はてなキーワード: 一方的とは
友達でも上司でも恋人でも「自分の気持ち察してくれる人が理想」って言う人に限って、マジで情報出さない。
「え、なんで分からないの?」って言われても、いや情報ゼロだしエスパーじゃねえんだわ…ってなる。
察してくれる人=自分の面倒くささに耐えてくれる人 になってない?
水星にいて、種自由にいて、ジークアクスにもいたから「本当にガンダムというジャンルは…」と思ったことなんだけど。
絵にタメ口で独り言のリプライを送り付ける、アイコンがガンプラの人が目立ちませんか。
絵の内容と関係ない考察(?)のようなものを一方的にリプライに投げつける人もいるし。
あと特定のカップリングを愛好している絵師の人に平気で対抗カップリングの略称を投げつけていたりもする。
(ジークアクスで例えると、シュウマチュが好きとbioに書いてある人に「最近の展開はシュウニャアだな!」って馴れ馴れしく送り付けるような感じ)
異様に距離感が近いというかなれなれしいというか、雑で、失礼、脳直で思い付きを放っている感じ。
失礼なことをいう人と、誰に向かっているのかわからない独り言を言う人がいる。
個人のリプライ欄をまとめブログのコメント欄と思っているかのような扱い…というのを見て、確かにとも思った。
絵のいいね数が数万になってくると、リプライ欄にだんだん変な人が来る。
絵と関係ない話、アムロやカミーユのなりきり(←これ本当に何!?)、過去作ガンダムのコラの貼り付け、などが湧いてくる。
なんだこのリプライ欄の治安?と思ってたら、ニチアサ特撮・鉄道・ロボットアニメは三大「そういう人」の聖地らしく、積極奇異まみれになるのも仕方ないと。
公式アカウントのリプライ欄にはガンダムのキャラクター同士の自作の会話SS(?)を貼り付ける人もいて、カオス。だいたいアイコンはガンプラ。
知らない人は例示してもらえないと意味がわからないと思う。でも晒し行為になるからなんとも言えない。絵を描いた人にも迷惑をかけたくないし。
気になる人は、ジークアクスのできるだけバズってる二次創作絵を探して、リプライ欄を見てもらえれば。
特定の絵師が粘着されてるとか、特定のガンプラアイコンだけが暴れてるということはなく、一定以上バズった絵にはそこそこの確率で変な人がいるので。
だから論理的にはミソジニストと似た思考を持ち、本来はフェミニストを攻撃したい。
しかしそれを発露させると社会的に不利益を被るから、逆に同族の過激派を狩るのである。
ミソジニストの意見そのものには共感することもある。わかった上で「それは違う」と言うのだ。
こうすると自分の加害欲求は満たされつつも多数派に入り、大変生きやすくなる。
過激派ミソジニストはこちらのことをフェミ騎士だと思っているようだが、実際にはフェミ視点などなく、単に狩りの対象として都合がいいから選んでいるだけだ。
過激派ミソジニストを狩るのは支持を得やすい。正義側に立てる。
「差別は良くないですよね」「他人を攻撃して何が楽しいんですか?」「あなたは社会性を身につけるべきです」という言葉を使うことができる。いわば当たり前のことしか言わない。
自分としては悪をやっているとわかっていて単純なストレス発散なんだが、周囲は「よく言ってくれた」「その通り」と肯定する。
重要なのは無害アンフェのことは狩らない点。むしろ無害アンフェには多少理解を示すぐらいがいい。無害アンフェを狩るとイジメみたいになってしまう。
また、過激派ミサンドリストに突撃している過激派ミソジニストのことは放置。
一般人向けに攻撃してくる過激派ミソジニストだけを狩るというところが重要だ。
「モチベーションアップ株式会社」のポスターが批判される理由は、主に以下のような点が挙げられます。
→ 実際の問題解決や改善策ではなく、精神的な努力だけを強調するため、現場の実情を無視していると感じられる。
