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「チームラボ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: チームラボとは

2025-06-01

光刺激の過敏がある人の万博旅行記

万博に行った。もう数回行く予定。

今回の万博センサリーマップというものがある。感覚過敏のある人向けに「まぶしい」「うるさい」「におい」「水がかかる」「振動がある」「傾斜がある」に分けて、その特徴があるパビリオンを書き出してくれている。

ただ、行った体感として、不十分というレベルではない。感覚過敏にはこれは無理だ、と思った。

表題通り光刺激にとても弱い。基本屋外はサングラス必須イルミネーションは避ける、Dolby cinemaで映画見たら気持ち悪くなってからいい映像映画の諦めてる。こういうタイプ人間にはセンサリーマップが割と頼りだった。

誰もが楽しめる万博を掲げているからこそ、楽しめない人に対して必要な準備ができるようにしてくれているのだと思っていた。

近未来が光に溢れているのは想定内だし、世間チームラボとかの人気を見るにああいうのが流行なのは分かってた。

だけど、万博公式センサリーマップがあそこまで機能しないとは思ってない。海外パビリオンドイツトルコしか載ってないので、他は大丈夫だと思ってた。

「まぶしい」該当パビリオンの予約は取らず、屋外歩行も多いしサングラスかけて行こうと思って予約を取って、最初に入った日本館。

「まぶしい」該当してほしい。

フランス館も「まぶしい」だったし、チェコは「傾斜がある」だ。

センサリーマップを作った人の中に当事者は皆無なのだろうか。

これは、うん!まぶしくないな!って言われてしまってるなら、ドイツトルコの光はどんなものなんだ。

null^2はインスタで見てえげつないの分かってるけど、あのレベルじゃないとダメなのか。

日本フランスレベルじゃ「まぶしい」に該当しないなら、私は、これから未来で生きていけるのかと不安になる。

元々、4K8Kテレビが鮮明になり、映画スクリーンIMAXDolbyという映像美に切り替わっている。その一部に私は既に適応ができていない。

スマホの画面の鮮明さがこれ以上上がったら?VR系統デバイスが主流になっていったら?テレビ8K超えて16とか32とかが出てきたら?

前回の愛・地球博ではもしかしたらの未来Apple Payのようなタッチでの決済を上げていたと誰かのXのポストで見かけた。

今回の万博20年後、30年後の未来では常識レベルデバイスの話をしていたら?

そのとき私は老いていて、より光に弱くなっているだろう。今より強くなることはないと断言できる。思春期以後ずっと弱くなり続けているから。

そのときに私は、スマホの次のデバイス使用できず、おばあちゃんまだスマホなの〜?変えなよとか言われるのか、そのスマホさえ画面が16Kとか今では想定しないレベルの鮮明さになり使用できないのか分からない。

幼い頃から分かっていた自分の光過敏とある程度付き合ってきていた。

でも、こんな振り落とされ方は若干想定してなかったなあ、と、万博行って思った。

サングラスかけて、どこまでいけるかなあと次の予約を考えている。

光刺激の過敏がある人の万博旅行記

万博に行った。もう数回行く予定。

今回の万博センサリーマップというものがある。感覚過敏のある人向けに「まぶしい」「うるさい」「におい」「水がかかる」「振動がある」「傾斜がある」に分けて、その特徴があるパビリオンを書き出してくれている。

ただ、行った体感として、不十分というレベルではない。感覚過敏にはこれは無理だ、と思った。

表題通り光刺激にとても弱い。基本屋外はサングラス必須イルミネーションは避ける、Dolby cinemaで映画見たら気持ち悪くなってからいい映像映画の諦めてる。こういうタイプ人間にはセンサリーマップが割と頼りだった。

誰もが楽しめる万博を掲げているからこそ、楽しめない人に対して必要な準備ができるようにしてくれているのだと思っていた。

近未来が光に溢れているのは想定内だし、世間チームラボとかの人気を見るにああいうのが流行なのは分かってた。

だけど、万博公式センサリーマップがあそこまで機能しないとは思ってない。海外パビリオンドイツトルコしか載ってないので、他は大丈夫だと思ってた。

「まぶしい」該当パビリオンの予約は取らず、屋外歩行も多いしサングラスかけて行こうと思って予約を取って、最初に入った日本館。

「まぶしい」該当してほしい。

フランス館も「まぶしい」だったし、チェコは「傾斜がある」だ。

センサリーマップを作った人の中に当事者は皆無なのだろうか。

これは、うん!まぶしくないな!って言われてしまってるなら、ドイツトルコの光はどんなものなんだ。

null^2はインスタで見てえげつないの分かってるけど、あのレベルじゃないとダメなのか。

日本フランスレベルじゃ「まぶしい」に該当しないなら、私は、これから未来で生きていけるのかと不安になる。

元々、4K8Kテレビが鮮明になり、映画スクリーンIMAXDolbyという映像美に切り替わっている。その一部に私は既に適応ができていない。

スマホの画面の鮮明さがこれ以上上がったら?VR系統デバイスが主流になっていったら?テレビ8K超えて16とか32とかが出てきたら?

