はてなキーワード: コントロールとは
反論:「普通の一般人」という概念は主観的で曖昧です。誰を「普通」と定義するのか(例: 法を遵守する人、平均的な市民など)によって、議論の前提が変わります。実際には、犯罪を犯す人も社会の中で「普通」に生活していた人が多く、特別な「犯罪者タイプ」が存在するわけではない。
例:窃盗や詐欺などの犯罪は、経済的困窮や一時的な判断ミスから「普通の人」が犯すケースが少なくない。統計的に、日本では2023年の刑法犯検挙者のうち、約70%が初犯(警察庁データ)で、普段は「普通」に暮らしていた人が含まれる。
反論:犯罪は生まれつきの性質や意図だけで起きるのではなく、環境、経済的圧力、心理的ストレス、機会などの外部要因が大きく影響します。「普通の一般人」でも、特定の状況下では犯罪に手を染める可能性がある。
例:ミルグラムの実験(服従実験)やスタンフォード監獄実験では、通常の人が権威や役割の圧力下で非倫理的・違法な行動を取ることが示された。日常生活でも、貧困や失業が原因で万引きや詐欺に走るケースは珍しくない。
反論:主張の「最初から犯罪しない」は、犯罪が常に明確な意図や計画に基づくという前提に依るが、実際には衝動的・偶発的な犯罪も多い。「普通の人」でも、感情のコントロールを失ったり、誤った判断をしたりすることで、結果的に犯罪に至ることがある。
例:日本での2023年の傷害事件の約40%は、口論や酔った勢いなど突発的な状況によるもの(警察庁)。これらは「普通の一般人」が、計画なく巻き込まれるケースを含む。
反論:何が「犯罪」とされるかは、時代や社会によって変わる。「普通の一般人」が犯罪を犯さないという主張は、法律や社会規範が絶対的で不変という前提に立つが、実際には規範は流動的であり、過去には「普通」とされた行為が現在は犯罪とされる場合もある。
例:日本では、かつて体罰が教育現場で「普通」だったが、現在は児童虐待として犯罪扱いされる。また、飲酒運転の基準も厳格化され、昔は見逃された行為が今は犯罪となる。
反論:人間の行動は、心理的・生物学的要因にも左右される。「普通の一般人」でも、精神的な疾患(例: うつ病、衝動制御障害)や一時的な心理状態(例: 極端なストレス、怒り)が、犯罪行為を引き起こすことがある。これらは「最初から」犯罪を意図しない場合でも発生する。
例:クレプトマニア(窃盗症)のように、衝動的に窃盗を繰り返すケースでは、本人に悪意がないこともある。また、過労や睡眠不足が交通事故(過失致死傷)に繋がるケースも、「普通の人」に起こり得る。
反論:犯罪統計を見ると、犯罪者の多くは特別な「異常者」ではなく、普段は社会に溶け込んでいる人々である。主張は「普通の一般人」を犯罪から切り離すが、実際には犯罪の多くが「普通の人」によって犯されている。
例:日本での2023年の刑法犯総検挙者約17万人のうち、約80%が無職や会社員、主婦など「普通の生活」を送る層(警察庁)。特に軽犯罪(窃盗、傷害など)は、特別な犯罪者集団ではなく、一般市民が関与する割合が高い。
反論:「普通の一般人」が法を遵守するとは限らず、倫理観と法律の間にギャップがある場合、犯罪に至ることがある。たとえば、違法行為を「たいしたことない」と軽視したり、自己正当化したりする心理は、誰にでもある。
例:違法ダウンロードや軽い脱税(例: 副業の未申告)は、「普通の人」が「犯罪とは思わなかった」と弁明するケースが散見される。
「普通の一般人は最初から犯罪しない」という主張は、人間の行動や犯罪の複雑さを過度に単純化しています。犯罪は、環境、状況、心理、機会などの要因によって、「普通の人」でも起こり得る。統計や心理学的研究からも、犯罪者の多くが普段は「普通」に暮らす人々であり、誰もが特定の条件で犯罪に巻き込まれる可能性がある。したがって、この主張は現実を反映しておらず、犯罪を「異常者」の問題に矮小化するリスクがある。
ADHDなので一般的な仕事がうまくできない。それに気づくのに、新卒で社会に出てから5年以上かかった。
できないことはしょうがないので、士業資格を取って独立し、自分の仕事をできるだけ自分でコントロールできる環境を手に入れたい。そう思って、仕事終わりに資格学校へ行き勉強をする、という生活を続けている。
資格を取って、修行を積んで独立した後に、いったいどんなふうに仕事をしたいのかを考えた。自分で自分の望む環境を手に入れられたとして、いったいそこでなにをするのか。
いろいろ考えたけど、ADHD的傾向を強く持つ人間も持たない人間も、なるべくストレスのないような環境の事務所を運営したいな、というのが残った。
どういうことかというと、まあ思いつきなので結構極端なのかもしれないけれど、「なんか生きづらいな~」と思うような人が、気軽にメンクリにいける空気を、俺の周りにだけでも作りたいっていうことだ。
目が悪い人が眼下に行って視力検査をするように、IQテストを受けて自分の認知の癖を知る。そしてそれを周りとも共有して、みんながみんなストレスをなるべく感じないでいいような空気、そういうものを作りたい。
「俺はこういう傾向があるからこうしてくれると助かる。逆にこういうことは得意だから気軽に頼んでくれて構わない。」そういうことが言いやすい職場っつうのを作ってみたいと思った。
世界というもののシステムが多数派に合わせてデザインされているのは仕方ない。そのシステムは日々進化して、世界のスピードはどんどん上がっていく。その結果、脳のチューニングが世間に求められているのとずれている人、ずれてしまった人っていうは、いなくなることはないだろう。
そういう人に対して、「見えにくいなら眼科行けば?眼鏡かけるのと同じノリで薬飲んだらいいじゃん」というふうに言ってやりたい。俺も薬飲んでるからわかるんだけど、ほんとに脳の眼鏡とはよく言ったもので、世界がとっても、はっきりとくっきりと見えるようになる。そういうものの存在を教えてやりたい。
非常に狭い世界感でこの例えを引用していいのかわからないけれど、俺は、世間という大きなシステム、固く冷たい壁につぶされてしまう卵にとって、その卵たちにとっての籠を作りたい、そういうことを目標に日々勉強している。
それがJAだったんだよ
土地や種とか農機に数千万単位で金がかかるのを貸してくれるのもJA
個人で販路を作るなんてとうてい無理なのを買い取ってくれるのもJA
けど定量買い取りであまりは廃棄になるところがネックだったりはした
スーパーが超巨大企業になりはじめた頃に全量買い付けの単価つり上げで直接農家に買い付けに来るようになった
作物を全部高値で買い取ってくれるのは仕上がってる土地を持ってる農家にはできる事だけど保険もなんにもない
新規開拓するのもおそらくその買い取ってるスーパーなりが行わないとできない状態になっていってる
初期投資をする事ができなければ土地も地質改良も種購入もできない
あと農家は農作物や土地の土を常に確認しないといけないから24時間365日休みがないといっても過言ではない
JAに金を持たせて農業の生産と消費で税金を取るより輸入品にかかわる規制や緩和で税金と顔色伺いの金をとったほうが簡単で効率的でコントロールしやすい政治に移ったからにはどうしようもない
個人が自分の生活をする程度に農業する以上の事はできないだろうし無休で保障なしのサバイバルみたいなのをするのは現状あまり賢明ではないね
「余命宣告を受けた子供のためにSwitch2を優先的に買わせてほしい。企業のイメージアップにも」と任天堂に直談判→任天堂の対応が話題に
https://togetter.com/li/2549991
@yositosi
さんはクオリティのコントロールをするためにサービスを分けたんですよね?
