はてなキーワード: インタビューとは
ベースマガジンか何かに掲載されていたジャコが死ぬ直前のインタビューで「最近の曲?プリンスのKISSはいいね。あの曲はジャコ・タッチを欲しがっているよ」って言ってたのを見たような気がするんだけど、覚えてる人います?
この時期になると最近はそう思う。
子供の頃は戦争の悲惨さや不毛さを教えられ、戦争ってしてはいけないんだ!と思い夏になるとやる戦争特集の番組を観て悲惨さを想像してた
だが戦後80年。
だってもう80年だよ、いつまで第二次世界大戦の話すんの?それ以降いっぱい戦争起きてるけどその話はいいの?
終戦が1945年。その時の80年前は1865年。ちょうど幕末だけど、1945年頃に時薩長戦争の話して戦で亡くなった人の話とか、アメリカで南北戦争の話とかして慈しんでたの?
してないでしょ。
アイドルに神妙な顔させて。
いつまでおんなじ話するのよ。
第二次世界大戦美化しすぎ。
そりゃ石破さんも式典で寝るよ。
子供に戦争で亡くなった何万人の人の名前読み上げさせる事してたけど誰が考えたん?
ヤバない?
この時期になると最近はそう思う。
子供の頃は戦争の悲惨さや不毛さを教えられ、戦争ってしてはいけないんだ!と思い夏になるとやる戦争特集の番組を観て悲惨さを想像してた
だが戦後80年。
だってもう80年だよ、いつまで第二次世界大戦の話すんの?それ以降いっぱい戦争起きてるけどその話はいいの?
終戦が1945年。その時の80年前は1865年。ちょうど幕末だけど、1945年頃に時薩長戦争の話して戦で亡くなった人の話とか、アメリカで南北戦争の話とかして慈しんでたの?
してないでしょ。
アイドルに神妙な顔させて。
いつまでおんなじ話するのよ。
第二次世界大戦美化しすぎ。
そりゃ石破さんも式典で寝るよ。
子供に戦争で亡くなった何万人の人の名前読み上げさせる事してたけど誰が考えたん?
ヤバない?
CNBCとのインタビューでトランプ氏は、日本は「米国産のコメも受け入れる。かつて誰もが不可能だと考えていたことだ」と述べたほか、「一段と重要なのは、とても美しいフォードの『Fー150』といった米国車を日本が受け入れることだ」と語った。
Fー150は米国のフルサイズのピックアップトラックを代表する車種。フォードのウェブサイトによると2025年モデルの車幅は約2メートル、全長は最大5.8メートルと日本国内では多くの乗用車用の駐車場には停めにくいサイズのほか、都内の住宅街のような道幅が狭い道路での運転は困難になる。
いや、売れないだろ。
そもそも、なぜアメリカ人はピックアップトラックに乗りたがるのかわからない。
ピックアップトラックの良いところが全く見えない。
巨大なトラクターが必要なのはわかるが、車が巨大である必要は全く見えない。
日常用にも農作業にも使えるから人気と言われても同意できない。
日本の農家はアメリカの農家に比べればゴミみたいな規模だが、それだって用途別に車を買いそろえてる。
アメリカみたいに広ければ、なおのこと用途別に車を揃えればいいじゃないか。
というか、農作業に使うにしたって、ピックアップトラックの荷台のサイズは別に大きくない。
牽引ができるパワーはたしかにすごいが、ヨットやキャンピングトレーラーを引くような生活をする人間が日本にどれだけいるのか?
それを非関税障壁というのか?
文庫版は瀬野が小澤を誘導するための仕掛けが施されており、特に瀬野が用意した「インタビューのテープ起こし」は意図的な加工がされていることを考慮する必要がある。
また怪異に関わったものは「そのこと自体を忘れる」傾向があるため、インタビュー内容が同じになったり、小澤が小沢くんのことに思い至らなかったりする。
瀬野が積極的に怪異について調べながらも今まで無事でいられたのは
流産した = 「母」候補から外れる(瀬野母回避)= 「了」を見ることが出来なかった
ここまで書いてきた「合丼来来伝」ですが、今回で最終回になります。
挿絵を担当した絵描きに度々不満やもやもやを抱かせる結果を出し、
時には、絵描きに対して不義理と言わざるを得ない行為を行いながら
合丼来来の同人活動はその後も数年間続いていた。
偶に絵が性癖に刺さる人が居るのか、ある絵描きが挿絵を描いている時だけ
極端に大きく売れることはあった。
だが、基本的には相変わらず作品は合丼来来が思っているほど売れることはなく、
合丼来来は「俺の作品の売れ行きが悪いのはアンチのせいだ」
「俺の作品の売れ行きが悪いのは絵に魅力が無いからだだ」と、
合丼来来のTwitterアカウント(二つあったが、どちらも2022年に凍結)でぼやいていた。
2017年、合丼来来は作品の売れ行きが芳しくない状況を打開しようと考えたのか、
それまでは1カ月に1作の新作販売だったペースを、2週間に1作の新作販売へと
販売ペースを上げた。
合丼来来が新作販売のペースを1カ月に1作から、2週間に1作に変えた頃に
togetterのまとめで「絵描きへの依頼の相場」に関する話のまとめが作成されたことがあり、
そのまとめのコメント欄で合丼来来が暴れたことがあった。
時は少し遡って2016年10月、DLsiteが創業20周年記念イベントを開催し、その場で
「DLチャンネル」というDLsiteユーザーのコミュニティサイトを開設することを発表した。
DLsiteのユーザーが雑談等をするための掲示板や、
おすすめの作品を紹介する記事を自由に作成することのできるコミュニティサイトだ。
DLsiteで作品を販売していた合丼来来は、このコミュニティサイトが開設された初期から
DLチャンネルの雑談掲示板に書き込んだり「自分の作品を紹介する記事」や、
「絵描きが原稿料を値上げ交渉してくることを批判する記事」を書く等していた。
