はてなキーワード: フェンスとは
偶然にも親族に不幸が相次いだ。
独り身の2人とも突然死んでしまったものだから、家にいくと「まだ生きようとしていた」痕跡がいっぱいあった。
冷凍されていた高級なお取り寄せグルメ、カレンダーに書いてあった旅行予定、昨年大規模に直した家のフェンス・・・・
こういうのを見ると、私はもっともっと人生を大事にしてやりたいことをやりたいと思った。
そして、仲が良い人ともっともっとどうでもいいお話をしてかけがえのない時間を過ごしたいと思った。
だけど1週間たったらそんなことも忘れて毎日お仕事に忙殺されたり、なにもかも面倒になって家で寝ちゃうんだろうな。
2人のそれぞれお遺品整理をする中で、自分の行く末を見ているようで悲しくなった。
ああ。
最近、地元の役所に用事ができて実家に帰った。市役所には小さな子供連れが大勢いて、特段、活気のある自治体だと思っていなかったので驚いた。若い人たちの街になりつつあるのか。自然が多いわりに便利でいいところだぜ。みんなもこの街を好きになってくれたら嬉しい(俺はもう暮らしてないけど)。
…
用を済ませて、滞在中の実家に戻る。なんとなく思いたって、イヤホンでニュースを聴きながらかつての近所をぶらぶら散歩することにした。
歩いて5分ぐらいのところにある老舗のスナック。いま40手前の俺がまだ中学生だった時点でけっこうなバアさんのママが経営していたが、「そういうバアさんがいたよな」と思いながら前を通りかかったら、もっとバアさんになった本人がひょっこり出てきたので驚いた。別に面識もないし、嬉しいも何もないが、すげえな、という感銘を抱いた。
…
そのまま通り沿いに歩くと、旧友が暮らしていたマンションがある。これも20年以上前、俺と友人がまだ中学生のころに建ったもので、小さな戸建てやアパートばっかりの風景にいきなりどかんと現れた、ガラス張りのエントランスをもった近代的なマンションにはきらびやかな存在感があった。ロビーでインターホンを鳴らして住人を呼び出す建物もここではじめて見たのだ。
いま見てみると、単純に年月が経過したせいもあるだろうけど、キラキラした威容はなくなり、壁面のタイルの目地にしみついた汚れが目についた。小さかったっけこんなに、とも思った。時代が経ったんだな、と感じた。
駐車場側に回ると2mほどのフェンスと植え込みがあり住居棟との間を仕切っている。中学~高校のころ、これをよく気合で乗り越えて中に入っていた。これをすると、友人が「エントランス開錠してないのに、お前どうやって入ってきたんだよ」と驚きあきれるので面白かった。ほとんど無意味なしょうもない行動だ。友達が驚くというだけでそんなことをする価値がある年齢だった。
…
大きな車道を一つわたって、目の前に集合団地の見える通りを歩いていく。昔は、右手にやたらとじめじめした陰気な家があって、ここにものすごく愛想のいいかわいい猫が住んでいた。大学生のころ、わざわざよく撫でに行った。いまは完全に更地になっていた。
…
団地にぶつかったまま歩いていると、アスファルトの黒い路面の上でうごめくものがあって、見るとジガバチ(狩人バチ)がコガネムシの幼虫を捕まえていた。すでに針でマヒさせた後らしく、コガネムシが痙攣するのを折り曲げた体と脚でがっしりロックしながら、頑張ってどこかに連れて行こうとしている。
すげえな、と思ってしばらく観察していて、小さな子供の頃の俺だったらこれを見てどうしたかな、と思った。もしかしたら、コガネムシがかわいそうだからといって蜂を追い払ったかもしれない。
いまの俺は、なぜそうしないのだろう。蜂には蜂の生活がかかっているから、という理性が働くからだろうか。もしくは、生き物が生きたり死んだりすることへの身に入り方というか、鮮やかさが人生からあせてしまったからか。
…
いずれにしても俺も変わった。イヤホンで聞いていたニュースで、海外の戦争のことが報道されていた。
俺は株をやっているので、もっと混乱がひどくなって株価が下がったら買い増すのもいいな、と思った。ちょうど米国の関税方針がぐだついて、下がるならもっと下がればいいのに、と思っていたからだ。
別に、もっとひどいことになってたくさん人が死ねばいいとは間違っても思わないし、投資として俺の思うままにならないようにただ平和になるならそれが一番いいと思う。ただ、株価が下がるなら下がるでいいな、と思った。昔の俺なら絶対に思わなかっただろう。街も人も変わる。
適当にぶっ放してるだけで経緯があるに違いない!って思われて
経緯の有無を調べてる時点で既に前提がおかしいんだが?
「チェスタートンのフェンス」は、経緯を調べもせず、安易になんか邪魔だからって動機でなくすなって話だぞ?
