はてなキーワード: マンションとは
俺が大学卒業して家を出たのを機に、俺様の実家であるところのマンションを売り払って
元々、共働きで両者ともにエンジニアで父はフリーランスで母はリモートワーク。
金銭に関しては家賃、生活費、俺の学費等を両者で同額出しあって残りは自分の好きに使っていいという
完全別財布制を採用していたので、俺が家を出たことで別居することに何の問題もなかったようだ。
それぞれ長男長女(母は一人っ子)であり親の面倒も見たいということで実家に帰って行ってしまった。
俺が正月や盆に気軽に帰る家がない以外、お互い何の問題もなく生活しているようだ。
ちなみに正月には俺が住んでいるところの神戸に二人がやってきて同じホテルに泊まって、
一番の問題は俺が失職したりして独り暮らしを維持できなくなってしまったら福島か熊本まで行かないといけない可能性があることだ。
遠すぎるし田舎すぎる。
閉鎖の檻
第一章:引き出し
夜の静けさを切り裂くように、ドアが乱暴に叩かれた。時計は午前2時を指している。私の古いマンションの部屋は、ヨットスクールの喧騒から遠く離れた、静かな隠れ家だった。なのに、この不穏な音。「誰だ?」と叫ぶ間もなく、ドアが蹴破られ、黒い影が雪崩れ込んできた。
「お前が戸塚だな?」低い声が響く。屈強な男が二人、まるで獲物を捕らえる猟犬のように私を睨む。「何だ、これは! 出て行け!」私は咆哮したが、声は虚しく響いた。男たちは私の腕を掴み、抵抗する間もなく床に押し倒した。手錠のような冷たい金属が手首に食い込む。
「依頼だ。静かにしろ、爺さん」男の一人が吐き捨てる。依頼? 誰が? 私の脳裏に、かつての保護者たちの顔が浮かんだ。彼らは子供を私に預け、感謝の言葉を並べた。だが今、私がその子供の立場だ。滑稽だ。脳幹を鍛えるためには、まず恐怖が必要だと私は教えてきた。なのに、この恐怖は私のものだ。
車に放り込まれ、目隠しをされた。エンジンの振動が体に響く中、私は考える。こいつらは引き出し屋だ。私のスクールでも似たことをした。親の依頼で、夜中に子供を連れ出し、ヨットの甲板に放り込んだ。あの時、子供たちは泣き叫んだが、私はそれが「更生」の第一歩だと信じていた。今、私がその子供だ。皮肉すぎる。
第二章:施設
目隠しが外された時、目の前に広がっていたのは灰色のコンクリートの壁だった。窓のない部屋。鉄の扉。どこかの地下か、あるいは山奥か。男たちは私を椅子に縛り付け、去っていった。しばらくして、別の男が入ってきた。瘦せこけた顔に、冷たい目。まるで私の若い頃の自分を見ているようだ。
「お前は問題だ」男が言う。「社会に害をなす存在だ。だからここで更生してもらう」
「更生?」私は笑った。「私が? 私が教えてきたのは、脳幹を鍛えることで人間は変わるということだ。お前たちに何がわかる?」
男は無表情で私の頬を平手で叩いた。衝撃が頭を揺らし、血の味が口に広がる。「ここではお前がルールじゃない」と男は言った。「黙って従え」
その日から、虐待が始まった。朝は冷水をかぶせられ、食事はカビ臭いパンと薄いスープだけ。毎日、男たちは私を殴り、罵った。「お前はゴミだ」「社会の汚物だ」と。かつての私の言葉だ。スクールで、問題を抱える子供たちに浴らせた言葉。だが、今、それが私に返ってくる。
夜、薄暗い独房で、私は考える。脳幹だ。恐怖と痛みが脳幹を刺激し、人間を変える。私はそう信じてきた。ならば、この痛みも、私を変えるためのものか? しかし、変わるとは何か? 私の信念は、ヨットスクールで何百もの子供を救ったはずだ。なのに、なぜ私はここにいる?
