はてなキーワード: トップをねらえとは
積極的には収集してなかったが目に入るものは避けずに眺めてた結果、
シャリアブルが活躍・1年戦争を映像で流す・庵野が出しゃばってる・ジオンがガンダムを鹵獲して使うぐらいまでは把握
あと、主人公はもしかしてハマーンかもという噂はとてもいい話なので積極的に信じていた
TVで見ればいいやと思ってたら「劇場版の編集は劇場版だけでTVでは流しません」て聞きつけ
チネチッタのポイントが溜まってた上にシステム更新で制度が変更になるので、ポイント使いたかったのもある
これは初代ガンダムを語る際に割と重要なポイントで、当時はまだオタクという概念はなかった
「若者文化」のなかのバリエーションのうちの一つなので、原宿の路上に繰り出すのとガンダムで盛り上がるのは同じ扱い
ヤマトやガンダムに労力をかけられるぐらいのオタク第一世代というのは、スネ夫んちみたいな金持ちか、
もしくは大学生がまだエリート層の枠につま先ぐらいは引っ掛かってた時代の大学生が中心
金、生活、頭の良さ等に余裕がないと参加できない
ガンダムというコンテンツは、そういうハイソ向け内容として提供されてるという前提がある
自分は団塊ジュニア、ガンプラ直撃世代だが小遣いがなかったので、
毎日30分から1時間、おもちゃ屋で積み上げられたプラモの箱をただ眺めるだけの日々だった
あるとき1個だけ買ってくれることになって手に入れたガンプラは、
学級内ヒエラルキー上位の子たちに無理やりバルキリー(ガンプラより安くて出来が悪い)に交換させられた
ジャンプを買うお小遣いもなく、回し読みグループに入れてもらえず、ジャンプ文化圏から弾き出されていたのと同様に、
視聴後にネットで拾える情報をつまみ食いしたところ、鶴巻監督がサイバーコミックを真っ先に挙げているのに、
記事化してる人たちや動画を出してる人たちはサイバーコミックに言及してるのを見かけない
自分が真っ先に連想したのはブラスターマリだった(緑のおじさん、というネットミームもブラマリの某赤いひとを連想した)ので、
1年戦争IFストーリーというだけで「ギレンの野望」を引き合いに出す感覚は世代のズレを感じた
サイバーコミックは、ガンダムブームの時期に、アニメスタッフや玩具会社とは無関係に、
雑誌やファンが勝手にガンダムコンテンツを膨らませていった(二次創作という言葉すらなかった)
時代の残り火、ガンダム周辺が次第に真面目になり整理されていく前の最後の自由気ままなコンテンツで、
それゆえ最も奔放で、しかし最後の生き残りであるがゆえに、最もガンダムコンテンツであることに忠実だった
Gの影忍、逆襲のギガンティス、ブラスターマリなど、「ふざけてるけど1年戦争ガンダムに対しすごく真摯」な作品が成立していた
ガンダムエース創刊のあたりからファンが「真面目」になっていく
ガンダムオリジンという名前に象徴されるようにフィクションなのに「情報の正しさ、間違ってなさ」が重視され、
バンダイがガンダム正史を決め、情報を整理し、「正解がある」ことに対し従順になっていく
これは、古いコンテンツにわざわざ参入してくる新規層が何を求めてるか、という話になるんだと思う
「自分で好き勝手に解釈できる」ものが好きな層はエヴァンゲリオンなりゲームのDQやFFなりの新しいコンテンツに流れるか、
なんなら同人誌文化も分厚くなり自主製作も容易な時代になったので、オリジナルに挑戦してもいい
わざわざ古いコンテンツであるガンダムに新規参入してくるのは、既に大量に積み上がった既存情報を読み漁るのが好きな層が多くなるのは自然な流れと言える