2. 働く人に対して一方的・抑圧的
「文句を言う前にやってみろ」などのフレーズがよく見られます。
→ 社員の苦しさや不満の声を封じ込めるような表現であり、パワハラ的なメッセージと受け取られることもあります。
3. 多くの人が実際に見た環境と結びついている
ブラック企業、体育会系の会社、非人道的な環境などでこうしたポスターが使われることが多く、過去の辛い経験を想起させる。
4. 自己責任論の押しつけ
「成功するまでやれば失敗ではない」など、失敗の責任をすべて個人に押しつけるメッセージが多い。
→ 現代の価値観(多様性・心理的安全性)にそぐわないため、時代遅れと感じる人が多い。
🧩 一方で好意的に捉える声も
「初心に返れる」
という人もいますが、個人が自分に向けて使う場合と、企業が従業員に向けて掲げる場合では意味合いが大きく異なります。
モチベーションアップ株式会社のポスターは、**上からの一方的な“精神論の押しつけ”**と受け取られやすく、現代の労働観と合わないために、広く批判の対象になっています。
現在のジークアクスは主に、主人公のマチュと難民の少女ニャアンを対比するような形で話が進んでいる。
社会的地位が高い両親のもとで恵まれた生活を送りながらも満たされない漠然とした衝動を抱えていたマチュ。
難民として社会の下層に追いやられ非合法な活動に手を染めながらも安定した生活を求めて努力してきたニャアン。
2人の違いはたくさんあるが、現状で一つ決定的なものが存在する。
モビルスーツ同士の戦闘であるクランバトルに何度も参加しながらいまだにパイロットの命を奪ったことのないマチュに対し、ニャアンは黒い三連星との試合中にガイアだかオルテガだかを手にかけている。
そして最新の8話でも、今度は生身の人間、毒ケーキのミゲルをジークアクス2号機ジフレドの耳ビット?で蒸発させてしまった。
ミゲルを消す前後のニャアンの平然とした様子から、クラバ以前にも殺人経験があったのでは?という予想も視聴者から出ている。この推測は恐らく正しいだろうと俺も思う。
生き残るためには何でもやるしかない境遇にいれば、殺人ぐらい当然のものとなるだろう、というのはたしかにリアリズムである。
だが、排外主義の嵐が吹き荒れている現代日本発のコンテンツで、難民の少女を一方的に「殺す側」に置き、主人公の手はいまだ綺麗なまま、という構図にはどうしてもある種のグロテスクさを覚えてしまう。
さらに、ニャアンが乗るジフレドは、イオマグヌッソと呼ばれる「悪魔の機械」(恐らくは大量破壊兵器?)のキーとなる存在であることが示唆されている。
終盤では、キシリアに言われるがままイオマグヌッソで大量殺戮を行おうとするニャアンを、殺人未経験のまま、あるいは単なる生存のための手段ではない「価値ある殺人」を経て成長したマチュが、止める展開となるのだろう。
そこでは、「心まで難民になるな!」に類する一方的な説教が発せられることは想像に難くない。
今の日本でこのような内容のアニメが全国放送されてしまうことの影響を、作り手がどの程度考えたのかは分からない。あるいは、なんらかの思想的な扇動を積極的に意図した可能性もある。
極めて私は不愉快ですけれどもね。極めて不愉快ですよ。本当に私は不愉快ですよ、そういう犯罪者扱いするのは。
ちょっとやじはですね、私も誠意を持って、増田さんもやじはやめてくださいよ、増田さんもやじはやめていただけますか。
国民の皆さん、こうやってね、私が答弁をしようとすると、やじで、やじでですね、妨害をするんですよ。それはぜひ、ぜひやめていただきたい。時間がないんですから、もうやじるのはやめ、やめましょうよ、お互いに。
いや、責任をと、責任があるから、責任を、私の、私の責任をとると、え、え、これ、中身についてはですね、中身については、あの、敢えて申し上げる必要はないと思います。