前回の愛・地球博ではもしかしたらの未来Apple Payのようなタッチでの決済を上げていたと誰かのXのポストで見かけた。

今回の万博20年後、30年後の未来では常識レベルデバイスの話をしていたら?

そのとき私は老いていて、より光に弱くなっているだろう。今より強くなることはないと断言できる。思春期以後ずっと弱くなり続けているから。

そのときに私は、スマホの次のデバイス使用できず、おばあちゃんまだスマホなの〜?変えなよとか言われるのか、そのスマホさえ画面が16Kとか今では想定しないレベルの鮮明さになり使用できないのか分からない。

幼い頃から分かっていた自分の光過敏とある程度付き合ってきていた。

でも、こんな振り落とされ方は若干想定してなかったなあ、と、万博行って思った。

サングラスかけて、どこまでいけるかなあと次の予約を考えている。

2025-05-30

anond:20250530125920

チームラボ他人作品パクって商業化してるだけの倫理無しじゃん

下劣拝金主義という点で同レベルだけど何が違うの?

チームラボアートアクアリウム

はてブではこの二つを「似ている」と評するコメントが少なからずあるけど、アートアクアリウム嫌いマンとしては

アートアクアリウム倫理道徳的に嫌い。チームラボとは別物」と言っておきたい。

チームラボが作っているのはアートか?というのは割と難しい問題だと思う

個人的結論としては「セルアウトしたアート」「アート境界線を広くするためにエンタメ色を強くしたもの」ということ

音楽だって同じで、ヒットチャート音楽として楽しむ人もいるし、ヒットチャート音楽なんてゴミ、真の音楽は〜にある、みたいなスタンスの人もいる

要は人によって境界線が異なるだけ

 

チームラボ海外大手アートギャラリー美術館とも仕事をしていて、その実績を見れば明らかにアート業界足跡を残している

アートからエンタメへの接近という意味では、レアンドロエメリッヒの騙し絵的な体感アートや、オラファー・エリアソン環境アートだってかなりエンタメ寄りとも言える

現代アート自体が、メディア境界線ジャンル境界線を攻めることに熱心なので、アートエンタメ境界線を攻めるという意味では、まっとうにアートしていると言えなくもない

 

あとは好き嫌い問題だね

2025-04-03

子どもが家を出た。

子どもが家を出た。

4月から社会人になった娘が一人暮らしを始めた。

小学生のある時期、超能力者だった事もある娘だ。

https://anond.hatelabo.jp/20230622095834

の子と初めて会った頃、私は既に不惑を過ぎていた。

当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページ掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDAPalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。

ところが、やがて掲示板荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。

もう少しクローズド環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。

当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較マイナー海外ミュージシャン情報等が得られる貴重な場でもあった。

そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティ20代女性と知り合う。

YahooチャットSkype他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。

彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。

の子が、生後10ヶ月の頃に私の娘になった。

結婚はおろか、親になることなど全く想定していなかった人間だったので、夫という立場父親という立場には戸惑いの連続だった。

妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。

結婚当初は些細な事での言い争いが絶えなかった。

妻は、話し合いの重要性を理解している人だった。

しかし私は、話し合いが深くなる過程自分自身問題直視せざるを得なくなるのが嫌だった。

人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。

不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。

それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。

自分自身を変えるしかなかった。

やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。

娘の親として私は比較高齢であり、妻にも持病がある。

頼れる親戚も、莫大な遺産もない。

必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。

子育ての最大のテーマは「自立」になる。

経済的な自立、精神的な自立を手に入れさせる必要がある。

娘は、持って生まれ個性特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。

の子を、どうやって社会に馴染ませるのか。

今の社会不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会自分とのズレをある程度調整する必要がある。

妻はそう感じていた。

娘の特性は、私のそれによく似ていた。

私は、幼い頃からマイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。

所謂ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。

ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。

国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。

総じて児童学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。

大卒保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。

ちなみに、私の父は高校中退だった。

父については、以前に書いた事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20230202131807