百万歩譲ってその前提を受け入れるとして、その次にやるべきは、じゃあ今なくしたらどんな弊害が出るのかを調べりゃいい話
うちの両親が住んでる家は神奈川にある。山間にある静かな一軒家だった。
家のすぐ近くに、車よりも鹿やイノシシの方が使ってる道路があったのだが、急に改造バイクが集団で走るようになった。どうやら人通りが少ないきれいな道路ということで、ツーリングコースとして発見されてしまったみたいだ。
金曜日の夜から日曜日の夜に掛けて、昼夜問わず1時間に数回、ツーリングの集団が通るようになった。こないだ泊まりにいったときは、深夜2〜3時も走ってた。寝て欲しい。
両親はすでに70代。お医者様は「高齢者にとっては睡眠不足も引越しも認知症に繋がる」と言われた。それならばと2重窓と防音フェンスを購入した。なけなしの貯金から400万くらい使ったらしい。田舎だと中古の一軒家ならギリギリ買える。しかし、騒音バイクはそんなものを超えてきた。バスが通ってもそこまで揺れない家が、改造されているバイクの集団が通るときはまぁまぁ振動する。音圧ってすごい。
一過性のものだろう。そう言い聞かせて4年。全く改善の兆しは見えない。もちろん警察にも相談した。「引っ越したら良いんじゃないですか?」と言われたらしい。母は悔しそうにしていた。
実家には両親が大好きな畑もある。兼業農家として、ずっと手入れしてきた畑だ。昔は羊のように穏やかだった父が、最近は怒りやすくなってきたらしい。バイク乗りが畑にゴミを捨てるのを見て、父が怒鳴りに行ってしまって本当に怖かった。と母から最近相談された。
70代にして、こんな終わり方するなんてさすがに可哀想すぎる。本当に政治家の方々、騒音バイクを今よりもしっかりと規制してくれませんか?
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追加: 議員さんにも、市長さんにもお願いしに行きました。けど、現状の法律や体制では対応できないとのことでした。騒音に困ってる人がいると、少しでも広まればいいなと思ってこんな文章を書きました。慣れてないので読みにくいかも知れません。すみません。
訂正: 痴呆という言葉はよくないと指摘いただいたので、認知症という言葉に置き換えました。ご指摘ありがとうございます。
春の雨が止んだ夕暮れ、就活帰りの芽衣は傘をたたみながらマンションの前で深呼吸した。二十四歳の兄・俊と二十二歳の芽衣は、この四月から一緒に暮らしている。きっかけは単純だった。東京での部屋探しに行き詰まった芽衣が「お兄ちゃんと住めば安心だよね」と漏らし、俊も「俺も一人よりは助かる」と応じた。
けれど本当の理由はもっと根の深いもの――幼い頃から続く、互いへの依存だった。
両親は共働きで家を空けがちだった。小学三年生の夜、芽衣が高熱で泣きじゃくったとき、俊は水枕を作り、額に貼る冷えピタを薬箱から探し出し、朝まで横に座っていてくれた。芽衣の記憶に焼き付いたのは、熱と寒気より、そのとき握り返された手の温度だった。それ以来、芽衣は何かあれば兄を呼び、俊は呼ばれずとも飛んできた。
進学で一度は離れたものの、電話やメッセージで毎日状況を報告し合い、些細な決断――夜食のカップ麺を選ぶ程度のことすら相談してきた。だから同棲は自然の成り行きに思えた。
だが生活が始まってみると、ふたりの「自然」は常識から外れていた。芽衣は朝、俊が淹れるコーヒーの香りでやっと目を覚まし、俊は芽衣が帰るまで晩ごはんに箸をつけない。スーパーの特売日にふたりの予定が噛み合わず買い物へ行けないと、冷蔵庫が空になってもインスタント食品を買おうとはしなかった。
居間の壁に掛かったホワイトボードには、緻密なタイムテーブルが書かれている。起床、出勤、帰宅、入浴――歯磨きの時間までびっしり。同じタイミングで同じことをし、同じシーンで笑い、同じ場所が好き。予定の空白はふたりの不安を刺激するから、徹底的に埋められていた。
五月初旬、俊の職場で飲み会があった。「二次会はどう?」と誘われた俊は時計を見た。芽衣が面接で遅くなる日だから、帰宅時間は二十二時を超える。ホワイトボードの「二十一時・再集合」に間に合わない。
結局、俊は一次会で席を立った。彼のスマホには芽衣からの「着いたよ。緊張で吐きそう」というメッセージが届いていた。俊は駅まで走り、改札口で妹を見つけると、背筋が緩んだ。芽衣も兄の顔を見てやっと笑う。互いの不安を打ち消すのは、相手の存在だけだった。
けれど社会はふたりの都合で動かない。六月、俊は大手クライアントとの打ち合わせを命じられた。地方支社で二泊三日。部長は「滞りない進行には君が一番」と微笑んだが、俊の心臓は縮む。出張当日の朝、芽衣は無理に笑顔を作り「お土産、黒豆饅頭でいいよ」と言ったが、声は震えていた。