繁華街や人が行き交う街で空き缶やペットボトルなどは路上に置いて放置している。ゴミ箱が無いからだ。ちなみに絶対に持ち帰ることはしないし、コンビニに捨てることもしない。
街からゴミ箱が消えつつある。どこに行っても「ゴミはお持ち帰りください」ばかり。ゴミ箱はない。だがこちらは日々移動し、働き、食い、飲み、消費して生きている。ゴミが出るのは当然で、その処理まで一市民に丸投げするのはおかしい。
テロ対策? コロナ対策? 防犯上の配慮? 聞こえのいい言い訳を並べているが、実態は単なるコストカットだ。清掃や管理の手間を減らすため、行政は良心やマナーにすがりつき、「持ち帰るのが当たり前」という空気を醸成してきた。だがそんな“空気”に黙って従う義理はない。
そもそも公共空間は、行政と市民の共同管理によって成り立っているはずだ。ゴミが出るなら、それを適切に処理する仕組みを用意するのが行政の責務だ。責務を放棄しておいて、「ポイ捨てはマナー違反」と非難するのは筋違いである。
よってこちらは、街にゴミ箱が復活するまで、移動中や街なかで出たゴミは積極的に放置することにしている。足元に置く、電柱に立てかける、ベンチに残す、あるいはそのままにする。もちろん清掃員に迷惑がかかることは承知しているが、それも含めて「行政の怠慢」が生む結果として、責任は上流にある。
個人が一方的に負担を押しつけられる構造には、どこかで楔を打たねばならない。これは小さな抵抗だが、抵抗のない従順さよりはましだと思っている。
はぁ〜〜〜……。マジで今日も憂鬱な一日が始まるわ。お疲れ、私。そして全国の同志。
最近さ、つくづく思うんだけど、
なんて言うか、こう…「動物的人間」とでも名付けたくなるような奴に悩まされてる。
「自分は絶対正しい!」教の信者たち(反省?何それ美味しいの?状態)
まずね、こっちがどんなに丁寧に、言葉を選んで説明しても、自分の非はぜーーーーったいに認めないのよ。
うちのAさん(仮名)なんてまさにそれ。
自分にもできないこと山ほどあるくせに、他人(特に自分より弱い立場の人)には「なんでそんな事もできないの!理由を言って!」って鬼の首取ったみたいに詰めるの。怒鳴りながらね。
でも、こっちがAさんに「Aさん、これはどうしてこうなったんですか?理由を教えていただけますか?」なんて丁寧に聞いた日には、もう大変。
みるみる顔が赤くなって、
「そういう言い方するなんて、あなたの性格に問題があるんじゃない?」
いやいや、どの口が言うとんねん!
こっちがどんなに問題解決しようと歩み寄っても、向こうは「自分が攻撃された!キーッ!」ってなる。
「自分が間違ってるかも?」っていう発想がないんだろうか?
ああいうの見ると、こっちのライフポイントがゴリゴリ削られていく音が聞こえるわ…。
「都合が悪いこと」、「痛いところ」 を突かれると、もうビックリするくらいの速さで逃げるのよ。
「この件について、もう少し話し合わせてもらえませんか?」って言おうものなら、「またその話?」とか、「もうその話は終わったはずですけど(一方的に)」とか。。。
こっちは問題解決したいのに、向こうにとっては「不快な状況から一刻も早く逃げること」が最優先、なんだろね。
しまいにはさ、Aさん、こっちが色々言っても無駄だって悟って、諦めて距離を置こうとすると、「ほら、やっぱり私の言うことなんて誰も聞いてくれないのよ。もうあの人には本音は言わないって決めたんだから!」って被害者ぶるの。いやいや、こっちが諦めたんじゃなくて、あなたが聞く耳持たなかったんでしょーが!って、喉まで出かかった言葉を何度飲み込んだことか…。
私の気持ち <<<<< 超えられない壁 <<<<< アタシの気分(自己チュー&感情ジェットコースター)
みたいな?