中には、「「合丼来来にインタビューした記事」を書いた猛者もいた。
そうした中、ついに事件は起きた。
2021年12月、合丼来来がDLsiteから強制退会させられる事件が起きた。
事の流れは
というものだった。
この対応に腹を立てた合丼来来は2022年1月にDLsiteの運営会社に対して訴訟を起こし、
「合丼来来(あいどんらいき)伝・1」にある3本のニュース記事になったという話だ。
<注1>
「合丼来来(あいどんらいき)伝・1」で紹介したニュース記事及び、こちらの動画での解説によると
「DLsite側が訴訟に際して提出した証拠を見た所、修正が薄いではなく、無修正と言っても過言ではなかった」だそうです。
DLsiteと合丼来来の訴訟が始まってしばらくした頃、
合丼来来のTwitterアカウントが(2つ存在したが両方とも)、Twitterの規約に反するとして凍結された。
そして、合丼来来はTwitterに戻ってくることもなく、
2025年8月現在、彼はインターネット上から姿を消している。
その後の合丼来来がどうなったか、ここまで「合丼来来伝」を書いてきた私は知らない。
もしかしたら、もう、彼がインターネット上に現れることは無いのかも知れない。
ただ、“こういう人物が過去にインターネット上には存在していた”ということを
記しておきたいと思い、私は「合丼来来伝」を書いた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
オチと言えるオチの無い物語ですが、
“こういう人物が過去にインターネット上には存在していた”
という話を残しておきたいと思い、今回書きました。
彼がその後どうなったかは、私は知りません。
もしかしたら、新しい名前で活動しているかも知れない、
もしかしたら、インターネットを完全に離れたかも知れない、
インターネット上であろうとなかろうと
「彼が新たに誰かに迷惑をかけている」ということが無ければ別に良いと私は思います。
最後に、この言葉でこの物語を締めたいと思います。
「こういう人物は、まだ日本にいるのです、多分」。
・テイルズのカルマ ネタバレ上等!主題が最初に語られられて分かりやすいぜ!
・からくりの月虹 噛めば噛むほど味がある!「からくりという作品を表現したら自然とこうなった」というインタビューは納得!
・ジェッターズのホップ!スキップ!ジャンプ! 雄弁すぎるぜ!テーマを雄弁に語るのがオープニングテーマの役割だ!
他にあるか?
俺は無いと思う
昔からちょいちょい付かず離れずみたいな友達がいたんだけど、その友人から久しぶりにご飯に誘われた。
それ自体は結構嬉しかったんだけど、ずっと何故かどこ行くも何をするも全部こちらから聞かないと答えなくてしんどかった。
え、そちら側が誘ってきたんだよね!?というか、なんか、向こうは譲ってやっている、合わせてやっているって気持ちなのかもしれないけど、誘っておいて意思決定を無言で人に丸投げしているのって普通に失礼に感じてしまう。
「今度〇〇することになって、それまでに会いたくて」ってあちら都合で声かけたのに、じゃあいつまでに会わなきゃなの?も、こちら側が聞かないと教えてくれなかった。
LINEの往復が無駄に増えていくの、ガチでだるすぎる。もはやインタビューみたいになっていた。一問一答じゃなくて会話がしたいんだよ。
結局なんとか会ってみたけど、Twitterで炎上している社会課題の転載みたいな話をされた。「文京区は参政党の投票率が低いんだよ!?」って言われても、らしいね、以外の感想を捻り出す以外ない不毛な時間だった。
おいおい、トランス批判の基盤となったキャス報告書を無視するのはフェアじゃないなあ
発行日:2024年4月10日、NHSイングランドが2020年に委託した独立レビューとして Hilary Cass 医師が主導
対象:性別不安(gender dysphoria)やトランスジェンダー自認を持つ18歳未満の子ども・若者(および18〜25歳も新たに対象に含む)
調査手法:ヨーク大学による8件の系統的レビュー、定量・定性データ、患者・家族・専門家とのインタビューなどを総合的に評価
1. エビデンスの質が非常に低い
50件の研究をレビューした結果、質が「高」とされたのは1件のみ、中等が25件、残りは低品質。
安全性(骨発達、神経発達)や心理面への影響についても結論できないとされた
・性別適合ホルモン(cross-sex hormones):
心理面改善の証拠は限られ、健康リスクは未解明。臨床経路は慎重にすべきとされた
自認に基づく迅速な医療介入(Dutch Protocol)について、「十分な科学的根拠がないまま普及してきた」と報告。
アメリカで発展した「自己申告=治療開始」とするアプローチに対し、イングランドでは否定的評価
GIDS(Tavistock)閉鎖、新たなサービス体制へ移行。長い待機時間や偏った診療実態を改善へ
GIDS受診者には高率で精神疾患、神経発達症(自閉症等)、摂食障害を併発しているケースが多く報告されている
性自認に焦点を当てる前に、背景にあるメンタルヘルス課題への介入が不可欠とされた
英政府や英国主要政治陣(労働党のWes Streeting影響大)、およびNHS幹部は、本報告書を「政治性から自由な科学的再検討」として歓迎し、子どもの医療から政治を排除する契機として価値があると評価された
NHSの専門家チームは、報告書を新たなサービス体制の「バックボーン」として採用し、現行改革を構築する根拠としている
新制度では、性自認に特化するのではなく、心理的・社会的背景と併せて状況を総合的に評価するアプローチに転換。これに対し、Trans youth charity「Mermaids」やThe Kite Trustなどは、NHSの失敗を報告書が認めた点を評価し、包括的支援の方向性に支持を示している