「ギレンの野望」の名前を出したりしがちなクソ真面目な原典主義と、それ以前のデタラメだけど豊かだった広がりが忘却されるのはおそらく裏表で、
「早く情報を消化して次に行きたい」(増田への書き込みは三行にまとめろボケ)という需要がyoutubeのオタクコンテンツに溢れる解釈の一元化への帰依に繋がる現象(この解釈を暗記すれば正解を得られる、暗記してる俺が正義、て感覚)とも重なるのだろう
ようやく映画館の視聴内容について
仮面ライダーぐらいを想定してたので、それよりずっと変えてるとこが多くて庵野じゃなかった
シャアの声優が池田さんに寄せてない、ザクが全くザクじゃない、あたりが意外で、これは鶴巻さんがちゃんと主導してんだなと思った
ガンダムが新デザインなのはガンプラだから普通なんだけど、ザクは商売にならないからザクのままで作っちゃうのが庵野なので
ドローン全盛、ジャミング下で有線やら自律AIやらで次から次へと進化してく現代に、
シャアがアムロ並みに無双してティアンム提督に「12機いたジムが全滅だと!」とか言わせたほうがネタっぽくありつつ
感想漁ると「トップ2だよね」って人はそこそこいるが、そういう感想ほどブクマも少ないなあと
庵野だシャアだ1年戦争だ、というお祭りにだけ参加したくて、鶴巻作品だねえ、みたいなことはどうでもいい感じ
ただ今作のガンダムはバスターマシンぽい(エヴァっぽいとかGセルフぽいというよりかはバスターマシンぽい)気がするので、
トップ2絡みで、グラナダで月面探査船が飾ってあるくだりはプラネテスを連想
アニメ版のプラネテスは原作と異なるオリジナル部分が多く、その元ネタがやたらカジュアル
月面基地にコロニー落し(たぶんガンダム1作目じゃなく0083から)もあるし、
宇宙放射線病(若本規夫ボイスの教官なのでヤマトじゃなくトップをねらえ1作目から)もある
トップ2のノノはいつか地球に行きたいと語るのだが、プラネテスの月面生まれのルナリアン、ノノもまた、いつか地球に行きたいと語ってたりする
ニュータイプ(個)ではなく、マブ(対)
言い出しっぺはおそらくニュータイプ感応を通じた何かを言いたくて
シャリアブルを引っ張ってくる以上はニュータイプ論をやらないで済ませるわけにはいかないし、
サイバーコミックで魔法少女で、という鶴巻さんの発言があるってことはブラマリのニュータイプ論の話も念頭にはあるはずで
ガンダムXのニュータイプ談義やNTとは違うニュータイプの現代版、けっこう難しい気がする(いまどきそれ? みたいな時代遅れの結論になりそう)
のだが、どう持ってくのかなというのは気になる
オタ女子がキシリアに転生して「正史」に介入する話で、けっこう最近やっており、
「正史を変更といえばギレンの野望が云々」ばかり見かけてフーンてなった
前評判調べたらあんまり良くなかったけど、見たらちょっとアレなところもありつつ楽しく見れた
オタクというよりサブカルなんだよね~前作は庵野が設定やディテールをびっちり詰め込んでる感じで、こっちはノリと雰囲気重視的な
ノノがバスターマシンなのはネタバレふんじゃったけどロボ設定が出たとこで何となく察せたりして
ノノリリ=ノリコは途中でなんとなく気付いた
チコがどんどんいいキャラになっていく(ユングポジションか?)
ニャーン…ニャアン?
一番テンションあがったのはディンドンディンドンディンドンディンドン…だったり
ここでそのコスかァ~!
第二のビッグバン、急にエヴァ!?ってなった。綾波がいつもやるやるじゃん!