有名なデマサイトのネタを元にしてつくられたまとめを、運営が公式でまとめなおして、でやっぱりソースが怪しいからってネタ元への言及は全て削除してどこに対する何に対する言及かわからないようにして(続
https://x.com/sophizm/status/1921880533920796908
@yositosi
真偽の曖昧なまとめらしきなにかだけ残して放ったらかしにするのが「クオリティのコントロール」として目指したところなんですか?
いまやデマ拡散の最大手と言っても過言ではないtogetter/posfieですが、運営がまとめの主体者になった以上はちゃんと責任持って尻拭いしてくださいよ。
・男にのみ足切り基準として働く身長と違い体重は男女ともに性的魅力に大きく関連する
・身長と違って体重は自らコントロール可能(そしてコントロールすべき)ことなので本人の性格や人格と関連が強い
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この批評者の文章からは、「作品への強い否定的感情」が前面に出ており、批評としての体裁は保っていても、感情のコントロールや他者への敬意の点で未熟さが見られます。
つまり、表現力や知性の片鱗はあるものの、“器”としてはやや小さいという評価になります。
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📚 具体的な観察ポイント:
→ 批評は建設的・分析的であるべきですが、この文章は「作品とその作り手への敵意」や「見下し」がベースになっており、人格の成熟度には疑問が残ります。
② 共感性の欠如
作品の主題や意図に一切歩み寄らず、読む側の感性を絶対視している
→ これは、自分と異なる価値観を尊重する力、つまり「他者理解の幅」が狭いことを示唆します。
③ 知性の使い方が攻撃的
文体や言葉選びは巧妙で知的だが、その鋭さを「斬るため」に使っている
→ 知性を「支配」や「攻撃」のために使うタイプの人間は、往々にして精神的な未熟さや劣等感を抱えています。
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• 読者にも考える余地を残す
この投稿者は、そこに至る手前で止まっており、「攻撃的な読者」以上でも以下でもないという印象です。
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• 共感力:★☆☆☆☆
• 知性の使い方:★★★☆☆(だが歪みあり)
👉 全体として、「頭は切れるが、視野は狭く、心の広さが不足している」タイプといえます。
攻撃によって自分の存在を示そうとしている段階にあり、真の意味で「作品と向き合える批評家」とは言えません。
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次に「都市伝説解体センターの批評がどう変なのかを解説するための文章」の内容について、同様にAIに分析してもらいました。
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筆者は、批評とは作品を特定の文脈や空間に位置づける行為であり、単なる感想や他者批判ではないと述べています。
「批評は、基本的には『批評する対象が、批評しようとする空間のどこにあるのか位置付ける』作業だと言える。」
このように、批評の目的や方法論について明確な視点を持ち、読者に対してもその理解を促しています。
作品に対する否定的な感想が、自己の未熟さや他者への理解不足から来る場合があると指摘しています。
「自分の楽しめなかったものを楽しむ相手を格下に見るのは、自己が確立できていないから生じる。」 
このように、感情的な反応を自己分析し、他者との違いを尊重する姿勢を示しています。
『都市伝説解体センター』について、ゲームシステムやシナリオの丁寧さ、初心者への配慮など、具体的な点を挙げて評価しています。 
「ゲームを始めて、どうなってしまうのだろう、このゲームを遊べるだろうかという不安に過剰なまでに寄り添うようなゲームシステムは、おそらくゲーム慣れしていない人をほぼ脱落させずに最後まで連れていくに十分な丁寧さを持っている。」 
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• 共感力:★★★★☆
• 知性の使い方:★★★★★
👉 総評: この筆者は、感情と理性のバランスを保ちつつ、他者への共感と自己の内省を通じて、成熟した批評を展開しています。知性と感性の両面から作品を捉える姿勢は、批評家としてだけでなく、人間としても高い器を持っていると評価できます。
これは全くの俺の予想で言っているんだが、おそらく2030年くらいから就職氷河期に入り、2035年位からの10年間が最悪の10年間になると思っている。
まず就職氷河期、というと「不景気で当時就職できない若者が大量発生した」というように捉えられているのかもしれないのだが、俺ははっきりいうと間違っていると思う。
就職氷河期という時代はいくつかの条件が重なった結果起きていると思っているのでまずはそこを書いてみることにする。
1. 時代が大きな技術革新の波にさらされているのにキャッチアップしない若者が多かった
2. 企業が新卒至上主義を変えなかったせいで別のチャンスを与えられない若者が増加した(新卒で仕事を逃したら後は中途でやるしかなかった時代でそんなのは勝ち目がない)
3. 文化的にリスキリングというのを受け入れられるような風土が整っていなかった
4. 高齢化社会のために日本の文化が硬直し変化を受け入れられない若者を量産していた
5. 社会の敷いたレールに従わないということに対する偏見も強かった
要は、若者を取り巻く社会のしくじりなのだが、就職氷河期という言葉を使うことで、どこか若者たちに責任がある感じになっていたような響きになっているし、最近の氷河期世代に対する若者の評価を見ていると、そういうように見ているようには感じる。
今の日本はここまで硬直した社会ではないと信じたいが、だからといって就職できないというのは死活問題なので、氷河期がまた来るのか、というのは不安だろう。
俺は次の氷河期は最初に書いたように2030年くらいから始まると思っている。
この時点ではそれほどの危機感は感じないかもしれないが、おそらく社会の潮目が変わっていることは感じられることだろう。
ではなんで2030年か、ということなのだが、まず今年の2025年と言う年が一体何なのか、というと経済学で言うところのコンドラチェフの波にもどついて話をするなら「ある技術革新が加速し始めるタイミング」と言っていいだろう。
何がかといえばもうおわかりかもしれないが仮想通貨だ。
2020年くらいから俺は度々言っていたのだが、2025年位から世界が仮想通貨に本腰を入れ始め、2030年にはとんでもないことになっている、は俺の信じていることでもある。
今ビットコインが10万ドルを超えたとか騒いでいるが、仮想通貨のもたらす革新はそんな投機的チャンスをもたらすようなものではない。
仮想通貨が世界にもたらすことは何かといえば「価値の移動と契約に対する革命的な技術革新」と言ってもいいだろう。
インターネットが世界を変えたのは「標準化された技術をもとにして世界中を情報が高速に行き来するようにしたから」だ。こういった根本的なことを変えるというのは世界を変えてしまう。