Tavistock GIDSの閉鎖と、新たな地域拠点型のCIDS設置(ロンドン、リバプール、ブリストルなど)に対し、報告書が実用的な設計を提示できたとの肯定的評価がある
NHSは2025年に思春期抑制剤に関する臨床試験を開始し、科学的根拠に基づく対応に舵を切った
報告書は、“独立レビュー”として、ガイドラインとは異なるプロセス(専門分野から距離を置いた医学者が中立的に主導)で設計された点も強みとして語られています。これは利益相反や先入観の排除に資するとして評価されています
近年の反AI活動に熱心なイラスト界隈の人がサイトに掲載されているイラストや写真をしらみつぶしにチェックしてAIっぽいものを見つけては大騒ぎしていますが残念ながらAIはイラストや写真だけではありません。イラストの次に使われているのが音楽でしょう。これは広い意味の音楽でボタンを押したときやドアを開けるときの細かな効果音を含みます。それらにAIが使われていることに気付いてないのか自分の推しに関係ないジャンルであればどうでもいいと思っているのか知りませんがそっちはあまり騒ぎになっていないようですね。というわけで今回はそれら以外の場所で使われているものを紹介します。
例えば雑誌です。特に女性誌は男性誌と比べてページ数が圧倒的に多く手間のかかる書籍でした。おすすめレストランの紹介ページであれば以前は人間がレストランに写真を撮りに行きシェフにインタビューしてそれらを持ち帰ってICレコーダーを聞きながら文字起こしをして枠を選んで写真と文章をはめ込みキャッチコピーを乗せて上司に提出してチェックしてもらい無事通過したら印刷所に送って製本するといった工程で作られていました。しかし現在は前半の工程の多くはAIで自動化されています。大手のネットニュースの一部ではAI化していることを明記していますが紙の雑誌はそんなことをいちいち書いていません。誰も気にしないからです。例えばYouTuberが企画を考えるのが面倒なのでchatGPTに決めてもらったということをたまに発言していますがだからといってそれにクレームを言う人はほとんどいません。そんなところに人間の温かみなんて求めてないからです。コスト削減や納期短縮ができるのであればそれを使わないという手はありません。取引先との雑談で色々なところからAIを使っているという情報は入ってきます。むしろ「この部分はAIを使えば納期が半分になりますよね」などとダイレクトに指示されることすらあります。そう考えるとAIに反対している人たちの多くは学生や無職なのではないかと思ったりしています。
https://www.nhk.jp/p/tokikaketv/ts/WQGK99QWJZ/episode/te/B3M14NJRNK/
実際に原爆で殺された少女たちを、彼女らが遺した日記を元にアニメにしていて、生き生きとした8月5日までの生活が描かれてるぞ
当時存命だった少女たちの親へのインタビューが途中途中で挟まれるから涙が止まらないぞ
気がつく人は多いだろうけど『火垂るの墓』の公開年と同じ年だぞ
その『火垂るの墓』の主要スタッフの百瀬義行さんが作画監督を務めてるから往年のジブリ作品みたいでクオリティ高いぞ
令和に作られた番組も。
・公式インタビューで若いスタッフ達も全員原作のファンですと言ったけれど正直遊んだことも無ければそのシリーズにすら触った事が無い
※この間日経エンタの統計でシリーズのファンの平均年齢出てたけどまさにスタッフの年齢はそれより下
・むしろスタッフ全員別にそのゲームの事好きな訳じゃないというか全然知らない
・世代のスタッフは当時出たオリジナルは好きだったけど続編や関連作は触ったことがない
・原作のリメイクの繋ぎありきで作られたソシャゲで、どんなに売り上げが悪くても赤字でもリメイク3作目が出るまでサ終しない事が決定してる
・でも原作愛が無いスタッフで固められてるから海外含めたファンからお叱りやお気持ちだらけだし売上はどんどん下がってるし職場がお通夜モード
・特に別アニメの方のソシャゲは盛況で、そのアニメ自体詳しくないけどシナリオや演出担当してる別会社スタッフがガチのファンで評価いいからそっちに移りたい
・スキンや武器が片方のヒロインに偏重してる件については、おっぱい大きくて食いつく層がいるからで別にスタッフ贔屓という訳ではないらしい
・もう片方のヒロインはなんかいて一応女キャラだからファンついてて途中で〇ぬから人気程度の認識
・世間的に人気なのと知名度あるのは主人公とラスボスだけどあえてその二人を使わない俺達かっこいいと思っているらしい
・一番偉い人が推してるソシャゲ新キャラ3人が滅茶苦茶不人気なので本当はこいつらに時間割きたくない
・キャラの性格変えて一部で大不評だったエイプリルフールイベントは上記の全然原作の事知らない若手スタッフがXの二次創作だけ軽く見て考えた
・主人公の偽の記憶の元になったキャラの事について皆よく分かってない、こいつが主人公のゲームあるけどソシャゲ内では人気と売上が意外と低い
・ラスボスの幼少期がプレイアブルで敬語ショタキャラになってるけど、大人になった時の整合性とかみんな考えてないから繋がらなくても仕方ないししもはや別キャラ扱い
・原作でシナリオ担当してた人からたまにシナリオ上がってくるけど正直面白く無いと思ってる
まとめ
https://anond.hatelabo.jp/20250731222125
穢れやスティグマ思想が嫌いって、言わんとしてることは分かるし個人的な思想は良いと思いますよ。
でも、おまえは自分が何の商売をしてて、どういう売り物を扱ってるのか、理解が浅いんじゃないか?