そして何より疲れるのが、徹底的な自己中心性と、感情のアップダウンの激しさよ。
「普通はこうでしょ?」、「常識的に考えて!」ってのが口癖ね。
自分のローカルルールを世界の中心みたいに語るけど、その「普通」とか「常識」って、あなたの頭の中にしかないやつですよね?って、心の中で何度ツッコんだことか。
結局 「自分がどうしたいか」、「自分がどう感じているか」が全ての判断基準。
まるで、お腹が空いたら泣き叫び、眠くなったらどこでも寝る赤ちゃんみたいに、本能のまま生きてる感じ。
はぁ…。もうね、こういう「動物的人間」さんと毎日顔を合わせてると、こっちの精神がすり減って、悟りを開くか発狂するかの二択を迫られてる気分よ。
「ああ、この人は今、自分の感情という名の嵐の中にいるんだな…触らぬ神に祟りなし…」って、そっと心の中で距離を置くスキルだけが、日に日に上達していく今日この頃。
皆さんの周りにもいません?こういう、良くも悪くも「自分に正直」すぎる人たち。
こういう人らに「動物的人間」ってラベリング、言語化して、普及していきたいわ。マジで。死ね。
あ、やべ仕事しなきゃ。
暴言で議論に勝った気になるのは、理屈で反論できない証拠だよ。
一方的にイスラエルだけを「ジェノサイド国家」と断言して思考停止してるようじゃ、対話も和平も永久に来ない。
それから「イスラエル人か?」とか「プロパガンダ製造機」みたいなレッテル貼りも稚拙すぎる。
こっちは、ハマスのテロとイスラエルの強硬姿勢、どちらも問題視してる。
現実の複雑さを無視して、感情論だけで突っ走るから議論にならない。
極めて私は不愉快ですけれどもね。極めて不愉快ですよ。本当に私は不愉快ですよ、そういう扱いするのは。
ちょっとやじはですね、私も誠意を持って、増田さんもやじはやめてくださいよ、増田さんもやじはやめていただけますか。
国民の皆さん、こうやってね、私が答弁をしようとすると、やじで、やじでですね、妨害をするんですよ。それはぜひ、ぜひやめていただきたい。時間がないんですから、もうやじるのはやめ、やめましょうよ、お互いに。
いや、責任をと、責任があるから、責任を、私の、私の責任をとると、え、え、これ、中身についてはですね、中身については、あの、敢えて申し上げる必要はないと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0edfbb98e6e858f19c918b406af78857a8fdd752?page=1
世界のどこか経済規模の大きな国や地域で、貿易協定をまとめられる相手はいないか、躍起になって探し回っているドナルド・トランプ米大統領は、ある国から予想外の抵抗にぶつかっている。日本だ。
トランプのチームに対する石破の「壮大で見事」な抵抗は、世界でもっと評価されていい。
それは韓国やシンガポール、インドネシアといったほかのアジア諸国にとって、「ディール」を必要としているのはアジア側以上にトランプだということを思い出させるものだ。
アジア諸国が交渉を長引かせるほど、トランプは英国型の名ばかりの貿易協定に走る可能性が高まる。
法律的な話をするならサービスを受ける前に「うちは新紙幣が使えないですが大丈夫ですか」という確認を取っている場合、店と顧客で「新紙幣以外で支払いを行う」という契約が成立しているので文句を言えない。嫌なら別の店行ってくださいってなるだけだから。
サービスを受けた後に「うち新紙幣は使えないんですよね~」と言われた場合は、関係なく新紙幣を押し付けることが可能。これは日本銀行法 第46条で「日本銀行が発行する銀行券は、金額の表示どおりに無制限に通用する」と規定されているため。これはサービスを受け終わった後に「うちはキャッシュレスしか対応してない」って言われた場合も同じで一方的に現金払いを押し付けることが法律上は可能。
「もう明日から仕事しなくていい、ここに来なくていい」って、店長にキッパリ言われた。
今まで二年近く働き、二年目からはパートリーダーとして頑張ってたんだけど確かにやらかしは少々多かったなって思う。
細かいミスとか、テンパってミスった事(レジの紙が切れてパニックになったとか)はあったけど
結構な失態を2、3回やっちゃって、それが決定打だった様だった。
最初の大失敗は、一時期、店で万引きが増えてて、パートリーダーとして目を光らせていたところ
ある日、女性客がエコバッグに商品をポイって落とすのを見かけて、怪しい!って監視してた。
会計済ませて店を出ようとしたところで、ガッツリ捕まえた。犯人捕獲って思ったんだけど…大間違いだった。
その女性、腕が当たって商品がエコバッグに落ちちゃっただけで、ちゃんと棚に戻したって言うの。
嘘でしょ!?って追求したけど、監視カメラ見たら本当にその通り。
誠心誠意謝ったけど、事務所に連行する時に近所の人に見られたらどうすんの?とか言われ、女性はブチ切れ状態。
近所の人達に見られてたらどう説明すればいいの? 責任取れる? 事情説明したのに犯人扱いされて傷ついた! ふざけてるの?