仮想通貨というのがなにかと言うならば、世界中で共通して使える価値だ。アメリカは米ドル、日本は日本円、中国は人民元を価値として使用しており、これらの間を超えるには厳しい監視の目が光っている。これはなぜかと言うならば、この通貨が切り替わるタイミングで資金洗浄を行うことが可能だからだ。
また、自国通貨の流通をきちんと監視し、コントロールしないと、どの国もあっという間に破滅的なインフレやデフレに陥ってしまう。
そのため、例えば日本からアメリカのものを買って取り寄せるのは異常に面倒くさいと言う状況になっている。
仮想通貨であれば、価値の移動はウオレット間を移動すればいいのでそもそもとして通貨の切り替えが発生しない。そして仮想通貨のより大きなポイントは、その通貨に機能を持たせることができる、という点だ。
そうすると今度はスマートコントラクト、と言う技術が重要になる。
はっきり言って仮想通貨は今の所この2つだけでいい。Web3.0だのメタバースだのはその上での踊り方の模索でしかないし、今の所何の価値も提供できていない。
ただ、これらが2030年くらいからしっかりと広がりだすことは目に見えている。そのときには全く目に見えない形かもしれない、MMORPGの焼き直しみたいなわけのわからないことはしてもいいが、本流ではない。
何が言いたいかというと、ブロックチェーンとスマートコントラクトを実際の物流や商売にどう結びつけるのか、ということがおそらく2030年くらいから模索されるだろう、ということだ。
これがうまく行くと、例えばメーカーはショールームと倉庫だけあればよく、顧客と直接売買をすることが可能になるからだ。
例えば今デジカメを買おうとしたらメーカー直販ではなく、家電量販店に行くと思う。これは、「実際に手にとって買う」ということは家電量販店に行かないと行けないからだ。
だが、うまく行くならば、例えばショールームに行く、デジカメを試しに使ってみる、良さそうだと思ったらウォレットでタッチすると物流拠点から自動的にデジカメの在庫が搬出されて物流トラックに積まれ、配送が行われる、ということが可能になる。
そしてこれの何がすごいかといえば、世界中で全く同じシステムが使える、ということだ。
そこにAIを組み合わせることで、例えばこの時期は中学校でイベントがあってデジカメ需要が上がるから中学校のある地域の在庫を厚めにして品切れを回避しようということも可能になるかもしれない。
そうなるとメーカーは在庫リスクや物流における余計なコストを下げることができると言うメリットもあるだろう。
というようにブロックチェーンとスマートコントラクトが提供する「標準化された世界」というのはとても臆が深いゲームチェンジャーになることは簡単に予想できる。
そうなると例えばこれまでの物流のまま物流に入ろうとすると仕事がないことになってしまう。
この技術革新が何をどの程度変えてしまうのかはわからないが、2030年から始まり、2050年くらいには決着が付いている。今ファクスを送れと言われてピンとこない若者のほうが多いだろ?そういうふうに変わってしまう。
今何が言いたいかというと、どんなレベルでもいいからこの辺はキャッチアップはしておけ、ということだ。
おそらくだが、最初のうちは「趣味で仮想通貨取引してます」くらいで仕事をくれる会社も出てくることだろう。底に入り込んで必死に勉強するというのも手だと思うし、勉強を頑張れるなら消費側でなく開発側に回るのも手だろう。
ただ、例えばビットコインネットワークの開発者になるよりは、その辺でソリューションを開発する会社に行くほうがいいかもしれない。
端的に言えば私の心が死んで傷付いた結果こうなった。一方的な暴力でそれはもう感情のままにあなたを傷付けた。精神的に傷付いた私には自分をコントロールする事が出来なかった。一本一本が短い導火線が一斉に着火してドカンと爆発してしまった。暴力に訴えてはいけないと頭では理解しているが我慢ならなかった。沸点が低く口よりも前に手を出してしまうのは私の悪癖であり、似なくてもよかった父親の遺伝でもあるのだろう。
長年の不満の積み木が些細なことで崩れただけなのだと思う。今にも崩れるのではないかというところで持ちこたえていただけだ。
沸点の低さ、感情の起伏の激しさ、束縛、その他諸々に耐えられなくて私の心を傷つけたのだろう。
来世では誰も傷付けないものになりたい。誰にも傷つけられたくない。生きるつらさを感じて、死ぬことへの恐怖を感じる位なら無機物になりたい。
今世をやり直せるなら、両親の出会いからやり直したい。それが無理なら最初に訪れた死ぬべきタイミングで。生きたいと思わずにそのまま死ねと私に言いたい。生きてたって辛いことしかない。
時間が解決すると思っていたアダルトチルドレンも愛着障害も悪化する一方で、見捨てられ不安を理解していると思っていた人からは裏切られた。病院に行って、カウンセリングにお金を使うなら、自分の好きなことに使った方が良いと言っていた旦那のことが気持ち悪くて仕方がない。終活の為の身辺整理をまた始めたけど、傷付いた心ごと捨てられないかな。
0か100でしか物事を考えられない私は馬鹿でクズで人間のゴミで生きてる価値もない。
傷付いてる被害者ぶるのはやめた方がいいよねり
私が死んでも誰も悲しまない。親も、親戚も、職場の人だって悲しくはないだろう。心を許した人に捨てられるくらいなら、捨てる側に立ちたいから何もかもを捨てる。捨てる。最後は自分の命も捨てる。何も残さずに、存在事いなくなれたらいいのにな。
俺は自分のことを最強の天才だと思っているが、その割に自己肯定感がかなり低い。
言い換えるなら、「成功している自分のことは好きだが、失敗している自分は大嫌い」ということだ。
勉強を続けて医者になった自分の事は大好きだし、周囲に褒められるほど仕事ができる自分は誇らしく思うが、ごく些細な失敗に対して過剰に落ち込むせいで、感情がブレにブレる。
「こんなことすらできないとか俺ってカスだわ。周りに失望されるな」といった感じに。
どうにかこうにか休息しながら仕事するべきだと都度自分に言い聞かせてコントロールを図っているものの、結局勉強だの仕事だのをこなしてしまう。
何なら、気を利かせて自分の領分でない仕事まで行い、上司に叱られるほどであった。
完璧な人間なんてこの世には存在しないし、失敗するのが世の常であることは理解しているんだが。
どうしても俺は失敗している自分、できない自分を恥だと思ってしまう。
今日も、1年目の医師ならできなくて当たり前の手技を失敗した際、「こんなことさえできないゴミカス」だの「恥さらし」だの「無能」だの自分を責めまくり、案の定自己肯定感が急落してしまった。
普通の人なら平気と思えるんだろう。しかし俺の思考回路の場合、いくら社会的地位が上だろうが、年収が高かろうが、他人にミスを晒した時点で雑魚でしかないのだ。
そのせいで、失敗分のリカバリーをしようと無理して仕事を抱え込み、上司や同僚に失望されないようにやる気を出しまくり。
結果的に周囲の評価が上がる一方で、肝心の自分は疲弊してしまうと。
たぶん教育熱心な親に応えたいと思い続けた影響だろうとか、これまでの友人関係で除け者にされたり裏切られた経験ばかりだから歪んだんだろうとか、天才だの神童だのと言われてプレッシャーを掛けられ続けたせいなんだろうとか、客観的あるいは論理的に考えることもしている。この投稿をするのだって言語化のためだ。
しかし、この繰り返しで医者になるまで努力をし続けた訳だし、この努力量の結果なんでもこなせる有能な人間になれた、というのは紛れもない事実である。
つまり、血の滲む様な努力をやめた瞬間、俺は俺ではなくなるのではないか?