私も都内のブライダルの現場で、制作関連の仕事をしてます。主に映像や写真といったクリエイティブ関連を取り扱ってます。
たとえば式で流すムービーを制作するため、新郎新婦の思い出の場所でカメラを回してきたり、インタビューを撮ったり。
新郎新婦の要望から前撮り後取り等ウエディングフォトを撮影するプランを立てて実行したり。
特殊なケースだと配布するオリジナルグッズを手がけたり。式場で扱う音楽や映像の権利関係の申請や交渉なんかもする事がある。
この増田は実に高潔な装いでスティグマだの職業差別だのと理屈をこねてるが、個人の意見ならともかく、ブライダルの現場にいるプロとしての意見ならば看過しがたい。
私たちは家電やスマホみたいなスペックを売ってるのではなく、“幸福のイメージ・象徴” を作り上げるのであって、イメージやブランドが損なったり変わったら商売にならんのですよ。
そういう意味では、三上悠亜および貸衣装屋の投稿は、ブランドというかトンマナを変えるインパクトがあるものだ。
あれはラーメン注文して寿司が出てくるレベルでおかしい。お客様が求めてるブランドを一貫させるのが、プロとしての誠意でしょう。
そもそも、こと恋愛や結婚において、すべての人は差別的である。
身長がXcm以上じゃないといやだ、家事ができる人じゃないといやだ、部屋がきたない人はいやだ、大学を出ていないといやだ、処女/童貞じゃないといやだ、精神疾患をかかえてるひとはいやだ、育った土地が近くじゃないといやだ、年収がX以上じゃないといやだ、借金があるひとはいやだ、、、etc.
あらゆる条件でふるいにかけられた結果、人と人は添い遂げることが成り立つ。
その集大成というか、人生の区切りとして、結婚式という一大イベントがあるわけ。
新郎新婦が考える「いやだ」を極力排除して、幸福のイメージを作り上げた先に、式の成約がある。これから先、何十年と生きる人生の節目として作り上げた結婚式の思い出に、「いやなこと」が入り込む隙があらば、破談となる。
「元AV女優が着た衣装と同じものはいやだ」と言われたら、それまでなのよ。
そこで衣装屋が「契約違反です、キャンセル料払ってください」って言う事もできただろうが、そもそもそんな事をしたらそれこそブランドが終わる。
……と思うが、三上悠亜のファンが衣装を借りる可能性もあるので、経営的な意味では天秤かなとは思います。ただブランドの方向性は変えてプロデュースする必要がある。
なお私はトラブルを起こした貸衣装屋については「プロ意識が足りないな」とは思うけれど、ああいう投稿をするという方針自体は理解できます。認知度ほしいもんね。
ただし既存のお客様との住み分けを考えてデザインする必要があるでしょうね。
そもそも恋愛と結婚は、あらゆる差別を内包している。だから差別だのスティグマだのどうこう言っても、前提が「あらゆる人を差別して選んだ特定のパートナーに生涯を誓う」って時点で、もうね、最初からゴリゴリの選別の上に成り立ってるですよ。
まぁ、はてなの人たちは男性が多いのか、「職業差別は良くない」みたいな事書いてるけれど、はっきり言って机上の空論も甚だしい。だが、素人なのでしゃーないかなとは思う。
どうかあなたは分け隔てなく、あらゆる人と接してください。
だがプロのブライダルの営業名乗るやつがスティグマだの何だの言うのは欺瞞でしかないですね。
百歩譲って同意しうるのは「このような発言をXに書き込むのがいけない」「黙ってキャンセルすべき」って意見は、まぁ節度ある社会人として分かる話ではある。
ただその発言に対する批判を甘んじて受け入れる覚悟で、投稿・表現することは、そのお客様の自由でしょう。以上です。
(なお元の増田の投稿は、私はブライダル業界の人かあやしいよなとはぶっちゃけ思ってます。ただ色んな人がいるから、こういう人もいるのかもね)
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500以上のブクマが集まった。いろいろな意見ありがとうございます、どれも興味深く読ませていただきました。
私の投稿は元増田である元AV女優がウェディングフォト用ドレスを着て忌避される件についてブライダルの現場からへの反論として記した。なぜなら、この文章を何度読み返してもブライダルの現場で働いているタイプには思えなかったからだ。個人の体験・経験からそういう思想に至る人がいてもおかしくはないが、この仕事をする人間が共通して持つべき価値観とは離れている。祭事の世界で飯食ってる人間としては、かなり違和感を感じる。
これは同業じゃないと理解しがたい感覚だと思う。たとえば「痩せる薬、副作用ナシ!」の広告を薬剤師が見て「そんなわけないやろ」と即断したり、「革命です!これからの時代はホニャララAIですべてが変わる!」って断言するXの驚き屋を見たITエンジニアが「う~ん。そういうこともあるかもしれないけど、まぁ言い過ぎじゃね?」みたいな冷めた反応するでしょ。あれに近い。
とはいえこれは文章の重箱の隅をつついて「ここはこういう表現しないだろw」みたいな指摘しても、周りには全く伝わらないし、確たる証拠にもならん。
しかしながら、ブライダル業界人名乗るやつがこんな文章を書くわけねーだろ、嘘つき。釣り師。と強く思ったことは、ここに記しておきたい。
一方、はてぶのコメントを下さった素人の方々の意見などは、どれも何度も読み返させていただいた。ありがとう。
AV女優とブライダルの組み合わせがサンポールとキッチンハイター混ぜるレベルで食い合わせが悪いって感覚は、きっとブライダルから縁遠い人には分からないだろうな、とは思った。勘違いブクマが多いが、これは「AV女優は結婚式に来るな」という話ではなく、ブランドの方向性の話であり、広く言うなら宗教と文化の話だ。TPOと文脈(コンテキスト)の問題とも言える。
当然ながらAV女優であろうと誰であろうと、結婚式を催すことを断るわけがない。だが広告表現においては適切なコミュニケーションデザインが必要だという話。(ここまで書いても伝わらない人には伝わらないのだろうか……?)
