はてなキーワード: スキルとは
しかもこの表現が嫌い、あの人が気に入らないなどといった拒否反応の一切なしに、ただただTVから与えられた「状況ごとの正しい反応」を無数に無垢に純粋に取り込むことが必要です。
いい年してからできることでもなく、自我のある人間が意識的にやるには苦痛を伴います。
バカ・デブ・ハゲ・ブス・ノロマ・生意気・自意識過剰・空気読めないといった笑われる属性持ちの場合、学者ハードルは更に跳ね上がります。
Colabo支持者、算数ができない。これが困難を抱える女性ってワケ。
元の話はColaboの求人で月給25万~なのに想定年収360万~はナニってしょーもない難癖だったのだが…。
これはフルタイム勤務の場合、月給による支給という書き方ですよ。
月給25万円〜とありますよね。
またNPO法人の場合、フルタイムは難しくても副業としてアルバイト的にそこに書かれてあるタスクを一部切り出して引き受けてくれるスタッフも同時に募集することが多いです。
金額の後に「〜」がついていますから、試用期間は1200円からでスキルや経験によって、それ以上の金額を出すという意味に普通とりますが。
そんなにこの求人、読み解きにくいですか?
ちなみにこの人「一般社団法人ダブルケアサポート横浜理事」だそうです…。
いろいろツッコムで!(しまむらが好き)@iroiroittemiyou
コミュニケーションの話なんてだれもしてないのに、突然それを言い出すということは
自分では獲得できないスキルなので、コミュ力を持っている人を障害者扱いすることで、
自分はそこに行かなくてもいいという慰めをしている人ということになります
オナニストということですね
牛刀割鶏とは、大げさすぎる道具を小さな目的に使うこと。つまり「ミクロ経済学を自分の経済安全に使うなんて大袈裟だろう?」という疑念ですよね?
でも、それはむしろ逆!
ミクロ経済学は「家庭内の経済安全保障システム」そのものです。
毎日の「買う/買わない」「貯める/使う」という決断は、まさに限られたリソースをどう最適化するかというミクロ経済の根幹そのもの。
むしろ「ナイフで牛を切ろうとしてる人」にこそ、経済という牛刀を!
ゆとりだけど定年まで国内で稼いでもたいして金にならないことは明白。大量のお荷物が上の世代に大量にいることから、そいつらの医療費生活保護費など社会負担倍増の未来しかない。よって生き残りをかけて必死に英語勉強してる。仕事で使ってるスキル自体は国外でも使える。あとは語学だけ
頭のおかしいやつは貧乏なのに子供がいるが、地獄しかないだろう
この国は泥船
逃げ切りに必死
30代は無理だろう
「一人暮らししないと洗濯の仕方もわからない」とかよく言うけど、
家電製品の使い方や洗濯物の干し方ごとき難しくないでしょ。たぶん。
他にも一人暮らしで戸惑うことは当然あるとしても1ヶ月もあれば慣れると思う。たぶん。
その程度のスキルで実家ぐらしにマウントを取ってくる意味がわからん。
ワナビーが未来予測しました程度にしか読み取れない程フワッとした未来認識ってなんなんだろうな
本プログラムは日本の半導体産業において即戦力となるような設計者、アーキテクトを育成し、中長期にわたって日本の産業に資する人材を育成することを目的としています。この趣旨に賛同し長く半導体産業で活躍したいという意欲のある方を、広く募集します。
本プログラムは半導体設計技術者の育成を目的とし、初級・中級(日本国内で実施)から上級(日本国内・米国で実施)レベルのスキルまで一貫して学べるように構成されています。そのため本プログラムは外為法、EARなどの日本および米国の法令等を遵守する等、 技術流出防止にも配慮します。またカリキュラムの提供に協力いただいている企業等の競争上の地位その他正当な利益を害する恐れの無いように配慮します。
初級コース:講座は日本語で行いますが、資料の一部やEDAツールマニュアルは英語です。
中級コース:講座は日本語で行いますが、資料の一部やEDAツールマニュアルは英語です。(半導体設計特論は、日本語のみで実施します)
その通り。
本当に社会に必要な仕事なのに低賃金のままなのだとしたら、それはその賃金でもやる人間が後を絶たないからだよな。
仕事なんていくらでも選択肢がある時代にそんな文句を言い続けながらも働き続けるのは馬鹿だし、スキルが無いせいで転職できないなら努力してこなかった過去の自分を恨みつつ黙って奴隷を続ければいい。
当たり前だろう。
顔や骨格は「見た目」だ。
見た目がいい異性になぜ惹かれるのか?