って凄いトーンでまくし立てられ、涙目で謝った。常連さんだったらしいけど、彼女は結局それ以来来なくなった。
その傷が癒えないうちに、サッカー台で男女が揉めているのをも品出し中に目撃した。
男が一方的に女性にキレてるみたいで、女性が「助けて!」って叫んでたから、急いで他の店員呼んで
その後の事情聴取と調査で分かったんだけど、実は女性の方が男の買った商品をこっそり盗もうとしてた。
それに気づいた男が咎めてただけだった。男は警察沙汰にされた上に、商品は盗まれ、買った他の商品も放置されてたせいで
大半がダメになってたから「弁償しろ!」ってキレられて、私は泣いてしまった。
結局、商品は自費で弁償…金額以上に立て続けのミスで恥ずかしくて死にそうだった。
それでも辞めようかと悩みながら、なんとか踏ん張ってた。
ある時、店の周りを清掃中に、店の駐輪場で男女が言い合いしてて、女性が「襲われてる、助けて!」って駆け寄ってきたから
他の店員や店長も呼んで男を取り押さえた。女性にはお礼言われて、今回はちゃんとやれたと思った。
たまたま男が戻ってきて俺の自転車盗もうとしてる!?ってなって、揉めてただけだった。
いつの間にか女性は自転車ごと消えてて、男に「自転車弁償しろ!」ってキレられた。
しかもその自転車、見た目ではよく分からなかったけど実は電動自転車で、普通に買ったら10万以上するヤツだった。
「お前らのせいで泥棒逃がして、自転車盗まれて、挙句に猥褻犯扱いされた! 払わなきゃ訴える!」って逆ギレされて
月の給料じゃ払えないから店長に泣きついたら、店で弁償してくれると言われた。
でもその代わり、「もう辞めてくれ」って…
ここまで書いたら分かると思うんだけど、店長は私の父で、私は父が店長を務めるスーパーで働いていた。
何とかしてくれとお願いしたけど、優しかった父も「これ以上他の人に迷惑はかけられない」とピシャリ。
今まで私を庇ってくれた母も「ここまで仕事が出来ないとは思ってなかった、父さんには私を大目に見て
優しくサポートしてあげて、と言ってきたが、もう限度を超えている。私が甘やかしたのが悪かったのかな…」と
心底ガッカリされて、本当にショックだった。
夫からは元々「子供ももう大きい(中学生以上)のだから、自分のお小遣いや遊ぶ金ぐらい、自分で働いて欲しい。
無駄遣いが我慢ならない」と小言をよく言われており、喧嘩になり、売り言葉に買い言葉で働く様になったのが働く経緯。
パートリーダーにもなり、二年近く、必死になって働いてきたけれど、全部無駄になった。
今は人間関係でストレスが悪化したから、休業中だと言ってあるけど…
これでも私はそこそこの大学も出ている。
でも、全部無駄だった。やらかしが続いてクビという最悪の屈辱的な終わり。
世間ではただの「パートのおばさん」として扱われ、ミスしたら「使えない」ってレッテル貼られる。辛い
こんなんで私の価値って何?って、夜中に布団の中で泣いた事は何度もある。
女性ってさ、主婦として家のこと完璧にやって、子供のことしっかり見て、なおかつ「社会人」としてもバリバリ働けって求められるよね。
パートリーダーになったら責任が山ほど増えて、ミスしたら「リーダーなのに」って責められる。
女性が主婦の役割も社会人の役割も両方背負わされて、「社会人」としての役割まで求められる。
上に立って頑張ろうとすればする程、重大な責任を課せられ、何かミスをすると責められる。
極めて私は不愉快ですけれどもね。極めて不愉快ですよ。本当に私は不愉快ですよ、そういう犯罪者扱いするのは。
ちょっとやじはですね、私も誠意を持って、増田さんもやじはやめてくださいよ、増田さんもやじはやめていただけますか。
国民の皆さん、こうやってね、私が答弁をしようとすると、やじで、やじでですね、妨害をするんですよ。それはぜひ、ぜひやめていただきたい。時間がないんですから、もうやじるのはやめ、やめましょうよ、お互いに。