私たちは新郎新婦と参列者の方々が納得する式を作る必要があるし、催事の写真が50年後100年後に見られたときでも、堅固なる象徴として形作る必要がある。いくら差別的と言われようと、その象徴(虚像ともいえるかもしれないw)に性産業者が入る隙間は、ないのですよ。
くだんの衣装屋は、最初から「三上悠亜プロデュース」として衣装を売って通常のウエディング用ドレスではないブランドにするか、
あるいは衣装は同じでもティアラなりチョーカーなりを組み合わせたセットを作って「三上悠亜専用モデルです。これは今まで貸し出していたドレスとは違うモデルです」って形にしてブランドを分離する必要があったと思う。
ブライダルの現場では、新郎新婦こそが差別を受けレッテルを貼られる対象であり、その"しこり”を和らげ、装飾する必要がある。だからブランドには一貫性が必要であり、途中からイメージを変えることは許されない。途中から元AV女優を前面に出した広報は明らかにイメージに変化を与えるものだと思う。
そういう視点が多くの素人には欠けてるし、男性はなおさら理解しがたいかもしれない。でも、元増田は「格好良くないですか?フェミニンで、セクシーで、きちんとドレッシーじゃないですか。プロが仕事をして、きちんと仕上がってるんです。」なんて書いてるが、おまえはどういう思考でその文章に至ったとは小一時間問い詰めたい。その写真は誰に向けたモノとして作った・発信した想定なんですか?
てか、誰も指摘してないけど。三上悠亜と衣装屋が投稿したフォトは、凡庸ですよ。単品で見てもクォリティが優れた写真ではないですよ。
おそらくイベントの休憩時間によさげなシチュエーション探して、螺旋階段が一番マシだったからそこで撮ったんでしょう。左下の小物片づけてないし、ライトも持ってきてないよね。あの薄汚れた床と背景は何なんだ?背景の余白は何の意味があってそうなってるの?トリミングやレタッチしてごまかすことすらしていないよね?結論、プロが準備した写真ではまったくない。いったいどこが優れてると思ったんだ?この一点だけ指摘してもおかしいレベルで、元増田は素人ですよ。
皆さん、耳障りのよい釣り師に騙されないでくれ……。
最後に改めて、重ね重ねコメントを下さった皆様には感謝したい。
いろいろな人が自分なりの意見を表明するのは承知だし、その言葉にはそれぞれの信念がある。
私の投稿が伝わらない人には、きっと伝わらないだろうが、それはそれだ。
これもまた社会であり文化だと思う。その意見を、私は感謝し、愛おしいと思っている。
君は君、我は我なり、されど仲良き。
皆様に幸あれ。
結構周囲では話題になってて、関西で開催されるのを嬉しく思ってすぐ観に行ったんだけどまじ正直肩透かしというか、これで金取るんだ感ともう一つ別の不愉快さ
時間指定チケットが良いと公式サイトにあったので入場の人数調整等も兼ねてだろうと思い購入、日曜17時という夕方で長蛇の列、嫌な予感
チケットをもぎる案内の人から60分でご退出をと言われるも17時25分の時点で何も観れてない、いやまじで、人多すぎて前に進まない、会場が狭いとかでもなく人が多い
前の人の頭越しに展示を見るとかいうレベルではなく、ここは隅田川の花火会場かってくらいの密集、遅々として進まない列、60分で出れるわけないだろ
てか人が多すぎてガヤガヤしすぎ、周りの感想や考察や会話が聞こえまくって没入感どころじゃない、不穏さとか感じる暇もない、後ろのおっさんが大声で講釈垂れてて不愉快
時間指定チケットしか売ってないはずの土日でこの人数管理、運営は馬鹿なのか?
