はてなキーワード: ベイリーとは
弱者男性でいたくないならまつげを抜けい!
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9680ce06613201c60bc27ce810ce59e8a46e136
トルコからニュージーランドに至るまで各国の理髪店で、短いまつ毛を求めて目の際に刃を当ててもらう男性の動画がTikTokやインスタグラム、Xに相次いで投稿されている。電動シェーバーを使う理容師もいれば、はさみと手だけでスタイリングする理容師もいる。
ロンドン在住のITプロフェッショナル、スペンサー・ベイリー氏(48)は言う。「濃い黒々としたまつげのせいで長い間さんざんな目に遭ってきた」「でも絶対にシェーバーで切り落としたりはしない。まつ毛が『女子っぽい』と言うのは大抵は男性で――自分は身長190センチ近いのに――アイメイクしているのかと聞かれる。最近では付けまつ毛かと聞かれた。妻は気に入ってくれているけれど、男性の中には気になる人もいるらしい」
「まつ毛は2元性が強い。一方の性ではとてつもなく長くて濃くて黒黒としたまつ毛が流行している。これは『究極の』女性性の象徴とみなされる。従って、反対の性にとってはその逆が『真実』になる」
なので楽しみにしていた実写版の配役が発表されたとき、そのアニメ版のイメージとあまりにかけ離れたキャスティングに悲しみ、当時は見なかった
そして昨日、金ローで見た
とりあえずTLでは当たり障りなく褒めたけど、普通に何これは…となった
でも同じ意見を探そうとすると、お前は差別主義者だぞ、という記事やツイートにぶち当たりまくった
なので愚痴を吐き出したくなった
そんだけ
人種差別がどうとか、そんな高尚なことは考えてない
アニメ版と実写版の写真を並べたとき、二者は似ていると言えるのか?
ただそれだけを問いたい
あとはよく言われてることへの意見
そもそもアニメ版自体がアンデルセンの人魚姫から改変してるんだから、原作に忠実に…というのはおかしい
→アニメ版ディズニー作品の「実写化」なので、元のディズニー作品を再現してくれると期待するだろオタクは
アリエルって名前を使わず、鯛のフランダーもカニのセバスチャンもおらず、父とのすれ違いもなく、歌も完全新規のみ、クソデカアースラ討伐作戦で〆ない、みたいな感じならアンデルセンさんの原作からディズニーアニメ版が作られたときレベルの改変度になって、アニメ版ファンも何も言わなかったと思う
→人種が嫌なんじゃなくて明らかにイメージとかけ離れてるのが嫌って10000000回言ってる
ハリーベイリーさんはどっちかというとキリッとした顔立ちでアニメ版アリエルと印象が違うじゃん
鬼舞辻無惨をGACKTがやっても違和感ないけどルパート・グリントがやったら違和感あるだろ
人種の話はしてない
アニメ版の肌の色に設定はない、色白だと感じるのは差別主義者の思い込み
→じゃなんでヴァネッサは実写版アリエルと似通った肌の色の役者じゃないんだよ
アリエルの肌の色を再現してこうなったなら同じような色のヴァネッサも似通って然るべきだろ
それかアニメ版に色の指定がない場合はどうとでもしていいって建て付けなら、なんで緑とか青の肌の人魚がいないんだよ
黒人の子どものためのプリンセスが必要、それも有名なプリンセスが黒人であることに意味がある
→中国以外の東洋人のプリンセスなんか一人もいませんけどそれはどうなん?
今やモアナもティアナもリロもミラベルもいて、こっちはイマジナリー日本在住のヒロが一人で日本背負ってんだぞ
→よかったね
完全新作のプリンセスじゃダメなのか?もしくは他の有色のプリンセスたちは?
王子だけ謎に白人、みたいな下手に原作を意識せざるを得なかった結果半端にしか寄り添いきれないものをお出しして、それで満足させようとするのって本当に良いことか?
子どもたちはアリエルだから喜んだんじゃなくて、御伽話のプリンセスが自分たちに似てるから喜んだんだろ
昔の人気作の力を借りずに魅力的な新しい有色のプリンセスを作る努力をしろよ
これまで白人の物語を作りすぎてきたって反省があるなら、今後は有色人種が主人公のおもしろい物語を作りまくればいいだろ
歌の上手さや心がアリエルだ
→歌はバキバキに上手い、それはそう
でもそれなら逆にエリックとの親交を深めてく実写版オリジナルの肉付け描写いらんだろ
あと実写版はアニメ版に比べると表情硬くて全然天真爛漫に見えないんだよ
花食ってるとことか海に引き込もうとするセイレーンの本能が目覚めたかと思ったし
黒人が嫌なだけでは?