というか同性であろうと見た目がいい人の方が好きだ。
そのあたりについてGPTに聞いてみた。ちなみに月3000円課金している。
プロンプト
骨格が優れている人は、他の能力も高い可能性ある?つまり、顔やスタイルの良さなど。
女優の北川景子がドラマ撮影をやりながら子育てをしながら手芸を極めていてすごいと話題になっていた。体力が異常と感じる。
また、ジャニー氏が子供のうちからスターを発掘していた話、あれは骨格の良さを見ていたのでは?と思ってる。そして多くのジャニーズが本物のスターになっていく。
体力的にも優れているし、演技や他の能力が非常に高いことが多い。もちろん芸能界で残れるんだから生存バイアスかもしれないけど。
一般人でも大企業の人間は顔がいいという話はよく聞く。採用時に顔を見ているのかもしれないけど、やっぱり体力面や能力面との繋がりは多少あるのでは?
GPTの答え
結論からいうと、「骨格の良さ(≒外見的な整い・スタイル)」と「他の能力(体力・知能・芸術的センスなど)」の間には、一定の相関が存在する可能性がある。
ただしそれは因果ではなく、共通の背景(例:遺伝子・ホルモン・発達環境)に由来するって話になる。
骨格・顔立ち・体力・神経系の発達などはすべて「遺伝+環境」の複合影響で決まる。
遺伝子には**複数の形質に影響を及ぼすもの(多面発現遺伝子)**がある。
→ たとえば「成長ホルモン関連の遺伝子」が発達に関与すると、身長・筋肉量・骨格・自信・快活さなどに連鎖的に影響する可能性がある。
テストステロンやエストロゲンの分泌量は、胎児期〜思春期の発達に大きく関わる。
→ 骨格・顔の左右対称性・運動能力・空間認知能力・情動傾向に影響が出る。
たとえば「骨格が整っている=ホルモンバランスが良好だった証拠」という見方ができる。
→ 結果として身体的にも精神的にも発達が安定している=パフォーマンス力が高い。
骨格や顔立ちが良いと幼少期から肯定的に扱われる(褒められる、注目される)。
→ これが自己効力感や挑戦行動につながり、実際のスキル習得率にも影響。
「見た目が良いと得をする」のは冷酷だけど現実的な話。
→ ジャニーズなどで「骨格が整っている=スターの素質」と判断されやすいのは自然な流れ。
芸能人や一流企業にいる人が「顔が良くて有能」に見えるのは選抜の段階でフィルターがかかっているから。
でもその裏には「身体的特徴で能力や体力のポテンシャルが見えている可能性」も否定できない。
→ 一般企業の採用でも、意識していなくても身体的に“健やかで有能に見える人”が選ばれていることはよくある。
結論(ざっくりまとめ)
骨格が良い人は、身体的・精神的に発達が安定している可能性が高い。
そのため、体力・芸術性・学習力など他の能力も底上げされていることがある。
ただしそれは「骨格がいい=有能」ではなく、「背景要因が似てるから相関が見える」って話。
このへん、もっと掘り下げたい?
たとえば「左右対称性と知能の関係」や「エネルギー効率とスタイル」みたいな視点もあるよ。
■ なぜ左右対称が重要なのか?