新幹線がトンネルに入るたび、俊のスマホは振動した。家事の手順、ゴミの分別、炊飯器のスイッチ――芽衣からの質問が止まらない。返信しなければ妹が泣く気がして、商談の資料に視線が定まらない。結局、俊は二日目の夜に発熱し、上司に許可を得て一日早く帰京した。マンションの玄関に崩れた俊を抱きしめながら、芽衣は「ごめんね、私が弱いから」と嗚咽した。
事件は七月に起きた。芽衣の内定先から「配属先は名古屋支社」と連絡があったのだ。面談室で通知を受けた瞬間、芽衣の視界は真っ白になり、そのまま過呼吸で倒れた。搬送先の病院に駆けつけた俊は、点滴台のそばで涙を拭う妹に「大丈夫。辞退しよう」と囁いた。
ところが医師は「お兄さんも一緒に暮らしているの? 少し病的な依存があるね」と指摘し、心理カウンセラーを紹介した。俊は反発した。自分たちは家族だ、助け合っているだけだ、と。しかし芽衣はベッドで顔を覆い「私たち、普通じゃないのかな」と震えた。
カウンセリングは八月から始まった。最初の面談で、カウンセラーは白紙のメモに縦線を引き、左に「俊くんの人生」、右に「芽衣さんの人生」と書いた。
セッションでは宿題が出た。「週に一度、互いに相談せず決断してみる」。芽衣は美容院を予約し、俊は映画をひとりで観に行った。初回はどちらも胸が締めつけられ、スマホを何度も開いたが、二回目、三回目と回数を重ねるうちに、未知の風が入り込む感覚が芽生えた。
九月の終わり、俊は職場の同期・沙織に誘われて、趣味のランニングサークルに参加した。芽衣は週末に同僚と鎌倉へ日帰り旅行に出た。リュックに兄の分の水を入れなくてもいい身軽さと、砂浜を歩きながら響く潮騒が、彼女の胸を満たす。夕暮れ、集合写真を撮る頃には、兄に報告しなければという焦りが少し薄れていた。
一方、俊のスマホに届いたのは芽衣の「海の写真だよ。お兄ちゃんも走るの頑張って」。文章の終わりにハートマークはなかった。それを見て、俊は短い安堵を覚えた。
秋が深まり、マンションの壁に貼ったホワイトボードは半分が空白になった。芽衣は自室の本棚に就活で読んだビジネス書を並べ、俊はキッチンに好きなミュージシャンのポスターを貼った。カウンセラーは「良い変化ですね。境界線は線ではなく、ゆるやかなグラデーションでいい」と微笑んだ。
相変わらず同居は続いている。ただ、食卓の椅子は向かい合わせではなく、斜めに配置した。視線を逸らせる角度が必要だと気づいたからだ。
十二月、ベランダに出た兄妹は凍る夜気に肩を寄せた。街のイルミネーションが遠くで瞬く。「来年、名古屋に行ってみようかな」と芽衣がぽつりと言う。胃の奥が冷たくなる感覚に俊は怯えたが、すぐには首を振らなかった。
それが、自分の言葉として驚くほど自然に出た。芽衣は小さく笑い「まだ怖いけど、そう言ってくれると少し平気」と答えた。
ふたりはまだ完全に自立したわけではない。深夜に悪夢で目覚めれば、どちらかの部屋の灯りがつく。だがドアをノックし、一拍置いてから入るようになった。ささやかな境界が、互いを守るフェンスになっている。
年明けには、またボードを更新する予定だ。今度は空白を恐れず、余白のまま壁に残すつもりだと俊は言った。芽衣も頷く。余白には、ふたりそれぞれの未来が描き込まれるはずだ。
兄妹で同棲することにした――その選択は、依存の檻にも、再出発のアパートにもなり得る。どちらにするかは、これからの彼ら次第だ。
あくまでn=1でしかないただの一般人女がふつうに生きてて経験した事のある性的なアレコレについて。
女として生きること、の一例として、誰の参考にもならないかもしれないけど記録しておきたくて。
めちゃくちゃ美人な姉たちに比べて平凡な顔立ちだけど、他人から容姿を褒めてもらうことが多い方だと思う(たぶんあまり癖がなく親しみやすい印象の顔立ちだから。自分自身では本当に中の中くらいの認識)。
中肉中背の一般体型、胸はサイズ的にややある方だけどぱっと見そこまで目立たないと思う。
トータルでみると、どこにでもいるような、別に目立つとこのない普通の人間です。
私立で自宅から少し遠い学校に通ってたので電車通学だったんだけど、まだ日も明るい下校時に。
家の最寄りに着いて、友だちに手を振りながら電車を降りて一人になり、ホームから改札へ向かう途中の登り階段でお尻を触られた。
階段もあと少しというところでお尻に何か当たったので、「あれ?ランドセルのフタでも開いてブラブラしてるのかな?」と思って、パッと手を後ろに回したら何か生温かいもの(人の手)に触れた。
びっくりして後ろを振り返ったら若い男の人が私の真後ろに立っていて、あまりの近さに思わず「え?!」と驚いて声を上げた。
そうしたら男の人は今登ってきた階段を駆け降りていき、そのまま走ってどこかに行ってしまった。
当時の私はまだ幼かったので「痴漢」という行為そのものを知らず、なぜ男の人が私のお尻を触っていたのか理解できずにいたのだけど、家に帰って親にその話をしたらサッと顔色が変わって怖い顔になったので、「あ、もしかして私は危険な目にあったのかも」とその時自覚したのをよく覚えてる。