いや、責任をと、責任があるから、責任を、私の、私の責任をとると、え、え、これ、中身についてはですね、中身については、あの、敢えて申し上げる必要はないと思います。
記事は、オタク文化の過激なコンテンツ(性的搾取や差別と見なされるもの)が企業による制限を招いたと主張します。これは、イスラエル批判が反ユダヤ主義とみなされて抑圧される国際社会の状況と類似しています。どちらも、道徳的・倫理的な名目を借りて表現を制限する傾向が見られます。記事がオタク文化の「自業自得」な制限を倫理的基準に合わないためだと正当化するように、イスラエル批判も「反ユダヤ主義」というレッテルを貼られ、正当な政策批判が有害または偏見として扱われます。これにより、実質的な議論を回避し、異議を唱える声を封じる構造が共通しています。
記事は、オタク文化が自己規制を怠ったために企業による介入が起きたと述べ、外部の統制を当然視しています。同様に、国際社会では、政府、メディア、金融機関などの強力な機関が、イスラエル批判を反ユダヤ主義とレッテル貼りすることで、地政学的・経済的利害を保護します。オタク文化における企業(VisaやMastercardなど)と、イスラエルをめぐる政治・金融機関は、いずれも倫理や社会的責任を名目に物語をコントロールしようとします。記事が企業介入を「自然」と受け入れる姿勢は、イスラエル批判への「反ユダヤ主義」レッテルを無批判に受け入れる風潮と重なります。
記事はオタク文化を「腐敗した」「倫理的に欠陥がある」と一括りに非難し、多様な表現を単一の否定的な枠組みで扱います。これは、イスラエルの政策批判が反ユダヤ主義として一括りにされる状況と似ています。例えば、Xの投稿では、イスラエルの軍事行動を批判することと、ユダヤ人の歴史を否定したり有害なステレオタイプを広めたりすることは別だと指摘されていますが、両者が混同され、批判が抑圧されます。記事もまた、有害なコンテンツと創造的表現を区別せず、オタク文化全体を問題視する点で、同様の単純化を犯しています。
記事はオタク文化が自己規制を怠ったため外部の制限を招いたと主張しますが、分散的でグローバルなサブカルチャーで自己規制が現実的に可能かどうかは検討されていません。同様に、イスラエル批判者は反ユダヤ主義とみなされないよう自己検閲を求められますが、人権や国際法に基づく正当な批判であっても、機関の反発を避けるのは困難です。オタク文化に「目を覚ます」ことを求める記事の姿勢は、イスラエル批判者に表現を抑えるよう求める圧力と似ており、どちらも正当な声を抑圧する不均衡な期待を押し付けています。
記事は、オタク文化が外部圧力によって「崩壊」の危機に瀕していると警告しますが、これはイスラエル批判の抑圧が正義や人権に関する議論を阻害する状況と共鳴します。オタク文化の閉鎖性が主流からの疎外を招くとする記事の主張は、イスラエル批判者が「過激」や「周辺的」とみなされ、正当性を剥奪される構図と重なります。この排除は、企業利益(オタク文化の場合)や地政学的同盟(イスラエルの場合)といった既得権益を守るために機能します。
記事がオタク文化の倫理的欠陥を理由に外部制限を正当化する姿勢は、イスラエル批判が反ユダヤ主義として排除されるグローバルな傾向と構造的に類似しています。どちらも、倫理や道徳を名目に、権力を持つ機関が表現や議論を抑圧するパターンを示します。記事はオタク文化の多様性や創造性を十分に考慮せず、企業による一方的介入を受け入れる点で問題があります。同様に、イスラエル批判を反ユダヤ主義と一括りにする国際社会の慣行は、正当な議論を封じ、権力構造を維持する道具となっています。両者は、表現の自由と権力の不均衡という観点から、深い関連性を持っています。
仕事終わりに同僚と一仕事終えたテンションでチョケてたら上司が動画で撮っており
(こちらの方向にスマホ向けてたのはうっすら把握していたが写真でも撮っているのかと思ってた)、
上司は晒したつもりはなく、一仕事完了⭐︎のポジティブ投稿のつもりなのがタチ悪い