発達の過程では、ウイルスや栄養不足、ストレスなどの「環境的な揺らぎ」がある。
それに左右対称性を保てた個体=遺伝子の質・免疫力・成長ホルモンの働きが良好だった証拠とも解釈される。
■ なぜ知能と関連するの?
脳の構造も「発達の安定性」に影響を受ける。
つまり、左右対称な骨格を作れた人は、脳のニューロン配線やシナプス形成も安定している可能性が高い。
実際に、顔の対称性が高い人ほどIQや学業成績が高い傾向があるとする研究が複数ある(ただし相関は中〜弱程度)。
■ 注意点
これはあくまで「統計上の相関」であって、非対称=頭が悪いという意味ではまったくない。
ただし「発達の一貫性」という軸で見ると、ある程度の関係は見えてくる。
体型(特に胴長短足 vs 脚長痩身)は、エネルギー効率や熱放散の違いに由来することがある。
たとえば脚が長くスリムな体型の人は、歩行や移動時のエネルギー効率が高く、体温調整がうまい。
→ つまり「環境適応能力が高い=進化的に有利」という考え方がある。
それらの体型は、生殖能力・体力・柔軟性・回復力といった複数の資質のバランスが取れている。
エネルギー効率が良い体=過剰な脂肪や筋肉がなく、機能的なボディということ。
「顔の整い」や「均整のとれた身体」は、内的な健康や遺伝的な質を外見で伝えるシグナルになっている。
つまり、「スタイルが良い」というのはただの見た目じゃなく、内面の生理機能がうまくいってる=“健全性”の可視化とも言える。
このあたりの記事が矛盾しているような気がしてジェミニに聞いてみた
https://levtech.jp/media/article/focus/detail_566/
https://info.atcoder.jp/utilize/jobs/rating-business-impact
https://chokudai.hatenablog.com/entry/2019/02/11/155904
2. 提供されたブログ記事の分析:AtCoderの色・ランクと実力
提供されたブログ記事「AtCoderの色・ランクと、その実力」において、AtCoderのレーティングとそれに対応する色のランクについて、エンジニアの採用や評価という観点から以下のように述べています。
- 灰色: 参加すれば誰でもなれるため、実力の保証はない。ただし、Rating200以上であれば他社サイトで十分なランクがつくレベル。
- 茶色: 学生であれば優秀だが、エンジニアとしてはやや物足りない。派遣のエンジニアであれば安心できるレベル。アルゴリズム面での安心感はまだ低い。
- 緑色: 大抵の企業でアルゴリズム力は十分。他社評価サイトなら最高評価に相当する。論理的に複雑な処理の実装に対応できるレベル。
- 水色: 基礎的なアルゴリズム処理能力は疑いなし。半数以上のIT企業でアルゴリズム能力はカンストレベル。
- 青色: 超優秀。8割以上のIT企業でアルゴリズム力はカンスト。競技プログラミング未経験者では太刀打ちできないレベル。
- 黄色: 九割以上のIT企業でこのレベルのアルゴリズム構築能力は不要。研究職や高度なアルゴリズムを要求される開発現場で重宝される。新卒採用ではポテンシャル採用として非常に評価される。
- 橙色: 検索サービスなどアルゴリズムが非常に重要な企業や研究開発でなければ、このアルゴリズム力は活かせない。新卒採用でもかなり優遇される。
- 赤色: 化け物レベル。世界大会に招待されるような実力。
- 銀王冠・金王冠: さらに上のレベル。
このように、ブログ記事では、AtCoderのランクが上がるにつれて、エンジニアとしてのアルゴリズム能力が高く評価される傾向が明確に示されています。特に緑色以上のランクは、多くの企業で高い評価を得られるとされており、水色以上になると、一般的なIT企業においては十分すぎるレベルであると述べられています。