学校から駅までの道を友人と歩いていたら、脇道の方からおじさんに声をかけられた。
ふと顔をそちらに向けると、社会の窓から出したものを自慰してこちらを見ているおじさんがいた。
数秒固まったのち、とにかく逃げなければ!と走った。
なんとか駅まで逃げのびて駅員さんに助けを求めたけど、結局そのおじさんは捕まらず、後日学校から露出狂注意のお知らせが配られて終わった。
中高は女子校に通ったのだけど、校舎の周りに女子生徒目当ての不審者が来る事案は何回かあった。
プールの授業を覗きに、真夏のかんかん照りの暑い中フェンス越しに何時間も立ってる若い男の人がいたり、
マラソン大会で校舎の周りを走っていたら、おっぱい揺れてるねー!いいねー!と声をかけてくるおじさんがいたり。
わたしが自分のサイズ探してるのをおじさんが一緒に覗き込んできたり、その後わたしの胸を明らかに見てたり(サイズチェック?)、わたしが一度手に取って戻したブラをそのおじさんが手に取ったり。
別に直接的に何かされた訳ではないけど、意図もわからないし怖かったな。
太ももの裏に何か触れて、混雑してたから誰かの荷物か、たまたま身体が当たってしまったのかと思って最初は特に気にしてなかった。
その後しばらくしてまた触れて、また何か当たったかなーとしばらく放置していたら、明らかに表面を撫でるような動きをしだしてゾッとした。
それでも私は冤罪が怖くて(当時はちょうど「それでもボクはやってない」がアカデミーに選ばれたか何かですごく話題になっていた時期だった)、とにかく確証をもたなくては…と恐る恐る太ももに当たっているものに手を伸ばしたら、明らかに人の手に触れた。
そしたらぱっとその手が太ももから離れて、私は怖くなってすぐに次の停留所で降りた。
痴漢だって確かめはしたのに怖くて声を上げることはできなかったし、思春期で親に言うのもなんか憚られて、誰にも言えずしばらくはバス乗るのが怖くてなんやかんや理由つけては親に車で送ってもらってた。
書き始めたら思ってたより長くなってしまったなあ。まだ高校じゃん。女子校卒業してからの方が色々あるんだけど…
そっちの方が内容は直接的になるし重いので、ここらでちょっと分けて、また気が向いた時にでも書こうかな。
女ってだけで、別にめっちゃ美人とかセクシーとかでもないのにこう言う目には普通にあうんだよね。小学生の頃からさ。
私はミソジニーではないです。なぜなら、たくさん善良な男性に助けられ守られ、大切にされてきたから。上記の嫌な目にあったときも、沢山の男性が心配して守ってくれました。あの時助けてくれた駅員さん、学校の先生、話を聞いてくれた男友達、いつも心配してくれるお父さん、本当にありがとう。
増田が見たYoutubeコメント欄って、書いてたのは日本人?アメリカ人じゃない感じ?
アメリカ人がそういうふうに主張するとはちょっと想像ができない。
むろん、アメリカにも「どんどん撃ち〇してほしい」みたいなことを言う人はいなくはないんだけど。
アメリカの警官の中には一定数「銃を使いたくて仕方がない人がいる」印象だ。
市街地で通報があったから来てみた、犬がいた、飼い犬に見えるが庭に出ていて飼い主は見ていない、
よし射撃の的だ!ぐらいのカジュアルさで撃ってくるやつが全米にいる。
通報の理由には「近所の人から犬が暴れている(ウソ)とかいうのもあるので、最初から犬を警戒している理由がわからないでもないんだが…。
自分は友人の友人という、ほぼ他人な感じの人がこの警官による犬殺しの被害に遭ってる。
防犯カメラでの確認では、その犬は子どもと一緒に庭に出ており、警官を見て庭の縁(フェンスとかなく芝生から地続き)まで寄ったらしい。
唸ったり吠えたり、鼻にしわを寄せたりといった一切の攻撃的な態度はとらなかったらしいけれども、
若いほうの警官に撃たれて死んだ。駆け寄ったもう一匹の犬も撃たれ重傷を負ったとのこと。
飼い主(日本人)は泣き叫ぶ子どもの声で表に出たら、倒れた愛犬にすがる子ども、のたうち回るもう一頭という状況だったらしく…。
犬殺しだけじゃなく、
「泥酔した女性がいるとの通報を受けて自宅まで送り届けた警官二人が、その後私服姿に着替えてその女性の家に侵入、集団レイプ」とかの事件も起きてるし
らしいというか、診断されたからそうなんだけど。SNSでは重いしここに。
最初に、まあ当然だろうなと思った。高齢者に分けられる年齢で、タバコも酒も手放さない時がなかったから。健康には気を遣っているようだったけど、禁煙も禁酒もしなかったし、あるいはできなかったから、本人にとっても気休めなのだと思う。