何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。

森の小人人間世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。

大学卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)

そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。

娘の特性心配している妻に、

「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」

と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。

妻との対話の中でそれを認識した。

世間的に「生きづらい」とされるような個性が娘にはある。

だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。

父や私が運良くそうしてきたように。

娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。

小学校では、他の子たち、特に女子グループにはあまり上手く馴染めなかった。

同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。

学校とは別の居場所必要だ、と思った。

図書館には良く連れて行った。

自分自身経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。

子どもプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。

小学校2年生くらいの頃だ。

やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。

面白い大人大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。

娘が浮いてしまわない「世間」がある、そう思った。

義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。

そう考えて選んだのが、国立高専国立高等専門学校)だった。

学校説明会文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。

中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。

塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。

大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書問題集を選んだ。

週末、連休夏休みは一緒に図書館学習室を借りて勉強した。

何かのゲームをしているようで、私自身、結構しかった。

振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。

子ども向けの展覧会イベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。

デザインあ展、チームラボイベントワークショップコレクション科学未来館など、どれも楽しかった。

大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。

幸いにして合格して、コロナ禍の中、寮生活が始まった。

思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。

ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。

そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。

高専という学校特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。

留年率が比較的高い中、毎年度の進級について心配する私に、

「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています

と言って、本当にスレスレの成績で卒業した。

同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。

皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。

そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。

昨日一昨日の入社式研修を経て、今日が初出社。

社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。

少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、

「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」

と言われた。

よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。

私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。

子どもが家を出た。

子どもが家を出た。

4月から社会人になった娘が一人暮らしを始めた。

小学生のある時期、超能力者だった事もある娘だ。

https://anond.hatelabo.jp/20230622095834

の子と初めて会った頃、私は既に不惑を過ぎていた。

当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページ掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDAPalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。

ところが、やがて掲示板荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。

もう少しクローズド環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。

当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較マイナー海外ミュージシャン情報等が得られる貴重な場でもあった。

そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティ20代女性と知り合う。

YahooチャットSkype他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。

彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。

の子が、生後10ヶ月の頃に私の娘になった。

結婚はおろか、親になることすら全く想定していなかった人間だったので、夫という立場父親という立場には戸惑いの連続だった。

妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。

結婚当初は些細な事での言い争いが絶えなかった。

妻は、話し合いの重要性を理解している人だった。

しかし私は、話し合いが深くなる過程自分自身問題直視せざるを得なくなるのが嫌だった。

人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。

不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。

それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。

自分自身を変えるしかなかった。

やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。

娘の親として私は比較高齢であり、妻にも持病がある。

頼れる親戚も、莫大な遺産もない。

必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。

子育ての最大のテーマは「自立」になる。

経済的な自立、精神的な自立を手に入れさせる必要がある。

娘は、持って生まれ個性特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。

の子を、どうやって社会に馴染ませるのか。

今の社会不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会自分とのズレをある程度調整する必要がある。

妻はそう感じていた。

娘の特性は、私のそれによく似ていた。

私は、幼い頃からマイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。

所謂ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。

ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。

国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。

総じて児童学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。

大卒保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。

ちなみに、私の父は高校中退だった。

父については、以前に書いた事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20230202131807

何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。

森の小人人間世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。

大学卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)

そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。

娘の特性心配している妻に、

「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」

と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。

妻との対話の中でそれを認識した。

世間的に「生きづらい」とされるような個性が娘にはある。

だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。

父や私が運良くそうしてきたように。

娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。

小学校では、他の子たち、特に女子グループにはあまり上手く馴染めなかった。

同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。

学校とは別の居場所必要だ、と思った。

図書館には良く連れて行った。

自分自身経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。

子どもプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。

小学校2年生くらいの頃だ。

やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。

面白い大人大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。

娘が浮いてしまわない「世間」がある、そう思った。

義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。

そう考えて選んだのが、国立高専国立高等専門学校)だった。

学校説明会文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。

中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。

塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。

大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書問題集を選んだ。

週末、連休夏休みは一緒に図書館学習室を借りて勉強した。

何かのゲームをしているようで、私自身、結構しかった。

振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。

子ども向けの展覧会イベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。

デザインあ展、チームラボイベントワークショップコレクション科学未来館など、どれも楽しかった。

大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。

幸いにして合格して、コロナ禍の中、寮生活が始まった。

思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。

ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。

そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。

高専という学校特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。

留年率が比較的高い中、毎年度の進級について心配する私に、

「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています

と言って、本当にスレスレの成績で卒業した。

同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。

皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。

そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。

昨日一昨日の入社式研修を経て、今日が初出社。

社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。

少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、

「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」

と言われた。

よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。

私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。

2025-01-09

天才が考えたり推理したりするシーンで

背景に数式とかが大量に浮かんだり空間チームラボみたいになったりするやつ、あれさすがにいろんな作品でやりすぎじゃない?天才ってくらいなんだから天才シーンにも独創性を求めたいところ。