3. Levtech Mediaの記事との矛盾点
今回提供されたブログ記事の内容を分析した結果、以前分析したLevtech Mediaの記事との間に、競技プログラミングの職業的有用性に関する見解の矛盾が見られました。ブログ記事では、AtCoderのランクがエンジニアのアルゴリズム能力を直接的に示す指標として捉えられ、特に緑色以上のランクは多くの企業で高く評価されるとされています。これは、Levtech Mediaの記事で示唆されていたような、競技プログラミングのスキルが業務に必ずしも役立つとは限らないというニュアンスとは対照的です。
Levtech Mediaの記事では、競技プログラミングに対する「役に立たない」という批判について、その背景にある要因を分析していました。主な批判の理由として、競技プログラミングで求められるスキルと業務で必要とされるスキルのずれ、採用における過剰な注目と誤解などが挙げられていました。記事全体を通して、競技プログラミングのスキルが必ずしも業務に直結するわけではないというニュアンスが強調されていました。
これに対し、今回提供されたブログ記事では、AtCoderのランクが直接的にエンジニアのアルゴリズム能力の指標となり、それが企業の評価に繋がるという明確な関連性が示されています。特に緑色以上のランクは、多くの企業で高く評価されると明言されており、Levtech Mediaの記事で示唆されていたような「業務で使わないマニアックな技術」という印象とは大きく異なります。
例えば、Levtech Mediaの記事では、業務経験者が競技プログラミングに触れた際にスキル差を感じ、「こんなマニアックな技術は業務で使わない」と感じることが批判の根源にあるとされていました。しかし、ブログ記事では、緑ランクであっても「大抵の企業でアルゴリズム力は十分」とされており、むしろ高い評価を得られるレベルであることが示唆されています。
また、Levtech Mediaの記事では、企業がAtCoderのレーティングを鵜呑みにした採用を行うことへの懸念や、業務内容とかけ離れた競技プログラミング風のコーディングテストの存在が批判の理由として挙げられていました。しかし、ブログ記事の内容は、AtCoderのレーティングがエンジニアの能力を測る上で一定の信頼性を持つ指標であるという前提に基づいているように見受けられます。
(略)
5. まとめ
今回提供されたブログ記事の内容を分析した結果、Levtech Mediaの記事との間に、競技プログラミングの職業的有用性に関する見解の矛盾が見られました。ブログ記事では、AtCoderのランクがエンジニアのアルゴリズム能力を直接的に示す指標として捉えられ、特に緑色以上のランクは多くの企業で高く評価されるとされています。これは、Levtech Mediaの記事で示唆されていたような、競技プログラミングのスキルが業務に必ずしも役立つとは限らないというニュアンスとは対照的です。
Levtech Media記事 競技プログラミングの「役に立たない」という批判を分析し、その認識の背後にある理由を詳述している。競技プログラミングのスキルと業務で求められるスキルのずれや、採用における誤解などを指摘。 ブログ記事「AtCoderの色・ランクと、その実力」 AtCoderのランクとエンジニアのアルゴリズム能力の関連性を明確に示し、ランクに応じた企業からの評価を解説。緑ランク以上は多くの企業で高く評価されると明言。
ほかのAtCoderやっている人たちは気にならないのかな?