全く良い父親でないという訳でもない。と思う。ろくでなしではあると信じている。高齢出産だった。だからかわからないけど自分が生まれてから一度も両親は一緒に暮らしたことがないし、父は恐らく養育費なんて出してなかった。二年に一度ぐらいのペースで気紛れに家へ来てお小遣いを置いていったりしたから、なぜか家族から身内扱いされているおじさんという印象の方が強い。誕生日プレゼントとかも全部お金で、札を一枚ぺらっと渡される感じだった。いや会って直接渡される方がレアケースで、ほとんど振込だったような気もする。いらない物よりは便利でいいやと思っていたけど、母からもらった皿を乗せられる新幹線のおもちゃとか、当時大好きだった戦隊もののファンブックみたいなやつの方が印象に残っているし、嬉しかったのだと思う。実際もう物はないけど、ケーキの箱と並んだ新幹線の絵は鮮明に思い出せるし、お気に入りのページ番号は今も咄嗟に答えられる。渡された五千円札で何を買ったのかはもう覚えていない。砂山を削るみたいにちょっとずつお菓子でも買ってたのかもしれないけど、いちいちそんなの記憶してないし、自分のお金と混ざってすぐに見分けなんてつかなくなったと思う。最初の内は「父さんからもらったお金だから」って取っておいてたような覚えもあるようなないような、でも衝動性の人間みたいなものだから、結構すぐに小銭と数枚に崩れていた確率の方が高い。
悪い思い出は枚挙に暇がないほどある。書いてる今も次から次に浮かんでくる。受験期に母との関係が最悪になって、友達からもなぜか突き放されて、でも塾の先生も学校の先生も忙しい時期だったから、誰にも何も相談できず一人でずっと同じ思考ルートをぐるぐるしていたころがあった。塾に向かうホームで飛び込みを考えたことが何回もあって、それがとうとう限界になった日にひたすら遠くまで歩いた。塾の最寄り駅から訳が分からなくほどめちゃくちゃに歩いて、道中、塾講師からの電話で無断欠席を咎められた。よく知らない橋の上で、きったないフェンスが傍にあって、その下に小指の先ぐらいの水量で流れる川があった場所だった。学校終わりだから当然夕方で、象牙みたいな真っ白じゃない色の街灯が頭上にあったから、立ち止まると目立つなあと思ったことを覚えてる。当然母にも叱られた。電話越しに少し歪んだ溜息の音は今でも思い出せるし、その後の喉を絞ったみたいな「金の無駄」という金切り声を、今も夢に見る。お金があれば、私立の選択肢はもっとあっただろうし、そうなれば余裕もあっただろうし、塾だってサボりぐらいなんてことなかったのかもしれない。
この時、この一年間、父親は何もしなかった。当然相談なんてしない、というか親戚のおじさん程度の距離感の人に話せるほどフレンドリーな質じゃないし、向こうも関わりたくないと思っているようにも見えた。受験の話題なんてしないし、ただ例年通り家に来て数日泊まって、それだけで帰っていく。その間の食費とか、生活費とか、入学金だとか、塾の費用だとか、そういったことは何もない。何もなかった。当時はほとんど他人みたいな印象を抱いていた部分もあったから、求めすぎてはいけないとすら思ってた。今思えばそんなことはない、どうして母一人で自分を育てなければならなかったのか。もしも父から自分の養育費が半分でも出ていたなら、きっと母はあそこまで追い詰められなかったのだろうと思う。あの時は自分も母も少し異常だった。貧困は何よりもまず心を削っていく。そこに加えて受験のプレッシャーまでもがあったのだから、母の苦労とはいかほどのものだったか。母は毎日のように声を張り上げて自分へ怒鳴ってから仕事へ行っていたし、自分も自分で不眠気味になり、一日一本のエナジーゼリーのうち半分だけを口にする生活で廊下にぶっ倒れながら、体力やら気力やら諸々の事情で不登校になっていた。当然志望校は落ちて、滑り止めの私立に行った。
自分が小さい頃からちょくちょく両親の言い争いみたいなのはあって、時期によって母がかわいそうだと思ったり、父がかわいそうだと思ったりして、その時々で自分の信条に合う方へ味方というか、話を合わせていた。当然母とは一緒に暮らしているので、その後のことを考えて母の味方をすることの方が多かったが、どうかと思った部分は伝えたりたしなめたりもして、ずっとどちらかの味方という感じではなかった。兄はずっと母の味方だった。
ここ数年で、自分は言い争いに加わらなくなった。と、今書きながら気が付いた。昔は「そういう言い方をしたら相手が激昂するのは当然なのだから、少し言い方を変えるべきだ」と伝えてみたり、「以前にもこの話題でこうなったのだから」とも言ったりしたけど、もう無視をするようになっていた。黙ってスマホで映画とか見ながら、適当な返事をする父と声を荒らげる母の姿をちらちらと見る程度に。また始まったな、といつも思う。
何度も「もう来ない」と言いながら、家のある地域に用があるとき、体のいい無料宿泊所として使っていく。自分が成長する過程で何をも残していないのに、父親面をして物事を言う。いつもいつもその様を滑稽だと思う。人の世話を押し付ける。父が帰った後はいつも父の愚痴に満ちていた。