最後の大オチ、予想出来てしかるべきだろうにやられるまで全く気付かなかった
つぅか帰還後の話だと勝手に思ってたんだよね
寝てしまった…
とはいえ、うつらうつらしてハッと起きるという感じなので、だいたい見てはいると思う。
Twitterで書くと怒られそうだけど感想書きたいので、ここに書き捨てていこうと思う。
先に自分のことを書いておくと、「ガンダムはミリしらだけど、ガイナックスはそこそこ知ってる」。具体的にはこんな感じ。
→ これ、エヴァ新劇場版4部作にも通じる感想だなと書いてて思った
→ツッコミがほしい。白くしたら目立つやん、とか言ってたけど、おまえの機体は赤なんかい、とか。そういう意味では誰かとしゃべりながらみたら面白いのかも。
→もしかしてヤッたのか…?とか考えてしまった。エヴァもあの感じだしあるかもしれない。
→マチュのパンチラ(昔はサービスでそういうことするのあったなぁ…)、モブのひそひそ話(なんかわざとらしいな)、飛び込み(モブは驚いてるけどそうなるやろ)
→緑のおじさんがドラッグストアありますか?って聞くところ、わざわざ戻ってこんでGoogleマップで調べんかい、と思った。いい上司風の演出なんだろうなと思うけど。
→普通の暮らしで感じていた閉塞感がとある出会いから爆発して…、という流れは王道。だが、そこを言葉や映像でことさらに強調する演出はわざとらしいのかな。
これまで俺はジブリ作品を忌避しており、となりのトトロという作品も今回の金曜ロードショーが初見である。
CM休憩ごとに書いているのだが、時間は金曜ロードショーベースの為、CMの時間が入る都合上本編ノーカットとズレが生じることをご容赦願いたい。
ちなみに言っておくと、俺は子供向け映画(例:ディズニーやピクサーや大長編ドラえもんなど)が大嫌いな、めんどくさい深夜専門20代中盤アニオタである。唯一ラピュタとナウシカは楽しく視聴済み。
やはり俺にとってこれは嫌いな映画だろう。所謂子供らしい描写がよく見られ、子供らしい時期を大人の顔色を伺うという固定観念の下で育った俺にはコンプレックスを刺激してくる非常に胸の痛いアニメ映画である。
今でこそ多少は消化できているが、これまでの人生、特に小中学生時代に見たら吐き気しか起こさん。
唯一サツキの声優が日髙のり子女史だと一瞬で看破できたのは素晴らしい点か。流石は声豚俺である。
単純にサツキがヤングケアラーであり胸が痛い。そのくせそこまで物語に進展がない。
てか25分ほど本編が経過しておいて、まっくろくろすけの描写はあるにせよ、トトロの描写が皆無とはどういうことか。所詮は子供騙しの映画では無いのか?母親は結核やそれに似た病気だろうし、シンプルに片親で不幸な親子の話に見えるが、どう発展していくのか。もう4分の1は経過してるぞ?
トトロが登場した。あまりに異世界接触ものの王道を歩みすぎてしんどいが、小トトロが可愛すぎて全てを許したくなる。
だがしかし、メイは流石に4歳児の行動をし過ぎではないか。だからガキは嫌いなのだ。危機感とか怪異との接触への躊躇とか、そういうのを持ったほうがいい。そもそも教育が上手く行っていないのではないか?4歳児は大人の監視下に置くべきでは?父の怠慢だろこんなん。
駄目だ。メイがガキすぎてしんどい。俺の4歳児時代はこんな頭のおかしい子供では無かったぞ。世間の4歳児はこんなもんなのか?ある意味でメイは発達障害の気があるのではないか?トトロという夢想的な概念への拘りを見るに、自閉症スペクトラムの可能性も指摘できる。
あと傘を差し出したカンタの描写があったが、メイの話より此方が本筋ではないか?隣のトトロしてるんだったら隣のカンタしろや。こっちのほうがラブコメとして上質だろ。
ちなみに、高校のイベント(文化祭でトトロを実写化した)により、俺は唯一ネコバス登場のシーンだけは履修済みである。久し振りに見て感慨を覚えたが、それにしたってネコバス関連のシーンは猟奇的すぎやしないか。子供泣くわこんなん。
俺がジブリに迎合できない理由が分かった。登場人物があまりにも怪異に対して適応しすぎなのだ。トトロ軍団は非常に可愛く、豊穣の舞には俺でも萌えを感じたが、人間2人が邪魔である。お前ら別に何もしてないだろ。どんな顔して「やったー」とか言うとんねん。
本来は超常現象に対してビビるべき所を、胡散臭いまでの迎合力で一緒に楽しんでいるガキ共。斜に構える俺はこういう所で変に冷めてしまい、まともにジブリ作品を楽しめないのだろう。だからこそ、ラピュタとナウシカという「そもそも異世界が前提である作品」は楽しめるのかもしれない。