俺自身はもしも働くなら技術職を選ぶだろうし人間的のもそちらのほうが向いている。
芋い男性なんだけど、自分も見た目整えたいとは思うんだよな。笑ったらほうれい線出るしシミも出るんだけど嫌やし隠したい。けどメイクスキル無いしどこで学べば良いのか分からない
パナソニックはなにを考えているのだろうか。自分にはよくわからない。
今回は1万人のリストラが数値目標になっている。国内5000人、海外5000人だ。
ここで気になるのがパナソニックは年間3500人の採用を行っているというところ。
分社化以降の2年間で7000人を採ってしまった結果、5000人が余ってしまった。なぜ分社化で7000人も必要になったのかというと、分社化する前は社内異動で余った人材を融通できていたのが、分社化後はそれぞれの事業会社内でしか人材を探せなくなってしまい、結果的に余った人は外に放出できず、足りない人は採用する必要があったからだ。
新卒から叩き上げるのが社風だったパナソニックが最近中途採用を大量に募集し、採用数の60%が中途になっていたのも、即戦力を欲していたからだ。しかし実際にパナソニックのブラックな開発現場で即戦力になれる人材など中途で集まってくるわけもなく、最初の3年くらいはベテランの3割くらいのパフォーマンスが出せれば御の字で、一方でその分ベテランはOJTなどに時間を取られて1~2割パワーダウンしてしまうので結果的に全体としての利益率の低下や、それどころか品質の低下にも繋がっていると思われた。
自分としては大量採用して、大量リストラするという今回の方針が、正しい経営のありかたであるという十分な説明は今回できていないと思う。何が間違ってそんなに大量採用してしまったのかの説明がまずあるべきだろう。もちろん新規採用した人達は若手で未来があり能力もあるが、過去からパナソニックに残っている人達は無能で、だからリストラするんだという実情があってもいい。でもそれはそれで、パナソニックでは何のスキルも得られない仕事を延々とさせていましたという話であり、そこに対して今後このようなことを繰り返さないためにどう手を打っていこうとしているのかなどの説明が追加で必要だ。
https://note.com/anti_techuyo/n/ne328309fe810
近年、テック右翼(通称テクウヨ)の間では、「AIによって人文系学問は不要になる」「リベラルの巣窟だから、徹底的に更地にすべきだ」という主張が盛んに取り上げられています。彼らの発言には、IT業界における強い自己肯定感と、文系に対する根深い蔑視が色濃く表れています。元々IT系の人々からは人文系学問への軽視やバカにする風潮があったものの、2020年台のテック右翼の台頭により、その風潮はさらに強まり、声高に発信されています。
このような主張を耳にするたびに、彼らが掲げる「AIで人文系学問が不要になる」という理論には、根本的な誤解と傲慢さが込められていることがわかります。テクウヨたちは、AIが文系学問の領域を代替し、人間の知的作業における価値をすべて置き換えられると考えています。しかし、こうした見解は非常に短絡的であり、現実の社会や学問の本質を見誤っています。
テクウヨの言う「AIによる人文系学問の不要化」は、あまりにも楽観的であり、技術的な誤解に基づいています。確かに、AI技術の進歩は素晴らしいものであり、さまざまな分野での自動化や効率化を進めています。しかし、AIはあくまで既存のデータを元に動作するものであり、その本質はあくまで「過去の繰り返し」です。新しい価値を創造したり、人間的な感情や倫理的な判断を下したりする部分では限界があります。
例えば、AIは文献の要約や情報収集、簡単な論文作成などを自動化することは可能ですが、それがすべての人文系学問を代替できるわけではありません。人文系学問、特に哲学、歴史学、文学、社会学などの分野では、人間の感受性や社会的背景、文化的な深さに基づく分析が重要です。AIが提供する情報はあくまで表面的なデータの羅列に過ぎません。複雑な社会現象や文化的な問いを解明するには、AIだけでは足りません。