→ブラックパンサーも今のキャプテン・アメリカもプリキスも大好きだよ、人種で見るもん選んでねえよ
さっきも言ったが有色プリンセスや有色プリンスのおもしろい作品どんどん増やしたらいいんだよ
てか普通にスピンオフか別の映画作ればいいだろ、なんでもう出来上がってるイメージを壊すんだよ
新作の抹茶ポンデリング売るのに元のポンデリングと挿げ替えたりしねーだろ、普通に抹茶ポンデリングですって売り出すだろ
なんで新商品の抹茶ポンデリングのためにプレーンのポンデリングは売り場から追い出されんだよ
このままプレーンが買えなくなったらどうしようってプレーン派が不安になって抹茶や抹茶派を嫌いになったらそれこそ本末転倒だろ
アンデルセンの原作へのリスペクトに溢れてるので「原作重視じゃない」と言うのはお門違い、そもそも実写版はreimaginingであってアニメ版の実写化ではない
ディズニーがリトルマーメイドの実写化やります!って発表して誰がアンデルセンの原作へのリスペクトを期待すんだよ
普通アニメ版を原作としてそれが実写映像になるんだなと思うだろ
これはアニメ版の実写化ではありません、アニメ版とは関係ありません、別世界線の物語です、とか最初から注釈入れとけよ、サボんな
ここまで書いたら割とスッキリした
https://x.com/Jebadoo2/status/1885735444836388921
https://x.com/wishiwereaswan/status/1886526950254239858
彼らは新しいトランス差別の定義の中で、ジェンダー・アイデンティティに対する信念をこっそり捨てた。
英トランス擁護団体ストーンウォールはかつて、ジェンダー・アイデンティティが存在すると信じており、アリソン・ベイリーの再評価の強制、多くの女性のキャンセル、ジェームズ・ドレイファスへの嫌がらせが、ジェンダー・アイデンティティという新しい宗教の名のもとに正当化されると考えていた。しかし今、彼らはそれを放棄している。
これは驚くべきことだと思うかもしれない。なぜなら、この団体はかつて、不安を抱える親たちに嘘をつき、「ジェンダー・アイデンティティを否定された子どもの50%が思春期阻害剤を拒否されると自殺する」と主張していた。しかし今、彼ら自身がその概念を放棄しているのだから。
あなたたちは裏切られている。完全に見捨てられている。自分たちのために常に戦ってくれると信じていた組織が、今やあなたたちに背を向けている。陰でこっそりと動き、策略を巡らせている。それはあなたたちを完全に見捨てようとしているのだ。まるで使い捨てのレンガのように、簡単に切り捨てられているのだ。
旧定義
トランスであるという事実に基づいて、誰かに対して恐怖や嫌悪感を抱くこと。これには、その人のジェンダー・アイデンティティを否定したり、受け入れることを拒否したりすることも含まれる。
トランスフォビアは、トランスである人、またはトランスであると見なされる人に向けられることがある。
⇒
新定義
トランスの人々に対する偏見や否定的な態度、信念、見解のこと。これには、トランスである、またはトランスであると見なされる人に対する恐怖や嫌悪感も含まれる。
つまり、【ジェンダー・アイデンティティを否定したり、受け入れることを拒否したりすること】は正式にトランス差別ではないことになりました。
やったねたえちゃん!
𝗗𝗔𝗜@
@3559dai
劇場にリトルマーメイドを観に行く理由が動くヴァネッサを観たいでもいいですし、ハリエルの歌声を聴きたいでもいいと思います😊
https://twitter.com/neko_gravity/status/1666528978839146496?s=20
いやこんな明るくないっしょ。
https://twitter.com/cwgl418/status/1666158230224130048?s=20
これも表情が見えない
𝗗𝗔𝗜@
@3559dai
エリック役のジョナ「今作は自分と違う人たちを恐れるのではなく、その違いを祝福してお互いに手を取り合うことの素晴らしさがテーマになっています。」
こう言うのが素晴らしいとかアホやろ。
@voguejp
アリエルは黒人ではなく白人が演じるべきだという世論があったことについて語ったこと。「スクリーン上で、自分と似た外見を持つプリンスや・プリンセスを観ることが少ない子どもたちにとって、ハリーのキャスティングはどれほど重要で価値のあることか」 #リトルマーメイド
そもそもみずの中で泳げるか?