それでも母づてにガンだと聞いたとき、少しだけ困惑した。一瞬思考停止して、でも、真っ先に浮かんだのは「どの返事をすれば一番角が立たないか」だった。次に「母たちはきっとあれでいて動揺するだろうから、あまり何も思ってない風に相槌打つのがいいかもしれない」。薄情だなと自分で自分のことを思って、あまり関わりのない親戚みたいなものだから仕方ないと自己弁護もした。
母が安心できるように「まあ思っているより大したことないかもしれない」という話をそれらしい聞きかじりのネットニュースとかだけで補って寝室へ見送って、今、やっと一人になってこれを書きながら恐怖を感じている。
幸いなことに、親しい人を失った経験がない。だから、もしも父がどうしようもなく手も尽くせなくて最期だとなった時、想像もできないぐらいショックを受けるのではないかという想像が胸の中にうまれはじめた。きっと嫌な記憶から忘れていく。そうしてごくごく僅かな楽しかった思い出だけが残ってしまうのが恐ろしくて仕方がない。自分は父親を美化したくない。自分が苦しんでいた時に手を差し伸べなかった、自分を育ててくれなかった父であってほしい。多分それぐらいの距離感じゃないと、父の父親たる面を知っている兄や母が悲しむであろう家の中は、あまりにも苦しすぎると思うので。
自分が支えなくてはいけないと思うほど強いメンタルは持ってないし、自分のことを良い人間だとも思ってはいないけど、多分家族の中で一番父といた時間が短いのは自分で、それは兄弟の年齢差とかでは及びもつかないほど、徹底的に少ない。だからきっと、もしも治療にしたってその後にしたってある程度の冷静さを持ちうるのは自分で、ガンについて話していた時の母の震えるような沈黙を思えば、何かがあった時主導せねばならない、というよりもそうあるべきかな、と思う。そうなったとき、治療の過程で見る父のことがやはり残っていく記憶になるのかもしれないと思うと、すごく悔しくて少し怖い。
一般家庭ってのは特に大金持ちとかではないって意味だった。わかりにくくてごめん。すげーぐちゃぐちゃな文章。
冬はいかんね。手が冷たいから触るなって手を振り解かれたこととか、寒いからお父様お母様と手を繋ぎましょうね〜って弟と手を繋ぐ両親の後ろ姿とかを思い出してしまう。
小学生の頃、自転車で行ける距離のところに児童養護施設があった。自分はそのすぐ隣、というかその敷地内にある建物で、こども工作だかなんだか忘れたけど、紙とか粘土とか木の板とかを使って色々作る夏休み限定の教室に通っていた。
ある時、親戚が来るとかなんかで親が車で送迎してくれた。粘土で鳥を作ったあと、後片付けをして、親が来るのを待っていた。車の音がして、向こうから母親が歩いてくるのが見えて、来た来た、と駆け寄ろうとしたら、間に知らない子供が割り入ってきた。
お母さん、お母さんでしょう、お母さんだよね、俺のお母さんだよね。みたいなことをずっと話しながら、まとわりつく男の子。年は自分より下だったと思う。小さくて、痩せてた。
お察しの通り、隣の施設から脱走した子供だった。あっという間におじさんの職員に抱え上げられて、回収されていた。その間もあの子は聞き取れない声でわぁわぁ騒いでいた。おじさんは母親に何か言って、ぺこぺこ頭を下げたあと、施設の入り口があるフェンスの向こうに行ってしまった。
自分はその間、何も動けなかった。ここは親のいない子供が行くところだと小学生の間でも有名だったけど、本当だったのか。という驚きもあった。それ以上に、自分の母親が「お母さん」と呼ばれて満更でもなさそうだったのが驚いた。
自分は、両親のことを「お父様」「お母様」と呼ばなければいけなかった。そう呼ばなければ(特に母は)不機嫌になった。
お母さんとかママとか、どこのお母さんかママなのかわかんないでしょ。お母様って呼んだら、すぐにわかるんだから。と、言い聞かされていた。お母さん、と呼んでみても、ん〜?それって誰のことかな〜?わかんないな〜??と惚けられて無視された。言っておくと、別にごく普通の一般家庭だ。
そんな人が、知らないよその子から「お母さん」と呼ばれて、「お母様」でしょうが!と怒鳴ることも無視することもなく、満更でもなさそうにニヤニヤしていたのが、ものすごく気分が悪くなった。
車の中で、可哀想にねぇあの子、私はお母様なんだから。それにしても、あなたもあの施設に行くことにならないと良いね?と、笑う母が怖かった。
なんならcです。
覚えてるだけ書きます。どれも本当で、本当に辛いので相談にのってください。
本当に、しんどい。周りに相談すると自慢と言われるのでできずに辛いです。
男性アイドルの悩みとかネットで書かれてますが気持ちわかります。