第三章:気づき
何週間か、何ヶ月か。時間はここでは意味を持たない。ある日、男たちが私を別の部屋に連れて行った。そこには鏡があった。初めて見る自分の姿。白髪は乱れ、顔は痣と傷で覆われ、目は虚ろだ。かつての私は、自信に満ちた指導者だった。脳幹論を掲げ、世間を挑発し、子供たちを海の上で鍛えた。あの姿はどこへ行った?
「お前は変わったか?」男が問う。私は答えられなかった。変わった? いや、私はまだ私だ。だが、どこかで何かが崩れている。信念か、プライドか。それとも、ただの希望か。
その夜、独房の床に座り、私は悟った。ここは私の作った世界だ。ヨットスクールと同じ。閉鎖的で、逃げ場がなく、痛みと恐怖で支配される世界。私は子供たちにこの世界を強いた。そして今、私がその中にいる。逃げられない。誰も助けに来ない。親も、支持者も、誰も。
一生、ここにいる。
その言葉が、頭の中で響いた。脳幹を鍛えるための試練だと、自分を騙すこともできた。だが、違う。これは試練ではない。罰だ。私が作り上げた檻の中で、私は永遠に囚われる。
到着。ポストに令和5年の国勢調査のチラシが入っているのを見つける。2年以上空いていたとな?
玄関を開ける。くさっっ!
封水切れ。水を流す流す。下水の匂いは半日で消えた。よかった。
でもまだ臭う。なんか臭う。くさい臭いとくさくない匂いが混ざってる。
到着したらすぐ掃除をしようと思っていたのに、引越し屋さんが前倒しでやってくる。
荷物を入れてから、お掃除開始。クイックルワイパードライシートで床掃除。なんと!真っ黒!!靴下の裏も真っ黒!!!!
ウェットシートで拭き拭き。クイックルホームリセットと雑巾でも拭き拭き。真っ黒け。さいなら〜。
床がこれなら、壁も天井も…?拭いてみる。雑巾真っ茶っ茶。わぁ〜。
排水口にポンと入れるやつを入れる。あと何したっけな?
シーリングをつける。カーテンをつける。あれ?遮像を買ったはずだが?スケスケ??
ガス開栓。ちゃんとお湯が出た。よかった。
ドラッグストアにお出かけ。指定のゴミ袋とトイレットペーパー、消臭元ZEROなどを買う。
小窓を開けたら閉められなくなって、ググってなんとか閉める。
実家から持ってきたはずの歯ブラシが見つからない。どこにやった??
疲れた。寝床を用意。歯を磨かず、風呂にも入らず、寝袋で就寝、爆睡。
起床。部屋が臭う。すぐに窓を開ける。
壁をクンクン。ちょっとだけ臭い。昨日と同じように拭き拭きする。
家中をクンクン。玄関と、トイレ、洗面所が臭い。風呂は大丈夫。防水パンまわりも臭い。水を流しておく。
洗面所の壁を拭き拭き。まだ臭い。耐えられず、空間に香水を振る。くさっ。この香水嫌いなやつ。なんで持ってきた。捨てよう。
今日の午前中は配送業者さんが来るから出られない。昨日のスティックパンの残りを食べる。
電話が鳴る。電気屋さーん。はいはい。15時から設置で!お願いします。
電気屋さんが来る。優しい。冷蔵庫の上にレンジを載せてもらった。レンジくらい自分で持ち上げられるだけの筋力がほしい。
頑張ってベッドを組み立てる。へとへと。歯を磨きたい。近くのスーパーで歯ブラシを購入。ついでにちょっとだけ食料も買う。
野菜安い。パン高い。卵も高い。肉と魚は同じくらい。(地元のスーパー基準)
帰宅。風呂に入る。シャワー使うか?もったいない。頭まで湯船に浸かってゴシゴシして終了。これで全身洗ったことにする。
ベッドで横になる。爆睡。