日本は008っているんだぞ。
𝗗𝗔𝗜@
@3559dai
ハリーベイリーの歌声に感動する子供が可愛いし見てる方も泣けてくる🥲
https://instagram.com/kimberlygelinn?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
ヤラセくさい。
https://gendai.media/articles/-/99878?page=3
彼が展開したのは、トランスジェンダーのなかでも「MTF」と呼ばれる人々についての理論である。通常、MTFの人々は「身体的には男性として生まれてきたが、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)は女性である人々」として理解されることが多い。しかし、ベイリーはジェンダー・アイデンティティという概念を疑問視して、その代わりに性的指向に基づいてMTFを定義しようとした。
そして、性科学者のレイ・ブランチャードの理論に依拠しながら、MTFは「異性愛の男性を性的対象としており、彼らと恋愛・セックスするために性転換を望む人」(トランスキッド)と「“女性としての自分”への愛情を抱き、自分が女性になることを想像することで性的に興奮する人」(オートガイネフィリア)とに区別される、とベイリーは論じたのである。
ドレガーによると、『クイーンになる男』が発表された当初はトランスジェンダーの当事者のなかにもこの本を好意的に受け止める人が多く、MTFに関する理論についても「自分の実体験に基づいている」と賛同する当事者は多数存在した。
しかし、一部の活動家が「ベイリーはトランスフォビアである」と喧伝し続けて、脅迫を恐れた大学やメディアの関係者もベイリーを支援・擁護しなかったことから、彼が差別主義者であるというイメージが定着してしまったのだ。ドレガー自身も、実際にベイリーに会って事件について詳細に調べるまでは、彼がトランスフォビアであると思い込んでいたのである。
モットアンドベイリーじゃん
Abstractしか読んでいない疑惑や自身のダブスタな態度など他増田やブコメによる都合の悪い指摘に無視または言い訳を続ける増田に果たして他人の知的誠実さを偉そうにジャッジする資格()を満たすだけの知的誠実さは備わっているか
(結論に「反する」論文を「無視」と語気を強めて言い切っていた増田の論旨は変わってるんだが、それはそれとして)
細かい論点だとか論旨には影響しませんで言い逃れできるなら手嶋の記事だって前後の総説論文やメタアナリシスが否定されない以上は記事全体としての論旨には大して影響しないだろうに、記事全体のキャンセルを試みるのは無理があるって自分でも薄々分かってるよな
自分に都合の良い方向にねじ曲げた誤訳にしても査読の持つ意味合いにしても最初に強い言葉で耳目を集めてから後で軌道修正すればよしっていう怠惰な姿勢からは知的誠実さなんて欠片も感じられないんだけど?
ブコメでもお前の印象操作にオタクヘイターな表現規制派の方々が釣られまくってるんだから相手の印象操作を責めるなら自分も記事全体の論旨は否定できませんと明言して釣られた馬鹿の後始末しとけ
つい適当なこと言っちゃったけど相手だって同じなんだとか全く言い訳にもなってないからな
その相手をお前は「学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです」「論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません」「知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう」と切り捨てたんだからな
他人より先にまず自分をその立派に研ぎ澄ました鎌で断罪してはどうか
(Full-Textを読まずにAbstractだけで済ませる怠惰も刈り取れないナマクラみたいだから研ぎ直すのが先か?)
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
あまりにひどいと思ったので、こっちにも書く。ブコメで言ったけど誰も読まないし。こっちに書いても読まない可能性高いが。
肉を食べないことで地球環境を救えるのか、実際に計算するとこうなる
https://gigazine.net/news/20191012-vegetarianism-climate-change/
また、バージニア工科大学で畜産学を研究しているロビン・ホワイト氏とアメリカの農業研究事業団の研究者であるメアリー・ベス・ホール氏の共同研究でも「アメリカの食料生産システムから動物を除外した場合の総温室効果ガス排出量の減少はわずか2.6%」との研究結果が出ており、ベイリー氏の主張の裏付けとなっています。
yas-mal 2.6%って大きいな。肉を多く食べるとは言え、人口では世界の1/20程度の米国人だけを対象にしてそれって、相当じゃね?
wow64 アメリカ人が肉をやめても、"世界の"2.6%にしか影響ないって言いたいのか。アメリカ国内計算なら1割近く削減できるみたいだぞ。(1.4t / 14.9t) https://www.jccca.org/chart/chart03_02.html
yamada_maya これ2.6%って米国内じゃなくて地球全体の話だよね。米国の温室効果ガスの排出量は13.6%なんだけど、そこから2.6%も減ったらものすごい削減では。パリ協定の2割程度削減するって目標が一発でクリアできるじゃん。
こんな発言がみられて、それにいくつかのスターが付いてたりする。
一次ソースを読む限り、この2.6%ってアメリカ国内の総環境影響ガスの排出量に対する割合の話にしか見えないんだけど。
The modeled system without animals increased total food production (23%), altered foods available for domestic consumption, and decreased agricultural US GHGs (28%), but only reduced total US GHG by 2.6 percentage units.
動物を使用しないモデル化システムでは、総食料生産量が増加し(23%)、国内消費可能な食料が変更され、米国の農業GHGが減少しましたが(28%)、米国のGHG総量は2.6パーセント単位だけ減少しました。(機械翻訳)
ってここまではっきり書かれてるのに、なんで世界のGHG排出の割合で2.6%だと思ったんだろう?
なんか新聞の記事とかで論文にアクセスできるようにURLとか貼れってブコメをよく見るから、気になった部分があったらソース確認するのかと思ったけど、ほとんどの人はそうじゃなくて、都合よく解釈して、好き勝手言うみたいだし、そのことをおかしいと思わないらしい。
一々、ソース確認したりするのは面倒なのは分かるけど、疑問すら持たない自信はどこから来るんだろう。
この手の論文に対して、「○○が抜けてる」とか「計算の信憑性が」とか色々文句つけるなら君がモデル化してシミュレートして欲しい。
研究って不完全なものを色んな人が埋め合わせたり、次の人に託したりして成り立ってる。それに対して「○○がないからダメ」みたいに切って捨てる人は楽で良いなと思う。
やらない人は知らないだろうけど、適切なパラメータ探すのも、モデル変更すんのも一苦労するんだよな。問題の種類によるけど計算量の話も出てくるとそっちはそっちでクソ大変だし。