小さい頃から、告白をする列ができて全部断るのがしんどい、付き合ってとしつこくつきまとわれる家にも来られる、バレンタインデーは大きな袋を持って行かないと持ち帰れない、コンパをしたら女子を総取りになって男友達から疎まれる、クラブの時にはフェンス越しに女子が集まってずっとキャーキャー騒いでなぜか自分がコーチから怒られる、自分の入ったクラブのマネージャー枠が女性同士で取り合いになりなぜか自分がコーチに怒られる、学校を風邪で休むと家に複数の女性が押し寄せて手紙を家族に渡してきたり様子を聞いたりしてくるのでなぜか自分が家族に怒られる、バイトをすると店に女子が押し寄せて仕事にならずなぜか自分が店長に怒られる、そして最後はクビになる、学校の食堂で昼ご飯を食べていると周りが女子だらけになり最後は一緒に食べてくれる男子がいなくなる、大学の授業で自分の周りだけ女子がすごく密集していて異常な生徒の配置と密が生じてしまいなぜか自分が教授に怒られる、大学のサークルに入るとそのサークルに女子が殺到して大変なのでキャプテンに辞めてくれと言われて辞めたら他の女子も全員辞めてなぜか自分がキャプテンから恨まれる、修学旅行で自分の部屋に女子が押し寄せて男子が追い出されてなぜか自分が先生に怒られる。
他にもありますがこんな感じです。バイトもできないしサークルにも入れないし家に帰るにも常につけられてないか後ろを確認しないといけません。
住宅街は高いフェンスで上が鉄条網が付いてて高圧電流流れてる壁に囲まれてた
住宅街入口は、もちろんマシンガンや手榴弾持ったガードマンがいて手荷物検査は金属探知機使う
家はプール付きの嘘みたいにデカイ家なんだけど、家にもガードマンの詰所があって勿論みんな銃もってるし
うちの庭を囲む壁も、やっぱり刑務所の外壁みたいに高くて、バズーカ砲の砲撃にも耐える分厚いコンクリート製
家の窓という窓は、猛獣でも大丈夫なごっつい鉄格子付きだし窓ガラスは全て防弾。
ドアは中に鉄板が入ってた
おまけに、最後の砦である寝室に行く廊下にも鉄格子が2つ付いてて
高級住宅街は、どこの家もうちと同じぐらいの備えなんだけど、
それでも毎晩のように強盗が集団で住宅街の外壁突破して来てご近所でドンパチの音が聞こえる
最初の頃こそ夜中に銃声が聴こえてきたら一晩震えて眠れなかったけど
半年もすれば、夜中の銃声で目は覚めるけど、音が遠ければその30秒後には夢の中に行けるようになる
翌日の朝、自宅外壁に弾痕があったことをご近所の人に話しても
「あ、そうなんだ」みたいな感じで「話に落ちはないの?」と言わんばかりの反応
よく行くスーパーで銃乱射事件があって10人以上死んだときとか
近くの銀行で手榴弾投げ合うような銃撃戦があってやっぱり大量に人が死んだときなんかは
さすがにご近所でも話題になったけど、一月もしたら、そんな事件なかったみたいに
みんな、またそこで普通に買い物したりするようになってた
kwskしたら即身バレなんでkwskできないけど冗談みたいな街だったよ
でも2ちゃんで言われるほどじゃないよ
日本じゃカールトンセンターは魑魅魍魎の住みかで超無法地帯みたいに言われてるけど
ま、最上階以外に誰が住んでるかなんて警察だって知らないだろうけどさ
アメフト選手みたいに体格いい男が銃も持たずに十数人程度じゃ、
まるで心許ないことはホントだし
強盗には靴まで取られるのはホントだから、強盗に財布取られた後に
また強盗に遭って服まで取られるなんてのは、全然あり得る話だけど
強盗団は基本夜来るんだけど、
ハイエナは夜行性だし、ちゃんと人間の顔覚えてくれるし、縄張り意識もあるし
耳と鼻が異常にいいから、赤外線センサーなんかよりずっと頼りになる感知器なんだって
まあ、噛まれたら指なんか全部無くなっちゃうぐらい噛む力強いから
一応現地人の名誉のために言っておくけど
善良な市民は、すごく陽気で勤勉だよ
桃太郎をサイバーパンク風にして最初から最後まで作ってほしい。勢いは大事です
むかしむかし、巨大なメガロシティ「オオヤマト」の暗い夜、光のネオンが踊り、ドローンが空を飛び交っている時代。貧しい老婆と老人がスラム街の片隅でひっそり暮らしていた。
ある日、老婆が廃棄物処理場から拾ってきた古びたカプセルを家に持ち帰ると、中から光が漏れ出し、音声が鳴り始めた。「桃太郎.exe起動完了」。カプセルから出てきたのは、銀色の髪とサイバネティックな義肢を持つ少年型アンドロイドだった。
「オカン、オトン、俺、桃太郎。悪のオニ・コーポを倒すために作られたぜ!」
彼はプログラムに従い、悪のオニ・コーポレーションに支配されたオオヤマトを解放するため、戦いに出ることを決意する。
道中、彼はまずストリートのデッカい犬型ドローン、サイバードッグ「イヌ」と出会う。「アンタ、オニ・コーポとやりあうのか?俺も協力するぜ。奴らには借りがあるからな」と、イヌはガトリングガンを構える。
さらに進むと、空を飛ぶドローン型サル「サルビー」と、ホログラムを使う技術に長けた謎のキジ型AI「キジーロン」に出会う。サルビーはドローンジャッキングで情報を抜き、キジーロンはバーチャルハッキングで敵をかく乱する。三体ともオニ・コーポに深い恨みがあり、チームを組むことに。