必死に考えることをやめた瞬間、俺は他人に失望されるのではないか?
向坂くじらさんの「群れから逸れて生きるための自学自習法」を読んでいたら、はじめに に「死ね」って2回も出てきて、ウッと嫌悪感に負け、早々に読むのやめてしまった。
>勉強をしなさい。 と言われたら、どんなふうに思うだろうか。わたしならまず、死ね、と思うだろう。 耳ざわりのいいことさえ言っていればこちらの行動をコントロールできると思うなよ、死ね。
こんな感じ。なんというか詩人がそんな気軽に死ねって使うなよ……という気持ちもあるが、そもそも「死ね」って言葉にアレルギーがある。
昨日の自分も、明日の自分も、いまの自分の制御の範囲外でコントロールすることは出来ない。
でも、いま、まさに今の自分だけは自分の意志の力で制御することが出来る。
そのことを意識していれば、自ずと先送りとかはしなくなるようになる。
今、この瞬間をどうするのか?
この動画を見るんじゃ
https://www.youtube.com/watch?v=OL0oWAPzkkU
結論から言えば核兵器は最強の兵器であっても万能の兵器ではなく、核兵器のみを持って日本の安全は保障されない
核兵器を持っていない日本が核保有するまでの段階、保有したとしてどう使うのか?
レベル1 | 完全非核 | 開発能力なし | 大半の国 |
---|---|---|---|
レベル2 | 潜在的能力抑止 | 開発能力あり | 日本、韓国、台湾、カナダ、オーストラリア、スウェーデン、スイス、ベルギー、イタリア、ブラジル、アルゼンチン等 |
レベル3 | 即時能力抑止 | 短時間で核開発可能 | |
レベル4 | 未実証核保有抑止 | 核開発済、核実験未実施 | |
レベル5 | 実証核保有 | 少数の核弾頭保有、核実験済み | 北朝鮮(レベル6を目指している) |
レベル6 | 最小限抑止 | 核弾頭100発以上、都市攻撃能力 | 中国(10年以内にレベル7になる)、イギリス、フランス、インド、パキスタン、イスラエル(?) |
レベル7 | 相互確証破壊 | いかなる国も壊滅させられる、都市攻撃能力に加え核戦力攻撃能力と柔軟な核使用の選択肢 | アメリカ、ロシア |
核兵器を持てば安全と言う考え方は核戦略の研究によって否定されている
すでに大量報復戦略の時代で核兵器の使用が破滅的で耐え難い被害を自国にもたらすことが分かっている
核戦略においては「エスカレーションラダー」をコントロールすることが重要
段階 | 概要 |
---|---|
破滅 | 文明崩壊 |
対価値 | 大都市に対する核使用 |
対兵力 | 核戦力に対する核使用 |
限定核使用 | 大規模戦争、核のデモンストレーション |
伝統的危機 | 地域紛争 |
危機前 | 外交的経済的緊張、軍事演習 |
ガソリンはガソリン税と消費税で2重に税金とってるのはおかしい、みたいなコメみかけたけど、他の有名どころだと酒税とか。
酒の材料自体に税金を払っていて、なのに酒自体にも税金を払っている。
……なーんてことを、密造酒のドキュメンタリー番組でボヤいてるのあったよな。
まあ、そんなわけで、そもそも酒税自体に懐疑的な人の言い分もあるにはあるじゃん。
ただ酒による健康被害、飲酒運転などの交通事故、酔っぱらいによる諸々のトラブルが多いのも確かで。
飲酒が原因で病気になった際の保険料とか、交通事故とかトラブルに対応するため警察とかに働いてもらうことになる。
酒のせいで税金を使って対処するべき事柄が増えているわけじゃん。
だったら酒にも個別に税金を課すべきだろう、ってのも分からなくもないというか。
まあ、もちろん個別じゃなく消費税とかで一律にしたほうがシンプルで分かりやすいけど、結局どこかで“帳尻合わせ”が必要になりそう。
ふと思ったけど、そういう点では現状のタバコに対する社会の在り方と、タバコ税ってかなり理想形かもなあ。
タバコによるネガティブイメージを社会に浸透させることで健康被害を減らせれば、間接的に保険料も減らせる。
その上で“反対されにくい重税”を課すこともできる。
モラハラDV野郎と何回も付き合ってたことがある女なんだけど、今度は優しい人と付き合うぞ!と数人会ってみたものの交際には至らなかった
女はDV男が好き論をネットでたまに見るが身の周りではそんなバカは自分だけなので、どうしてそんなことになるのか振り返ってみた
モラハラたちはかなり好意を明確に示してきてたのに対して、優しいんだろうないい人だろうな、という人はどうしても遠慮がちな印象がある(個人の感想)
こっちの自己肯定感が低いのもあって、遠慮されると「好きじゃないのかもな」と思いがち
多少強引な方が「この人って私のこと好きなんだ♡」と思える(ストーカー行為とかではなく、マメな連絡とか会う約束を取り付けるとかそういう感じ)
まともな人間は普通「バカだな〜」「センスない」とか言わない(当たり前)のを、絶対私はバカで間違っているのに褒めてくる!怖い!と思っている
そういう時に些細なことでダメ出しする人が現れるとめっちゃ安心する
「そうです♡私ってダメなんです♡この人は本当の私をわかってくれる♡」モードに突入してしまう
外面がいいことが多いので、最初は優しいマメないい人→たまに厳しいことを言ってくれる→モラハラへの移行も上手い
モラハラはたまーーーに褒めてくるのが上手い
でも女友達にこの話すると「何言ってんのそいつ?偉そうでウザ…」と言われるので頭のおかしい女が頭のおかしい男にメロメロになっているだけらしい
付き合ってたモラハラたちはは途中で慢心するのか「え?私そんなんじゃないのに…」と思うような決めつけが増え「この人って私のこと何にもわかってないじゃん…じゃあただの性格の悪い乱暴な人ってこと…?別れよ…」と思って別れた
私の場合は「自分のことをわかってくれてる♡」というところがキモなのはデカい
その辺のコントロールが上手いモラハラと出会ったら多分また引っかかると思う
仲の良い女友達は、私からするとちょっと頼りないんじゃないの?と思うくらいの穏やかな人と付き合っている人が多い
「強い」男が好きとはあまり限らないのだと思うし、自立したまともな女であればあるほどそういう男より社会性があって共生できる人を選んでいる印象
私は全然精神的に自立していない未熟な人間なので、強そう(に見える)人が素敵に見えてしまうだけなんだろう
余談だけどやんちゃタイプ・パワータイプの場合は、ああいうタイプも好意の表現が割とストレートな気がするので素直な感情表現に惹かれるのはあるんだろうなーと思う
あと本当にどうにかできるかはさておいて「俺に任せとけ!ドン!」みたいなのに頼りがいを感じるのかもしれない
"現状"とはつまり2025年5月時点の話であり、動向が非常に変わりやすいIT業界の風土を考えると将来的にどのようになるかは予測が非常に難しい。
しかし、数年でこの"現状"が変化するとは考えにくく、今現在の学生が10年以内に社会人となったとき今現在の"現状"を基礎に情報技術を学んでいる可能性が高く、このエントリでは"現状"を周知する為に書かれた。