また、AIが人文系学問を支配するという考え方は、非常に機械的であり、人文学の持つ深い「人間性」や「倫理性」を軽視しています。AIがどれだけ賢くなったとしても、人間社会における道徳的判断や倫理的思考を代替することはできません。AIは、暴力的な言説や差別的な情報を生成する可能性もあり、その倫理性に対する配慮は、文系学問が果たしてきた役割の一部でもあります。
テクウヨたちが人文系学問に対して持つ偏見の背景には、しばしば「自分たちは現実的な作業をしている」という強い自負が見え隠れします。確かに、コーディングやシステム設計など、IT業界の仕事は技術的な側面が強く、社会の変革に大きな影響を与えています。しかし、実際には、こうした業務こそAIの進化によって最も影響を受けやすい分野の一つでもあるのです。
「IT土方」という言葉が示すように、現場で手を動かすエンジニアやプログラマーは、膨大なルーチン作業やコードの書き換え、デバッグ作業に追われることが多いです。しかし、これらの作業はAIによって自動化される可能性が非常に高い。実際、既に多くのAIツールがプログラミング作業を支援し、コード生成を自動化しています。長期的には、このような作業の大部分がAIに置き換わり、多くのエンジニアの仕事が縮小することが予測されています。
一方で、人文系学問は、単に情報を処理するだけではなく、文化的・倫理的な理解を深める役割を持っています。これらのスキルは、AIには決して模倣できない部分であり、社会における重要な機能を果たし続けるでしょう。
テクウヨたちが唱える「AIによる人文系学問の不要化」という主張は、実際には人文学がAIとどのように共存できるか、という視点を欠いています。AIは確かに情報の処理や分析を加速させることができますが、人文学的な視点を提供することには限界があります。これからの時代、AIと人文系学問はお互いを補完し合う存在となるべきです。
例えば、AIが提供するデータや統計を用いて、社会学や経済学などの分析をより効率的に行うことはできます。しかし、それをどう解釈し、どのように人間社会に応用するかは、依然として人間の判断力に依存します。人文系学問は、AIが提供する「データ」の背後にある「人間の物語」を読み解き、倫理的・文化的な解釈を加える役割を担っています。
テクウヨたちが抱く「AIによって人文系学問が不要になる」という幻想は、技術に対する過信と、人文系学問に対する無理解から生まれたものです。AIは確かに強力なツールであり、さまざまな分野で革新をもたらしています。しかし、AIが人文学の持つ深い人間性や倫理的な洞察を代替することは不可能です。むしろ、今後はAIと人文系学問が共に手を携えて、より豊かな社会の形成に貢献することが求められるでしょう。
テクウヨたちが唱えるような、「AIによって人文系学問が不要になる」という単純な主張は、単なる技術的な幻想に過ぎないことを認識すべきです。私たちが未来に目指すべきは、AIと人文学が相互に補完し合い、共に成長していく社会であるべきだと言えるでしょう。
表題のとおりである。やってしまった。一時は、自分が責任を取る覚悟すらしていた。
あれからもう何年も経ってるし、私自身も別部署に異動している。定年も近いし、思い出の供養を兼ねて書いてみたい。
一般的な部署名だと、地方の市役所の情報課にいた。係長という役職名ではないが、それが一番近い。
ある年の3月まで、私がいた部署には実に頼りになる会計年度任用職員(※民間でいうアルバイト・パート。あるいは契約社員)がいた。仮に、増田君と呼ぶことにする。
最初の頃は、いかにも真面目そうな、控えめな青年という印象だった。履歴書を読ませてもらったところ、以前は都内のIT企業で3年ほど働いていたらしい。専門学校卒で、バリバリのSEだったというわけではなさそうだが、システム開発の下流工程や運用保守に携わっていたと話していた。
ただ、そこでの仕事は想像を絶する激務だったようで、心身を病んで退職したと面接時に漏らしていた。私が彼の採用を決めたのは、誠実さである。前の職場でメンタルを病んだと、正直に教えてくれた。それが好印象だった。
