はてなキーワード: ダウンタウンとは
知人に「この漫画、めちゃくちゃ面白いよ!」と勧められた。ギャグマンガらしい。
正直ギャグマンガなんて読んだのは何十年ぶりか分からないくらいで、最後にハマったのは多分すごいよ!マサルさんあたりだった気がする。
懐かしいな~なんて思いつつ期待もそこそこに読んでみたんだけど……驚いた。全然笑えないのだ。
え?え?どこが笑いどころ?みたいな。
明らかに何かの作品のオマージュだと分かるんだけど、元ネタが分からない。
たぶん有名なアニメとか漫画とかゲームなんだろうけど、こっちは詳しくないからピンとこない。
読んでて、あーこれは元ネタを知ってる人はニヤリとできるやつねとは思うけど、それだけ。
これは説明が難しいんだけど、要するにその漫画特有の空気とか流れとかキャラのノリとか。
そういうものが蓄積されていく中で成立する笑い。いきなり途中から読んだ人には「え、なにこれ?」ってなるような、そんな笑いだ。
この感じ…何かに似てるなと思った時、ふと思い浮かんだのがダウンタウンだった。
今だと重鎮だけど、当時から彼らの笑いってすごく“内輪っぽさ”があった。
独特の関西弁、独特のテンポ、そして何より彼らの世界観。視聴者側がその空気を理解していないと笑えないタイプの芸だった。
で、それを理解できない人に対して、「お前が面白くないだけだろ」みたいな圧を感じる。
実際、そういう空気があった。あの感じが、最近のギャグマンガにもある気がするのだ。
「この漫画が面白くないのは、お前がおもんないからだよ」と言われてるような、疎外感。
もちろんファンにとってはその文脈込みで面白いのかもしれない。
けど外から来た人間には高すぎる壁だ。なんなら「笑いに参加するには予習が必要です」みたいな雰囲気すら感じる。
それってギャグマンガとして正解なのか?
ギャグって、もっと直感的にうわ、バカだなこいつ!って笑えるものだったはずだ。
元ネタも文脈も関係なく、勢いと馬鹿馬鹿しさだけで笑わせてくるやつ。
それが今や知識と前提の壁に囲まれたインテリ的な笑いになってしまっている気がする。
当然ギャグマンガが全部そうだとは言わない。
でも最近勧められる作品ほど、そういう“内輪感”が強い傾向にあるように感じる。
特定ジャンルのパロディ、ネット文化のネタ、YouTuberの言い回しなどなど。
もはや漫画そのものが、ひとつの“サブカルチャーの世界”みたいな空間になっている。
昔のような誰が読んでも笑えるギャグマンガはどんどん減ってきている気がする。
石橋はやりたいことやって半分隠居しながら古い友達や自分のこと持ち上げてくれる後輩とわちゃわちゃ遊ぶってノリでYouTubeにピッタリなんだけど、ダウンタウンというか松本はそういうノリ無理っぽいイメージ
言動に自由すぎるところがあるが実はわきまえている部分が多い、つまり分かってやってるとこが多いのだ。
千鳥のアベマの番組で、山田邦子に失礼なことをしてかつ金を借りれるかという企画があったんだが、それはいわば山田邦子を怒らせて笑いにしよう的な狙いが少しあったんじゃないかと思う。
ただ本人はあくまでマイペースに自分本位に流れを作って、どこか煙に巻くような感じで独特の空気を作っていた。
じゃあ笑えないかというと山田邦子を受け入れてしまえば全然笑えるというか、お前らのノリのほうが寒いんじゃ、という視点に立てばけっこう痛快でもあったのだ。
いわゆる吉本っぽい団体芸のノリみたいなとこからズラしていく感じ、永野がたまに見せる半吉本精神みたいなのも垣間見える。
それは恐らくひょうきん族時代にビートたけしとさんまや紳助など男芸人のはちゃめちゃな世界の中で、ブレずにいられた精神力の強さみたいなものかもしれない。
まずなんといってもキャリアがある。そして女性芸人。上沼恵美子ほどの現役感はなくて喋りのテンポとしてはもったりしてはいるが、逆にそれくらいのほうがまったり見れる。
アンミカみたいな感じで、一度世間が受け入れてしまえば恐らくいくらでも仕事来そうな感じがしている。
唯一テレビでの使いづらさがあるとしたら、けっこうオブラートに包まずキツいことも言ってしまう点かもしれない。
上沼恵美子は毒舌と言われるけど、実際はめちゃくちゃ空気読んでるし、怒ってる時もなんていうかほんとに一般人に寄り添うタイプなのだ。
一方山田邦子は自分が芸能界で生きてきて裏もよく知ってるし、そういう事をあまり隠そうとしない。
だから視点も業界に対してより辛辣になりやすいとこがあると思う。
しかしこれもまた、受け入れてしまえばとても頼もしい部分が出てくる。かつ、茶目っ気もある。
面白いことを言ってくれるかどうかでいうと、若干あやしいとこはある。
でもコメンテーターとかご意見番的にアッコよりは全然良いんじゃないだろうか。
ダウンタウンがテレビから離れていよいよ吉本的お笑いの支配が崩れていくかもしれない。
そんな中で山田邦子の看板番組があれば俺はちょっと見てみたい。
なんならさんまやたけしと共演してあれこれ暴走して当時を話してほしい。
ダウンタウン松本氏の復活方法は、徹底してゾーニングされた閉じた空間のみであれば可能なものの、本人の意識としては「もう一花咲かせよう」的に、なるべく広くに届く方法を取ろうとしそうで、もう爆発炎するルートが見える見える
俺は宮迫がアメトーーク!で一回だけ出た時、周りとコミュニケーションが全く取れなくなってたのに心底驚いた。