集計した時期や団体で数値の変動はあるが、日本国内で現状のICT教育でのOSシェアはChromeOSがおおむね30〜40%というシェアを獲得しており、IT大国と知られているアメリカでは日本と同様に集計した時期や団体で数値の変動はあるがおおむね50〜60%というシェアであり、ICT教育のOSとしてChromeOSがデファクトスタンダードとなっている。
これは、テックファンがよく語るように「ChromeOS端末が安価で導入できる」という意見が理由として挙げられがちで、実際に導入コストを抑えられるメリットというのは大きいものの、逆に言うとそれ以外の理由があまり語られることが少ない。
流石にこの意見は、IT業界のプロの現場で多用されるMicrosoftやAppleを抱えるIT先進国である米国がただ安価であるからという理由だけでGoogleのChromeOSを採用するにしてはあまりにも弱すぎる理由ではないだろうか?
そこで「何故ChromeOSを教育現場は採用するのか?」を紐解きたい。
長々と引っ張るのも億劫になってしまうので結論から言えば「Google ClassroomとGoogle Family Linkの出来が非常に良い」からである。
Google ClassroomとはまさにICT教育向けにGoogleから提供されているグループウェアで、生徒へ対して課題の作成と配布、進捗、採点、評価の管理が可能で、それらにはGoogleドキュメントやGoogleスプレッドシート、Googleスライド、Googleカレンダーが利用でき、教師生徒間オンラインコミュニケーションとしてGmailやGoogle Chatを用いることができる。
つまり教育現場からするとChromeOS端末を導入したらGoogle謹製のオールインワンICT教育グループウェアが瞬時に入手可能であり、更に言えば現状では既にデファクトスタンダード化しており膨大な導入事例によって困りごとの解決が非常に容易であることがあまりにも大きなメリットとなっている。
なにせICT教育端末の2台におおよそ1台はChromeOS端末であり、例えばSNSなどで流れてくる「ChromeOSでこんな酷い目に遭った」は導入数が多いが故にであり、逆にiPadOSを支持する人でも「Apple Classroom」というアプリが存在することを知らない場合が多い。何故知らないのか?と言えば導入数が少なく話題にまったく挙がってこないからである。
なお、Apple ClassroomとGoogle Classroomを比較するとGoogle Classroomの方が高機能である。AppleもICT教育OSシェアを上げようとApple Classroomの改善に努めてはいるもののGoogle Classroomへ追いつくまでには至っていない。
Google謹製のペアレンタルコントロールアプリで、子供のGoogleアカウントに紐づけられたChromeOSおよびAndroidOS、それらがインストールされる端末などを管理できるサービス。
端末自体の使用時間上限を定めたり、端末の使用時間上限を定めずアプリ毎の使用時間上限を定められ、つまりゲームやYoutubeやTiktok、Webブラウザアプリなどは1日1時間に制限しつつ、学習アプリは使用時間無制限にでき、そのほかWebフィルタリングやYoutubeフィルタリング、アプリインストール、課金管理も可能で、しかも就寝時間や登校時間には使わせないようにできるなど親にとっては至れり尽くせり子供にとっては非常にお節介なサービスである。
ペアレンタルコントロールの自由度も実はAppleの方が乏しく、Apple製端末を子供に与えている親は親自身が設定したペアレンタルコントロールに親自身が巻き込まれたりして四苦八苦するシーンがある(実体験)が、Google Family LinkのあるChromeOSおよびAndroidOSはApple製端末ほど困ることが少ない。
Google ClassroomとGoogle Family LinkだけではIT大国であるアメリカが何故ChromeOSをICT教育OSとしてデファクトスタンダードとしてしまったのか?の納得感としては薄い。
最終的な決め手は「一般的な使い方ではセキュアなサンドボックス上でタブレットOSやスマホOSのように容易に利用でき、高度なプログラミングを学ぼうとするときプロとほぼ同じ環境を利用できる」ことにあるだろう。
もちろんiPadOSには「Swift Playgrounds」があり高度なプログラミングを体験できるが、ChromeOSやAndroidOSではPlaygroundsどころかLXC/LXD仮想環境上に構築されたLinuxディストリビューションのDebianを扱える。
いやそもそもDebianを導入しなくてもGoogle Play Storeには小学生向けプログラミング環境のScratchからインスパイアされたポケットコード、非常に本格的なゲームプログラミングIDEのGDevelop、UnityやUnreal Engineに次いで業界3位のシェアを持ちプロ現場でも採用される2D/3DゲームプログラミングIDEのGodot Engineなどがある。
そして当たり前のようにGoogleはChrome OS向けAndroid Studioを用意しており、ChromeOSさえあればAndroidOSアプリをGoogle謹製のプログラミング環境で開発することができる(実際のところAndoridOSはAndroidOSだけでアプリをコンパイル&ビルドできるが割愛)。
これMacとiPhoneやiPadしか触ってこなかった人間からするとどういうことかと言えばChromeOSにはAppleで言うところのXcodeがあることを意味し、何ならDebian上でWeb版みたいに機能制限されていないフル機能のMicrosoft Visual Studio Codeが利用でき、理解できる人は驚いただろうが前述の通りGodot Engineがあるわけだ。RubyやPythonだって動くし、Bashもfishもzshも選び放題、Vim vs. Emacs論争へも参戦できる。
しかも昨今、WindowsのWSL2でLinuxディストリビューションが導入できるようになってしまった影響で、一部の情報技術者の間では「開発環境は仮想上のLinux、サービス動いてるサーバーもLinux、じゃあWindowsとかmacOSとか使わずに最初から無理せずLinuxディストリビューションを端末へインストールして開発したら良いんじゃねーの?」という動きが活発化しており、そこへ表面上は日常利用でスマホやタブレットOSのように扱えて開発はしっかりLinuxディストリビューションであるChromeOSが「あれ?意外とChromeOS良いんじゃね?」という評価が始まっているのだ。
それでも「ICT教育は性能やランニングコスト的にiPadが優れてるんだ!」というAppleファンの熱い想いは否定しない。
しかし、しかしだ、当の多くのプログラマがiPadでプログラミングしてないんだ!!!開発するときにiPadのセキュアすぎるサンドボックスがマジで邪魔だと思っちゃってるんだ!!!!!