起床。窓を開ける。
床と壁を拭き拭き。まだ臭う。
必要なものをAmazonで注文。昨日届いたデスクを組み立てる。脚を内側につけちゃった。なんで気づかへんのや、アホ。
でも大変なのはベッドだけだった。ベッド以外の組み立て家具はたいしたことない。
早急に手桶が欲しい!ということで、30分歩いてお店がたくさんあるエリアへ行く。
手桶と椅子を買いたい。が、荷物になるので後回し。100円ショップに行って、必要な物を買う。ドラッグストアで消臭元ZERO(2個目)を買う。
エコバッグ2つに詰め込んで、最後に手桶と椅子を購入。どでかい袋に入れてもらい、30分歩いて帰宅。バスはあるけど使わない。
帰ったら、また近所のスーパーへ行き、食料をちょっと買う。遠くの店と価格を比較したいので、まだちょっとしか買わない。
起床。窓を開ける。だいぶ臭いが薄くなってきた。でもまだ臭う。
5のつく日なので楽天で買い物しなきゃ。その前にお出かけしたい。今日は家にいなくても大丈夫。朝から出かける。バスに乗る。
マグカップとお茶碗がほしい。マグカップがないので今まで紙コップを使ってた。そろそろちゃんとしたカップで飲みたい。
あちこちブラブラ。地図で雑貨屋を検索。気に入ったマグカップが見つからない。お茶碗も見つからない。
大きめの皿とフォークとスプーンと茶筒は見つけた。しかし茶は買ってない。
トイレに行く。ハッと気づいた。タンクや!!そーっとタンクを開けてみる。くさっっ!!!黒っ!!!
ググってタンク用の洗浄剤があることを知る。初日に行ったのとは別のドラッグストアを目指す。ついでに商店街も覗いてみる。が、閉店ガラガラの時間帯。残念。
ドラッグストアには置いてなかった。洗剤や柔軟剤を買う。疲れたから入浴剤も買っちゃった。
帰宅。Amazonでタンク用の洗浄剤を注文。早く届け〜と願う。飯食って風呂入って爆睡。
朝から大雨。風ビュービュー。トイレのタンクを開けて、手の届く範囲を掃除。くさっ!昨日買った洗浄剤早く届かないかな〜。
ニトリでキッチンマットとロールスクリーンとその他もろもろを注文。お届けまで1週間?ふぅ〜ん。まぁいいや。
母から着信。元気ですよー。実家の猫が元気ないみたい。私ロスとな。帰りたい、かもしれない。
そういえば、あれほど悩んでいた肌荒れがなくなった。猫アレルギーだった、かもしれない。
午後になって雨が止む。近所のスーパーは卵が高いので、別のスーパーを覗いてみようと思い立つ。
ついでに昨日行った商店街へ行く。そんなに安くないんだな〜。ちょっとがっかり。てくてく歩いてスーパーをはしご。値段あまり変わらない。
白ワインビネガーが欲しい。置いてないので諦める。んー。やっぱりマグカップとお茶碗がほしい!
地図で再度雑貨屋を検索。アフタヌーンティーが近くにある。ハッ!盲点だった。なぜ昨日行かなかったのか!!
めっちゃ気に入ったマグカップを購入する。お茶碗も別の店で買う。昨日買った大きめで深さもある皿は大変よろしい。一つあると便利。
ドンキへ行く。あまり食品を置いていない。(地元の店舗と比較)わざわざ行くほどではない。
歩いて帰ろうとしたけど坂がきつい。タイミングよくバスが来たので乗る。降りてスーパーで買い物。
帰宅。玄関が臭い。トイレが臭い。ご飯をつくって食べて風呂入って爆睡。
天気がいい。窓を開ける。部屋の臭いはだいぶ消えた。
今日、トイレタンクの洗浄剤が届く!シャワーヘッドその他もろもろも届く!
