はてなキーワード: ドリームとは
漫画家志望の女が絵師を師匠にして修行みたいな話で、現実のエピソードをもとにしたセミノンフィクションなのだが
現実には師匠は既婚者なのに漫画の中では妻の存在を抹消にしてまるで独身で女といい関係っぽく描いてる
師匠が画業に専念できてるのは妻とその母が経済的に支援してるおかげなのだがそこらへんも漫画ではまるっとカット
イケメン師匠が独身で私のことばかり考えて私とばかり一緒にいたらな〜っていうドリーム作品を実在の人物使ってやってる
その相手IKKANは桜塚やっくんに女装キャラ提案するなどしたプロデューサー業の男
IKKANの妻の新井祥はIKKANが売れない頃は風俗で働いて夫を養っていた
お互い性に奔放だから公認で浮気しまくりの関係で、その相手の一人が東村アキコ
新井がなかなかIKKANの子供ができず検査をしたら半陰陽で子供のできない体なのが判明して、元から性別違和があったので男性化の治療を受けるようになった
ガンダムUCってさも少年が主人公の王道ものみたいな体を装ってるけど
クローンとして虐待され不遇の人生を強いられていた養女が死んで
育ての親のおっさんの方が生き残るってあまりにもグロテスクでおっさん向けの都合の良い自己陶酔ドリームすぎる
似たような組み合わせでおっさんを死なせて養女を生かした00の方が圧倒的に正しいよ
しかもその養女って原作では主人公の異母兄のおっさんと恋仲になるらしいと聞いて吐き気がした
……キッッッッッショ
年齢差考えて?
それをパパ活や性加害として描くならまだしも純愛っぽいし普通に気持ち悪い
削ったアニメは正しいよ…
中身がそれなんだから素直にキモヲタ向けを打ち出せばいいものを
変に王道のボーイミーツガールみたいな売り出し方をしているものだから本当にキモい
これ全部なかった事にしてジークアクス時空でよくない?
この夢はかなり印象的で、心理学的な視点からいくつかのテーマが読み取れます。以下、いくつかの観点から整理してみました:
これは自分でも気づかないうちに心理的な限界(境界)を越えてしまったこと、あるいは現実と無意識の世界の境目が曖昧になっている状態を象徴している可能性があります。
例えば、自分の立場・役割・アイデンティティが一時的に曖昧になっている時などにこうしたイメージが出てくることがあります。
「時間制限」がつけられている点は重要です。これは何かに急かされている感覚、または「自由に動けるようで実は制限されている」ことへの無意識の気づきを表しているかもしれません。
叔母の登場は、家族的なつながりや、自分の中の古い価値観・過去の影響を表すことがあります。
また、彼女が導いてくれるようでいて、結局「迷い」や「深淵」を選んでしまうのは、自分の中にある過去の価値観や安心感が、実は自分を迷わせているという暗示かもしれません。
これはとても興味深く、メタ認知(自分を外から観る意識)や、夢の中での気づき(ルシッド・ドリーム)にも通じる内容です。
特に、「出口を知っている観測者がいないと出口が作られない」という直感は、「自分を見つめる視点(観測者)」がなければ、自分の中の混乱や無意識の迷いから抜け出す道は現れない、という深い自己洞察を象徴しているようにも受け取れます。
突然の雷と電話の終了は、現実への回帰や、何かの「閃き」あるいは「混乱の終了」を象徴している可能性があります。雷はしばしば「突発的な気づき」や「無意識の強い刺激」として夢に現れます。
『潔く柔く』と『ご近所物語』は本編中ほとんどお互いひとりっ子だったけど、最後の方で片方に年の離れた弟なり妹が出来てた
小さい時に2人きりなのが重要なんだろうね
主人公男女だけじゃなくてしっかり者の親友の中島も真面目キャラライバルの安達もひとりっ子だった
弘光くんはあとから?兄弟設定追加されて続編の相手役になってたけど、そういう明確な用途ない限り、デフォルトだと1人に自然にしちゃうのかも。
作者が一人っ子で、いとことはすごく仲良くでいとこの子供のことを甥姪のように可愛がってるらしい。
作中で弘光と萌ちゃんが謎に仲良いのとかその辺から来てるのかな〜と思った。萌ちゃんと萌ちゃん兄の仲良さとかもファンタジーな感じだった。デフォルトだとひとりっ子にしちゃう、きょうだいを書くとドリーム入るっていうのがらしいな。
別増田がトラバしてたけどきょうだいがいるとそれも恋愛のn角関係に組み込まれる印象があるね
『1日2回』は男の方に兄がいたけど、主人公とはあんま関わらない。リアル寄りだからかな。実際は学年違えばご近所だからってそんなに関わらないもんな。家近い+学校で同級生っていうのが大丈夫なんよね。
『ママレードボーイリトル』は兄弟だと思って育ってたけど実際は血はつながらないし戸籍でも繋がってない幼馴染だったって主人公が知るエピソードから始まってた。
幼馴染ものは片方の家の離婚とか死別の喪失経験を把握してるからそこに何気なく寄り添ってモブ達に差をつけるみたいな展開が多い気がする。
侍タイムスリッパー、あんまり世間がおもしろいと言ううえに、身の回りの人も、サブカル味が強い後輩から昭和生まれのおじさんまでおもしろかったよと言うので見に行ったのだが、「面白くないとは全然思わないけどそんなに面白いかなぁ…」と思ってしまった。カメラを止めるなの時にも同じ過ちを犯していて、カメ止めよりは面白いと思ったし、面白かったとは思うんだけど「そこまで?」という気持ちが残る。
じゃあお前は何を面白いと思ってんだ、と言われてそれほど高尚な趣味でもなければ、そもそもそんなにたくさん映画を見にっているわけでもない、月に1~4本(結構まちまち)程度で、話題になっていたから見ようかな、程度の一般人である。一般人だから、映画オタクじゃないから、「そこまで?」と思うんだろうか。ちなみに去年みた映画で記憶に刻み込まれて面白かったのは、ロボット・ドリームズ、デッドプール&ウルヴァリン、ラストマイル、どうすればよかったか、コヴェナント、フェラーリ、とか。