前述までの話を聞いて「iPadとChromeOS、仕事でどちらかしか使えません。どっちを選びますか?」と言われたらLXC/LXD仮想環境のあるChromeOSじゃん!!!IT大国のアメリカ様もそりゃChromeOS選ぶよ!!!!!だってプロの現場で使われてるんだもんLinuxがッッッ!!!!!!!
「どっちかしか選べないて?じゃあ俺は普通にMacbookにするわ」だって?えっそれ10年後ChromeOS(Linuxディストリビューション)でICT教育受けてきた新社会人に言えんの?サバンナで生きていけないよ?2人に1人は「学生のときChromeOSでしたぁ」って悪気なくピュアな瞳で言ってくる時代が直ぐそこだよ?
Windowsですら無いんだぞ?隔世の感どころの騒ぎじゃねーぞ?「当時ChromeOSでヴァンパイアサバイバーズやってましたね」とか新社会人が言うんだぞ?iPadかChromeOSかって言われてんのにMacbookって返すのはギャグの段階に触れさえしてねぇよ?まぁMacbookはタッチスクリーンディスプレイじゃないから触れられないんだけどさ。
Apple信者が声を大にして言わなきゃいけないことは「Appleさん、iPadもうちょっと何とかならないっすか?」だろ!!!!!
正論言ってんじゃねーよ!!!今更Appleのエコシステムから抜け出せねぇんだよ!!!!!ちょっと気になってGoogle側の事を調べてみたらめちゃくちゃ進んでんじゃねーか!!!!!!!
えっなにマジで?今のAndroidOSは純正でDebian動くの???アプリストアにGodotあるってどういうこと?????
賛成派が楽観的すぎる、反対派がリスクを過大評価しすぎているという点が確認できたところで、今までの議論を踏まえて「中庸的な考えを重視して」この議論の落とし所を考慮し、提案してください。
この議論は、「女性に対して異常に優しい暴力的な男性」に対するリスク評価を巡るものです。
・賛成派は楽観的すぎる視点から、こうした男性の行動を称賛し、リスクを軽視する傾向があります。
・一方、反対派はリスクを過大評価し、将来的に女性に危害を加える可能性や命に関わる危険性を強調します。両者の立場は極端に分かれており、ここでは中庸的な考えを重視し、現実的かつ合理的な落とし所を提案します。
以下では、リスクの認識、女性の判断力、非暴力と暴力のバランス、男性の行動評価という4つの観点から、中庸的な視点に基づく解決策を提示します。
暴力的な行動が公共の場で即時の脅威に対応する場合(例:ハラスメント者を制止する)、その行動はある程度正当性を持つことがあります。しかし、暴力が習慣化し、将来的に女性や身近な人々に危害を加えるリスクを無視することはできません。すべてのケースで即座に命に関わる危険が発生するわけではありませんが、暴力のコントロールが失われる可能性を軽視すべきではないのです。
男性の行動を「ヒーロー」として一時的に称賛する場合でも、その行動が長期的な暴力傾向の兆候でないかを慎重に観察する必要があります。例えば、日常的に怒りを抑えられない兆候がある場合、警戒が必要です。
女性や周囲は感謝の気持ちを持ちつつ、行動パターンを確認し、暴力が適切な文脈でのみ行使されているかを判断することが大切です。
女性には、公共の場での保護に対する一時的な感謝と、長期的な信頼を区別する能力があります。すべての女性が無防備に危険に飛び込むわけではなく、多くの場合、状況に応じたリスク評価を行っています。ただし、感情的な感謝が過剰な信頼につながり、潜在的なリスクを見落とす可能性も否定できません。
女性向けに自己防衛教育や、暴力的な行動の兆候を見極めるための啓発を強化します。例えば、DVの初期兆候や心理的要因に関する情報提供が有効です。
「一時的な行動に感謝しつつ、長期的な関係では慎重に判断を」というメッセージを発信し、女性の主体的な判断をサポートします。
非暴力的な方法(例:対話や警察への通報)は理想的ですが、すべての状況で効果的とは限りません。特に即時性が求められる危機的状況では、限定的な威圧や物理的介入が必要になる場合があります。ただし、暴力は必要最小限に留め、過剰な行動は新たなリスクを生む可能性があります。
公共の場での危機対応訓練を推進し、市民や関係者が適切な介入方法を学べる機会を提供します。例えば、駅員や公共交通機関の職員へのトレーニング強化が考えられます。
暴力が必要な場合でも、それが法的な正当防衛や緊急避難の範囲内に収まるよう、明確なガイドラインを設けます。
男性の行動を「DV男」や「ヒーロー」と一括りにするのではなく、具体的な文脈や意図を考慮して評価する必要があります。社会秩序の維持に寄与する行動は一定の評価に値しますが、自己顕示欲や支配欲が背景にある場合、警戒が必要です。
公共の場での行動を称賛する際、「その行動は素晴らしいが、個人の全体像を判断するには不十分」と強調し、極端な賛美を避けます。
メディアやSNSでは、バランスの取れた評価を促し、極端な批判や過剰な称賛を控えるよう呼びかけます。
中庸的な考えを重視した議論の落とし所は、以下のポイントに集約されます:
・リスクの認識:暴力的な行動を状況に応じて評価しつつ、長期的なリスクに備える慎重さを持つ。
・女性の判断力:女性の主体性を尊重し、リスク認識を高めるサポートを提供する。
・非暴力と暴力のバランス:非暴力を優先しつつ、必要な場合は限定的な介入を認め、その管理を徹底する。
・行動の文脈評価:男性の行動を文脈に応じて判断し、極端な見方を避ける。
このアプローチにより、賛成派の楽観的な視点と反対派の過剰なリスク評価の両極端を調和させ
女性の安全を守りながら現実的な対応策を講じることができます。
建設的な議論と実効性のある解決策は、こうしたバランスの取れた視点から生まれます。
文書内で「女性の判断力」を明確に尊重し、女性が状況に応じて適切な判断を下す能力があると認めるコメントは限られていますが、以下のコメントがその観点を反映しています。
ffffdark (@ffffdark)
コメント: 「一応フォローしておくと私の周りの女性は『感謝はするけど、それはそれとして怖いからその場限りの付き合いにする』という意見で一致した。支持しているのは一部の特殊な女性層だと思いたい」(文書内、1日前)
なぜ重視しているか: このコメントは、女性が男性の行動に感謝しつつも、その暴力性に警戒心を持ち、長期的な関係や信頼には慎重であることを強調しています。女性が一時的な感情(感謝)とリスク評価を分離し、主体的に判断する能力があると認めています。すべての女性が無条件に危険に飛び込むわけではないとし、賛成派の「女性は無防備」という前提を否定する点で、女性の判断力を尊重しています。
NightQueen (@NightQueen_7)
コメント: 「こーゆー素敵な男性のエピソードもっと聞きたい。Xに生息する若い女若い女ばっかいってるチー牛が目立ちすぎて…素敵な人もいるんだな」(文書内、2025-05-03 01:39:10)