これだけなら人気なのだなあで済むけど、展示物も正直どうなんだ…という気持ち
ネットミームや洒落怖のオマージュ?が多すぎて、ネット老人会なら自分で検索して夜中にたどり着きそうなレベル感のものばっか、きさらぎ駅とか異世界エレベーターとか
(まあその検索の経験値や時間や手間が惜しくてライトに楽しみたい層からの金銭の発生と思ったら面白い展示なのかもしれないけど…)
無人の家からタバコの吸い殻がペットボトルにギチギチに詰められて多量に発見されるやつとか、一度木っ端みじんにされるも修復された存在しない企業のロゴの入ったボールペンとか
そういうよく考えたら変だな…?ってジワっとした不穏ばかりだとてっきり事前情報で感じてたのに、展示の大多数は所謂せん妄のある人が名前を思い出せない息子を探すとかばかり
みんな怖い~!とか、統合失調症だ…!とか、ひょえ~!やば~!って感じで恐々と観てる人が多かったけど、正直胸糞悪かった
私自身が障害者手帳1級のせん妄を症状に持つ精神疾患だからだろう
作者がそういう症状があって、自身の世界を表現するというパフォーマンスならまだしも、フィクションとはいえ他人をキュレーターという立場で展示する人の内容が精神病を異様だと匂わせ、自分と閲覧者は安全圏で眺める、こういう人もいるんだね人間ってすごいねとしたり顔で感心する、その全部に倫理観を疑った
フィクションなら展示のその人は存在しからよい?ならばわざわざ人間である必要もないのでは、物語で役割があるならいざしれず、行方不明になる、行方不明の痕跡がある、不穏の象徴を表すことだけに注力するのなら展示の時点で人間を切り離すこともできたはず(事実、犬が主体の不穏さの延長として犬小屋の展示もあった)人間のせん妄結果の展示(異様なポスターや手紙など)しかできないのは展示のレパートリーとして作者の落ち度だとも思う
精神疾患を明言してはない展示?文章の一部に〇〇〇の症状がありますね?と尋ねるインタビューアーのセリフもあった(〇部分は黒塗り)
ホラーってなんなんだろうな、大多数の健常者からすると私の思考は不穏なんだろう、だとしても健常者の考える不穏(笑)な展示の一端に妄想行為がコンテンツとして消費されるのをこんな不意打ちみたいな形で目にするのは苦しい、せめて覚悟して閲覧したかった
例えるなら話題の動物園に並んで行って檻の中を覗いたら、明らかに自分と同じ属性の生き物が収容されていて、周囲はそれをコンテンツとして消費して楽しんでて、また自分もお金を払ってて、黙ってるからその属性は詳らかにされてはないけど、動悸と冷や汗が止まらないみたいな
自分のせん妄の症状もこうやって他人に不可解でよく分からないものとして処理されるんだなと目の当たりにした、私はいつだって心の底から【それら】を信じて心の底から訴えて涙するのに
いくつかの展示は時間の都合もあって満足に観る事すらかなわなかった
ゲロ吐きそうだった
誰も傷つかないコンテンツを作れとは言わないけど、一部の人間に異様にダメージのデカいコンテンツを展示するならせめて注釈欲しいよなあ
昨日国宝を見てきた。
私は京都で「元芸者が経営する祇園のラウンジバーで4年間の勤務経験がある」現オタクです。
映画は1回観ただけ、原作小説は未読。感想をどこかに殴り書きしたいけどネタバレ考慮もしないとなので、ツイッターとは切り離されたここに置いておく。
映画の国宝は「龍が如くみたいな舞台で歌舞伎もドッキング」した感じのストーリーなのだと思った。
なんの予備知識も入れずに行ったので、「歌舞伎役者同士の派閥てか屋号…?の争いなのかなあ」と思っていたら、いい意味で裏切られたし、歌舞伎のことあんまりわからない私でもすんなりとストーリーが把握できた。
以下、思ったことを書きなぐるだけなのでネタバレあり。ストーリーの順番とかもぐちゃぐちゃです。
思ったことその1【登場する人全員終わっててマジで人間臭くていい】
御曹司俊坊(これ、しゅんぼうってあだ名よね?そう聞こえていたけど、違ってたらすみません)が生まれながらにしてボンボンとか、苦労を知らない血を持つ人間って捉えられがちだけど、主人公の顔面国宝吉沢亮さん演じるきくちゃんも、組の息子という点でボンボンなのでそれなりの行動しててなんか……めっちゃひやひやした。
もっと姐さん(寺島しのぶさんが演じる、俊坊のお母さん)に筋通しなよ!とか、挨拶ちょっと遅すぎない?とか、その服装(紫のシャツ)はど、どうなのかなあ?っていけずババアの気持ちになった。きくちゃんは桐生さんではなくて、錦の一面も持っている。結局歌舞伎に夢中になったためすんごい肝の据わった男になったけど、「すぐ人と喧嘩する」「いいなと思った女は全部手を出す」「家族よりも自分のやりたいこと優先」って時点できくちゃんも終わってた。
俊坊もまあまあ終わってる。まさにボンボン。私は歌舞伎に対して「俊坊みたいな人ばっかだろどうせ!」と偏見を持っていたが、その偏見ど真ん中ステレオタイプの歌舞伎っぽい人である俊坊がいてくれたから、この映画に没頭できた(のちに観たインタビューで寺島しのぶさんが「血筋だけじゃなくって、才のある外部の人も取り込めたら、歌舞伎界は変わるのになあ!」みたいなことをおっしゃっていたのでガチさがいよいよ増した)。