2024-10-05

anond:20241005191932

いっき現代どころか未来まで飛び出すけど、チームラボお勧めやで。お台場のも麻布台のもどっちも良いけど、麻布台の方がゆっくり鑑賞できるからなおお勧めやで。

2024-07-11

チームラボプラネッツが「世界一入場者が多い美術館」としてギネス認定されたそうだ。

文化的施設が注目されるのは大変結構なことだが、果たしてあれは美術館なんだろうか。

アートエンターテイメント施設、みたいな感じではなかろうか。

2024-02-08

大阪旅行計画

2/21 16:00 宿到着 18:30 なんば居酒屋

2/22 18:30 焼きふぐ屋

2/23 新世界メイン もしかしたら海遊館行く

2/24 15:00 なんばで呑む 18:00ぐらい 551本店で軽く食事 終わったら関空に移動 カプセルに泊まる

2/25 朝一のLCCで帰る

空いてる時間どうすっかな

チームラボ ボタニカルガーデンとか見るかな

海遊館は料金上がってるからどうすっかな

2024-02-06

Apple Vision Proは、民生品のVRではある種の頂点に達した

こんにちはバーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。

Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単解説したいと思います

まず、VR歴史から

Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。

Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターJALに導入されたのは1977年です。

本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全安価何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。

フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)

とはいえあくま比較問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります

いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。

(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)

ただ、実はHMDは主に技術的な課題解決する目途が立たなかったこからプロジェクタのような実空間映像投影する装置に一時期流行が移ったことがあります

おそらく、国内で最も手軽に最先端空間投影型のVR体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリンファンタスティックフライトでしょう。

豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)

さて、その後徐々に技術的な課題解決され、HMD型のVRは少しづ実用化されたり、販売されるようになりました。

VRって色々ある?ARとかMRとか……

VRはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかます

  1. 大がかりな表示装置を、コンパクト安価に実現したい
  2. 仮想空間に入り込みたい
  3. 現実世界情報を追加したい (Augmented reality : AR)
  4. 現実空間仮想空間違和感なく重ねたい (Mixed reality : MR)

No.1表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。

No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。

No.3の現実空間情報を追加するのは、静止画ならプリクラ動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。

No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究パテントが飛び交うも実現が難しかったものです。

何が技術的に難しかったの?

違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。

人間五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。

たとえば、任天堂switchリンフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。

しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラー一種だ、と思われるのではないでしょうか。

同様に、新型コロナ流行たころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。

と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。

MicrosoftMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。

Meta Quest とは違うの?HoloLensと何が違うの?どう違うの?

まず、HMDはいくつかの種類があるので分類しておきます

(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛

Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置安価に実現するには最適です。

HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています

Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオ撮影した現実世界仮想空間とを重ね合わせて見せています

まりApple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。

大きな違いは?

目的です。

Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。

HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています産業用途トレーニング作業効率アップなど、空間投影できるマニュアルとしての用途押し出していますし実績もありました。

Vision Proは、MRとして現実世界仮想ディスプレイを表示させることに特化していますディスプレイ品質担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップビデオシースルー処理をしています

なぜ頂点だと言えるの?

X(Twitter)の感想使用レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルー現実世界を見ることが出来ています

光学シースルー匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプ上位互換になります

そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。

現実世界仮想ディスプレイを表示するというそ目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。

普及する?俺向け?(簡単なまとめ)

ちょっと長くなってしまったので簡単にまとめます

Apple Vison Proは、現実世界仮想ディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。

例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイ仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)

仮想空間のみが必要場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。

HoloLensは、その性質上、専用のアプリソフトウェア必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアル作成する必要がありました。

大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアル無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。

そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。

ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。

また、業務用途においてはWindows対応していないため、会社支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。

そのため、これはMacbook利用者マルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。

真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います

テレビ会議、メールブラウジング動画視聴、主に文字主体コーディング資料作成仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。