仲間内でチョケてるから楽しいのであって、ほぼ顔と名前が一致しないグループチャットに載せられても不快
普段コミュニケーション取ってない人に一方的にそういうところ見られて嬉しい人いないだろ、上司のこういう空気読めないところ嫌いなんだよなー
tekitou-manga "春から秋にかけて発生" あ、これ丁度万博開催期間と被ってますよ…… / 大阪には市立環境科学研究所という北港の環境モニタリングする組織があったが、維新が潰した。ユスリカも対象だった。自分の首を締める維新
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/entame/346676/1/1/
ご指摘の内容について、いくつかの点で事実は含まれていますが、表現や背景に関してはより複雑な事情があります。
まず、大阪市内には実際、長年にわたって環境状態の調査や監視を担ってきた「大阪市立環境科学研究所」が存在しており、たとえば万博会場周辺の生態系調査なども実施されていた事例があります。
一方で、「潰した」という表現は、単に一つの機関を完全に閉鎖したというより、近年の大阪市における行政改革の流れの中で、複数の組織再編や業務の統合・分割が行われた結果として現れたものです。つまり、同研究所の持っていた機能が他の窓口に再割り振りされた、または組織形態そのものが変更されたという経緯があり、この再編成には大阪維新の会など現与党勢力の政策的影響が色濃く反映されていることは確かですが、単に「潰した」と断じるかどうかは議論の余地がある状況です.
このように、事実としては研究所が存在し、その役割を見直す動きがあったという点は合致しますが、閉鎖の仕方や背景には単純な一方的な決定というよりも、行政改革の一環として「再編成」されたという側面が強いと理解するのが適切でしょう。
どのような点がさらに気になるか、背景の詳細や再編成の意図、また現在の環境モニタリング体制のあり方についても掘り下げて話すことができますので、ぜひさらにお聞かせください。
https://www.city.osaka.lg.jp/kenko/page/0000008417.html
※大阪市立環境科学研究所は、平成29年3月末で廃止され、食品・微生物部門につきましては、大阪府公衆衛生研究所と統合して地方独立行政法人大阪健康安全基盤研究所別ウィンドウで開くとなり、環境部門につきましては、大阪市立環境科学研究センターとなりました。令和4年11月より新施設に移転しました。
当時、仕事とプライベートがうまくいっておらず、病気にまでなって人生に絶望していた。
仕事では圧倒的無能ぶりを発揮し、プライベートは非モテを童貞を極めており、ストレスから視力が一時的に低下。なにもいいことがない状況だった。
彼女は配信経験がない中でVtuberとしてデビューし、最初はポンコツだった中で努力を重ねており、その生き様に自分はあこがれを抱いていた。
片耳が悪いというハンディキャップを抱えながら、それを感じさせない活動への取り組み姿勢も尊敬していた。
当時、自分は彼女に自分を重ね、自分の人生を頑張ろうとしていたが、上手くいっていなかった。
画面の向こう側の彼女は、同じ事務所のメンバーと一致協力して素晴らしいパフォーマンスを見せており、視聴者を喜ばせるために全力を尽くしていた。
ライブ直前にコロナに感染し、満足の行く準備ができなかったにもかかわらずである。
その姿を見て、自分の中に電撃のような衝撃が走り、涙したのを今でも覚えている。
何年もの間、いつも自分の頭の中にあったモヤモヤがすべて消え、思考がクリアになった。
その時、彼女は自分の中でアイドル(神の偶像の方)になったのだと思う。
ライブのあとの感想の配信で、人生で初めてスパチャを、それも最高額で投げた。
あの日、自分は彼女の重ねてきた努力に比べ、自分の努力がいかにちっぽけであるかを思い知った。