二代目半次郎さんも、すごくすごく終わってる。もうやりたいこと全部盛りの大御所だし、くたばる前に「世襲間に合わせたい!」みたいなの本当にいいな。そもそもきくちゃんのパパ立花組に「今後もどうぞごひいきに」って新年のご挨拶してるってことは、そ、そういうつながりがあるってことでしょ。原作未読だからわかんないけど、歌舞伎という伝統芸能とお背中お絵描き組のつながりは結構「なんかようわからんけど闇深そう」でいい演出だと思った。
半次郎さんの奥さん、俊坊ママも強い女で憧れはあるものの、それでも「母親」というのがものすごくわかるし、つらいよねえ…。もし俊坊ママが「丹波屋」のことしか考えていなかったなら、きっと早々に俊坊はダメになっていたのかもしれない。この映画に出てくる女性、みんなクソ強くて大好きだ。
思ったことその2【登場する女がめちゃくちゃ強い。あとあきこがマジでくだらねえ】
さっきも書いたけど、俊坊ママ(お名前忘れたので調べたらさちこさんだった)がくそ強い。あの演目始まる前のさ、ロビーみたいなところでご贔屓さんたちに声かけて頭下げてるあの立ち振る舞い、もうクラックラするほど強くて好き。私自身がそういう横のつながりに苦手意識のある性格だから、「面倒そうなのに毎回ちゃんとやるの、女将さん本当に強いわ」ってなった。
そして上京したきくちゃんにまずはいけずをかますやつね。これがないと、関西の強い女じゃないよなあ。でも結局「お腹空いたやろ。ご飯にしよ」って優しくするのよね。「ちゃんとしてる人」には情があって京都の姉さん(一緒に働く先輩のこと、ほんとにこう呼んでた)とお母さん(ラウンジバーのママ、元芸者)大好きだったよ。
春江もすごい。あの頃のホステスさんってなんか大変なんですよね?龍が如くで学びました。でも好きな男を追って(あの時点ではきくちゃんのこと好きだったと思う)つらい仕事も続けて一人暮らしして、春江ちょ~強いわ。高畑充希さん、マジでミュージカル好きだから半分「歌ってよ春江ちゃん!」って思ったもんね。
そのあときくちゃんとおそらく?付き合ってたけど、きくちゃんの稽古見てから「これは添い遂げたい人じゃない、推しだ」ってなってプロポーズかわすのも強すぎる。そうなんだよね、きくちゃんは誰のことも幸せにしてやれないし、自分だときくちゃんが欲しい「血」はあげられないから身を引くのだ、これでこそ最強の女春江だよ。推し活として美しい形すぎる。しかも、俊坊が弱ってるのを見て「この人を立てなおしたら結果きくちゃんも救える」って思ったのかどうかわかんないけど、筋の通った乗り換えをしてるのもすごい。
こんな強い女春江なら、さちこさんと同じ役割をきっと勤めあげられる。さらにさちこさんと違って「丹波屋」だけを見てる女だから、きっとこの先も安泰だ…とあの時点では安心した。しかも男を生む。もう春江一強になってしまった。誰も勝てない。強すぎる。
藤駒ちゃんも強すぎる。も~強い。きくちゃんとであったころのおぼこい藤駒ちゃんは、きっと舞妓さんだったと思うけど、あの時点でめっちゃ厳しい修行に耐えてる子なんだよね?置き屋によって全然違うけど、俊坊ときくちゃんが遊びに行くんなら多分祇園だと思うし、その宴席に付いている藤駒ちゃんもきっとエリートさん。その中で「この人は売れる!」って見抜いて、しかも「日本一になるなら別に家庭を捨てても構わない」ってきくちゃんと添い遂げることに覚悟の決まった子なんだよ。
藤駒ちゃんマジで……強い。そりゃきくちゃんも藤駒ちゃんとなら子ども作ってもいいなって思うわ。いい女すぎるよ。
あと、あきこね~~~。あきこだよね~~~もう。くだらね~~この女。本当にあきこのくだらなさが作中ずっと好きだったし(褒めてるよ)あきこが都合のいい女すぎる。太宰治の小説に出てきそうな何番目かの女ポジすぎる。
なんか……、きくちゃんと俊坊が殴り合いの喧嘩したとき、あきこがすげ~冷めた目で見てたのが印象的で。この時点で、もしかしてあきこ鼻血出して車に戻ってきたきくちゃんに対して「もういいや。ばいばい」って言い出すかと思ったら、それはしないんだよね。「それぐらいきくちゃんのこと好きだから」じゃなくって「ここまできたらもう元に戻れないし仕方ない」って感情があるでしょ、あきこには。
これまで女全員強いって言ってきたけど、唯一あきこにはそれが思えなかった。
そのあときくちゃんのどさ回りをずっとサポートするのは献身的と思う。でも、あきこお前死んだフナみてえな目してきくちゃんの舞台見ててさ、もうそれは義務になってますやん。「この芸をずっと支えたい」って思いもないし、「素晴らしい国宝級!」とも思えてないし、何も感じ取れてないでしょ。これ、実際にはどうなってたのかわかんないけど、あきこときくちゃんは結婚してないと思ってた。あきこ、きくちゃんがもし上り詰めて梨園の妻になったとしたら、さちこさんみたいに振るまえないでしょ。春江よりも絶対に弱い。そういうあきこ、、ああもう本当にくだらないな~って思った。きくちゃんが落ちぶれたそのときだったから傍にいれただけで、あきこにはなんの覚悟も魅力もないのはきくちゃんも見抜いてる。