まぁ、いまさらなんだけど、酸素系の漂白剤でよかったっぽい。いまさらなんだけど。
届いたものを片付ける。浄水器が蛇口に合わない。想定内。(なぜ買った)
ご飯を作る。実家より狭いキッチン。あまり凝ったものは作れそうにない。残念だけど、仕方ない。
起床。窓を開ける。壁を拭く。まだ黒い。
トイレを流してみる。水が真っ黒!!うわぁ……。ハッ!くさくない!!
あ〜よかった、よかった。これでひと安心ですわ〜。
段ボールに入っていた荷物を棚に入れる。ひょんなところから歯ブラシが出てくる。アホ。
・すぐ使うものはひとまとめにしておけ。アホ。
・トイレが臭かったらタンクを疑え。酸素系の漂白剤なら店に売ってる。
・下水の臭いはすぐに消えるけど、隠れた別の臭いがあるから気をつけろ。
・2年以内に引っ越そう。
私はバブル崩壊直後の関東地方のニュータウンに生まれた。正確には、よちよち歩きの赤ちゃんの頃に引っ越して来たのだが、この街以外で育った記憶はないのだから、ここに生まれたと言って過言ではあるまい。
私の生まれた街は東京から電車で1時間ほどの距離にある。1980年代のバブル期の勢いの中開発され、多く平凡なファミリーが夢のマイホームを求めてやってきた。
私の両親もその例に漏れず、元々生まれ育ちは東京であったが、夫婦二人暮らしの時に購入したマンションは二人の子供に恵まれたことにより手狭になり、都心からは離れるが、郊外のマイホーム購入に踏み切った。不動産バブルで、元々住んでいたマンションは購入時より高い金額で売れたらしい。そんな時代だ。
高低差のある地形を生かして、住民は車道をほとんど通らずに小中学校やスーパーマーケットに行くことが出来たし、子供が遊ぶための公園もスポーツ施設もそれなりにあった。幼少期にはとても良い環境に思えた。
ところが、バブルは弾け、思ったほどには順調に人は集まらなくなっていった。私が生まれたころに期待を持って開かれた小学校は、いざ入学する頃には、1学年40名前後しかいなかった。私が最高学年になった時の一年生は20名だった。私が中学に通っている時分、14年ばかりの歴史で廃校した。
小学校卒業後、私は私立の中学校に進学した。あまりにも地元の中学校が荒れていたためである。だが近隣に相応しい偏差値の学校がなく、結局片道1時間半ほどの時間をかけて都内の学校に進学した。合理的で残酷なクラスの連絡網は、通学時間が長い者から先に連絡を受けられるようになっており、卒業するまで私はその先頭に位置を譲らなかった。朝練のある運動部に入っているわけでもないのに、冬には日の出を見ながら家を出るような生活だったのでそれはもう辛かった。とはいえ、毎朝弁当を作るために更に早起きしていた母はもっと大変だっただろう。なんなら自宅から駅までも相当の距離があったので毎日送迎してくれた。専業主婦であったからこそ出来たのだろうが、それについては深く感謝している。
とにかく、そのような感じで中学高校時代を過ごした。大学進学時、兄は一人暮らしを始めたが私は許されなかった。中高で通えた実績があるので、始業時間が遅く、距離も数分近いため、通学時間の長さは一人暮らしをする理由にはならなかった。
社会人になって1年目も同様に実家から通った。始業時間の遅い会社に入社したため、その分定時は遅かった。定時退社して寄り道せずに家に帰ったとしても、夜9時より早く家に着くことはなかった。その頃は仕事終わりに学生時代の友人から誘われることも多かったが、時間が合わずほとんど行かなかった。次第に誘われなくなった。
社内の激務部署に異動したのは良い結果と悪い結果を私にもたらした。あまりに残業が多く終電で帰れない日が多くなった。帰れない日には、一人暮らしの兄の家に泊まることがあったが、繁華街近くのセキュリティも怪しい部屋に伝手でタダ同然で住んでいるので、深夜にそこに行くのも嫌だった。ほとんどヒステリーみたいな状態で親を説得し、ようやく一人暮らしを始めることができた。