オニ・コーポの本社ビルは、メガロシティの頂点にそびえ立っていた。四人はレーザーフェンスを突破し、敵のサイバーニンジャやオートメカをバチバチの電脳戦で次々と倒し、最上階に辿り着く。
そこには、全身サイボーグ化されたCEO、「オニ・キング」が待ち構えていた。「お前らごときがこの俺に挑むとは…!」。ビルの窓から見えるネオンの光が、彼の体を照らす。
しかし、桃太郎は笑いながら言った。「俺たちはただのアンドロイドやドローンじゃねぇ。正義のハッカーだ!」
最終バトルは、オニ・キングの身体を侵食した悪のAIとの電脳空間バトルだ。桃太郎のプログラムされた必殺ウイルス「モモウイルス」が発動。激しい戦闘の末、オニ・キングを完全にシャットダウンすることに成功する。
オニ・コーポのビルが崩れ落ち、ネオンの輝きは静かに消え、スラム街に朝の光が差し込む。オオヤマトに再び平和が訪れた。
そして、桃太郎はつぶやく。「これで終わりか?いや、次は月面コロニーだな…」。彼の赤いサイバネティックな瞳が、次の戦場を見据えていた。
THE END.
(勢いはバッチリです!)
P2FF+8FQ, Longgang District, Huludao, Huludao, Liaoning, 中国 125004
https://maps.app.goo.gl/nRiSTpnDMzWUqHGW7
https://maps.app.goo.gl/x73XtBuLcSwKPiXh6
中国の原子力潜水艦が台湾海峡で「重大事故」? 乗組員全員死亡説も
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/08/post-102482.php
Tom Shugart
シンクタンク・新アメリカ安全保障センター (CNAS) の研究員
https://x.com/tshugart3/status/1813321391384473902
私は最近、中国の非原子力潜水艦建造の主要造船所である武漢の武昌造船所から最新の画像を入手しました。
6月に何か奇妙なことが起こったようです。 🤔
おそらく新しく建造された元級潜水艦(039型)が、新しく進水した潜水艦が艤装されるいつもの場所に停泊している。
最近、6月13日の画像を入手しました。画像には、潜水艦が先ほどいた場所の近くに、クレーン船のようなものが集まっている様子が写っています。
また、潜水艦が係留されていた浮き桟橋も少しずれているようです。
その画像の鮮明さに満足できなかったので、数日待って、6月15日に撮影したこの写真を入手しました。
これはずっと鮮明です。
クレーン船が、潜水艦とほぼ同じ大きさで形をした黒い物体を作業していたように見えます。 (※黒い物体はクレーンの陰であることが後に判明)
何が起こっているにせよ、その周囲に石油封じ込めフェンスがあるのがわかります。
7月5日のさらに新しい高解像度の画像を入手したところ、そこで何が起こっていたにせよ、すでに終わっており、現在は西側の別の浮き桟橋に潜水艦が停泊しているようだ。
同じ船が移動したのか、それとも別の船なのかは不明だ。
Odd Activity At Chinese Submarine Shipyard Draws Interest
https://www.twz.com/news-features/odd-activity-at-chinese-submarine-shipyard-draws-interest
China’s Newest Nuclear Submarine Sank, Setting Back Its Military Modernization
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/obiekt/comments/64c748aa-346f-4750-a2d7-2f7bb4998f8f
武昌で039A型の改良型のX舵を持つ新型潜水艦が出現したことは知られていましたが、これが原潜化したという話は初めて聞きました。
何かの勘違いではないでしょうか。
これについて、私たちが知っていること(多くはない)、不確かな点、そして報道されている事件全体に関するさらなる疑問について、いくつか考えを述べます。
https://x.com/AlexLuck9/status/1839478227120861365
わからん🤣
沈んだのは本当としてもほんとに原子力?
武昌造船所には渤海造船所にあるような核燃料保存施設が確認されてなくない?
でも通常動力型潜水艦に小型モジュール炉をディーゼルエンジンの代わりに積むとかいう話もあるし、だったら原子炉を他で作って持ってきたとかも?