い手ジャンルが生き残る力が、(私自身は非常に嫌っているものの)その歌い方にあるのではないか。その先達として演歌があるのだから。
年末年始のテレビをみながら、そんなことをポツポツと考えていた。
そして私がおじいちゃんになったときに我が世代がどんな(古臭い)ジャンルを嗜好していると若者からみられるのか。そこは予想ができず、ある意味楽しみでもあるなと期待している。
そうそう、「たのしいね」は子供向けの曲としてとてもすばらしいものだと思っております。アニメーション含めいい曲ですのでぜひご視聴ください。
15歳ーserial experiments lain イキリキモヲタになった
20歳ー素晴らしき日々 〜不連続存在〜 メンヘラ気取りイキリキモヲタになった
創作物によって人生観を構築することの限界が来たのかもしれない。
アイカツシリーズを通じて働くことに意味を見出そうともがきはしたが、俺は彼女たちのようには輝けないと心が折れるだけに終わった。
俺にはもう何もない。
他の人間はラブライブやアイマスの中に人生の光を見出して必死に命の火を燃やし続けている。
俺の心は冷え切りすぎてもうすぐ火が消えそうだ。
何かを見つけなくては。
新しい何かを、人生の指針を見つけなくてはならない。
カルトではなく、イキリではなく、まっとうな指針を人生に持たなければいけない。
見つからない。
もうだめなのかもしれない
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
これは本当はどこかに公開するような話題ではないし、「匿名性を保ちながら人目に触れる場所に置き捨てたい」と思うこと自体が甘えであるとは自覚している。
それでも自分以外誰の目にも触れないハードディスクに封印して、後でパソコンごと破壊するよりも、インターネットの海に流しておきたいと思った。共感もコメントも望んではいないが、それでもどこかに言葉を残したかった。まあすぐ消えるかもしれないけれど。
匿名ダイアリーを選んだのは偶々知っていた媒体の中でちょうど良かったからです。見逃してください。
これまで築き上げてきた信用や成果や立場を、ものすごい勢いで壊してゆく。ここまで登ってきた道を、平気で転がり落ちていく。まだ間に合うから、立ち上がって、もう一回元来た道を登って、落としたものを拾い集めて、と自分に言い聞かせるけれど、ちっとも言うことを聞いてくれない。
「落とした信用も、まだ努力すれば回収できる範囲だから」と言い聞かせて、自分を落ち着けようとするけれど、無駄。努力をしたくない。もう十分努力した。その結果がこれだ。これ以上、一切合切の努力を私はしたくない。
私は焦っているのだろうか。落とした信用や遅れた仕事を取り戻せないと焦っていて、投げやりになっているのだろうか。
でもそもそも、取り戻したいのだろうか?
私は捨てたいのではないだろうか。手元にあったものを次々捨てていく不安や焦りと同じくらい、この手にあるものを憎らしく思っているのではないだろうか。
「こんなものいらない」と、ずっと思ってきた。
私が欲しいものは他に確かにあって、でもどれだけ努力しても私の手には入らなかったから、自分のスペックでも手に入るものに無理やり価値を見出し、「自分にふさわしい範囲で」生き方を決めようとしてきた。しかしこれは自己欺瞞だった。私は手に入るものに無理やり価値を見出そうとしてきたが、私が価値を感じるものは最初から他にあった。そしてそれは手が届かなかった。だから、自己欺瞞でしょうもない自分のプライドを守るように、手が届く方向に向かった。しかしそれも中途半端だ。
自己欺瞞でも間違った道でも、いっそのこと極められれば良かったのかもしれない。だが残念ながら、私にそこまでの能力はない。適正も熱量もないものに、一定以上の成果を出し続けられるほどの高いスペックは持ち合わせていない。「欲しいもの」には最初から手が届かず、「手が届きそうなもの」も完璧には極められない。私はつくづく中途半端だ。
