はてなキーワード: 三味線とは
J(o´・ω・`o)し あら、三味線に張る皮が足りないわ、どうしようかしら
※Udioは最初に貰える無料クレジットがSunoより多く100クレジット。また生成時間を選べて、30秒なら2クレジット、2分10秒なら4クレジット。30秒でプロンプト実験していたので生成回数はもっと多い。
正直、サブスク1か月分のクレジット使ってみても、Sunoの実力を引き出せたとは言い難い。曖昧な表現が出たら評価保留中だと思って欲しい。(Udioに至ってはサブスク契約すらしていない)
以下具体的な例
Sunoは日本語歌詞のニュアンスを上手にくみ取って曲調に反映してくれる。
Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz,
みたいな頭の悪そうなプロプンプトから名曲が生まれ得る。Trendを漁ってるとそういう歌がたまにある。(もちろんがっつりプロンプト書いた方が確実)
プロンプトなしで歌詞だけでもいい感じ仕上がることも↓日本語歌詞だけの例
https://suno.com/song/66144ae8-3d8d-47b0-951a-9c8c3512be1b
語彙力には自信あるけど音楽用語は何も分からねえって人は挑戦してみて欲しい。Youtubeで音楽生成とは関係ない動画を見ていた時に、偶然Sunoで生成したと思しき歌が流れてきたのだが、投稿者の怨念、絶望と希望がこもった歌詞が良くて思わず聞き入った(その人はDTMとかはしていない。動画の中でネタにするためにAIで作った曲らしい)。
UdioはSunoに比べてクセが強く、プロンプトを理解できないとアンビエントに寄る傾向がある。Sunoで上手くいったプロンプトをそのまま突っ込むと、謎アンビエントが生成される確率が高い。(UdioはUIこそSunoに似ているが最適なプロンプトの形式が異なる)
どうやらUdioが映画劇伴やプロモーション動画に強い影響のようで、空間的に広がりのあるボヤっとした仕上がりになりがち。逆にいえばリバーブを強めにかける癒し系の曲はかなり得意と言える。
Sunoでも癒やし系が作れなくもないのだが、プロンプトを無視して後半いきなり盛り上がったり、クソ重いバスドラを突っ込んだりすることがあり、当たりはずれが大きい。Baby Sleep MusicやLullabyとプロンプトに入れて生成していたら、いきなり盛り上がり始めることが多かったんで「赤ちゃんが!寝てるって!言ってるでしょうが!!」とキレたくなった。(2、3曲は上手くいったんだけど)※
※サブスク分クレジットを使い切ったあたりで上手く曲調をコントロールする方法が分かったので、このあたりは後でまた検証してみるつもり
日本の映画劇伴も学習しているのか、かなりリアルな和楽器の音が生成される。この三味線とか琴とかを知らない人に聞かせたら、AIとは判別できないレベル。(ただAIと知って聞くとわずかに違和感がなくもない)
一方Sunoは癒やし系と同じで当たり外れが大きい。一聴すると「まあまあよくできた和風の曲だな…」と感じるのだが、次第におかしなメロディーが混じってくる。特に尺八のソロは分かりやすい。日本人なら「尺八はこういうフレーズにならんやろ」と気づけるレベル。(尺八を安定させるテクニックもあるが、それでもまだ外れが多い)
和風の曲はUdio勝ちと書いたが、例外として演歌は別。Sunoでは演歌らしい演歌を生成できるが、Udioは演歌とは似ても似つかない音楽が生成される。これはUdioの得意ジャンルが偏っていることに起因していて、次のややマイナージャンルが苦手という評価に繋がる。
Kawaii Popとは:日本のKawaii要素を取り入れたポップス
他にもKawaii_future_bassとかあるらしい。
https://dic.pixiv.net/a/Kawaii_future_bass
試しに冬をイメージしたKawaii Popを作ってみた結果、Sunoではそれっぽい曲が生成されたが、Udioでは謎アンビエントになった。プロンプトが理解できてないパターンである。
幅広いジャンルをカバーするSunoが強く、ジャンル名の前にJapaneseと入れるだけで日本人がすきそうな曲調になる。
Udioだと日本要素を取り入れた曲であっても、どこか日本人に馴染みのない感覚が付きまとう(先述の和風の曲のこと。音質はすごくいいのだが…)。私は基礎的な音楽理論しか分からんので、感覚的に「日本人の好みじゃない」としか言いようがない。Sunoに比べて日本のポップスをあまり学習していないからだと思われる。
これがSunoの場合は同人音楽まで学習してるらしく、doujinと入れるだけでいかにも同人音楽っぽいのが出来上がる。(東方Projectっぽいやつ)
これは先行者のSunoに軍配が上がる。Sunoは生成中であっても再生開始できるので、結果を聞きながらプロンプトを改良することもできる。