なぜ重視しているか: このコメントは、男性の行動を肯定的に評価しつつ、女性が社会の中で多様な男性像を見極め、ポジティブな行動を適切に称賛する能力があることを示唆しています。すべての男性を一括りにせず、特定の行動を評価する姿勢は、女性が状況に応じて判断を下す主体性を持っていると暗に認めるものです。
どぶねずみ (@Nzm_in_the_Dark)
コメント: 「日本の男性陣は優しい方が多いのかもしれません。私などは、その場に居てもそのような行動が取れるか自信がありません。」(文書内、2025-05-02 17:27:11)
なぜ重視しているか: このコメントは、女性が男性の優しさや保護的行動を適切に評価し、それを肯定的に受け止める判断力を持っていることを示唆しています。女性が無防備に暴力を称賛するのではなく、社会的な文脈で行動を評価する能力があると間接的に認めています。
これらのコメントは、女性が単に感情や本能に流されるのではなく、状況に応じた判断を行い、リスクや行動の文脈を考慮する能力があるとみなしている点で、女性の判断力を重視しています。ただし、文書全体ではこうした視点は少数派であり、賛成派・反対派の多くが女性の判断力を軽視する傾向が強いです。
賛成派と反対派の双方が「女性の判断力」を軽視する傾向にある理由は、以下のような社会的・心理的要因が考えられます。これらの要因は、議論の構造や参加者の前提、さらには文化的な背景に根ざしています。
説明: 賛成派は、女性を「本能的で無防備」「暴力的な男性に惹かれるがリスクを見落とす」と描写し(例:おりぃぶ (@_OLIVE_a)の「女特有の性質」)、反対派は女性の反応を「進化的に合理的」と単純化(例:funpan2015の進化論的視点)。両者とも、女性を主体的な判断者としてではなく、ステレオタイプ(「感情的」「保護を求める」)に基づいて扱う傾向があります。このジェンダー偏見は、女性がリスクを評価し、行動を慎重に選択する能力を過小評価する原因です。
具体例: 賛成派のよしおか (@yosshiiii23
)が「自分に向かない暴力は称賛する」と皮肉るように、女性が無批判に暴力を称賛すると仮定し、反対派のkey_trackerが「女性は決断力ある行動を評価する」と述べる際も、女性の判断が単純な「感謝」に還元されます。両者とも、女性が多角的に状況を分析する能力を考慮していません。
影響: ジェンダーに関する固定観念が、議論を「女性はこうあるべき」「こう振る舞うはず」と決めつける方向に導き、女性の個別性や主体性を無視する結果となっています。
説明: この議論は、賛成派(「暴力は危険」)と反対派(「暴力は必要」)の二極化した対立構造に陥っており、両者が自説を強化するために女性の判断力を単純化しています。賛成派は女性を「リスク感覚がガバガバ」と被害者像に押し込み、反対派は女性を「合理的で感謝する存在」と理想化。いずれも、議論を簡潔に進めるために女性の複雑な判断プロセスを省略し、極端な前提を採用しています。
具体例: 賛成派のめんとすTタイプ (@kusyatori)が「DVされる被害者仕草」と決めつける一方、反対派のらくだ (@rakuda4u)が「行動しない男は評価されない」と主張する際、女性の反応は両者の主張を補強する道具として扱われ、主体的な判断力は背景に追いやられます。
影響: 二極化した議論では、女性の判断力を詳細に検討する余地がなくなり、両派が自らの立場を正当化するために女性を単純な役割(「無防備な被害者」または「感謝する保護対象」)に当てはめる傾向が強まります。
説明: SNSの議論は感情的な反応や短いコメントが中心となり、複雑な視点(例:女性の判断力の多面性)を丁寧に扱うことが困難です。賛成派は「命に関わるリスク」を強調して恐怖を煽り、反対派は「ヒーロー的行動」を称賛して共感を呼び、どちらも女性の判断力を深く分析するよりも、即時のインパクトを優先します。
具体例: 賛成派のシラクモ (@Gpvjwb09)が「12万匹も猿並の頭」と感情的に批判し、反対派のニャンすけ (@ume_syuuu)が「かっこいい」と熱狂的に称賛するように、感情的なコメントが目立ち、女性の判断力を冷静に評価する声は埋もれがちです。
影響: SNSの短文形式や反応の速さが、女性の判断力を多角的に検討する余裕を奪い、単純化された主張が支配的になります。結果として、女性が状況に応じてリスクを評価する能力は軽視され、極端な見方が増幅されます。
説明: 議論参加者の個人的な経験や価値観が、女性の判断力に対する見方に影響を与えています。賛成派はDVや暴力の被害経験を背景に過剰な警戒心を持ち(例:aircooling883の「弁護士の意見」)、反対派は保護や正義感を重視する経験から楽観的な見方を採用(例:みなこっち (@zwillingmutter)の「正義のひと」)。これにより、女性の判断力を客観的に評価するよりも、主観的なリスク観が優先されます。
具体例: 賛成派のひよの (@hiyono_leverage)が「暴力が鳥さんに向く」と警告する一方、反対派のkey_trackerが「ミソジニー」と反発するように、双方の主観的なリスク評価が女性の判断力を単純化し、客観的な分析を妨げています。
影響: 参加者の多様なバックグラウンドが、女性の判断力を一面的に扱う原因となり、実際の女性の行動(例:感謝と警戒のバランス)が無視される傾向があります。
女性の判断力が軽視されるのは、ジェンダー偏見、議論の二極化、SNSの感情的な特性、リスク評価の主観性が原因です。これらの要因が、女性を主体的な判断者としてではなく、議論の道具やステレオタイプの枠に押し込む結果を招いています。女性の判断力を尊重するには、こうした構造的な問題を意識し、バランスの取れた視点で議論を進める必要があります。
すでにAmazonでは導入が始まっていますが、AIが賛否両論の総括をする機能がposfieに出てくるようになったら、この手の人達も不毛な議論をしなくて済むようになるんですかね。
「リスク要因」は反対派の人が考えているよりも深刻である(場合によっては命に関わるという点は重たい)という点を重視して、反対派の人の意見の想定が甘い点を厳しく指摘してください。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 暴力の「目的」が防衛的であっても、暴力を手段として選択する傾向そのものがリスク要因です。文書内でaircooling883が引用する弁護士の意見(「暴力行為を選択肢にする人間はやがて身近な人間にも牙を向ける」)は、暴力の行使が習慣化すると、その矛先が「正当な」対象から逸脱する可能性を示唆します。反対派は、この男性が「今は」女性に優しいから安全だと楽観しますが、DVの事例では、初期には「守るため」の暴力が称賛され、後にパートナーに向かうケースが多々あります(例:にゃあとるずが指摘する「自分にだけ優しいが他人に攻撃的な男性」の危険性)。命に関わるDVや殺人事件の多くは、こうした「正義感」から始まる場合があるため、反対派の「目的の違いが安全を保証する」という想定は致命的に甘い。