もうあきこ……この子もまた、大御所の娘としてボンボン気質が終わってていい。ただ、このあきこを演じたのが森七菜さんだったのがまたよくて、もうちょうどいい塩梅の女の役がうますぎる。森七菜さんがこんなに演技お上手だって知らなかった。あきこのこと、まだ気になってるぐらいに印象に残ってるもん。「どこ見てるの?」って台詞もいいよね。これまで何もしなくてもあきこはお嬢様、みんなから愛してもらってる女、見どころを周囲が与えてくれる人だったけど、きくちゃんはそうじゃないんだよ。「どこ見てるの?私を見てよ」って訴えても「あきこには見るべきところがない」のが、深いなって思った。そして少しだけ切ない。
さらに、きくちゃんにとっては「何を見てたの、今まで」っていう台詞に受け止められているところが、まだ二人がすれ違っててすげ~シーンだった。
あきこ、はやくきくちゃんを捨てなってずっと思ってた。
竹野マジで好きだ……。竹野が忌み嫌うのは歌舞伎ではなくて、「血筋という最強カードがないとのし上がれない伝統そのもの」ってところに筋が通りまくってて最高。初めは単にいちゃもんつけただけの奴かな?って思ってたけど、そうじゃないところがまたいい。
きくちゃんと俊坊の関係性も好きだけど、竹野ときくちゃんもまたいいよね。
終盤ずっと「三代目」って呼ぶのも好きだし、万菊さんと会わせたのが竹野ってところが最強にエモい。なんか竹野と万菊さんに対しては、終わってる人間まみれの中の唯一の光すぎて、どう表現したらいいのかわかんない……。
いや、万菊さんももしかするとどえらいことしてたのかもしれないけど、あの俳優さん演技うまいな~!ああいうレジェンドいそうだもん。奥行がすごい。でも万菊さんなんできくちゃんのこと認めるタイミングがあんなに遅かったんだ?やっぱ役者が全部そろわないとって思ったからかな?半々コンビで沸き立つ女の感情がすご~~くよくわかる。私はオタクだからだ。
きくちゃんの娘さん、綾乃って名前だったらしいけど、ずっと「文乃であやのなのかな~?」って思ってた。藤駒ちゃんが芸妓さんになってすっぴん日常着物でお祭り行くシーン、芸妓さんの「なんでそんなすっぴんキレイなの?」ってぎょっとするほどの透明感が再現されててめっちゃよかった。
あやのが最後にきくちゃんと再会して思いのたけを吐くんだけどさ、あのシーンが本当に大好き。
あやのは多分、ずっと「父ちゃん帰ってこないし終わってんなア」って思ってるけど「お母さんを苦しめた最低な父親」とは思ってなさそう。藤駒ちゃんがあやのになんて言ってるかはわかんないけど、そもそも「父親がこの人よ」とは言い聞かせもしなかったかも。藤駒ちゃん最後まで映画では出てこなかったけど、元気にしているのでしょうか。。私が働いてたラウンジバーみたいなの運営してるのかな。とんでもなく金持ってる「お父さん」見つけて……。
きくちゃんが三代目襲名して、お披露目パレード的なところであやのを無視ったシーンは、私はめちゃくちゃ納得した。そりゃそうよね、藤駒ちゃんがあやのを止めるのも何も言わないのも、そりゃそうだと思った。もう人生のすべてを捨ててひとつのことに溺れる男に惚れて、それでもいいから隣にいたい女というのは、そんなもんだよ…。
だが、隣で見ていた旦那は「あのシーンで一気にきくちゃんに同情できなくなった。最低」って思ったらしいので、家族を捨てるシーンとか子どもよりも人生を優先させる親が大嫌いな人は、ここで国宝そのものの評価を下げてしまうかもしれない。
ただ、覚悟の決まっている最強女藤駒ちゃんと違って、娘のあやのは結構冷静なのがまたよかった。きくちゃんに「お前最低」って面と向かって言えるの、あやのだけだよな。実際こんな父親、本当になんだお前ってなるよ。
でも最後に救いがある。まず、きくちゃんはあやのと対面したとき「藤駒という芸妓を知っていますか?」と訊ねられて、「忘れたことはないよ、あやの」って答える。台詞うろ覚えだけど。最低なきくちゃんだけど、藤駒ちゃんとあやののことはずっと心に居続けたんだね、と救われた。
さらに、あやの砲が続く。「お前が舞台に立ってヘラヘラするために、どれだけ人が泣いて不幸になったと思ってんだよ。だいたい、家族でお祭り行ってさあ、神社で願掛けするのが自分のことってどういうこと?自己中すぎるだろ」みたいなことをガンガン刺す。あやの、いいぞもっと言え。
でも、あやのはそんな最低の父親でも、きくちゃんのことを父親と思っていなくても「父ちゃんの舞台を見ると素晴らしいと感じる」みたいなこと言って、唯一芸だけは認めるんだよね。
あのシーン、好きすぎる。危うく泣きかけたが、周囲でトイレが我慢できず立ちだす人も多かったため、意識が逸れて涙は出なかった。
そして芸を手に入れ国宝にはなったが、その後何にも残らなかったきくちゃん。お前はきっとひどい死に方をするんだろうし、地獄に落ちる。でも、その姿はめちゃくちゃ美しかった。