はてなキーワード: チームラボとは
万博に行った。もう数回行く予定。
今回の万博、センサリーマップというものがある。感覚過敏のある人向けに「まぶしい」「うるさい」「におい」「水がかかる」「振動がある」「傾斜がある」に分けて、その特徴があるパビリオンを書き出してくれている。
ただ、行った体感として、不十分というレベルではない。感覚過敏にはこれは無理だ、と思った。
表題通り光刺激にとても弱い。基本屋外はサングラス必須、イルミネーションは避ける、Dolby cinemaで映画見たら気持ち悪くなってからいい映像の映画の諦めてる。こういうタイプの人間にはセンサリーマップが割と頼りだった。
誰もが楽しめる万博を掲げているからこそ、楽しめない人に対して必要な準備ができるようにしてくれているのだと思っていた。
近未来が光に溢れているのは想定内だし、世間のチームラボとかの人気を見るにああいうのが流行なのは分かってた。
だけど、万博公式のセンサリーマップがあそこまで機能しないとは思ってない。海外パビリオンはドイツとトルコしか載ってないので、他は大丈夫だと思ってた。
「まぶしい」該当パビリオンの予約は取らず、屋外歩行も多いしサングラスかけて行こうと思って予約を取って、最初に入った日本館。
「まぶしい」該当してほしい。
フランス館も「まぶしい」だったし、チェコは「傾斜がある」だ。
これは、うん!まぶしくないな!って言われてしまってるなら、ドイツとトルコの光はどんなものなんだ。
null^2はインスタで見てえげつないの分かってるけど、あのレベルじゃないとダメなのか。
日本やフランスレベルじゃ「まぶしい」に該当しないなら、私は、これからの未来で生きていけるのかと不安になる。
元々、4K8Kとテレビが鮮明になり、映画のスクリーンがIMAXやDolbyという映像美に切り替わっている。その一部に私は既に適応ができていない。
スマホの画面の鮮明さがこれ以上上がったら?VR系統のデバイスが主流になっていったら?テレビは8K超えて16とか32とかが出てきたら?
前回の愛・地球博ではもしかしたらの未来にApple Payのようなタッチでの決済を上げていたと誰かのXのポストで見かけた。
今回の万博が20年後、30年後の未来では常識レベルのデバイスの話をしていたら?
そのとき私は老いていて、より光に弱くなっているだろう。今より強くなることはないと断言できる。思春期以後ずっと弱くなり続けているから。
そのときに私は、スマホの次のデバイスを使用できず、おばあちゃんまだスマホなの〜?変えなよとか言われるのか、そのスマホさえ画面が16Kとか今では想定しないレベルの鮮明さになり使用できないのか分からない。
幼い頃から分かっていた自分の光過敏とある程度付き合ってきていた。
でも、こんな振り落とされ方は若干想定してなかったなあ、と、万博行って思った。
サングラスかけて、どこまでいけるかなあと次の予約を考えている。
万博に行った。もう数回行く予定。
今回の万博、センサリーマップというものがある。感覚過敏のある人向けに「まぶしい」「うるさい」「におい」「水がかかる」「振動がある」「傾斜がある」に分けて、その特徴があるパビリオンを書き出してくれている。
ただ、行った体感として、不十分というレベルではない。感覚過敏にはこれは無理だ、と思った。
表題通り光刺激にとても弱い。基本屋外はサングラス必須、イルミネーションは避ける、Dolby cinemaで映画見たら気持ち悪くなってからいい映像の映画の諦めてる。こういうタイプの人間にはセンサリーマップが割と頼りだった。
誰もが楽しめる万博を掲げているからこそ、楽しめない人に対して必要な準備ができるようにしてくれているのだと思っていた。
近未来が光に溢れているのは想定内だし、世間のチームラボとかの人気を見るにああいうのが流行なのは分かってた。
だけど、万博公式のセンサリーマップがあそこまで機能しないとは思ってない。海外パビリオンはドイツとトルコしか載ってないので、他は大丈夫だと思ってた。
「まぶしい」該当パビリオンの予約は取らず、屋外歩行も多いしサングラスかけて行こうと思って予約を取って、最初に入った日本館。
「まぶしい」該当してほしい。
フランス館も「まぶしい」だったし、チェコは「傾斜がある」だ。
これは、うん!まぶしくないな!って言われてしまってるなら、ドイツとトルコの光はどんなものなんだ。
null^2はインスタで見てえげつないの分かってるけど、あのレベルじゃないとダメなのか。
日本やフランスレベルじゃ「まぶしい」に該当しないなら、私は、これからの未来で生きていけるのかと不安になる。
元々、4K8Kとテレビが鮮明になり、映画のスクリーンがIMAXやDolbyという映像美に切り替わっている。その一部に私は既に適応ができていない。
スマホの画面の鮮明さがこれ以上上がったら?VR系統のデバイスが主流になっていったら?テレビは8K超えて16とか32とかが出てきたら?