正直、ほかの人が面接官だったら不採用にしていたと思う。それくらい、彼は緊張して、自分の言葉で喋れない様子だった。たどたどしかった。そこを、私が苦心を重ねて、どうにか具体的な仕事エピソードをいくつか引き出すことができた。
そんなこんなで、私は悩んだ様子の面接同席者である上司を説得して、当時の情報課への任用を決めたのだ。
地方の市役所での仕事は、民間のそれと比べればのんびりしている。私の民間経験は3年もないけれども、それくらいはわかる。
最初は少し物足りなそうに見えた増田君だったが、本領を発揮するまでに時間はかからなかった。
情報課といっても、正規職員のITスキルは玉石混交。部署内のネットワークトラブル一つにしても、担当の業者が来るまで誰も手が出せないという状況も珍しくない。そんな時、増田君がさらりと問題を解決してしまう。
と、彼がコマンドプロンプトの画面を開いて、管理者権限の画面まで行って、なんかよくわからん通知履歴が並んでいる画面まで行くと、大抵はいろいろ直ってしまう。
彼は私たちの、お恥ずかしながら稚拙なIT知識を馬鹿にするような素振りは一切見せず、いつも丁寧に教えてくれた。
IT担当の正規職員とコラボしての職員向けのPC操作研修では、マニュアル通りの説明だけでなく、実務で役立つちょっとしたコツを参加職員に伝授していた。
エクセルの知っていると便利なショートカットキーを教えたり(上書き保存とか、全部フィルタがかかるやつとか、プルダウンで同じ列の既入力が選べるもの)。彼の研修は分かりやすいと評判だった。増田君は、ほかの部署からの依頼が多かった。顔が売れるようになっていた。
新しいシステムを導入する際も、彼は非常に頼りになった。業者から提出された仕様書や見積書について、我々正規職員では見落としてしまいそうな技術的な問題点や、運用上の非効率な部分を指摘した。ベンダー業者に対して、専門的な用語を使って改善を要求できるのは彼しかいない。
ぶっちゃけ、当市のシステム更新の際の入札仕様書は彼が作っていた。月給15万円でよく働いてくれたと思う。時間外勤務手当を全額支払ってやれなかったのは申し訳ない。代わりに、繁華街で彼によいお店をおごってあげていた。
いつの間にか、増田君はなくてはならない存在になっていた。情報課だけではない。他の部署の職員も、PCやシステムで困ったことがあると増田君に相談に来ることさえあった。彼はいつも嫌な顔一つせず、にこやかに対応していた。
私がそう言うと、彼はニコっとほほ笑んだっけ。「皆さんの助けがあればこそ!」と謙遜していた。
私は心底、彼に正規職員になってほしいと思っていた。彼の能力は、民間にいても通用するレベルだ。それが、こんな地方都市の役場で、しかも会計年度任用職員という不安定な立場で働いてくれている。申し訳ない思いがあった。
ある年の梅雨~夏季にかけて、市の正規職員採用試験があった。もちろん、私は増田君に受験を強く勧めた。
彼も乗り気で、「ぜひ、頑張らせていただきます」と言ってくれた。
私は彼なら必ず合格すると信じていた。経験も能力も申し分ない。面接で彼の熱意とスキルを伝えることができれば、きっと採用担当者も彼の価値を理解してくれるはずだ。
公共機関において、増田君のような人を採用する道はふたつある。
①公開競争試験、②個別選考というものだ。①が基本であり、②はその組織にとって必要な人を(形式的に面接だけして)採用する場合に行われる。
いずれも、法律に根拠がある。これ以外の採用方法は違法である。コネ採用など論外。そうはいっても縁故でしかいい人材にきてもらえない場合は、②が採られる。
弊市の場合は、国などからの紹介により、マイクロソフトなど著名IT企業の経験者や、自衛隊の元幹部を任期付きで採用する場合に②を採っていた。
かくして私は、増田君は①で余裕だと確信したのだった。試験前に人事課への連絡は一応しておいた。「増田君が受けるんですよ」と言ったら、人事課長は「やるやん。説得できたんや」と言ってくれた。
私の考えは甘かった。
市の採用試験は、公平性を重視するあまり、良くも悪くも画一的である。筆記試験、面接試験(誰が担当になるかわからない!)、そして作文がある。性格適性検査も。