深刻な結果: 暴力のコントロールは感情や状況に左右され、意図しないエスカレーション(例:過剰防衛による傷害や死亡)が起こり得ます。反対派はこのリスクを無視し、「守るためなら安全」と短絡的に結論づけています。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 反対派は、この男性が「適切な状況」で暴力をコントロールできると仮定しますが、暴力の行使は状況判断や感情の不安定さに依存します。文書内でmassappouuが指摘するように、「相手が刃物を持っていたらどうする? 周りに火の粉が飛んだら?」という現実的なリスクは無視されています。例えば、衝動的に暴力に訴える男性が、誤った状況判断(例:無害な人を脅威とみなす)や感情の爆発で女性や第三者に危害を加える可能性は、DVや公共の場での暴行事件で実証されています。反対派の「この状況では必要だったから安全」という思考は、暴力の予測不可能性を過小評価し、命に関わるリスク(例:女性が巻き込まれる、または後で標的になる)を軽視しています。
深刻な結果: 暴力の「状況依存性」に頼るのは、男性が常に正しい判断を下すという非現実的な前提に基づきます。実際には、衝動的な暴力はコントロールを失いやすく、女性が近くにいる場合、巻き添えや標的となる危険性が急増します(例:電車内での乱闘による負傷)。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 進化論的視点は、現代社会の複雑なリスク環境を無視した過度な単純化です。文書内でHimazinMan3が指摘するように、暴力的な男性への惹かれはDV被害の継続的な原因となり、命を脅かす結果を招いています。反対派は、女性の称賛が「守られた感謝」に基づくとして正当化しますが、にゃあとるずが述べる「自分にだけ優しい攻撃的男性」を理想化する心理は、DV加害者の典型的な初期行動(愛情と支配の混在)と一致します。反対派はこのパターンを無視し、「感謝=安全」と短絡的に結びつけることで、女性が長期的な危険(例:親密な関係での暴力)に晒されるリスクを軽視しています。
深刻な結果: 女性が「守ってくれるヒーロー」に依存する心理は、加害者が「保護者」として振る舞うDVの入り口となり得ます。統計的に、親密なパートナーによる暴力は女性の死亡原因の上位にあり(例:日本でのDV関連殺人)、反対派の「進化的に合理的だから問題ない」という楽観は、こうした命に関わる現実を無視しています。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 反対派は、非暴力手段(例:警察への通報、仲裁、対話)の効果を過小評価し、暴力を唯一の選択肢として過大評価します。文書内でaircooling883が示す「傾聴」や交渉の例(例:人質交渉人の成功)は、非暴力が即時性と安全性を両立できる実証です。反対派の「暴力しか効かない」という前提は、訓練された専門家(警察や駅員)が介入可能な公共の場(電車内)での状況を無視しています。さらに、massappouuが指摘するように、暴力は相手の逆上や武器使用を誘発し、女性や周囲の命を危険に晒します。反対派はこのエスカレーションリスクを無視し、「即時性が必要だから暴力は正当」と安易に結論づけています。
深刻な結果: 暴力による解決は、法的リスク(例:過剰防衛による逮捕)や物理的リスク(例:乱闘での負傷)を伴います。文書内でV18fBJSmaSwZpleが指摘するように、男性の行動が傷害や器物損壊に該当する可能性があり、女性がその場で巻き込まれる危険性は無視できません。命に関わる最悪のシナリオ(例:刃物による報復や誤った標的への攻撃)を軽視する反対派の思考は、極めて危険です。
反対派の主張:どぶねずみ (@Nzm_in_the_Dark)は「日本の男性は優しい人が多い」とし、みなこっち (@zwillingmutter)は男性を「正義のヒーロー」と称賛。空白 (@khwCGQZrH6eqNRY)は「自衛のための暴力を使える男が好かれるのは当然」と述べ、男性の優しさが本物だと信頼しています。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 反対派は、男性が女性に示す「優しさ」を永続的かつ本質的なものと仮定しますが、文書内でクルル (@kululushousa)が指摘するように、この「選択的優しさ」はDV男の特徴と一致します。DV加害者は初期にパートナーに過剰な優しさを見せ、支配や暴力の前段階として利用することが多く、よしおか (@yosshiiii23)が述べる「自分に向かない暴力は称賛されがち」という心理がこの罠を助長します。反対派の「優しいから安全」という信頼は、男性の動機や長期的な行動パターンを検証しない非現実的な前提であり、命に関わるリスク(例:親密な関係での暴力や殺人)を無視しています。
深刻な結果: 「優しさ」に基づく信頼は、女性を危険な関係に閉じ込める可能性があります。文書内でffffdarkが述べる「私の周りの女性は感謝するが付き合いはその場限り」という慎重な態度は、反対派の無条件な信頼とは対照的です。命に関わるDVやストーカー殺人の事例では、初期の「優しさ」が警告サインだったケースが頻発しており、反対派の甘い想定は女性を致命的な危険に晒します。
理想化された男性像: 男性が「常に正しい判断で暴力をコントロールする」と仮定する反対派の信頼は、実際の暴力の予測不可能性(例:感情の爆発、誤判断)と乖離しています。DVや公共の場での暴行事件は、こうした信頼が裏切られる例で溢れています。
女性の主体性の軽視: 反対派は女性の称賛を「合理的」と正当化しますが、女性が暴力のリスクを主体的に評価する重要性を無視します。命に関わる危険を回避するには、感情的な感謝を超えた冷静なリスク認識が必要です。
反対派の意見は、暴力の目的や状況依存性、女性の感謝を過剰に信頼し、「命に関わるリスク」を深刻に過小評価しています。彼らの甘い想定は、暴力の習慣化、誤った標的への攻撃、DVへの発展といった現実的な危険性を無視し、女性を致命的な結果に晒す可能性があります。文書内で賛成派が繰り返し指摘する「暴力の矛先がいつ自分に向くか分からない」という警告は、反対派の楽観的な前提を覆すものであり、命に関わるリスクを軽視する思考の欠陥を明確に示しています。反対派は、暴力の即時性を過大評価し、非暴力手段や長期的な安全性を軽視することで、女性の命を守るための現実的な判断を損なっています。