前回の愛・地球博ではもしかしたらの未来にApple Payのようなタッチでの決済を上げていたと誰かのXのポストで見かけた。
今回の万博が20年後、30年後の未来では常識レベルのデバイスの話をしていたら?
そのとき私は老いていて、より光に弱くなっているだろう。今より強くなることはないと断言できる。思春期以後ずっと弱くなり続けているから。
そのときに私は、スマホの次のデバイスを使用できず、おばあちゃんまだスマホなの〜?変えなよとか言われるのか、そのスマホさえ画面が16Kとか今では想定しないレベルの鮮明さになり使用できないのか分からない。
幼い頃から分かっていた自分の光過敏とある程度付き合ってきていた。
でも、こんな振り落とされ方は若干想定してなかったなあ、と、万博行って思った。
サングラスかけて、どこまでいけるかなあと次の予約を考えている。
チームラボが作っているのはアートか?というのは割と難しい問題だと思う
個人的な結論としては「セルアウトしたアート」「アートの境界線を広くするためにエンタメ色を強くしたもの」ということ
音楽だって同じで、ヒットチャートを音楽として楽しむ人もいるし、ヒットチャートの音楽なんてゴミ、真の音楽は〜にある、みたいなスタンスの人もいる
要は人によって境界線が異なるだけ
チームラボは海外の大手アートギャラリーや美術館とも仕事をしていて、その実績を見れば明らかにアート業界に足跡を残している
アートからエンタメへの接近という意味では、レアンドロ・エメリッヒの騙し絵的な体感アートや、オラファー・エリアソンの環境型アートだってかなりエンタメ寄りとも言える
現代アート自体が、メディアの境界線、ジャンルの境界線を攻めることに熱心なので、アートとエンタメの境界線を攻めるという意味では、まっとうにアートしていると言えなくもない
子どもが家を出た。
https://anond.hatelabo.jp/20230622095834
当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページに掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDA(PalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。
ところが、やがて掲示板に荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。
もう少しクローズドな環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。
当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較的マイナーな海外ミュージシャンの情報等が得られる貴重な場でもあった。
そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティで20代の女性と知り合う。
YahooチャットやSkypeで他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。
彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。
結婚はおろか、親になることなど全く想定していなかった人間だったので、夫という立場、父親という立場には戸惑いの連続だった。
妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。
しかし私は、話し合いが深くなる過程で自分自身の問題を直視せざるを得なくなるのが嫌だった。
人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。
不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。
それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。
やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。
頼れる親戚も、莫大な遺産もない。
必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。
娘は、持って生まれた個性(特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。
今の社会の不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会と自分とのズレをある程度調整する必要がある。
妻はそう感じていた。
娘の特性は、私のそれによく似ていた。
私は、幼い頃から「マイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。
所謂、ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。
ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。
国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。
総じて児童の学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。
大卒の保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。
ちなみに、私の父は高校中退だった。
父については、以前に書いた事がある。
https://anond.hatelabo.jp/20230202131807
何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。
森の小人が人間の世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。
(大学を卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)
そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。
「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」
と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。
だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。
父や私が運良くそうしてきたように。
娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。
小学校では、他の子たち、特に女子のグループにはあまり上手く馴染めなかった。
同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。
図書館には良く連れて行った。
自分自身の経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。
子どもにプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。
小学校2年生くらいの頃だ。
やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。
面白い大人、大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。
義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。
学校説明会や文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。
中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。
塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。
大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書や問題集を選んだ。
振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。
子ども向けの展覧会やイベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。
デザインあ展、チームラボのイベント、ワークショップコレクション、科学未来館など、どれも楽しかった。
大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。
思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。
ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。
そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。
高専という学校の特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。
「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています」
同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。
皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。
そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。
社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。
少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、
「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」
と言われた。
よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。
私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。
子どもが家を出た。
https://anond.hatelabo.jp/20230622095834