2024-01-17

anond:20240117165556

見どころが多すぎて書ききれん。海外観光客向けの東京観光案内を見てください。2月上旬麻布台ヒルズオープンするチームラボボーダレスにいち早く行くとたぶん自慢できます

2024-01-01

anond:20240101104028

別にそれでいいんやで

全部美術史知識必須みたいなのだオタクしか見なくて先細りするだけだし

なんだかんだ子連れに受けてるのはチームラボみたいなのだしな

オタクはどうせ勝手勉強し始めるから

2023-03-30

チームラボロゴダサい

チームラボってあるじゃん。なんかオシャレスポットでプロジェクションマッピングみたいなことやってるデザイン会社?みたいなやつ。

あれ「オシャレとアート最先端でござい」みたいな感じなのに何であんなにロゴダサい???

わざと?あれがハイソセンスなわけ?だれも指摘してないのが怖いんだけどさ、あれダサいよね???

AI芸術

ヒューマニエンスでチームラボ猪子寿之が「歴史に残るアートは美を拡張したもの。いまのところAIにはそれはできない」って、おおざっぱにはそんなことを言っていた

かにそうなんだよね

印象派しろポップアートしろ、初期はさんざん批判対象だった

AIはこれまでの人類の営みを学習するだけなので、全く新しい価値創造することはできない

一方でAIは、「それなり」のものを作るのはすごく得意だし、それなりのものが多数流通している現在、それなりの人はやっぱ要らなくなるのかもな

とそれなりの人として思う

それなりの人の代わりをAIが務めてくれて、それなりの人が働かなくてもいいようになればいいけど、そうはならないんだろうな

2022-04-21

40歳になったワイ、エンジニア35歳定年説の正体に気づく

頭。偏頭痛になる頻度が増える。天気の悪い日や寒い日に確率が上がる。コーヒーを飲まなくても確率が上がる。カフェイン中毒か?

目。集中して1時間も画面を見ていると、目の奥が痛む。ツボやこめかみをマッサージしたり、遠くをみて目を休めながら、生産性の低下を噛みしめる。

睡眠。前の日に少しでも夜更かしすると、翌日の集中力が目に見えて下がる。あと寝る直前までディスプレイを見ると、明らかに入眠が遅くなり、睡眠の質が下がる。若い頃は徹夜も余裕だったし、限界まで作業してそのままベッドに倒れ込んで一瞬で寝てたが。

家族との時間朝ごはん夜ご飯もきちんとパートナー子供食卓囲んで、団らんしてコミュニケーションとって。育児家事やってると数時間がすぐ溶ける。

この間の休日子供たちをチームラボに連れてったよ。合間にスマホツイッター見てたら若いエンジニア達、Rust難しいわ笑ってつぶやきながらガリガリ実装してるみたいだった もう、そういう生活には戻れそうにない。

なるほど、定年とはこういうことかって気づいた40歳のある日だった。

2021-07-10

美術館に行きたい

別に美術館以外でもどこでも良くて、比較的忙しくなくて安くなることのある学生のうちにそういう施設にいろいろ行きたいなって話。

家庭が積極的にそういう所に連れていかないタイプだったか経験に乏しい。動物園公園にあるしょぼいやつに行った1回くらいしかない気がする。しかもあれ友達とだな。幼い時代都民として過ごしたのに上野動物園行ったことないの面白い最近まれ子供🐼見たいな。

学校行事以外で博物館美術館科学etc行ったことないからもうピッチピチ。どこでも新鮮よ。なんかいい所とかあるのかな。

あ、チームラボは連れていかれたな。あれはなんなんだ、美術館判定される?

2021-03-20

アートが好きという人の中に、チームラボやライゾマティクスを見るのが好きという人がいる

私は彼らの作品に興味はないし、正直彼らが好きと言われると、

この人はあまりわかってない人なんだな。と反射的に考えてしまう。

なぜそう考えるとかというと、直感的な判断言語化が難しいのだが、

チームラボやライゾマの作品には、奥行きがないと感じる

露骨に美しく、露骨に心地良く、それ以上の意味がない

20世紀美術発見した快楽原則を借用した、大衆向けの視覚マッサージのように思える

20世紀以降の美術は美の領域拡大を行ってきた

これが美しいと美しくないのギリギリ境界を探り、美術として扱える範囲を広げてきたし、美のど真ん中を目指すことに価値がない

古典的モダンアートを愛する自分としては、相変わらずそれが正しい美術のあり方の一つという思考が抜けない

その基準判断すると、チームラボやライゾマの作品ベタすぎて退屈なのだと思う。

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