Udioは生成完了しないと聞けず、少なくとも30秒分が終わるまで待たないといけない。文章だけだとそんなもんかって感じだが、実際にやってみると待機時間がじれったい。
Sunoを使った後にUdioに戻ったら、この機能の快適さを痛感した。
これはUdioが圧倒的に強い。特に人の声はAIとは分からないくらいにリアル。特に洋楽とかは英語なのもあいまって素人の自分には変なところが分からない。
Sunoもリアルな人の声ではあるものの、イヤホンでじっくり聞くと合成音声っぽい違和感がまだ残っている。それからピアノやヴァイオリンなど目立ちやすい花形楽器の音質の悪さが目立つ。最初から最後までクリアな音質を保つのが難しく、一部こもったような音になる。Sunoは静かなインストを生成すると高確率でピアノを挿入してくるので、インストを作ってる間は「またこもったピアノが聞こえてくるよ…」と音質もこもこピアノに悩まされた。
SunoがUdioの音質を手に入れれば最強。
Udioがベータを卒表して(不具合修正・機能性アップ)、Sunoみたいに幅広いジャンルに対応すれば最強。
互いの長所がお互いの短所になっていて、どちらかを選べば選べなかった方が気になるという状況。Sunoは音楽において最も重要な音質で負けているが、Udioはまだベータで全体的に不安定な印象がある。
だが、Sunoの方が先行者だけあって使いやすく、簡単にそれっぽい曲を作れる。音楽生成AI初心者にすすめるなら、現時点ではSuno勝ちといったところ。
ある日、東京の古い下町にある小さな時計屋で不思議な出来事がありました。店主の田中さんは、修理を頼まれた古い懐中時計を開けたとき、内部の歯車の隙間から一枚の古びた写真が出てきたそうです。それは昭和30年代の浅草を写したもので、着物姿の若い女性が微笑んでいました。
田中さんはその写真を見て懐かしさを感じ、近所の古老に見せてみることにしました。すると驚いたことに、その女性を知っている人がいたのです。その方の話によると、彼女は当時、浅草で人気のあった寄席で三味線を弾いていた芸者さんだったとか。
その後、田中さんは写真の持ち主を探すため、懐中時計を修理に出した客に連絡を取りました。その客は横浜の古道具屋で時計を見つけ、気に入って購入したそうです。写真の存在は知らなかったと言います。
興味を持った田中さんは、休日を利用して横浜の古道具屋を訪ねることにしました。店主の話では、その時計は10年ほど前に、ある老紳士が持ち込んだものだそうです。その紳士は、戦後まもなく浅草で写真館を営んでいた方の息子さんだったとか。
写真は結局、元の持ち主には戻らなかったそうです。しかし、田中さんの店には今でもその写真が飾ってあります。時々、古い浅草の思い出を語りに来るお年寄りがいて、写真の女性にまつわる様々な話を聞かせてくれるそうです。
その中には、彼女が戦後の混乱期に多くの孤児たちを助けていたという話や、後に海外に渡って音楽家として成功したという話もあります。真相は分かりませんが、今でも浅草の古い喫茶店では、彼女の三味線の音色を覚えているお年寄りがいるそうです。
人は良いけどリテラシーの無い善良なタイプの中年・老人が好みそうな嘘エピソードを延々と製造できるプロンプトを作ってしまった
数ヶ月前にケンミンSHOWで東北のウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。
東北のウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。
東北のウィーンに生まれ、小学生〜中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏はほとんどなかったと思う。
合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽の先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。
授業中に歌のテストがしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。
合唱の大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分の学校と明らかな差があるのに、その違いを先生は説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。
ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。
小学校を卒業し、中学は合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。