当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページに掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDA(PalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。
ところが、やがて掲示板に荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。
もう少しクローズドな環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。
当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較的マイナーな海外ミュージシャンの情報等が得られる貴重な場でもあった。
そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティで20代の女性と知り合う。
YahooチャットやSkypeで他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。
彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。
結婚はおろか、親になることすら全く想定していなかった人間だったので、夫という立場、父親という立場には戸惑いの連続だった。
妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。
しかし私は、話し合いが深くなる過程で自分自身の問題を直視せざるを得なくなるのが嫌だった。
人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。
不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。
それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。
やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。
頼れる親戚も、莫大な遺産もない。
必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。
娘は、持って生まれた個性(特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。
今の社会の不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会と自分とのズレをある程度調整する必要がある。
妻はそう感じていた。
娘の特性は、私のそれによく似ていた。
私は、幼い頃から「マイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。
所謂、ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。
ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。
国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。
総じて児童の学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。
大卒の保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。
ちなみに、私の父は高校中退だった。
父については、以前に書いた事がある。
https://anond.hatelabo.jp/20230202131807
何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。
森の小人が人間の世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。
(大学を卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)
そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。
「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」
と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。
だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。
父や私が運良くそうしてきたように。
娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。
小学校では、他の子たち、特に女子のグループにはあまり上手く馴染めなかった。
同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。
図書館には良く連れて行った。
自分自身の経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。
子どもにプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。
小学校2年生くらいの頃だ。
やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。
面白い大人、大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。
義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。
学校説明会や文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。
中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。
塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。
大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書や問題集を選んだ。
振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。
子ども向けの展覧会やイベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。
デザインあ展、チームラボのイベント、ワークショップコレクション、科学未来館など、どれも楽しかった。
大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。
思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。
ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。
そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。
高専という学校の特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。
「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています」
同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。
皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。
そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。
社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。
少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、
「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」
と言われた。
よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。
私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。
こんにちは、バーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。
Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。
チームラボってあるじゃん。なんかオシャレスポットでプロジェクションマッピングみたいなことやってるデザイン会社?みたいなやつ。
ヒューマニエンスでチームラボの猪子寿之が「歴史に残るアートは美を拡張したもの。いまのところAIにはそれはできない」って、おおざっぱにはそんなことを言っていた
確かにそうなんだよね
印象派にしろポップアートにしろ、初期はさんざん批判の対象だった
AIはこれまでの人類の営みを学習するだけなので、全く新しい価値を創造することはできない
一方でAIは、「それなり」のものを作るのはすごく得意だし、それなりのものが多数流通している現在、それなりの人はやっぱ要らなくなるのかもな
とそれなりの人として思う
それなりの人の代わりをAIが務めてくれて、それなりの人が働かなくてもいいようになればいいけど、そうはならないんだろうな
頭。偏頭痛になる頻度が増える。天気の悪い日や寒い日に確率が上がる。コーヒーを飲まなくても確率が上がる。カフェイン中毒か?
目。集中して1時間も画面を見ていると、目の奥が痛む。ツボやこめかみをマッサージしたり、遠くをみて目を休めながら、生産性の低下を噛みしめる。
睡眠。前の日に少しでも夜更かしすると、翌日の集中力が目に見えて下がる。あと寝る直前までディスプレイを見ると、明らかに入眠が遅くなり、睡眠の質が下がる。若い頃は徹夜も余裕だったし、限界まで作業してそのままベッドに倒れ込んで一瞬で寝てたが。
家族との時間。朝ごはんも夜ご飯もきちんとパートナーや子供と食卓囲んで、団らんしてコミュニケーションとって。育児・家事やってると数時間がすぐ溶ける。
この間の休日は子供たちをチームラボに連れてったよ。合間にスマホでツイッター見てたら若いエンジニア達、Rust難しいわ笑ってつぶやきながらガリガリ実装してるみたいだった もう、そういう生活には戻れそうにない。
なるほど、定年とはこういうことかって気づいた40歳のある日だった。