歳をとってしまった。
今さら、無責任に希望を持てない。現在から不連続の未来を妄想できない。
この先、1年後、5年後、10年後、「現在」から連続した延長線上の未来しか想像できない。
まだ若かった頃、当時の「現在」がどれほどみっともなくとも惨めでも不幸でも、数年先の将来に何か突発的な事件が起きて、その先の「未来」は不連続な何かになるかもしれない、なんて思えた。逆説的に幸せだった、不幸で愚かで惨めな若かった私。
今の年老いた私には、そんな無責任な幸せは残っていない。現実的に、今現在の自分から想定しうる、「最良の未来」と「最悪の未来」が見えている。おそらく、このまま生き続ければ、現実はその間のどこかに落ち着くんだろう。そして非常に残念なことに、現実的に想定しうる「最良の未来」さえも私にはちっとも良いものには思えない。
これまでずっと夢を見ていたようだ。現実に引き戻されてしまった。目覚めたくなかったけれど、一度目覚めてしまえば、同じ夢には戻れない。
だから、私のこれはきっと ではない。私には が来たんだ。ひとより早く。
私はこの先の「未来」を生きるビジョンを持ち合わせていない。ビジョンもないまま生きられるほど世の中は私に甘くはないし、茫然自失でも歩き続けられるほど私はハイスペックでもない。だから、詰みなんだ。遂に時間が来てしまった。随分前から、時限爆弾は仕掛けられていたのは分かっていた。それを解くことが出来ないまま、見て見ぬ振りをし続けていたせいで、遂に動き出したんだ。
潜入先の一味に(特にヒロインに)情がうつり、最後は潜入捜査官であることを捨てる。
前半では潜入捜査官であることにそれなりにやりがいを感じているっぽいんだよね。成果が上げられなくてパワハラを受けている程度で。
ルーク・スカイウォーカーみたいに、最初から「あーこのくだらない田舎の生活から抜け出したい」みたいにクサクサしてないし「この捜査を成功させてまわりのやつらを見返してやるぜ」みたいな野心もない。
前半の命がけでドミニク(ヴィン・ディーゼル)を助けるところはヒーロームーブで、事実ドミニクの信頼を勝ち取る役に立ってるんだけど、その後実は潜入捜査官だったというサプライズが挟まれるので成功させるための功利的行動だったのか、と観客は思っちゃう。
ファミリー(妹、近所の幼馴染の悪ガキ、ADHD?のメカの天才等)を大切にする凄腕の走り屋。ゼロヨンレースの約10秒間だけが、井之頭五郎が一人飯を食べる時ぐらい心静かで、豊かで・・・とポエム述べるタイプ。
走り屋になった理由がレーサーだった父親の影響。生前の父が仕立てた残したモンスターマシンに乗るのが(目の前で事故死してるので)怖い、というのがクライマックスに解決されるトラウマなんだけど、それ以外のときのキャラクターと不連続で、唐突感がある。
実は夜な夜なトラックを〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇団のリーダー。
この正体の方は比較的後半まで伏せられているので、FBIの捜査官にむかってブライアンが「あいつを◎◎だと決めつけるなんておかしい」という抗議に肩入れしていた観客は虚しくなっちゃう。
最後、ブライアンは、ドムのファミリーを助けるため、警官としての職務やFBIの下働きであることを優先するのをやめる。
(1)ヒロインに嫌われてもいいからメンバーの命を救うために警官であるという正体を明かす という犠牲 (2)警官としての職務を放棄してドムの逃亡を幇助する という犠牲の2段なのももやっとする一因かな。
ドムが最後のピンチから抜け出す手段が「100%自分の力で勝ち取った」と言えず、ブライアンに恵んでもらった、ように見えるのも、もやっとする一因。
あんまり完璧にピタッとスカっとしない方が作品としての寿命が延びる(ex.TV版エヴァンゲリオン、富野キャラクター)ので、結果的にはよかったんだろう。