合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間が音楽教師だけでなくクラスの女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北のウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。
高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コースの私立高校に進学。美術と音楽と書道は選択制だったため、迷わず美術を選択し音楽からようやく逃げられた。
卒業後は関西の大学に進学。ふとしたことで音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線、ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれが東北のウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。
社会人になった今でも歌うことがトラウマでカラオケのお誘いは断っている。音楽そのものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismやミスチルを聴くようになり歌詞の凄さや演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギターの音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。
野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱が好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴な自分にはあの街は脅威だった。
音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラットな教育を子供達に提供してほしいと願わずにはいられない。
最高位戦でプロ雀士の一人がポンする
↓
同卓していたメンバーが「ロンと言った」と主張
↓
↓
↓
界隈を巻き込んで大炎上
の話はてっきり増田でもう終わったと思ったらまだ誰もしてなくて草。
同卓していたメンバー全員が降段ラインだったことが発覚してしまうとか、
隣の卓で打ってた別のプロが「あれはロンに聞こえた」と擁護するも
プロ戦で隣の卓に聞こえるようなデカい発声しないし、お前も利害関係者やんけと叩かれたり。
外野のプロも用語が紛らわしいのは問題だがSNSで発信するのはいかがなものかと言ってみたり。
結構界隈では大きな話題になってたんだけど、増田ではまさかの完全無風とは。
これに限らず言った言わない、わざとだわざとじゃない、三味線だ三味線じゃないみたいなことが
主張したもん勝ちの要素が多すぎて現状、競技としてギリギリ成り立ってないレベル。
多井なんかはそんなに競技性にこだわるなら大会は全部ネトマにしろって主張してる。
今の競技麻雀の世界って打牌の音が必要以上に大きかった(気がした)り、打牌が数秒遅れたりしただけで、
対戦者を惑わそうとした三味線行為として失格になったり資格停止になったりするイカれた世界だからな。
しかもいまだに点数は自己申告で、申告間違いでチョンボになったりしてる。ゴルフかな?
そういうのも含めてリアル麻雀なんだよ!って主張する奴いるけど、本当にそんなクソミスでグダグダしてるの見るのが楽しいんか?
落ちこぼれたやつを最低限のセーフティネットで救い上げる方式にしろよ
このままだと大多数のまともな人間は使いつぶされる。
なぜ障碍者どもに王侯貴族かのように振る舞うことを許してるのか
今のやつらは甘やかされ過ぎて勘違いしている
ADHDだのASDだの、一昔前は人間扱いされていた人間が、人間扱いされないようになって
ああ、俺は障碍者だから社会の歯車として生きていかなくていいのだ、という免罪符を与えられる
俺もADHDの診断を受けたものの、薬物は使わずにTool Assistedで何とか社会人として生きている
あのまま、医者の言われるがままに手帳を取っていたらと思うとぞっとする。
日本は何でもかんでも付加価値にならないところにお金と労力を掛けすぎだ。
そりゃいいところもあるよ。余裕があるから細かい部分にフォーカス出来て独自の文化が作られている側面もあるだろう
だが、それが行き過ぎて大多数の優秀な人間、善良な人間が割りを食うようになったらおしまいだよ
昨年、障がいを抱えながらも定年まで勤め上げた叔父が亡くなった。
晩年、彼はずっとこういい続けた
こういう事例を見掛けるたびにそれを思い出す。
今までそれから疎外されていながらも、存在を許されていたはずの彼らが
社会の在りようを自分中心に定義するようになってしまえば、大多数の人間が苦しむようになる