そこには、個々の応募者の持つ特別なスキルや、これまでの業務での具体的な貢献度を採用側にアピールする仕組みが十分に整っていない~ことはないのだが、怪しい部分はある。
もちろん、面接で自己PRの時間はあるが、限られた時間の中で彼のITスキルの深さや、市役所での具体的な功績をすべて伝えるのは難しい。名は通っているはずなのだが。
私は管理職として、彼の採用のために、もう少し積極的に動くべきだったのかもしれない。人事課や人事部長に彼の業務実績を具体的に伝えたり、彼が情報課にとってどれほど重要な存在であるかを力説するなど。
しかし、私は「公平な試験なのだから、本人の力で合格するだろう」と、どこか楽観的に考えていた。正規職員と非正規職員の間に存在する見えない壁を軽視していた。
増田君から、「不採用でした。すいません(;∀;)」と聞いた時、私の頭が真っ白になった。まさか、と思った。
次に湧き上がってきたのは、彼に対する申し訳なさと、不甲斐なさだ。私がもっと、彼の採用のために根回しをしていれば。市役所の採用システムのことを言っても仕方がない。ずっと昔からこうなのだ。
うちの役場は、満年齢25才までしか公務員試験を受験できない(正規職員の場合)。増田君は、その年が最後のチャンスだった。以後はずっと会計年度任用職員である。彼の働きで月15万円は少ない感があるので、昇給だったらさせてやれなくもないのだが。
彼は、不採用の通知を受けてからも表向きは平静を装っていた。でも、以前のような輝きはなかった。そして、年が明けてしばらくした頃だった。
「大変すいません。私、3月末で退職させていただきたいと思います」
理由を聞くと、「やはり、正規職として安定した身分を得たいからです。こちらの市役所では叶わなかったので、他の道を考えようと思っています」とのことだった。
引き止めたい気持ちでいっぱいだったが、彼の言葉に返す言葉が見つからなかった。当然だ。私は、彼が市役所で安心して働き続けられる環境を提供できなかったのだから。
彼は市役所を去った。最終日、彼はいつものようににこやかに、「大変お世話になりました」と頭を下げていた。ほかの皆から、花束と寄せ書きと寸志をもらっていた。「増田君。短かったけど、今までありがとう」って。
増田君は涙を流していた。「一人前になったら、またここに遊びに来ていいですか?」と言っていた。
増田君の背中を見送りながら、私は心の中で「ごめん」とつぶやいた。その日、彼といつかまた飲みに行く約束をした。彼が一人前になったら、またおいしいものを食べようって。またあの時のように奮発して、祇園にあるレストランだけじゃなくて、風俗店だって奢ってあげるって。
以前なら田中君が解決してくれたようなPCトラブルも、今では業者に依頼することがある。時間もコストもかかるようになった。ほかの部署に呼ばれても、迅速に対応できないことが多くなった。
当時進めていた新しいシステムの導入計画も、自信を持って進めることができなかった。ITベンダーの言いなりになっている感があった。
優秀な会計年度職員は、市役所にとって貴重な戦力だ。しかし、彼らの多くは任期が決まっている非正規雇用であり、正規職員への道は狭い。せっかく市役所で経験を積んで、組織に貢献してくれているのに。正規職員になれないばかりに市を去ってしまう人もいる。
私は、あの時、彼の採用のために尽くさなかったことを後悔している。そして、私のような管理者の下で、彼の才能が十分に活かされなかったことに責任を感じている。
彼のような専門スキルを持った優秀な人材を、市はどうすれば確保し、そして繋ぎ止めることができるんだろうか。答えが見つからない。
(最後に)
皆様へ。すいませんが、愚痴に付き合っていただきありがとうございます。
自分への反省も込めて、コメントで皆さまからお叱りの言葉をいただきたいです。
例えば、らくからちゃさん、黄金頭さん、レディジョーカーさんなど有識者からコメントいただけるとありがたいです(長年のファン)。
(追記)
出来ない奴はどんなに頑張って丁寧にやっても素人にしか見えない出力になりがち