どのへんが「そこまで?」と思う理由なのかはいくつかあるんだけど、なんか攻撃的になりそうなのでやめとく。くれぐれも、面白くなかったわけではない。
日本では2017年に公開された映画『ドリーム』の主人公として、ご存知の方も多いかもしれません。まだコンピュータが一般的でなかった時代、NASAの宇宙開発に必要な高度な計算は「人間コンピュータ」と呼ばれる計算手たちによってなされ、そのほとんどが女性でした。そのなかの一人であったキャサリンは、たぐいまれなる計算力を買われてアメリカ初の有人宇宙飛行を目指すチームに抜擢され、男性ばかりの職場で、自分の能力を最大限に発揮できる条件を求めて奮闘しました。まだ人種差別も根強く残っていた当時、黒人のキャサリンには性差別以外にも苦労が多かったことでしょう。しかしキャサリンは困難に打ち勝ち、マーキュリー計画をはじめ、アポロ計画、スペースシャトル計画、火星探査計画など、数多くの宇宙開発事業に多大な貢献をしました。
>なるほど、あれは「女性に無い(理解できない)」から叩かれてるのではなく、「様になってない(見苦しい)」から叩かれるのか。これはちょっと面白いぞ。
私個人はいわゆる"弱者男性"の「女をあてがえ論」の心情は何となく想像できるんですよ。(そもそも私は寂しさに気が狂いそうになって、その承認欲求に応じてくれる異性が運良くいて、一時的でも多少なりとも埋めようとしていたわけですし)
女の子のそういうムーブは今ならカジュアルなメンヘラカルチャー🎶となってコンテンツとしてパッケージになりますが、男の子はサブカルメンヘラうつ病クネクネオタクTwitter単色アイコンでtankaとか詠んでマニックピクシードリームガール的元カノいたことがあります、みたいなとこまでいかないとなかなか様にならない気がします。
男性の「寂しくて狂いそう!」という切実な個人の感情の話を許容してくれるカルチャーの間口が狭すぎるせいで、いきなり話が飛躍して世間的な性犯罪の性比の不均衡などにまで過度に拡張されて、お話にならなくなっちゃうくらい炎上するんだと思っています。多分。
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1.『量子夢境(クォンタム・ドリームス)』
概要:
主人公は予知夢を見ることができるが、それは単なる偶然ではなく、彼の脳が未来の自分と量子もつれを起こしていることが判明する。未来の自分が見た映像が夢として現在の自分に流れ込んでいるのだ。しかし、ある日「未来の自分が死ぬ夢」を見てしまう。果たしてこの未来を変えることはできるのか?
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概要:
科学者の女性は、量子場に情報が蓄積されていることを証明しようとするが、ある日、突然「過去からの記憶」が頭に流れ込んでくる。まるで誰かの人生を生きたかのような感覚に襲われる彼女。しかし、その記憶がやがて現在の世界と矛盾を起こし始める。これは単なる脳の誤作動なのか? それとも彼女は別の時空の存在と同一化し始めているのか?
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概要:
世界的な予言者たちは、実は「量子脳」を持つ者たちだった。彼らは量子コンピュータのように未来の可能性を演算し、確率の高い未来を"予知"していた。しかし、政府はその能力を兵器として利用しようとする。一人の予言者がその計画を阻止するため、逆に「未来を改ざんする」実験に挑むが、それによって歴史が暴走し始める。
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概要:
量子場には宇宙の全ての情報が蓄積されており、それをアクセスできる人間がいるとしたら? 一人の少年が、突如「未来の出来事」を受信し始める。最初は小さな未来の出来事が的中するだけだったが、やがて彼は「宇宙の終焉」すらも知ってしまう。人類はこの未来を回避できるのか、それともすべては決定されているのか?
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概要:
人類は死後も情報として量子場に保存され、再び新しい身体へと転写されることが判明する。しかし、その転写は完全なランダムで、誰がどの記憶を引き継ぐかは予測できない。ある日、一人の少女が「前世で人類滅亡の鍵を握っていた科学者の記憶」を持って生まれる。彼女はその記憶を頼りに、人類が滅びる未来を阻止しようとするが——未来は変えられるのか?
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また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず
1と2までは楽しくやれてたのになあと残念に思う。
それが今は、3まで全部理解するのに
KH1やって、チェインオブメモリーズやって、358/2Daysやって、KH2やって、バースバイスリープやって、ドリームドロップディスタンスやって、キーバックカバー?コーデッド?やってやっとKH3にすすめる。あとメロディーもでてたな…
1個が長いのなんの。
出るまでも長いし、
過去の話が出始めてから今度は政治みたいな感じにもなってきたし…
理解しても次までに忘れるし…
ロクサスとヴェントゥスは同じ顔だし…
FFキャラが出てきた頃がよかったなあ…7,8,10の主人公はでるのにジタンがでないのは許さないが。