これでは誰も救われないじゃないか。
多様性の時代、存在を許すこと自体はいいし、出来る範囲でさらなる快適さを求めるのはいい
だが、それはあくまで存在だけであって、社会の有限の余剰リソースを使ってそれが許されているに過ぎない
少数民族が大多数のリソースを使いつぶす社会は絶対にうまくいかない
それはまるで、グリーンベレーが少数民族に国を支配させたような植民地支配の形だ。
我々は、お互いに謙虚でなければならない。
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。
桶屋が潰れる
→皆が木桶を大切に使い、ちゃんと保管するようになる(いいこと1)
→桶を齧れなくなって、鼠の数が激減する(いいこと2)
→鼠を獲れなくなった猫が人を頼り、保護猫が増える(いいこと3)
→野良猫が減ってそれを殺して皮を剥ぐような商売は壊滅する(いいこと4)
→三味線のイメージが良くなり、眼病の人以外にも普通に嗜まれる楽器になる(いいこと6)
→無駄な差別もなくなった街に朗らかな三味線の音が溢れ、猫飼いと音楽ブームで経済的に繁栄した街の綺麗に舗装された道の上を、砂埃もたてずに風が吹き老けてゆく。
>ゲーム、音楽、映画、動画。これらについては今も昔も95%くらいはつまらなく、5%くらいは楽しい。
手あたり次第だと割合は似たようなものかもしれないけど、楽しめそうって思うのしかチャレンジしなくはなった。Xで出来上がったTLに感性合う人多いから助かっている
昔は週刊ジャンプサンデーマガジンチャンピオンとファミ通読んでて半分以上はなんだかんだ楽しめてた。
今はアニメは年に1~3作ぐらい。漫画や小説は月に数作新しいのに出会えてる(漫画や小説は古い未読作も多い。らんま以降の高橋先生作品とかまだまだ未読が沢山残ってたので)
ゲームは、今年はティアザキ(4神殿クリアで飽きた)とピクミン一応エンディングとAC6三周と、あとインディーゲーとかスマホゲー少しか。
インディとかアプリ系は安いからついつい買っては放置(数分~数時間やって積む。積みプラは五箱ほど。積ん読は小説10冊漫画50冊ぐらいでまあまあ消化できてる。1円セールとかの除く)
音楽は家で聞く習慣がない。ジョギング中、運転中ぐらい。どっちもほとんどしなくなったからライブでしか聞かなくなって、ライブも体力的にほとんど行かなくなってしまった
スキルアップ的なのでいえば
流石に英語と、20年前ぐらいにちょっとだけやってやめた3Dモデリングと、ゲームプログラミングと、あと簿記かなんか考えている。
たまに飲みには行く
小説、イラスト、漫画、動画とデジタル系創作は結構集中してやったことがあり、先述のゲームやモデリングもその延長で考えてる。AIさんに手伝ってもらって
それらを本格的にやる気失ったら家庭菜園と、三味線と木彫りを予定してる
どっかでやる気出たら映画撮りたい
50まであと3年切ったなぁ…
東京の文化にも大阪の文化にも挙げられなかったけど浪曲ってのがある
浪花節とも呼ぶけれど、なにわナンバーの浪速が由来じゃないらしく大阪発祥というわけでもないらしい
元々、口説とか説教とかから派生して色々出来たうちの一つを浪曲とか浪花節と名前をつけて呼び込んだのでしょう
三味線+語りの形態が浪曲の原型という説はいくつもあって、例えば
軍談→五色軍談→浪曲
というのがある
Wikipediaに書いてないけど、五色軍談以外にも浪曲の手前のやつが沢山ある
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0328_01
浪曲は太平洋戦争を扱うものがちょいちょいあって、浪曲では(ほぼほぼ)自虐史観っぽくないからはてなーは嫌いそうだし、東京以外でも大阪以外でも享受できる文化だけど聞いてみて
猫は三味線に使ってるよね?
夏祭りで我らがジャパンの民族楽器的な奴の演奏を聞いてきたんだが、なんかこう「うーん🤔……まあ情緒?みたいな?ワサビ?的な?」感じでさ。
それと比べるとクラシックやバンドで使われている西洋楽器ってどれも強いなと。
まあユーフォニアムみたいな「お前なんでそんなサポ専ジョブみたいの選んだん?楽しい?」のもあるっちゃあるけど、基本的には強い音が出るじゃんどれも。
ジャパン楽器でも三味線とかはたまに流行るけど、あれも音の幅があんまないのかすぐ飽きられるじゃん。
でもギターとかは音の幅というか演奏の幅というか、なんでも出来てどれもかなり強いっていうバケモノみたいな状態じゃん。
じゃあそんなギターが西洋にいきなりあったかと言うと、西洋も昔はリュートみたいなTPRGでしか見ねえよみたいな楽器を使ってたりしてたわけで。
どっかで誰かが発明して、それが凄いからドンドン進化しつつ生き残ってきたんだろうな。
そうやって考えていくと誰もが名前知ってるような楽器ほどマジでヤベーっていうか、永遠に残るような大発明だったということなんだなって思うわけよ。