宮迫の場合は人間の心理が理解できていない、それっぽい感情の動きをエミュレートしていただけ、というのもあるがやはり長期間現場を離れたというのも大きかったんだろうな。
ダウンタウンはどうなんだろう。
浜田はともかく松本は表舞台に立つ人間とは全く交流していないだろう。
かつての人脈を使ってまともなトークが出来るんだろうか。
ダウンタウンチャンネルを観て喜んでる男との交友は絶対に避けたいがアンチしにいってしまいそうなくらいには興味がある
浜田って松本のことそんなに好きだったんだと思うと少し嬉しさがある、全ては手遅れだが
あ、有料か、じゃあ絶対観に行かんわ
面白そう、というよりはオリンピックの開会式/閉会式みたいな感じだ。つまり、どうなるかを確認したい、というタイプの関心における
最上位として、本当に見たい。
まず、芸人的に言ったら、これ以上ないぐらいにフリと緊張が利いてる状況だと思う。日本一の(だった)コメディアンのコンビが、
スキャンダルと休業明けに、何を言うのか。しかも条件は笑わせること。これって、エンターテイメントって分野における一つの挑戦だと思う。
必ずしも、この挑戦が成功するとは限らず(おそらく、失敗すると思う)、というか、結果はどうでもよくて、ダウンタウンと、
これを支える周囲のブレーン、業界の最精鋭たちが、何をもって「答え」とするのかに興味がある。
あと、たぶん、ここまでのビッグタレントの再起というイベントは、政治の世界を除けば、日本では二度と起きない可能性が高いと思う。
いまは娯楽のチャンネルが多すぎて、国民全体でここまで認識されているタレントというのが、もう構造的に生まれないのでは、と思うし、
その人物が20代の頃から還暦まで一つの国の最前線に良くも悪くも存在し続ける、ということも、もう起きないだろう。
だから、このレベルのイベントは、当事者本人の資質も、それにまつわる前フリも含めて、日本では二度と起きない気がする。
俺は、芸能というのは戦略で消費者の感情を制圧する攻撃であり技術だと思っている。だから、この二度とないかもしれない
シチュエーションに対して、この業界における日本という国の最前線が「これが答えです」と言って出してくるものがなんなのか、本当に見たい。
大げさに言えば、日本の芸能界という一領域が、人間という存在をどう考えているか、回答案を出すんだと思っている。
繰り返すけど、結果は正直どうでもよくて、単に、どうなるかに関心がある。オリンピックの開会式に近い(例えとして人によるだろうか?
俺は東京オリンピックの開会式を同じ動機で見て、結果としては、基本的に半笑いをずっと浮かべることになった)。
たぶんダウンタウンチャンネルは失敗するだろうと思う。ダウンタウン自身もここ10年くらいずっと面白くなかったし、企画としてはだらだら
低空飛行して、5年くらいで終わるのではないかと思う。でも、一回目だけは本気で興味ある。
あんまり関係ないが、「ガキ」の初回のオープニングは、若かりしダウンタウンの二人が歩きながらスタジオに向かうというものだった。
俺はすごくイカしてると思う。これも人によって感想は違うだろうけども。
…
追記。
失敗には二通りの意味があると思うので、整理しておく。
① ダウンタウンチャンネルの初回が失敗する ② ダウンタウンチャンネルそのものが失敗する の二通りである。
俺は、おそらく①②両方になると思うけど、関心があるのは、製作陣が①の可能性に対してどんな戦略を用意しているか、
だけである。
…
初回のオープニングとして「正解」があるとしたら、いまの二人でガキの第1回をセルフオマージュするのが、一番ベタなのかな、とは思う。
ダサいかね?
…
一線から退いた宮迫がテレビで空転してる話とか、一種の残酷ショーって観点で予想している人がいたので、なるほどな~と思った。
さすがに、そこまでいびつな楽しみ方を運営側が想定しているとも思えないけども。
ただ、一つ思い出したことがあって、爆笑問題の太田がラジオで松本について、「王様が玉座から転げ落ちる物語を、
自分が面白いと思えるように作れるなら、その笑いこそが松本さんを救える」と語ったことがある。
もし、ダウンタウンチャンネルが本当に、おちぶれて、笑いのセンスも実はとっくに時代遅れになっている松本の姿を映すなら、
これが結構、ドラマ的な演出としても、芸人的に目指す姿としても、正解に近いのかもしれない(ただ、きっとそうはならないだろう)。
…
令和ロマンは、昨日アップされた動画の方を見た。好印象だったし、内容も面白かったけど、「くるま=超頭いい」という先入観で、
自分の非は認めていてイヤミがない一方、「吉本が下手こいて、くるまは芸人として唯一無二のポジションになる」という感じで
世論が形成されることが、くるまにわからないはずないよな、と。
そういう意味で演出として合理的だし、ある意味で作り方の正解に沿っている。これと比べると、やっぱりダウンタウンチャンネルの方が
手探りだよな、と思う。
脇にそれるけど、吉本も「これ自分らが悪者に映るだろうな」とは自覚していたと思う。そのうえで、行政案件とか扱うにはここを
切らざるを得ない、という判断だったのかな~とか。
たけしのラジオは聞いてない。タレントとしての格でいうと、近いものがあるかも。なんなら当時のたけしの方が上なのか。
極楽とんぼについては、吠え魂リスナーだったので、「山本が事件を起こした後、加藤が一人でやった最終回」