ごめん、声豚のせいで日髙のり子ボイスを聞くと全てを許してしまう。トップをねらえのタカヤノリコに調教されたせいだ。あの声聞くだけで何でも良くなってしまう。悲しきアニオタの性だ。
あと、やっぱメイはなんか発達障害持ってるわ。普通に見てられん。
なんか普通に面白くなってきて草。やっぱ日常描写より緊迫感だよ、ジブリは(なお3作品しか見たことないが)。アニメ映画だからこその枚数の多さからなる走りの躍動感、久石譲のハイクオリティな劇伴、そして日髙のり子ボイスの息遣い、ぜーんぶ引っくるめて没入感を得られる。やっぱメイとか要らんかったんや。サツキとトトロだけあればええんや。
ネコバス大手柄過ぎるだろう。メイを探すどころか病院連れてくとかタクシーかよ。となりのトトロじゃなくてとなりのネコバスだろこんなん。
全て見終えた感想
正直、ヒロインサツキ・相手役カンタ・サポートにトトロとネコバスで全て完結する作品ではあるし、棒読みのパパと空気の読めないメイにイライラする事も多かった。
だが、ラスト15分の怒涛の展開、有能過ぎるネコバス、及びエンディングのイラストでお釣りが来たといえる。
ラピュタやナウシカと比べ明確なメッセージは無くて、多少は『何が言いたかったのかな……』感は残るが、いい映画では有った。
あと、絶対に今みたいな擦れた状態で見るより、何も知らない子供時代に見るべき作品である。
見てない奴ははよ見ろ。斜に構えるせいでまともに楽しめなくなるぞ。
この記事はなんか「教養」を優先してばかりで「面白いから」見るべきアニメをめっちゃ見落としてる気がしてならんので補足したい。
その時点で厄介オタクだわ。
とりあえず先に一覧。次に解説
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/まどかマギカ/ゼーガペイン
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
日本人の半分ぐらいは全部見てるんじゃないかと思うが、たまたまタイミングが合わずに見てない作品が1つ2つある人もいると思うが絶対見て欲しい。
千と千尋だけはストーリーラインがちょっと退屈かもしれないけど映像は凄いので見る。
他のジブリ作品は気になったら見ていけばいいのでまずはこの5+1は確実に抑える。
パロディに使われることも多いし。
1stガンダム→Z→逆シャアまでの時系列で展開される物語は単に続編って言うだけじゃなくて、作中時間が大きく流れることで描ける世界観の広がりがあるのでやっぱ見て欲しい。
Wはガンダムシリーズが派生の果てに手に入れた多様性の一つとして抑えて欲しい。
イケメンがバンバン出てくるアニメながら、戦争の時代の中で新時代の感性を持った少年たちがその中でもがくというシリーズの基本骨子を踏襲している所を感じるにはコレが手っ取り早い。
∀は多様に膨らんだガンダムシリーズの集大成としての、いわばガンダムを四季になぞらえたときの冬、人間に例えたときの壮年期を描くような作品であり、シリーズの生前葬を看取るような気持ちで鑑賞すると流れが見えてくると思われる。
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
ひとまずコナン、ドラえもん、ドラゴンボールは名作を一個ぐらいは見ておいてもいいと思う。
たまたま微妙なの引いてそれ以降見てない人とかもいるかもだし。
デジモンなんだけど、たしかにぼくらのウォーゲームは最高に面白いんだが、アニメ映画としての美しさは先に作った方の「ボレロのシーン」の方が上だと思うんだよな。
あとウォーゲームとサマーウォーズで展開を使いまわしつつもより大衆向けに作り直されている所も見比べて欲しい。
時かけ~エヴァ破までのは似たような作品があるから弾かれたんだろうけど、こっちも普通におもしろいので見ろって感じ。
特にパーフェクトブルーは突破力のヤバさにおいてパプリカや千年女優さえ大きく凌いでると思うので、アニメを楽しむにしろ「語る」にしろ抑えておくべき優先度は上な気がするんだよな。
エヴァは旧劇も見てほしいしシンも終わりまで見てほしいけど人を選ぶからひとまず外す。
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