初めて住んだその部屋は、親の要望でとにかく周辺の治安とセキュリティに特化しただけの部屋だった。古い建物で、北向きだし、大通りに面していてうるさいし、換気扇がほとんどきかず、火災報知器が良く鳴った。でもすごく自由だった。
新しく買った家具はカーテンとベッドくらいで、机や箪笥は実家の古いものを持っていけと言われた。一度だけ部屋に招いた友人には殺風景過ぎて「こんな部屋に一人にしておけない」と心配されたが、自分ではそんなに悪くないと思っていた。(それ以降部屋に人を招くのはやめた)
仕事は激務で、土日は部屋で寝てばかりいるという生活が6年ほどあって、20代の時間をほとんど仕事に費やすことになったが、私を都会に脱出させてくれたのもその激務であったので、その仕事から離れた現在でも、恨みと感謝の入り混じった複雑な思い出となっている。
ろくでもない部屋でも、都会の生活は最高だった。何が最高かと言えば「大体のことは取り返しがつく」ことである。実家で暮らしていた頃は、1日をスタートするにあたり前日までにはある程度計画を立てなければいけなかった。起きる時間で行ける場所は変わるし、時刻表を確認しなければ駅でずっと待ちぼうけすることになる。都会では、適当に朝寝坊して、昼過ぎに思いつきで外出しても何処にでも行ける。なんなら夕方から外出したって良い。遅くまで営業してる店はいくらでもある。何か忘れ物をしても大体現地調達できる。無計画にふらっと外に出てもどうってことない。「帰る時は駅まで迎えに行くから連絡してね」と心配する母親もいない。帰りたくなったら好きに帰れる。
ある日、実家に帰ると兄嫁が0歳児と共に暮らしていた。諸々の事情があり、しばらくはこちらで生活しているらしい。赤子の散歩がてら、かつての通学路を一緒に行くことにした。
かつてより全体的にひとまわり小さく感じられる道を歩く。あまり整備の行き届かなくなった道はデコボコだらけで、ガタガタとバギーを揺らした。見事な桜並木は健在だが、大きく育った木の根が地面に亀裂を作っている。見覚えのある家がずっと残っているが、人の気配はほとんどない。ここに家を建てた家族の子供たちは大人になってほとんど地元に残らなかった。3000万円そこらで売っていた家は大体100万ちょっとになってしまったらしい。私でも買える値段だ。絶対に買うことはないが。
赤ん坊にはガタガタの路面の起こす振動が心地よかったらしく、スヤスヤとよく眠っていたので適当なところで家に引き返すことにした。どうせこの道を進んだって大したものはありゃしないんだから。
帰り道にかつての母校のグラウンドを横目で見た。近隣の大学の運動部がグラウンドを活用しているらしい。大勢の大学生が楽しそうに活動しているグラウンドは、やはりあの頃見たよりも小さい。
確かに、働きながら司法書士はかなり難しい。また、厳しいことをいうが、不動産業は資格商売であることを忘れて、資格を取らなかったのは怠慢だと言うのは否定できない。
だけど、今からでも遅くないから測量士補を取って、土地家屋調査士を目指すのは悪くないし、まあ時間は掛かるが現実的だろう。
または、隣接分野で宅建士(ついでに賃貸不動産経営管理士)を取るのも手じゃないかな。(働きながら独学で取るのもそれほど難しくない)
こないだJR福知山線脱線事故の記事を読み、いろいろと忘れられなかったので昔の自分の事故のことを忘れないように記す。
自動車とバイクの衝突事故で、夏の暑い日だった。私はバイクを走らせていた。