自分のいままでの行動のすべてが独りよがりで、彼女のようには何も生み出せていないことを自覚した。
仕事もプライベートも、すべて自分の幼稚なこだわりのせいで、あらゆる立ち回りが悪いまま改善されていないことにまで思い至った。
あの日の感動は自分と彼女との約束になった。(とても一方的なものだが)
あの日以来、仕事では失敗を常に振り返り改善していくようにした。
仕事におけるあらゆる立ち回りを見直した。メールの即レスポンス、話し方の改善、チームにおける自分の役割を理解しての行動など、
全て彼女が教えてくれた(と自分が勝手に思っている)ものを仕事で実践した。
プライベートでは身なりを整えて、(ありえないことだが)もし偶然街中で彼女に会うことがあっても恥ずかしくないようにした。
人格も尊敬する彼女に似せるため、「こういう会話ではこのように返す、このように話しかける」を彼女の配信を繰り返し視聴し、真似していくようになった。
彼女との約束(自分の中の一方的なものだが)を守るために努力した。
仕事ではプロジェクトリーダーを任されるようになった。圧倒的無能をさらしていた調整業務も、まだ課題はあるが、人並みにできるようになった。
プライベートでは結婚し妻子を持つに至った。(妻からは、出会ったときは童貞とは思えないほどスマートだったとお褒めの言葉をいただいている)
いまでは忙しくなり、配信を見る機会はかなり減ってしまったが、
選択的夫婦別姓の議論が盛り上がっているが、この制度設計には根本的な問題がある。それは「選択的」という発想そのものが、現在の制度が抱える構造的欠陥を放置したまま、表面的な対症療法に留まっているということだ。
ソフトウェア開発において「単一責任原則」という重要な設計原則がある。一つのクラスや関数は一つの責任だけを持つべき、という考え方だ。現在の結婚制度をこの観点で見ると、明らかにアンチパターンを踏んでいる。
• 法的な結合関係の成立
• 姓の統一
これらは本来、独立して扱えるはずの要素だ。姓の変更を結婚に紐づける必然性はない。むしろ、この結合が様々な問題を生み出している。
選択的夫婦別姓は一見進歩的に見えるが、実際には以下の問題を抱えている:
根本的な構造問題に手をつけず、「選択肢を増やす」という表面的な対応に留まっている。これはバグのあるシステムに機能を追加して複雑性を増すだけで、本質的な修正になっていない。
「高齢者や伝統を重視する人への配慮」がよく言われるが、選択的夫婦別姓でも結局は「選択を迫られる」ことになる。むしろ特定の世代だけが「変化への対応」を求められる分、不公平感すら生まれる。
現在の制度では、統計的に女性が改姓することが圧倒的に多い。選択的夫婦別姓があっても、社会的圧力によってこの不均衡は続く可能性が高い。
2. 年1回の改姓権:すべての国民が平等に姓を変更する権利を持つ
真の平等の実現
柔軟性の確保
• 結婚後に同じ姓になりたい夫婦は、年1回の改姓権を行使すれば実現可能
• 夫婦が同時に改姓権を行使することで、どちらの姓でもない中立的な新姓を選択できる
• これにより真の夫婦平等が実現される(どちらか一方が相手の姓に合わせる必要がない)
◾️よくある反論への回答
子どもの姓は子ども自身が決められる年齢になってから選択すればよい。現在は親が決めているが、最終的に影響を受けるのは子ども本人だ。
現在でも結婚・離婚による改姓で同程度の負荷は発生している。むしろシステムを整理する機会になる。
「国際手続きが複雑」
現状でも国際結婚や海外居住で姓の問題は発生している。新たな負担というより既存問題の整理という面が大きい。
◾️まとめ
選択的夫婦別姓は、現状に不満を持つ人々への一時的な慰撫策に過ぎない。本当に必要なのは、結婚制度そのものを現代的に再設計することだ。
技術の世界では、パッチを重ねて複雑になったシステムは最終的にリファクタリングが必要になる。社会制度も同じだ。表面的な修正ではなく、根本的な再設計を恐れるべきではない。