歴史を語る上で重要じゃないからってことで外された感じなんだろうけど……巨人の星やガンバの冒険を令和になって見返すならその時間でこっちの中でまだ見てないの見たほうがいいでしょ……。
ギアスは中二病アニメの最高峰、宇宙よりも遠い場所は単純に名作、プラネテスは入ってない理由がわからないレベル、ガルパンはいいぞ。
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/ゼーガペイン
下手に入れると本筋から迷子になるから外されたであろうアニメ達。
lainは不世出と言って良いほどのオカルトアニメで見ているだけで電波で頭がおかしくなる。
マクロス7もこれこそまさに不世出のオンリーワンとしか言いようがない狂った世界を展開しておりアニメという表現が秘めた可能性を感じ取れる。
電脳コイルはマイルドな攻殻機動隊と言った作品なのだが、この作品が出た直後ぐらいからデジタル技術やITが物珍しさを失い単品でテーマになりにくなっていった歴史的背景が面白い。
スクライド・GUNGRAVEは共に男の義務教育と言われるほどの意味不明な暑苦しさによりカルト的人気が今でもある。
ギャラクシーエンジェル・ぱにぽにだっしゅはどちらもパロディやコメディを扱った作品であり、内容にその当時に流行ったネタが込められていて年代を意識して見返すとリアルタイムとは違った趣がある。
リヴァイアスはロボットアニメと見せかけて宇宙空間で少年少女が蠅の王をやることで普通のロボットアニメを期待して見に来た視聴者に大きなトラウマを残す作品。
まどマギはそういった既存文脈をひっくり返して露悪趣味に転じる作品において最も成功した作品だと思われる。
ゼーガペインは「◯話まで見ろ」の最高峰の1つなのでぜひ主人公の妹が登場するところまで見て今後切り時を考えるときにより深く悩んでもらいたい。
お前が好きなアニメ並べてるだけだろって感じになっちゃった……。
でもさ、こういうのってまずは「自分が見て楽しいと思った作品」を紹介するのが大前提だと思うんだよね。
「白蛇伝や巨人の星見ようぜ!アニメの歴史学ぶために!」とか言われてもね……
あ、商用じゃないから書き忘れたけど「DAICONFILM」は見たほうがいいな。
アオイホノオのドラマの中で見るだけでもいいけどアレを見ておくと「どういう作画技法がオタクの間で人気が出るのか」がひと目で分かるから。
もしかしてみんな、エヴァの弔いはしたけれどもガイナックスの弔いはまだしてないんじゃないか?と。
というのも、ガイナックスは「いつの間にか終わっていた」からである。
ガイナックスの現状はだいたいの人が下記の記事を読んで知っている通り。もちろんあくまで庵野監督視点の話なのは考慮しないといけないが。
【庵野監督・特別寄稿】『エヴァ』の名を悪用したガイナックスと報道に強く憤る理由 | 庵野秀明監督・特別寄稿 | ダイヤモンド・オンライン
ガイナックスで才能を発揮したクリエイターたちはだんだんと離れていき、その彼らが新たに設立したカラーやトリガーといった会社が往年の「ガイナックスファン」を虜にするようになった。
エヴァに夢中になっていた人たちは、いつの間にかガイナックスへ目を向けることがなくなっていったのではないか?ガイナックスが2010年代に制作したアニメをぱっと挙げられる人は多くないだろう。
ご存知の通りガイナックスは現在アニメを制作できる状態にない。2020年に役員が総入れ替えされ、代表取締役社長はカラーの版権管理会社の代表が務めている。今後は版権管理が運営の主軸となるのだろう。
発表されていた「トップをねらえ3!」「蒼きウル」は旧福島ガイナックスの株式会社ガイナが引き継ぐと発表されており、ガイナックスは制作しない(なお数年音沙汰なし)。
というわけで、ガイナックスの墓標は既に立っているとみなしてもいいのではなかろうか。
それは2015年のテレビアニメ「放課後のプレアデス」であった。
これを知ったとき、不謹慎ながらも自分はちょっと美しいなと思った。
この作品、一見ただの魔法少女アニメのように見えながらもガイナックスらしさに溢れる壮大なスケールのSFを繰り広げるアニメだったし、希望を描いた物語だったから。
「有終の美」とか「最後の花火」とかいった言葉をつけるのにふさわしい内容の作品だなと思った。
同時に作品がかわいそうだなとも思った。