まず、ぶつかるとき、ああ、これはぶつかるなと思った。よく、事故当時はスローモーションに見えたというような供述を耳にするが、例に漏れず私もこの瞬間はスローモーションというか、ぶつかるまで数秒もなかったはずなのにやけに冷静に思考する時間があった。車がすぐ近くにあって、ああ、これはぶつかるな、と思った。そしてぶつかって、運良くかはたまた運悪くか意識がずっとあったので、自分が地面を2回バウンドしてゴロゴロと転がったのが分かった。ちなみに、 ぶつかるまで車の存在には全く気づかなかった。事故なんてそんなもんだ。
真夏の日だったので、熱せられたコンクリートに転がって地面がすごく熱かった。ぶつかってもちゃんと頭にハマっていたフルフェイスのヘルメットを自分で外した。とにかく熱くて呼吸が苦しかったのだ。どうしたって地面が熱くて、熱い、とぼんやり言った。起き上がろうと思ったがなぜか起き上がれなかった。不思議なことに全く痛みはなかった。意識はずっとあったにも関わらず。思考能力もそのままで、このままでは待ち合わせに遅れてしまうな……ということを考えていた。相手に連絡を入れようと思ったが、いかんせん体は動かず、スマホなんて意識の外側にあった。あとで知ったが、私のバイクは大破し廃車となり、荷物もバラバラに吹っ飛んでしまっていたらしい。そのときは、意識もあったことから割と事を軽く考えていた。救急車に乗せられても、救急車って居心地が悪いんだなあとか、おそらく事故を見て車から降り、熱いと言った私に日傘をかざしてくれていた女性のことを呑気に考えていた。病院に運ばれたあとも救命救急センターの処置室の中で遠方に住む親に特に命に別状がないことを明るく伝えたりしていた。実際はそれなりの事故であったみたいで長期間入院することになり、フルフェイスのヘルメットでなければ死んでいたかもと医者に言われたりした。身体が動かない期間が長く、リハビリを開始したときは元から大して運動してはいないはずなのに全く動かなくなっていた自分の筋力の衰えにかなり動揺したりしたものだが、看護師や理学療法士、同室の患者たちのの温かいサポートもあり退院までの時間を思うほど苦痛なく過ごすことが出来た。
私はフルフェイスのヘルメットを被っていたこともあり軽い事故で済んだが、脱線事故は自分を守るものもなく、意識なく命を奪われた方も多かっただろう。意識があっても苦しみのまま命をなくしたり、数ヶ月入院したり後遺症が残った方も少なくないはずだ。
二両目は尼崎のマンションに沿うようにくの字にひしゃげ、三、四両目も脱線し、足りないと騒がれた一両目はマンションの駐車場に突っ込んでいたりと……脱線事故の記事をいくつか読んだが、凄惨なものばかりで本当に心が痛くなる。
私から言えることは、バイクに乗る者は必ずフルフェイスのヘルメットをつけて欲しいということだ。フルフェイスだったから、私は死なずに済んだし、口元はさすがに血だらけであったが顔に傷をつくらずに済んだ。そして真夏であれど軽装では乗らないで欲しい。当時私はサンダルを履いていたが、片方は遠くにふっとんで、足首の傷が一番深く今でも残っている。馬鹿な私を元に学んで欲しい。交通事故が一件でも少なくなることを祈っている。
今日そこにハトが入り込んで出れなくなってたから、傘の持ち手部分を使って上手く助け出した。
実は去年の5月4日にも同じことがあり、その時はクイックルワイパーと板を使って必死で助け出したのだが、昨日の雨で目の前に傘があったおかげですぐ傘を使うことを思い付いて良かった。
たぶんこの時期、巣作りしようと思ってハト地獄に入り込んでしまうんだろうな。
【追記】
ハト地獄の説明はめんどかったので省略したがブコメが付いていたので補足。
端的に言うと廊下に設置されている消火栓です。
↓の写真の左側、配管が通っている部分の前面がパネルで塞がれている状態だと思ってもらえればわかりやすい。
https://timerun-b.com/magazine/wp-content/uploads/2021/12/S__10551317-1.jpg
配管を伝って下りれるんだけど、隙間が20センチくらいしか無いから飛んで出ることができなくなるみたいです。
無敵の人の暇空はわりとどうでもいい
一応まだ会社勤めしてて「どうせ刑事にはならないだろうしマンション買うために続ける」と言ってたなるくんがどうなるかがめちゃくちゃ楽しみ
珍宝で悪名を轟かせた時期は猥語連呼でBANされつつもTwitterではリベサヨ言動だった
実家暮らしで母親に性差別的な言動を繰り返す父親に反発を持ったが故のフェミ騎士的言動
田舎の金持ちである父と祖父が「共産党ガー」としょっちゅう言ってネトウヨサイトにハマってるのが嫌だと嘆きながら安倍晋三叩きに精を出していた
実家を出て母も遠くなりにけり父親そっくりになったなるくんは女叩きで儲けて45年ローンでマンション買えば父親越えも果たせるはずだった
カニに安倍晋三って名付けて「安倍晋三を熱湯に入れまーす」「安倍晋三の脚をもぎまーす」って言ってネトウヨに叩かれたけど優しい安倍晋三には訴えられなかったあの頃に戻れたらいいのにね
AI要約
都民ネイティブは地価高騰により、上京民に対して生まれながらに1億円相当の資本的優位性を持つ。
さらに教育面などの文化的資本でも差があり、上京民は不利な状況で東京生活を強いられる。
住居確保で経済的余力を失い、子育てにおいても都民ネイティブとの格差に苦しむ。
年収2000万円でも格差は埋まらず、むしろ拡大する可能性すらある。
地価が上がりすぎて都民ネイティブは根無し草の上京民に対して生まれながらに1億円くらいの資本的リードを持っている
更に金銭的な資本だけではなく、子に施す教育など狭義の文化資本もそもそも都民ネイティブの方が豊富でそこにも格差がある(都民二世三世が金だけ持ってるボンクラである確率はそこまで高くなく、上京民の方が能力が高いという保証はない、むしろ低い可能性すらある)
そんな中、上京民が東京で暮らすなんてほぼ負け戦にしかならないでしょ
上京民はまず住むところを得るために1億円のリードを埋めなければならない
そこにリソースが割かれ余力は一切なくなる(別に郊外に住むことも可能だが、その場合も通勤に時間的リソースが割かれるので結局余力がなくなる)
そんな中でなんとか家庭を持って子供を産めたとしても、金銭的文化的リードを背景に余力を持っている都民ネイティブと教育という戦場でぶつかることになり、無い余力を更に削ることになり勝ち目は薄い
基本的に戦いは余力が多い方が勝つ
奇跡が起きて名門私立中学に進学できたり局地的に勝つことはできても大局では結局物量(余力)が物を言うことになる
変に勝っちゃうと余力更に削られるしね
そりゃ年収2000万でも足りなくなるよ
てか都民ネイティブも上京民と能力は同じかそれ以上で年収2000万以上はほぼ確定なんだから資本的な格差は一切埋まってない、むしろ広がってるまである
そんな金銭的かつ文化的な二重の格差があんなクソ狭い土地で発生してるんだからそりゃ上京民は生きにくくなるに決まってる
そんな中でも勝ち筋があるとしたら、親族が地元の名家で上京と共にマンション買ってくれるなど都民ネイティブとの格差を一気に埋められる飛び道具を持っているとかかなぁ
と書いて思い出した、田舎から慶応に進学した子が進学祝いでマンション買ってもらってたんだけどそういうことだったんだろうな
その子自身は当時気づいてなかったかもしれないけど、両親はかなり戦略的に子の上京サポートをしていたんだろうな、偉い